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勇者が仲間になりたそうにこちらを見ている  作者: まる
【勇者が仲間になりたそうにこちらを見ている⑥ ~混血の戦士~】
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【最終章】 最後は人として

6/4 誤字修正



 砦に戻ったクリストフは団員達へ事の顛末を告げ、諸々の指示を出すと自らの部屋へと戻っていた。

 ほぼ全ての団員が砦を離れているため、飾り気のない石造りの建物は静けさに包まれている。

 全ての設備が不十分な環境下にあって、唯一二階に並ぶ生活空間となる部屋には蝋燭以外の明かりがあり、その中の一室で特に理由もなく外の景色を眺めていた。

 窓際にある一人掛けのソファーに腰掛け、ガラス越しに見上げる先には雲一つない星空がどこまでも広がっている。

 表情を変えることなく、ただジッと窓の外を眺め幾許かの時間が流れた頃、扉の外から何者かが呼び掛ける声がした。

「入れ」

 俺だ。と、扉越しに聞こえる短い一言に対し、クリストフも同じ様に短く答える。

 ガチャリと開いた扉の向こうから現れたのはユリウスだった。

 地下牢に捕らえている異国の白魔導士が数名を除けば現在砦に残っているのはクリストフとユリウスのみである。

 用件を知らされずに呼び出されたユリウスは不愉快に思う心の内を隠そうともせず、そして窓の外を眺めたまま黙っているクリストフに近寄ることもせずに閉じた扉にもたれ掛かるようにして次なる言葉を待つ。

 少しの間を置いて、クリストフは視線静かに口を開いた。

「なぜだろうな。今になって、ふと考えた」

「…………」

 何の話だ。

 回りくどい言い方をするな。

 口を突きかけたそんな言葉をユリウスは飲み込んだ。

 普段と様子の違うクリストフを慮ったわけではなく、ユリウス自身皮肉や嫌味を口にする気分ではなかった。

「俺達は……一体何のために戦ってきたのだろうな」

 そこでようやくクリストフは体の向きを変え、ユリウスへ目をやった。

 予想外の発言に対してユリウスはただ鼻で笑うだけだ。

「何の用かと思えば、そんなことを言うために俺を呼びつけたのか。お前が弱音を口にする日が来ようとは、団員達の耳に入ればどうなることだかな」

「他の同志達にこんな姿を見せるつもりはないさ。お前一人に愚痴を聞いてもらうことぐらいは許されてもいいだろう。そろそろ長い付き合いになる。それでいて、一度たりとも俺達に関心を示すことが無かったお前だからこそ、な」

「ご慧眼恐れ入るが、何のための戦いかなどお前自身がしつこい程に口にしてきただろう。国や先祖の仇討ち、それが大義名分でしかなかったことにようやく気付いたか」

「大義名分、か。確かにそうかもしれん。祖国が消滅したからこそ、祖先達の時代から今に至るまでの何十年を(どぶ)の中を這いずりながら生きる羽目になった。その運命を憎む気持ちに偽りはない。この国で敗れたからこそより酷い末路を歩んだ、負けたままで終われるものかと復讐心を燃やしていたことも事実だ。だが、それはいつしか立ち上がった同志達を鼓舞し、纏め上げるために掲げた野望となってしまっていたことも……事実なのだろうな」

「ならば、今お前が求めるものとは何だ。追い詰められ、逆に利用され、道が閉ざされつつある今、お前は何を欲する」

「ふっ、今日は随分と饒舌じゃないか。何か心変わりでもあったか?」

「……お前とは全く違う理由だろうが、否定はしないとだけ言っておく」

「そうか」

 そこで一度会話が止む。

 ユリウスが自分から言葉を発するつもりはないらしいと知り、クリストフは再び視線を窓の外へと向けて続きを口にした。

「元を正せば、全ては生きる術を求めるためであるはずだった。方法を、そして権利を。人として扱われもしない人生を変えようと立ち上がったはずだった。先人達が戦争を仕掛け、のちに戦争に負けた。それを理由に今を生きる無関係な者達がなぜ代償を払い続けなければならない。そう思ったことが帝国騎士団を蘇らせようとした何よりの理由だった」

「…………」

「このまま朽ちていくぐらいならばと、部族の誇りと生きた証を残すために戦うことを決めた。最後まで人であるために。人で……あろうとするためにだ」

「人として生きる権利、人として生きる方法、人として生きる場所。出会ってからの一年、二年の間にお前が何度も口にしていたことだったな。グリーナ以外から同じ血を持つ者を引き入れようとする時に、そして戦えぬ女子供や老人を相手に。近年ではろくに聞くこともなくなったが」

