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勇者が仲間になりたそうにこちらを見ている  作者: まる
【勇者が仲間になりたそうにこちらを見ている⑧ ~滅亡へのカウントダウン~】
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【第八章】 もう一つのリミット

7/20 タイトル修正 第八話→第八章

1/2 誤字修正


 翌朝、目が覚めたのは随分と早い時間だった。

 見知らぬ土地で、それもベッドの上ではなく馬車の荷台の中での睡眠であるのに加えていつどこから軍隊が襲ってくるか分からない状態なのだ。

 不安や緊張から眠りが浅くなるのも無理はないし、それどころか頭であれこれと考えてしまうせいか寝そうになっては眠気が飛んでということを繰り返していたせいでいつから寝ていたのかも分からないし、どれだけの時間眠ることが出来たのかも定かではない。

 おかげで目覚めたという感覚すらほとんどなく、眠れないまま朝を迎えたような頭も体も重たく疲れが全く取れていないのが分かる状態での朝となってしまっていた。

 しかし、寝起き直後の僕を待っていたのはそんな寝不足の辛さなんて一瞬にして吹き飛ばす出来事だ。

 森の中ということもあって朝日もまだ見えていない夜明け頃。

 僕の頭にとある声が届いた。


『お師匠様……お師匠様!』


 そんなことが出来る人物も、僕をお師匠様と呼ぶ誰かも僕は後にも先にも一人しか知らない。

 コルト・ワンダーという名のサントゥアリオ共和国で魔法使いをしている少年だ。

 離れた場所にいても脳内で会話が出来るというナチュラル・ボーン・ソーサリィーと呼ばれる通常とは異なる特殊な性質を持った魔術を扱う十五歳の男の子で、サントゥアリオでの抗争の時に知り合って以来随分と僕を慕ってくれるとても良い子である。

 聞けば少し前から幾度となく僕に連絡を取ろうと試みていたらしく、ようやく声が届いたことに随分と驚いていた。

 言わずもがなそうする理由は助けを求めるためで、コルト君本人も王国護衛団の一員として朝早くから職務に就いているとのことだ。

 久々の会話になることへの挨拶や喜びの弁も早々に切り上げ本題に入ると、どうやらあちらもあちらで相当に切羽詰まっている状況らしい。

 今まさにクロンヴァールさんが率いるシルクレア軍に攻め込まれていて、宣戦布告と同時に港の一つを占拠され、町と砦を突破されて見る見るうちに本城に近付いてきてしまっているのだとか。

 それから続いているせめぎ合いや相手の動きなどを説明してもらい、ここ数日もう一つの港で監視をしているというコルト君に『僕ならどう考えるか』『僕ならどうするか』そういう意見を色々と話して聞かせて少ししたところでキアラさんが来たからということで会話を切られてて今に至る。

 聞けば聞く程にクロンヴァールさんの本気が窺えて末恐ろしくなるし、現場に居ない僕の助言が少しでも役に立ってくれればと願うばかりだ。

 共に肩を並べ、あれだけの戦いを乗り越えた国同士が戦争をするなんて絶対にあってはならない。

 あんな悲劇を簡単に繰り返してはならない。

 例え仕組まれた命の奪い合いだったとしても、だからこそ最後の最後まで抗わなければ陰で笑っている誰かの思う壺じゃないか。

 そんな気持ちをより強く抱かせた十分少々の会話は、最後に僕の心を奈落の底に叩き落としていた。

 コルト君自身は一切そういうつもりではなかっただろうし、むしろ僕が知らないことに驚いていたあたりある程度は周知の事実となっている情報だったのだろう。

 僕へのコンタクトが出来なかったことと同じく日本にいた以上は仕方がないのかもしれない。

 それでいてグランフェルトを出る前に聞くことも出来たはずなのも間違いなくて、ジャックやセミリアさんが話さずにいたのはきっと僕を不必要に落胆させ悲しませないためなのだと分かってもいるつもりだ。

 だけどそれでも、幸か不幸か知ってしまえば僕に辛く苦しい気持ちを抑え込む強さなんて備わってはいなかった。

 きっかけはコルト君が口にした何気ない一言だ。

 共に港で任務に当たる三人の副隊長。

 僕にしてみればその発言を疑問に思うのは当然のことで、少し前までは一人しかいなかった副隊長が何故三人も増えているのかと何の気無しに尋ねた僕に明かされたのは衝撃的かつ絶望的な事実だった。

