【第二章】 機を見るに敏なり
11/27 誤字修正 弱気→弱き
会合を終え、謁見の間を離れた後はそれぞれの持ち場に戻ることとなった。
僕達グランフェルト勢の担当。
それはクロンヴァールさん達が国から持ってきた武器装備、食料、治療用のアイテムなど、大きな木箱で約二百という物資を一つ一つ開封して中身を確認し、所定の場所に運んでいくというなかなかの重労働である。
といっても、僕は監督する立場ということになっているので兵士の方々が作業しているのを見て回っているだけで荷物を運んだりはしていない。
それはそれで一人だけ楽をしているみたいで申し訳ない気持ちになるわけだけど、せめて開封確認ぐらいは手伝おうとしたものの万が一のことがありますゆえお控えください』と、倍近い歳の兵士に言われてしまっては引き下がる他なく。
腕力的な意味で重い箱を一人で運ぶことも出来ずな僕はセミリアさんやジャックですら働いている中で何とも残念な存在感のまま夕暮れまでを過ごしたのだった。
そんなこんなで全ての作業を終え、その頃には他の二カ国も同じく受け持った仕事を終えていたことに加え、アルバートさんやキアラさん、レザンさんが部隊編成を済ませてくれているため今日のうちに済ませておくべき準備は終わり、そのまま各国とも夕食の時間に入ることに。
前回と比べてあまりにも人数が増えているため各部屋に料理を運ばせては給仕さん達の手が回らないということもあり、パラスにある騎士の広間という宴会などに使われる大きな部屋で三つのグループに分かれて一斉に食事を取ることになっていたのだが、その話を聞いたすぐ後にクロンヴァールさんに声を掛けられた僕達は再びシルクレアのお偉いさん達と別室で夕食をいただく流れとなった。
なんでも少しばかり話があるということだったのだが、テーブルに一通り料理が並んだところでクロンヴァールさん本人の口からその中身が明かされる。
ちなみに、あちらさんは全員集合しているけどこっちは三人しか居ない。
僕、セミリアさん、ジャックの三人だ。
似た様な話ばかりしている気がしないでもないけど、サミュエルさんに声を掛けようとしたものの部屋には居らず、所在が不明なのでどうしようもなかったのだ。
部屋に居てくれたところで『パス』で終わるんだろうけど、昼間の仕事にも当たり前の様に不参加だったことも含め相変わらず自由な御方である。
それに関してはセミリアさんもジャックも若干ご立腹な様子だったけど、指摘したところで態度を改めてはくれないだろうということや、この大変な時に仲違いなどされては大変なので僕が代わりに頭を下げてどうにか納得してもらった次第だ。
これまたちなみに、レザンさんは食事の場でのグランフェルト兵の監督をしてもらっているため不在だったりする。
クロンヴァール陛下と食事を共にする機会を俺から奪う気か! と、ものすっごい剣幕で詰め寄られたけど、セミリアさんの『まないが、よろしく頼む』という言葉によって一瞬にしてデレデレな顔で元気に了承の返事をしてくれたので案外あっさり話が付いた。
とまあ、ここに至るまでにも色々と手間暇掛かったわけだけどいい加減本題に戻るとしよう。
クロンヴァールさんの話というのは、この後城を出ることになっているスラスへ派遣される一団にアルバートさんとハイクさんを同行させる、そんな内容だった。
それを避けるために夜間の移動を選んだとはいえ、万が一の襲撃や待ち伏せに備えて部隊を指揮出来るアルバートさんや特出した個の強さを持つハイクさんを同行させることで道中の備えをより強くする。そういう目的なのだそうだ。
そして、話の最後にそれをこの場に居る者以外に漏らすな。ということも付け加えられた。
「話は理解出来たが、なんだってそれを隠す必要がある」
終始黙って聞いていた僕達の側にあって、真っ先に疑問を口にしたのはジャックだった。
「そうすることを決めたのがつい先程だったのでな。出発後にでも私の判断でそうしたと直接ジェルタール王に伝える。本来事前に話を通すのが筋でもある、その前に人伝にそれを耳にしてしまっては良い気はしないだろう」
「分からくもねえが、それならわざわざアタシ達に教える必要も無かったんじゃねえかと思うがね」
