【第十章 その⑦】 都市奪還七番勝負・再 兄妹
6/7 ひらがな表記を漢字に修正 いわれ→言われ
「はぁ……はぁ……」
長く激しい攻防を経て、セミリア・クルイードはようやく動きを止めた。
乱れた呼吸、そしてこめかみから滴る赤い血や魔法攻撃の直撃によってズキズキと痛む左足首が絶え間なく攻め続けていながらも防戦一方となっている戦況を象徴していた。
康平と別れたのち、しばらくして辿り着いた主要都市フルト。
そこに刺客として現れたのは、薄く緑がかった肌をしていて頭部に二本の湾曲した角が生えている魔族の男だった。
その正体は魔王軍四天王の一角であるバジュラである。
前回と同じく、まずは一対一で戦いに臨む。
誰が相手であれそうすると決めていたセミリアだったが、【呪い師】の異名を持つ魔王軍切っての魔法使いであるバジュラが相手とあっては形勢有利に持ち込むことも容易ではなかった。
前回の作戦後にアルバートの口から聞いた報告の通り物理的な攻撃が一切効かず、それでいて多彩かつ強大な魔法攻撃がセミリアの武器である剣術とスピードによって戦闘を優位に進めるという手段をことごとく奪ってしまっている。
魔法を扱えないことで生まれる相性の悪さ。
それはアルバートが対峙した時と同じく、戦術や策略によって覆すことが難しい現実だった。
「カッカッカ、まだ足掻くつもりか。貴様の攻撃は意味を成さぬと何故気付かぬ、浅はかな人間風情めが」
対して、バジュラは先端に赤い宝玉の付いた杖を手におぞましい笑みを浮かべ、その見開かれた大きな目をセミリアへと向けた。
幾度となく斬り付けられた傷も、刺されたはずの胸部や喉元の傷も既に完全に塞がっており、その肉体には戦闘の痕跡すら一切残っていない。
それだけではなく身に着けている茶色いローブすらもが裂かれ、穴が空いたはずの状態から元の姿へと形を戻していた。
肉体、そしてローブ。
共に再生し攻撃される前の状態を維持してはいるが、実際にはそこに関連性は存在しない。
物理的な攻撃が通じない。
これはバジュラが持つ覚醒魔術によるものである。
他者の目からは見えないオーラで常に全身が覆われているバジュラはそのオーラを通過した物理的な攻撃を無効化出来るという能力を持っている。
例え体に傷が残ったとしても、オーラを通過している限り肉体が瞬時にその攻撃を受ける前の状態へと戻ってしまうのだ。
単独で形状維持の効果を持っているローブを身に纏うことで相手に与える『攻撃が効かない』というイメージを強いものとする。
それがバジュラの戦略であり能力であった。
当然のことそれらの背景を知らず、かつ剣による攻撃以外にダメージを与える術を持たないセミリアはうまうまとその術中に嵌る。
少しでも魔法力を扱えたならば斬撃波に魔法力を帯びさせて繰り出すことで多少なりとも攻撃の手段となり得たかもしれない。
しかし、その手も使えないセミリアはどうにか活路を見出そうと素早い身のこなしと卓抜した剣術によって攻撃を仕掛け続けたものの、バジュラに一切ダメージを与えることなく逆に魔法攻撃によって傷を負う一方となってしまっていた。
「魔王軍四天王というのは、どこまでも厄介者揃いということらしい……」
こめかみの血を腕で拭い、どうにか返した言葉は挑発に対して強気に出ようという意志が見えるものではなかった。
その頭には既に戦闘の経験がある同じ四天王のエスクロやマグマの姿が浮かぶ。
いずれをとっても、尋常ならざる強さと能力を持った魔王軍最高戦力の名に相応しい強者だった。
そして、それは目の前に立つ男も同じ。
勇者として悪に屈するわけにはいかない。
絶えず胸に抱くその強い気持ちも、大魔王や魔王どころか四天王にすら太刀打ち出来ないのかと、己の無力さを悔やむ思いが勝りつつあるセミリアの心を揺さぶっていた。
このまま攻撃を続けることに意味は無い。
何よりも、負傷した足が生命線である動きの速さすらも奪っていることが分からぬはずもなかった。
ならばどうするべきか、と。
敵の動きに神経を注ぎながら、セミリアは必死に考えを巡らせる。
まず浮かんだのは後方で待機している部隊に援軍を求めるという手段。
白十字軍第一分隊五百名の中にはシルクレアの魔法部隊五十名が含まれている。
敵を倒すために攻撃魔法が必要なのであれば、それが最善の策と言えなくもない。
しかし、いくら精兵揃いのシルクレア兵といえど一般の兵士がこのレベルの魔法使いを相手に戦況を覆すことが出来るとは到底思えず。
それ以前に援軍を求める展開を想定していなかったため遠く離れた位置に居る兵士達との連絡手段となるサインを決めてもいなければ、大半の兵士を裏門に回してしまっている状態だ。
別の地点で新たに結界内に進入する者が出れば新たに刺客が現れるという当初からの前提条件がある以上突入前の兵士を呼び戻すことは可能だろうが……だからといってその暇を与えてもらえるかどうか。