 グランフェルト、シルクレア両国の兵が帰国した日、引き続き各地の調査と捜索をしていたサントゥアリオの部隊がとある森の中で護衛団の副隊長であるノーマンさんと数人の部下が殺されているのを発見した。

 それだけではなく、その森の中には黒こげになった教会らしき建物があって、そこで二つの焼死体が見つかった。

 そんな知らせだ。

 信じたくもなければ受け入れられるはずもないが、状況や遺留品から暴挙に及んだのはノーマンさんで、亡くなっていたのはフレデリック・ユリウス、そしてマーシャ・リンフィールドの両名であることがほぼ断定されたと、コルト君は教えてくれた。

 会話が途切れた今も苦しいぐらいに心臓が痛い。

 溢れ出る涙が止まらない。

 どうしてノーマンさんはそんなことをしてしまった。

 地獄のような半生を経てようやく再会することが出来たセミリアさんの兄ユリウスが、現体制となって以来誰よりも平和で争いのない国の実現を夢見たマーシャさんが……なぜ、死ななければならない。

 それも争いが終わった日に、戦う理由が無くなったその日に……本当に、どこで何を間違えばそんなことになってしまうというのか。

 少しでもそういう悲劇を減らせないかといつだって場違いながらも首を突っ込んできた僕だけど、見知った人間の死というのはどうしたって耐えられない。これが戦争だと割り切ることが出来ない。

 セミリアさんやキアラさんがそれを知った時の気持ちを考えると、辛い悲しいを通り越して吐きそうにすらなってくる。

「コウちゃん居ますか~、ただいま戻りました~」

 気力無く馬車の中で動けずにいることしばらく、不意に外からウェハスールさんの声がした。

 荷台で一人悲しみに暮れているうちに二人が戻ってきたようだ。

 眠れた眠れなかったに関係なく早朝の出発を予定していたため僕以外の三人も既に起床している。

 ウェハスールさんはマリアーニさんの身だしなみを調えるために二人で川の方に行っていて、カエサルさん……ではなくエルは森の外まで飛んでいって近付いてくる者が居ないかを見張っている最中だ。

 僕は船番ならぬ馬車番をしていたのだが、今朝改めて起こした火を見ていないといけなかったのにコルト君と話していたせいですっかり馬車の中に籠もりっきりになってしまっていた。

「あ、はい、ここにいます」

 慌てて目元を拭い顔を覗かせると、すぐにウェハスールさんが寄ってくる。

 流石に早朝の水浴びは気温的に堪えるのか、その向こうではマリアーニさんが火の側で体を温めていた。

「そっちに居たんですね~。って、あらら~? もしかしてコウちゃん、泣いていたんですか??」

「いえ、なんでもありません。それよりウェハスールさん……」

 ふと現実に引き戻された途端に泣いている場合かと、心では引き摺りながらも気持ちを入れ替えたはいいが、この人相手では言い訳なんて通じないんだったと遅れて気が付いた。

 その証拠に、と言っていいのか、馬車から降りる僕の前に立つとウェハスールさんはすぐに両手を僕の頬に添えた。

「コウちゃん。お姉ちゃん、でしょ?」

「いや、あの……」

 その設定、まだ諦めてなかったのか。

「せ、せめて僕も姉さんとかでいいですか?」

 一人っ子の僕にとって誰かを『お姉ちゃん』と呼ぶのは恐ろしく恥ずかしい。『姉さん』だったところで恥ずかしい。

 しかし一人だけノリノリのウェハスールさんは勝手に嬉しそうだ。

「もうっ、コウちゃんったら。照れちゃって~」

 にへらっと笑い、そんなことを言ったかと思うとそのまま僕の頭を抱き締める様に抱える。

 こんな状況にあって何がそんなにテンションを上げさせるのかと一瞬戸惑った僕だったが、どうやらそういう意味ではなかったようだ。

「何か辛いことがあったんですね~。まだ心が涙を流しているようですし今は深くは聞かないでおきますけど、コウちゃんにはお姉ちゃんが付いてるってことを忘れないでくださいね~」

「…………」

 少しばかり年上であるだけの女性に抱き締められ、頭を撫でられる男の姿というのはさぞ情けないものなのだろう。

 だけどウェハスールさんの言う心の涙が原因なのかその行為は心身の両方にはっきりとした温もりを感じさせて、恥ずかしいだのみっともないだのという理由で突っぱねる気を起こさせない。

