【第八章】 動き出した影
王都の戦いから二日が経った。
無事帝国騎士団の襲撃を退け、本城及び城下を守りきった白十字軍の兵士達は一息つく暇もなく城内、城外の両方を頻繁に行き来している。
すでに緊急警戒措置は解かれ城下の町は平素の様子を取り戻しつつあるものの、明らかに普段より数を増している兵士の姿がどこか物騒な雰囲気を感じさせていた。
七つの主要都市全てに部隊を送り、その作戦によって戦力が分散するタイミングを狙われた王都襲撃。
兵数で圧倒している状況であるにも関わらず十分とは言えない兵力で無謀にも真正面から挑んでくるという敵の戦略は白十字軍にとってどうにも不可解なものに映った。
情報が漏れていることを承知で各都市に暮らす民を優先し、残る戦力で迎え撃つつもりでいただけに数の差を覆す術も持たずあっさりと敗走していく敵の姿に何か他の狙いがあるのかと疑ってかかるのは今現在になっても誰しもが当然だと考えている。
それもそのはず、帝国騎士団と魔王軍が袂を分かつことになった経緯を知る者は当事者以外には存在しないのだ。
王都、主要都市で捕らえた者を含めると過半数を戦闘不能状態に追いやっているが、仮に他の狙いがあったならばそれはどういったものなのか。
魔獣神の復活という目的がはっきりした中で到着の日以来これといった動きを見せない魔王軍は何を目論んでいるのか。
その両方を警戒しなければならない以上、気を休めることなく戦いの準備を進めなければならない。
それがクロンヴァール王の考えだった。
前日の会議では部隊の再編成に向けての話し合いが行われ、すぐに全軍が実行に移った。
各都市に向かった兵の多くが事後処理と防衛に当たるために本城へは戻っておらず、加えて王都の戦いでは少なからず負傷兵が出たこともあって本隊、分隊共に人数が変動してしまっているせいだ。
そしてこの日の昼、改めて今後の方針を話し合うことになっていたのだが、午前のうちに急遽時間が変更されクロンヴァールによって将に位置される者達に招集が掛かった。
理由はただ一つ。
敵に捕らわれ行方不明となっていた副将康平と連絡が取れたという知らせが届いたのだ。
いくつかの理由から多くの者が死んだか、そうでなくとも無事に戻ってくることはないと考えており、それゆえに居ないものとして話を進めていく中で同じグランフェルトから来た者を除けば唯一それを受け入れることが出来ずにどうにか連絡を取ろうと試みていたワンダーからもたらされた情報である。
ワンダーは康平の要望に応え第一にセミリアやアネットに知らせにいった。
その後すぐにキアラに康平の無事を伝えると、キアラの指示でクロンヴァール王やジェルタール王へと同じ報告をすることとなる。
そして諸々の話を聞いたクロンヴァールはすぐに将を集め、ワンダーから聞いた話を全員に伝えることにしたのだ。
「以上がワンダーからのコウヘイに関する報告だ。伝え忘れていることなどはないな?」
大方の説明が終わると、クロンヴァールは警告の意味を込めた鋭い目をワンダーへと向ける。
広い玉座の間に集まったのは十五名。
本来の二十三名から都市に残った王国護衛団の士官四名に現在牢に居るピーターソン、そして不在の康平と白十字軍を離れると宣言したため不参加を決めたセミリアとアネットが居ない状態だ。
ワンダーは怯えながらもどうにか肯定の返答をしたが、その表情や口振りに自分自身で不安に思っているであろうことは誰が見ても明らかだった。
それでもクロンヴァールは全体へと視線を戻す。
