【第二十三章】 それでも戦いは続いてゆく
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天鳳ファームリザイア。
今のこの世界でそう呼ばれている不死なる鳳凰が消失するのを見送った僕達はすぐにグランフェルト王国へと戻った。
遙か昔から今に至るまでに大小様々な行き違いが積み重なった結果とはいえ、本来どちらかが死ぬことでしか終わらないはずの戦いだったのだ。
世界を滅ぼせるだけの力を持った魔獣神と呼ばれる生物を相手に誰一人欠けることなく、それどころか目立った怪我をした人も出さずに戦いを終えることが出来たのは奇跡と言ってもいいのかもしれない。
ジェスタシアさんが僕に興味を持たなければそうなっていなかっただろうことを考えると運に左右された結果でしかないけれど、運であれ運命であれ偶然僕が居合わせただけのことで一つの争いが避けられたならば僕にとってはそれが全てだ。
滅びを呼ぶ天鳳の存在理由も、争い抗う人間側の事情も、どちらが正しいどちらが間違っていると議論したところで簡単に解決出来る規模の問題ではない。
だからこそ、どういう理由であれジェスタシアさんと話をすることが出来てよかったと僕は思うのだ。
当然ながらそんな僕とジェスタシアさんの間で交わされた言葉の数々や約束のことを他の面々が知る由はない。
あの後すぐに説明を求められ、島を離れる前に真っ暗な空間で起きた出来事を僕は語った。
といっても、全てを話したわけではない。
子を成し、役目を終えたがために自ら身を退く意志があったこと。
いつしか食い違っていった認識を誰かに伝えたいと思っていたこと。そしてその中身。
それらを全員に説明した。
かつて地上の守り神と呼ばれていたことや本来争いを収めるために存在する生物であったこと。そういった部分だ。
元々が神様だったとか、ジェスタシアさんの子供が僕の名を挙げたこと、その子供や天界に居る友人に会った時には云々といった話は伏せておいた。
セミリアさんやジャックは別としてもクロンヴァールさん達に余計な勘繰り、つまりは何か密約や取り引きでもしたのではないかと疑われても面倒だし、何よりもあれは純粋に子供や友人を想って僕にお願いしてきたのだ。
個人的な感情による身勝手な判断と言えなくもないけど、子に役目を引き継がせたという説明をした時点でいつか同じ危機に見舞われる可能性については言及している。
ならば世界の危機に関係の無い個人的な話まで明かす必要はないと、そういう判断をした。
それが事情どうあれ食べられて死んでいたはずの命を残してもらえたことに対するせめてもの義理であり、人と人として対話をし、誰かを想い何かを残そうと僕に頭を下げたジェスタシアさんに対する僕なりの人情だ。
「世界崩壊の危機と聞いてわざわざ出張って来たというのに、拍子抜けもいいところだな」
クロンヴァールさんは呆れた様に、そんな感想を漏らしていた。
それは無事に終わったからこその言葉なのだろうが、どうしてもこの人の場合は『敵は倒すべきものであり、排除するべき存在』という確固たる信念を持っている嫌いがあることもあって勝敗無き結末に納得していないのではなかろうかと思わされてしまう。
そんな姿を見て、やっぱり全てを明かすことを避けた自分の判断は間違いではなかったんだろうなと思ったりもした。
そして、僕の無事を喜んでくれた数少ない人物でありながらがっくりと肩を落とすのが一人。
「つーか、最終的に話し合いで解決ってアタシの百年はなんだったんだって感じだな……無事に終わったなら文句はねえけどよ」
そう、ジャックである。
まあ……世界を守るために天鳳と戦う時を待つ目的で髑髏の姿になって百年も過ごしたわけだし、気持ちは分からなくもないというか、なんかすいませんって感じだったんだけど、五秒後ぐらいには開き直って、
「ま、今このタイミングで人間に戻ったからこそ出来ることもあるってもんだ。悪いことばかりじゃねえか」
とか言っていたので尾を引くことはないだろう。
そんな感じで事の顛末に関する話も終わり、八人が揃ってグランフェルト王国本土へと例によってエレマージリングで戻る。