 (ゲート)なんて持っていなくてもこの人が僕を心配してくれていることも、自分は味方だからねと言ってくれていることも、しっかりと伝わってくるから。

「ありがとうございます……大丈夫です、もう大丈夫ですから」

 おかげで少し落ち着いてきて、それによって思考も正常に働き始める。

 失礼にならないようにソッとウェハスールさんの体を押し返すと、僕は大きく息を吐いて頭と気持ちの両方を半ば無理矢理に切り替えた。

「うふふ、それでは朝ご飯にしましょうか~。今日も大変な一日になりそうですから体力は付けておかないといけませんからね~」

 半分は強がりであるこなんて承知の上だろうが、それでもウェハスールさんはにこりと笑う。

 敢えて追求しないところも、マリアーニさんに聞こえないように小声で話しているところも、雰囲気や口調とは対照的に引き時や線引きを上手く察することの出来る賢く空気が読める人間性は相変わらずという感じだ。前回の旅の時もそんな場面が何度かあったっけか。

 おかげでどうにか気を持ち直し、それから僕達三人は焚き火の前で早めも早めな朝食を取ることに。

 今日のご飯は昨日買った肉の切り身を焼いて香辛料を振りかけたものとピナという名前らしいキウイに似た果物だ。

 どちらも普通に美味しかったとは思うのだが……ここにきて新たな精神的ダメージを負うことになるとは予想外もいいところだったと言えよう。

 早朝から肉を食べるというのは小食の僕には合わないなぁ、なんて密かに思った報いというわけではないのだろうけど、食料の買い出しはエルが担当していたせいで把握出来ていなかったこともあって回避のしようがないので仕方ない。

 食べてから聞いた話によると、今食べたのは犬の肉だったとのことだ。

 悪くない味だったのがせめてもの救いだとはいえ、聞いた瞬間には普通に気持ち悪くなった。

 この国に犬食文化があったなんて知らないもの……なんて言い訳は誰にぶつけたって何の意味もないんだけど、驚きを隠せない僕にウェハスールさんとマリアーニさんが説明してくれたところによると、この国には所謂肥育というのか、食用の家畜の肉付きをよくするために太らせて食べるのが普通であるらしい。

 牛や豚なら日本でも耳にする文化だし、犬食文化を持つ国だっていくつも存在するのは知っているけど、まさか日本に生きる自分が実際に犬を食べることになるとは……出来れば知らないままでいたかったよ。

 しかもそれらの家畜は肥満牛だとか肥満犬だとかと呼ばれるのだとか。

 日本じゃ倫理的に世論が許してくれないだろうに……いや、犬料理を食べれる外国料理店だって無いわけでもないんだろうけどさ、胃がキリキリするよほんとに。

 しばらく食欲なんて湧かなさそうだな、これは。

 そんなことを考えながら、加えて二人はよく平気でいるものだなんて思いつつ胃をさすっていた時、突如として静かな森の中に大きな声が響いた。

 発信源は言わずもがな森の切れ目付近で周囲の見張りをしていたため唯一この場に居なかったエルだ。

「姫っ、姉さんっ、弟っ、大変大変!」

 揃って声のする方向へ目を向けると、口調が表す通りの慌てた様子のエルが木々の間を縫って勢いよく飛んできている。

 駆け寄ってくるのではなく飛んでくるというのは【風神遊戯(トリック・ウィンド)】という(ゲート)を持つ彼女ならではの方法で、久々に見てもどんな超能力だと言いたくなる光景だった。

 というか、弟ってなんだ……頑なにウェハスールさんの弟妹という括りの中では自分が上なのだと主張してくるけど、もう少し呼び方どうにかならなかったのか。

「落ち着きなさいエル、どうしたの?」

 エルはスタっと僕達の前に着地すると取り乱しながら思うがまま口を開こうとするが、マリアーニさんがそれを寸前で止めた。

 一瞬開いた口を閉じかけたエルは、それでも早口でマリアーニさんに詰め寄る。

「姫、大変なの。シルクレアの奴らがこっちに向かってきてる。すぐにここに来ちゃうよ!」

「方向は? 数はどのぐらいだったの? 見知った顔はいた? ゆっくりでいいからしっかりと思い出してみてエル」

 僕やマリアーニさんが驚愕の声を上げるよりも先に、普段と変わらないどころか普段よりも冷静にウェハスールさんがそれを掻き消した。

 同時に傍に置いてあった桶の水で火を消しているあたり場慣れしているというか、普段とのギャップが凄いというか、いざという時の頼りになり具合が凄まじい。

「えっとね、方向はあっち。で、数は多分馬に乗った奴が二十人ぐらいだったと思う。見たことある奴がいたかどうかは分かんないけど、でっかいブーメラン持ってる奴がリーダーっぽかった!」