「そう思われても無理はないが、そっちの坊やにも同様に伝えるべき話でもある。ならば前もって意見の一つでも聞いておくのもいいだろう」
「はっ、随分と買われたもんだな。かつてはただの爆弾魔扱いだったのによ」
ジャックは愉快そうに笑っている。
爆弾魔。そんな時期もあったね。
「買ってやるかどうかは今後の働き次第だが、その頃とは随分と立場も印象も変わっている。別れ際にも言ったが、こいつがその価値がある人間になる可能性には少し期待していなくもないとだけ言っておく」
そこでクロンヴァールさんは僕を見る。
表情一つ変えずに聞いてるセラムさんや意味ありげにニコニコしながら僕を見ているAJの視線が色々と気にはなるが、一人で『爆弾魔?』と首を傾げているユメールさんが真相を知ってしまった時が怖いので知らん振りをするしかなかった。
「さてコウヘイ、諸々を踏まえて何か異議異論はあるか?」
「いえ、特に気になることなどはないです。ただ、一つお願いがあるんですけど」
「言ってみろ」
「ハイクさんやアルバートさんは送り届けたら戻ってくるんですよね? であれば僕も一緒に行きたいんですけど」
「相変わらず突拍子もないことを言う奴だ。お前が行って何が出来る、そもそもお前は馬にも乗れないのだろう」
「はい、なので出来ればセミリアさんに付いてきてもらいたいんですけど」
「それは構わないが、なぜ同行しようと思ったのだ?」
セミリアさんは不思議そうに首を傾げる。
まあ、クロンヴァールさんの言う通り僕が行ったところで大して役に立つわけでもないし、そう思われるのも無理はない。
全然関係無い話だけど、恐らくクロンヴァールさんが話をしているからという理由で誰も料理に手を付けないので空腹具合もそろそろ辛いものがある。
一人でワインは飲むわ肉やら魚やらを次々に自分の皿に盛っては平気で口に入れるわというジャックの図太さがある意味羨ましい。
なんてことは置いといて、
「立場上一番人数が少ないからといって何から何まで任せきりではいられないというのもありますし、後から聞いた情報ばかりになってしまっているので例のスラスという町を直接見て状況などを把握しておきたいというのが理由ですね。都市解放と無関係ではないですし、道中や町の様子を報告するぐらいの役割なら果たせるかなと」
最初の方の理由は半ばこじつけだけど、この目で状況を確認したいという点においては間違っていない。
「了解した。何があろうとお主の身は私が守る、コウヘイは自分の役割を全うすることだけを考えてくれればよい」
セミリアさんは納得した様子で小さく頷き、微笑を僕に向けてくれた。
迷い無く首を縦に振ってくれるだけに留まらず、僕を守るとまで言ってくれる心強さや信頼関係はいつだって背中を押してくれている。
そんなセミリアさんにお礼の言葉を返そうとした僕だったが、クロンヴァールさんがそれを遮った。
「明日の作戦において、ハイクとアルバートは私と共に城で待機だ。それを踏まえての人選でもある。しかし、聖剣は都市に向かうことになっているはずだ。それを分かって言っているのか?」
「勿論です。なのでもしよければ、という話だったんですけど」
この城からスラスまでは普通に行けば二刻強程度という話だ。夜中に城を出て、往復で二時間以上掛かってしまえば帰るのは深夜も深夜になるだろう。
僕とて明日への影響を考えなかったわけではない。
「なに、構うことはない。それを理由にコウヘイが一人で行くという話になった方が余程引き下がれないというものだ」
しかし、ちらりと顔を窺う僕に対しセミリアさんは平然とそんなことを言うのだった。
「毎度毎度世話を掛けてばかりですいません」
「ちっと待てよ相棒、すいませんじゃねえだろ~。クルイード一人に声掛けてアタシを誘ってくれねえってのはどういうことだい」
「仲間外れにしようってわけじゃないんだけど、今回はジャックは大人しく留守番しといて」
「そればかりは理由を聞かねえことには素直に分かったとは言えねえな」
「お酒を飲んでるからに決まってるでしょ。遊びじゃないんだから、飲むなとは言わないけど飲んじゃった以上は明日に備えてゆっくり休んでおいてよ」
