【第九章】明かされた過去と死にゆく少女
「それから私は時間を掛けて国内を旅して回り、この教会に行き着いたのです」
その言葉を最後に、長い長いマーシャさんの話が終わりを迎える。
三人しか居ない教会の中は重苦しい雰囲気に包まれていた。
当事者とも言えるマーシャさんの口から語られたセミリアさんの人生を変えた日に起きた出来事の全て。
そこには聞き覚えのある名前がいくつも出てきていた。
ジェルタール王。
キアラさん。
そして……ヘロルド・ノーマン。
これまでに別々のタイミングで見聞きしてきたことが今の話によって繋がった。
そんな感想を抱くと同時に、心の底から湧き上がる嫌悪感が原因なのか、はたまた予想外の現実への拒絶反応なのか、酷く気分が悪かった。
意識していないと今飲み食いしたものを吐き出してしまいそうだ。
「コウヘイ……」
隣に座るセミリアさんが弱々しい声で僕の名前を呼ぶ。
同時に、両の手でテーブルの上に置いている僕の手を握った。
か細い二つの手に包まれる自分の左手から小刻みに震えていることが伝わってくる。
話の途中からどこを見ているかも分からない目で一点を見つめたままだった表情をまるで助けを求めるようなものに変えて僕を見ていた。
話を聞いた今。聞いてしまった今、どうするべきであるか。どうあるべきか。
その答えを求めるかのように。
「クルイードさん、大丈夫?」
マーシャさんが心配そうにその姿を見ている。
しかし、言葉を返す余裕がないのか、セミリアさんは視線を動かすことさえしない。
「少し前のことですけど、話には……聞いたことがあったんです。ノーマンさんのことは」
代わりというわけではないが、静寂に耐えきれず僕が言葉を返していた。
空いていた右手をセミリアさんの手に重ね、少しでも落ち着いてくれることを願いながら。
「聞いたことがあるというのは……当時の話を、ということですか?」
マーシャさんは表情はそのままに、顔の向きだけを僕の方へと変える。
「いえ、そこまではさすがに……ただ、ノーマンさんは元々護衛団の総隊長だったということと、何か重大な規律違反を犯したことで副隊長に降格させられた。そういう話を聞かせてもらったことがあって、代わりに総隊長になったのが当時十六歳だったキアラさんだと教えてもらいました。まさかそれが今の話に繋がるだなんて夢にも思わなかったですけど……」
あれは最初にこの国に来た日のことだ。
たまたま本城の廊下でぶつかったのをきっかけにコルト君と話をして、その時に教えてくれた。
例えば、現上級大臣のエレッドさんを紹介された時のこともそうだ。
十年前ほど前に一度引退したエレッドさんは前任の上級大臣が突然辞職したことで呼び戻されたのだと聞いた。
その前任というのが、マーシャさんのことだったのだ。
それだけじゃない。
話の中身から察するに、恐らくではあるが昨日キアラさんが口にしていた『唯一信じて付いていこうと思えた人』というのも同じくマーシャさんのことなのだろう。
違った場面で違った人達から得た断片的な情報の全てがたった一つの出来事が原因だった。
それは驚くべきことであり、知ってしまえば合点がいくとも言える部分が大いにあることだ。
「クルイードさん、あなたには恨み、憎む権利がある。だけど、どうかそれを誰かに向けないで欲しい。私にこんなことを言う資格は無いけれど、それはあなたにとって良い未来をもたらすことはないと、そう思うから」
「それは……頭では分かっているつもりだ。コウヘイも何度も言っていた、この国の争いに一方的な被害者などいない、と。私もその通りだと思っていた。誰が悪いというわけではなく歴史がこの国を狂わせた。この国の人々の心を蝕んだ。だが……そう思う気持ちを無理矢理に維持出来るかどうかは自分でも分からない。城に帰って何食わぬ顔で今まで通りの態度でいられる自信は……正直に言えば、無い」
セミリアさんはようやく視線を僕からマーシャさんの座る正面へと変えたが、その目はマーシャさんではなくテーブルに向けられていた。
悪を討ち、弱きを救う。
それが十一歳にしてたった一人で国を追われたセミリアさんが決めた生き方だ。
人間界を侵攻しようとする魔王軍ならば明確に悪であると断定し、人を、国を、世界を守るために戦い、打ち倒さなければならない相手であるという認識を疑うことはない。
だが、この国の内部で起きている諍いに関してはセミリアさん本人も悪しき歴史の影響であり、『病気』であると言っていることなのだ。
