【第四章】 ゴーダ王国上陸
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それはふと、眠りの奥底から意識を取り戻すと同時にそろそろ起きる時間だろうかと薄目を開いた時だった。
真横にいるカノンは未だすやすやと気持ちよさそうな寝息を立てている。
そして今この部屋には同じベッドで横になっている僕とカノンの二人しかいない。
ということは、だ。
これは夢ということになるなのだろうか? と、そう思いたくなるのも無理はないはず。
では何がそう思わせたのかというと、頭の中で声が聞こえたのだ。
『もしもし、お師匠様……え、あれ? …………届いた?』
そんな声が確かに、耳で聞いたというよりも頭に直接響いた様な感覚を残して届いた。
呼称や声からしてコルト君であることは間違いなさそうなのだが、ここにコルト君が居るわけもない。
寝惚けていただけなのか、自覚が無いだけで実は孤独感に苛まれていたせいで聞こえた幻聴とかだろうか。
寝起きの頭でそんな馬鹿なことを考える僕だったが、自分なりの結論を出すよりも先に幻聴は畳み掛けてきていた。
『お師匠様! お師匠様!! 聞こえますか!? 僕です、コルトです!!!』
うん、やっぱりコルト君だ。
コルト君であることがはっきりしたところで何が起きているのかは一切分からないのだけど……どういう状況なんだこれは。
『あ、えっと、説明が出来ていなかったので勝手が分からない、ですよね。これは僕の覚醒魔術でして、人物や範囲を指定することで離れた場所に居る誰かに声を届けることが出来るという能力なんです。それで、この能力で繋がっている間はそちらの声を僕が聞くこともできるのです。もし聞こえているのであれば僕のこの声に返事をする感覚で頭に言葉を思い浮かべていただければ……』
なるほど……覚醒魔術、ね。
その説明から想像するに脳内で電話が出来るみたいなことか。
あの歳で魔法が使えたり部隊長だったりするぐらいだし、やっぱり彼も凄い人間だったんだね。勝手に親近感を抱いたりしてごめんって言いたいよ。
とまあ色々と驚きも戸惑いも半端ないが、そんな場合でもなさそうなので言われた通りコルト君に届けと思いながら頭で返事をしてみることに。
『えーっと……コルト君?』
『お師匠様!!!』
『あ、よかった。ちゃんと出来たみたい』
『お師匠様……無事だったのですね。本当に……本当によかったです』
『あれこれと心配掛けてごめんね。ちょっと色々あって、こうやって話が出来るなら色々と伝えてもらわないといけないこともあるし、とにかく泣かないで?』
『は、はい。ですが、お師匠様は今どちらにいらっしゃるのですか? 魔王軍の男に連れ去られたと聞いたのですが、お体は無事なんですよね?』
『うん、体はどうにか無事で済んでるよ。今から掻い摘んで説明するから、それをみんなに伝える役目をお願いしてもいいかな?』
『はいっ、お任せください!』
力強い返事を受け、僕は順を追って諸々の説明をコルト君に聞いてもらった。
エスクロに連れ去られた後、魔界に行って宮殿に監禁されてしまったこと。
断片的に伝わって語弊を生んでしまうと情報を漏らした裏切り者扱いされてしまう可能性もあるのでシェルムちゃんやシオンさんのことは伏せつつ、カルマやエスクロの暴挙を見過ごしておけないと考える者の手によって逃がしてもらえたこと。
その結果、ウェスタリアだかウェストリアだかという見知らぬ国に降りたってしまったこと。
そこからサントゥアリオに帰ろうと思っていた矢先にカノンと出会い、道中でついでに(寄り道をしているわけではなく帰る過程で、さらには『やむを得ず』であり『ついでに』ということをことさら強調しておいた)親元まで送り届けることになったこと。
それらを要点を纏めてどうにか分かりやすい様に言葉を選んで説明する。
『この二日の間にそんなことが……それにしても、人間が魔界に行くだなんてことが現実にあるとは驚きました』
話が一段落すると、終始口を挟むことなく聞いていたコルト君は驚いた様子で言った。