様々な疑問と葛藤がどの選択にも踏み切らせず、セミリアはただ両手で剣を構え変わらぬ距離で向かい合ったまま動くことが出来ずにいた。
「早くも打つ手無しのようだな勇者よ。前回の戦いとは事情が違う。向かってくるならば殺すことになるが、いっそ逃げ帰ってみるか? そうなれば追うつもりはない。じきに纏めて消え失せるのだ、もはや我らにとって人間の命の一つや二つに固執する価値は無い」
「ほざくな下劣な悪党めが。貴様は必ずや私がここで仕留める。これ以上この国で好き勝手させるものか!」
「やはり、人間とは浅はかな生物よ。その仕留める方法がどこにあるというのだ、無意味な攻撃を仕掛ける度にダメージを負っているのは貴様の方ではないか」
「くっ……」
正論とも言えるバジュラの言葉に、セミリアは二の句が継げなかった。
感情に任せて声を荒げようとする衝動をどうにか押さえ込み、屈辱に表情を歪めたまま睨み付けることしか出来ない。
真っ当とも言える指摘も当然ながらその理由であったが、自身の言葉に疑問を抱いてしまっていることが何よりも大きな原因となっていた。
この国のために。
果たして、その気持ちは以前と変わらずこの心に残っているのだろうか。
そんな自問の答えを必死に探し出そうとするが、どこにも見つけることが出来ない。
マーシャ・リンフィールドの口から語られた過去の全て。
森の中の教会で出会ったユリウスという男の言葉。
そして争いの中で命を失った血に塗れた少女の姿。
それらが次々と頭を駆け巡ると同時に、ドクンと心臓の音が強く体内に反響した。
連鎖する様に浮かんでくる様々な迷いが次第に強く勇ましくあるという信念を揺るがし始める。
何が正しいのか、何が間違っているのか。
どの方法が正しいのか、誰の主張が正しいのか。
どの考え方が間違っているのか、どこで誰が選択を誤ったのか。
自らの抱く正義も、己の決めた道も、今となってはどの答えも導き出してはくれなかった。
康平に励ましてもらったばかりだというのに。
康平に勇気を貰ったばかりだというのに。
ひとたび傍を離れるとこうも精神的に不安定になってしまうのかと思うと、無理を承知で同行してもらうべきだったのかもしれないという後悔が過ぎる。
どれだけ世に名を轟かせていようとも、どれだけの強さを習得していようとも、それは十八歳の少女が本来持ち合わせて然るべき感情であり脆さだと言えるものではあったが、この場においてそれが何らかの好材料となるはずもなく。
徐々に増していく迷いと、康平に助けを求めたいと思う気持ちが次第に闘争心までをも薄れさせていった。
負けてなるかという気持ち。
勝たなければならないという気持ち。
戦うことの意味に疑問を抱きつつある弱った心がそれらを取り戻す方法を今のセミリアが見つけだせるはずもなかった。
その迷いが直接の原因だと断定することは誰にも出来ない。
しかし、事実がどうであれ間違いなく更なる状況の悪化を告げる光景と音がセミリアの目と耳に届いたのは直後のことだった。
馬が駆ける足音が辺りに響く。
その方向に見えたのは黒い鎧を身に着け、顔の上半分を鉄仮面で覆い隠した細身の男が颯爽と向かってくる姿だった。
それがユリウスという騎士団の戦士であることに気付くまでにそう時間を必要とすることもなく。
少し前に森の中で別れたばかりのあの男がなぜこの場に現れるのかという疑問が全てを飲み込み、脳内を埋め尽くしていった。
バジュラと共に視線を送ること十数秒。
近くまで来るなり馬を飛び降りると、男はバジュラの背後に付いた。
ユリウスが援軍の目的でこの場に現れたならば、状況はより絶望的になってしまう。
バジュラ一人が相手でも明らかな劣勢を維持し続けているのだ。
そこにエレナール・キアラを一対一で倒してしまうレベルの強さを持つユリウスが加わるとなれば、勝機など無いに等しいことは考えるまでもなかった。
それが分かっていたところで下手に動くわけにもいかず、セミリアはただ武器を構えたまま二人に視線を向ける。
為す術の無い敵の姿が滑稽に映ったのか、バジュラは余裕ぶった態度で背後に立つユリウスへと言葉を掛けた。
「カッカッカ、どうしたのだユリウス。貴様の担当はフローバーのはずだ、そっちはもう片付いたのか?」
「無意味な遊びに裂く時間などない。それはお互い様だろう」
ユリウスは冷たさを感じさせる淡々とした口調で言葉を返す。
対してバジュラは嗜虐的な笑みを浮かべ、その視線を再びセミリアへと向けた。
「分かっておるではないか。その通り、いつまでも余興に付き合ってやる程暇ではないわ。わざわざ様子を探りに来ずともこのような小娘一人に負けはせん。そろそろ終わりにするとしよう」
