【第九章】 歴史が変わる日
装備を調え、軍馬を借りるとセミリアとアネットはすぐに城門に向かった。
馬に跨り広い中庭を横切った先に見えてきた城門には既に六人の姿がある。
馬上で自分達に視線を向けているのはクロンヴァール、セラム、ジェイン、ユメール、そしてキアラにサミュエルだ。
待たせてしまい申し訳ない。
駆け寄っていくなりそう口にしようとしたセミリアの言葉は声になる前に別の声によって掻き消されてしまう。
その主はどこか子供っぽい拗ねた表情をしているユメールだ。
「やい聖剣に乳お化け、遅いぞですっ。いつまで待たせやがりますか」
「すまない、出来る限り急いだつもりだったのだが……」
「クリス、もういい」
二人の声を更に上からクロンヴァールが遮った。
言い合いをしている時間がそもそも無駄だと、目と口調で告げている。
ユメールは唇を尖らせながらも言葉を飲み込み、セミリアもそれを察してそれ以上何も言わないことを選んだ。
そして改めてクロンヴァールは全体を見渡すと、険しい表情を変えずに言った。
「ここにいる八人でセコへと向かう。高確率で大魔王と戦闘になるか、誘導だった場合にすぐにその別の目的を阻止するべく動かねばならん。各々勝手な行動を慎み、迅速に指示に従え。何か報告や確認が無ければすぐに出るが……」
と、クロンヴァールが番兵に視線で開門を促した時、アネットが待ったを掛けた。
ごそごそとポケットから何かを取り出し、全員に見えるように手のひらに乗せそれを差し出している。
「うちの相棒から託されたもんがある。どうするかはおめえら次第だがな」
六人の視線が一斉にその一点に向けられる。
手に乗った見覚えのない銀色の紙の正体が分かる者は誰一人としていない。
博識なセラムやジェインですら、分からないなりの推測を働かせることすら出来ていなかった。
「これは一体なんなのでしょう、二代目の勇者さん」
皆が抱く疑問を口にしたのはジェインだ。
「薬だ。相棒の持っていた物で、アタシ達にしてみりゃちょいと特殊なブツだがな」
「薬、ですか。その銀色の紙がという意味ならば、とてもそうは見えませんが」
説明されてなお意味が分からず、ジェインは怪訝そうにそれを見ている。
「紙じゃねえ、中に入ってる白い豆みたいなのがそうだ。名前は目眩薬っつってたかな」
「めまい薬?」
「おめえらも体調不良やら二日酔いやらで目眩を覚えることぐらいあんだろう。簡単に言えばそれを軽減させるっつー効果があるってことだ」
「はっ、それではまるで我々の中に体調が万全ではない者がいると言っているように聞こえるぞ」
そう言ったクロンヴァールの目は鋭い。
仮にそうであったとしても、今この状況でそれを何かの言い訳にする者などいるはずがない。ならば、事実かどうかなど無関係に敢えて口にして余計な心配な種を増やすなと、そういう意味が込められていた。
「そうじゃねえよ。赤髪の王、【天変地異】って、覚えてるか?」
「森の中で大魔王が使った大地を揺らす暗黒魔術だろう、忘れるはずがない」
「そうだ。その暗黒魔術について、相棒はとある引っ掛かりを覚えたらしくてな」
「引っ掛かりだと?」
クロンヴァールはどこか気に食わなさそうに顔を顰めた。
ワンダーから聞いた康平からの報告にはどこにもそんな話はなかったからだ。
「そうだ。アタシを含め、誰しもが大地を揺らす能力だと思い込んでいた魔術だが、相棒が言うにはそうじゃねえ可能性があるんだとよ」
「具体的にどう違うのだ」
「あの技を食らっている最中、相棒の頭に鳥が落ちてきたらしい。気を失った鳥がな。もしも大地を揺らしているのだとすれば、それはおかしいってことに気が付いたんだそうだ。もしかしたら、脳や耳に異常を起こさせる能力なんじゃねえかってな」