「コウヘイのもたらした情報によれば大魔王と魔王カルマが所在不明だということだ。魔王軍自体で統一された一つの意志や思想を共有しているわけではなく、例のコウヘイを逃がしたという幹部や他の魔王達ですらその二人が何をしようとしてるのかを把握していないらしい。魔獣神の復活は魔王カルマによって進められていたということだが、大魔王の指示があったとはいえ明らかに今現在のカルマは側近となる幹部達を集めて独自に行動しており、最終的な目的は推測の域を出ないものの森の中で襲撃してきた魔王は邪魔者と見なされ始末された。そんな話を聞かされたようだ。無論、敵がコウヘイを利用して私達を何らかの思考や行動へ誘導しようとしている可能性がある以上全てを事実だと決め付けることは出来ないが、そうでなければいつ何を仕掛けてくるか分からないということだ。昨夜の監視兵からの報告によればグリーナから出た騎士団員はいなさそうだという話だが、それを踏まえても騎士団はすぐに戦線に復帰出来る状態ではないと見るべきだろう。ただし、今朝になって何度ワンダーが試みてもその監視兵に定期報告をさせるための連絡が取れていない。そこが気掛かりではある」
付け加えられた長い説明に、それぞれが神妙な面持ちで納得したように頷いたり予想外の展開に顔を顰めたりと似たり寄ったりの反応を見せ、口々に疑問や率直な感想、見解を口にし始める。
コウヘイの無事を喜ぶ者がほとんど居ないことがワンダーやキアラといった一部の者に少々薄情なのではないかと不服を抱かせつつあったが、キアラがそれを指摘しようとするのをクロンヴァールの声が遮った。
「大魔王とカルマがすぐにでも襲撃してくる可能性があり帝国騎士団が弱体化しつつある今、何を優先させるべきかを考えればノーマンの言うグリーナの制圧に兵力を裂くのは避けるべきだろう。奴らを返り討ちにし、この王都、そして取り戻した各都市を守る、それが最優先だ」
帝国騎士団は半壊状態と化し、ゲルトラウト、ペレイラ、アリフレートといった幹部の半数が既に命を失った。加えてブラックは重傷を負っているとユメールからの報告もある。
魔王軍に関してもメゾアやマグマ、バジュラといった者達が戦いの中で命を落としている。
敵軍の戦力にも限りが出つつある今、事情はどうあれ敵の全ての作戦や襲撃を退けてきたという戦況を覆そうと思うならば王都や主要都市といった痛手の大きな部分を狙わざるを得ないはず。
だからこそ王都に戦力を多く残し、都市には将一人と兵二百を送ることで迎え撃つ態勢を整え、敵襲のあった場所に本隊から増援を送る。
それがクロンヴァールの考えであり決定であった。
「部隊の再編成が済み次第王都周辺に配置し、各都市にも兵を送る。すぐに準備に取り掛かれ」
アネットやセミリアが抜けたことで部隊長が一部変更になり、全ての方針が決定したところで改めて指示が下る。
ノーマン一人が明らかに舌打ちをしていたが敢えてクロンヴァールはそれを無視し、それぞれが了承の返答を返した。
ノーマンは帝国騎士団殲滅を後に回し、都市の防衛や対魔王軍への対策ばかりの決定が気に食わない。
大凡それを察しているからこそクロンヴァールは相手にせず、それどころか予めノーマンを部隊長から外すという対策を講じていた。
例え王国護衛団でそれが許されて来ようとも、何よりも迅速な連携と行動が求められるこの状況において独断でそれを乱し命令を無視する可能性がある者を前線で使う気など始めから皆目無いのだ。
「では最後に私の方から今朝までに届いた各都市からの報告を……なっ!?」
クロンヴァールの話が終わったことを受けてキアラが口を開いた時、どこか遠くから轟音が聞こえてくると同時に突如として城内全てが大きな揺れに見舞われた。
ゴゴゴゴゴゴゴと、直立を意地出来ない規模ではなかったが、足下が覚束なくなる程度の揺れに誰しもが敵の襲撃の可能性を思い浮かべ武器に手を掛ける。
シルクレアの面々の頭にはかつて味わった大魔王の暗黒魔術が真っ先に浮かんでいた。
しかし、脳裏を過ぎる最悪の事態に反して揺れは徐々に収まっていく。
「ちっ、一体何事だと言うのだ」
室内及び城全体が元の姿を取り戻すと同時に、クロンヴァールが忌まわしげにジェルタール王へと視線を向ける。
仮に敵襲でなかったならば事態を把握することが出来るはずもない。何かこの国ならではの事情でもあるのかと、視線でそれを問うた。
だがジェルタールは深刻な表情を崩すことなく小さく首を振るだけだ。
