【第九章】 逆襲のピース
11/27 誤字修正 何かわれば→何かあれば
東の港から部隊の大半を引き上げさせたキアラはワンダー、ラウニッカ、ルバンナ等を中継基地ベルジオンへと移動させたのち、部隊の配置に関する指示を出すとすぐに単身馬を走らせとある場所へと向かっていた。
基地から三刻ほどの位置にある海辺に建つ灯台の脇に並ぶ小さな接岸施設だ。
それは海上の監視のために作られた灯台でありながら緊急用に船を繋ぐための係船杭や宿泊用の小屋が備わっているため二つの港以外で唯一停泊が可能な環境がある場所となっているが、そのことを知るのは国に仕えている者以外にはまずいない。
キアラが隠された第三の港に赴いた理由は監視兵に近況を問うことではなく、一人の人物を迎えることだ。
明朝に到着予定であると連絡を受けたグランフェルトの戦士、【聖剣のシルバー・ブレイブ】こと勇者セミリア・クルイードである。
戦術の優劣や軍隊としての練度を除いても国家同士の戦いで世界一の大国シルクレアを相手に優勢を維持することは不可能に近い。
それゆえにキアラ、ジェルタール王の両名は自国での交戦であるにも関わらず悪化の一途を辿る戦況を覆すため、五大王国の中で唯一火の手を逃れたグランフェルト王国へと援軍を求めることを決めた。
簡単に兵を送れる状態ではないことも、参戦は困難であることも承知の上で送った同盟国への助けを求める書簡は結果として一人の勇者のみを派遣するという回答を引き出させるに至る。
それは二人にとって思い掛けない成果であり、立ち向かう意志を繋ぎ止める大きな希望だと言えた。
世界に名を轟かせる勇者の百戦錬磨、一騎当千の誉れ高い武勇は誰もが知っている。
それでいて誰にも明かされていない参戦を果たすべく、今まさにセミリア・クルイードがサントゥアリオ共和国へと上陸しようとしていた。
灯台の真下に一隻の小さな小舟が帰着する。
帰路でのみ意図してサントゥアリオの国章が大きく描かれた帆をはためかせながら夜通し海を渡った船はセミリアを乗せるために送られた物だ。
グランフェルトを出発する日、康平に助言を求めたセミリアは一つの策を提案された。
『サントゥアリオ陣営に加わることをシルクレア軍に知られないように』
その言葉に従い、予めキアラと示し合わせた上でグランフェルトの船で直接上陸することを避けたのだ。
目の届くはずのない深夜の海上で中継し、乗員を一人増やしてひっそりと帰り着いたサントゥアリオ船から降り立つセミリアは二つ名が示す通りの銀色の髪も、背に負った大振りの剣をも大きな茶色いローブで覆い隠しているため傍目に正体を特定することが出来ない状態を維持している。
出向いた操舵手ですら入国許可証を持つ者を客人として灯台まで丁重に送り届けるようにという指令に従っただけに過ぎず、未だ誰を迎え入れたのかを把握していない。
フードの中身を知っているのは指令を出したキアラ、そして許可証に署名したジェルタール王と港で知らされた三人の副隊長とワンダーの六人だけだ。
「無事に到着してもらえて良かったわ。こんな状況で無理を言って本当にごめんなさい、貴方達の決断に国を代表して感謝の意を」
滞りなく乗り継ぎを済ませたという連絡を受け取っているキアラは操舵手を下がらせると一見すると不審な人物にしか見えないセミリアに歩み寄り手を差し出した。
セミリアもまた、すんなりとその手を握る。
「迎えをありがとうキアラ殿。そしてまず私一人だけで来たことを詫びさせて欲しい」
「頭を下げられては立つ瀬が無いわ、そちらの事情を考えれば無理を言っているのは私達だもの。それに、クルイードさんだけじゃない。彼のおかげで既に私達は窮地を脱しているのだから」
「……彼?」
「コウヘイ君よ。勝手ながらコルトが知らない間に連絡を取ろうとしていたみたいで、今朝ようやく話が出来たの。それどころか少しこちらの事情を聞いただけで港で張られていたシルクレア軍の策略を見抜いてしまった……本当に恐れ入るわ」