ならば。
人道を外れたノーマンさんを悪と見なすのか。
そうあること自体が『病気』の影響であり、二つの民族が憎しみ合う原因となった歴史そのものを憎み、嘆くべきなのか。
本人の中でもすぐに割り切ったり、理屈で己を押さえ込んだりした結果の答えの正否を判断することが難しいのだろう。
それが理解出来てしまうからか、さすがにマーシャさんも二の句を告げずに言葉を探していることが分かった。
そして、僕にだってそんなセミリアさんの気持ちは分かる。
いや、むしろそこで葛藤することが出来る分だけ僕の理解を超えていると言ってもいいぐらいだ。
そんな気持ちもあって、マーシャさんに対してなぜわざわざセミリアさんにそんなことを言わせるのかと少しの不満を抱いてしまう。
セミリアさんのことを思って言っているのだと分かってはいても、横にある辛そうな顔が遠回しに『空気を読んでください』と伝える余裕を奪っていた。
「マーシャさん……それは、あまりに酷でしょう。時代のせいだというなら、時の為政者のせいだというなら、憎む気持ちも姿無き何かに向けることが出来るかもしれません。だけどそうじゃないじゃないですか。ノーマンさんは同じ陣営にいて、今朝も顔を合わせているんですよ? 城に戻ればまた顔を合わせるんですよ? 僕達は建前の上ではジェルタール王やノーマンさんの手助けをするために来ているのに、今の話を聞いてこれまで通りでいられるはずがない。迫害されたり奴隷にされたり……そういう風習の被害者であるセミリアさんが、そうされる側の人間を敵として戦うことに協力するなんて出来るはずがない。セミリアさんはその日の出来事のせいで家族を失って、国を追われて、名前も捨てることになったのに……」
思わず責める様な言葉を並べてしまっていた。同時に、知らず知らずに声が震えてしまっていたことを自覚する。
本人の口からその話を聞いた時にも同じ事を思った記憶がある。
もしも自分がその立場になったなら、恨まないことなど出来ない。憎まないことなど出来やしない。
自分をそんな目に遭わせた者を相手に報復しようとしている誰かが居るならば、そこに参加しないにしても心ではその人達を応援していることだろう。
そう考えるのが普通だと僕は思う。それが当たり前だと僕は思う。
それなのにセミリアさんはこの国で助けを求めている人達を救いたいと言う。
異常な考えとまでは言わない。
自分が救われたから、その救われた命を人を救うために使おうという決意。
自分が失ったから、自分の様に失う人間を少しでも減らしたいという高潔さ。
それはきっと誰にでも出来ることではない。
だからこそ、客観的な理屈や第三者にとっての真っ当な意見を押し付ける様な形で逃げ道を塞いで欲しくはないと思うのだ。
「コウヘイさんの言うことは痛いほどに分かります。クルイードさんの苦しみを否定するつもりもありません。それでも……だからこそ、あなたには再び悲劇の中に身を置いて欲しくはないの。どんな言葉を並べてもその気持ちを拭い去ることは難しいでしょう。だから……そうね、もしもあなたが憎しみを、恨む心を抑えきれなくなったなら、その時は再びここに来て欲しい」
無意識に出ていた僕の非難がましい態度にも傷付いたり、ましてや怯んだりする様子もなく、マーシャさんは真剣な表情をしてそんなことを言った。
逆にその言葉にやや困惑しているのか、セミリアさんは少し躊躇ったのちに重い口を開く。
「また……お祈りでもして心を清めろと仰りたいのですか。言いたくはないが、そんなことでは……」
「そうではないの。私が言いたいのは……あの村の、あなたの家族の、そしてあなた自身の恨みを晴らす方法のこと。その手段のこと。誰かに殺意を向けなければ精神が保てなくなったならば、その時は私の命をあなたにあげる。この命を奪うことで他の誰かに向ける憎しみを晴らして欲しい」
「何を言うのです……貴女には感謝こそすれ恨みなどない。貴女の命を奪う理由などどこにもないではないか」
「あなたが誰かに憎しみを抱けば、いつかその誰かも同様にあなたを憎むことになる。それはやがて他の誰かを巻き込んで連鎖する。それが今のこの国の在り方を作った原因とも言える。私はこれ以上あなたの人生がこの国に狂わされるのを放ってはおけない。恨み辛みを抱くことで、それを誰かに向けることであなたを不幸にさせるわけにはいかない。それで少しでもあなたが救われるなら、それは私はにとっては是非もないこと。あなたが生きていてくれただけで、それを知ることが出来ただけで私は救われたと同時に報われた。でも、だからといってそれで済む話ではない。職を辞したからといって無関係になるはずもない。それがあの時、この国を動かす立場にありながらあなた達を救うことが出来なかった私の負うべき責任であり、果たすべき義務なのです」
