【第十五章】 形勢逆転
11/27 誤字修正 ある→あろう
ゆるりと、膝を突いていた大魔王が立ち上がる。
その姿、その表情はあるはずのない事態に唖然呆然としていたというよりもどこか放心状態にあったという表現が当て嵌まるのではないかという程に鈍く、虚ろな目をしていた。
「団長」
「ああ、ひとまず無意味な攻撃に終わったということはないようだな」
ブラックの呼び掛けに答えつつ、クリストフは目を細め大魔王を見据える。
帝国騎士団の三人が取った作戦はユリウスが直接攻撃の役目を担い、他二人がそれを援護するというものだ。
ユリウスが傍観に徹することに耐えきれず飛び出すまでの間、この場で繰り広げられる戦いの様子を終始見張っていた三人は大魔王の能力を目の当たりにしている。
正体不明の漆黒の気体があらゆる攻撃を防いだ様を見た上での作戦だ。
「おい仮面の男、先程の質問に答えてもらおう。なぜお前には大魔王を斬ることが出来る」
その事情やユリウスの能力を知らないクロンヴァールは今一度同じ問いをぶつけた。
左右ではそれぞれが武器を手に大魔王の動向に神経を集中し、戦闘態勢を維持している。
ここに至るまでの過程が手数で勝ることの無意味さを痛感させられるばかりであったことで無闇に攻撃に打って出ることを避けようという気持ちが働き、隙だらけの敵に対して積極的に仕掛けることが出来ずにいた。
「…………」
やはりユリウスは何も答えない。
声の主を見ようともせず、視線は大魔王に固定されたままだ。
「貴様……」
クロンヴァールの低い声が緊張感を生む。
良からぬことになっては不味いと、慌ててセミリアがユリウスの腕を引いたがその瞬間には問い質そうとする対象が変わっていた。
「あ、兄上……」
「お前は知らぬのか聖剣」
「攻撃の瞬間……全身が青い闘気に包まれていた。それが関係しているであろうことは分かりますが、私も詳しくは……」
主要都市での再会の折。バジュラを斬ったユリウスが同じ状態であったことに思い至ったもののセミリアとてその能力のことは何も知らない。
代わりに答えたのはこの場で唯一直接対峙した経験を持ち、それでいて不可思議な能力の片鱗を味わったキアラだ。
第一次都市都市奪還作戦後の報告では『おかしな能力』と表現しただけに終わった青い闘気の存在が無関係ではないことに気が付いた。
「私も直接やり合った時に目にしました。煉蒼闘気……と言っていたでしょうか、私の雷を斬ったのもあの能力だった」
「本来斬れぬもの、刃を通さぬものをも斬ることが出来る。そういう能力だ」
一時的に敵対関係を白紙にしたとはいえ敵であった者達に自らの能力を説くことに強い抵抗を抱くユリウスだったが、そのせいでセミリアが責められることの方が気に食わず渋々ながらも補足する。
それでも不要な時間の浪費を招いた態度が気に食わず舌打ちを返すクロンヴァールは非難の言葉を飲み込むと今や完全に立ち上がっている大魔王へと視線を戻した。
「ならば、その能力ならばカオスフィールドに防がれることなく大魔王を攻撃出来るというわけか。必然貴様を攻めの中心とせねばなるまい、出来ぬとは言わせんぞ」
「この俺に指図するな。こいつの敵は俺が殺す、ただそれだけだ」
突き放す様に言うと、ユリウスはセミリアの頭に手を置いた。
時を同じくして背後から聞こえてきた馬の足音が止む。
その正体を知る白十字軍の面々も、正体を知らずとも事情を把握している騎士団の三人も敢えて振り返ることはなかったが、傍に寄った人影は馬上からそのままの状態でするべき報告を口にした。
「陛下、馬は問題なく安全な位置まで離して繋いであります。セラムさん達は無事優勢に持ち込んでいるようですね」
視線を彷徨わせながらそう言ったのは一人別の役割を果たすべく戦場を離れていたアッシュ・ジェインだ。
「ご苦労、そのままお前もここに残れ」
「承知しました。ですが、なぜ彼らがここに?」
クロンヴァールの指示に了解の返答をすると、ジェインはちらりと騎士団の男達を見る。
外見から素性を察してはいたが、大魔王を前に肩を並べている理由はどうにも想像し難いものがあった。
