【第十三章】 見えない敵
8/15 誤字修正 死には→死に
今にも雨が降り出しそうな灰色の空の下。
ややひんやりとした風に包まれたとある大地はガローン城塞と同じく戦場と化していた。
どこか殺風景にも映る緑の少ない荒野の中心に聳え立つのはスコルタと名付けられたこの国のもう一つの城塞だ。
サントゥアリオ本城がある王都バルトゥールからは他の都市や軍事施設よりも比較的距離が近く、広い国土の中心付近に位置する中規模要塞であり複数の主要都市への援軍や物資供給の補助を担う軍事的な拠点としてのみならず都市間の連携という意味でも重要な意味を持つ基地の一つである。
その後方にはスラスという町が広がっており左右に大きく広がった塀が町を守る役割を強く表している造りになっているが、今現在のスコルタは本来の姿とは程遠い。
国内で繰り広げられた紛争の爪痕は大きく、終戦後間もなくということもあって半壊した建物の修繕が半分も済んでいないからだ。
そんな状態にありながらも侵攻阻止のためにシルクレア軍に立ち向かうスコルタに配置された王国護衛団の兵達は奮闘を続けていた。
ガローンと違い町の外れにある小山に挟まれているという立地から城塞を回り込んで通過することが難しく、部隊を大きく展開する必要性が薄く人員を集中できるという点も大きな要因であったが、それを除いても兵士達の士気の高さが何よりの理由だと言える。
その差を生んでいるのは最前線で剣を振う一人の戦士の存在だ。
異国から降り立ったセミリア・クルイードはのべ数百人が入り乱れ武器を、或いは技をぶつけ合う音が絶えず響く戦場の中心でシルクレアの一群を率いる将と相対している。
灰色の大きなローブで顔や上半身を隠しているため未だ見た目からは正体はおろか性別すらも断定出来る状態にはない。
キアラ総隊長からは戦略上の理由で当面正体を明かすことは出来ないが、ラブロック・クロンヴァールに匹敵する強さを持つ最強の助っ人であると通達が出ている。
それが戦う意味を見失いつつあった中に見えた少しの勝機と希望へと繋がり、ゆえに兵達の士気も高くガローン城塞とは対照的に戦う意志を失わずにいるのだった。
王国護衛団は先陣を切って特攻し敵陣を割るだけに留まらず一人で多くの敵を戦闘不能に追いやったセミリアの勢いそのままに終始優勢を維持しており、全てとまではいかずとも不必要に命を奪わず出来る限り捕えて捕虜とする方針を貫きながらも敵兵の数は既に半分を切っている。
多くの味方が捕えられている状況での報復を避けるため、同じく敵兵を捕えることでシルクレア軍の動きを少しでも抑制するため、そしてどういう形であるにしろやがて結末を迎えたのちに不要な遺恨を残さぬため。
それらのセミリアの言い分に従い護衛団の面々ですらも命を奪う必要の無い者には敢えて手を掛けずに、それでいて徐々に戦いを終わりに近づけていった。
残るは敵将と百人足らずの兵のみという優勢の中、その状況を作り出した一番の功労者であるセミリアはシルクレア兵を率いる壮年の男と一対一で対峙している。
女王ラブロック・クロンヴァールに仕える近衛隊の副隊長を務めるルドルフという戦士だ。
「一体何者だ……エレナール・キアラ以外にここまでの強さを持つ者がこの国に居るという情報は無いはず」
ルドルフは右腕から血を滴らせ、苦い表情を浮かべる。
対するセミリアはシルクレア王国でも実力上位に位置する相手にほとんど無傷と言える状態だ。
「私が何者かなど、どうでもよいことだ。お主等のやり方を見過ごしてはおけぬゆえやってきた、それだけを理解しておけばよい」
「ふっ……一端の英雄気取りか。その声と同様、若気の至りにしか聞こえんな」
「解釈は好きにしてもらって結構。だが敢えて問おう、こんな方法では人々が望む未来など実現せぬ、こんな仕組まれた争いで失われる命があっていいはずがない……そうは思わぬのか」
「そんなものは誰もが等しく抱く感情だ。だが、その正論を唱える行為で何が変わる。お前は確かに強い、だがそれだけでは何も変わらぬからこそこうして戦場に立っているのだろう。お前を含む多くの人間が善人、或いは正常であることを選ぼうとする。当然だ、それが最も苦しみを伴わず、自己を保てる選択だからだ。我らが主はその逆を敢えて行くと決めた、常人には選ぶことの出来ない道を歩むことを決めたのだ! いずれ誰かに奪われるぐらいならばと自らの手でケリを着けるという決意が他の誰に出来る! 不要な争いを生まぬため他の者に手を出させぬように根回しを行い、全ての罪と恨みを背負って散ることを選んだ主の道は我ら家臣が切り開く……誰にも邪魔はさせん!!」