僕にとっての摩訶不思議世界に身を置く人々の中ですら波瀾万丈な部類に入るんじゃないかとそろそろ自分でも思い始めているぐらいなのだ。そりゃそうなるだろう。
『その子を送り届けたらすぐにサントゥアリオに向かうから、今日の内には出発できると思う。だからそれをクロンヴァールさんやジェルタール王に伝えてもらえるかな。あとセミリアさん達にも無事を伝えて欲しかったり謝っておいて欲しかったりするんだけど』
『分かりました。じきにクロンヴァール陛下から招集が掛かるはずなので、先にキアラ隊長に報告して今伝え聞いたことをお話する時間を作っていただこうと思います。それはそうとですね……お師匠様』
『どうしたの?』
『一つとても気になったことがあるのですが、そのカノンというのは……間違ってもあの【龍を宿す双椀】のことではありませんよね?』
『ドラゴンフィスト? 何それ?』
『ご存じないので!?』
『ご、ごめん……』
『あ、いえ、責めているわけではないのです。ただ有名な名前なので意外だったといいますか、僕はただお師匠様の事が心配で……』
『心配っていうと、それはどういう人なの?』
『その名前を知る者には【人類最強】なんて呼ばれていて、天武七闘士にも数えられているとてつもなく凶暴な男だという話です』
ああ、それでか。
最初にカノンという名前を知った時に聞き覚えがあった気がしたのは。
随分前の話になるけど、【人類最強】と言われている人がいるということは確かにセミリアさんから聞いた覚えがある。
といっても話の流れで名前が上がったぐらいのことだったし、今聞いて初めて思い出したという程度の朧気な記憶だけど。
『特にその名を知らしめたのは近年、かのアルヴィーラ神国の英雄メイヴィス・ブレイスフォードとの一騎打ちです。あの英雄が一対一で戦って勝てなかった唯一の相手、という風評によってその名前が急激に広まったのだと聞きました。それほどに危険な人物なのです。風貌や正体は謎だとされているようなので僕も詳しくは知らないのですが、両腕いっぱいに竜の紋章が彫られているのだとか。そのため【龍を宿す双椀】と呼ばれているということのようです。それでお師匠様……その人は』
『うん、間違いなく別人だと思うよ。腕に紋章なんてなかったし』
腕どころか、幸か不幸か普通なら外から見えない箇所も含め全身のどこにもなかったことはこの目で確認している。
というか、メイヴィス? って誰ですかと逆に聞きたくなったが、まず確実に今は関係ない話っぽいので脱線させるわけにもいかないと自重しておいた。
『それに、そもそも僕が今一緒に居るカノンは若い女の子だから』
『そうでしたか……よかった』
『それで話の続きだけど、今そっちはどういう状況なのかな?』
『どこから説明すればいいのか……お師匠様が居なくなってしまってから色々ありまして』
どこか言い辛そうに、それでもコルト君は僕がエスクロに捕まった後の話を聞かせてくれた。
無事に七つの都市全てを帝国騎士団の手から取り戻したということ。
王都を襲撃してきた騎士団と一戦交え、結果として無事に王都を守ることが出来たということ。
そして、その後の報告の場で起きたセミリアさんとノーマンさんの諍い。
『それは……あまりよろしくない状況だね』
色々な感情が湧いてくるものの、どうしたって最後の報告に心がいく。
やはりというべきではないのだろうが、セミリアさんは感情を抑えることが出来なかった。
あんな話を聞いた後なのだ、それが出来る方がどうかしている。
だからこそ唯一事情を知る僕がそうなる前にどうにかしなければいけなかったはずなのに、敵に拉致されてそれをしなかった自分が恨めしくて仕方がない。
『勇者様は連合軍を離れて動くと宣言されてしまって……お師匠様を無事に取り戻すまでこの国から離れるつもりはない、と泣いておられました。キアラ隊長が説得して一応この本城にはいらっしゃるのですが……』
『そっか……僕は心配ないって、セミリアさんにも伝えておいてもらえるかな。自分のことを第一に考えて、決して無茶なことはしないでって』
『必ず、お伝えします』
『それから、頼んでばかりで申し訳ないんだけどジャックにも伝えて欲しいことがあって』
『ジャック?』
