【第十一章】 暗雲低迷
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白十字軍全七部隊が徐々に本城を離れ始めた頃。
グリーナ地方、帝国騎士団本部では総員が出陣の準備を済ませていた。
各都市で白十字軍を迎え撃ち、敵の戦力が分散するそのタイミングで残りの全勢力が魔王軍と合流し王都を襲撃する。
それがエリオット・クリストフの掲げる国家転覆計画の最終段階、その第一手であった。
大一番を控えた砦に残る全ての団員が待機している中、隊長副隊長の肩書きを持つ幹部達は晩餐室に招集されていた。
上座には団長クリストフが座り、向かって右手には五番隊副隊長ハイアント・ブラックが、左手には少し前に砦に戻った二番隊隊長ラミアス・レイヴァースがそれぞれ座っている。
帝国騎士団の名を知らしめる絶対的な強さの象徴である屈強な幹部達は今や三番隊隊長であるフレデリック・ユリウスを加えた四名を残すのみとなった。
奇しくも五番隊隊長デバイン・ゲルトラウトのみならず二番隊副隊長ミネル・ペレイラ、三番隊副隊長ルイーザ・アリフレートも既にこの世を去っていることを知っているのはユリウスただ一人。
そのユリウスが現れるまでのしばしの間を経て、ようやく残った幹部が出揃うこととなる。
一人砦へと戻るなり帰還次第晩餐室へ向かうようにと伝言を受け取ったユリウスは無言のまま三人から離れた位置にある椅子に倒れ込む様な乱暴な動作で腰を下ろした。
挨拶どころか遅くなったことへの詫び言もない不遜な態度を見て反射的に噛み付いたのはレイヴァースだ。
「ユリウス……これだけ団長を待たせておいて謝罪の一つも無しとは何様のつもりだ」
ギロリと鋭い目が向けられる。
しかし、ユリウスは無言を貫いた。それどころか、レイヴァースを見ることすらしない。
今ここで口論でもしようものなら殺意を押さえ込むことが出来なくなってしまう。その自覚があるからこそ、無理矢理に感情を押し殺していた。
ユリウスは未だアリフレートの命を奪ったのがレイヴァースだと思い込んだままでいる。
日頃から口を開けば同志だ血統だと言うばかりでありながら、それに該当するアリフレートを斬るという浅ましい行為に殺意は積もる一方だった。
帝国騎士団の一員となって以来、他者の動向が自らの意志に影響を及ぼすことなど一度もなかった。
誰が傷を負おうと、誰が命を落とそうと、知ったことではないと一切興味を示すことはなかった。
ただクリストフとの約束のために騎士団の国盗り合戦に協力するべく、その指示に従うこと。そしてサントゥアリオの民に地獄を見せること。
それら以外に組織に身を置く理由や価値などあるはずもないと断ずる己の価値観が揺らいだことはない。ユリウスは常にそう思っている。
今この瞬間、心に抱く意志がその半生における例外となっていることに本人は気付いていない。
しかしそれでも、必ずやレイヴァースに報いを受けさせてやると心に固く誓っていた。
この場で行動に移したところで周りが止めに入るだけだ。
そう思ったからこそ、それで済ませるつもりがないユリウスは無言を貫くことを選んだのだった。
「ラミアス、俺が二人に出るように頼んだのだ。フレデリックが頭を下げる理由は無い」
そんな事情を知るはずもないクリストフは二人がいつもの様に挑発し合うことを防ごうとすぐに割って入る。
咎めるわけではなく宥める意味合いが感じられる口調と表情に、誰よりも従順なレイヴァースはすぐに立ち上がった状態から再び腰を下ろした。
ユリウスが砦を離れた原因が自分にあることを既に耳にしているレイヴァースはそれ以上何も言わず。
その姿を確認するなりクリストフは表情を引き締め、ようやく本題を口にした。
「ようやくこの時を迎えた。この国に終わりを告げる最後の戦い、その第一歩である王都陥落だ。俺とルイーザは王都へ、フレデリックとラミアス、ブラックは先に都市での戦いに臨むことになる。三百十二人いた我ら騎士団も今となっては二百と少し。戦いに散っていった同志達のためにも俺達は必ずや勝利しこの国を手に入れるのだ。フレデリック、ルイーザはどうした」