「でかいブーメラン……ハイクさんだ」

「確かそれはクロンヴァール王の側近の戦士の方の名前でしたか~」

「はい。まさかクロンヴァールさん本人じゃないまでもハイクさんクラスの人がマリアーニさんを追って来ているとは……逆に言えばこの国にいることもこの付近にいることもある程度確かな情報を持ってのことだという証拠でもあります。とにかく、捕まるわけにはいかない以上早く逃げないと」

「仰るとおりですねぇ。とはいえ、逆の方向に向かえば逃げられるかと言われるとそう簡単な問題とも思えませんね~」

「……確かに、そうですね」

「へ? どゆこと?」

 難しい顔で僕達の会話を聞いているマリアーニさんと違い、首を傾げるエルは全然分かっていなさそうだ。

 ハイクさんが迫ってきている方向が分かったからといってそれ以外の方向に追っ手がいないことにはならない。

 それなりの規模の森だ。

 いくらエルが上空から監視していたとしても全ての方向を完全に把握するのは難しいだろう。

 そうなると別の方向に、或いは既に包囲網を敷かれているならば全方向を他の部隊が張っているパターンが無いとは言い切れない。

 その場合、慌てて森を出てしまうことで向こうの思惑に嵌る可能性だってあるし、動くことで居場所を知らせる羽目になりかねないのだ。

 それでいてジッとしていることが好転に繋がるとは思えないジリ貧の状況、それが今の僕達に迫っている危機ということになる。

 選択を迫られていて、悠長に議論している暇などない。

 ならばどうするか……そんなものは考えるまでもない。

 活路が無いなら自分で作るまでだ。

「僕が先に馬車で出ます。そうすれば少なくとも何割かは僕を追ってくるはず。最悪の想定としてこの森が包囲されつつあったとしても、部隊一つが二十人程度なら三人が突破出来る可能性は格段に上がります」

「待ってください、それではコウヘイ様一人が危険な目に遭うことになるではありませんか」

 言い終わるかどうかのタイミングでマリアーニさんが憤慨混じりに割って入る。

 そりゃ誰だって囮みたいな方法には反対意見を唱えるだろう。

 だけどもうそういう段階ではない。皆が納得する皆が安全で済む手段を模索したところで余計な時間を食うだけだし、必要なのが取捨選択ならば最初から一番に思い浮かぶ策など決まっているのだから。

「大丈夫ですよマリアーニさん、グランフェルトでは馬の乗り方も多少なり教わりましたから」

「そういう心配をしているのではありませんっ! わたくし達もレイラも、そのようなことをさせるためにコウヘイ様を頼ろうとしたわけではないはずです」

「それが最善策です。善し悪しを議論している時間もありませんし、納得してください。ウェハ……あー、姉さんもそれでいいですよね?」

「駄・目・です♪」

 賢いウェハスールさんなら分かってくれるだろうと矛先を変えてみるが、穏やかな口調に反して有無を言わさぬ威圧感のあるにこやかな笑顔を向けられていた。

「分かってください。これでもハイクさんとは顔見知りですし、僕一人なら殺されることにはならないはずですから」

 そんなのは真っ赤な嘘だ。

 彼はクロンヴァールさんの命令ならきっと平気で僕を殺すだろう。だけど今はこう言っておく他あるまい。

 ウェハスールさんには通じないっぽいのが毎度ながら辛いところだが、もうそんなのは関係ない。こっちが有無を言わせない態度で押し通してやる。

 そう決めて、脇に畳んであったマリアーニさんのローブを掴むと背中から全身を覆うように着込んだ。

 大きなフードで顔を隠せば遠目から特定されることはあるまい。

「エル、マリアーニさんを頼んだよ。空を飛んで逃げるにしても、今後の事を考えて出来る限りでいいから相手に姿を見られないタイミングで」

「わ、分かった。でもアンタもちゃんと逃げなきゃ駄目なんだからね。あたしはともかく姉さんや姫が悲しむんだから」

「うん、こっちは心配いらないよ。姉さんも、決して間違った判断はしないでくださいね」

「はぁ~、見た目に似合わず頑固な弟ですね~。分かりました、今だけはコウちゃんの言う通りにしましょう。でも、すぐに迎えに行きますからね。無茶はしないと約束してもらいますよ~」