「馬鹿が……終わるのはお前だ」
吐き捨てる様に言うと同時に、ユリウスの右腕は横一線に振り抜かれていた。
目にも止まらぬ速さで、腰に差した剣をその手に握った状態で。
「「なっ!?」」
二つの声が重なる。
一つは目の前の光景に唖然とし、目を見開くセミリアの声。
そして、もう一つは胴体を真っ二つに切り裂かれ上半身と下半身が分断した状態で地面に崩れ落ちていくバジュラの声だった。
「ユ、ユリウス……貴様ぁ」
体を両断されたバジュラは地面に転がったまま動くことが出来ない。
ただ繋がっていない体の首から上だけを動かし、憎しみの籠もった目をユリウスに向けて唸る様な声を上げた。
本来あるはずのない剣による一撃が生んだ致命的なダメージ。
それを可能にしているのがその剣に帯びる青白いオーラにあることを知らないバジュラは困惑し己の身に何が起きているのかを把握出来てはいなかった。
「下らぬ企みの行く末などこの程度がお似合いだろう」
ユリウスはどうにか絶命を免れようと傍に転がる杖に手を伸ばすバジュラを見下ろし、冷たく静かに告げると、返事を待たずして右手に持つ剣を勢いよく振り下ろした。
その先端はバジュラの顔面を貫通し、地面に深く突き刺さる。
同時に、悲鳴と叫喚の混ざった断末魔の叫びが辺りに響き渡った。
すぐに全ての動きを失ったバジュラはそのままその身を消滅させる。
残ったのは静寂を取り戻した空間と二人の人間。
その一人であるセミリアは目の前で起きていることへの理解が追い付かず、動揺を隠せないままにどうにか言葉を絞り出した。
「な、何をしているのだ……貴様達は協力関係にあるのではなかったのか」
「そんなものは互いに利用しあう為の取引でしかない。それとて俺にとっては初めからどうでもいいことだ」
「ならば……なぜこの場に現れた。そうまでして私の命を奪うことに固執しようというのか」
「そうではない。お前と話がしたかった、ただ……それだけだ」
「私と……話を?」
セミリアは益々困惑する。
ユリウスの行動は未だ理解出来ぬものであったが、そこに敵意は感じられず、どこか弱々しい口調がより状況の判断を難しくさせていた。
「お前達が森を去った後、あの女に少し……お前の話を聞いた。お前の、過去の話を。それはもしかすると……俺の人生を揺るがす話なのかもしれない。それがここに来た理由だ」
「リンフィールド殿に……何を聞いたというのだ」
「あの女は全てを語りはしなかった。お前を敵だと言い張る俺が相手なのだ、当然と言えば当然なのだろう。ゆえに直接お前に会いに来たのだ」
ユリウスは真っ直ぐにセミリアを見据える。
そして、森の中で交わされたマーシャとの遣り取りを思い起こしながら独り言の様に語り始めた。
○
名も無き森の奥深く。
一人の少女の埋葬が終わり、間もなくした頃。
ユリウスにとって命を奪うべき相手である異国の勇者とその連れであるらしい名も知らぬ一人の少年が立ち去ると、教会の主であるシスター・マーシャことマーシャ・リンフィールドと二人だけがその場に残された。
目の前には真新しい十字架が立っている。
そこに眠る部下の痛ましい最後に怒りと憎しみを再燃させながら、ユリウスは遠ざかり姿の見えなくなった二人の向かった先へと視線を移した。
居なくなって初めて無傷のまま帰すことの愚かしさに気付き、自然と舌打ちが零れる。
「ちっ……」
その姿を見て、隣に立つマーシャは諫める様に言った。
「今はあの少女が安らかに眠れるように見送ってあげることだけをお考えなさい。先程も言いましたが、あの子を傷付けようとすることは私が許しません」
「お前に許しを請わねばならぬ理由などない。あの女はこの国に荷担している、それだけで殺すに足る存在に違いはないのだ。何よりも……銀色の髪をしているだけで存在が許せぬ」
「あの子が少なからずあなた達と同じ血を引いたとしても……同じことが言えますか?」
「……何だと?」
「何年も前の話です。あの子はここと似た、静かな森の中で暮らしていた。家族と共に、そして同じ血を引く人々と共に。もっとも、あの子自身は半分しかその血を受け継いではいないのですが……それでも平和に暮らしていたのです。しかしある日、王国護衛団の夜襲に遭い、村を焼き払われてしまった。当時は私も大臣として国に仕えていました。そして部隊に同行しその森の中にある村へと向かったものの私は夜襲を知らされておらず、どうにか焼き討ちを止めようとしたのですが非力な私にその術はなかった。それでもどうにか一人でも多くの村人を助け出そうとしたのです。だけど……私は間に合わなかった。罪無き人々を救うことは出来なかった。あの子一人を逃がしてあげることが精一杯だった。あの子の母親があの子の目の前で火矢に撃たれた姿を見ました。あの子のお兄さんが静止を振り切って部隊に向かっていくことも止められなかった。あの夜襲は、ピオネロ民族の血を引いているというだけの理由であの子から全てを奪ってしまった。母親も、兄も、住む場所やこの国で生きる権利も、それらを持っていれば歩むことが出来たであろう未来も、そして……名前すらも。だから私は、あの子にこれ以上この国の繰り返される歴史の被害者になって欲しくはないのです。本音を言えば争いに加わることすらやめて欲しい。だけど、それを強いることは出来ない。あの子が選んだ勇者という生き方を否定することなど出来るはずがないから……」