「そうだったのか。コウヘイも私もアネット様も、こんな無益な争いは続けるべきではないと思っている。離れた場所からでもどうにかキアラ殿やワンダー少年の助けになろうとしているのでしょう。いつまで経ってもコウヘイの思考の深さには私も頭が上がらない」
「今はマリアーニ王と行動を共にしていると聞いたのだけど」
「ええ、あちらはあちらで相当に切羽詰まっている状態のようです。これ以上必要の無い犠牲を出させず、どうにか争いを止める方法を求めながら別の解決策を探す。言葉にすると奇跡にも思える可能性だが、私達も最後まで諦めるつもりはない。今出来ることに全ての力を費やすことだけを考えましょう」
「そうね、その通りだわ。貴方達二人は確かにこの国の歴史を変えてくれた、どうか今一度その力を貸して欲しい」
「そのために来たのです、何も気兼ねはしないでください。まずは現状がどういった戦況なのかを教えていただけるか」
その問いに対し、キアラはここに至るまでの経緯を話して聞かせた。
宣戦布告と共に港を占拠されたこと。
その後猛攻に遭い勢いそのままに町を一つ突破されたこと。
そして昨日ついに砦をも制圧され、本城までの距離を半分にまで詰められたこと。
それらを簡潔に要点だけを纏めて語ると、言葉無く耳を傾けていたセミリアは難しい表情を崩さず独白の様な小さな声を漏らした。
「もうそこまで攻め込まれているのか……流石に世界一の兵力と言われるだけはある。というよりも、まさかそうも明確な敵意を以て侵攻に出るとはクロンヴァール王は何を考えているのか」
「ほぼ間違いなく今日の内に更なる攻勢に出てくるはず。今現在護衛団はスコルタ、ガローンという二つの城塞と中継基地ベルジオンに兵力を集中して迎え撃つ準備をしているところよ」
「事態は分かった。私達もすぐにそこに合流するとしよう」
「ええ、馬を用意しているから使って。ここからだと昼を迎える前には余裕を持って到着出来るわ」
うむ、と短い返事が返ると二人はその場を離れていく。
そして来る決戦に備えるべく、馬を飛ばしてベルジオンへと向かった。
○
昼前を迎えた頃、休まず馬を走らせ続けた二人はベルジオンに到着した。
上空は灰色の雲に覆われ始め明け方の晴天は今や見る影もない。
周辺一帯に配置した監視兵と奇襲に備えた二百の兵隊を除く全ての集結した戦力が基地内部で合戦の準備に奔走しており、正面にある門扉で総隊長を迎えたのはラウニッカ、ルバンナとワンダーのみだ。
「お帰りなさいキアラ隊長、それから……」
二人が馬から降りると、すぐにワンダーとラウニッカが駆け寄っていく。
唯一セミリアと顔見知りであるワンダーは再会の挨拶を述べようとするが、素顔の一切が隠された風貌に不安を覚え気安く声を掛ける勇気は最後まで持続しなかった。
「久しぶりだな、ワンダー少年。それから、そちらの二人もよろしく頼む」
「あ、はいっ、お久しぶりです勇者様」
不安げに見上げたワンダーはその声を聞いてようやく謎の人物の正体がセミリアであることを理解し慌てて挨拶を口にする。
その横では視線を向けられたルバンナがペコリと会釈を返していた。
銀髪の勇者を実際に目にしたことのないルバンナは奇妙な格好を訝しく思っていながらも敢えて声には出さず、『誰この人……』と心の中で思うに留めすぐに興味を失ったが、どうにも頭より先に口や体が動く質のラウニッカは迷わずその疑問を投げ掛ける。
「え……ていうか、どうして顔を隠しているんですか?」
「ああ、無礼に思われたなら済まない。コウヘイの案でな、私が入国したことをシルクレア勢に知られない方が虚を突くことができるだろうということでそうしているのだ」
「でも、勇者様ほどの人がこっちに加わったことが伝わった方が相手も出方に慎重になる分時間を稼げるんじゃないんですか?」