「はい、約束です。適当に逃げた後はどこかしらの町にでも隠れてますよ」

「コウヘイ様……」

「マリアーニさんも、どうかご無事で」

 未だ不安げに僕を見つめるマリアーニさんに一言残し、そのまま背を向けると木に繋いでいる縄を解いてすぐに馬に跨った。

 ああいう顔をされては若干心苦しいが、残念ながらそれを緩和させるための言葉を持ち合わせていないため最後に三人を一瞥し、別れの挨拶を待たずに僕は馬車ごと馬を発進させる。

 数時間とはいえ馬の乗り方を教わったのは本当だし、パカパカと駆け回ることぐらいは出来るようになってから日本に帰ったのも事実だ。

 馬車を操るとなると勝手は違うかもしれないけど、こうなりゃやるしかない。

 いつかの恩を返す時が来たのだと決意を固めた瞬間から、僕がここに居る理由はマリアーニさんを守ることただ一つだ。

 最悪逃げ切れなくてもいい。

 出来る限り時間を稼げばきっと三人ならどうにかしてくれる。

 彼女達の肉体的な強さ、言い換えれば戦闘力の多寡はよく知らないけど、頭が良く人の心の機微を読める門を持つウェハスールさん、空を飛べる門を持ち無数の首無しゾンビを一人であっさりとやっつけるだけの強さを兼ね備えているエル、そしてお腹を刺された僕の傷を綺麗サッパリ治してしまうだけの能力を持っているマリアーニさん、これだけの要素が揃えば急場の一つや二つなら乗り越えることが出来るはずだ。

 信頼というよりは、どこか希望的観測の混じったそれらの思いを胸に馬車を引く馬に跨ったまま草原を駆けていく。

 数十秒置きに振り返る視線の先にはあきらかに僕を追ってきている集団が見えていて、恐ろしくもありつつ狙い通りでもある緊張の時間が続いていた。

 フードを被っているおかげで離れた位置からでは正体が分からないであろうことに加え、馬車の中に誰かが隠れている可能性なんて馬鹿にでも思い浮かぶだろう。

 とはいえ、だ。

 囮と半ば確信していたところで放置するわけにはいかない状況を作り出したのは他ならぬ僕であるが、馬の数からしてエルが見た集団は全部こっちに来ているのではなかろうか。

 いつも冷静でいるハイクさんがそう簡単に釣られてくれるとは思えないが……と、一瞬考えたのも束の間、そもそも前の町から馬車で逃げたという情報を持っている以上は流石に向こうとしても当然の思考か。

 その部分だけを見れば想定以上の成果とも言えるが、問題は森の方に向かった他の部隊の有無、そして予想外に早く追い付かれそうな点にある。

 もう少し長く鬼ごっこを続けられるつもりでいたのが甘かったのか、後方との距離は見る見るうちに縮まっているのだ。

 まだ森を出て二十分も経っていない。

 直進する分にはそう大差ないのだけど、馬車があるせいでスピードが遅く曲がるのが難しいというか、軌道修正程度ならどうにか出来ているもののカーブを描いての方向転換が出来ないことがそうさせているのは明らかだった。

 しかも前方には別の町が見えてきている始末。

 このまま町に突入すれば更に速度は落ちてしまうし、何より町中で追い付かれて一悶着起こしてしまえば一般人に大きな迷惑が掛かってしまう。

「ここが諦め時、か」

 町を迂回するために進路変更しようと思えばいずれにせよ極端にスピードを落とさなければならないし、そうなると二、三十メートルにまで迫っているハイクさん達から逃げ切るのはどのみち無理だ。

 僕達の都合で無関係な人を巻き込むわけにはいかない。そう思えば思う程、どうにか逃げようという気持ちは薄れていく。

 こんなことになるならエレマージリングの一つでも持っておけばよかったかなぁ、なんて後悔も後の祭り。

 また見知らぬ土地に行って帰って来れない羽目になっては自ら色々な可能性を消すだけに終わってしまうし、逃げることは無理でもいくらか時間を稼ぐことぐらいはまだ出来るはずだ。

