【第十章 その⑥】 都市奪還七番勝負・再 返忠
豊かな自然が国家の象徴とまで言われているサントゥアリオ共和国において、その世評に似付かわしくない寂れた土地に広がる一つの都市があった。
主要都市メルヘイル。
かつての大戦によって焼け野原と化した大地に作られた比較的新しい町である。
四方が枯れた木々が疎らに立っているだけの殺風景な荒野に囲まれており、凡そ緑と呼べる彩りは見当たらない。
他の主要都市と同じく城壁に囲まれたその町は人の姿も動物の姿も無い周辺の風景がどこか隔離的な雰囲気を感じさせていた。
太陽が昇りきった頃、そんなメルヘイルへと近付いていく一人の少年が居た。
都市奪還のために結成された白十字軍第五分隊の部隊長に任命され、本来はシルクレア王国で諜報員をしている男だ。
関わりを持つことになる人間にはアッシュ・ジェインと名乗っているその少年は単身馬に跨り、町へと進んでいく。
率いてきた五百の兵士は取って付けた様な理由で納得させ、目の届かない位置で待機させている。
ジェインが七つある都市の中からメルヘイルを選んだのはこの場所でとある人物に会えることを期待していたからである。
確証は無かったが、それが叶う可能性が一番高いと踏んだ。そして、その人物と会話しているところを他の誰かに見られるわけにはいかない。そういう理由だ。
会えなかったとしても特に問題があるわけでもない。その時は誰とも知らない刺客を始末し与えられた役目を全うすればそれでいいだろう。
そんなことを特に深く考えるわけでもなく頭に思い浮かべながら都市の手前まで辿り着くと、馬を下り都市を囲む様に仕掛けられている魔法陣の中へと足を踏み入れた。
数秒とせずに姿を現わしたのは、ジェインにとって希望通りの結果と言える見知った顔だった。
全身を黒一色の甲冑で覆い隠し、肉体の一切が外からは見えない面妖な格好をした騎士の様な風貌の男だ。
「やあレオン、ここに現れたのが君でよかったよ。別の誰かだったら色々と面倒だからね」
ジェインは微笑を湛えたまま男に声を掛ける。
レオンと呼ばれた男は呆れた様に天を仰ぎ、そして言葉を返した。
「今回は殺しても構わねえってンで誰が来るかと期待してたンだが、まさかてめえとはなAJ」
「もしかしたら君に会えるんじゃないかと思ってわざわざ部隊長なんて引き受けたのに酷い言い草じゃないか。君に限らず魔王軍はそろそろ連中を見限る頃合いじゃないかとも思っていたんだけどね。そういう意味では運が良かったのかな?」
「相変わらず鋭い野郎だな、てめえは。その読み通り、予定では今頃帝国騎士団と魔王軍の連合が王都を攻め落としに掛かることになってンだ。あくまで事前に決めた予定の上では、だがな」
「ということは、君達にとってはもう騎士団は用済みってわけだ」
「そうらしいな。もはや大した興味もねえが、中から監視している騎士団のカスも居るだろうってンで俺達四天王が出てくるところまでがフェイクってことになってるンだとよ。あとは適度に人間同士が殺し合ったところで残りを横から一掃するってのがカルマの考えだ」
「へぇ。ま、ボクにとってもどうだっていいんだけど。それより、ちゃんと僕のお願いは聞いてくれたのかな?」
「ああ、あのコウヘイとかいうガキなら連れ帰って牢にブチ込んださ」
「一応確認しておくけど、無傷のまま返すところまでがこっちの出した条件だってこと忘れてないよね?」
「てめえの言った通り傷一つ付けちゃいねえし、野郎の周りに居た奴らも殺しちゃいねえよ」
「そう、ならよかった」
「しかし、なンだってあんなガキ一人を戦いから遠ざけようとする。何か特別な関係でもあンのか?」
「そんなに大袈裟なものじゃないよ。ただ、借りがあってね。それを返す方法として一度きり命を守ってあげる、という約束を彼としたってだけさ。戦うことも出来ないあの子がちょろちょろと争いの中に加わっていたらいずれ命を落としてしまうだろうからね」
「そうかよ。それこそなンだっていいが、この戦いを見届けた後そのガキを返せば俺の役目は終わる。つまり、てめえとの取り引きも終わりってわけだ」
「分かっているよ。約束は守る、全てが終われば例の物は君に譲る」
「分かってンならそれでいい。とはいえ、果たしてこの戦争、どっちが勝つのかね」
「人間側に勝ってもらわないと都合が悪いんじゃないの? 僕達にとっても、僕達の飼い主にとってもさ」
「勘違いするンじゃねえよAJ、元飼い主だ。俺はもう【天帝一神の理】の一員じゃねえ。このエスクロって名前もじき必要無くなる」
「まだ仕事は終わってないでしょ、この戦争が終わった後にももう一仕事あるんだから」
「そいつはてめえ等の仕事だろう。俺ぁこのヤマが終わればおさらばする、それがてめえとの契約だ。俺にとっちゃそれ以外にこんなことをやってる理由はねえ」
「そうだとしても、それで人間が滅びちゃったら意味ないんじゃないの? 君にとっては特に」
「それをさせないためにてめえが居るんだろう。【最後の楽園計画】を阻止するための協力って名目で俺達は契約を結んだはずだ。そして生き残った人間全てをこの俺が一掃する。そこまでが予定調和だ」
「いや、君が全世界に宣戦布告をするという話まで許容した覚えはないけどね」
「許容される筋合いがねえな。お互い初めから誰の仲間でもねえンだ。利害関係が無くなれば干渉する理由もねえだろう。あとは各々やりたいようにやりゃいい、それだけの話だ」
「君がそう言うなら、ボクもそうさせてもらうとするよ。どちらにせよ、その計画を阻止するにしてもボクはどこまで横槍を入れられるかは分からない。恐らく、見届けるぐらいが関の山さ。悪いけど、ボクには世界の破滅を阻止するよりも優先すべきことがある」
「てめえの都合なんざどうだっていい。この世界全てを敵に回すことも、天界のゴミ共を皆殺しにすることも、アルヴィーラ神国をぶっ潰すことも、俺がヤると決めた俺の進む道だ。他の誰にも邪魔はさせねえ。人間ってのはてめえが思っている程ヤワじゃねえよ、そう簡単にくたばりゃしねえ。いずれにしろ俺はしばらく傍観者に回るさ。これ以上この戦争に手を加えるつもりもなければ、その後の一悶着に関わる気もねえ」
「そう。なら、その後はボクと君とは敵同士というわけになるね」
「俺の敵はこの世の全てだ。当然のことだろう」
「君がそれに固執する理由は気になるところだけど、聞いてみる意味は無いんだろうね。だったら、そうなる前に一つお願いを聞いてもらおうかな」
「ああ? 今更になってまた条件の追加と言い出すンじゃねえだろうな。面倒事はもう御免だぜ?」
「面倒事なんかじゃないよ。ここ、通してくれるよね? ってだけさ」
「はっ、好きにしろや」
短く言い残すと、エスクロは姿を消した。
会話が終わったタイミングというわけでもなく、かといって別れの挨拶をするわけでもなく訪れた唐突な静寂の空間にジェインは肩を竦める。
「やれやれ、どうしてこう誰も彼も争い事が好きなのかな」
呆れる様に呟いて、目の前に聳え立つ城壁に背を向けるとその場を後にする。
待機させている部隊と合流するべく、この先に待つ戦いの行く末をあれこれと想像しながら。
そして、己の使命とそれに相反する個人的な恩義を天秤に掛けながら。