【第十七章】 帰還
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「ニンゲン……殺ス……ニンゲンは……スベテ滅びるノダアアアァァァ!!!」
かつての冷徹な姿からは想像も出来ない雄叫びに近い叫び声が響き渡る。
それと同時に大魔王は十一人へと突進していた。
「とうとうブチギレやがったか? こうなりゃ全員で袋叩きにするっきゃねえ。バンダナと小僧は下がってな」
独り言の如く呟くと、言葉の最後にユメールとジェインに視線を送りアネットは剣を構える。
例外なく全ての戦士が武器を構え迎え撃つべく攻撃態勢を取った時、キアラの声がそれを制した。
「お待ち下さい、あれでは全員が射程距離に入るのは危険です。魔法が効くならば私達にも攻撃する手はある。今度は私達が隙を作ります!」
雷神の槍を構えたキアラはそう言い残し、誰かの反応を待つことなく地を蹴り、単身大魔王へと向かっていった。
迫り来る巨体はこれまでとは違った魔力を帯びている。
それが何らかの能力の発動を示唆しているのだとすれば全員が距離を詰めることは危険だ。そういう判断によるものだったが、そこに冷静さは伴っていない。
セミリアやアネットだけではなく敵であったユリウスまでもが血を流している中で自分だけが後方からの援護に甘んじるばかりの状況が歯痒さ不甲斐なさを増長させ、精神的な負荷となることで堪え忍ぶことへの限界を迎えていた。
「ブラック!」
すぐにクリストフ一人が後を追う。
私達というキアラの言葉が指すは己であると、瞬時に理解していた。
それと同時に背後では名を呼ばれたブラックが右腕の砲筒【豪炎波動】から魔法弾を発射する。
独自に魔法力を蓄える能力を持つ武器にあって最大の破壊力を持つ渾身の一撃はキアラとクリストフの間を通過し、真っ直ぐに大魔王へと向かっていくと正面から直撃した。
防御する仕草を見せなかったことで顔面付近に炸裂した魔法弾は大きな爆発を起こし辺りに白い煙を漂わせる。
その横ではクロンヴァールとセラム、アネットが注意深く見守りながらも援護ではなく止めを刺すための機を窺っていた。
「カオスフィールドは効力を失っているままのようだが、あれではダメージがあるかどうかも分からんな」
「攻撃が当たるだけ状況は好転しているとも言えるのだろうが、生身の防御力も高い上に再生能力を持つとなればそう差はないと見るべきか」
「どうあれ潜在的な魔力は明らかに増しているぜ? 今になって奥の手を晒してきやがるなんてことがあり得るか?」
最後にそう付け加えたアネットの頭にはどうしても拭いきれない疑問が残っていた。
絶命寸前にまで追いやられた百年前の戦いでも見せなかった異形の姿。
それが戦闘力を増すための手段であったならば何故あの時は使わずにいたのか。
どうにも引っ掛かりを覚え不安を抱くがその答えを知る者がこの場に存在するはずもなく、ただ三人の動向に合わせて動くことを考えるしかなかった。
ブラックの攻撃を受けた大魔王は僅かにも速度を落とすことなく突進を続けている。
クロンヴァールの言葉通りダメージがあったのかどうかすら判断出来ない変わらぬ形相をしていたが、迎え撃つべく足を止めずに向かっていくクリストフは白煙が視界を覆った一瞬の隙を利用して次なる一手を打っていた。
「蓮雅」
クリストフは右手のノコギリ刀を叩き付ける。
それは大爆殺を放ったことにより著しく肉体が疲弊している中で見せた決死の覚悟だと言える攻撃だった。
刀が触れた地点から生まれた爆発の波が地面を伝い、大魔王へと襲い掛かる。
幾重に爆音を響かせながら足下へ、そして足下から胴体へ、胴体から頭部へと渡り、やがて全身を飲み込んだ。
そこにダメージを受けた様子は見受けられなかったが、僅かに巨体の速度が落ちる。
同時に飛び込んだのは先頭を走るキアラだ。
「ここで全てを終わらせるっ!」
射程距離まで詰めたキアラは蓮雅による爆発が止むと同時に雷神の槍による渾身の突きを繰り出した。
ほんの一瞬、虚を突かれたような反応を見せた大魔王だったが、すぐにその目はキアラを捕え、言葉とは呼べない声を漏らしながら太い腕を伸ばすと槍の先端を掴むことでキアラの動きを止める。