「帝国騎士団の残党共だ。魔王軍を打ち倒す目的が共通している間のみ休戦することがたった今決まった」
「……なるほど」
自身の部下が意義異論を唱えることはないことを知っているクロンヴァールは最低限の説明だけを口にする。
ジェインは短く答え、様々な憶測を働かせながら密かにブラックを一瞥した。そしてブラックもまた、人知れずジェインを視界に捕えていた。
「作戦は先程と同じだ。魔法攻撃で奴の動きを制限し、残りで直接攻撃に出る。傷を負わせる術を持った今だからこそ突破口が見えるはずだ」
「じゃ、突っ込む役はアタシとクルイードと兄貴ってことでいいな」
「私も行く。クリストフとそっちの小僧がいればこちらは十分だろう。そろそろ魔法力の消費を避けたいということもあるが、いい加減ジッとしているのは性に合わん。一人や二人の犠牲は厭わない、そのつもりでいろっ」
アネットに返された言葉は最終的に全員へと向けられた意志表明へと変わる。
そしてクロンヴァールは誰の反応を待つこともなく、真っ先に大魔王へと突進するべく駆け出していた。
反射的にアネットがその後に続き、一瞬遅れてセミリアとユリウスも二人の背を追う。
立ち上がってはいるものの大魔王は未だ虚ろな目を地面に向け、ぶつぶつと何かを呟いているままの状態でいたが、向かい来る複数の影が唐突にその表情に殺気を取り戻させた。
見開かれた目が四人を捕える。
同時に全身には溢れんばかりの魔力が満ちていった。
瞬く間に距離が詰まっていく中、大魔王は迎撃態勢を取る。
今にも放たれようとする魔法攻撃を阻止したのは、人数を増したことで多様化した後方からの攻撃だった。
正面からクリストフの爆砲が、真上からはキアラの雷撃が大魔王へと降り注ぐ。
多くの前例に漏れず二つの攻撃は黒い霧に飲み込まれて消え去ったが、その瞬間には幾多もの魔法弾が両者の視界を埋め尽くしていた。
ブラックの右腕から次々と撃ち出される魔法力の塊は突撃する四人の間を通過し、大魔王へと襲い掛かる。
その無数の攻撃もまた本体に届くことなく掻き消されていくが、元よりダメージを与える目的をもったものではない。
カオスフィールドを発動させることで他の暗黒魔法を使えなくするという狙い。
そして一時的に視界を塞ぐことでクロンヴァール達への攻撃を妨害しようという狙い。
その二点を除いて他にはなく、目論見通り一連の魔法攻撃が与えた僅かな時間は四人が距離を詰めるには十分なものだった。
ブラックの攻撃が止まると、ほとんど同時に四人が剣や刀による一斉攻撃を仕掛ける。
射程内に入るとそれぞれが違った角度と位置から斬り掛かり、突きを放ち、斬撃波を見舞っていった。
大魔王はやはりカオスフィールドによってそれらを防ぎ、合間を縫って反撃に打って出てはいたもののユリウスの存在が全てを想定の外へと追いやっていく。
絶えず位置を変える四つの攻撃のうち三本の剣が黒い霧に阻まれ、その度に両腕から放たれる魔法を回避し、そしてその隙に一本の剣が大きな体を切り裂いていくという攻防を四度、五度と繰り返した。
ユリウス一人に警戒心を注いでいた大魔王は致命傷こそ避けていたが、肩口と左腕、そして右の脇腹に大きな傷を刻まれている。
最後に剣先が胸元をかすめたところで一旦距離を置いた四人の目の前でよろめく大魔王は傷口を押さえ、力無く数歩後退したのち再び膝を突いた。
冷徹な顔色や殺意の籠もった目は見る影もなく、苦痛に歪む表情は見るからに余裕を失っている。
「下がっていろアイミス。お前達も手を出すな」
血を流す大魔王を前に初めて有効な攻撃手段を手に入れたことを確信するクロンヴァールやアネット、セミリアはすぐに次の行動に備えて息を整えている。
そんな中、常にセミリアの動きだけを意識し続けてしていたユリウスが今にも二度目の突撃へ打って出ようとする三人を手で制した。
揃って言葉の意図が理解出来ず、三人はちらりと声の主へと視線を向ける。
しかしユリウスはそれ以上何も言わず、気が逸れた僅かな間で既に地面を蹴っていた。
「兄上っ」
背後でセミリアの焦った声が聞こえる。