『ああごめん、えっと、アネットって言えばいいのかな』
『あ、二代目の勇者様ですね』
『うん。少し気になることがあってさ、ただ説明すると長くなっちゃうから直接傍に居る状態で話をしたいんだけど』
『承知しました。すぐにお部屋を訪ねますので少々お待ちください』
『うん、ごめんね手間ばかり掛けて』
『謝らないでください。僕はお師匠様が無事だと分かっただけで嬉しくて……それでその、だからというわけではないのですが一つお願いがあるのです』
『僕に出来ることなら何でも言って』
『夜寝る前に……もう一度声を掛けさせていただいてもよろしいですか? お邪魔にならないように短い時間で構いません。といっても、僕の魔法力では今ぐらいの時間でもいっぱいいっぱいなのですけど、せめておやすみなさいの挨拶だけでも……』
『全然気を遣わないでいいよ。僕は大丈夫だから』
僕などにおやすみを言いたいと思う理由はいまいち分からないけど、それだけ心配してくれていたのだろう。やっぱりコルト君は良い子だ。
何はともあれ、ちょっと予想の斜め上を行く方法だったとはいえ無事にサントゥアリオの面々へ事情を説明出来ることになった僕は、その後ジャックと少し話をしたところでコルト君との会話を打ち切った。
ジャックとの話を含めて十分そこらではあったが、コルト君の魔法力が保たなくなってきたためだ。
元々は王国護衛団で緊急時などの連絡用に使っている能力だという話だ。
部隊が出動する必要が出てくるかもしれないことを含め、その緊急時に魔法力が回復するまで何も出来ませんではコルト君の立場からしても良くないだろう。
そんなわけで、無事に城で再会することを誓い合ってそれぞれの時間へと戻ることにしたのだった。
ちなみに、最後にもう一つお願いをしていたりする。
サントゥアリオ行きの船に乗ったとして、持ち合わせが足りなくなる可能性が少なからずありそうなのでその場合に港で立て替えてもらえるようにジェルタール王を経由して手配してもらって欲しい。というものだ。
念のための備えとはいえ、お金が足りないから船に乗せてもらえなかったなんてオチは笑い話にもなりゃしないし、着いた時に払いますと言って通じるものかどうかも分からない以上は予め用意させていると言える方がスムーズに話が進むだろう。
話をすればする程に迷惑と心配を掛けまくっていることを自覚してしまうけど、今僕がやるべきことは無事に帰って、心配してくれている仲間にちゃんと謝ることだ。
そんな決意をして、一人寝息を立てているカノンを起こさない様にベッドから出ることにした。
○
船が到着したのは昼前ぐらいの時間だった。
ちょうどその少し前に目を覚ましたカノンと朝食を取り、案の定たらふく食べてご満足いただけたところで出発の支度などを済ませ再度の出発に備えることにした僕達。
ぐっすり寝たおかげか一段と元気でテンションが高いカノンは起きて僕の顔を見るなり飛び付いてきたし、外に行きたいとデッキまで僕の手を引っぱっていったりととても機嫌が良さそうだ。
これは余談ではあるが、余程疲れていたのか眠りが深かったのか、僕がいくら起こそうとしてもカノンは全然目を覚まさなかった。
名前を呼ぼうが体を揺すろうがピクリとも起きる気配がなく、やむを得ず自然に起きるのを待つしかなかったわけだけど、思い返せば昨日昼寝をしていた時もそうだった気がする。
それも子供らしいといえば子供らしいけど、この僕が抱く『子供らしい』という感想は本来小学生ぐらいの子に対するものであって十四歳のカノンのすることに対してそれで納得してしまうというのも実際問題どうなんだろうかと今更になって思い始めていた。
例えばフォーク一つ取っても逆手で握って使うし、食べた後はテーブルも口の周りもベタベタになっている。
昨日の風呂の時もそうだし、何がしたいとおねだりをされる時もそうだけど、やはり年相応の振る舞いや物の考え方だったりといった一般的に成長の過程で得ていく知識や常識を身に着けていない感じがする。
そこにどんな事情があるのかを知らない以上は僕が勝手に軽蔑的に見ることもないし、それを咎めようとも思わないのだけど、少なくとも心の距離感が極端であることと無関係ではないように思えた。