「………………」
ユリウスは無自覚に聞き入り、無言のまま固まってしまっていた。
唖然として立ち尽くす姿は衝撃に打ち拉がれていることが傍目に分かる程に弱々しく、心配したマーシャが言葉を掛ける寸前でどうにか返した言葉は、辛うじて絞り出したものであろうことは明らかだった。
「今の話は…………全て、事実か」
「嘘を吐く理由がありませんよ。それよりも、随分と困惑しているように見えましたが、大丈夫ですか?」
「俺のことなどどうでもいい! あの女の話を詳しく聞かせろ」
「それは出来ません。あなたがあの子に刃を向ける可能性があるならば、これ以上お話することはありません」
「拒否すれば今ここで殺されるとしても……同じ事が言えるか」
ユリウスは鉄仮面越しにマーシャを睨み付ける。
その低い声が脅しではないと、暗に告げていた。
「それでも、答えは変わりません。今の私には我が身よりも何倍もあの子の人生の方が大切なのです」
「ならば今一度問う……先程の話は、全て事実なのか」
「言った通りです。そのような作り話をする理由が無い」
「森の中に暮らすピオネロが護衛団によって焼き討ちにされた……そこにお前が現れ、あの女を……銀色の髪をした女を救ったと言うのか。お前があの七年前の惨劇の当事者の一人だと……そう、言うのか」
「なぜ……七年前だとあなたが知っているのですか?」
マーシャは驚きと戸惑いの混じった表情をユリウスに向ける。
一度たりとも『七年前』という言葉は口にしていないのだ。当然の疑問だった。
ユリウスはその問いを無視し、右手を腰に回すと一本の短剣を取り出した。
鎧に隠れているため外見からそれを知ることは困難であったが、それは己の人生を狂わされた日以来常に持ち歩いている物だった。
「ならばお前は……これに見覚えがあるか」
差し出された短剣。
それが何を意味するのかと、受け取ろうと伸ばしたマーシャの手が直前で静止する。
柄に彫られたとある紋章。それがリンフィールド家の家紋であることに気付かぬはずがなかった。
同時に、かつての自身の所有物であった物だということを理解する。
「ど、どうして……あなたがこれを」
伸ばした手は固まったままに、震える声と見開かれた目がユリウスへと向けられる。
疑問を口にしていながらも、その答えは既に問うまでもないことだった。
「これはあの日、貴族の様な格好をした女から奪った物だ。我を失い、俺達の全てを奪い狂わせた護衛団のクズ共を一人でも道連れにしてやろうと躍起になっていた……そのせいで妹の行方も分からくなった。ヘロルド・ノーマンに返り討ちにされた俺は数日もの間意識を失っていたからだ。母を目の前で殺され、村は滅び、妹も死んだと思っていた……だからこそ俺は帝国騎士団に加わったのだ。この国に復讐するために、ただそのためだけに生きてきたのだ! お前の話が事実ならば……お前が当事者だと言うならば、それが俺にとって何を意味するか、分からぬとは言わせぬ」
「そんな……あの子のみならず、あなたもあの時の子供だと言うのですか……こんなことが……」
マーシャは両手で顔を覆う。その目からは大粒の涙が溢れていた。
なぜお前が泣くのかと、到底理解できないその姿にユリウスは苛立つもののそれを口には出来ず、問い詰め、事実を明らかにさせねばと乱れる感情を振り払う。
手に持った短剣をマーシャに押し付け、そのまま背を向けた。
「話は終わりだ……これは返しておく。ルイーザのことは世話になったな」
「待ってください! あなたは……これからどうするつもりなのですか? あの子に会いに行こうと考えているのでしょう」
強引に持たされた短剣を胸に抱き、マーシャは慌ててその背に声を掛ける。
ユリウスは振り返ることなく、立ち去ろうとする足だけを止めた。
「どうするにせよ、直接確認してからのことだ。聞いた話全てを鵜呑みにするほど愚かではない」
「すぐに……後を追うのですか?」
「先に一度グリーナに戻る。随分と時間も経っている、奴らに勘繰られるのは面倒だ」
「なら、その後は……」
「その後どうなるかなど俺にも分からぬ。だが……俺にとってはもはや戦争や都市云々よりも重要なことに違いはない」
