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勇者が仲間になりたそうにこちらを見ている  作者: まる
【勇者が仲間になりたそうにこちらを見ている⑦ ~聖魂愛弔歌~】
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【第二十五章】 戦いの終わり



「さあシオン、命令だ。こいつらを皆殺しにしろ!」


 凄惨な笑みを浮かべ、カルマはこちらに左手を向ける。

 その命令を聞き入れたという意思表示であるかのようにシオンさんはカルマに背を向け、敵意に満ちた目で僕達を睨んだ。

 無理矢理口に流し込まれたのはまず間違いなくカルマの血液だろう。

 それがジャックの人生を狂わせ、この国で多くの命を奪い、実父である大魔王までをも従わせ死に追いやった能力であることはこの場の誰もが知っている。

 つまり、今のシオンさんがカルマの傀儡と化したことも誰しもが理解しているということだ。

「シオン……やめて」

 シェルムちゃんの弱々しく震える声が静寂の中に響いたが、誰よりもシェルムちゃんを思っていたはずのシオンさんは最早その悲痛な思いが通じる状態ではない。

 シオンさんはすぐに両腕を広げ、左右にいる四人に攻撃を仕掛ける。

 右側にはセミリアさんとユリウスが、左側にはジャックとサミュエルさんが居るという状況で繰り出したのは炎の呪文だ。

 人を丸々飲み込もうかという業火が四人を襲う。

 戦闘技術、反射神経、身体能力の全てが常人を遙かに凌駕する四人が簡単にそれを食らってしまうことはなく、それぞれが炎の広がる地点から素早く飛び退いたり武器を振り回すことで炎を避けたりして身を守るための動きに出ていた。

 それでいてカルマへ向かって行かないのはシオンさんが敵に回ったこの状況でどう立ち回るべきかの判断が咄嗟に出来ていないのだろう。

 百年前のグランフェルト城での、或いはこの国に来た日に起きた森の中での惨劇と同じく仲間同士での殺し合いを演じさせようとしているのかカルマに動く気配はない。

 そんな異様極まりない空気の中、唯一シオンさんだけが止まることなく続け様に攻撃を仕掛けようと何度か目にした両手を地面に突く動作を取る。


蟷螂千手(キリング・マンティス)


 何の感情も持たない冷たい声音は、次の瞬間に殺意という形で行動に付随する意志を示した。

 マンティスとだけ聞き取れた言葉が示す通り、今度は地面から大きな蟷螂の前足らしき鎌が何十本と飛び出し、四人を囲むなり次々に鋭利な刃を縦に横にと振り抜き始める。

 一見すると直線的な動きに限定されているようにも見えるが、カルマの触手を上回る量と密集した配置が安全圏への退避と防御の両方を制限し、例外なく無傷でいることよりも致命傷を受けない方針への変更を強いていた。

 ムカデ、サソリ、タガメ、全てに共通するあの能力の性質なのか持続時間はそう長くなく、十秒と立たずに無数の鎌は消えて無くなる。

 それでも腕に、足に、肩に、脇腹にとそれぞれが小さな切り傷を負っていて、ようやく距離を置き僕達の少し前に並んで立つ頃には誰も彼もが生々しい傷がいくつも作り、至る所から血を流しているという最悪の状態だった。

 命に関わる怪我を負っていないのが奇跡だと思える程の目を逸らしたくなる痛ましい姿にほとんど見ているだけの僕の心臓までもが痛みを感じている。

 シェルムちゃんが握る左腕もまた、同様に痛いぐらいに力が込められていた。

「はっ、これで今度こそ殺す理由が出来たってわけね。誰にも文句は言わせないわよ」

 距離を置いてなお鋭い眼光を向けるシオンさんを見たまま、サミュエルさんはこめかみを流れる血を払うと平然とそんなことを言った。

 どんな敵を相手にしようと、どんな怪我をしようと慌てたり取り乱したりしない人ばかりが集まった戦場にあって、この人は特にそれが顕著だと言える。

 目の前に立つなら敵。

 敵は殺す。

 その結果自分がどうなるかを気にするつもりはない。

 どこまでいってもサミュエルさんの頭にあるのはそれだけだ。

 そんなサミュエルさんは改めて武器を構え、今にも向かって行きそうな姿勢を見せているが僕やシェルムちゃんが割って入るよりも先にセミリアさんがそれを制止する。

「待てサミュエル、奴はもう敵ではないはずだ」

「あちらさんはる気満々じゃない。甘っちょろいこと言いながら魔王に勝てると思ってるならアンタ達は素人と大差ないただの馬鹿ね。死にたいなら好きにしたらいいけど、付き合う気はないから勝手に死んでなさい」

「何を言っているのだ、そんな戦い方の先に勝利などない。勝つためには足並みを揃えることこそが何よりの条件ではないのか!」

 セミリアさんは肩を掴み、一歩踏み出したサミュエルさんの足を強引に止める。

 そして振り返ることなく僕の名を呼んだ。

「どうするコウヘイ!」

「…………」

 どうする?

 どうするべきだ。

 どうしたらいい。

 考えろ、考えろ……考えろ!

「どうするかって? んなもん決まってんだろ、野郎を片付けりゃ魔力の効力も消える。それだけの話だ」

 シオンさんを助け、尚かつ他の四人が無事のままカルマに勝つ。

 情けなくも無言のままそんな無理難題とも言える策をどうにか絞りだそうと必死に頭を回転させていると、三秒足らずの間でジャックが代わりに口を開いた。

「あの姉ちゃんはアタシが抑える、てめえらで奴を仕留めて来い!」

 今度は視線を交わすことすらなく僕にとっての最低限であり大前提となる条件を加味した方針を一方的に述べると、言葉を返す時間を与えることなくその背は遠ざかっていく。

 その発言の是非を判断する猶予を奪ったのは数メートル先からこちらに向かってくるカルマとシオンさんだった。

 ほとんど同時に他の三人も走り出す。

 戦うことは出来なくとも、ジャックの手助けぐらいはしないと『甘っちょろいこと』を口にする資格なんてない。

 ただ見ているだけで許される状況はとっくに過ぎていると、咄嗟に僕も後に続いた。

「シェルムちゃんは離れてて!」

 振り返る余裕はない。

 速度で劣る僕はただ後を追うのに精一杯だったが、ジャックも振り返ることなく僕の存在に気付いているらしく開いた左手だけを僕に向け、それを止めようと大きな声を上げる。

「相棒は残ってろ! アタシを使え、おめえの思う通りに動いてやる、だから他のことは気にせず思い付いたことがありゃ遠慮なく指示しろ!」

「分かった。だけど残れっていうのはもう手遅れだから文句は後にして! 攻撃をせずに食い止めるのはきついだろうし、僕が攻撃対象に加われば負担は半分になる。身を守ることだけは自分でどうにかするから、ジャックも僕のことは気にしないでやるべきことをやって。これがその指示だ」