その後の道中、対天鳳による消耗もほとんどないこともあって帰り次第僕達側の準備に取り掛かり、今日のうちにはまたシルクレア王国の船で連合軍としてサントゥアリオ共和国へ向かうことが決まった。
これから僕達は城に戻ってリュドヴィック王に諸々の報告をし、出兵の準備をしなければならない。
一つの問題が解決したとはいえ、まだ二つも三つも問題を抱えているのだ。
本来ならば寸暇も惜しんで出国の準備に当たるべきであることは分かっている。
頭では分かっているけど……僕はその場を動くことが出来なかった。
そろそろ見慣れた薄暗い森の中。
目の前には木を十字に組み合わせて作った真新しいお墓が立っている。
その下に眠っているのは、少し前に自分達の手で埋めたノスルクさんだった。
「…………」
片膝を突き、手を合わせた状態のまましばらくが経つのに、未だ涙が止まらない。
どうしてノスルクさんが殺されなければならない。
どうして世のため人のために老いてなおその身を費やしているノスルクさんが巻き込まれなければならない。
どうして僕は……その可能性に気付いていながら簡単に引き下がった。
「自分を責めるなよ、相棒」
隣で同じ様に手を合わせていたジャックが僕の肩を抱く。
その向こうではセミリアさんも、サミュエルさんまでもが動かずにいた。
セミリアさんは微かに涙を浮かべながら、サミュエルさんはただ神妙な顔付きで、それぞれ立ったまま目の前の十字架を見つめている。
「僕がもっと強く言っておけば……無理矢理にでも連れ出していれば……こんなことにはならなかったはずなんだよ……ジャック」
「関係ねえさ。あの時お前さんがどんな言葉で説得を試みようと結果は変わらなかった、それは間違いない。こうなることはエルワーズ自身が誰よりも分かってたんだ。その上であいつは始めから受け入れるつもりだった。十分過ぎる程に生きて、数え切れない程戦い、守ってきた。自分の役目はこれで終わりだと、色んなものを見守る余生の幕引きの時だと、あいつがそれを望むなら背負ってきたもん全部下ろして休ませてやりてえってアタシは思う。だから、誰のせいでもねえよ。アタシ達に出来るのは安らかに眠れる様に願ってやることと、あいつが残していったもんを代りに背負って前に進むことだけだ」
「そういう……ものなのかな」
そうか……小屋を出る前のやりとりを、ジャックは聞いていたのか。
それだけじゃない。
『いろいろありがとよ』
出発の前にそう言っていたことも、
『お疲れさんって、伝え忘れちまったなぁと思ってよ』
向こうに着くなりそんな風に呟いていたのも、その予感があってのことだったんだ。
今にして思えば、山に籠もる前のタイミングで僕にあの水晶や腕輪をくれたのも同じ理由だったのだろう。
長きに渡る付き合いがあり、共に戦ってきたジャックがそう言うのならば感謝の念と共に見送ることが残された僕達に出来る最後の恩返しなのかもしれない。
だけどそれでも人は……いや、少なくとも僕はそう簡単に割り切れはしなかった。
僕がセミリアさんと出会い、この世界に来るきっかけを作ったノスルクさん。
自身がどう感じるかは別としてもセミリアさんはそのおかげで魔王を追い払うことが出来たと言ってくれる。
そしていつだって僕を、僕達を助けてくれた。
情報やアイテムによって手段や方法を与え、常に僕達を導いてくれた。
今僕が生きていることも、セミリアさんやサミュエルさんがそうであることも、ジャックと出会い共に戦ってくれる仲間になったことも、全てはノスルクさんのおかげだと言っていい。
本を託されたり、二人のことを頼むと言われたり、王様に僕を推薦したりとノスルクさんも僕を多少なりとも信頼してくれていたと思うし、僕にとっては王様や姫様にあてにされることよりも余程精神的に支えになっていただけではなく、その度にこの世界で頑張ること勇気を出すことに対する後押しをしてもらっていた。
そんなノスルクさんはもう居ない。
もう僕達を助けてくれることはない。
苦難に立ち向かう僕達を後押ししてはくれない。
もう二度と、穏やかな笑みを向けてはくれない。