もう何度目になるか、二人は剣と剣をぶつけ合う。
だが、何度試みようと特出した剣術を持ちながらも、それを上回る技術に加え埋めようのない速度という武器をもっているセミリアの肉体にルドルフの刃が届くことはない。
素早い動きと手数で勝る斬撃が徐々に体力を奪い、辛うじて大きな傷を避けているが少しずつ、確実にルドルフは追い込まれていく。
「くっ……これでどうだっ!」
ならばと、空いた左手で隠し球として温存していた火炎の呪文を繰り出した。
至近距離から通常の数倍はあろうかという炎の塊がセミリアを襲う。
しかしそれもダメージを与えるには至らず、直撃の瞬間に真っ二つに切り裂かれたかと思うと球状の豪炎はそのまま消えて無くなった。
その不可解な光景にルドルフは動きを止め、驚きに目を見開いている。
それもそのはず、炎を斬るというあるはずのない現実を瞬時に理解することが出来ず、更にはセミリアの全身を覆う青白い光に気付くと戸惑いは増す一方だった。
「何だ……その青い光は」
「これは私達が兄妹であることの証明……言い換えるならば、亡き両親が私達に残した、この血が宿した絆の証だ」
セミリアは淡々と投げ掛けられた疑問への答えを口にする。
かつて聞いた【煉蒼闘気】という名をそのまま使っている、魔王カルマとの戦いで覚醒した亡き兄が駆使していた特殊な能力だ。
帰国後、独自に鍛練を重ね既に自らの意志で操るまでに達している。その闘気が炎を切り裂いたのだ。
「何を訳の分からぬことを……魔法が効かぬとて勝ったなどと思うな。世界でも民でもなく姫様のため……何があっても負けるわけにはいかぬのだ!!」
怒声が止むと二人は同時に地面を蹴る。
ルドルフは真正面から、防御を捨てた渾身の突きを繰り出した。
【相打ちでもいい】ではなく【相打ちでいい】という決意と覚悟を孕んだ一撃が真っ直ぐにセミリアの首へと伸びるが、やはり無情にもその一閃は空を切る。
肩口を掠め、僅かな血飛沫を上げた剣は顔の横を通過し目標を見失うことで動きを止めた。
そして次の瞬間には最小限で攻撃を躱し懐に潜り込んだセミリアの真下から振り上げられた大振りの剣が胴を斬り付け、ルドルフの鎧を粉砕する。
前のめりに倒れ込んだルドルフは短く苦しげな声を漏らし、やがて意識を失う。
セミリアは左肩の傷に手で触れつつ、その姿を見下ろした。
「死に至ることはあるまい。悪いが……守るべき物のため、守ると決めた物のため、私も負けるわけにはいかぬのだ」
最後にそう呟いて背を向けると、近くに居る士官に指示を出しルドルフの身柄を運ばせる。
その後も少しばかり戦闘が続いたものの、残り少なくなったシルクレア兵が撤退を始めたのは間もなくしてのことだった。
○
ガローン城塞での戦いが終わり、スコルタ城塞での戦いが続いている頃。
残る一つの拠点であるベルジオン中継基地に配属された王国護衛団の部隊はどういうわけか山の中にいた。
本城に戻ったキアラ総隊長は依然戻っていない。
それでいて全部隊全人員が基地を離れているのはキアラの指示ではなく、護衛団とは無関係なとある人物の指示によるものである。
無論キアラ、ジェルタール王の了承を得た上のことであるが、その人物を知らない多くの兵は指揮権を与えられたコルト・ワンダーの常識外れの指示に少なからず不信感を抱いていた。
その人間離れした頭脳による狙いや成果を実感する、つい先程までは。
「ワンダー、入り口の方も無事に終わったぞ。流石に敵も気付いたらしく慌てて引き返してきたが、どうにか間に合った。周辺の捜索も続けさせているが、逃れた奴がいたとしても見つけるのは難しそうだ」
指示に従い部隊を動かしていた士官の一人がワンダーに駆け寄ったかと思うと、息を切らしながら報告を一つ口にする。
自身の半分程の年齢であり、日頃から見下しているワンダーの命令を聞くことには抵抗があったが、総隊長キアラの命令とあればこの急場でそれを口にしている場合ではないと渋々従っていた一人である。