「最悪お前さんを見捨てろってか、そりゃ出来ねえ相談だぞ!」

「思う通りに動いてくれるんでしょ? それが今の最善だから、お願いだよ相棒」

「ちっ、汚ねえぞ……こんな時にそうやって呼ぶかよ!」

 それきり会話が止む。

 目の前にはシオンさんが迫っており、最早行く行かないの話が無意味な段階になっていることを示していた。

 視界の端では渋々従っているだけであろうサミュエルさんも含め、他の三人が左右に分かれ回り込むことでカルマに向かっている。

 僕に人のことを気にしている余裕などない。

 ひたすらシオンさんの動きだけを目で追い、何らかの攻撃を受ける前に盾を発動することだけを考えなければ一瞬の油断が即座に死に繋がってしまう。

 これまでの戦いぶりを見ている限り虫や魔法を操り、前後左右だけではなく上下にまで虚を突く手段をいくつも持っているのだ。

 攻撃されたと認識してからではなく、そうなる前に反応しなければ防御すらも出来ない。

 そのための備えとして指輪を付けた右腕を胸の前に固定し、纏めて攻撃されてしまう可能性を少しでも減らそうとジャックと重ならない位置に移動すると同時に僅かに宙に浮いた状態で目と鼻の先まで来ているシオンさんが前進する動きを止める。

 それに合わせてジャックが、そのジャックに合わせて僕がブレーキを掛けるが、僕にとっては命懸けの中で発揮した限界以上の反応は達人に囲まれた状況では遙かに遅く、足を止めた瞬間には既に目の前で攻防が始まってしまっていた。

 シオンさんが地面に向けた右手が巨大な虫を呼び寄せ、ジャックを襲う。

 足下から飛び出したのは綱ほどの太さ長さを持つミミズらしき生物だ。

 ジャックは直接殺傷するのではなく巻き付き捕縛しようという動きを見せるその虫を素早いステップで横に躱すと空振った巨体が背丈を超える高さまで伸びたところで剣を振り抜き、真横から一刀両断した。

 そうなって初めてあっという間の展開に目と頭が追い付いた僕は、あのジャックでもシオンさんの虫にまで手を出さずにやり過ごすことは困難なレベルの戦いなのかと、分かり切った事実に落胆しかけた心を無理矢理に挫けてなるかと持ち直そうとしたが、緊張や焦燥にその僅かな動揺が加わったことでシオンさんが僕に逆の手を向けていることを把握するのに微かな遅れが生じる。

 そして掌ではなく指先を向ける意図は何かと考えるよりも先に、全ての指から針の様な何かが発射されていた。

 まず間違いなくお願い(、、、)を無視してでも僕の身を守るつもりでいたであろうジャックとはミミズを避けるために飛び退いたことで距離が出来てしまっている。

 それによって僕に対する攻撃に割って入ることを封じることまでが計算されていたのかどうかは知る由もないが、五メートルとない距離からの攻撃を回避する身体能力は僕にはない。

 それでもほとんど反射的に盾を発動し、指の数だけある針を体の正面で防ぐことに成功したものの次なる一手を予測するには経験値が圧倒的に足りていなかった。

 自覚していた以上の、あまりに大きな現実との差を痛感すると同時に自分に攻撃させることでジャックの負担を減らし、僕はただそれを防ぎ続けることに専念すればいいだなんて考えが甘かったことを思い知らされる。


「下だっ!!」


 何をされたのかも分からないまま、反射的に耳に届いたジャックの声だけを理由に僕は咄嗟に後ろに飛ぶ。

 寸前まで立っていた地点からは一度見た巨大なムカデが飛び出し、それが目に入った時にはほとんど牙と化した口角が左足を掠めていた。

 噛み付かれたり刺されたりという最悪の結果だけは回避していたものの僕の反応速度ではそれが精一杯で、激痛が走る左足に目を落とすとズボンのふくらはぎの部分が裂けている。

 それだけではなく、隠れていて見えてはいないながらも明らかに血であろう液体が足首を伝うのを感じた。

 痛みがあり感覚もはっきりしている分だけ取り返しが付かないまでの傷ではないことだけは分かったが、瞬間的に力が抜けたせいで踏ん張りが効かず左膝ががくんと曲がる。

 この危険と隣り合わせの状況で意志に反してその場で屈む格好になってしまっていた。

 シオンさんとの距離は安全圏には程遠い。

 ここで立ち止まるのは不味いと、僕の名を呼ぶジャックの声を聞くまでもなく理解してはいたが無理矢理に力を込めて起き上がろうとするその判断は大幅に遅れを取っており、視線を戻した時にはこちらに迫って来ているシオンさんが見えている。