「私にも分からない……ですが、このバルトゥールが敵襲に遭っているならば知らせが届かないはずがありません。それにあの爆発音のようなものはもう少し遠くから聞こえてきたように感じました」
「コルト、すぐに周辺の町へコンタクトを。何か異常がないかを確認して」
ほとんど会話を遮るようにそう言ったのはキアラだ。
コルトはすぐに【不言の通信網】を発動させ近隣の町に居る通信兵への連絡を試みる。
その直後、一人のサントゥアリオ兵が慌ただしく玉座の間へ飛び込んできた。
全ての視線が集まる中、兵士は玉座の前に駆け寄るとジェルタール、クロンヴァールの両王へと大きな声で用件を告げる。
「両陛下へ報告! 城壁の監視兵より先程の爆発音はセコの方角からで間違いないとの報告。確認のため兵を送るべきか否かの指示を仰ぎたいとのことであります」
「すぐにこちらで部隊を向かわせる、引き続きの監視と報告を怠らないようにとだけ伝えろ。ワンダー、セコの通信兵に連絡を取れ」
クロンヴァールはジェルタールに目もくれず、早口で指示を出すなり兵士を下がらせた。
世に異例の王と呼ばれていたとしても、例え父の願いを受け入れ婚約者という関係を結んでいたとしても、クロンヴァールは一度としてジェルタールが王として、人の上に立つ者として、優れた才覚や相応の器を持っていると思ったことはない。
自分よりも有効かつ的確な指示を下す可能性が無い以上その時間は無駄でしかないと瞬時に判断していた。
名指しされたワンダーは慌てて言われた通りに能力の対象を変えるが、すぐにその表情は曇っていく。
「繋がりません……まさか」
「では付近にいる監視兵だ。手紙が届くまで待っている時間は無い」
「わ、分かりました」
ワンダーは再び目を閉じ、立てた指を額に当てて魔法力を放ち始める。
開かれた目でクロンヴァールを見ると同時にコクリと頷き、無事に繋がったということを言葉無く伝えた。
誰もが見守る中、脳内で会話が行われているはずのワンダーの顔が見る見るうちに絶望に満ちたものへと変わっていった。
「そんな……」
やがて発せられた小さな呟きに、クロンヴァールが苛立ち混じりに詰め寄った。
「どうした、何が起きたのかを報告しろ」
「…………」
ワンダーは答えることが出来ない。
ただ泣きそうな顔で言葉を失っているその体は小刻みに震えていた。
「コルト、どうしたの! すぐに説明をしなさい」
そんなキアラの声も届くことはなく、とうとう耐えかねたクロンヴァールはワンダーの胸ぐらを乱暴に掴んだ。
「いつまで黙っているつもりだ!」
怒声が室内に響く。
その大きな声にようやく我に返ったワンダーは目に涙を浮かべ、震える声で聞いたままを口にした。
「セコが……セコが…………消滅した、と」
「なんだと!?」「なんですって!?」
二人の声が重なる。
他の者も一様に耳を疑い、その言葉が何を意味するのかを考えたり顔を見合わせたりといった反応を見せていた。ジェルタール王に至ってはワンダーと同じく目を見開き、言葉を失っている。
次いでその口から語られたのはセコという町が丸ごと消えてなくなったという監視兵からの知らせと、それを実行したと見られる何者かの風貌だった。
敵の主力となる帝国騎士団の幹部衆や大魔王に魔王、魔王軍四天王の特徴は全ての国の兵に伝達されている。
ワンダーの口から語られたその何者かの風貌は、まさしく大魔王そのものだった。
「予定は変更だ。私達がセコに向かい、残る全ての戦力を王都に残す。ワンダーはすぐに他の都市に今の話を伝え、無事を確認しろ。いつ戻るのかは知らんが、ついでにコウヘイにも伝えておけ。それからダン、アルバート、ノーマンはここに残れ。全軍の指揮権をお前達とエレッド大臣に与える、敵が現れた場合は直ちに迎え撃ち、何かあった場合はすぐに知らせろ。ロス、クリス、AJ、雷鳴一閃、双剣乱舞はすぐに城門に向かえ。私が合流次第セコに出発する」
異論反論は認めない。
そう言わんばかりの口振りに名の上がった多くの者が二つ返事で了承し、セコに向かう戦士達は急いで広間を出て行った。