「勿論そういう考え方もあるのだろうが、コウヘイの考えは少し違う。確かに相手も慎重になる可能性が高い、だが結局はそれを踏まえてより大きな力を動かそうとするだけだろう、ということだ。これまでのクロンヴァール王は周到な作戦の下とはいえ、手段としては力押しでここまで突破してきている。一時的に足を止めさせることよりも向かってこさせた上で侵攻を失敗させて初めて有効な手立てとなるはずだと、そう言っていた。方法や考え方が数あるならば私はコウヘイの意見に従う。ゆえにキアラ殿にそれを提案したのだ」
「なるほどー、凄いですねその人。現地に居ないのにあれこれとこっちにまで策を講じてくれるなんて」
「コウヘイほど強さと優しさ、聡明さの全てを兼ね備えた人間を私は知らぬ。あの男と肩を並べていられることは私の誇りだ」
「そうね、私も同感だわ。あれほど頭が回る子がまだ十六歳だとは」
「お師匠様は賢いだけじゃなくとても優しくて……」
「ワンダー君、それはさっき聞いたから」
賛辞ばかりが並ぶ顔も知らぬ人物に感心しながらも、ラウニッカは呆れた目をワンダーへと向ける。
年齢に触れるならばセミリアが勇者の名を背負ったのも、キアラが総隊長に就いたのも同じ歳であったが話が逸れ始めていることに気付いた両者は共に言及しかけたそんな話題を咄嗟に別の方向へと変えた。
「何はともあれ、コウヘイ共々よろしく頼む。してキアラ殿、今この国がどういう状況なのかは道中でも聞いたが、やはり兵力を集中しても食い止めるだけでは好転とは言えぬのではないか? コウヘイが別の解決法を探すと言っていたが、耐え凌ぐ戦術がいつまで保つかも分からないだろう。無論、だからといって正面衝突をすることが正しい選択だと思っているわけではないが……」
「それも重々分かっているわ。時間を稼いだり守りに徹するだけではいずれ何もかもを失うことになりかねない。まずは勢いに乗るシルクレア軍の攻勢を食い止め、港を取り戻す。それが最初の方針です」
「うむ。だが、それ程までにシルクレア軍の数は多いのか? 失礼に思われるかもしれぬが、サントゥアリオ軍を以てまさか数日で港や砦を占拠されるとは信じられないのだ」
「それは……虚を突かれたと言うと言い訳になってしまうのでしょうけど、どうしても初動に至るまでの差があまりに大きすぎたことが一番の要員だと言わざるを得ないわね。魔王軍との戦いが終わった後、クロンヴァール陛下は数百人の兵を復興の支援という名目でこの国に残していったでしょう。その後すぐに天界から【人柱の呪い】のことを告げられた。最後に王達が集まった日、つまりはクロンヴァール陛下が宣戦布告をした日には彼らは動いていた。港を襲撃してきた船団と挟み撃ちの格好になってとても対処出来る状態じゃなかった……まさかその日のうちに国内外の両方から攻撃を仕掛けられるだなんて思いも寄らない」
「……その辺りの周到さと徹底した戦いぶりは流石というべきか。そんなものは防げる方がおかしいというものだろう。いずれにせよ過ぎたことを悔いるのは今すべきことではない。これからどうするか、それが何よりも大切なことだ。そうだろうキアラ殿」
「ええ、これ以上この国の誇りと尊厳を踏みにじらせはしない。これからのことだけど、クルイードさんだけではなく三人もよく聞いて。今シルクレア軍が拠点としているアトラス砦から本城に向かう場合、このベルジオンを含めて避けて通れない場所が三箇所あるの。アトラスから一番距離が近い代わりに突破しても大きな山河を回り込まないといけないため本城到達まではかなりの時間を要するガローン城塞。逆に一番距離がある分、突破すれば本城まで直通で行けるスコルタ城塞、そして両地点の中間程度の距離と道のりに挟まれたこの中継基地ベルジオン。恐らくクロンヴァール陛下は三箇所のどこかを局地的に攻め突破を狙ってくるでしょう。配置出来る戦力や周辺の環境を考えてもスコルタが本命の可能性が高い。言うまでもなく一点集中ではなく複数の部隊で同時に攻めてくることも多いに考えられるけど、痛手の度合いを考えるとスコルタでの戦闘を一番に頭に入れておかなければならないわ。だからこそ三箇所に戦力を分ける中でクルイードさんにスコルタを任せたいと思っているのだけど、どうかしら」
