【最終章】 邪神復活
~another point of view~
フローレシア王国西部一帯には巨大な神殿が広がっている。
石造りの柱がいくつも建ち並び、長い階段が遙か高くまで続いている大きな神殿だ。
民が暮らす居住区からは明確に分離され、『研究所』と呼ばれる施設と同じく国民は近付くことを許されておらず、その正体も一切知らされていない。
それどころか国王ですら近付くこともせず一切関わりを持っていないという、本来在るべきではない異常にして異様な存在であった。
神殿が建てられたのはおよそ三年前。
全ては魔王軍によるとある目的のためだ。
邪神教本部と呼ばれる神殿には世界各地から多くの人間が集められている。
本来フローレシア王国に魔王軍の所行を看過する理由はない。
しかし、フローレシア王国の国王という立場にあるマクネアに限っては魔王軍ではなく魔王軍にいる一人の男に協力しなければならない理由があった。
ゆえにオズウェル・マクネアは条件付きで神殿の建造を認め、それ以降の関わりを絶つことを決める。
その目的もさることながら、世界中から『人柱』と呼ばれる人身供犠のための生け贄を集めるためだと聞かされてはただ捨て置くわけにもいかず、国民を守るために『フローレシアに住む者に手を出さないこと』を条件に魔王軍の行動を黙認することにしたのだ。
外部から中の様子は一切窺えず、常に静けさと不気味さに包まれている。
そんな邪神教本部にあって、全ての前提が覆されようとしている兆候であるかのように二人の男が姿を現わした。
徐々に赤く染まりつつある夕暮れの空の下。
巨大な方錐型に近い造りである神殿の遙か頂で遠くに見える無人の町を見下ろしているのは魔王カルマ、そしてその腹心であるエスクロである。
カルマの手には赤く、大きな水晶が持たれている。
見るからに禍々しく、中では得体の知れない何かが渦巻く様に蠢いているその水晶にはつい先程まで神殿内部に捕らえられていた全ての人間の魂が集約されていた。
長い時間を掛けて神殿を建てたことも、世界中から人間を集めたことも、全てはカルマの主導で進められてきた邪神アステカ復活の儀式のためだ。
甘言に乗って勧誘されるがまま導かれた人間。
カルマの部下であるエスクロや魔道士ギアンが連れ去ってきた人間。
帝国騎士団が近隣国の船などを襲った際に捕らえ、魔王軍に引き渡した人間。
方法は様々であったが、その中身に関わらず儀式に必要な数である一万に達した全ての人間は既に魂を抜き取られ、命を失っている。
一万の魂と引き替えに封印し、封印を解くには同じく一万の魂を必要とする。邪神を封印している魔術とはそういう仕様なのだ。
「この国はおかしなものだな。一人の人間の姿も無いとは、まるで死した国の様ではないか」
遠くに見える建物の群れを眺めながら、カルマは嘲笑を浮かべ横に立つエスクロへと声を掛けた。
儀式の準備は全て整っている。あとは封印解除の魔術を扱えるバジュラの合流を待つだけというところまできている。
「どうやら、外出禁止令なンてもんが出ているのだそうで」
「俺達を信用していないのだとすれば、存外強かな国じゃないか。取引や同盟などどちらかの利害関係が失われればそれまでだということをよく分かっている」
「そりゃつまり、この国も標的にするおつもりで?」
「今の段階で神の名を騙る天界の思い上がり共に横槍を入れられると面倒だ。こちらの戦争に終止符を打ったのち、次なる標的ということにしておくとするさ。その宣戦布告代わりにこの国に滅んでもらうとしようじゃないか」
「神といやあ冥王龍や天鳳も同じく神格化されている化け物でしたが、こちらが期待していた働きとは程遠い結果だったンでは?」
「弱体化した冥王龍になど興味は無いが、天鳳が人間に敗れたというのは確かに意外な結果だと言えるだろう。だが、そう簡単に消えて無くなる様な生物ではないからこそ今も昔もこうして戦っている、それが摂理というものだ。その半永久的な連鎖に終止符を打つのは俺でなくてはつまらないだろう」
「仰る通りで」
エスクロが短く答えると、ふと会話が止む。
突如二人の前に浮かび上がった光りの塊が、カルマにとってのもう一人の真の眷属が戻って来たことを意味していた。
宙に浮かぶ妖光の中から姿を現わしたバジュラはカルマの前に降り立つと、そのまま片足を突き跪く。
「カルマ様、お待たせ致しました」
「予定外の邪魔が入るというのも中々に煩わしいものだ。問題はないな?」
「はっ。ご命令通り、淵帝様を使って退却させております。メゾア様は随分とご立腹の様子でしたが」
「組み敷く価値無しと捨て置いていたが、頭を使うことを知らぬ愚兄を野放しにしているのもそろそろ目障りになってきたな。エスクロ、一つ頼まれてくれるか」
「御意」
敢えて口にせずともカルマの言わんとしていることを察したエスクロは再度短く答えると、そのまま姿を消した。
神殿最上部にはカルマとバジュラの二人が残される。
「さて、こちらも始めるとしよう」
「では手筈通りに」
「ああ」
バジュラはそこでようやく立ち上がると、手に持った杖を天に翳した。
すぐに先端の宝玉が輝きを帯び始め、同時に巨大な神殿全体が薄白い光りに覆われていった。
神殿には造設の際に結界と魔法陣が仕込まれている。
捕らえた人間を逃がさぬための内部から外に出られないようにする効果を持つ結界。