「初心忘るべからず。今この現状は、それが出来なかった俺が招いた結果というわけか」

「責任や原因の所在など俺の知ったことではない。だが、祖国や先人になど何の興味も無かった俺がお前と共に行くことを決めたのは……その言葉があったからこそなのだろう。俺とてその全てを奴らに奪われた。だからこそ復讐に狂った。そのために生きた。この国に生きる者を皆殺しにするために生き存えたのだと信じていた」

「信じていた、というからには今はそうではない理由を語ってくれるのだろうな」

 再び向けられた表情は微笑が浮かんでいる。

 ユリウスは少し躊躇ったが、クリストフの言う通りどんな理由であれ付き合いも長くなった。

 こうして腹を割って話すのは恐らく最初で最後のことなのだろうと、詮索不要と突っぱねるための言葉を飲み込んだ。

「……俺達が出会った日、俺がどういう理由で死にかけていたかは話したな」

「ああ。お前は多くを語ってはくれないが、それは今でもよく覚えている」

「妹が……生きていたことが分かった」

「……何?」

 七年前。

 半死半生のユリウスが目を覚まし、二人が共闘することを決めた日。

 その口から語られた事の顛末では母と妹も殺されたという話だったこともあり、クリストフはその発言に驚きを隠せない。

「確かな情報なのか? いつどのようにそれを知った」

「情報を得る得ない以前に、既に直接会っている。都市に出向く前のことだ」

「そうか……だが、お前にとってはこの上ない朗報のはずだろう。なぜ浮かぬ顔をしている」

「見えもしない表情を憶測で語るなと言いたいところだが、的外れというわけでもないのだろうな。妹は敵の連合軍の一員だった、それが少々難儀な問題でな」

「どういうことだ、王国護衛団(レイノ・グアルディア)の兵士だったというのか」

「そうではない。グランフェルトの勇者を名乗る銀髪の戦士こそが我が妹だったのだ。当然驚き、動揺もした。だがそれでも……アイミスが妹であることに、俺達が兄妹であることに違いはない。あいつも俺を兄と知って涙を流した。生きていたと知ることが出来た今、例えどこで何をしていようとも俺は妹の意志や望みを全てに優先するつもりでいる。もはやあの連合軍を相手に武器を取ることは出来ないだろう。この命も含め、今の俺に妹の人生以上に大事なものなどない」

「ふっ、そうか。お前がそう思えるだけの再会となったならば、よかったじゃないか。全てが報われたとは言えないのだろうが、無意味な数年間だったと思われるよりは遙かにな」

 それは心からの祝辞だった。

 戦いから身を引くという発言に対しても非難することも責めることもなく、それどころか何ら言及することもない。

 この日このタイミングであることがそうさせているのだろうなと、自覚していながらもクリストフは静かに心情を語った。

「王都で武器を交えた時、ラブロック・クロンヴァールに言われた。魔族と手を組んだ時点でお前達は人であることを放棄したのだ、とな。人であるために、人として生きることを求めて命を賭けてきたというのに……まさか正反対のことを言われようとはな」

「敵の言葉に心を乱されるとは、団長殿らしくもない。感傷的になるような柄でもあるまい。一度の失敗で心を折られる程順風満帆にここまで来たわけでもないだろう」

「惑わされているわけではない。だが……もしも戦い、勝利し、この国を手に入れるという結末を迎えることが出来なかったならばそこに何が残るのかと、こうなって初めて考えさせられた。戦士として勝ち目が無いことを承知で戦いを続け、意地と誇りを見せて滅び去った。いつか過去の出来事としてこの戦いが語られる時代を迎えた時、我らは何を得たと言えるというのか」

「誇りなどに価値は無いと、そう言いたいのか? 死んでいった連中に聞かせてやりたいものだな」

「戦いが無意味だったとは言わん。誇りや意地に価値が無いと思っているわけではない。それらは確かにこの数年間我らを支え、心の糧となっていた。それを疑ってはいない」

「ならばどうしようと言うのだ。ここで戦いをやめるのか? 降伏し命乞いをしてでも生き延びようというのか」

「戦いを続けるか否か、それはもはや俺一人で決められることではない。共に死んでくれと言えば多くの同志達は首を縦に振るだろう。だが……そうすべきかどうか、それを考え答えを出すところまでは俺が背負うべき責任だ。どうするにせよひとまず同志達は村で過ごさせる。すぐに戦闘を再開出来る状態でもない。戦いを続けるとして、仮に俺達が敗れたとしても村で暮らす者達が断罪の対象にならぬよう出来る限りの配慮をするつもりだ。それが戦うことで抗う道を選んだ俺が残せる唯一のものでもある。せめてもの、という程度でしかないがな。間違ってもこの国を諦め、降伏するつもりはない。だが、今はその前に考えなければならないことも出来てしまった」