「なるほど、理屈は分からないでもない……が、脳はともかく耳がどう関係する」
「なんでも、人間誰しも耳の奥にゃサンハンキカン? だとかジセキキっつーもんがあるらしい。でだ、本来目眩っつーのはそこが正常じゃなくなった時に起こるものだって話だ。要は視界がふらついたり、平衡感覚を失ったりつー症状だな。正直アタシ自身話を聞いた今になっても何が何やらサッパリ分からねえが、どうあれこの薬はそういう症状を軽減することが出来るんだとよ。もしもその仮説通りだった場合に少しは役に立つかもしれねえってんでアタシ達が託されたってわけだ」
「確かにその説明だけでは意味不明な部分が多い。が、言いたいことは理解した。しかし、なぜワンダーにそれを報告させずお前達だけに託す必要がある」
「相棒が言うには、どんな説明をされたってアタシ達にとっちゃ得体の知れない物に違いはねえだろうって理由なんだとよ。そんなもんを飲み込むことを強要されても誰もが受け入れられるわけじゃねえってな。だから無条件で信用してくれるアタシやクルイードに先に話をしたってわけだ。当然アタシ達はすでに飲んでる。加えて言えば例えその仮説が外れていたとしても飲んで体に害があるものじゃねえってことだ。ま、それを聞いてどうするかはお前さん達次第だがな」
アネットは銀紙を破り、中から白い粒を取り出すと改めてそれを差し出した。
普段の余裕ぶった態度はそこにはない。
アネットにとって、大魔王という存在に対してだけは冗談交じりの言葉を並べ何気ない装いをすることは出来なかった。
僅かな沈黙の間、僅かな黙考ののちにクロンヴァールは忌々しげに舌打ちを一つ返す。
「ちっ、さっさと寄越せ。そんなものに臆している場合ではないわ」
そして、アネットの手から一つを引ったくると、躊躇無く口に放り込んだ。
その姿を見た他の者達も次々にそれに倣う。
セラムとユメール、ジェインの三人は主の意志に沿うために、キアラは康平を信用出来る相手だと思うがゆえに、少しでも好材料となる可能性があるならば躊躇う理由はどこにもなかった。
唯一サミュエルだけが気に食わないと思う心の内が顔に表れていたが、実際にその魔術を味わっている一人だけあって必要ないとは言えず、その白い粒が別の世界の物であることに薄々気付いたことで後で康平をブン殴ってやろうと決意しながら他の者達に続いて渋々それを飲み込んだ。
「他に何かある者はいるか。なければすぐに出発する」
それぞれが白い粒を胃の中に収めると、クロンヴァールは改めて全体を見渡した。
特に口に挟む者はおらず、誰もが早急にセコに向かうべきであるという共通認識から沈黙を返答とする中でただ一人その空気が分かっていない者がいた。
ダニエル・ハイクが側近一空気が読める男だと呼ばれているならば、恐らくは側近一空気の読めない女、その名もクリスティア・ユメールである。
「お姉様、クリスも一つ聞きたいです」
「なんだ?」
「ダンとアレクサンダーを城に残すというのは分かるですが、敢えてAJを連れて行く必要はないのでは? です」
ジェインは本来戦闘要員ではない。
大魔王と対峙する可能性がある場になぜ戦闘力ではハイクに及ばないはずのジェインを同行させるのかと、ユメールは予てより疑問に思っていた。
「酷いなぁユメール。ハイクほどかどうかは何とも言えないけどボクだって決して弱くはないし、戦う以外の役に立てる者が必要だと思っているからこそ陛下はご指名くださったんじゃないか。それから、毎度のことながらアルバートさんだからね。いい加減言わして貰うけど最近どんどん遠ざかっていってるよ」
名指しされたジェインは諭すような、それでいて最終的には呆れたような口調で横から割って入る。