マーシャさんはそれが確固たる信念であると宣言するかのように、力強く毅然とした態度で言い放った。
話を聞く限りではマーシャさんに追求されるべき罪があるようには思えないと僕には感じられる。
どんな理由であれ異なる民族がいがみ合うことを良しとせず、のちにより大きな諍いへと発展する可能性を少しでも減らしたいと思う気持ちは立派なものなのだろう。
例え個人が個人に向ける憎しみであっても、それが積み重なることで民族と民族がという図式に変わっていってしまうならばそれを防ぐことによっていつか繰り返される争いが終息することを望んでいる。
そこには確かに、セミリアさんと同じく立場や出自は無関係に生まれ育った国の中で同じ国に生きる者同士が争い合うことを嘆く気持ちがあるからこそ他の誰かのために自己を犠牲にすることを厭わないという強い意志が垣間見えた。
これ以上やったやられたということの中にセミリアさんを巻き込まないために、生きていたと知ったからこそそこから遠ざけたいと思うマーシャさんと勇者という肩書きを背負うセミリアさんの選んだ生き方が二律背反となっている。
言わば、そういうことなのだろう。
セミリアさんの幸せ願うマーシャさん。
そして己が歩んだ道や培ってきたものこそが正しいものであると信じるセミリアさん。
そこに違いはあれど、この国を想う気持ちは同じなのだ。
この国どころか、この世界の人間ですらない僕にだってそれぐらいは分かるのだからセミリアさんに理解出来ないはずもない。
セミリアさんは少し考える素振りを見せ、そして静かに口を開いた。
「今後どうなるにせよ、私はこれから部隊を率いて占拠された都市に向かわなければならない。リンフィールド殿の言う通り……今はここで聞いた話によって精神的に不安定になっている場合ではない。ひとまず救いを求める民を助けることを第一に考えようと思う。そして私が個人的にどういう感情を抱こうとも、この国の争いと歴史を肯定するつもりはない。それは分かっていて欲しい」
「ありがとう、クルイードさん」
マーシャさんは優しく微笑み、短くお礼の言葉を口にした。
どこまでも思い遣りや温情の籠もった温かい人柄が感じられる。
そこで一旦会話が止まり、それをきっかけにセミリアさんが立ち上がった。
「では、そろそろお暇させていただくとしよう。コウヘイも構わないか?」
「あ、はい。もうセミリアさんの部隊も合流場所に来ているかもしれませんし、そうしましょう」
同じく立ち上がると、そのままマーシャさんと三人で建物を出る。
再び四方に森が広まる景色の中で、僕達は向かい合った。
「ではリンフィールド殿、紅茶をありがとう。今日ここで貴女に会うことが出来て良かった。先程貴女が言った様な理由ではなく、また機会があれば会いに来てもいいだろうか」
「ええ、勿論。いつでもお待ちしていますわ」
二人が握手を交わす。
僕もお礼や挨拶を述べたいのだが、さっき悪態を吐いてからそのままになっているだけに平気な顔をして挨拶をするのも若干気まずい。
例えるなら、みのりがヘソを曲げたまま帰っていった次の日の第一声に迷う時に似ている。
ひとまず謝っておいた方がいいのか、何食わぬ顔で普段通り接するべきなのか。そんな葛藤が生じる状況といえば分かりやすいだろうか。
みのりの場合は大抵向こうから歩み寄ってきてくれるからすぐに元通りになるんだけど……いい歳してそれを他人に期待するのも愚かな話だ。
そんな逡巡をしながら掛ける言葉を探していると、マーシャさんがこちらを向いた。
要らぬ心配だったのか、同じ様に手を差し出しながら。
「コウヘイさん、どうかクルイードさんを支えてあげてね。これでも人を見る目には自信があるのですよ。あなた達は強い絆と信頼関係で結ばれていることがよく分かる」
「はい、僕に出来ることなら何だって」
その手を取ると、マーシャさんは再びセミリアさんを見る。
かと思うと、とんでもないことを言い出した。
「クルイードさん、良い恋人を見つけることが出来たのですね」
「……はい?」
恋人?