「あいつは先に逝った」
クリストフの問いに対し、ユリウスは視線一つ三人の方向に向けることなく敢えて曖昧な表現で返した。
その様子からして他の者はアリフレートの死を知らないということが分かる。
レイヴァースが事実を明かさないつもりならば、お前が死ぬ理由も誰も知らないままだと、ユリウスは口を閉ざすことを決めた。
その思惑通り意味を履き違えたクリストフは王都襲撃のための合流地点に先に向かったのだと思い込んでいる。
「そうか、では向こうで合流するとしよう。だが、お前は変わらず都市の方でいいのかフレデリック。王都陥落はお前がもっとも拘っていたことだろう」
「後か先かの違いでしかない。今になって前後に拘る理由はない」
もはや都市のことなど眼中にないユリウスは淡々とした口調で答える。
その頭にはアリフレートのこと、そして戻る前に森の中の教会で見聞きしたこと以外には何もなかった。
「団長、都市はどうするのです」
やはりそんなユリウスの態度が癇に障ったレイヴァースはまるで初めからお前など当てにしていないと言わんばかりに軽蔑的な眼差しを向け、クリストフへと向き直る。
「既に内部にいる団員の過半数を王都襲撃のために呼び戻している。奴らが都市奪還に戦力を裂く間に俺達が王都を攻め、お前達が都市奪還に来た敵を蹴散らすというのが理想だが今回は敵も大部隊を組んでいることに加えロスキー・セラムもいる。不利だと悟ればすぐに撤退しろ。決戦前にこちらが打撃を受けるのは避けねばならん、その時は都市などくれてやれ」
「しかし団長。であれば、都市に住まう民を先に皆殺しにしてしまえばよいのでは?」
「そうしたことが漏れてしまえば敵も都市ではなく王都の防衛やこのグリーナへの攻撃を優先させてしまうだろう。戦力を分散させるという意味ではまだ利用価値がある」
「では敵を退けた後ならば好きにして構わない、と」
「当然だ、その時点で利用価値などないのだ。民を皆殺しにし、町を焼き尽くしてこちらに合流してくれればいい。王都さえ攻略出来れば魔王軍共との協力関係も終わりだ。邪魔をするなら奴ら共々滅んでもらうまで。我らの戦いには亡き先人達の思いのみならず、騎士団員以外の同族達の未来が懸かっているのだ。必ずや勝利し、この国を手に入れるぞ!」
熱の籠もった言葉に唯一レイヴァースの力強い返事が室内に響く。
ブラックは決意と使命感を胸に真剣な表情で頷いた。
ただ一人ユリウスだけが別のことばかりを考えているが、表情が隠れていることもあって他者にその心中を推し量ることは出来ず、クリストフはそれぞれが同じ方向を向いているのだと信じて疑ってはいない。
「よし、では俺は先にここを離れる。魔族と合流し王都を攻めることになるが楽な戦いではない。お前達も無事に合流することを最優先に考えてくれ。必ずや生きて帰れ、これは団長命令だ」
「御意」
再びレイヴァースのみが応答する。
それでも決戦を前に高ぶる感情の影響もあってクリストフは満足げに、かつ不敵に微笑むと騎士団を率いてグリーナを離れ、残る三人は各都市での戦いに備えるのだった。
○
ジャクリーヌ・アネット率いる第二分隊が出発し、ようやく全ての分隊が本城を離れた頃。
サントゥアリオ本城にはいつになく慌ただしい雰囲気が蔓延していた。
持ち場に向かう者、その準備に奔走する者など、多くの兵士が右へ左へと早足で持ち場に向かって行き来している。
本城を守るための部隊。外に広がる城下町と民を守るための部隊。そして、敵の襲撃があった場合に都市を覆う城壁の外でそれを迎え撃つための部隊。
その他にも都市周辺で監視のために待機している兵士や各地点に伝令に走る兵士など、白十字軍大将ラブロック・クロンヴァールの指示によって徹底した指揮系統が形成されていた。
戦争の渦中にあり、両陣営が連合を組むという異常事態に発展した一国家を巡る戦いはここにきて最終局面へと近付いていっていることを誰もが予感している。
都市の占拠に始まり、スラス襲撃及びスコルタ城塞半壊事件、そして魔王の襲来に加えて正体不明の魔術によって多くの兵士が隷従させられるという出来事は多大な犠牲を生んだ。