この世界なら飲酒運転とかは無いんだろうけど、他の人達の目もある。あったとしても馬に適応されるのかどうかは知らないけど……。
「チッ、わーかったよ。こんなことなら飲む前に話を聞きたかったぜ」
ジャックはややがっくりしつつ、そうなったならとことんまでだと言わんばかりに瓶ごとワインを呷った。
相棒はいつになったらアタシの後ろに乗ってくれるんだか。と漏らすジャックの気持ち自体はセミリアさんのそれと同じぐらいありがたいものだと思ってはいるのだが、他の全ての人間が飲食を控えている中で勝手に一人で始めちゃってる身でどの口が言うんだか。
と、呆れるやら少し可哀想になってくるやらといった具合でフォローの言葉を探していると、ふとハイクさんがこちらを見たまま鼻で笑った。
自然とそこに視線が集まる中、それがどういう意味のものなのかが分からなかった僕がきょとんとした顔をしてしまっていたこともあってかハイクさんは僕を見たまま、問い掛けるよりも先に自ら心中を明かす。
「いやなに、不思議なもんだと思ってな」
「不思議? というと、何がですか?」
「聖剣といい、そっちの二代目といい、国に仕えているわけでもねえ勇者が肩書きや立場はどうあれお前の言うことは素直に聞く」
「ハイク殿、コウヘイは……」
「馬鹿にしてるわけじゃねえさ、こちとら借りもある。それにしたって妙な関係だと思えたってだけだ、他意はねえよ」
「ダンはお子ちゃまだから分からんだけです。そんなの乳繰り合う関係だからに決まってるです。愛し合うことクリスとお姉様の如しってやつです」
久々に口を開いたかと思うと、ユメールさんがドヤ顔でわけの分からないことを言い出した。
それどころか、僕が否定するよりも先にジャックが不満げに割って入る。
「ご名答だと言いたいところだが、中々乳繰り合ってくれねえんだようちの奥手な相棒様は」
「はっ……わんこ、お前もしや男色とでも言い出すんじゃないだろうな、です」
「そんなわけないでしょ……」
内容といい表現といい失礼どころか無礼極まりない不謹慎さである。
相変わらず真面目な空気を維持出来ない人達だ。
その遣り取りをきっかけに打って変わってひたすら雑談するだけの食卓に変わったのを極力黙って見守りながら、そんなことを思うのだった。
○
そんなこんなで食事を終え、クロンヴァールさん達と別れると僕は真っ直ぐに自分用の部屋へと戻る。
あと一、二時間もすれば城を出なければならないということもあって、その前に少し仮眠でも取っておくかと密かに決めていた僕だったがどうやらそれはお預けということになりそうだ。
部屋には他に二人の姿がある。
大振りの剣を背に負い、両手足と胸部に鉄製の鎧を着けた戦士らしい格好。
背中まで伸びた銀色の髪だけではなく、世界一の美貌と言われているクロンヴァールさんと同じレベルの、僕の生涯でワンツーフィニッシュとなるであろうことを十六歳にして確信してしまう程に綺麗な顔をした正義感や使命感に溢れ『悪を討ち弱きを救う』ことを己の存在意義としている真面目で直向きな性格をしたこの世界の女勇者の一人、セミリア・クルイード。
そして同じく腰にキラキラと宝石が散りばめられた派手な鞘の剣を携え、両側の側頭部だけが編み込まれているコーンロウで真ん中はストレートヘアという奇抜な髪型をしていながらそれよりも上半身の下着と大差ない服により露出度の限界値を追い求めたかの様になっている格好と僕が出会った誰よりも大きな胸が特徴的過ぎる、酒好きで大雑把な性格の持ち主にして腕は一流で培った経験も誰にも勝る百年前のこの世界の女勇者、ジャックことジャクリーヌ・アネットである。
ここ最近は色々あったため二人は僕の部屋で過ごす時間が多くなってはいるのだけど、今日に限っては少し事情が違っていた。
クロンヴァールさんと同じく、というわけでもないのだろうが『少し話しておきたいことがある』とジャックが言ったことがその理由だ。
ちなみに部屋に戻る際にサミュエルさんの部屋に立ち寄って声を掛けたのだけど、部屋着のサミュエルさんに『興味無い』と、バッサリ拒否られたらしい。
一度国に戻ってからというもの、サミュエルさんの馴れ合い拒絶具合に拍車が掛かっていると思うのは気のせいではあるまい。