 速度と距離、足の状態のどれを取っても逃げられる状態にない。

 ならばせめて直接的な攻撃だけでも防がなければと立ち上がるためのロスを捨て、屈んだまま右手を前に翳したその時、目の前に現れた別の人影がシオンさんの姿を隠した。


「もうやめてシオン!!」


 僕を庇う様に両手を広げて立ち塞がったのはシェルムちゃんだ。

 どうして付いてきた。

 今のシオンさんに言葉は伝わらないのに。

 このままではシェルムちゃんが危ない。

 次々と脳裏を過ぎる絶望に似た焦りの感情は声にならずに消えていく。

 何の前触れもなく吹き荒んだ突風を全身に浴びたことで、それに耐えようとする本能が無意識に勝っていた。

 一秒か二秒か、踏ん張っていないと倒れ込んでしまいそうな強く激しい風が止む。

 今のが何らかの攻撃を受けた結果という様子はない。

 それどころか、僕の勘違いじゃなければその風は目の前に居るシェルムちゃんから発せられたようにさえ感じられた。

 事実か錯覚か、僕もシェルムちゃんも無事なままでいることへの違和感を抱きながら遅れて右足に力を込め立ち上がると、それを証明するかのようにぎりぎりの所でシオンさんが動きを止めているのが目に入る。

 尖った爪を立て、真正面からシェルムちゃんに向けて突き出された手刀が、まさに目と鼻の先でピタリと、時が止まったかのように。

「…………」

「…………」

「…………」

 僕もシェルムちゃんも、それどころかこちらに駆け寄ろうとしていたジャックまでもが言葉を失う。

 なぜ言葉一つでシオンさんを止めることが出来たというのか。

 二人の強い絆が自我を奪われた中に残る心に届いたということなのか。

 そんなはずはない。

 それならばあれだけの数のクロンヴァールさんの部下達が主の命に背いて制御不可能な状態に追いやられたまま殺し合ったりはしないはずだ。

 ならば、シオンさん個人の強さが完全に術中に陥るには至らせなかったのか。

 それもあり得ない。

 どれだけの強さを持っていようとも、それではシオンさんと同等以上の強さを持つ大魔王が百年もの間傀儡とされていたことへの説明が付かない。

「ぐっ……」

 どれだけ考えても何が起きたのかなんて分かるはずもなかったが、苦しげに頭を抱えるシオンさんの姿がそれ以上の考察の余地を奪う。

 一体どうなっているのか、シェルムちゃんは何をしたのか。

 それを問おうと後ろから肩に触れようと手を伸ばした時、いつの間にか随分と接近してきていたカルマがこちらの異変に気付いたらしく、発狂にも似た怒声が意識の向く先を急転させる。

「何をしている役立たずめが!」

 三人の目が一斉にカルマに向く。

 同時に、黒い触手の一本が凄まじい勢いで伸びてくるのが見えた。

 シェルムちゃんやジャックを狙ったものではなく、明らかにシオンさんを攻撃しようという軌道だ。

 まさか黙って見ていられるわけもなく、僕に出来ることをしなければと痛む足でそれでもシオンさんを守ろうと踏み出したが、左足を庇わざるを得ない中での小さな歩幅はあっさりと追い抜かれ、僕が回り込むよりも先にシェルムちゃんがシオンさんの前に立っていた。

 僕にそうしたように、それでいて両手を広げるのではなく右手を突き出すような格好でだ。

 咄嗟に伸ばされたジャックの剣は僅かに届かず切っ先に触れるだけで弾かれてしまい、背中からシオンさんを貫こうと迫る触手は標的をシェルムちゃんへと変える。

 どうにか盾を駆使し二人を守らなければと引き摺る足も及ばず、無情にも背後から伸ばした手の先で触手が到達しようとしていた。

 差し出されたシェルムちゃんの掌に鋭利に尖った先端が触れる。

 しかし否応なく頭に浮かぶ最悪の想像は実現することなく、不可解な光景を生み出した。

 どういうわけか小さな手に触れた瞬間に触手が消滅した、僕に理解出来たのはただ見たままそれだけだ。

 まるで吸収したかの如く、その手に吸い込まれる様に消え去った触手は間違いなく姿を消している。

「な……に?」

 唖然とした表情で固まる様子からしてもカルマ自身何が起きたのかを理解出来ていないようだ。

 僕だって何がどうなっているのか全く分かっていないし、それはジャックや戦闘を繰り広げる中でこちらを窺っていた他の三人も同じだったらしく揃って言葉を失っている。

「シェルムちゃん……今のは一体」

 カルマが目を見開いたまま動かないことで全員の動きも同様に止まる。

 その隙に攻めることも考えなかったわけではないだろうが、本体がそうであっても触手はそうでないことや傷を負った状態で絶えず戦い続けていたこともありセミリアさん達もすぐには仕掛けず少し離れた位置で切れる息を整えていた。一人の例外もなく、唖然呆然とした表情で。

「分かんない……でも、なんとなく分かった気がする」

 僕の呼び掛けに対し、シェルムちゃんはゆっくりと振り返る。

 声色から本人も戸惑いを抱いていることが分かったが、その不安混じりの表情は別の新たな疑問を生んだ。

 果たして何を意味するのか、シェルムちゃんの額に王冠に翼が生えた様な色鮮やかな紋章がはっきりと浮かび上がっている。

 今まで無かったはずの何か。

 本人に自覚はあるのか、先程の現象と関係があるのか、それが分かったとして、或いは分からなかった場合に何を考えどうするべきか。

 全ての答えを探そうとする間にもシェルムちゃんの話は続いていく。

「昔……シオンが言ってたんだ。パパの子供だからわたしも暗黒闘気を扱う能力は絶対に持っているはずなんだって。わたしはまだ未成熟だから使えないだけでいずれきっと身に付くって。それが……これなのかも」

「暗黒……闘気」

 確かに大魔王もカルマもそう呼ばれる力を駆使している。

 今の話も含め魔族の王の血がそういうものだということは何となく分かったが、その秘めたる潜在的な力がシオンさんや僕の危機によって目覚めたと、そういうことなのだろうか。