ジャックと別れなければならないと言われた時も不安や心細さだけではなく、柄にもなく寂しさを感じていた。
再会を約束してくれたからそれらを乗り越え、支えを失った状態でサントゥアリオへと向かうことが出来たと言ってもいい。
だけど、それももう望むことは出来ない。
ただいつものように帰りを待っていてくれることすらしてはもらえない。
それは間違いなく人と魔物が、或いは人と人が争い、僕自身がその中に身を置くこの世界であるからこその悲劇と別れなのだろう。
自分が死ぬ可能性のある行動に出る時や食べられて死んだと思っていた時には仕方がないかと簡単に割り切れたのに、自分以外の誰かの死はどうしてここまで苦しいものなのか。
サントゥアリオの港で兵士の亡骸を見た時ともどこか違う。
小学生の頃に父と死別した時とも少し違う。
なんとも表現し難い乱れた感情は、的確に言い表す方法も、憤りをぶつける先も、嘆く気持ちを吐き出すための言葉も、見つかりはしなかった。
ただ一つ理解しているのは、ここで何かが終わるわけでもなければ終わりにしていいはずもない、ということだけだ。
かれこれ二、三十分はここにいる。
悲しみや後悔が強いからこそ、割り切ったり受け入れることは出来なくとも何を考えなければならないか、何を考えるべきか、そんなことにも自然と意識がいく。
「……コウヘイ」
ふと、セミリアさんが僕の側まで寄ってきたかと思うとジャックとは反対側で膝を折り、視線の高さを合わせて僕の顔を覗き込んだ。
慣れ不慣れの問題か、精神的な弱さゆえか、どう見ても僕が一番涙の量が多かったのだ。きっとそんな僕を心配し、励まそうとしてくれているのだろう。
「分かってます、いつまでもこうしてちゃ駄目だって。ここで足を止めてしまったら……ノスルクさんが残してくれた色んなものが無駄になってしまう。受けた恩に報いるためには、この国や世界の平和を願ったノスルクさんの思いを蔑ろにしちゃいけない。前を向いて、やるべきことをやるしかない。立ち向かわなければならない現実や相手から目を逸らしてはいけない。僕なんかがあれほどの人物の意志を継ぐなんてことは烏滸がましい物言いかもしれませんけど……少なくとも、気持ちだけでもそう在らなければいけないんです」
今なお魔王軍の企みやサントゥアリオの戦争によって世界は危機的状況と隣り合わせのままなのだ。
ならば、立ち止まり目を逸らすことで何かが解決することなどない。
悲しいから、辛いから、怖いから……心が折れたと、逃げ出すことこそ全てを無駄にする行為でしかない。
戦争を止めるだなんて理想論をどこまで追い求めることが出来るかなんて分からない。
それでも。
戦わなければ何も変わらないから。
争いの末にしか何かを変えることは出来ないから。
人が死ぬことと戦争をすることが同じ意味であったとしても、ただ多くの誰かが死んだだけで終わりという結末を少しでも変えるために、いつかまた別の争いに繋がる可能性を少しでも減らすために、立ち止まってはいけないのだ。
例え争いを止めることが叶わなくとも、そんな願望を抱く人間の存在によって助けることが出来る誰かがいるかもしれない。犠牲にならなくて済む人間が一人でも増えるかもしれない。
少なくとも僕やセミリアさんはそう思えばこそ連合軍への参加を決めた。そしてノスルクさんも、それを望む一人だったのだから。
「よく言ったぜ、相棒。烏滸がましいなんてこたあねえ。エルワーズはアタシ達全員に意志を託したんだ。魔王軍如きに世界を潰させてなんざやるもんかってんだ。アタシ達にしか出来ねえことはきっとある、四人力を合わせてエルワーズの思い描いた未来を守ってやろうじゃねえか」
セミリアさんよりも先に、そう言ったのはジャックだった。
肩に手を回したまま僕の頭をわしゃわしゃと雑に撫でる。
「はい、私も二人と同じ気持ちです。一人でも救える人間が増えるのならば、相手が悪であれ主義主張の異なる凶徒であれ不惜身命の覚悟で戦う十分な理由となる。そして……今も、これまでも、私達がその意志を行動に移すことが出来るのはノスルクのおかげなのだ。何があっても、それを忘れるつもりはない」