それは弱さでしかないと頑なに主張するサミュエルさんだ。
恐らく強く在るためには不要なものだという気持ちが一層強くなってしまっているのだろう。
怒られようと文句を言われようと明日にでもまた様子を見に行ってみよう。
そんなことを考えつつ備え付けの椅子に座り、セミリアさんが正面の椅子に、ジャックがベッドの上にそれぞれ腰掛けたところでジャックの話が始まった。
「「リフトスラッシュ?」」
セミリアさんと声を揃え、ほとんど第一声とも言えるジャックの言葉をそのまま繰り返す。
この世界ならではの単語であったなら聞き覚えの無い僕にその意味を理解出来るはずもないと開き直りかけたが、セミリアさんも同じ反応であるあたり僕の無知はあまり関係なさそうだ。
「おうよ、それがアタシの能力ってやつでな。生まれ持った覚醒魔術ってほど大袈裟なもんでもないが、一応はオリジナルの技だ。今後も肩を並べる以上おめえらにだけは教えておこうと思ってな。極力は他言無用で頼むぜ」
こちらのリアクションが期待通りだったのか、ジャックはどこか満足げだ。
「アネット様、それは一体どういった能力なのですか?」
「口で説明するよりやって見せた方が早いだろう」
そう言って傍にあった枕を手に取りそのまま立ち上がったかと思うと、僕にその枕を押し付けてくる。
「相棒、ちょいと手伝ってくれや」
「それはいいけど、何をしたらいいの? ていうかこの枕の意味は?」
「見りゃ分かるさ。取り敢えずそこで立ってくれりゃいい」
いまいち要領を得ないが、ひとまず言う通りにすることに。
ジャックは僕達から離れ、こちらを向いたまま剣を抜いたかと思うとそのまま勢いよく横一線に剣を振り抜いた。
黙って見守る僕達の前で特に何が起きるわけでもなく、それでいてジャックはそのまま剣を鞘に収めてしまう。
「よし、相棒。その枕をこっちに放ってくれ」
「放るの? よく分からないけど、いくよ?」
「ああ」
何が何やらという感じではあるが、言われた通りに持っていた枕をトスしてみる。
それは緩やかに弧を描いた枕がジャックの身体に到達する直前のことだった。
どういうわけか、宙に浮いたままの枕が真っ二つに切り裂かれた。
ジャックが何かをしたようには見えなかった。しかし間違いなく二つに分かれた枕が地面に落下し、中に詰まっていた羽毛が大量に舞っている。
直前に剣を振っていたことを考えるとあれが何かしらの意味を持っているんだろうけど、それにしたって意味不明過ぎる。
「これは凄い」
「そうだろ。これでもそれなりに使える能力だぜ?」
「凄いのは同意だけど、具体的にどういう力なの? 原理というか、物理的にというか」
この世界の魔法的なものに対してそんなものを求めることが間違っているのは重々承知だけど、僕こと常識人からすれば一応言っておかなければ始まらない。
「分かりやすく言えば斬撃の再現、だな」
「再現っていうと、さっき一度剣を振ったことで今みたいなことが出来るようになるってこと?」
「そういうことだな。実際に剣を振った軌道に同じ威力と攻撃範囲を持ったまま繰り出すことが出来る。勿論、その時に剣を持っていなくともだ」
「もしかして、一昨日ジェスタ……じゃなくて天鳳と戦ってる時に光線を弾いたのもその力?」
「そういうこった。攻防どちらにも使えて視覚に映らない分ハッタリも効く。中々便利な能力だろ?」
「目に見えず、剣も必要せずに攻撃が出来るとなれば無敵とも言える能力ではないですか」
セミリアさんも感心している。
その感想には大いに同意出来るところだ。
ジャックは今この瞬間に誰かが目の前に立っていた場合、その誰かを棒立ちのままでも殺傷出来るということになる。
しかも目には見えない斬撃であるとくれば、それはすなわち誰にも気付かれずに攻撃出来るというわけだ。
流石は伝説とまで言われている勇者という感じである。
と、率直な感想として思った僕だったが、それはジャック本人がすぐに否定した。
「残念ながら無敵という程でもねえんだなこれが。直前の一度の分しか再現出来ないことに加え、剣を使わずに攻撃出来るってだけで形状は普通の斬撃と変わらねえ。目には見えないとはいえ、腕の立つ奴がそう簡単に黙って食らってくれるようなもんでもねえさ。逆上してるマヌケ相手じゃなけりゃな」