ここまできてしまえば国を侵略されるかこの国から敵を排除するか。そのどちらかでなければ戦いが終わることはないと、誰もがピリピリとした空気を感じている。
今やいつ王都が襲撃されるか分からない状況にあるのだ。
少数の反乱軍が相手の戦いであればいざ知らず、魔王軍がまるまるそこに加わった以上は戦力や兵力に差は無いに等しい。
否。
大魔王や魔王、そして魔王軍四天王と帝国騎士団の幹部達。
戦力の強大さを考えるならば、もはやそれは覆っているのではないかとすら多くの者が危惧していた。
そして、そんな中。
それらとは別の問題が本城を騒がせていた。
各町や都市に通信専門の兵士を置いている王国護衛団とは違い、シルクレア兵士団は各部隊に通信係を置くのが通例となっている。
当然のことクロンヴァールは当初より都市に向かう各分隊にも配置することを決定していた。
騒動のきっかけとなったのはその中の一人、第一分隊に属する通信係から送られた一通の書簡が原因である。
城下から離れた場所で合流して都市に向かうことになっていた第一分隊は無事に部隊長であるセミリア・クルイードと合流を果たし、フルトに向けて出発。副将である康平は三名の兵士と共に本城へと帰還する。
その旨が記された手紙を受け取ってはや二刻が過ぎたものの、未だ康平は戻っていない。
何かあったのか。
何があったのか。
どうにも不穏な空気が事情を知る者の苛立ちと不安を生んでいた。
「ちっ……まだ戻らんのか。この急場に余計な面倒事を」
城内本棟二階にある玉座の間。
しばしの静寂を破ったのはクロンヴァールの怒気を孕んだ声だった。
玉座には国王パトリオット・ジェルタールが座っている。
その周囲には王国護衛団副隊長ヘロルド・ノーマンやコルト・ワンダー、士官数名にエレッド大臣が控えており、クロンヴァールの傍にはダニエル・ハイクとアルバートが同じく控えている。
クロンヴァールは康平捜索のため兵士を第一分隊の合流地点へと送っているが、未だ知らせは届いていない。
何かトラブルがあったのかもしれない。
敵の襲撃にあったのかもしれない。
ただどこかに寄り道をしているだけなのかもしれない。
様々な憶測を働かせるのは難しいことではなかったが、答えが分からぬままでは動きようもなく、それがクロンヴァールを苛立たせていた。
「ワンダー、お前の能力でもまだつかまらないのか」
クロンヴァールはもう一度舌打ちをし、ワンダーを睨み付けた。
ワンダーは【不言の通信網】という覚醒魔術を持っている。離れた位置にいる者と言葉を介さずして対話が出来るという特殊な能力だ。
それを使って康平にコンタクトを取ろうと何度も試みてはいるが、一度としてワンダーの心の声が康平に届くことはない状態でいる。
「ずっと試してはいるのですが……全く届く様子がなくて……」
クロンヴァールの恐ろしい目に怯えながらも、ワンダーはあるがままの報告をどうにか口にする。
割って入ったハイクの指摘に対し、頭では必死に否定していながらも、とある可能性を示唆せざるを得なかった。
「だが、この短時間で国外に出たということはねえはずだろう」
「ぼ、僕の能力は距離が弊害になることは基本的にありません。通じない理由として考えられるのは……魔法が届かない特殊な環境下にいるか、本人に意識が無い場合。そうでなければ……」
「もう死んじまってる場合、ってことか。ま、あり得ない話でもねえんだろうが」
「そんなことはありませんっ。お師……コウヘイ様が死んでいるだなんて、そんなわけ……」
「小僧、希望的観測で物事を進めようとするな。常にあらゆる状況を想定することが出来ねば組織として優秀でいることは出来ん。考え得る最悪の想定が現実となることなど山ほどある。戻ったなら戻ったでいいだろう、相応の事情があるなら汲み取って然るべきではある。だが、このまま戻らなければ奴は死んだものとして扱うほかあるまい」
再びクロンヴァールに睨まれ、ワンダーは言葉を失い泣きそうな顔で俯いた。
それを見かねたということも理由の一つではあったが、重苦しい空気をどうにかしなければと口を開いたのはジェルタール王だった。
