【第七章】 金剛不壊
朝日が昇り初めて少しした頃。
制圧した敵国の砦の傍に陣を張り終えたシルクレア軍はようやく長い夜の終わりを迎える。
真夜中に奇襲を掛け、夜通し続いた上陸後三度目の攻防は明け方まで続き、サントゥアリオ共和国にとって軍事的拠点の一つであるアトラス砦の陥落により決着するに至った。
港を制圧し、経路にあった町を一つ突破し、そして砦をも落としてみせたのは練度や数では名実共に世界一を誇る総勢六百のシルクレア兵だ。
アトラスには千近い兵がいたが個々の能力、部隊としての練度、そして王への忠誠心といった実力や気概の全てにおいて大きな差があり奇襲を仕掛けてきた精鋭を押し返すことが出来ずにわずか一夜にして制圧されてしまうという大敗を喫することになる。
近隣に町もなく、一般人の居住がない大草原の中という地理的要素がシルクレア軍にとって優位に働いたとはいえ、後方に待機させていた四百名を合流させるまでもなく余力を残した状態で決着が付いたことをどこか不愉快に思う心の内を露わにしたつまらなそうな表情で砦を見つめ、侮蔑的に鼻を鳴らす一人の女戦士がいた。
代名詞である赤い髪、短いスカート、そして高貴さの溢れるマントを風に靡かせ、威風堂々たる佇まいが異様なまでに似合う強さも美しさも世界一と名高い若き大国の王ラブロック・クロンヴァールだ。
「どこを取ってもお粗末な連携なことだな。八千もの大軍がいて士官どもがこの程度の能力しか持っていないとは、内戦にばかり目を向けて外敵から国を守るための訓練を怠っていた証拠だ。帝国騎士団と魔王軍がいなくなれば争いなど起こらないとでも思っているのか、危機感の欠片もない」
降伏した敵兵全てを縛り上げ占拠した砦に幽閉すると見張りと監視の兵を配置する指示を飛ばし、残りの兵を砦の周辺に張った陣に引き上げさせたところでようやくクロンヴァール王は愛馬ファルコンから飛び降りた。
予想外に容易く本城までの道筋を進んでいることが逆に歯痒さを感じさせ、かつて肩を並べて戦ったサントゥアリオという大国がこうも脆いのかと嘆きたくなる。
「総隊長一人が指揮権を持つがゆえの弊害というものでしょう。魔法使いや軍師といった役職が存在しないのも大きな要因でしょうが、我が軍と比べられてはどんな国も形無しというものです」
手拭いと水の入ったガラス瓶を手渡しながら宥める様に言うのは鎧を身に纏った髪の長い壮年の男だ。
名をアルバートという、シルクレア兵士団の兵士長として二万を超える兵の半数近くを纏める立場にある戦士としての経験もクロンヴァール王と共に戦場で過ごした時間も今や誰よりも長い四十手前の腕利きのベテラン兵士だ。
「以前はもう少しまともだったと思うがな。やはり若き隊長に全軍を纏める能力は無い、か」
「年齢で言えば姫様も同じ頃には兵士長をしていましたし、純粋に向き不向きの問題だと思いますけどね。ただ強いというだけではままならないものでしょう、組織というのは。あのノーマンという男が総隊長を務めていた頃は少なくとも今よりは一枚岩だったと記憶してますから」
「そのノーマンとやらが死に、王と雷鳴一閃の二人で国一つ支えるのは少々荷が重いというものか。行方不明となったまま死体で発見されるという知らせは今になって考えても意味不明だが、それが嘆くべきことになっている時点で温い統治をしていることに変わりはない」
「仰る通りです。率直に言いってあの男が優れた統率力を持っているとは思えませんし、それを御しきれないジェルタール王や総隊長殿にも問題があることは明白でしたからね」