ノーマンはその決定自体に、サミュエルは偉そうに命令されたことに対して苛立ちを覚えている様子がはっきりと窺えたが今になってそれを気にする者は「お前達如きがお姉様に逆らうなんざ百万年早いぞですっ!」と言い掛けたところをハイクに殴られたユメールを除けば誰もいない。
「では私もすぐに向かう。ジェルタール王、これは最早この国の民のみならず世界の明日を賭けた戦いだ。動揺し、他者の判断を待つばかりでは何も守ることは出来んぞ」
やいやいと罵り合いを繰り広げる二人の側近を一瞥したのち、クロンヴァールはギロリとジェルタールを睨め付け辛辣に言い放つと返事を待たずに背を向け、そのまま部屋を出て行った。
○
謁見の間を後にしたクロンヴァールは一人広い廊下を歩いていた。
慌てて後を追って来たユメールを先に城門に行かせて向かう先はアネットの部屋だ。
当初はセミリアの部屋に行く予定だったが、部下からの報告を聞いて行き先を変更していることも含めその目的を知るものはいない。
康平の時とは違い嘘偽りなく白十字軍から離れると宣言した二人を野放しにしておくわけもなく、誰に告げることもなく常に二人の部屋の近くに見張りを置いていた。
例え自分達と敵対するつもりがなくとも、何か行動を起こした時にすぐに耳に届くようにする。それが二人の言い分を許容する最低限の備えであると、クロンヴァールは考えていた。
そしてセミリアが現在アネットの部屋に居ることを聞き、さして距離の違いが無い目的地の変更をしたのだ。
目的の部屋に辿り着くと、クロンヴァールは二度扉を叩く。
すぐに部屋の主であるアネットが現れた。
「誰かと思えば赤髪の王じゃねえか。何か用か? ってのは少々あざと過ぎるってもんか、さっきの揺れと何か関係があんのかい? 聞いた話じゃ敵襲ってわけじゃねえってことだが」
「ああ、その件だ。人手がいる、手を貸せ」
後ろにセミリアが見えたこともあり、クロンヴァールは前置きも無しにそう言った。
答えたのはセミリアだ。
「クロンヴァール王、手を貸せというからには何かあったということなのですね?」
「セコという主要都市が消滅したという知らせが届いた」
「消滅? それは一体どういう……」
「先程の揺れはそれに関係すると見ていいだろう。今から直接セコへ出向き事の次第を確認しにいくところだが、一つ問題があってな」
「その問題ってのは何なんだい」
「監視兵が大魔王と思しき者の姿を確認したということだ。私達を誘い出そうとしているのか、本格的に全面対決をするつもりなのか……いずれにしても奴がまだ近辺にいるなら確実に戦闘になるだろう」
「大……魔王」
「それで人手がいるってわけか。アタシとしちゃあ百年を超える因縁の相手だ、野郎とやり合うならアタシ抜きってわけにゃいかねえだろう。っつーのが本音だが、どうするよクルイード」
「聖剣、先に言っておくがノーマンは連れていかん。奴を暴走させぬために私の部下を二人ほど付けている。コウヘイの無事も分かったのだ、あとはお前達に勇者として世界を守るという意志が残っていることに期待したいところだがな」
その言葉にセミリアは足下に視線を落とし、黙考する。
二人は敢えてそれ以上口を挟まず、静かに答えを待った。
やがて顔を上げたセミリアの表情は意を決したような力強さに満ちている。
「コウヘイも、それを知っているのですか?」
「ああ、ワンダーに伝えさせている」
「分かりました……アネット様、私達も行きましょう」
「ま、そう言うだろうとは思ってたぜ。つーわけだ赤髪の王、大魔王とやり合おうってんならこの間みたいにおちょくられて逃げられてなんてのは御免だぜ?」
「お前に言われるまでもない。今日で全てを終わらせてやる、少なくとも私と私の部下達はそのつもりでいる」
そう言って、クロンヴァールは背を向ける。
そして。
「早急に準備を済ませて城門に来い、他の者達はすでに向かっている」
それだけを言い残し、その場を立ち去った。