セミリアさんも指で目尻を拭い、強い眼差しで先を見据えている。
「私は別に何かを託された覚えもないし力を合わせるつもりもないけど、それなりに借りはあるから敵を潰すことで弔いぐらいはしてあげるわ」
どこか素っ気ない口振りで、サミュエルさんも独り言の様に漏らした。
サミュエルさんとてセミリアさんと同じか、目や腕のことを考えるとそれ以上の大恩があるはず。
人前ではそれを口にしない人だけど、少なからず思うところはあるのだろう。
そんな三人の言葉を聞いて、僕も涙を拭い、立ち上がる。
サントゥアリオ共和国へと戻るならば、この先もまた人が死ぬだろう。
まるでゲームの様な世界の中で、歴史ドラマの様な出来事の渦中に僕は居る。
それは未だ信じがたい事実ではあるけれど。
少なくともこの胸の苦しみも、いつか体に受けた傷や痛みも、多くの人間と交わした言葉や約束事も、紛れもなくこの身で実感してきた現実のことなのだ。
何かに積極的になることも執着することも少ない僕が誰かのためにと必死なって考えたり行動すること自体、日本にいればなかったことだろう。
そんな僕がこの世界でそうあるのは、普通ならざる環境やこちら側ならではの事情、そして与えられ求められる立場やそれによって関わり合いになる人達との繋がりや関係性、更には生きるために、平和のためにと命懸けの冒険をしたり戦ったりという時間を共有したことで生まれる絆の様なものがそうさせていると僕は思う。
そして、それらの要素が最も強い関係であり一番長い付き合いであるのがセミリアさんとノスルクさんだったのだ。
その二人に頼られたり託されたりといった背景があるからこそ僕はこの世界に来ることを決め、共に行くことを決意したと言っても過言ではない。
セミリアさんの言う様に僕がこの世界で何かを変えられて、この先もその可能性があるならば。
ノスルクさんの言う様に多かれ少なかれ本来居るはずのない存在である僕を必要とする人がいるならば。
少しでもそう思ってくれる二人の気持ちに答えることが僕のこの世界での存在意義だ。
顔も名前も知らない誰かのためではなく、二人に加えサミュエルさんやジャックの進む道に共に在るために、王様やミランダさん、アルスさん、ルルクさんといったよくしてくれた人達に報いるために、自らの意志で残ると決めたのだから。
「では……僕達も行きましょうか」
世界にとって、人々にとって、そして自分達にとってのまだ見ぬ未来を守るために、より大きな困難と苦難に向かって、僕達は次なる戦地へと向かうことを決めた。
○
船に乗り込んだ頃にはすっかり日も落ち始めていた。
森を出た後、僕とセミリアさんは城に向かい、サミュエルさんとジャックは直接シルクレアの船団が停泊している港へと向かうことで二手に分かれることに。
王様と話をしたり兵士の指揮を執ったりなんて一ミリもする気が無いサミュエルさんに本来あるはずのない存在のジャックだ。
一緒にお城に行くという選択をするはずもなかったとはいえ、ノスルクさんの埋葬を見届けた後一足先に船に戻っていたシルクレアの一団にこちらの状況を伝えるべきだったことも踏まえるとベターな割り振りと言えるだろう。
実際は僕もミランダさんやアルスさん、ルルクさんといった使用人仲間の人達と会うと何を言われるか分からないといった不安もあって出来れば城には戻りたくなかったのだが、何でもかんでもセミリアさん一人に押し付けるのが嫌だったので口にはせずに二人で城に戻った次第である。
ジャックと再会した日も一人で城に行ったりシルクレア王国に飛んだりさせてしまっているだけに尚更だ。
今このタイミングでまたミランダさんやルルクさんに『無事に帰ってくると約束しろ』なんて言われでもしたら僕はどんな顔でそれに応じる振りをすればいいのか分からない。
分かりました。と、今までならば実際にどう思っていようと簡単に言っていたのだろうけど、ノスルクさんがあんなことになったばかりの今、生き死にに関することに対し軽々しく出来もしない約束をするという行為はあまりに下劣な気がしてどうしても躊躇われた。
そういう理由だ。