急に何を……というか、盛大に勘違いをしていらっしゃるんですけど。
そんな風に言われてしまうとなんだか気恥ずかしくなって、咄嗟に否定しようと思った僕だったが、それは代わりにセミリアさんがやってくれた。
どこか、ただ否定するのとは違うニュアンスを残して。
「リンフィールド殿。信頼関係や絆があることは確かだが、残念ながらコウヘイは私の恋人ではない」
「あら、そうなのですか?」
「いずれそうなればよいなと思う気持ちはあるが、どうにも私はそういうことに対しては不器用なものでな。そうなるための方法をよく知らぬのだ」
「…………はい?」
セミリアさんまで何を?
リップサービス的なものなのだろうか。いや、そういうことを口にするタイプでもない気がするけど……。
「では、人生の先輩が一つアドバイスをしてあげましょう。好きな人を射止めるコツは傍に居たいと思う気持ち、この先も一緒に生きていきたいと思う気持ちを素直にぶつけることですよ」
「ふむ、そういうものか。では私もこれからはコウヘイにそういった気持ちをぶつけていくことにしよう」
「………………」
にこやかな顔で何を言ってるんですかマーシャさんは。
真顔で何を言ってるんですかセミリアさんは。
完全に僕が蚊帳の外になっているせいでリアクションに困るし、普通に恥ずかしいんですけど……。
と、随分な居心地の悪さを感じ、為す術を無くしている場合かと口を開きかけた時。
二人の視線が突如として、ほとんど同時に背後に向けられた。
「ど、どうしたんですか?」
凄い速さで後ろを振り向いたセミリアさんに恐る恐る声を掛ける。
背にある剣を握っている姿が嫌な憶測を生んだ。
「馬の足音が聞こえる。何者かがこちらに向かってきているようだ」
「え……それって、部隊の人とかではなく、ですか」
「彼らが私達がここに居ることを知っているはずはない、恐らくそうではないだろう」
「それに、随分と速度があるように聞こえますね」
毎度のことながら僕には何も聞こえないが、マーシャさんにも察知出来ているようだ。この人も普通の人とは違うのかもしれない。
「コウヘイとリンフィールド殿は下がっていてくれ。幸い複数ではないようだ。何者かは分からぬが、危険が無いとは言い切れん」
セミリアさんは背を向けたまま、僕やマーシャさんを庇う様に前に立つ。
三人が同じ方向を見つめたまま静止する中、二人が聞いている馬の足音は徐々に僕にも聞こえるレベルにまで近付いてきていた。
やがて現れたのは一頭の馬と、それに跨る一人の男だった。
黒い衣服の上に黒い鎧を着け、腰には剣を差している。
そして、どういうわけか腕にはぐったりとした少女を抱えていた。
細身で若い男にも見えるが実際に見た目から断定することは出来ない。
まるで鉄製のアイマスクでも着けている様な、顔の上半分だけを覆い隠す鉄仮面がそれを難しくさせていた。
本来であれば目が見えないことで表情から意志や感情を読み取ることすら困難なのだろうが、男は明らかに焦燥感に満ちている。
その原因が胸に抱いている少女にあることは明白だったが、その姿に驚くと同時になぜこの男がこの場所に現れるのかという疑問が頭を混乱させた。
この風貌が何を意味するかを僕達は知っている。
帝国騎士団三番隊隊長ユリウスという男がこういう風貌であるということは、随分と前から情報として得ているのだ。
「貴様、どういう理由でここに……」
立ちはだかるセミリアさんもそれに気付いたのか、臨戦態勢で再び剣に手を掛けた。
しかし、男は僕達の前で馬の足を止めるとすぐに飛び降り、セミリアさんを無視して後ろに居るマーシャさんだけを見た。
「あなたはこの間の……それよりも、その子は一体」