「その点、私は傍にお前達が残っているだけ恵まれているな。まあいい、敵の事情など我々が心配することでもない。念のため一度城に鳥を飛ばして物資の輸送に滞りがないかを確認しておけ、明日中にチェックメイトを掛けるぞ。侵略者、殺戮の王、多いに結構。私は私のやり方で世界を守り、世界の敵を討ち滅ぼす。それだけだ」
「……全て仰せの通りに。姫様はどちらへ?」
「一度船に戻り少し休息した後でこの国を離れ一旦ダンと合流するつもりだ。ユノの王女の所在が判明したと知らせが届いた、お前も付いてこい。ルドルフ、私達は休息を挟んでフェノーラに向かう、こちらは任せたぞ。とにかく捕虜の管理は徹底させるように伝えておけ。兵も夜戦の後では疲れているだろう、十分に休ませ明日以降に備えさせろ。明日のうちに城塞と中継基地を落とつもりでいろと全軍に通達したのちにな」
クロンヴァール王は砦の外から周囲を見渡すと、タイミングよく現れた中年の兵士に目を向ける。
内部で指揮を執っていた近衛兵と呼ばれる女王直属の精鋭部隊の副隊長だ。
「承知いたしました。こちらのことは全てお任せください、女王陛下も十分に休養を取ってくださいますよう」
ルドルフと呼ばれた男は丁寧に頭を下げると、離れた位置に立つ部下に周囲に偵察を放つよう手で指示を送る。
そして「ああ、よろしく頼む」と一言残して白馬の元に戻っていく主の背を見守りながらアルバートの傍に寄った。
「アルバート、女王陛下のことは任せたぞ」
「言われるまでもありませんよ。このままいけば数日のうちに少なくともどちらかは片が付きます。僕達は姫様の意志に従い姫様の望みを叶える、ただそれだけです。こんな悪夢は一日でも早く終わらせるべきだ」
「悪夢、か。全くその通りだな、どれか一つだけでも夢であったならばどれだけ救われることか。まさか姫様が……」
「ルドルフさん、その先は口にするなという命令だったでしょう。誰かに聞かれでもしたら事です」
「うむ……そうだったな、すまない。とにかく、こちらのことは気にするな。女王陛下が戻るまで何があろうともここから港までのルートを死守し、いつでも進軍を再開出来るように全ての準備を調えておく」
「分かりました。姫様の口振りからしても恐らく明日の作戦までには戻るつもりでいるでしょう、ご武運を」
「ああ、お前もな」
二人の側近は最後に視線を交わし、同時に背を向けその場を後にする。
兵士長アルバートはクロンヴァール王と共に港へ戻り、近衛部隊副隊長ルドルフは砦に戻る道すがら、共に何を差し置いても己の役目を果たすと心に強く誓いながら。
○
一刻もするとクロンヴァール王とアルバートは南西の港と呼ばれる軍港に到着していた。
広い港にはいずれもシルクレアの国章が描かれた帆や旗が掲げられた船が十五隻とそれらの三倍の大きさを持つ国王にのみ動かすことが許されている巨大な戦列艦が一隻並んで停泊しておりサントゥアリオの船は半数が沈められ、半数が無人のまま放置されている状態だ。
更に遠方には補給のための武器や食料、或いは増援を乗せた船が十隻控えており、その地点と港、母国の三箇所を物資や人員の入れ替えと運搬のために絶えず行き来している。
まさに盤石の態勢を当たり前のように、指示一つで実行するだけの軍隊を作り上げる能力と指導力こそがラブロック・クロンヴァールが世界の先導者と呼ばれる所以である。
二人は馬を部下に預けると、その中でも一際大きな戦列艦へと足を進めていく。
この遠征における司令部代わりでもある船にはクロンヴァール王の作り出した特殊な魔法陣が設置されており、それを利用することで同一の魔法陣がある位置へと瞬時に移動することが出来るという秘密が隠されていた。