幸いにもというか、丁度使用人の忙しい時間帯だったこともあり王様の元に直行した僕達がミランダさん達と出会すこともなく、滞りなくやるべきことを済ませることが出来た。
天鳳との戦いの結果、そしてノスルクさんの死を報告し、リュドヴィック王もノスルクさんの件は心底無念に思っていることが窺えたし、ガイアという人物の暗殺との関連性が発覚すると同時にそれらが魔王軍の企みによるものだと知って大層憤りを感じている様子だった。
そんな拝謁の時間も早めに終わり、出兵の準備にもそう時間は掛かることなく、僕達は戻って一時間もしないうちに城を出ることとなる。
元より今日でなくとも数日以内には国を出る予定だったのだ。
武器装備の準備や派遣される兵士の選定が既に終わった後だったことが大きな要因だろう。
あとはセミリアさんやレザンさんの手腕と言ったところか。
いくら女性に目が無く、理解不能な言動を随所に見せるレザンさんだとはいえ副将という肩書きを持つだけのことはある様で、前回サントゥアリオに居た時からこと兵士を纏める能力に関しては端から見ていても流石という感じだ。
そうして城を出た僕とセミリアさんに加え、例の白十字軍で統一された鎧を身に着けた三百人の兵士達は馬で港へと向かった。
勿論のこと僕はセミリアさんの後ろに乗せてもらっての話だがそれはさておき、その時点で夕方を迎えようとしていた時刻は一時間程の移動を経て港に到着した頃には日が沈みつつあり、その時になって始めて夜間の渡航をするつもりなのだろうかと思い至ったのだけど、僕達が乗り込んだ六隻に増えたシルクレアの超巨大帆船は何の躊躇もなく港を離れ茜色の海へと旅立っていく。
それぞれの船に均等に分かれて乗り込んだ僕達は部屋に通されてすぐに運ばれてきた夕食をいただき今に至るというわけだ。
「おい姉ちゃん、ワイン追加で持ってきてくれるか。質にゃ拘らねえから何だっていい」
例によってそれぞれに個室が与えられている待遇であるにも関わらず、なぜか乗船以来僕の部屋に居座り続けるジャックとセミリアさんと共に食事を済ませた。
察するに放っておくとまだ心配だとでも思われているのだろう。
相当な取り乱し具合を見せてしまっているだけにその気持ちに対しては素直に感謝したいところではあるけど、食べ終わるなり空いた皿を下げに来た若い使用人にそんなことを言うジャックは実は酒盛り相手が欲しいだけなんじゃないだろうかと思ってしまうのは僕が捻くれているせいだろうか。
食事の最中だけで既に瓶二本のワインを空けている状態なので尚更である。
若い使用人の女性は『かしこまりました』と一言残して食器を下げていくと、すぐにまた二本のワイン瓶を届けてくれた。
「ジャック……ちょっとは遠慮というものをだね」
赤みを帯びた頬でグラスにワインを注ぐジャックを見て思わずというか呆れてというか、そんな感想が漏れる。
ただでさえ三百人分の食事まで提供されている身なのだ。
好意によるものではないにせよ、至れり尽くせりに甘んじるばかりでは器も知れるというもの。
グランフェルトとシルクレアという二つの国を比べた時、到底対等な力関係にはない。
だからといって借りを積み重ねるばかりではいつまで経っても強く出れず、半ば言われるがままの関係に変化が起こることもないだろう。
グランフェルト王国がシルクレア王国に何らかの援助を受けているという随分前に聞いた話も然り、今回の遠征においてはシルクレアの船に同乗する戦略的意味がないのにそうある今の状況然りだ。
まあ、ワインの一本や二本で何が変わるわけでもないだろうし、そんな話をしたところでジャックが酒を控えてくれるとも思ってはいないけども。
「いいんだよ今日ぐらい。エルワーズの弔いってやつだ、おめえらも飲め」
案の定そんなことを言って、ジャックは僕とセミリアさんのグラスにもワインを注いだ。
今日ぐらいと言うその口振りには何の信憑性も無い感じではあるけど、ノスルクさんの名前を出されては小言を返すのも野暮というものか。
ワインは初めてとはいえお酒を飲んだ経験が無いでもないし、この世界の成人が十五歳らしいことを考えると、それこそ今日ぐらいは問題はないだろう。