 見聞きした情報から人間が使う魔法の類とは別物であることぐらいは分かっているつもりでいるが、どういった特異性や特殊性を持っているのかということを僕は知らない。

 本人ですら曖昧な感覚を口にしているぐらいなのだ。

 僕にも、他の誰にも確かなことが言えずとも無理はない。

 多くの目が向けられる中、シェルムちゃんはシオンさんの元へと寄っていく。

 そして今や膝を突き、苦しげな表情で頭を抑えているシオンさんの顔に手を添え顔を近付けたかと思うと躊躇うことなく、そっと口付けをした。

 するとその時、密着した二人の口元から黒いモヤモヤとした気体が溢れ出し、行き場を失ったように宙を漂い始める。

 数秒と経たずに消えていったその黒い気体があの日森の中で暴走した兵士達や大魔王が命を落とした時に口から吐き出した何かと同じ物であると、今この瞬間に確信出来るだけの有様だった。

 シェルムちゃんが口を離すと、シオンさんは力無くよろめきその場でバランスを崩す。

 図らずも自分が盾になろうと考えたおかげですぐ後ろに居た僕は慌ててその体を抱き留めるが、どうにも力が入らない左足は軽いシオンさんの体重すら支えることが出来ずに共に倒れ込んでしまった。

 下手にどこかを痛めたりさせないために自分が尻餅を突くだけで済むようにしたせいで逆に僕の腰に強い衝撃が走ったが、もう自分のことなんてどうだっていい。

 今ので本当にカルマの術から解放されたことになるのかどうか、考えるべきはそれだけだ。

 そうでなかったなら僕だけではなくシェルムちゃんの命も危機に晒される。腰や足が万全だったところでこの距離では逃げる術などない。

 祈る気持ちで目を落とすと腕の中にいるシオンさんからは苦しげな表情は消えており、ゆっくりと目を開こうとしている。

 そして目が合うと、小さな声で僕の名を呼んだ。

「コ……コウヘイ……シェルム様?」

「シオンさん……よかった」

 前後の記憶が無いのか、戸惑い混じりの声は酷く弱々しい。

 体力や気力という意味では何もかもが元通りというわけにはいかない可能性もあるにはあるが、少なくとも意識だけは元に戻ったようだ。

 すぐ前に立っているシェルムちゃんもホッと安堵の息を吐き、優しい目でシオンさんを見下ろしている。

「シオン、もう大丈夫だよ」

 優しい声でそう言うと、改めて僕達を守ろうとする様に背を向ける。

 その向こうではジャックもこちらに近付いてきいた。

「まさかこの土壇場で覚醒するとは、ちっとはやるじゃねえか嬢ちゃんよ。いまいちはっきりしねぇが、さしずめ暗黒闘気を吸収する能力ってところか」

 確かに、そう考えるのが最もらしい。

 あの額の紋章がその証ならば今この場で目覚めた能力という理屈も通る。

「……貴様如き小娘が俺の能力を打ち破っただと? そんなものが認められるか!!」

 シェルムちゃんが実際にやってみせた結果がジャックの言葉を否定する材料を無くしていることがいよいよ逆鱗に触れたのか、カルマは怒りのあまり全身を震えさせながら鬼の形相で吠える様に叫んだ。

 すぐさま別の触手がシェルムちゃんに向かって伸びる。

 唯一僕に乗っかっているシオンさんだけが焦って起き上がろうとするが、まだ体が自由に動かないのかここまでに見せた俊敏さは欠片も発揮されず到底割って入れる状態になく、凄まじい速度で迫る触手はそのまま誰の妨害もなくシェルムちゃんを貫こうと真っ直ぐに距離を縮めていった。

 対するシェルムちゃんは若干体を縮こまらせながらも腰を引くことなく、先程と同じく手を翳して迎え撃とうと身構える。

 そして恐怖に打ち勝とうとする心がそうさせたのか、直前で軌道を変えた触手に翻弄されることなく見事にその手で受け止めて見せた。

 二度目となるシェルムちゃんへの直接攻撃は覚醒した能力が偶然でも奇跡でもないことを示すかのように、小さな手に吸い込まれ触手を消滅させる。

 その事実は僕達にとっては最後の光明とも言える光景であったが、今度こそ紛うことなく打ち破られた絶対的な現実にカルマの表情が屈辱に歪むと同時にシェルムちゃんの体がバランスを崩し後ろへ倒れ込んだ。

「シェルム様!」

 慌ててシオンさんが抱き留める。

 だがやはりシオンさんも弱ったままシェルムちゃんの体重を受け止めることは出来ず、結局二人共に僕の上に乗り掛かる形で背中から崩れ落ちた。

「も、申し訳ありませんコウヘイ。力が思うように入らなくて」

「いえ……なんとか大丈夫です。それよりもシェルムちゃんは……」

「えへへ、ちょっとふらふらしちゃった」

「性質が性質だけに身に着けたばかりの能力を連発しちまった反動ってとこか。ま、よくやったさ」

 ようやく傍まで戻ってきたジャックが戸惑う僕とシオンさんを横目で見る。

 両脇からはいつの間にかジャックが呼び戻したらしい他の三人も駆け付けて来ていた。  

「そういうものなのかな……もうちょっと頑張りたかったけど、シオンを守ることが出来たからいいや」

「ああ、それでいいさ。てめえ等はそこで休んでろ、あとはアタシ達の役目だ」

 そう言うとジャックは肩に剣を乗せ、憎しみの籠もった目でこちらを睨め付けるカルマを見据える。

 すぐにその横にセミリアさん、サミュエルさん、ユリウスが並んだ。

「つーわけだ、こっちの心配はいらなくなった。おめえらも問題ねえな?」

「無論です。この程度の傷、何ら問題はありませぬ」

「よく言った、そっちの二人はどうだ。特に兄貴の方は元から手負いだろ」

「俺に構うな。お前達の役目など関係ない、俺の目的は一つだと最初に言ったはずだ。助太刀などそのついでに過ぎん」

「頑固な野郎だ。だがまあ、理由なんざ何だっていい。セリムスも問題ねえな?」

「ウザい死ね」

 心底煩わしそうに毒を吐くサミュエルさんの返答を最後に会話が止む。

 そして睨み合う僅かな沈黙の間を挟み、セミリアさんが静寂を破った。

「これで打つ手無しか? 滑稽なものだな」

「……なんだと?」

「貴様が役立たずと切り捨てた弟妹に自慢の力とやらを打破される気分はどうだ?」

「…………」

「人間風情と吐き捨て見下す相手に窮地に追いやられる気分は、どうだ? 確かに貴様はかつてない強大な力を手に入れたのだろう。だが、それは研鑽し培った強さではなく誰かや何かの力を我が物にし上辺を着飾っただけの強さに過ぎぬ。下卑た謀と他者を利用することでのし上がり、王に成り代わったつもりでいるだけの貴様に世を統べる器などない」