「動くな! そのままこちらを向いて両手を挙げろ!」

 完全に馬車が停止し、同時に馬から飛び降り背を向け状態で着地するなり怒声が浴びせられる。

 ハイクさんの声ではない。となれば彼の仲間の誰かだろう。

 言われるがまま万歳の態勢で体の向きを百八十度変えると、ハイクさんを先頭に二十人前後の兵士が僕を囲んでいた。

 ほとんどの人が矢や剣を構えて僕に向けており、死を覚悟するには十分過ぎる光景が広がっている。

 相当まずいなこれは……殺されるのはどうにか避けたいというのが本音ではあるんだけど、そのためにはどうしたものか。

「ローブを捲れ」

 続けてハイクさんの声が響いた。

 くいっと首を動かし、兵士の一人に指示を飛ばす。

「お前は……」

 フードが頭から払い落とされると、露わになった僕の顔を見たハイクさんは驚きに目を見開いた。

『ごめんなさい』『許してください』と第一声で言うのもおかしな気がして、上手く考えが纏まらないまま間抜けにも普通に挨拶をしてしまっていた。

「お、お久しぶりです……ハイクさん」

 ハイクさん。

 それすなわちダニエル・ハイクというクロンヴァールさんの側近の一人でありブーメラン遣いの凄腕戦士だ。

 うろ覚えだけど確か歳は二十歳だと聞いたか、煙草好きでシルクレアの人達に共通する王への強い忠誠心を持つ、いつだって落ち着き払った雰囲気からは貫禄をも感じさせる青年というのが僕の持つハイクさんの印象である。

「なぜお前がここにいる」

「マリアーニ王がこの国にいると聞いて探しに来た、という感じでして……」

 無理があり過ぎる苦し紛れの嘘しか出てこない。

 しかし、バレバレの言い訳を指摘される前に一人の男が僕達の会話を遮った。馬車の中を確認していた兵士だ。

「ハイク殿、中には誰もいません」

「ちっ、まんまと一杯食わされたってわけか。おい、一旦引き上げるぞ。全員先に船に戻ってろ、じき合流の時間だ」

 大きな溜息を一つ残し、ハイクさんは煙草に火を点ける。

 その発言の意図はさっぱり分からないが、了承の返事を揃えるなり兵士達は命令通り馬を走らせこの場を立ち去り始めた。

「えーっと、どういうことでしょう……やっぱり僕は殺されてしまうんでしょうか」

 やがて二人きりになると、理解不能な状況を前に自分がどうすればいいのかが分からず煙を吐きながら遠ざかる馬の群れの背を見つめるハイクさんに声を掛けてしまっていた。

 そこでようやく巨大なブーメランが見える背中と入れ替わりに体がこちらを向けられる。

「そうして欲しけりゃ考えなくもねえが、生憎とそういう命令は受けてねえよ。本来なら縛って連れて行くところだが、一応お前には借りもある。これでチャラってことにしておいてやるよ」

「それはつまり、この場は見逃してくれる、と。それでいて……」

「ああ。次に会った時、これ以上邪魔をした時にゃ容赦しねえ。ユノ王の居場所は知らねえんだろう?」

「え、ええ。先程も言いましたけど、僕も同じく探している身なので」

 思い掛けない展開としか言い様がないが、辛うじて命は助けてもらえるようだ。

 人知れず鼓動が高速化していただけに心の中で安堵の息が漏れる。

「今ばかりはそういうことにしておいてやる。だが、こっちにもこっちの事情ってもんがあってな。もうほとんど時間がねえ、この先は誰に対しても形振り構ってやるつもりはねえからそのつもりでいてもらうぜ」

「時間がないのは分かります、でもこのあなた方のやり方では結局……」

「興奮するな、そういう意味じゃねえ。言ったろう、こっちの都合ってやつさ。一度はお前に救われた、っつーと少々大袈裟だが、貸し借り無しのついでに教えておいてやるよ。姉御にはな……今の世界以上に時間がねぇんだ」

 天を見上げて煙を吐くと、ハイクさんは遠い目を明後日の方向に向ける。

 今の世界以上に……時間がない? それは一体……。 

「姉御って……クロンヴァールさん、ですよね?」

「誰かの命を奪って平和を実現する。そりゃ誰だって当事者じゃなく、かつそれ以外に方法があるならそう言うだろうよ。だがな、自分がその立場に置かれたとしたらお前ならどう思う。自分が死ねば世界中の人間が助かる、そういう状況だ」