「ですが、距離にしてみればここから一刻と掛からないはず。その短時間の間に、それも直前に第一分隊が通った経路で敵の襲撃に遭うようなことがあるとも思えませんが……」
「そうだとしても、腹拵えをしていましたと言われるよりは余程可能性は高いと思うが?」
「そうですね。私とてあの聡いコウヘイ殿が理由も無く行方を眩ませるとは思えない。何かあった、ということは間違いないと見るべきでしょう」
「問題はその何かが何なのかということですが、じき確認に向かわせた兵士達も戻ります。情報の一つぐらいは持って帰るでしょう。いずれにせよコウヘイ君を捜すことだけに時間を割ける状況ではない、ということでいいですか? 姫様」
ジェルタールの見解に言葉を添えたのはアルバートだ。
クロンヴァールが兵士長を、自身が副兵士長を務めていた頃から近しい位置にいたアルバートはセラムと並んで主の行動や思考を先読みする能力に長けている。
この場における判断という意味では他者からしてもさして難しいことでもなかったが、いつだって指示や命令が下される前に動くことが出来る側近であるからこそ王の傍に居続けることが出来るのだ。
「当然だ。王都で戦いが起きなければ各隊からの報告が揃い次第敵の拠点を攻めるつもりでいるのだ。防衛と襲撃、両の準備を平行して進めなければならん。無駄に出来る時間など微塵もありはしない」
なら、と。
ハイクが持ち場に戻ることを告げるべく口を開いた時。
それを遮る様に広間の扉が勢いよく開いた。
入って来たのは一人のシルクレア兵だ。
「クロンヴァール陛下、報告であります!」
通信兵である兵士はクロンヴァールの前で立ち止まり、敬礼の姿勢を取るなり声を張る。
誰もが康平に関する情報を持ってきたのだろうと思い込んでいる中で続けられた報告はその予想とは大きく違うものだった。
「監視兵より帝国騎士団の一群が城下に向かって進行中との報告! 敵の数は二百前後、予測される王都到達までの時間は一刻程度、エリオット・クリストフの姿も確認しているとのことであります!!」
瞬間、空気が凍り付く。
現実のものとなった王都への急襲。
そしてスラス襲撃の時と同じく敵の本気度が窺える団長クリストフ自らの参戦。
そのただならぬ事態にジェルタール王を始めとするサントゥアリオの面々は恐れと絶望によって固まってしまっていた。
しかし、そうではない者達が思考を切り替える速さもまた、ただならぬと評するだけのものがあった。
シルクレアの戦士が戦場で動揺することはない。それだけの訓練と経験を積んでいるからだ。
そしてサントゥアリオ勢では唯一、ヘロルド・ノーマンだけが人知れず心に宿る憎しみを殺意へと変えていた。
「状況は分かった。他に報告がなければ下がれ」
クロンヴァールは兵士に告げると、玉座へと体の向きを変える。
「直ちに敵を迎え撃つ準備に掛かるぞ。私は正門に向かう。ダン、付いてこい」
「了解だ」
「アルバートとノーマンは裏門に回れ。それぞれ兵士千人を配置する、死んでも突破させるな」
「御意」
「仰せの通りに」
「ジェルタール王、エレッド大臣とワンダーはここで待機だ。ジェルタール王には護衛を複数付けろ。城内、城下に警戒態勢を取らせ、民の安全を最優先にすることを徹底させるよう指示を、何かあればワンダーから連絡を寄越せ」
「承知しました」
「同じく」
「ぼ、僕も同じくですっ」
「奴らもようやく時間稼ぎやゲリラ戦術を終わりにするつもりのようだ。正面から向かってくるならば、正面から叩き潰す。この国も、この世界も、誰の手にもくれてやるな!」
クロンヴァールの大きな声が響き、間髪入れずにその他全員の大きな返事が重なる。
それを受け、クロンヴァールは無言で背を向け出入り口に向かった。
内乱が始まって以来、最大規模の戦いに向けて。
それぞれがこの戦いの勝敗がすなわちこの戦争の勝敗に直結することを予感しながら、ジェルタール王とエレッド大臣、そしてワンダーと士官二名を除いた全ての戦士がクロンヴァールに続いて玉座の間を後にする。
王都の戦いが今、始まろうとしていた。