「その通りだ。圧倒的な存在感、底知れぬ執着心、恐ろしいまでの強さ……どれをとってもてめぇは大魔王には程遠い。支配者の皮を被った道化如きにゃ人の世は手に余る代物だ。人を、血を分け合い共に戦った仲間や身内を、そして全ての命を嘲るてめぇには戦士としての生き様は欠片もねえ。それを学ばなかったことがてめぇの弱さだ」

「何を馬鹿げたことを……もう勝った気でいるか下等生物共が!!」

「この戦いはここで終わり、貴様はここで滅ぶ。命を弄んだ報いを受ける時が来たのだ」

「ああ。戦いの先に、勝利の向こうに平和と安寧があるなら勇者の名を背負うアタシ達が負けるわけにはいかねぇのさ。いつまでもチンタラと遠巻きからごちゃごちゃやり合うのはもう止めだ」

 何がそうさせるのか、三人に順に問い掛けるジャックの口調も、それに答えるセミリアさんの口調もいままでよりもずっと力強さが感じられる。

 勇者の名を背負う者。

 それに該当しないユリウスを除いても、一人だけ肩書きへの拘りがなく使命感や協調性を持ち合わせていないサミュエルさんは味方である二人のやりとりにすら不快感を露わにし、舌打ちを返した。

「なんでもいいけど、アンタ口喧嘩するためにわざわざ呼び戻したわけ? 馬鹿かっての、付き合ってらんないわ」

 吐き捨てる様に言って鼻で笑うと、そのままサミュエルさんは一人走り去ってしまう。

 それでいて場面を選ばない相変わらずの言動に怒ったり呆れたりする者は居らず、三人が共にすぐにその後を追った。

 遠ざかって行く四つの背中も、その前に交わされた言葉の数々も、シオンさんが元に戻った以外には何ら好転していないはずなのに、まるで恐怖や不安を感じさせなくなっている。

 これが最後の攻防になると宣言するかの様な雰囲気を醸し出したのは正義の心と不屈の勇気が生んだ決死の覚悟か、それとも背水の状況に強いられた捨て身の決断か。

 冷静に分析するならばどちらとも言える戦況に違いないが、少なくとも後者とは思えぬ頼もしさを覚える僕の感覚が希望的観測ではないことが分かる要素が目の前にはあった。

 長らく目を向けることが出来なかったせいで気付いていなかったが、カルマの体にはいくつもの小さな切り傷がある。

 それどころか三人で相手にしなければならない分だけ苦戦を強いられる度合いは増すとばかり思っていたのに、触手もシェルムちゃんが吸収した二本を除いても数が減っているではないか。

 まず間違いなく防戦一方で突破口の見えない状態を脱したからこその有様なのだろう。

 何をも恐れず、何にも屈しない肉体的、精神的な強さを持つ三人の勇者と一人の男がどんな意志を持って正面からの突撃を選んだのか。

 あの四人がやられれば僕達だって殺される。

 それは戦いが始まってから一度たりとも変わらない事実だ。

 シオンさんやシェルムちゃんと共に最早言葉を発することも、立ち上がることすらも忘れ、満身創痍の僕達の命運と世界の未来を賭けた正真正銘最後の戦いを見守る。

 まず最初に仕掛けたのは先頭を走るサミュエルさんだ。

 陽動となる動きなど一切見せず真っ直ぐに向かっていくと二本の触手を二本の刀で弾き、一気に距離を詰めていく。

 接近を許したカルマはすぐさまレイピアで応戦するが、他の三人にもそれぞれ一本ずつの触手を使って足止めをしているため二本の刀を防ぎきることは出来ず、何度か武器同士をぶつけ合ったのちに左肩を斬り付けられていた。

 何度も挑み続けたことで目や体が慣れ始めていることが明確に分かる素早く無駄のない動きは鳥肌が立つ程のレベルにあったが、それでもカルマとて簡単に攻撃を受け続けるはずもなく、動き回る中で生まれる死角を利用して一度やり過ごされた触手を利用し背後から仕留めに掛かる。

 サミュエルさんは振り返ることなく左手の刀を後ろに向けて振ることで一本を防いだものの右手の刀をレイピアに叩き付け、残る一本を無視して相打ち覚悟の攻撃に出ていた。

 力尽くでレイピアを大きく外側に弾くと返す刀で振り下ろされた斬撃が胸元を掠める。

 単騎突撃でカルマに傷を負わせた事実はこれまでと比べると見違える成果ではあったが必然の代償は大きく、ほとんど同時に残る一方の触手が後ろから右膝の下を切り裂いた。

 胸部から血飛沫を上げるカルマが後退したおかげで軌道が変わり狙いが僅かに外れていたが、そうでなければ間違いなく体に突き刺さっていただろう。

 そう考えると不幸中の幸いと言えなくもないが、同じ掠める様な傷でも視界の外からの、それも機動力の要となる足への攻撃の影響は少なくなく、追撃に出ようと踏み出したサミュエルさんの片足はぐらつき意志に反して膝を突く格好になってしまっていた。

 カルマはその隙を見逃すことなく間髪入れずにその触手の向きを変え、続けてサミュエルさんを狙う。

 今度こそ体の中心を狙った一撃への反応は見るからに遅く、辛うじて躱されたことや咄嗟に動けない自分自身への憤りを含んでいるであろう屈辱に歪んだ表情が足下から正面に向きを変えた時には鋭く尖った触手の先端が目と鼻の先まで迫っていた。