「あなたが争い、傷付け合うことを生きる目的とせずに済むようになるならば、私は何を差し置いてもそれを後押ししたい。これ以上あなた達が誰かを憎むことなく生きていける方法があるならばそうあってほしいと願っている。私にはあなた達の生き方を否定する権利などない。これはあの子にも言ったことだけれど、もしも誰かに殺意を向けなければ自我を保てなくなった時は再びこの場所を訪れてください。私のこの命を差し上げます。どうかそれで他の誰かに向ける刃を収めてほしい。繰り返される悪しき歴史はいつか止めなければならない。だけどそれは争い合うという方法で、ましてやあなた達にそれを押し付けることで成し遂げられることではない。復讐という目的でどれだけの人間を傷付けても、やはりあなたの何かが変わることはないと私は思うのです。今からでも遅くはない、生きている限り手遅れだなんてことは決してない。今日ここでの出会いが、あの少女の死があなたの何かを変えるきっかけとなる可能性があるならば、どうか未来に目を向けてください」
「フン……相も変わらずめでたい女だ。偽善と自己犠牲の押し売りで何かが変わるぐらいならばこの国もここまで腐りきってはいなかっただろう。時代錯誤な考えはいつか身を滅ぼすことになるとなぜ分からぬ」
「何を言われようとも、私はあなた達がそうある時がくると信じています。そして、それを願い続けてみせます。それからもう一つだけ、あなたに伝えたいことがあります。聞いていただけますか?」
「…………」
背後から聞こえる優しい声音にユリウスは返す言葉を失う。
それでいて無視して去っていくわけでもなく立ち尽くす細身の体に近付いていくと、マーシャはその背にそっと両手を添え、そこに額を押し当てて続きを口にした。
「生きていてくれて……ありがとう」
心に重くのし掛かる静かな声。
それは修羅の道を進むと決めた日に失い、捨てたはずだった深い慈愛を思い起こさせていた。
いつまで御託を並び立てれば気が済む。
この俺に知った風な口を利くな。
次々と沸き立つ拒絶の言葉は、やはり声になる前に消えていく。
苛立ち以上にどこか乱れた感情が意志と行動を分離させ、ユリウスはただその場を立ち去ることを選ぶ他なかった。
無言のまま、振り返ることなく再び足を進めるとすぐ傍で待機させていた馬へと飛び乗り、同時にその腹部を踵で蹴ることで発進させる。
進行方向へと向きを変える瞬間、横目に映ったマーシャはまるで何かを祈る様に目を閉じ両手を組んだ状態で体を向けていた。
頭に残るその姿に舌打ちを一つ残して、ユリウスはグリーナへと戻るべく森を離れていった。
○
二人を静寂が包む。
互いに動く気配を一切見せず、目を合わせた状態で固まっていしまっていた。
セミリアは今尚困惑したまま、それでいて決して隙を見せまいとユリウスから視線を逸らせずにいる。
ユリウスはセミリアの反応を待つために鉄仮面越しに様子を窺っている。
その異なる心理状態が無言の間を生み、どう言葉を返すべきか、どう言葉を続けるべきか、その答えを見失わせていた。
ユリウスは森の中での出来事の全てを明かしてはいない。
他人に、それも異性であるマーシャに心を乱される様を自ら語ることを無意識に避けていた。
口にしたのはセミリアの過去、その片鱗をマーシャから聞かされたということだけだ。
それを一方的に語られたところで、セミリアにとってはどういうつもりだと疑問を抱く他に感じようがなかった。
「お前の名を……聞かせてくれ」
先に口を開いたのはユリウスだ。
セミリアに何かを察した様子がないことを受け、自ら切り出そうという決心の表れだった。
「……グランフェルト王国の勇者、セミリア・クルイード。それが私の名だ」
「そうではない。お前には別に名前があるはずだ」
「なぜ……そう思う」
「森で聞いた話が事実ならば、俺はお前を知っている可能性がある。俺はこの手でお前を殺すと決めていた……それは銀色の髪をした女だという話を聞いたからだ。それは俺にとって何よりも許し難い存在だった。お前に俺と同じくピオネロの血が流れているならば気付かぬはずがない……だが、お前の目は俺達のそれとは違う」
「この国に来る時、この国の者と接することになる時、私は瞳を隠すことに決めている。本意ではないが……それは当然の自衛策だ」
「ならば、その隠している瞳を見せてくれ」
「貴様に見せる必要がどこにある! 一体貴様は何の話をしているのだ! 私を騎士団に勧誘しようとでもいうのか! そんなものは……」
「後生一生の頼みだ……」
「な……」
悪鬼と呼ばれる男とは思えぬユリウスの姿にセミリアは言葉を失う。
ここに来た目的も、戦おうとしない理由も、話を聞いて尚ほとんど理解出来てはいない。
何を企んでいるのか、と。
戸惑いと疑心から声を荒げたものの、一層弱々しくなるユリウスの声音がそれ以上の威嚇や牽制に歯止めを掛けていた。