刹那、バチバチと激しい音が二人の間に鳴り響いた。
キアラの持つ槍は稲光が充満し光りを放っている。
武器全体に帯びる限界まで増した常人であれば即死するレベルの威力を持った雷撃が槍から伝わり大魔王の全身を襲っていた。
「なっ!?」
ただでさえここまでに受けた攻撃によって大きなダメージを負っているのだ。
命を奪うまでに至らなくとも、動きを止めそのダメージをより大きくすることぐらいは出来るはず。
そんなキアラの目論見は外れ、その目に映るのはニヤリとおぞましい笑顔を浮かべる大魔王だった。
瞬時に危険を察知し、咄嗟に身を守らなければと思考が切り替わるが掴まれた槍が逆に自身の動きを制限しそれをさせてはくれない。
別の方法で攻撃を加えるか、それとも槍を手放すか。
最善の答えを探す猶予は露程も与えられず、残った右腕がキアラに向けられようとしていた。
しかし、不意にその腕は別の方向に伸びる。
間髪入れずにキアラの背後にいたクリストフが逆側から斬り掛かっていた。
大魔王は突き出した右腕で同じくその刀も受け止める。
左手でキアラの槍を。
右手でクリストフのノコギリ刀を掴み、それによって三者の動きが止まった時。
武器を取り戻そうと力を込めるキアラはふと違和感を覚えた。
雷神の槍が武器との接触によって雷撃を浴びせられることと同じくクリストフの持つ能力である【帝王爆塵】は武器を介して爆発を生み出すことが出来る。
大魔王への攻撃が目的であるはずなのになぜその能力を使わないのか。
激しい消耗により不用意な能力の発動を避けたということも理由の一つであったが、帝王爆塵の全容を把握していないキアラには知る由もない。
不可解に思えた疑問の答えが別の狙いにあったことに気付いたのはその直後のことだった。
背後から迫り来る人影が視界の片隅に映り込む。
黒い衣服や鎧、そして顔を覆う鉄仮面が突如として現れた人影の正体がユリウスであったことを理解させた。
クリストフが蓮雅を放つと同時に後を追って駆け出したユリウスは武器を掴まれた状態のままでいる二人の間を割って入るように飛び上がり、逆手に持った剣を大魔王へ突き立てようと振り下ろす。
思考を経由することなく共に戦った短くはない時間が経験則としてその行動を確信させ、クリストフはキアラの槍が受け止められると同時に敢えて防御させるための斬撃を繰り出していた。
大魔王の両腕を塞ぐ狙いは目論見通りユリウスの攻撃への対処の術を奪い、渾身の力を込めた剣は胸部へと突き刺さる。
「パパ!」
少し離れた位置からシェルムが叫ぶ声が響く。
ようやくシオンが意識を取り戻し、その体を起こそうと手を貸す傍らのことだった。
その声は耳に届いていたが、ここで情けを掛けるわけにもいかず。
今度こそ致命的な傷を負わせることが出来たと、確かな手応えを感じる面々だったがその期待は現実のものとなってはくれない。
真っ先にそれを理解したのは他ならぬ三人だ。
ユリウスの剣は確かに大魔王の胸元に突き刺さっている。
しかし、ここまで常にその肉体を刻んできたはずの能力を持ってして貫くには至らず、先端を僅かに食い込ませるだけに終わっていた。
舌打ちを溢すユリウスは鉄仮面の奥で憎々しげに表情を歪める。
全身に帯びる魔力が煉蒼闘気の効果を軽減したことに加え、ユリウス自身も脇腹に穴が空いた状態であるせいで本来の力を発揮出来てはいなかった。
「ニンゲン如きガ……どれだけ足掻こうトモ所詮はコノ程度カ」
大魔王は冷笑を浮かべ、ユリウスを見据える。
そして突き放すようにキアラとクリストフの武器を手放すと両腕を大きく広げた。
「魔力解放」
全身から放出された夥しい魔力が波動となって全方向へと拡散してゆく。
キアラもクリストフも、ユリウスまでもが耐えきるが出来ずに吹き飛ばされ、それに留まらず背後に控える面々にも襲い掛かっていた。
浴びただけで身体に影響を及ぼすレベルの禍々しい魔力が空気を振動させながら迫っていく。
セラムは魔法力の盾を生み出すことで、クロンヴァールはユメールとジェインを背に回しながら結界を作ることで防御を試みたが、それでも完全に防ぎきるには至らず苦しげな表情でよろめき、膝を突いた。