「こいつを……治してやってくれ」
マーシャさんの方から声を掛けるということは二人は顔見知りなのだろうか。
そんな考えは言葉にならなかった。
男が抱えている少女は体中血塗れで、首も手足もだらりと垂れ下がったまま動く気配がない。
何らかの戦闘の結果であることは火を見るよりも明らかだった。
「すぐにここに寝かせて、急ぎなさい!」
マーシャさんの大きな声が森に響く。
男はすぐに少女を地面に降ろした。
すぐに脇に屈んだマーシャさんが真っ赤に染まった少女の腹部に慎重に触れていく。
そこでようやく、男はこちらを見た。同時に、セミリアさんが再び問い掛ける。
「貴様……帝国騎士団の三番隊隊長ユリウスだな。その少女は一体……」
「そういうお前は銀髪の勇者か。なぜお前がここにいる」
「私を知っているのか」
「知らぬはずがない、この戦いの中で俺の手で直接殺すと決めている一人だ。今ここで、その目障りな銀髪を首ごと切り落としてくれようか」
「なんだとっ」
「やめなさいっ、ここで争うことは許しません! あなた達が傷つけ合う理由はない」
再びマーシャさんの声がこだました。
唸る様な低い声に触発されて剣を抜いたセミリアさんの腕を掴み、僕がどうにか静止させる。今考えるべきは啀み合うことではなくあの少女の安否だと、無意識に体が動いていた。
男にも続けて挑発したり武器を抜く様子はない。
そして、その視線がマーシャさんの方に向いた時、マーシャさんはゆっくりと首を振った。
「傷が内臓にまで達してしまっています。いえ、それ以前に……既に息がない。どれだけ回復魔法が得意であっても、無くなった命や魂を呼び戻すことは……出来ない」
その目からは涙が溢れ、声は震えている。
それに釣られたのか、はたまた我慢して耐えることの限界を迎えてしまったのか、僕の頬を水滴が伝っていった。
「なぜだ……なぜ敵であるはずのお前達が涙を流す」
男は怒りに震える体をこちらに向け、真っ直ぐに睨み付けた。
「敵味方など関係ない。こんな少女が戦争によって命を失っているのだぞ、それを嘆かずして人であることなど出来るものか。貴様もそうではないのか……辛いはずだ、心を痛めているはずだ……ならば、なぜ私達は争わねばならぬ」
そう言ったセミリアさんの目からもまた、涙が零れていた。
「この俺に……知った様な口を聞くな。お前は俺の敵だ、それが全てだ。馴れ合う理由など無い」
「言ったはずです、ここで争い合うことは許しません。この子のことを一番に考えてあげなければいけない時であると分からないはずがないでしょう。亡くなってしまったからには、せめて安らかに眠らせてあげなければなりません。魂が行き場を無くして彷徨ってしまわないように、心を込めて見送ってあげなければなりません。連れ帰るなら私が体を綺麗にします。どうしますか?」
マーシャさんの強い口調に二人の言い合いが止む。
男は少しの間を置いて、静かに答えを口にした。
「あのような場所に連れ帰ってもロクなことにはなるまい……ここで静かに眠らせてやってくれ」
「分かりました、教会の裏に埋葬しましょう。コウヘイさん、クルイードさん、手伝っていただけますか?」
「ああ、勿論だ」
「僕も……同じく、です」
こうして、僕達は少女を葬る手伝いをすることとなった。
マーシャさんが血を綺麗に拭き取った少女を教会の裏に運ぶと、穴を掘って、遺体を埋めて、その上に木で作った十字架を立てる。
ついこの間やったばかりの、精神的にとても辛い作業だ。
そして、近くで見ることでようやく思い出したことがある。
亡くなったのは最初にこの国に来た時に港で待ち伏せをしていた二人組の一人だったのだ。
あの時もあれだけ若い子供が戦争に参加しているのかと末恐ろしく思った。