 やばいと、心臓が跳ねる刹那の焦燥は直後に視界に飛び込んできた人影が意味を変える。

 セミリアさん、ジャックと並走していたユリウスが一人列を離れサミュエルさんの前に颯爽と現れたかと思うと両手で持った剣を振り上げたのだ。

 その一閃は盾としての狙いには到底見えず、力任せに軌道を逸らすことでサミュエルさんを守ろうとしたのかと思い至った予想すらも覆した渾身の一撃は真横から触手を両断する。

 今の今までどれだけの力で跳ね返そうとしても金属製の武器と軽々撃ち合ってきたはずの触手が、間違いなく切れてなくなっていた。

 なぜそんなことが起きたのか。

 不可解に思えた光景は考えるまでもなく目の前に答えがあることをすぐに把握する。

 ユリウスの全身は青白い光りが包まれていて、それが何らかの能力であることは一目瞭然だった。

 驚く暇も、サミュエルさんの無事に安堵する暇も無く、今度はその間にも距離を詰めているセミリアさんとジャックを自然と目が追う。

 数メートルとない距離まで急激に迫っている二人に対し、カルマは五本にまで減った触手の全てを二人に向けた。 

「アネット様、私の後ろに!」

 足を止めることなく叫ぶセミリアさんの声に瞬時に反応したジャックは素早く真後ろに付く。

 その次の瞬間、

「嵐華連斬!!」

 急ブレーキを掛けつつ剣を構えたセミリアさんは凄まじい早さで上下左右と正面に剣を振ることで様々な角度から襲い来る触手の全てを一人で防ぎきり、それだけではなく背後にいるジャックが包囲されることなくそのまま特攻するための経路を切り開いていた。

 外側に弾かれた触手はカルマの正面にスペースを生み出している。

 セミリアさんの剣と乱れる触手の両方に巻き込まれない絶妙なタイミングで抜け出したジャックはその一筋の道を速度を上げながら突き進んでいった。

 今までとは違い元々の距離からしてそう離れていなかったこともあって脇目も振らない特攻はカルマに対処法を制限する。

 遅れて失態に気付き、慌てて引き戻した触手は全く追い付いておらずカルマは苦肉の策としも言えるレイピアによる迎撃に出る以外に策を弄する時間的余裕はない。

 射程内に入ると同時に飛び上がったジャックとカルマが同時に突きを放つ。

 両者が共に攻撃をすると同時に相手の攻撃を躱すという行動に出ると、カルマの武器はジャックの頬の横を通過し、ジャックの武器はカルマの首筋を掠めたのちに空を切った。

 二人の距離がほとんど無くなる。

 畳み掛けるように二度、三度と剣を振るジャックの攻撃は辛うじて防がれてしまうが、受け止められたはずの三度目の斬撃が金属音を残すと同時にカルマの腹部辺りの衣服が裂け、その奥にある肉体に傷を残した。

 リフトスラッシュ。

 本人がそう名付けた特殊な能力の神髄とも言える不意打ちの効果が遺憾なく発揮された結果だと言えばその通りなのだろうが、なまじ最初の突きが掠めていることでカルマが後退気味の動作を見せていたためまともに捕えることは出来ておらず、これも戦況を左右する程の傷には程遠い。

 それは本人にとっても計算違いだったのか、ジャックもあからさまに苦い表情を浮かべている。

 どうにか僅かに動きが鈍るカルマに対しすぐさま追い打ちを掛けるべく流れる様な動きで突きの体勢に入るが千載一遇の好機はそう長くは保たず、引き戻した触手が実行に移すことを許さない。

 視界の外からの攻撃を見向きもせずに躱すことが出来るのは察知能力に長けるジャックだからこそ可能な芸当だと言えるが、それでも左右と後ろからの攻撃を回避するために立ち位置を変えざるを得ず、詰めに詰めた距離は徐々に失われていった。

 そして屈んだり体の向きを変えたりという最小限の小さな動きと剣による防御で身を守りながらも攻め入る隙を窺う中で薙ぎ払う様に真横に振り抜かれた一本の触手がとうとう目にも止まらぬ数秒足らずの現状維持を図る立ち回りを打破してしまう。

 まともに剣で受けた速度と重量感のある一撃は激しい音を立てると同時にジャックを軽々吹き飛ばす。

 直接体に当たっていない分だけ肉体的なダメージは見受けられないが、それでも宙に浮いたまま数メートル横に飛ばされ、地面を滑ることでようやく動きを止めた。

 長い触手とこれまでに多用してきた縦の動きではなく横からの一手であることが攻撃範囲を大幅に広げ、遅れて後方からジャックを追ってカルマに迫ろうと駆け出していたセミリアさんの足も同様に止まる。

 腰の辺りの高さを通り過ぎる触手を屈んで避けるとすぐに前屈みになり、再び速度を上げようと構えるが、その瞬間手に持った剣が勢いよく飛んでいた。

 足下から別の触手が現れ、紙一重で反応したセミリアさんの武器に直撃したのだ。

 生え際が背にあるせいでこちらから見ても気付くことの出来ない地面を介した不意打ちを食わなかった反射神経は流石としか言い様がないが、この局面で武器を失うことが何を意味するのか。

 どれだけ馬鹿でも分かる状況で、更に悪いことにジャックが弾き飛ばされ遠退いたことでカルマから一番距離が近いのが正面にいるセミリアさん一人という最悪の展開が出来上がっていた。

 僕が気付く頃には既にカルマは丸腰となったセミリアさんに突進している。

 それと同時にジャックが地面を転がった剣の元へ、そして後ろからユリウスがセミリアさんの方へと走るのが見えた。


「大人しく死んでいろ!!」

 

 カルマはすぐさま右方にいるジャックに向けてあの黒い球体を発射する。

 三人の中では一番剣との距離が近いジャックは滑り込む様にして剣を掴んだが、丁度そのタイミングでカルマの魔法が一メートルとない位置に着弾した。

 例によって小さな爆発と共に無数の散弾を飛ばす二段構えの魔法が炸裂すると、瞬時に横に転がることで避けようとするも間に合わず、小さな黒い魔法の弾が左肩と右足首を掠め、右の腰付近にまともに直撃する。