「なるほど、そういう性質なのですね。ですが気を使いこなす能力の高さといい、アネット様の強さの全貌がようやく分かった気がします」
「ま、そう言ってもらうためにゃもうちっと戦闘で役に立たねえとって感じだがな」
「やってることとしては前に教えてくれた斬撃波ってのとはまた別物なの?」
斬撃波。
セミリアさんやサミュエルさんがよく使っている、武器の先端や刀身から衝撃波の様なものを飛ばす技というが技術というか、そういう攻撃手段だ。
「似た様なもんだな。あれの応用版っつーか改良版っつーか、そんなところだ。相棒の傍にゃ凄腕の戦士ばかりが揃っているから見慣れてるかもしれねえが、実際のところはあれ一つでもそこらの兵士にゃ十年二十年掛けてようやく身に付くかどうかって技術なんだぜ?」
「やっぱりそういうものなんだ」
確かに他の兵士が同じ事をしている姿を見たことはない。
簡単に出来ることではないんだろうなと思ってはいたけど、その度合いまでは知らなかったので今更納得という感じである。
「とにかく、だ。アタシがこういう力を持ってるってことは頭の隅にでも入れておいてくれや」
「了解しました。教えていただきありがとうございます」
「僕も同じく。だけどジャック、一つだけ言いたいことがあるんだけど」
「あん?」
「僕の枕……どうしてくれるのかな」
無惨にも切り裂かれ、中に詰まっていた羽毛が飛び散ったせいでただの床に捨てられた二つの布切れと化した僕の枕の痛ましい姿をちらりと見る。
そんな僕に対し、ジャックは『なんだ、そんなことか』とでも言う様な、もっと言えば『アタシに抜かりはねえ』とでも言いたげな安心感を与えてくれる様な顔をして自分の胸をペチペチと叩いたかと思うと、続けた言葉で見事にその期待を裏切った。
「ここにちゃんとあるじゃねえか。お前さん専用の枕がよ」
「もういいからそれは……」
案の定、最終的には肩を落とす僕が残るという終わり方がお約束なジャックのお話だった。
○
それから一時間か一時間半か、少なくとも二時間は経っていないだろうと体感的に感じるぐらいの時間が過ぎた頃。
結局のところ僕は仮眠を取ることが出来ず、出発の時間を迎えてしまっていた。
一人(といってもサミュエルさんやレザンさんも行かないのだが)お留守番になったジャックがいじけるので話し相手をしたり風呂に入ったりといったことをしている内にクロンヴァールさんの臣下の人が集合の時間だと知らせに来たというわけだ。
敢えて弁明することでもないけど、勿論僕は一人で風呂に入っている。
何故か自分の部屋に帰らず僕の部屋のバスルームを使うと言って聞かないジャックだったが、セミリアさんに一緒に入ってもらうことで目付役となりギリギリ暴挙に及ぶことは出来なかったようだ。本当にギリギリだったらしいけど……。
さておき、そんなわけで僕とセミリアさんは二人で城内を歩いている。
スラスへ派遣される一団は正門から外に出てすぐの広場に集合ということになっているらしく、正門を目指して別棟から本棟へ向かうその道すがらのことだった。
三階から二階に下りるべく幅のある階段を下りていると、先に見える廊下に見知った人物の姿があるのが目に入る。
肩に届かないぐらいの金色の髪と背中に見えるランスという種類であろう長い槍が代名詞とも言える、この国に居る数千人の兵隊の頂点に立つエレナール・キアラという女性だ。
二十三歳と若く、他の有名人達と同じく髪や武器を除いても随分と特徴的な格好をしている。
上半身はいかにも戦装束といったデザインの黒色のコルセットの様な物の上に袖の無いベストタイプの白いマントを重ね着していて、下半身は膝から下にだけ鉄製のすね当てを装着し、サミュエルさんと似た様な、僕の認識で言うホットパンツぐらいの丈しかない短いズボンの代わりにその鎧の下に履いているブーツが股下までの長さを持っており、そのブーツの上の方を太ももで左右二本ずつベルト型のバンドで縛っているという凛々しくもあり女性らしさも感じさせる風貌。
それがキアラさんの外見であり、見た目から得られる印象だった。
そんなキアラさんは僕達に気付いていないようで、傍に居るコルト君と何か話をしている。