僕に対してそうであるように、一度心を許した相手には全てをさらけ出して思うがままに気持ちや感情を言葉や行動に表して甘えようとする。
逆にそうじゃない相手に対しては一切の許容がない。
料理を運んできてくれた人やデッキで話し掛けてきた他の客となんて一言の会話も無かったし、目を合わせようともせず、どちらかというと近付くな話し掛けるなと思っていることが分かるぐらいに刺々しい雰囲気を纏っていたほどだ。
親元を離れ社会の一部として生きていくために働きに出た先で意地悪されて揉め事になって追い出されたという嫌な経験がそうさせるのだろうけど、そういった世間知らずというか世間慣れしていない部分をどうにかしてあげなければと彼女の母親も働きに出すことを決めたんだろうなと、何となく分かった気がした。
そんな僕なりの想像がそう大きく間違っていなかったことと、それでいて想像のしようがない事実があったことを知るのはもう少し後の話である。
「やっと着いた~。コウヘイ、これからどうするんだ?」
船を下りると、カノンは辺りを見回してどこか達成感に満ちた顔で言った。
これからの予定は誰かに道なり移動手段のあれこれを聞いて、カノンの家に向かうことぐらいのものだ。
どういうわけか、ゴーダ王国に到着してなお自分の持っている地図を見ても帰り方も道も全く分からないと言うのだから何のために持っていたんだろうかと呆れざるを得ない。
そんな予定を説明してあげると、カノンは自然に僕の手を握る。
「じゃあもうすぐ母上に会えるってことだな」
「そうだね。ここからそう離れているわけじゃないみたいだし、見覚えとかあるでしょ?」
「着いたって聞いて一瞬懐かしい感じがしたけど気のせいだった!」
「あ、そう……」
その感覚は全く分からないけど、ひとまず聞き込みをしようと港の関係者だと思われる男の人に声を掛けてみることにした。
少し離れたところに明らかに昨日使ったのと同じ用途であろう馬車の列があるし、少なくとも移動は徒歩ということはなさそうだ。
そんなことを考えていると、ふと一つの疑問が浮かんだ。
「一つ聞いていい?」
「ん?」
「カノンはエレマージリングは使えないの?」
あれを使えるなら一瞬で目的地に辿り着くことも不可能ではない。
同じ悲劇を二度と繰り返さないためにも僕はあれを自分一人では使わないと決めたので無理だし、カノンが「使える」と答えてくれたところで身を委ねるのは恐ろしい程の不安が付きまとう気がしないでもないけど……。
「えりまーじりんぐ? なんだそれ?」
どうやらカノンはその存在すら知らなさそうだ。
どこかホッとした自分がいるのは気のせいに違いない。
そんなわけで結局、僕達二人は馬車で近くの町まで移動することとなった。
昨日との違いはタクシー風ではなくバス風であるということぐらいだ。
個人がお金を払うって送ってもらうのではなく、大きめの馬車に複数の客が乗り、ルートに従って町を巡っていき希望の場所で降ろしてもらう。そういうシステムなのだとか。
聞けばカノンの持っている地図の印から一番近い町までは昼過ぎには到着するだろうということだ。
それなりに田舎に分類される土地の大きくはない町らしく、町そのものに名前はないらしい。
その一帯を纏めてバルディゴという地名で呼ぶ。というよりも、そういう名前の大きな山があって、それがそのまま地名として定着したのだと別に聞いてもいないのに教えてくれた。
「それじゃあ行こうか。他のお客さんもいるから静かにしてないと駄目だよ? あっちに着いたら最初にご飯にするから、お腹空いてるならちょっとだけ我慢してね」
「分かった! 大人しくしてる!」
ご飯、という単語に目を輝かせながらも、愛らしい笑顔が僕に向けられる。
幸運にもというべきか、数日に一本しかないサントゥアリオ行きの船がこの夕方に出航予定ということも知ることが出来た。
つまり、ここに夕方までに戻ってくることが最低限守らなければならない予定だということだ。
町に行って、ご飯を食べて、カノンを送ったらすぐに戻ってくる。
自分に言い聞かせる様に心の中で何度も反復しながら、僕達はバルディゴへ向かって出発した。