「……カルマとやらのことか」

「奴らは俺達がこの国を手に入れようと戦ってきたことを知りながら、それを嘲笑い丸ごと消し去ると宣言した。奴個人の力ですらただならぬものがある、その上に大魔王がいる、そして邪神とやらも奴らは計画通り説き伏せた。奴らが本気だとするならば、まず奴らにはそれだけの力があると見ていいだろう。サントゥアリオという大国に挑み、運命に抗おうと戦ってきた俺達が勝ち負けの結果に到達することすら許されず国ごと消えるなどと……そんな惨めな結末があってたまるものか」

「…………」

 普段見せることのない歯痒さ、悔しさが露わになったクリストフの表情にユリウスは返す言葉が見つからない。

 後悔や躊躇いも、何かを恐れることも何かに臆することも、少なくとも人前で態度に表すようなことは一切なかった男だ。

 握った拳に力を込め、忌々しく思っているのがはっきりと分かる恨みがましい目付きが暗に同意を求めている様な印象を抱かせた。

「目的や意志の統一のために絶えず口にしているうちにいつからか、この国を滅ぼすことが俺自身の存在意義と化していた。俺とて復讐と復権に全てを捧げたのだ、今更命など惜しくはない。だが……人種は違えど、俺達も人間ではないのか。人であることを求め、人となるために命を賭けたてきたはずではなかったのか……相手が誰であろうと、ましてや勝ち負けの結果に関わらず、長く戦いを続けることは出来まい。ならば、せめて最後の時ぐらいは人としてその生を全うしたい、そう思うのは俺の身勝手な言い分だと思うか?」

「それはつまり、カルマの目論見を阻止し奴等と殺し合うことを選ぶと、そう言いたいわけか」

「堂々と敵対宣言をされたのだ。邪魔をするならば誰であれ殺す。それがお前の主義でもあったはずだろう」

「否定はしない」

「連合軍との戦いの動向に関わらず奴らは止まらない。戦争に勝利する道を選ぼうとも、俺の首を差し出すことで残る同族達の命を守ることになろうとも、奴らがこの国ごと世界を滅ぼそうとすることに何の影響もないということだ」

「そうされては困る理由が俺にもある」

「では俺の我が儘に付き合ってくれるか。恐らくは、俺達の最後の戦いになるであろう運命への反乱に」

 それは若き頃から絶対的な力と計略によって無謀な挑戦を対等以上の戦いへと導き、蛮族と蔑まれてきた同族達に常に希望を与え、未来を見せ続けて来た男の最後の覚悟だった。

 魔王軍を丸々敵に回す。

 そしてクリストフはそれを個人的な戦いだと位置付け、他の者を巻き込まないつもりでいる。

 勝ち目が見える勝負ではない。元より勝てるとも思っていない。

 しかしそれでも、カルマだけは道連れにしてでも仕留めるとクリストフは密かに誓っていた。

 だからこそ結果どうあれその先は無いことをこの時すでに理解していたのだ。

 見通しが甘く策略という部分で先を越された結果が招いた現状であるという自覚が、それが魔王軍と手を組むことを決めた自分が負うべき責任であるという思いへと繋がっていく。

 騎士団が壊滅的となり反体制派としての戦いを続けることが困難となった今、団長として出来ることは何か、残すべきは何か、そんなことばかりを考えていた。

「普段であれば迷わず拒絶しているところだが、俺の事情からしても致し方あるまい。魔族にこの国を消し去る力があるかどうかは無関係に、この国にいて勇者を名乗っている以上そうなればアイミスは戦い国を守る道を選ぶ可能性が高い。この国や世界がどうなろうと、お前の仲間達がどうなろうと興味は無いが……どのみち妹を放っておくわけにはいかぬ。俺が個人的な理由で奴らを潰すことは無意味ではない」

 騎士団の一員であるという自覚も、共に進む未来を目指した覚えもないユリウスは素っ気ない口調でそんなことを言った。

 肩書きや強さによって団員を従える立場にあるが、直近の部下にさえ信頼関係や仲間意識を向けたことも向けられたことも無い。

 心の底から他人に興味が無く、これだけ長く継続して組織の中に身を置くこと自体アリフレートやクリストフが居なければ不可能であったことを誰よりも分かっている。

 そんなユリウスの言葉は『共通の目的のために仕方なく』というニュアンスを敢えて強調しているような口振りではあったが、クリストフは立ち上がるとただ控えめに笑った。

「俺達の関係は最後まで変わらないのだな。だが、それも俺達らしい。俺は一旦外に出る。他の者を巻き込む気はない、ここを離れて奴を狩る機を待つつもりだ。お前は少し待っていてくれ、後に合流のための場所を知らせる」