なぜかその説明や指摘の全てを胡散臭いと感じるばかりのユメールだったが、クロンヴァールに同じことを言われれば納得する以外の選択肢はない。
その口から語られたのは誰もが納得のいく理由であった。
「それもあるが、諜報員のAJだからこそ出来ることもある。緊急の時、万が一にも全滅するわけにはいかない場合に逃げ延びる能力や生き延びる能力、敵に捕まらない能力は人よりも長けている。それは何かを託さなければならない時に必要な力だ」
「なるほど、です。それで鳥籠を持っているですか」
「そういうこと。勿論ボクだって陛下の矛になり盾になることが一番の仕事だと思っているけどね」
「盾になるのはクリスだけで十分です、お前は矛役だけやっていればいいです。いや、盾どころか密着度を考えれば衣服になってもいいというか、なれるものなら体の一部にだって……」
「最終的に全然関係ない話になってるよユメール……」
「姫様、話が終わったなら発つぞ。馬鹿者共の話に付き合っておる時間はない」
ブツブツと独り言を始めるユメールと呆れるジェイン。そんな場違いな言動を見せる二人にとうとう見かねたセラムが口を挟む。
いつだって真剣な話の腰を折り、緊迫した雰囲気を壊すのはユメールとハイクやジェインの不毛な言い争いであり馬鹿馬鹿しいやりとりなのだ。
シルクレア上層部でそれを叱責出来るのはクロンヴァールを除くとセラムしかいない。
恥を晒し主の顔に泥を塗ることを嫌うがゆえの発言であることに違いはないが、この場においてはもう一つ理由がある。
アネットの話が始まる前から一人沈痛な面持ちでいるキアラに気付いていないはずがなかった。
そして、それはクロンヴァールも同じだ。
分かっている。と一言返すと、すぐに二人の会話を掻き消す大きな声で出立の指示を出した。
「それでは出発する。セコまでの経路は頭に入れてあるが、念のため雷鳴一閃に先導してもらう。出来る限り急ぐ、それは大前提だが道中で敵との遭遇や何かを仕掛けてこられる可能性を全員が頭に入れておけ」
全体を見渡していた視線は最終的に一人の人物に落ち着いている。
その先に居るキアラはクロンヴァールと目を合わせたまま、小さく頷いた。
同時に、全ての馬が城門の方向へと向きを変える。
そして。
「行くぞっ」
その合図をきっかけに八人の戦士達は一斉に駆け出し、城から遠ざかっていった。
○
八頭の馬が草原を駆けていく。
キアラが先頭を走り、その後ろにクロンヴァールとアネットが、更にその後ろにユメールとジェインが走り、最後尾にセラムとセミリアにサミュエルがいる、そういう配置だ。
城門を出てしばらく、見る見るうちに速度は増している。
その原因は先導するキアラにあるが、本人はそれを自覚してはない。すでに頭には出発前のクロンヴァールの言葉など残っていなかった。
逸る気持ち、冷静さを欠く様子は誰もが感じ取っているが、敢えて指摘する者はいない。
クロンヴァールはそれを見越して何かあった場合に瞬時に残る六人に指示を出せるよう自分がすぐ後ろを走り、瞬発力のあるセミリアやサミュエルに加え数的不利を魔法攻撃で補うことが出来るセラムを最後尾に置いた。
町一つが危機的状況にある今、国を背負い部隊を統率する立場にあるキアラが焦るのは無理がないことだと汲み取ってはいても、それを理由に他の要素へ目を向けることなく味方に危険を及ぼす行動に気付かずにいるならばそれはまだまだ若く、まだまだ甘い。それがクロンヴァールの考えだった。
この配置の意味。
それはもしもキアラが指示を無視して暴走した結果によって何らかの危機的状況に陥った場合、迷わず切り捨てて他の者だけで対処するつもりであるということだ。