どうするべきかの判断も出来ず、懇願する様な、それでいて退かぬ意志を感じさせるその言葉に気押され、セミリアは渋々ながら両目に装着しているレンズを外すべく片手で顔に触れる。
康平、アネット、そしてマーシャ。
露わになった瞳が薄い青色である理由を知る者は今や三人しか居ない。
しかし、事情や理由を知らずとも同じ血を引くユリウスがその意味を理解出来ないはずがなかった。
カランと、ユリウスの剣が地面に転がる。
武器を手放し、それを気にも留めない程に打ち拉がれたその姿に困惑の度合いは増す一方でありながらも、セミリアはどうにか言葉を継いだ。
「これで分かっただろう、私はピオネロとガナドルのハーフだ。確かに貴様等と同じ血を引いているかもしれぬが、だからといって……」
「お前の……お前の本当の名は……アイミス…………ヴェルミリオではないのか」
「な……なぜ貴様がそれを知っている……その名を知る者はもうこの世に一人しか居ないはずだ! コウヘイ以外の者にその名を明かしたことはない!」
「……ユリウスという名に、覚えはあるか」
「そのような名に聞き覚えは無い。何が言いたいかは知らぬが、こちらの質問に答えろ」
「ユリウスというのは母親の旧姓だ。俺の本来の名はヴェルミリオ……フレデリック・ヴェルミリオだ」
「それは……それは、死んだ私の兄の名だ。なぜ貴様がその名を……」
セミリアの手からもまた、無意識に剣が滑り落ちた。
理性は失われ、ある種の恐れと激しい動揺が己の疑問に対する答えを自ら導き出そうとすることを拒み思考を停止させる。
「アイミスという名も……俺にとっては死んだはずの妹の名だ。これが何を意味するのか……もはやそれは、今の俺にとっては全てとも言える」
ユリウスはほとんど独白の様に呟くと、顔の上半分を覆う鉄仮面を取り外した。
決して人前で見せることのないその目元が露出する。
そこにあったのは同じ帝国騎士団の一員であるラミアス・レイヴァースが『出来損ない』と形容し、ユリウスを毛嫌いする何よりの原因である混血の証。
セミリアと同じ、薄く青い色をした瞳だった。
「それは……まさか、そんな……」
セミリアは切れる息でどうにか言葉を絞り出した。
この国に生きる二つの民族。その両方の血を引く者が青い目をしていることは古くから広く知れ渡っている。
しかし、それは知識として或いは過去の遺物として存在を認識しているだけに過ぎず、現実にその瞳を持つ者を見た経験がある人間など過去数十年ほとんど居ないも同然だと言えた。
どちらの民族にとってもそれ程にあるはずのない存在。それが青い瞳の意味であった。
だからこそ目の前に立つ男が同じ目をしているということが何を指すのか、どれだけ錯乱していようとも理解出来ないはずがなかった。
「本当に……兄上なのか……」
震える声が漏れる。
対してユリウスは目を閉じ、一度大きく息を吐いた。
無理矢理に冷静さを保とうとする様に、そして今にも崩壊しそうな自我を保つために。
「あの日、村からお前を逃がしたのだと教会にいた女から聞いた。もしやと思った。そうあってくれと願った。母親が目の前で死んだ。俺も息絶え絶えで意識を失ったままだった。お前の安否を知る術は無かった……ゆえに死んだものだと思っていた」
「教えてくれ……もしも貴様が本当に私の兄上だと言うのなら……あの後、リンフィールド殿の短剣を奪って護衛団に向かっていった後どうなったのかを」
「俺は真っ直ぐに丘の上に向かった。そこに居たのは十数人の兵士と、それを率いていたとある男だ。その男の話も聞いているか」
「ヘロルド……ノーマン」
「そうだ。俺は差し違えるつもりでノーマンに襲い掛かった。奴の首を切りつけ、憎しみに身を任せて命を奪おうとした。だが、幼い俺が短剣一本で仮にも護衛団のトップに立つ男に勝てるはずもなく、斬り伏せられた挙げ句に丘の上から蹴り落とされた。俺は死んだと思った、そのつもりだった。しかしこの血のおかげか、俺は目を覚ました……どうにか生きていた。その時目の前に居たのがエリオット・クリストフという男だった」
「それで……帝国騎士団に加わったのか」
「森の中でも言ったことだが、俺にとっては遙か昔に消えた国や過去に戦いに散った祖先になど何の興味も無かった。ただ、妹や母親を殺された恨みを晴らすために加わることを決めた。この国を滅ぼすための力と舞台を用意すると言ったクリストフと、そのための協力をするという契りを結んだのだ」
「私の知らないところでそんなことが……」
「お前はどうなのだ。俺があの場から立ち去った後、どうやって生き延びた」