それが今現在フェノーラという小国に上陸し別働隊としてユノ王国女王ナディア・マリアーニを追っている側近の一人ダニエル・ハイクが使っている船にも施されており、クロンヴァール王は両国を自由に往復することが可能な状態でいる。
移動先の魔法陣を複数設置することは出来ないため祖国シルクレアではなく目的を最優先とする意志、言い換えれば二度と国に戻るつもりはないという覚悟から敵地とも言える二つの国への出入りに重きを置いたのだった。
アルバートを引き連れ甲板の兵達と一声二声言葉を交わすとクロンヴァールは個室へ繋がる扉を開き階段を下りていく。
そのまま何人たりとも無断で足を踏み入れることが許されない王の個室がある最下層のフロアまで歩くと、廊下で控えていた今や二人となった例外としてその許可を必要としない側近の片割れである少女が満面の笑みで出迎えた。
「お姉様っ! お帰りなさいですっ」
アルバートには目もくれずにクロンヴァール王に飛び付くと、少女は受け止められた胸の中から主を見上げる。
クリスティア・ユメール。
白と黒の戦装束で身を包み、長い髪を白い布のバンドで持ち上げ、側頭部で三つ編みにしている部分だけを赤色にしているという特徴的な風貌をした天元美麗蜘蛛という異名で知られ国内ではクロンヴァール王に次ぐ実力を持つ糸使いの女戦士だ。
騎乗での戦いが不得意であることに加え、糸使いという性質上攻城戦には不向きであるという判断から船の護衛のために港に残されていた【王の左腕】という肩書きを併せ持つクロンヴァール王直属の護衛戦士の一人でもあるユメールは王への忠誠心ではなく主への純粋な愛が留まることを知らず、留守を任されることに大層不満を漏らしたが今ばかりは戦闘以外に王のためにやるべきことがあると渋々引き下がったという経緯がある。
そんなユメールを妹の様に思っているクロンヴァール王は勢いよく向かってきたユメールを受け止めるとようやく表情を緩め、優しくその頭を撫でた。
「待たせて悪かったなクリス。あまりに張り合いがないのでお前を連れて行くまでもなかったが、昼にはフェノーラへ向かう。少し休ませてくれるか」
「待ち侘びすぎて全然寝れなかったです。今回だけはアンドレの言うことを聞いてやったですが、次からはお留守番なんてお断りです」
「クリスちゃん、言い飽きた程いつも言ってるけど僕はアルバートだからね。とうとう『ア』しか合ってないレベルになっちゃってるよ……いやそれより、すぐに薬湯を」
「フフン、そんなのとっくに用意してるです。薬湯だけじゃなくご飯もお風呂もクリスの体の準備もバッチリですっ」
「そりゃお見逸れしました、だね。さあ姫様、お部屋の方に」
「やれやれ、今更薬湯など何の気休めにもならんと言っているだろう」
「僕達の精神上では気休め以上の意味があるんですから、こればかりは我が儘を聞いていただきますよ」
「誰に似たのか知らんが、お前も最近は頑固になったものだな。なんでもいいが、私は少し休むぞ。その間の緊急連絡にはお前が対応しろ。ダンからの知らせがあった場合のみ私に知らせに来い」
「ええ、了解しました。それじゃあクリスちゃん、あとはよろしくね」
「任せるですっ。クリスと一緒にご飯を食べてクリスと一緒に風呂に入ってクリスと抱き合って寝るです。クリスの温もりを共有するですお姉様っ」
「ああ、そうさせてもらうかな」
腕を組み、楽しそうに廊下を奥へと進んでいく二人の背をアルバートは無言のまま深く腰を折って見送る。
悲劇の終わりは悲劇の上塗りを以てしか迎えられないであろうことを薄々察しながらもどうにか否定する材料を探し、柄にもなく奇跡が起きることを願いながら。
7/6 誤字修正 昇る初めて→昇り初めて