その隠された意図を察しているのは腹心のセラムを除けばジェインとアネットしかいない。
万が一の時に三人の勇者がすんなりとその方針に従うとも思えず、それが不安材料ではあるものの先んじて意志を確認出来る状況でもないためクロンヴァールは一人様々な想定を重ねながら隣を走るアネットと話を続けている。
その中身はワンダーから聞いた康平の話に相違点や他に聞いていない部分が無いかどうか、それらの確認だ。
「アタシが聞いたのも全く同じ話だな。だが、その逃がしてくれた奴ってのは一体誰なんだ?」
大凡の話が終わると、アネットは逆に質問を返した。
クロンヴァールは視線を前方へ向けたまま、定かではないその疑問の答えに対する自身の見解だけを口にする。
「さあな。本当に見覚えのある者ではなかったのか敢えて伏せたのか、正直に言えばそれすらも読めていない。あれこれと先を見通し、先手を打とうとするあいつの考えは私にも図りかねる部分がある」
「はっ、そりゃあの頭脳を認めてやってるって発言に聞こえるぜ?」
「頭脳一つならばそれなりには認めているつもりだ。だが、いかんせん甘い考えが過ぎる」
「それに関しちゃ否定の言葉もねえよ。あいつにとっちゃ歴史がどうだの正義が何だのは関係ねえんだ。仲間が第一、そして争いがあることを嫌う。敵だろうが自分を殺そうとしていた奴だろうが助けれるなら誰だって助けようとする、人のことばかり考えて自分の事はどこまでも後回し、そんな奴さ。アタシから見てもお人好し過ぎていつか痛い目みるぜって言いたくなることもあるが、そんな奴だから色んなもんを変えてきた。それはお前さんもよく分かってんだろう」
「どうだかな。阿呆なのか聡明なのかの判断が難しい奴だとは思っているが、少なくともお前と同じで扱いが難しそうな奴であることは間違いない」
「違えねえや。だから悪いことは言わねえ、連れ帰るのは諦めるんだな」
「私は自分が追い求めた物は必ず手に入れる主義だ。力も人も……世界の在り方も。それを妨げようとする者は誰であろうと叩き潰す。それだけだ」
「そりゃおっかねえことで」
呆れたように鼻で笑うアネットの反応を最後に会話は途切れる。
しばし無言のまま、それぞれがそれぞれの思いを胸に半分を過ぎた目的地セコへの道のりを進んでいった。
○
その光景は、もはや到着を待つまでもなく誰の目にも明らかとなっていた。
大きな川に架かる橋を渡った先に見えてくるはずの大都市の姿はどこにも見当たらない。
にわかに信じがたい『都市が消滅した』という報告。
それが紛れもない事実であると、否応なく理解させられ全ての者が目を疑うことしか出来ずにいる。
やがて都市があったはずの地点に到着し、全てに於いて否定するための材料を失ってなおこれが現実に起きたことなのかと、言葉を失うしかなかった。
何も無い。
言葉にするならば、そう表現する以外に目に映るものを伝える術はない。
都市を囲む高く強固な城壁も、家屋の数々も、そこに暮らしていた人々の姿も、何一つとして残っておらず広範囲に渡る黒く焦げ付いた様な地面と僅かな木片や砕けた石などの残骸が散らばっているだけだ。
城壁に覆われた大都市が丸々消えて無くなる。
そんな非現実が何らかの爆破という方法によって引き起こされたことは疑う余地もないと言えた。
あまりにも残酷なその光景を前に八頭の馬は動きを止め、八人はようやく地面に降り立つ。
いつ襲ってくるかも分からない敵の存在に神経を集中しながらも、誰もがその悲惨な有様から目を逸らすことが出来ず言葉を発することなく立ち尽くすことしか出来ない。
寡黙で強靱な精神力を持つセラムも、他人に感心の無いサミュエルすらもそれは同じだった。
ただ一人キアラだけが直立を維持できずに膝から崩れ落ち、焦点の合っていない目で正面を見つめたまま呟くような声を上げていた。