まさかその死に目に会うことになるとは……本当に残酷で、遣る瀬無い。
埋葬が終わり、四人が十字架の前に立ち、男以外の三人が揃って手を合わせる中、そんな気持ちやノスルクさんのことを思い出してしまったせいで再び涙が溢れてくる。
それに気付いたのか、マーシャさんが僕の頭に手を置いた。
慰め、励まし、そしてどこか褒め称える意図が伝わってくる様な優しい笑みをしている。
『よく頑張りましたね』
と。
『優しい心を持っているのですね』
と、言葉が無くとも分かってしまう様な温かみを感じた。
そこでふと、その横でセミリアさんが視線をお墓に向けたまま、近くに立つユリウスへと問い掛ける声が聞こえる。
「一つ聞く。あの子を死なせたのは……こちら側の誰かなのか」
「そうだとしたら、どうするつもりだ」
「そうであれば……いや、例えそうでなくとも、もうやめにしないか。ジェルタール王達は私が説得する。お主等にそのつもりがあれば説得出来る。共に暮らしていくことが出来なくとも、生きる場所と権利を与えることを約束させてみせる」
「フン、痛み分けで終わりにしようというのか? 果たしてどちらが譲歩する側としての提案か分かったものではないな」
「貴様……まだそんなことを」
「要らぬ気遣いなど犬の餌にでもしておけ。あいつを殺したのはお前達の誰かではない。だが、取り引きをするには相手が悪かったな。はっきりと言っておく、俺は他の団員共とは違う。国や祖先の無念を晴らすために剣を振ったこともなければ、歴史や覇権になど一切の興味もない。俺は俺のためにこの国の人間を皆殺しにすると決めた……そのために生きてきたのだ! どんな条件を突き付けられようとも、例え騎士団の馬鹿共が争いを止めようとも、この俺は止まるわけにはいかぬのだ!!」
「なぜそこまで……この国の民を憎む」
二人の声が大きくなり、熱を増していく。
すかさずマーシャさんが間に割って入った。
「死者の前で何をしているのです。あなたは……あの子の亡骸を見て何も感じなかったのですか? 復讐が復讐を生むことで悲劇を呼ぶことに繋がっていることが分からないほど愚かな人間ではないはずです。誰かを想う気持ちを持っているのに、なぜ血で血を洗うことに固執するのですか」
「相変わらずめでたい頭をした女だ。その問いはこの国の人間共にぶつけろ、そして勝手に失望しておけ。このガキ共が敵である以上、俺にはこいつらを殺す理由がある。敵でなくとも殺さない理由などない。それが全てだと言ったはずだ」
「いいえ、あなたにこの人達を殺す理由はない。クルイードさん、コウヘイさん、今は冷静に話が出来る時と場合ではないようです。あなた達は先にここを離れなさい。お二人とも、本当に色々とありがとう」
暗にこれ以上同じ場所に居てはいずれどちらかが収まりが付かなくなってしまうと、マーシャさんは言っている。
僕もそれには同意だ。
今の精神状態ではセミリアさんの方が挑発に耐えきれなくなる可能性だってある。
「分かりました。マーシャさん、こちらこそ色々とありがとうございました。セミリアさん、行きましょう。そろそろ時間も気にしないと」
「分かった……リンフィールド殿、また会おう。それでは失礼する」
背を向ける間際にもう一度男を睨み付け、セミリアさんもようやくこの場を後にするべく足を進める。
来た時と同じく二人で一頭の馬に跨り、森を抜けてセミリアさんの部隊との合流場所へ向かって馬を走らせた。
「コウヘイ」
森を出た辺りで、そうなってからというもの二人合わせても初めての言葉が僕の名を呼ぶ。
セミリアさんは前を向いたままだったが、どこか神妙な空気や雰囲気だけは察することが出来た。
「どうしたんですか?」