 サミュエルさんと同じく膝を突き苦しげな声を漏らしながら自分の剣を杖代わりに倒れ込むのを防ぐジャックの目はもはやカルマに向けられてはいない。

 視線が向く先はただ一点、宙を舞いながら持ち主の元に戻っていく別の剣だ。

 カルマの魔法を食らう寸前にジャックはセミリアさんの剣を放っていた。

 それはつまり、傷を負ったのは距離が近かったせいだけではなく、傷を負ってでもセミリアさんが戦う術を残そうとしたということ。

 その証拠にブンブンと回転しながら飛んでいく剣はカルマとセミリアさんの間に向かっている。

 前進しながら受け取ることが出来るように、そのまま攻めに転じることが出来るように。

 そんな意図が確かに伝わる最後の希望を込めたジャックの命懸けの選択だったが、だからといって攻撃を受ける最中での行動に影響が無いはずもなく、その軌道には僅かながらずれが生じていた。

 それでもセミリアさんは走りながら飛び上がり、どうにか回転する剣の柄を掴み取ったものの、ほんの少し逸れたことによる減速と跳躍は大きな隙に繋がる。

 着地し、改めて地を蹴ろうとする瞬間には走る何倍も早い攻撃手段であるカルマの触手がその身に襲い掛かっていた。

 残った五本の全てが真っ直ぐに、セミリアさんを貫こうと様々な角度から迫る。

 回避や防御の動きが間に合うとは思えない危機的な状況に思わず声を上げそうになる中で突如割り込んだのはまたしてもユリウスだった。

 背後から駆け寄っていたユリウスはサミュエルさんを助けた時と同じく、ぎりぎりのタイミングで目の前に飛び出しセミリアさんを守るべく間に入り触手の動きを封じる。

 それでいて一本の触手を斬るだけで済んだサミュエルさんの時とは違い五本の触手を同時に斬って捨てる術も時間的な余裕もなく、全ての攻撃を体で受けることでそれを体現していた。

 まるで最初からそうするしかないことを理解し、分かった上での行動だったかのように。

 武器を捨て両手を広げることで、文字通りその肉体を盾にすることでセミリアさんを守ったのだ。

 右肩、左の腕と太腿に一本が、そして腹部に二本の触手が体を貫通し、血を吐き出すユリウスの両手両足から力が失われていく。

 見るからに無事では済まない串刺し状態の男の姿に絶望を覚えてしまったのか、僕までもが無意識に脱力し目から零れた涙が頬を伝った。

 目の前で死んでしまったわけでもないのに、もはや何故自分が泣いているのかも、何を考えればいいのかもはっきり分からず、ただ目の前の光景をぼんやりと眺めることしか出来ない。

「兄上っ!」

 斜め後ろから割り込んだユリウスとぶつからないようにぎりぎりの所で進路を変えたセミリアさんの足首が横に向く。

 ブレーキを掛ける動作を取りつつ振り返った表情には焦りの色がはっきりと浮かんでいた。

 兄上。

 その言葉で予てより抱いていた疑問が人知れず解消される。


「「止まるな!!」」


 その時不意に、二つの声が重なった。

 ジャックとユリウス、自らが傷を負ってでも残された最後のチャンスとも言える機を失わせまいとした二人の、今にも足が止まろうとするセミリアさんに対する叱咤の声だ。

 人の心配をしている場合じゃないだろうと。

 お前にしか出来ないことがあるだろう、と。

 それは決死の覚悟で打倒カルマの可能性を残した魂の叫びだった。

 セミリアさんは悔恨の念にかられていることが分かる歯痒さ、不甲斐なさに歪んだ表情を浮かべながらもすぐに前を向き、再び強く地面を蹴り速度を上げて走り出す。

 この僅か数秒の間にもカルマも同じく前進を続けており、二人の距離は既に五メートルとない。

 全ての触手がユリウスの体に刺さっているためカルマの攻撃、或いは防御の手段は手に持たれたレイピア以外には例の魔力以外にはないと見ていいだろう。

 最早どう転ぶかなんて何一つとして予想が付かない逼迫した状況で今にも二人がぶつかり合おうとする中、カルマはこれまでに見せることのなかった想定外の行動に出ていた。

「人間風情が、この俺に勝てるものか!!」 

 怒声を浴びせたかと思うと、背中から伸びていた触手が消えてなくなる。

 それと同時にカルマの全身が黒い気体に覆われていった。

 まるで体から闇を生み出しているかのように、禍々しく気味の悪い黒いオーラの様な何かが体の三倍にも広がるとカルマはレイピアによる突きを繰り出し、同じタイミングでそのオーラをセミリアさんに向けて放出する。