それでも基地を離れ、先回りをすることで別の地点を襲撃していたはずの敵軍を一網打尽にした成果はあらゆる不満を押し込めるには十分なものだった。
現在ワンダーを含むベルジオンに配置された兵の半数がガローン城塞と本城の中間に位置する大きな山の中へと場所を移している。
持ち場である基地の防衛を放棄するという信じがたい決定は誰しもに動揺を与え、多くの反感を買ったが、その策を生み出した人物が持つ信頼が全てを可能にした。
ベルジオン中継基地、スコルタ城塞、そしてガローン城塞、三つの拠点の地理条件や戦力値を踏まえた上でシルクレア軍が最も考えにくいガローン城塞の突破を重点的に狙ってくることを見抜き、更には制圧された場合に一般的な経路である山を迂回する道を選ばず直進し山を越える方法を取ることも同じく見破り、ワンダー達に先回りさせることでそれを防いだのだ。
この国に生きる者ですら誰もが予想していなかった二つの策略をただ一人異国の地から打破した少年が王国護衛団に味方していることを知らないシルクレア軍は移動速度に重きを置くあまり先行して偵察を送る程度の必要最低限の警戒をしたに過ぎず、逆に罠に嵌められ身動きが取れない状態へと追いやられてしまっている。
それだけに留まらず、ベルジオンへと攻め込んだ敵兵をも同じく動きを封じることに成功したという知らせが今まさに届いた。
「ワンダー、ベルジオンの方も作戦通り敵軍の大半を基地内部に閉じこめることに成功したそうだ」
次いで現れた別の士官が通信兵からの報告を二人に伝える。
戦うことで生じる犠牲と時間のロスを防ぎ、かつ戦わずして敵を抑え込む。それこそが康平という名の異国の少年が与えた策だった。
ベルジオンには地下に隠された秘密通路が存在する。
地中を通り、基地外部へと繋がっている主に緊急時の脱出用として作られたその通路を使うことで監視している敵兵に悟られることなく基地にいる兵以外の者を含む全ての人間を退却させ、武器や食料を運び出させた。
それはつまり基地の中が無人になるということだ。言い換えれば、基地を敵に明け渡すことと同義とも言える。
無謀どころか状況をより悪化させかねない康平の助言は多くの反対意見を生んだ。康平と面識の無い兵達だけではなく、ワンダーの能力によって伝え聞いたキアラやジェルタール王ですら当初は同じだった。
しかし、『守るべき物は建造物か、それとも人か』そんな問いが心に深く突き刺さり、キアラは決断する。
その結果、シルクレア兵に知られることなく基地を出た全軍は半数が姿を隠し、半数が山へと先回りすることとなった。
そして山を越えるに当たって避けては通れない深く大きな洞穴を通過する機を見計らって出入り口を封鎖することでガローンを突破した部隊を封じ込め、残る半数で慎重さと警戒を維持しながらも無人となった基地内部へ突入したベルジオン攻略に現れた部隊をその機を見計らって基地を包囲することで基地そのものに幽閉することに成功したのだった。
「うまくいきましたか……よかった」
ワンダーはホッと胸を撫で下ろす。
全ては康平の考えだ。報告を述べた二人の士官だけではなく、実行した兵達も見事に当て嵌まった策に安堵すると共にその才覚を末恐ろしく感じていた。
「とにかく、基地全体を包囲し出入り口を重点的に固めて脱出出来ないようにしてください」
「ああ、言われた通りにやらせた。まずそう簡単に出てくることは出来ないはずだ、無理に出ようとすれば集中砲火を浴びせられることが分かるように配置しているからな」
「だがワンダー、捕えた奴らをどうする。報いを受けさせろと荒れている兵も少なくないぞ」
「駄目です。動けなくしたなら、それ以上の行為に及んでは絶対にいけません」
珍しく毅然と言い切るワンダーに士官の一人は少し驚いた反応を見せたが、その言い分が理解出来ず、すぐに苛立ちを露わにする。
「なぜそこに拘る。シルクレアの連中が何をしているのか、分かっていないわけじゃないだろう」