「王国護衛団という組織の中に加わろうとしている以上私に異論はない。キアラ殿の指示に従おう」
「ありがとう。兵達には貴方の指示に従うように通達しておくからクルイードさんも気兼ねはしないで」
「承知した。だが私がスコルタ城塞に行くとして、キアラ殿達はどうするのだ」
「私とコルトはここに残るつもりよ。中間地点である分、予想が外れた場合に本城を含めていずれの場所にも援護に向かえるし、コルトがいれば連携も取りやすいでしょう。それから、シビルとルバンナはガローンで指揮を執ってもらうわ」
「り、了解です」
「……オーケーだモン。すぐにガローンに行ってまずは昼ご飯だモン」
「本城に二千、ベルジオンに千、そして両城塞に八百ずつの兵を既に配置している。ルバンナも食べるなとは言わないけど、果たすべき役割を忘れては駄目よ」
「大丈夫です、殴ってでも私が前線に放り出しますから。ほら、時間も無いんだから行くわよルバンナ」
ラウニッカはルバンナの首根っこを掴むと馬の元へと引っ張っていく。
文句を垂れながらも巨漢が馬に跨るとラウニッカ一人がキアラに敬礼と挨拶を残し、二頭はそのままガローン城塞へ向かって駆け出した。
少しの間その背を見送り、セミリアも馬に飛び乗るとキアラとワンダーを見下ろし手綱を握る。
「では私も出発するとしよう。到着後も色々と時間が必要でしょう」
「分かったわ。巻き込んでおいて言えた義理じゃないかもしれないけど、必ず無事に再会を」
「ああ。この無益な争いを止める、その意志がある限り私達は共に戦える」
下から見上げるキアラが手を差し出すと、二人はがっちりと握手を交わす。
キアラの目にも、フードの奥に覗くセミリアの目にも共通して使命感と覚悟が浮かび、それを確かめ合う意味と自分に言い聞かせる意味でそれぞれが心の内を言葉にしていた。
「これを持って行って」
二つの手が離れると、キアラは腰から三枚の羊皮紙を取り出しセミリアに差し出した。
「ここからスコルタまでの地図とスコルタ周辺の地図、そしてそこにいる士官や通信兵のリストよ。城塞に集めた全軍の指揮権が貴方にあることはコルトから連絡させておくから、そのつもりでいて」
「委細承知、二人も決して無茶をせぬようにな。何かあればワンダー少年から連絡をくれればよい」
では御免、と。
背を向けるとセミリアも馬を走らせその場を離れていく。
キアラとワンダーも無言のままその後ろ姿が見えなくなるまで見守ると、続けてキアラが踵を返した。
「コルト、出る前に言った通り私は一度本城に戻るわ。監視兵から別の報告は無いわね?」
「は、はい。キアラ隊長が戻られる前にも連絡を取りましたけど、依然敵の姿は無しということでした」
「ということはまだ相手に動きはないということ。一度城下の部隊と士官達に直接指示をしたいし、今朝の陛下の様子も少し気掛かりだわ。昼を迎える前に戻れば間に合うでしょう、どれだけ些細なことでも逐一知らせるようにして」
ワンダーの肩にポンと手を置き、真剣な眼差しを向けるとキアラもまた門の前から立ち去ってゆく。
しばし三度目の見送りに時間を費やしたのち、残されたワンダーは基地内部にいる兵士への通達事項をしっかりと伝えなければと気を引き締め、何度もキアラの指示を頭で反復しながら慌ててベルジオンの中へと戻っていった。
こうして五人は三地点と本城、それぞれの持ち場へと急ぐ。
どこに向かう誰もが来たる決戦に備え静かに闘志を燃やしながら。