それでもユリウスは脇目も振らず真っ直ぐに大魔王へと向かっていた。
ここが止めを刺すべき局面であると判断し、動きの鈍った大魔王に対してこれ以上の陽動は必要ないと考え単身での突撃を選んだのだ。
すぐにユリウスに気付いた大魔王は膝を突き、片手で胸元の傷を抑えたまま空いた手を向ける。
そこから放出された魔力は傷を負った姿とは裏腹に決して微弱なものではなかったが、妹の敵を始末すること意外の戦う理由と生きる意味を捨てた男は同様に防衛本能をもその自我から消し去っていた。
ユリウスは左腕を翳し、攻撃を受け止めると速度を上げて大魔王へと迫る。
致命傷さえ避けられればそれでいい。そんな意図を持った行動は虚を突き、次なる対処を遅らせていた。
真っ直ぐに突き出した青い闘気に包まれている細身の剣が大きな体の中心を通過する。
大魔王を攻める上での大前提であったはずの黒い霧は発動していない。
ユリウス本人にも、後ろで見守るセミリアも、人知れずユリウスごと大魔王を仕留めることも考えているクロンヴァールも他の者達も等しく絶対無敵の暗黒魔術の一つであるカオスフィールドの発動が本体の生命力や状態に大きく左右されることを知らない。それでいて明らかに変わった挙動に気付かぬはずがなかった。
一瞬の制止ののち、ユリウスが腹部を貫通した剣を乱暴に抜き去ると大魔王は喀血しよろよろと力無く後退る。
このまま首を刎ねてくれる、と。
鉄仮面越しに大魔王を睨み付け剣を両手に持ち替えるユリウスだったが、背後からの声がその動きを止めた。
「兄上っ」
視界の端に駆け寄ってくるセミリアが映る。
気を取られた僅かな間は大魔王に殺気を取り戻させ、血走った目と充満していく魔力の矛先がユリウスへと向けられたが躊躇なく差し違えるつもりでいたユリウスはセミリアを巻き込まぬために飛び退き距離を置こうとしたことが幸いし弾け飛んだ地面の中心から脱していた。
二人の間に土と砂埃が舞う。
ユリウスは自身の判断を後悔し舌打ちと共にすぐに足を止めたが、大魔王は苦悶の表情を浮かべているだけで追撃に出る様子はない。
魔力を放った腕はそのまま腹部に当てられ、見るからに胴体を貫かれた状態で振り絞った力の反動に襲われていた。
「フレデリック、離れていろ!」
近付いてくる妹、そして目の前で再び動きを止めた敵。
どちらを優先させるべきかという決断を下し剣を構えた時、背後から大きな声が聞こえる。
それがクリストフによるものであることを把握する時間はさほど必要としなかったものの、続けて聞こえてきた詠唱の言葉が振り返るよりも先に異様なまでの禍々しさを放つ魔力の正体を告げていた。
「大爆殺!」
ユリウスは咄嗟に構えを解き、セミリアの方へと急いだ。
確実に巻き添えになる距離であることに気付かぬはずもなく、自身の命に執着はなくとも妹だけは守ってやらなければと大魔王に背を向けることも厭わず駆け出していた。
振り返ると同時にすぐ傍を黒い斬撃波が通過していく。
通常のそれとは大きく性質が異なる黒く、太く、そして強暴な魔力と闘気の融合体が螺旋を描くように渦巻きながら勢いよく大魔王へと向かっていった。
「みんな離れてっ!」
ユリウスとブラック以外では唯一その技の威力を知っているキアラの声が遅れて響く。
セミリアの元へ急ぐユリウス、兄に駆け寄ろうとするセミリア、そして何が起きようとしているのかも分からず咄嗟に身構えることしか出来ないアネットやクロンヴァール。
一人を除きそれぞれが黒い螺旋状の斬撃波を目で追っている。
クリストフの一撃必殺は全ての前例を打ち破り、膝を突いたまま両腕を交差させることで防御しようとする大魔王へとまともに直撃した。
刹那。
大きな爆発が全てを視界から消し去っていく。
かつて要塞を半壊させた大爆発は大魔王を炎で包み、それによって生まれた爆風が距離の近いクリストフやセミリアのみならずアネットやクロンヴァールまでをも吹き飛ばしていた。
砂埃と黒い煙が舞う中、四人は何も見えない状態で地面を転がる。
武器を手放してしまわないように精一杯力を込めながら、凄まじい風圧に抗うことが出来ずに体の動きが止まる時を待つ。