「リンフィールド殿が国外に逃げる術を与えてくれた。国内に居てはいずれ見つかって殺されてしまうからと……船に乗り、グランフェルトに降ろされた。行く当ても無く放浪し、飢えたまま行き倒れそうになっていたところをノスルクに助けてもらったのだ。それからはノスルクの元で強くなるために修行を重ねた、自分の様に力によって理不尽に奪われる者を救いたいと……精一杯戦った。そしていつしか勇者と呼ばれるようになった……」
「ノスルクというのは騎士団の手によって亡き者にされた元魔法使いだったか……レイヴァースがやったという話だったが、俺が無関係だとは言えないのだろう。それによってお前が辛い思いをしたならば、すまないと思う」
「過ぎたことだ……今になって何を言われようとどうにもなるまい。だが、貴様が本当に私の兄上だというならば、兄上がそうやって私を思ってくれるならば、私達が戦う理由は無いはずだ。私と一緒に行こう」
セミリアはゆっくりと、ユリウスに近付いていく。
二人の距離が手を伸ばせば届くまでに縮まるが、その手が伸びるよりも先にユリウスがそれを止めた。
「それは……出来ぬ」
「な、なぜだ! 私達が敵同士でいる理由は無いはずだろう!」
「あの日から今日まで、俺は復讐のためだけに生きた。そのために戦った。そのために多くの命を奪った。この国を滅ぼすために、より多くの血を流すために。そして……今尚それを後悔していない。お前が生きていたとしても、村を焼き払われ、母を殺されたことは紛れもない事実なのだ。復讐と血に染まった俺にお前と共に行く資格などない。そして、お前が生きていたと知ることが出来た今、もう思い残すことはない。お前に俺の命を奪わなければならない理由があるならば、そうしてくれて構わない。直接手に掛けることが躊躇われるなら自ら命を絶つ」
「何を言うのだっ、私が兄上の命を奪うわけがないだろう!」
「感情はそうであっても、立場というものがある。お前は異国で勇者となり、この国を救うためにやってきたのだろう。俺などのために敵と通じていると勘繰られるわけにはいくまい。俺にとってはお前の今後の人生が何よりも大事なものとなったのだ。今更こんなことを言われる筋合いもないのだろうが、そうさせてくれ」
「そんなものは関係ない。私も今日初めてあの日の真相を聞いたのだ。正直に言えば心が揺れている部分もある。正義とは何なのかと迷う気持ちもある。だがそれでも、助けを求める者を救うことが自らに課した使命だと思いたい、そういう意志もあるのだ。救われたから今この命がある。ならばこそ、私は自分の中の正義を貫きたい」
「そうか……ならば」
「だが、それとこれとは話が別だ。兄上は唯一残った家族なのだ。その命を奪うことが正義だと誰かが決めたとしても、そんなものは拒絶してやる。私の正義は、私が歩む道は私が決める。そこに家族の命を奪うことで何かを得る選択肢などない」
「昔から……お前はそういう奴だったな。自分で決めたことを貫き通そうとする。何度挫けても、やると決めたことは最後までやろうとする。そして生意気にも俺の心配をして、俺の周りをいつだって付いて回ろうとしていた。騎士団の中に加わってからの俺に近付く奴などろくに居なかった。感情を持たない鬼などと呼ばれ、部下ですら恐れて近寄ろうとしなかった。唯一違ったのが……ルイーザだった」
「共に埋葬した、あの少女のことか」
「そうだ。お前と同じでどれだけ邪険にしても、嫌味を口にしても平気で俺の後ろを付いてきた。やがてそれが当たり前の様になっていた。誰とも馴れ合うものかと決めた俺がそれを拒絶しなかったのはもしかすると……お前と重ね合わせていたのかもしれない」
「兄上……ならば、やはり一緒に行こう。決して悪いようにはしない。今ならまだ争いを収めることが出来るはずだ。兄上も戦わずに済むようになるのだ。多くの犠牲が出たのかもしれない。だがそれでも、ここで繰り返される歴史を変えることが出来るはずではないか。そうすれば私達のような者も虐げられることなく生きていける、そういう国に向かっていけるはずだろう……私はこの戦争を止めたい、そのために出来ることはないかと参加を決めたのだ。私達がここで出会えたことは、きっと何かを変えるきっかけとなってくれる。そうでなかったとしても……」
セミリアは一度止めた腕を再びユリウスへと伸ばし、その手を握った。
両の目から溢れ出る涙が頬を濡らしていく。
黒い革の手袋が填められたその手から温もりが伝わることはなかったがそれでも、ユリウスもまた微かにその手を握り返した。
「死んだと思っていた。そう聞かされた。二度と会えないと思っていたのだ……もう、離れ離れになりたくない」
「心配するな。俺はお前を馬鹿にすることはあってもお前が嫌がることはしない。ずっとそうだっただろう」
「ああ……口では文句を言っていても、最後には私のわがままを聞いてくれる。それが兄上だった」