「お師……この作戦を与えてくれた人と約束したんです。『人を殺すための協力なら出来ない』と、そう言っておられました。それを条件に力を貸していただいているんです、これはキアラ隊長やジェルタール様も了承してくださって、その通りにすると決めたことです。シルクレアの人達は許されないことをしてきたかもしれません。でも……僕達の側にも捕虜にされた人が大勢いるんです。ここで僕達がシルクレアの人達に手を出してしまうとその人達の命も危険にさらすことになってしまいます」
「そりゃまあ……確かに、その通りだな」
興奮しつつあった士官の男は一瞬絶句し、神妙な顔で目を逸らす。
人知れず鼓動を早めていたワンダーも小さく息を吐き、気を取り直す様に自分側の報告を口にした。
「もうすぐキアラ隊長もこちらに到着するようです。洞窟内にいる人達との交渉はキアラ隊長がするということなのであとはそれを待ちましょう」
「分かった分かった、言う通りするさ。しかし、お前いつの間にそんなに強気に物言うようになったんだ? いつもオドオドしてるだけで何を言ってるか分からないような奴だったってのによ」
「それはきっと……お師匠様のおかげです」
「お師匠さまだあ?」
「あ、いえ……なんでもありません」
思わず漏れた本音に、ワンダーは恥ずかしそうに俯いてしまう。
そして怪訝そうに顔を見合わせる二人に気付かないふりをしながら、キアラの到着を待つのだった。
○
曇り空が日光を遮断する、どこか時間帯に似付かわしくないほんのりとした薄暗さが広がる静かな自然の中に大きな声が響き渡った。
見通しが良く、水分の補給にも適している川辺に陣を取ったシルクレア軍を率いるクロンヴァール王の怒声だ。
誰もそれを咎めることは勿論のこと、窘めることも出来ない。
相手が主君であるからというだけの理由ではなく、誰もが同じ憤りと歯痒さ不甲斐なさを感じていることが何よりも大きい。
世界の王をそうさせているのは今し方届いた三つの報告にある。
一つは近衛隊副隊長ルドルフが一対一での戦いに敗れ部隊の多くが捕えられたという知らせ。
一つは無人化したベルジオン中継基地に潜んでいた罠により部隊の多くが捕えられたという知らせ。
そしてもう一つは王都襲撃の先陣を切るはずの近衛隊隊長ヨハンが率いる部隊の多くが捕えられたという知らせである。
ガローン城塞で捕えた敵兵の幽閉や残していく兵への指示が終わり、他の二地点から勝利の報告を受け取り次第待機していたクロンヴァール王やアルバートも出陣し四つの部隊が一斉に王都に攻め入る手筈になっていたのだ。
その全てが予想の逆を行ったとあれば、声を荒げずにはいられなかった。
「何がどうなればこのようなことになる! 雷鳴一閃はまだ戻っていないはずだ! なぜルドルフが敗れる、なぜこちらが罠に嵌り、こちらの策が見破られた上で利用されている……一体、我々は何と戦っているのだ!!!」
叩き付けられたグラスが砕け散り、砂利の上に飛散する。
対照的に落ち着いた口調で言葉を返したのは隣に立つアルバートだ。この状態の王に意見出来るこの場に人間が自分しかいないことを分かってのことだった。
「救出のために部隊を送りますか?」
「逸ると敵の思惑に乗せられるだけだ。こちらにも捕虜がいる以上奴らも手荒には扱うまい。すぐに偵察を呼び戻せ、そして代わりに倍の数の偵察を送れ。一度戦力を立て直し、戦略を再考する。港から出来る限りの増員を送るように伝えろ、クリスも含めだ」
「了解しました。ですが、各地の斥候の入れ替えをするとなれば少し時間が必要になります。進軍の再開は今日のうちに?」
「日が暮れればよりあちらに有利に働くだろう、冷静さを欠くのはこの場限りだ、明日まで時間を空ける。それまでに持ち帰らせた情報を纏め、報告出来るようにさせておけ」
「させておけと言いますが、いつも通り僕がやった方がよいのでは?」
「お前はクリスが到着次第私と共にフェノーラに移動だ。行ったり来たりと忙しいことこの上ないが、明日までのんびりと休息している余裕はない。どちらか一方でも今日明日中に片付けなければ全てが手遅れになる。あちらが先に済みそうならば帰りを一日遅らせると私達が不在の間の段取りと合わせて通達しておけ」
分かりましたと、短く答えるとアルバートはその場を離れてきぱきと各隊の副官達へと指示を飛ばしていく。
時折空へと目を向け、どこか淀んだ景色が良からぬ何かを暗示しているのではないかと朧気な予感を抱きながら。