そして他ならぬ邪神復活に必要な封印術解除の魔法陣である。
その状態から更にバジュラの魔術によって結界のレベルを強力に底上げし、アステカを制御出来ずに暴走されるという万が一の可能性に備えたのだ。
結界の強化が完了すると、二人はすぐに内部へと移動する。
この日の朝まで一万を超える人間が居たはずの広い神殿は無人の静けさに包まれていた。
誰も居らず、何も無い。
四方に円柱が立ち並ぶ祭壇の間の中心にぽつりと一つ、真っ黒な棺が置かれているだけだ。
カルマとバジュラは棺の横に立ち、無言でその全貌を見下ろした。
髑髏の装飾が施された、見るからに禍々しい雰囲気を放つ大きな棺の正体は闇の世界に繋がると言われている【闇黒の棺】という名の最上級の封印術を用いてのみ使用することが出来る闇のアイテムである。
光り無き純黒の空間に半永久的に縛られたまま抗う術無く、終わりの見えない無限の時が過ぎていくのをただ待ち続けることしか許されない。
まさに永劫封印の名にふさわしい、最悪にして最強と言える効力を持った世に二つと無い伝説級のアイテムだった。
邪神アステカは数代前の淵帝によって封印されている。
魔族の王たる自身の力を上回るその存在を恐れたがゆえに、同胞を葬るという凶行に出た。
それから数百年の時が過ぎた今、その封印がさらなる狂気によって解かれようとしている。同じく魔族の王である一族の血を引くカルマによって。
「さあ……蘇れ、神よ」
カルマは期待に満ちた嫌らしい笑みを浮かべ、一万の人間の魂を封じ込めた宝玉を棺の上に翳すとバジュラに目で合図を送る。
バジュラはすぐに杖を両手に持ち替え、呟く様な小さな声で長い呪文の詠唱を始めた。
徐々に棺の周りに魔法陣が浮かび上がっていく。
やがて全ての詠唱が終わると、誰も触れていないはずの棺が独りでに開き始めた。
ギギギギギ、と嫌な音を立てて、ゆっくりとその中身が露わになっていく。
見守る二人の前で完全に開ききった棺の中はただ黒く、闇が充満しているだけで他に視覚から得られる情報は何一つ無い。
直後にその闇の中から姿を現わしたのは、一人の魔族の男だった。
背が低く、一見年老いた風に見る風貌ではあったが、その表情や額に埋まっている虹色の宝玉、黒い髪に混ざって頭部から無数に生えている白い蛇の姿、その全てがただならぬ存在であると否応なく感じさせた。
これが邪神アステカ。
これがかつて魔界の神と呼ばれた存在。
あまりの存在感と底なしにさえ感じられる潜在魔力の大きさにバジュラは息を飲み、圧倒されて言葉が出ないまま心でそんな感想を呟いた。
アステカの両手足は棺の中から伸びる鎖に繋がれている。
動けず、魔力を使えない状態であると分かっていてなお、恐れ戦いてしまうだけの風格があった。
「汝は何者だ……」
真っ先に口を開いたのはアステカだ。
ほとんど自由の効かない状態のままで、目の前に立ちどこか満足げな笑みを浮かべているカルマを睨み付け、小さく低い声を投げ掛けた。
「我が名はカルマ。魔族の王たる一族の末裔だ」
「この我輩を封じ込めた一族の者か……その汝が……何故我輩を再びこの世へ呼び戻す」
「我が祖先は強大過ぎるその力を恐れ貴様を封じ込めたが、この俺は違う。貴様の力を手に入れ、無価値なゴミ共を一掃するのだ。魔界の神とまで呼ばれた男よ、我が傘下に加わってもらおう」
「神と呼ばれたこの我輩を従えようとぬかすか…………恐れ知らず……否、身の程知らずの童めが。王が神を従えるなど……思い上がりも甚だしいわ」
「拒否すれば再び永遠の時を闇の中で過ごす羽目になる。その手足に繋がれた物を見て封印が半分しか解かれていないことを理解出来ないわけではあるまい。どう足掻こうとその状態ではこの神殿を覆う結界から出ることは出来ない」
「元より選択肢など無いも同じと言うつもりか……駆け引きのつもりか知らぬが、世代は変われど小賢しい真似が好きなものよ……魔界の王というのは」
「全ては争いの連鎖に終止符を打つため。そして争いとはより大きな力を手にした者が勝者となるのだ。ならばそれを手に入れんとすることは王としての本能というものだろう」
「汝は何を欲し……何を求める」
「欲するものは俺の時代、求めるものはこの世の全て。まずは絶えず続く人間共との決着を付け、地上を我が物とするのだ」
「クックックックック……面白い……実に面白い。その不遜な振る舞い、迷い無き野心……それが汝の遣り方であるならば、降ってやろうではないか。再び闇に葬られるよりは幾分ましな時間となろう……だが、よく覚えておくことだ魔族の王よ。その価値無しと見れば我輩はいつでもその首に食い付くぞ」
「それが出来るかどうかは別の話だが、好きにするがいい」
カルマとアステカ。すなわち王と神は顔を見合わせ、互いに不敵な笑みを浮かべる。
こうして数百年の時を経て復活を果たした邪神アステカがカルマの部下に加わることとなり、長い長い時間を掛けて力を蓄え、準備を整えたカルマの計画はついに完了した。
それは同時に、繰り返され続けてきた争闘が最終局面へと向かっていくことを意味している。
図式を見れば人間対魔族の争い。
しかし、その中にどれだけの勢力が存在するのか。
それを知る術は誰にも無く、変動していく敵味方の姿が戦況を左右する大きな要素となっていくこともまた何者にも知る由は無い。