二人のおかげで気持ちも落ち着いたままいられるわけだし、わざわざ蒸し返して空気を重くする必要もない。
「じゃ、僕も今日ぐらいはジャックに付き合うとしようかな」
「おっ、よく分かってんじゃねえか相棒よ~。そういう融通の利くところが好きだぜ」
「普段小言を言う時は面倒臭い奴だって思ってるってことだね」
「オイオイ、アタシはそんなこたあ一言も言ってねえぜ。そりゃ酷い言い掛かりだ」
やれやれと、大袈裟に首を振りながらそう言ってジャックはセミリアさんを見た。
いつだったかセミリアさんはお酒は飲まない主義だと聞いたことがある。
僕が簡単にグラスを手にしたことに対してか若干驚いた顔をしていたが、それでもすぐに優しい表情を浮かべ、自身もグラスを手に取った。
「私は酒は飲まない主義なのですが……コウヘイの言う通り、今日ぐらいは構わないでしょう」
「それでこそ勇者ってモンだぜ」
というジャックの言い分はよく分からないが、三つのグラスが音を立ててぶつかる。
「偉大なるエルワーズが残した功績と新たな旅立ちに乾杯だ」
「私はノスルクが安らかに眠れるように願って」
「僕は感謝の気持ちを込めて」
三者三様に思いを口にし、僕もワインを一気に飲み干した。
生まれて初めての赤いワインは度数の問題なのか中々にキツいものがある。
というか、ジャックの真似をして一気飲みしちゃったわけだけど、セミリアさんがそうしてないところを見るにそれが作法というわけでもなかったらしい。
おかげで若干頭がフラフラするし、勝手につられた僕が悪いけどややこしいことしないで欲しい。
「エルワーズはよ、すげえ奴だった。すげえ奴で、すげえ良い奴だったぜ」
「うん、そうだね。凄い人だった。それに良い人だった」
「あのロスキー・セラムに歴代一と言わしめる程の人物だ。後にも先にもノスルクを超える能力や経験を持つ魔法使いが現れることはないのだろうな」
「そりゃそうさ。セラムだかプラムだか知らねえが、あんなオッサン目じゃねえよ。アタシと出会うずっと前から色んなモンを相手に戦ってたんだ。魔法の腕は一級品、それでいて頭も良いし何でも知ってやがる。アタシやヴォルグが戦乱を生き残れたのも爺さんのおかげさ。エルワーズと出会い、共に旅したことはアタシにとって誇るべきことだ」
「その気持ちはいつまでも胸に残るものなのでしょう。例え共になくとも、その絆が勇気を沸き立たせてくれる。背中を押してくれる。ノスルクも、コウヘイやアネット様も私にとってもそういう存在なのでよく分かります。三人に出会えたことは私の誇りですから」
「ははっ、嬉しいこと言ってくれるじゃねえかクルイード。ほら、進んでねえぞ。じゃんじゃん飲め飲め」
ジャックは僕とセミリアさんのグラスにまたトプトプとワインを注いでいく。
そんなノリとテンションのまま、僕達は延々とノスルクさんとの思い出話をしたりノスルクさんのぶっ飛びエピソードを聞いたりしながらしばらくを過ごし、セミリアさんは見た目通り清楚に上品に、僕は時折ジャックに煽られたりしながらグビグビと、ジャックに至っては途中からラッパ飲み状態で酒盛りの時間が過ぎていった。
最終的に九本程のワインを空にしたところでジャックが力尽き、爆睡してしまったのでお開きとなり、起きる様子のないジャックをベッドに運んで頭がぼんやり状態の僕と全然平気そうなセミリアさんは就寝の準備を済ませて部屋へと戻ることに。
といっても酒盛りをしていたのは僕の部屋だったのだが、ジャックがベッドを占領して寝ているので僕がジャックの部屋で寝ることにしたというわけだ。
明日にはまたサントゥアリオへと到着する。
この先もまた僕達は乗り越えなければいけないことだらけの、確実に痛みや悲しみを伴う辛苦の道を進むことになるだろう。
一つの危機を無事に終え、一つの別れを経験し、次なる舞台の新たな戦いに向けて、僕達を運ぶ船は月夜の下を進んでいく。
立ち止まってはいけないのだと。
支え合い、励まし合い、そして信じ合うことで前に進もうとする僕達の意志を投影しているかのように緩やかに、それでいて力強く。