コルト君との約束もあるし、これもまた良い機会だ。
そう結論づけ、僕は二人に声を掛けることにした。
「セミリアさん、少しキアラさんに話があるので一緒に来てもらってもいいですか?」
「ああ、構わないぞ」
毎度ながらの二つ返事を受け、僕達はそのまま階段を下り廊下へと出る。
コルト君の話が事実であれば、キアラさんに冷静になって貰おうと思った時に接する相手としては僕よりも適任である気がした。
「キアラさん」
やや離れた位置から声を掛けると、キアラさんがようやくこちらを向いた。
僕達の名を呼ぶその声は普段と変わらないものであったものの、やはり表情はどこか堅く感じられる。
「コウヘイ君、クルイードさん。こんばんは、私に何か用事かしら」
「こんばんは。用事という程でもないんですけど、少し話が出来たらと思いまして」
「話?」
思い当たる節はないけれど、という風にキアラさんは首を傾げた。
僕達がこれから城を出ることはまだ知らないはずなのだ。二人揃って訪ねて来られては何かあったのかと思われても無理はない。
「昨日今日と随分と怖い顔をしていたというか、余裕が無い様に見えたので大丈夫かなと思いまして」
「人からはそんな風に見えていたのね。心配させてしまったことは申し訳なく思うけれど、私は大丈夫よ。思い詰めているというわけではないし、迷いがあるわけでもないもの。むしろ迷いを捨てたからそう見えるのかもしれないわね」
「迷いを捨てた、ですか」
「ええ。だから心配無いわ」
「キアラさんをそうさせた理由は山程あると思います。それがキアラさんの立場上仕方がないことも分かっています。だけど、それはきっと……間違った選択だと僕は思います」
「なぜ……そう思うの?」
「迷いを捨てたって言ってますけど、実際には自暴自棄気味に開き直っただけなんじゃないですか? 迷いはなくとも、のちに後悔することになる。それを承知でそういう道を選ぼうとしているんじゃないですか? 少なくとも僕にはそう感じられます」
きつい言い方になってしまっているが、遠回しに伝えては『心配無い』『大丈夫』の一言で話が終わってしまう。
キアラさんは一度大きく息を吐き、
「そうかもしれないわね。でも、それでもいいと私は思っている。気付いたからには、気付いて……しまったからには自分に出来ることに精一杯であるしかないもの」
「気付いたというのは……」
「理想と現実との違いに。そして、自分の無力さに」
「キアラ殿……」
セミリアさんも心配そうに、それでいて掛ける言葉が見つからずにただその名前を呼ぶ。
明らかに思い詰めている様子のキアラさんは一度セミリアさんに視線を向け、その目を虚空に向けてその心の内を吐露した。
「口や心ではこの国のために戦うと言っておきながら結局はどっちつかずだった、それが状況を悪化させてしまっていた。それを自覚して初めて自分の器が分かったわ。私には全てを救う力はない。かつて私が唯一信じて付いていこうと思えた人ですら同じ事を言っていたというのに、私などに出来るはずがなかったのよ。だからこそ、もう迷わない。この国の今か、この国の未来か、どちらか一つしか守ることが出来ないというなら私はこの国の今を守るために戦う。それが使命であり、責任でもある。例えどれだけの恨みを買うことになろうとも」
「それは違う。キアラ殿、信念無き力に正義は宿らない。私達は大勢の誰かの代わりに戦うことが使命だ。何かを守るために、誰かを助けるために、時には相手の命を奪うこともあるだろう。どれだけの覚悟を持ってしても救えなかった命もあるだろう。だがそれでも……悪を、争いを憎む心なくして何かを守れたりはしないのだ。貴女はそれを分かっているはずだ。私の知るキアラ殿はそういう人間だったはずなのだ」
「セミリアさんの言う通りです。この国の歴史は、人々がその時その時のことばかりを考えてきた結果によって今こうあるはずでしょう。誰よりもそれを変えたいと思っていて、変わって欲しいと願っているのがキアラさんとセミリアさんだと僕は思っています。戦況がそういう考えに向かわせていることは百も承知ですけど、それでもキアラさんにその気持ちを失って欲しくはないと僕も思います。無理をしたって、自分を偽ったって、絶対にどこかで綻びが出てしまう。それはきっとこの国にとってもキアラさん自身にとっても悪い結果に繋がってしまうはずですから」