「どうして……こんなことが」
静かな空間に、震える声が静かに響く。
声のみならず四肢も震え、その顔は絶望に満ちていた。
「立て雷鳴一閃……それが出来ぬならば、ここから去れ」
慌てて駆け寄ったセミリアに体を支えられるキアラに対し、動揺の感じられない声色で厳しい言葉を投げ掛けたのはクロンヴァールだ。
「何かを守るための戦いとはどの時代においてもこういうものだ。失ったもの、守りきれなかったものにいつだって後悔し無力な己に失望する。だがそれでも、痛みや苦しみを乗り越え倒れた仲間の魂を背負って前に進むことが、残っているものがそうならぬように戦い続けることが私達が自らに課した使命のはずだ。それが分からぬならば立ち去れ。意志無き者は邪魔だ、この戦場にそのような者の居場所など無い」
叱責とも鼓舞とも取れる厳しい言葉は、多くの者の胸に響く。
クロンヴァールが発したものであるからこそ心に届いた者、純粋に共感する気持ちを抱いた者。
理由は違えど、それぞれが過去の苦しく辛い戦いの記憶を掘り起こし、今一度己が戦う理由を思い起こさせられた。
そして、それはキアラも例外ではない。
「去ることなど出来るわけがない……こんなことを許せるわけが、ない」
セミリアの手をそっと押し返し、キアラは自分の力で立ち上がった。
数え切れない程の犠牲を出しながら戦いを続けることの意味を、何を求めて戦っているのかを考えると、今ここで目の前の現実から目を逸らし嘆くばかりでいることで得るものなどないはずだと、数々の誓いが頭に蘇り熱き使命感を取り戻し始める。
「それでいい。ここで食い止めねばじきにこの国全てが、いずれは全世界がこうなる。それをさせぬために我々がここに居るということを忘れるな」
そう言って、クロンヴァールは周囲を見回した。
町が消え、辺り一帯が広大な荒野と化したことで見通しの利く視界のどこを取っても敵の姿は見当たらない。
「お姉様、どうするですか?」
それを不審に思うのは他の者も同じであると我先に示したのはユメールだ。その手には既に戦闘態勢の証である指抜きのグローブが填められている。
「隠れているのか、他の場所に向かったか……いずれにしてものんびりしている暇はない。二手に分かれて付近を捜索し、姿を現わさなければすぐに王都に戻る。AJ、その旨をすぐに本城へ知らせろ」
「了解しました」
「割り振りは……」
ジェインから再び全体に体の向きを変えた時、不意にクロンヴァールの言葉が途切れる。
それが合図であったかのように、ほとんど同時に全員が武器を抜いていた。
「どうやら、必要無いらしい」
その言葉が何を意味するのか、その説明を必要とする者など居らず。すぐにアネットが反応を示すと、死角を作らないために自然と別々の方向へ体を向けている他の面々も口々に続いた。
「ああ、敵さんもガチでお出ましだぜ。問題はこの山ほどの気配の中に大魔王の野郎が含まれているかってことだが」
「しかしアネット様、これでは数が多過ぎる。大魔王まで同時に相手に出来る状態となるかどうか……」
「聖剣の言う通りです。一体どうなってやがりますか、百や二百じゃ利かない数じゃねーかですっ」
「フン、雑魚ばっかり百や二百集めたからってなんだっての。一匹残らず殺せばいいだけの話じゃない」
「やい無い乳。お前馬鹿だろ、です。お姉様やおっさんはまだしも魔法も使えないクリス達にはどう考えても無理があるですっ」
「誰が無い乳よ! アンタも大差無いくせに、舐めたこと言ってたらアンタからブッ殺すわよ!」
「言ってる場合か二人とも! サミュエルも時と場合を考えないか」
「出た出た、馬鹿の一つ覚えが」