「それは構わないが、何処へ行くつもりだ」

「都市から逃れることが出来た同志達がここに戻れずに隠れていると連絡があった。捜索の手が多く身動きが取りづらいようだ。夜間であれば多少はマシになっているだろう、無事に連れ帰るために迎えに行く」

「……好きにしろ」

 話は終わりだと判断したユリウスも同じく立ち上がると、背を向け扉を開く。

 部屋の外へと一歩目を踏み出すと同時に名前を呼ぶ声が足を止めた。

「フレデリック、俺が出ている間に一つやって欲しいことがある」

 クリストフは面倒臭そうに振り返るユリウスに対し、とある指示を出した。

 その覚悟を一時の気の迷いとしないために。

 そして、足を止めたことで初めて考えた守るべきもののために。


          ○


 クリストフが砦を離れて少しした頃、ユリウスは外に出てその砦の周囲を歩いて回っていた。

 別れ際に出された指示に従い、騎士団の一員としての最後の仕事を済ませるためだ。

 本来、ユリウスに団長命令に従う理由は既にない。

 どんな理由であれ

 妹にとっての敵勢力の中に身を起き続けるつもりはないのだ。騎士団の方針やクリストフの考えは自分には関係の無いことだと切り捨てることを考えなかったわけではなかった。

 それでも渋々ながら引き受けたのは、従順な部下であったことなど一度もないとはいえ七年という長い時間を共に戦ってきたという事実や一度は命を救われ拾ってもらったことに対する義理。

 そしてマーシャやアイミスと触れ合ったことで僅かに取り戻した人の心が決意や覚悟をした男を前に邪険な態度を取ることを自重させていたせいだった。

 そんなユリウスに託されたのは引き受けた本人に取っても驚きの役目である。


『砦を焼き尽くせ』


 ただ一言の短い指示であったが、その意味が理解出来ず思わず説明を求めユリウスに語られたのはやはり仲間の未来のため、残していく同族を守るため、そういった理由の数々だった。

 現在、全ての団員がクリストフの命令によって砦を離れ、森を抜けた先にある村で療養している。

 グリーナで唯一の小さな村には女子供に老人といった騎士団員以外のピオネロ民族が暮らしており、戦闘が出来る者とそれ以外とを区別し住み分ける目的で作られたものだ。

 日替わりで見張りを置き、それを担う者以外の武器を取り上げる。

 そして砦を捨てたことを目に見える様に示すために火を放ち、団員を村に帰すことで自分達以外の者に非戦闘員を装わせ、断罪から逃れられる可能性を少しでも残そうとした。

 それがクリストフの考えだと聞かされた。

 最後の戦いと銘打っているからこそ万が一命を落とした時、或いはそうならなかったとして帝国騎士団として戦いを続けることを選ばなかった時、残る団員達が残党狩りの対象となり根絶やしにされることを避けるための道を残したのだ。

 それらの説明をせず、ひとまずの処置とだけ告げて必要な物を持ち出させたこともあり武器装備を少し離れた位置にある蔵に保管していることや無人の砦に火を放つことを知っているのはその後グリーナの外にある隠れ家に身を隠すことになっているクリストフとユリウスのみ。