「コウヘイ君……」
「差し出がましいことばかり言ってますけど、人の上に立つ人で、その資格がある人だと思えるからこそキアラさんには揺らいで欲しくないなと思うんです。会うのが何度目かという僕ですらそういった雰囲気が感じられてしまうわけですから、普段から傍にいる人にとっては一層そう見えることでしょう。心配して僕に相談に来るのも無理はないですね」
言って、コルト君をちらりと見る。
ほとんど泣きそうな顔をしていたコルト君はその顔を隠そうとしたのか慌てて俯いた。
そんな姿を見て初めてここ最近の自分の言動を省みるに至ったのか、キアラさんは目を閉じ何かを考えるように真上に顔を向ける。
そして。
「ふぅ……そうね、あなた達の言う通りだわ。少し、冷静さを失っていたみたい」
やや自嘲気味な笑みを浮かべ、そんなことを言った。
張り詰めていた雰囲気がどこか緩んだことを感じさせる、穏やかな声色。
「あなた達と一緒なら、繰り返される悪しき歴史やこの戦いから国を守れるかもしれないわね。いえ、それが出来ると信じているわ。前にコウヘイ君にも言ったことがあるけど、私に力を貸して欲しい」
そう言って、キアラさんはセミリアさんに手を差し出した。
セミリアさんはすぐにそれに答え、二人はしっかりと握手をする。
「コウヘイ君も、いつかまた私が間違った道に進もうとした時は止めてくれると嬉しいわ」
「僕なんかでよければいつでも」
「ありがとう。それからコルトも、心配させてごめんなさい。護衛団の隊長がこれでは駄目ね。まだまだ心技体の全てにおいて未熟だったわ」
「い、いえっ……そんな」
「だけどもう大丈夫。もう少し自分の信念を追求してみるわ、この二人が力を貸してくれるなら理想と現実を別物と決めつけるのはまだ早いと思える気がする。だからコルトも私に力を貸してね」
「勿論ですっ」
「では明日私が城を離れている間の件はさっき言った通りにお願い。私は少し陛下と話をしてくるわ。三人とも、明日からはまた厳しい状況に身を置くことになるけれど最後には笑って別れられる日を迎えることを信じて頑張りましょう。勝手ながらこれで失礼するわね、おやすみなさい」
最後にようやく本当の笑顔を見せ、キアラさんは背を向けて廊下を歩いていく。
三人揃ってその姿を見送り、角を曲がったキアラさんの姿が見えなくなると同時に隣に立っていたコルト君がもの凄い勢いで抱き付いてきた。
「お師匠様っ、ありがとうございました。本当に……やっぱりお師匠様は凄くて立派で優しい御方でしたっ」
背に回した腕にギュッと力を込め、僕の胸に顔を埋めるコルト君。
ほんと、こうして見ると可愛らしい子だな……いや、だから相手は男の子だってのに。夕食時のユメールさんの台詞が冗談じゃ済まなくなるから変な事を考えるんじゃないぞ。
「そこまで言われる様なことはしてないよ。それに、お礼ならセミリアさんに言ってもらえると助かるかな」
謎の自制心と格闘しながら対ミランダさんの時の癖をつい発揮して無意識に頭を撫でていたことに気付いた僕だったが、コルト君は嫌な顔一つせずに僕から体を離しセミリアさんに向かって九十度のお辞儀をした。
「はい。勇者様も、本当にありがとうございました」
「事情はよく分からないが、気にすることはない。私もキアラ殿とは通じるところがあると思っているのだ。だからこそ心に宿る正義を忘れて欲しくはないからな」
そんな僕とセミリアさんを尋常ならざる尊敬の眼差しが捕らえて離さない。
あまりそんな態度のままでいられると密かに画策している『お師匠様』と呼ぶのを止めてもらう交渉に影響しそうなので話を変えることに。
「そうだ、コルト君。お礼の代わりなんて求めるつもりで言うんじゃないけど、一つお願いがあるんだ」
「何なりと言ってください!」
元気良く、満面の笑みでそう言ったコルト君に僕はとあるお願い事をした。
そう考えているのが僕だけなのかどうかはまだ分からないけど、この機会を逃す手はない。
後から後悔しないためには出来る限り機を見るに敏でなければならないのだから。