「ちょっとばかり大きいからって上から目線でやがりますか。言っておくですが、お前なんぞお姉様に比べたら……」
「なんの話だそれはっ!」
徐々に強くなっていく気配を前に、どうにも協調性に欠ける二人が好き勝手な発言をするばかりとなっていたが一人声を荒げるセミリアには御しきれはしない。
しかしその直後、頭にセラムの拳が落ちたことでユメールが悶絶し僅かな静寂が生まれた。
今ばかりは適度に口を挟む気になれず、ひたすらこの後に向けた戦法を思案していたクロンヴァールはそこでようやく割って入る。
その真剣な雰囲気や表情にサミュエルの挑発やユメールの憤怒は声になる前に消えていた。
「ひとまずは固まったままでいろ。馬を失えば面倒だ、敵が姿を現わし次第跨れるように準備しておけ。この数相手では私とロス、雷鳴一閃で対処せねばなるまい。三組に分かれるかたちで敵を分散させるのが最善手だろう。他の者は状況に応じて動け、大魔王がいた場合は嫌でもお前達が相手をせざるを得ないからな」
すぐにユメールやジェイン、キアラ、セミリアから了承の声が上がる。
王の意志に従うことを示すための言葉など今更不要だと沈黙を貫くセラム、純粋に指図されることが気に食わないサミュエルは何も言わなかったが、同じく無言のままでいながらもアネットだけは別のことを考えていた。
確かに感じる数多くの魔物の気配。
しかし、これだけの気配を感じるにも関わらずどこにも姿が見えず、それでいて一つ一つの気配はうっすらとしている。
気を察知することに長けているアネットが大魔王の存在の有無を断定出来ないことも含め、その理由として思い浮かぶのは過去の経験からも一つだけだった。
「転送魔法……だな」
その答えに行き着いたアネットは誰にともなく呟いた。
国柄魔法に関する知識が少ないキアラは横から聞こえたそんな言葉をそのまま繰り返す。
「転送魔法、ですか」
「ああ。正確な数もいまいちはっきりしねえ、大魔王が混ざってるのかどうかもよく分からねえ、どこか曖昧な気配からしてそう考えるのが自然だ。そもそも、これだけの気配があってどこにも姿がねえって時点で間違いないと見ていい。恐らくは町を吹き飛ばした時にでも仕込んだんだろうよ」
「気配一つからそこまでお解りになるのですか」
「気配云々よりは経験則と言った方が近いがな。そう言ってる間にもそこら中から魔力が発生し始めてるって話だが……来るぞ!」
大きな声と同時に、誰もが異変に気付くレベルの魔法力が辺り一帯に充満していく。
指摘されるまでもなく八人全てが馬を傍らに戦闘態勢を取っていた。
次の瞬間には四方八方に光り輝く大きな魔法陣がはっきりと地面に出現し、まるで落雷でも起きたかのような閃光が無数の魔法陣へと立て続けに降り注いだ。
バシュッ、バシュッと、激しい音を立てる効力の発動の合図となる閃光は見る見るうちに魔法陣の輝きを増長させていく。
キアラの正面に見える魔法陣の一つから魔物が姿を現わしたのはその直後のことだった。
サーベルを持ち翼の生えた人型の獣のような魔物だ。
キアラはすぐに攻撃を仕掛けようとしたが、雷神の槍を構えたところでその動きが止まる。
その隣に、そのまた隣にと次々に別の魔物が現れていたからだ。
それは正面のみならず、残る全ての魔法陣から湧水の如く数を増していく魔物の群れはやがて八人の視界を埋め尽くしていく。
魔法陣が消失するまでの決して長くはない時間で起きた想定外の事態に八人は戦闘態勢を維持したまま下手に動くこともクロンヴァールの指示通り分散することも出来ず、ただ目の前を見たままどう対処するべきかだけを考えていた。
それもそのはず。
四方八方の全てを埋め尽くすあらゆる種族の魔物の数は百や二百という当初の想定とは大きく違い、優に千を超えていた。