 ユリウスが薄暗い夜空の下を歩いているのは『念のために火を放つ前に一度見回っておいてくれ』というクリストフの指示に従っているためだった。

 大きな砦をぐるりと周り無人を確認したのちに内部に戻り、中心地となる広間で山積みにされた牧草に火を放つ。

 あれこれと考えるのも面倒だと、その指示通りに動いていた半ばのことだった。

 角を曲がったところでふと、人影が目に入る。

 薄暗く明かりがほとんどないことで遠目に正体は分からない。

 敵か団員の誰かか。

 不審に思ったユリウスはどうにもおかしな動きをしているその人影に迷わず近寄っていった。

 壁を支えにしながら足を引きずる様にのろのろと動いている何者かは傍まで寄ったことでようやく背後から近付いてくる存在に気付いたのか、慌てて振り返る。

 月明かりに照らされた顔を見て正体を把握したユリウスは思わず鼻で笑った。

 団員達と共に村に送られたはずのラミアス・レイヴァースがそこにいた。

「ユリウス……貴様、こんなところで何をしている」

 レイヴァースは息を切らし、苦悶の表情でユリウスを睨み付ける。

 都市でアネットに深手を負わされ、少し前にクリストフを庇ってカルマの攻撃を受けたという報告は耳にしている。

 その有様や包帯だらけの体が歩くことはおろか立っているだけでも精一杯であることを明確に示していた。

 レイヴァースは壁に背を当て、腕を押さえながらずるずると崩れ落ちる様に腰を下ろし、敵意剥き出しのままに返答を待っている。

 その姿が埋もれつつあったユリウスの憎しみを呼び起こしていた。

「団長殿に頼み事をされただけだ。面倒だが、最後の最後ぐらいは手を貸してやっても冥王の腹も空かぬだろう」

 踏ん張る足が言うことを聞かず、地面に座り込む体勢となったレイヴァースの目の前に立つと、ユリウスは顔から鉄仮面を外した。

 見下ろす目は冷たく、欠片も同情やその身を案じる意志は感じられない。

「ならばさっさと済ませろ。魔族共は我らごとこの国を消し去ろうとしているのだぞ! これ以上団長の足を引っ張ることは私が許さん。そしてもう一つ……その汚らわしい目を私の前で曝すな!」

 鳥や虫の鳴き声だけが響く静かな自然の中に怒鳴り声が響く。

 その薄青い瞳こそレイヴァースがユリウスを嫌悪する最大の理由であり、ユリウスが鉄仮面を装着するようになった唯一の理由である。

 満身創痍である自分自身への苛立ちも相俟って感情のまま声を荒げるレイヴァースに決して人前で露わにすることのなかったその目を曝したことが何を意味するか、それを考える余裕はなかった。

「ふっ、死に損ないが何を偉そうな口を利いている」

 ただただ滑稽に映る仲間であるはずの女の姿に、ユリウスは嘲笑を浮かべる。

 それが余計にレイヴァースの癇に障り、感情的にさせることが分かった上でそんな態度を取っていた。

「出来損ない風情が……この私を侮辱するつもりか」

「お前の好きな団長殿にとっても、死に損ないよりは出来損ないの方が幾分役に立つと思うが?」

「黙れ! 貴様の戯れ言に付き合っている暇はない! 団長はどこに行った……」

「村で待機を命じられたお前がクリストフに何の用がある」

「貴様には何の関係もない……私はまだ戦える、傷を癒すために休んでなどいられるものか……団長が戦うことを選ぶならば私は共に戦場に立つ。役立たずの貴様など団長の傍に置いておけぬ」

「死に行く者に誰かや何かを憂う資格などありはしない……お前が常々口にしていたことだったな」

「ふざけるな……この程度の傷で私が死ぬか」

「どの程度かは知らぬが、ここで死ぬ事に違いはない」

 冷たく言い放つと、ユリウスは腰から剣を抜いた。

 その言葉、その行動の行き着く先を悟り愕然とするレイヴァースを気にも留めず、最後の言葉を投げ掛けた。

「精々あの世でルイーザに詫びろ」

「貴様……」

 憎々しげにユリウスを見上げ、抵抗することも出来ずに何かを言い掛けたレイヴァースの捨て台詞は遮られる。

 真横に振り抜かれたユリウスの剣、その先端が的確に喉元を切り裂いていた。

 傷口から血を噴き出し、息絶え絶えになって首を押さえるレイヴァースは苦しげな表情のまま横たわる。

 そのまま声にならない声を漏らし、舌を出したまま身を捩ること十秒足らず。

 やがてレイヴァースは息絶え、一切の動きを失った。

 その姿を見下ろすユリウスの表情には何の変化も無い。

 唯一の部下であるアリフレートの敵討ちを確かに果たしたという達成感や満足感を得られることもなく、妹との再会以来薄れつつあった憎しみに再び身を任せてしまったことに対する後味の悪さだけを感じていた。

 レイヴァースの命を奪ったことへの後悔はない。

 ただ妹に対する後ろめたさが心を晴らさずにいた。

 アイミスは血に塗れ、憎悪ばかりを原動力とするような兄を必要とするだろうかと、後ろ向きな考えを抱きつつもユリウスはその場を離れる。

 例え誰が望もうともルイーザ・アリフレートの命を奪った償いをさせないという選択などありはしない。

 ゆえに、そこに後悔はない。

 ユリウスは考える必要のないことだと切り替え、振り払う意味を込めて鉄仮面を装着し、全ての感慨を捨てる。

 そして。

 そのまま息絶えたレイヴァースを引き摺り砦の内部に運ぶと、予定通りに火を放つことで全てを消し炭へと変えていった。



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