「それは……」

「ま、価値観を押し付け合うつもりはねえよ。今から俺が口にするのはただの感情論だが……肝には銘じておけ。幸か不幸かグランフェルトは争いに巻き込まれずに済んだんだろう、だったらこれ以上この件に首を突っ込むな」

「…………」

「サントゥアリオでの戦争、覚えてんだろ」

「忘れるわけ……ないでしょう」

「二度目のサントゥアリオ到着の日、森で魔王軍の襲撃を受けたことは?」

「勿論……覚えていますけど、それが今の話とどういう関係が……」

「あの時、姉御は知らねえうちにバジュラって野郎から呪いを受けていた。血毒の呪いっつってな、体内……というよりは血中に毒を埋め込む呪いというよりも黒魔術に近い呪術だ」

「……バジュラ? ……毒?」

 バジュラというのは魔王軍四天王の一人だったか。

 都市での戦いで死んでしまったという話だと記憶しているけど……確かに森の中で大魔王を呼び込んだのはその男だ。

「その猛毒は徐々に体を蝕んでいく。呪いを受けた者は絶えず苦痛と浸食に襲われ続け、血中で増殖し続ける毒に侵された体は五十日足らずで絶命に至る、そういう魔術だ。あらゆる文献を調べ尽くし取り得る全ての方法を試したが回復の兆しは一切見られねえ。そりゃそうだ、何百年も昔に存在した魔術で現代において治す方法は無いっつー話だからな。人前じゃ気丈に振る舞っちゃいるが、姉御の体はもう限界なんだよ。最近は飯もほとんど口に出来てねえ、毎晩のように血を吐いて眠ることすらロクに出来やしねえ。本人の口からも、【人柱の呪い(アペルピスィア)】発動の期限まで持つかどうかも怪しいと聞いた……もうどうにもならねえんだよ。だったらくたばる前にこの件を解決させてやらないと報われねえだろう。だからこそ俺達は身勝手と誹られようと姉御の部下として最後まで世界を守るために戦わせてやると決めた。それが自分の使命だってよ、セラムの大将やローレンス神父との約束だって聞かねえんだ。どんな汚名を着せられようとも、歴史に名を残す殺戮者になろうとも、世界の無事を見届けねえと死んでも死にきれねえってよ、言ってんだよ。そうでもなけりゃ先代と同じぐらいに尊敬し師弟以上の関係だったローレンス神父を死なせちまうわけがねえだろう。てめえの婚約者をてめえで斬ろうとするわけがねえだろう。同情なんぞいらねえ、察してくれとは言わねえ。だからせめて、邪魔はしないでくれ……頼むよ」

「そんな……」

 肩に手を置くハイクさんの警告とも懇願とも取れる言葉の数々とその表情に、反論の文句が見つからない。

 クロンヴァールさんがもう助からないだなんて……どうしてそんなことになる。

 森での襲撃を受けてからどれだけ同じ場所で過ごした。一切そんな素振りは見せていなかったじゃないか。

「じき姉御もこっちに合流する。大抵の国にゃ手回しが済んでんだ。今現在サントゥアリオ、グランフェルト以外の国のほとんどが出入国を制限されている。アイテムで国を出ればすぐに俺達の元に知らせが来る。逆にアイテムで入国した者がいてもすぐに知らせが来る。どうやってもユノの連中に逃げ場はねえよ。命が惜しけりゃここらで引いとけ」

 忠告はしたぜ、と。

 最後に一言残し、ハイクさんは馬に跨ると僕の動きを封じるためか巨大なブーメランに手を掛けると僕が引いてきた馬車の後輪を一つ叩き壊してしまった。

 かと思うと一度も振り返ることなく走り去っていく。

 これからの自分のこと、残してきたマリアーニさん達のこと、既に戦いが始まっているサントゥアリオのこと、そこに加わろうとしているセミリアさんのこと、グランフェルトに残ったジャックのこと、世界や人柱にされた人達の行く末とは無関係に命果てる時を迎えようとしているクロンヴァールさんのこと、そして破滅へのカウントダウンを刻む全世界のこと。

 あまりにも考えることが多すぎる上に何もかもが八方塞がりに思えてきて、次から次へと増えていく悲惨な現実を前に心が折れないよう精一杯自分に言い聞かせながらも、僕は徐々に見えなくなっていく後ろ姿を目にしばらく立つ尽くすことしか出来なかった。



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