「コウヘイは……リンフィールド殿の話や、あのユリウスという男の話を聞いてどう思ったのか、聞かせてもらってもよいだろうか。争いを止めることはやはり不可能なのだろうか。二つの民族が共存する未来は永劫に実現しないのだろうか。どうにも私にはそんな考えが浮かんでしまう」
「僕にとって、歴史だとか国のことなんてノスルクさんに教えてもらったことを知っているという程度でしかありません。ただ一つ言えるのは、僕は何があってもセミリアさんの味方だと言うことです。それを忘れないでください。出来るかどうかより、やろうとする意志を持てるかどうかが大事なんだと僕に教えてくれたのはセミリアさんです。助けを待つ誰かが居るのなら、助けを必要としている誰かが居るのなら、それが人であっても国であっても放っておけないのが僕の知るセミリアさんですから。それが正しいかどうかも、出来るか出来ないかも、僕には関係ありません。何があってもセミリアさんが諦めない限りそれを手助けする。僕にとってはそれが全てです」
「コウヘイ……」
「この世界にとってどういう意味があろうと、僕は初めてセミリアさんの目を見た時、とても綺麗だと思いました。一緒に居る時間を経て、目だけじゃなく心もそうだと知りました。マーシャさんの様に、この国の人間の中にも共存を願う人がいる。セミリアさんの様に、この国で生まれこの国で生きていながらもそれを認められない人間の中にも争いを望まない人がいる。だからきっと、叶わないなんてことはないんだって思いたいですよ。何より、セミリアさんのその目こそが二つの民族が歩み寄ることが出来るという証明じゃないですか」
「ああ……その通りだな。今の言葉、永遠にこの心に残しておこうと思う。ありがとう、コウヘイ。やはり、どうにも私はお主が傍に居ないと駄目なようだ。迷いを断ち切ることも、勇気を持ち直すことも、コウヘイが居るのと居ないのでは大違いだ。願わくば、この先も共に歩んでいきたいものだな。この争いが終わった後も、いつか平和を勝ち取れた後も」
「そう言われるとちょっと……気の利いたことを言えない僕にはどう答えたものかという情けない感じになってしまうんですけど」
「なに、困らせようと思って言っているわけではない。リンフィールド殿に教わったばかりなのでな、少しは自分に正直になってみようと思ったまでだ。続きも答えも、城に戻った後にするとしよう」
一人で密かにドキドキしている僕の心中を知ってか知らずか、それっきりセミリアさんは何も言わなかった。
僕が初心なわけではない。と、信じたい。
このセミリアさんに、同じ人類であるかどうかも信じがたい程に綺麗な顔をしたセミリアさんにそんなことを言われては誰だってそうなるでしょう。いや、ほんとに。
とまあ、なんだか格好悪い締め括りになってしまった感は否めないが、森を抜けた僕達はそのまま来たときと同じく少し自然の中を走り、やがてセミリアさんが率いることになっている部隊との合流地点へと到着した。
のべ五百人の兵隊が準備万端整った状態で既に待機している。
ここから僕はセミリアさんと別れ、他の兵士の方に城まで送ってもらうことになっていた。
その役目を引き受けてくれたのはオリバーさんだった。
国を出る前に食事処で一悶着のきっかけともなった、三十にも満たない若い兵士さんだ。そのオリバーさんと名前も知らない別の国の兵士が二人だ。
「それではコウヘイ、行ってくる」
「どうかお気を付けて。約束、忘れないでくださいね」
「ああ、必ずや無事に戻る。だからお主も無事で待っていてくれ」
「はい、約束です」
馬に跨ったままのセミリアさんと握手を交わし、部隊と共に離れていくのを見送る。