 それでも真っ直ぐに、ただ一点を見つめて突き進む銀髪の女勇者は怯むことも臆することもなく剣を構え、華麗に飛んだ。

「人の世は人の手で守る! これが人間の意地と底力だ!!!」

 その声を合図に二人の武器が交差する。

 そしてセミリアさんが着地と共に二人の動きが止まった。

 一秒足らずの間を挟み、空を切ったレイピアが手を離れ地面を跳ねる。

 もう一方の武器は確かにカルマの胸を貫いていた。

 どういう理由か、その剣も、剣を持つセミリアさんの腕や体までもが青白い光りに包まれている。

少し前にユリウスが触手を斬った時に見せたものと同じ、いつか間近で見たその瞳と同じ美しい青色だ。

 闇を切り裂き、体の中心を貫通した剣が引き抜かれるとカルマは目と口を見開き、苦しげな声を漏らしながらよろよろと後退する。

 見るからに力無く膝を突き、体液を吐き出す姿は生命の終わりを確かに予感させた。

「この……俺、が……人間……に……この俺がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!」

 断末魔の叫びとも取れる、狂乱に似たけたたましい声が響き渡る。

 その瞬間、僅かに残っていた黒いオーラが爆発的に体積を増していった。

 何らかの能力の発動を危惧させる異様な光景は、しかしながらすぐに様相を変える。

 最後の攻撃の時よりも更に何倍も膨れ上がった黒いもやもやとした何かの膨張がピタリと止まったかと思うと、カルマの体の中心に吸い込まれる様に急激に収縮していったのだ。

 やがて黒い何かは完全に消えて無くなる。

 それだけではなく、消え去った闇はカルマをも飲み込み、その場所からカルマの姿ごと全てを消し去っていた。

「ど……どうなったんですか?」

 今目の前で一体何が起きたのか。

 わけが分からず誰に対してでもない疑問が口から漏れる。

 ぼそりと、その問いに答えたのはシオンさんだ。

「恐らくですが……あの勇者の一撃が致命傷となったことで暗黒闘気を生み出す力が一時的に制御を失い、それによって糧を得る術を失ったベジェクトが暴走しカルマ様自身を飲み込んでしまったのでしょう。何十年もの間、無限の暗黒闘気を吸収し続けたベジェクトは餌無しでは生を維持出来ない程に肥えてしまった。そして、寄生主が絶命したことでベジェクト自体も消滅してしまった……そう考えて間違いないはずです」

 根が、あの植物がカルマを食べてしまった。そうすることによって植物自身も寄主を失い消滅してしまった、ということか。

 それはつまり、カルマも消滅してしまったということ。

 言い換えるならば……僕達が……勝った?

「お兄ちゃん……」

 敵と呼べる存在が消えた光景、そしてシオンさんの説明からその事実に行き着いたのか、シェルムちゃんも涙を流している。

 例え兄妹を平気で殺そうとし、敵対してしまったとしても血の繋がった家族なのだ。

 勝って、自分達が生き残ることが出来て、そのために戦ってきたのだとしても、身内が死したとあれば喜べるはずもない。悲しくないはずがない。

 何か言ってあげなければと掛ける言葉を探してみるが、それよりも先にシオンさんがそっとシェルムちゃんを抱き締める。

 僕などの慰めの文句よりも余程意味があり必要であるのはシオンさんの温もりなのだろうと、妙な納得をしてしまったこともあり開きかけた口を閉じて僕は立ち上がった。

 そして痛む足を引きずりながら、みんなの元へと歩く。

 痛いのは僕だけではない。

 誰も彼もが傷だらけの血塗れなのだ。

 ひたすらに張り詰めていた緊張感から解放されたことで体力、気力の限界を迎えたのか、誰もが膝を突いたり腰を下ろしたままで起き上がろうとする者はいない。

「兄上っ、大丈夫か!」

「そんな顔をするな、死ぬ程の傷ではない」

 唯一立ったままでいたセミリアさんがユリウスの肩を抱き、体を支える。

 その会話によって命に関わる怪我じゃないと知りホッと安堵しつつ、僕は少し離れた位置にいるジャックの所に行くことにした。

 明らかに一番の重傷を負っているユリウスは至る所から流血していて僕も不安だっただけに本当によかった。

「ジャック、大丈夫?」

 同じように肩を抱いて起き上がらせつつ、僕も同じ質問を投げ掛ける。

「問題ねえよ、もまともに食らったのは最後の一発だけだ」

「そっか、流石ジャックだよ。これで……終わったんだよね」

「あぁ、奴は間違いなく滅んだ。いつの間にか遠くで感じてたドでかい気配が消えてるあたり、他の連中の方も終わったようだな」

 ああ、そうか。

 カルマの他に邪神アステカやエスクロがいたんだった。

 何もかもに必死過ぎて今初めてそれを思い出した。

 しかしまあ、その言葉を聞く限りクロンヴァールさん達も無事勝ったということのようだ。

 もう一度安堵し、そのまま肩を組んだ状態でサミュエルさんの方へ向かうが、手を貸されるのを嫌ってか既に自力で立ち上がっている。

 二人三脚状態なのに加え足に怪我を負っているせいで移動速度が遅く、ノロノロと歩きながら他の三人の元に辿り着くと、そのタイミングでユリウスがセミリアさんの肩から腕を下ろした。

 するとなぜかセミリアさんが無言のまま僕の方に寄って来る。

 ユリウスがそうしたように、ジャックも僕の肩に回していた腕を放しどういうわけかそっと僕の背中を押した。

 いつ以来だろうか、随分と久しぶりにセミリアさんと正面から向かい合う形になって、心配を掛け倒した上に城での一悶着の話を聞いていることもあって言わなければいけないことだらけで咄嗟に声が出ない。

 どういう言葉が相応しいだろうかと、考える間にも僕の方へ寄ってくるセミリアさんは目の前まで来ても立ち止まることなく、そのまま体を密着させた。

 背に両腕を回し、優しく、それでいてどこか力強く、ギュッと僕を抱き締める。

「コウヘイ……言う暇がなくてまだ伝えられていなかったが、無事に再会出来てよかった」

「ご心配をお掛けしてすいませんでした。遅れて来ておいて相変わらず戦いの場ではほとんど役に立たないんですけどね、情けないことに。でも……みんな無事で終わってよかったです」

「ああ、これで戦争は終わった。約束通り、一緒に国に帰ろう」

 その声に、その温もりに、僕もようやく緊張の糸が解けたらしく、一気に気が緩んでいくのを感じる。

 魔王は滅んだ。

 邪神とエスクロとの戦いがどうなったか分からない以上まだ予断を許さない状況ではあるが、僕達は生きてこの戦いを終えることが出来た。

 何度も何度も恐ろしい目に遭って、最初から最後まで辛いことだらけで、嘆き続け、悲しみを重ね、ボロボロになった心の傷が癒えるには時間が掛かるかもしれないけれど、それでも、不完全ながらも貫き通した理想を実現し、僕達は戦争を終わらせることが出来たのだ。

 多くの犠牲を出した。

 守れなかった命もたくさんある。

 だけどそれでも、他所の世界から来た僕が託された様々な思いに、少しは答えることが出来たのかな。

 そう思うと、ほんの少しだけ報われた気がした。


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