防ぐ術を持たないアネットやセミリア、サミュエルはまともに波動の影響を受け、瞬間的な体の自由を奪われた結果どうにか互いに支え合うことで倒れることを避けることしか出来ない。
それだけではなく、シェルムやシオンでさえも魔力を浴びせられていた。
十一人となった戦士達の多くが脳を直接殴り付けられたかのような衝撃によって体に力が入らず、ふらつきながらも立ち上がるとどうにか武器を構えようと力を込め大魔王を睨み付ける。
仲間の安否を問うための言葉を。
自らを鼓舞するための文句を。
そして大魔王に対する警告、非難、挑発、憤怒を。
それぞれが思い思いに口にしようとした時、意図せず全ての声は音にならずに消えてゆく。
闘争心だけは失わず、何があっても諦めたりはしない。
目の前にあったのは、そんな共通認識をも打ち砕く更なる絶望だった。
黒く巨大な異常なまでに禍々しい魔力の塊が大魔王の頭上に浮かんでいる。
ゴゴゴゴゴ、と。
辺り一帯から嫌な音が反響し、地鳴りによってカタカタと地面で小石が跳ねていた。
「な、何なのよ……あれ」
「アネット様……」
「知らねえ、あんなモンは見た覚えがねえよ……どうなってやがる」
「……ロス」
「無理だな、あれは最早魔力の領域を優に超えている。俺のドラガルド十発分の魔法をぶつけたところで気休めにもならん」
サミュエル、セミリア、アネットの愕然とした声が漏れ、クロンヴァールとセラムの落ち着き払った声が続く。
そこに存在しているだけで死を連想させる獰猛な漆黒の球体を前に為す術を見失っているのはクリストフやユリウス達も同じだ。
逃げることも阻止しようとすることも意味を成さないと本能が告げる。
目や頭だけではなく、心までもがどのような手段を持ってしても回避不可能だと理解していた。
それでも、絶望に伏す者はいない。
勝利の道を捨てても負けを認める者など誰一人として存在しない。
死なばもろとも。
頭に浮かんでいるのはただそれだけだ。
あれだけの魔力を受ければ大魔王とてただでは済まぬはず。
ならば共に滅ぶまで。
徐々に大きさを増していく漆黒の球体を前に立ち上がった一人一人が同じ意志を胸に抱き、今まさに最後の攻撃へ打って出ようとした時。
十一人の前に小さな背中が立ち塞がった。
よろよろと、覚束ない足取りで目の前まで歩くシェルムは立ち止まると両腕を広げる。
目に涙を浮かべながら、それでも人間を守ろうとするかのように、精一杯の声を上げた。
「もうやめてっ! こんなこと続けても誰も幸せになれないよ!!」
戦いに勝つことは。
傷付き血を流してまで何かを得ようとすることは。
今までの暮らしを捨て、家族や仲間を失ってまで手に入れなければならないものなのかと、震える声で訴える強い思いはやはり大魔王には届かない。
「ホロビノトキダ……」
その目にシェルムは映っておらず、絞り出されたような言葉から感じられるのは後ろにいる人間への殺意だけだ。
力無く広げた腕を下ろすシェルムも、どうにか駆け寄ろうと足を引きずるシオンも否応なく死を予感する。
無駄であることを悟り、諦め、絶望の淵に沈んでいく意識を呼び戻したのは突如として現れた強く大きな気配だった。
上空から伝わってくる尋常ならざるその気配は徐々に存在感を増していく。
目を逸らすことなど出来るはずのない状況で尚、全ての視線が空へと向けられていた。
正体不明の人間とも魔族とも違う何者かに反応せざるを得なかったのは大魔王とて同じだ。
その直後に見上げる先、遙か高くから姿を現わしたのは大きな翼を羽ばたかせる巨大な緑色のドラゴンだった。
「ド、ドラゴンですっ!?」
ただ一人、ユメールが驚愕の声を漏らす。
ドラゴンは巨体と同じく大きな影で日の光を遮り、見る見るうちに降下し始めていた。
新たな大魔王の手先かと誰もが考えたが、向かい合う大魔王と人間達の中心付近を地面に触れる寸前の低空飛行で通過したかと思うと謎のドラゴンはそのまま大地を離れ再び空高く舞い上がりそのまま遠ざかっていく。
一体何が起きたというのか。
誰もが感じる疑問は瞬時に関心の向く先を変える。
空の彼方へ消えてゆくドラゴンの代わりに降り立っていたのは、行方知れずとなっていた一人の少年だった。