そして、その姿が見えなくなったところでオリバーさんの乗る馬の後ろに乗せてもらった。
「それでは元帥閣下、本城に戻るとしましょう」
「ええ、お手数をお掛けして申し訳ありません」
「何を仰います。勇者様とあなた様は我らが旗頭なのです。遠慮などしないでください」
ここ最近のオリバーさんは偉く僕に従順な感じである。
その理由は敢えて今更語ろうとは思わないが、いつまで経っても慣れられるものではないなぁ。
なんて自嘲気味に思いつつ、僕達は城に向かって駆けていく。
その半ばのことだった。
突如、前を走る二人の兵士が乗る馬が倒れ、二人は地面を転がった。
オリバーさんも慌てて馬を止める。
そして剣を抜き、いつの間にか目の前に立っていたその人物にそれを向けた。
「貴様、何者だっ!!」
人の後ろに乗っていたせいで気付くのが遅れたが、その誰かが攻撃を仕掛けてきたのだということを理解する。
そして、僕はその男に見覚えがあるということも同時に把握した。
「クックック、重要人物と言う割にゃ随分とお粗末な護衛態勢なンだな。俺にしてみりゃ楽でいい。後ろに乗ってる野郎を置いていってもらうぜ」
全身を真っ黒な甲冑で覆った面妖な格好をした、外からは肉体の一切が見えない軽薄な口調をした男は小馬鹿にする様な仕草で言った。
すかさずオリバーさんは馬から飛び降り、男に向かっていく。
「元帥閣下には指一本触れさせぬ!」
「駄目ですっ、オリバーさん!」
慌てて叫んだ言葉も意味を成さず、オリバーさんは崩れ落ちる。
正面から放った突きはあっさりと躱され、ボディーブローが鈍い音を立ててその腹に炸裂していた。
その瞬間、意識のある人間は僕一人を残すのみとなる。
男の名はエスクロ。
魔王軍四天王の一人であり、かつて僕が対峙した経験がある相手でもある。
それは初めてこの世界に来た時のことであったが、その時セミリアさんに倒されたはずのエスクロが生きていただけではなくセミリアさんが手も足も出ずにやられたという報告を聞いたのはつい最近のことだった。
エスクロはゆっくりと僕の方へ歩いてくる。
操ることも出来ない馬の上に居てはジリ貧だと、僕も慌てて馬から降り右手の指輪で盾を発動する心構えを取る。
「エスクロ……」
「てめえがコウヘイか。どこかで見た顔だと思えば、グランフェルトで俺の邪魔をした中に居たガキじゃねえか」
「どうして……僕の名前を知っているんですか?」
その口振りに違和感を覚える。
あの時、誰かが口にしていたのを聞いたから僕の名前を知っている。そういう理屈であれば、今の言い方はおかしい。
直前にオリバーさんに向けられた言葉を考えると、僕を狙ってここに来たということが分かる。
だが、今の台詞と合わせると『康平という人間が目当て』なのではなく『目当ての人間が康平だった』というニュアンスに聞こえる。
「こっちにも事情ってもンがあるのさ。悪いが、一緒に来てもらうぜ。拒否したり抵抗すりゃ周りに転がっている奴らが死ぬ。大人しくしてりゃ少なくとも今は誰も死なねえ。さあ、どうする?」
「分かりました、抵抗はしません。ただ、僕をどこに連れて行くつもりなのか教えていただいても?」
こうなれば、僕に抵抗する意味はない。
あのセミリアさんが勝てなかった相手に僕が勝てる道理がない。
何より、僕のせいでオリバーさん達を死なせるわけにはいかない。
「そいつは嫌でもすぐに分かることになる。ったく、なンだって俺がこんな面倒事を引き受けなきゃならねえンだか。相変わらずあの野郎の考えることはよく分からねえ」
エスクロはそんなことを言いながら僕の目の前で立ち止まると、右腕をスッと振り上げた。
刹那、身構える暇もなく首筋に衝撃が走ったかと思うと、すぐに僕の意識は遠退いていった。