爆風が収まったのは随分と元居た位置から流されたのちのことだった。
それぞれが痛む体を押さえながら立ち上がる中、セミリアはすぐにユリウスに駆け寄る。傍にはアネットやクロンヴァールの姿も見えていた。
「あ、兄上……大丈夫なのか」
「問題ない。お前は自分の心配をしていろ」
短く答えると、ユリウスは大魔王の攻撃を受け焼ける様に痛む腕を自らの体で隠す。
それでも心配そうな表情を崩さないセミリアだったが、その横で立ち上がったアネットが不満を漏らしたことで図らずも関心が逸れていた。
「いてて……あの野郎、無茶苦茶しやがって。おい兄貴、頭おかしいんじゃねえのかおめえんとこの大将はよ」
「奴がまともな頭であればこの国もさぞ平和な時代を築いていたことだろうな」
「そりゃ言い得て妙だがよ……」
「あの食わせ物め、あわよくば私達ごと葬るつもりでいたか」
さらにその横で腕を押さえながら立ち上がっていたクロンヴァールは大魔王の居た位置を見ながらも忌々しげだ。
それは独白に近い言葉であったが、ユリウスはダメージなど感じさせない淡々とした態度で同じ方向を見つめながら皮肉を返す。
「何か問題があるのか? 命が惜しければお前も後ろで見ていろ」
「私を虚仮にするなよ三下が。同じ立場であれば私とて同じことをしていたというだけの話だ」
「お前にあれだけの威力を持つ技を操れるとでも?」
「賊風情に遅れを取る私ではない。見ろ、奴の姿を」
クロンヴァールは剣の先を大魔王へと向ける。その先にあるのは無惨な敵の姿だ。
自慢のマントや王冠は消えてなくなり、全身から煙を立ち上らせた状態でゆらゆらと上半身を揺らしている。
直立を維持してはいるものの、それが精一杯であることが見た目に分かる致命的なダメージを負っていることは明らかだと言える姿だった。
「クリストフの能力であれだけのダメージを負っているのだ、カオスフィールドは発動していなかったとみて間違いないだろう。弱れば発動しないのか、何か条件があるのか、いずれにしてもここが勝機であるということ」
「確かにそうかもしれねえが……どうにも妙だぜ」
アネットは一人怪訝そうに顔を顰める。
予てより抱いていた腑に落ちない気持ちをここにきてようやく口にしていた。
「何を以て妙だという」
「以前説明した通り、アタシ達の時もカオスフィールドは封じた。だが、ここまで脆くはなかったはずだ」
「フン、大昔の負けの言い訳ならば一人でやっていろ」
「負けてねえっつーの。このままそう簡単にカタが付くとは思えねえってことだよ」
「油断大敵、情け容赦は不要、そう言いたいのか? そんな言葉は新兵にでもくれてやれ」
挑発的に言うと、クロンヴァール体の前で剣をぐるりと回した。
その軌道に光り輝く魔法陣が浮き上がっていく。
クリストフの【大爆殺】と変わらぬ威力を持つ最強最大の必殺技【穿戟覇王陣】を放つための魔法陣だ。
「奴に引導を渡せば全てが終わる! この戦はここで終わるのだ!」
完成した円形の魔法陣は徐々に光り輝き始める。
しかしクロンヴァールが突きの姿勢を取った時、アネットの声がそれを制していた。
「待て赤髪の王!」
「くどい! 貴様がどのような不安要素を上げようとも奴を殺さぬ理由にはならぬわ」
「そうじゃねえ! おかしな気配を感じる、何かがここに現れようとしてやがるぞ」
「なんだと!?」
クロンヴァールの動きが止まる。
アネットの制止そのものではなく、問い質すよりも先に現実として目の前に訪れた異変がそうさせていた。
大魔王を捕えていた視界が突如として大量の何かに覆われていく。
その正体が黒い蝶であることに気付いた時、二つの人影がどこからともなく現れていた。
まるで無数の蝶の中から湧いて出たかの様に姿を見せたのは二人の魔族だ。
緑色の髪をした年端かもいかない少女。
そして水色の髪の妙齢の女がそれぞれ大魔王の前に立ちはだかるようにクロンヴァール達とその後ろにいるキアラやクリストフ、ジェインにブラックを見ている。
そして次の瞬間。
現れた魔族の一人、若く幼い外見の少女が発した大きな声が辺り一帯に響き渡った。