「人生を狂わされ、俺自身も狂ってしまったとしても、お前の兄であることだけは変わらない。だからこそお前の敵でいるようなことはしない。今後どうするか、それを考える時間が必要だというだけだ」
「ならば……約束してくれ。どういう答えに行き着こうと、必ず私に会いに来てくれると」
「約束だ、必ず会いに行く。これ以上お前に家族を失う悲しみを味わわせたりはしない。先程一緒に居た小僧がお前の恋人に相応しいかどうか、一度話をしてみなければなるまい」
「ふっ……リンフィールド殿と同じ様なことを言うのだな。その時にも言ったが、コウヘイは私の恋人というわけではない。そうなって欲しいと思う気持ちはこの短時間の間にも大きくなっているのだが……恋愛などしたことのない私ではどうにも難しいのだ」
「お前にそこまで言わせるからには、さぞ良い男なのだろうな」
「コウヘイは……一人だった私に手を差し伸べてくれた。誰よりも賢くて、誰にでも優しくて、見かけによらず強い意志を持っていて、誰からも頼られて、それでいて謙遜ばかりするのが困りものという不思議な男だ。いつだって私を助けてくれる。私一人ではどうしようもなかったことを代わりにやってのける。どんな時も私の背中を押してくれる。私に勇気をくれる。そして、私が悲しい時には共に涙を流してくれる……そんな男なのだ」
「そうか……その者達のおかげでお前が孤独に生きることを強いられずに済んだのならば、感謝しなければならないのだろうな」
「次に会った時には是非紹介させてくれ」
「ああ、楽しみにしている。それからもう一つ、都市は好きにするといい」
「よ、良いのか? 中には仲間が居るのだろう」
「騎士団の者共を仲間と思ったことなどない。連中もそれは同じだろう。どこに行こうとも、誰と徒党を組もうとも、この国には俺達の居場所などなかったということだ、今更それを嘆くつもりもない」
「兄上……」
「アイミス、お前が勇者として成すべきことがあるならば、お前が望むお前の生き方があるならばそれを貫けばいい。どのみち門が破られた時点で撤収するように指示が出ているのだ、内部で争いに発展することはあるまい。この国を救う、この戦争を止める、俺などにその手助けが出来るかどうかは分からぬが、少なくとも俺がそれを邪魔するようなことはしない。お前の掲げる和解という方法は簡単ではないだろうが、それでも追い求めるつもりなのだろう」
「ああ、例えどれだけ少ない可能性であっても、最後まで諦めたくはない。例えそれが出来なくとも双方に失われる必要の無いものがあるならば、一つでも多くそれを阻止したい。それが私と、仲間が決めた道だ」
「そうか」
と、短く答えユリウスは鉄仮面を装着する。
そして、握られた手をそっと離した。
「ひとまず俺はグリーナに戻る。色々とけじめを付ける必要もあるからな」
「分かった……だが、約束は絶対に忘れないでくれ」
セミリアは離れようとする手を取り、互いの人差し指を絡めた。
少し前にアリフレートと交わしたばかりのその行為に、ユリウスの頭に亡き側近の顔が思い浮かぶ。
「心配するな、お前との約束を破ったことはない」
少しの間その状態を維持したのち、再びユリウスの方から指を解き手を離す。
そして、剣を拾い上げ鞘に収めるとそのまま背を向けた。
「では俺は行く。間違いなく魔王軍の横槍も入るだろう、次に会う時まで死んでくれるなよ」
「それこそ、心配は要らぬ。あの頃とは違って私も強くなったからな」
「そうか……いずれにせよ、会えて良かった」
「私も同じだ。兄上、生きていてくれて……ありがとう」
「…………」
ユリウスの脳裏で森の中で聞いた同じ台詞が重なる。
存在すること、生きているだけのことすら認められることのなかったユリウスの人生において、それを否定する二つの言葉は深く心に突き刺さった。
マーシャの時と同じく返す言葉が見つからず、ユリウスは馬に跨りその場を離れることを選んだ。
残されたセミリアはその姿を見送り、涙を拭うと剣を拾い大きく息を吐く。
当初抱いていた迷いや葛藤は消え、取り替わる様に確かな安堵や希望が湧き始めていた。
死んだと思っていた兄との再会。
それは自分にとっても、両陣営にとっても、きっと何かを変えるきっかけとなるはずだ。そうさせてみせる。
そんな強い思いと決意を胸に部隊と合流するべくセミリアもその場を後にする。
そして、すぐに二手に分かれて門を突破すると、捕らえる手筈の騎士団員は半数以上が逃げ延びたものの、無事に都市を解放することに成功した。
それから事後処理に少しの時間を使い、やがて本城へと戻ることとなったセミリアは真っ先に康平に報告しようと、無事に都市を奪還出来たことも含めどこか浮ついた気持ちのまま帰路を急いだ。
しかし。
無情にも本城に戻ったセミリアに届いたのは康平が行方不明になったという報告だった。