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誰かを殺そうとする彼女に恋をした  作者: さつき


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4/7

 その日から、ベスは姿を消した。日曜日にリディアの丘に現れなくなった。

 それでも、またあそこに行けばベスがいるのじゃないかと、何度何度も足を運んだ。雨の日も、雷の日も、日曜日はそこを訪れた。

 けれども、ベスは現れなかった。

 彼女にまた逢いたい。声が聞きたい。笑顔が見たい。話がしたい。彼女のことをもっと知りたい。もっとたくさんの時間を一緒に過ごしたい。

気がついたら、かわいいベスに恋をしていた。

 いつからかは、わからない。もしかしたら、初めからだったのかもしれない。いつも、ベスに会いたくてたまらなくない。ベスもそう思ってくれたらいい。

 フィオリは、そんな風に願い続けて、あの丘を訪れることを辞めることができなかった。



 ベスが再び姿を現したのは、ベスから別れを告げられてから2か月後のことだった。

 まるで力尽きているかのように木にもたれかかる彼女の姿を発見したのだ。


「あ……」

 

 フィオリの口から驚きの声が、零れ落ちた。

 彼女は、幽霊のように青ざめていた。細い手首は赤く腫れている。目は、一晩中泣きはらしたように充血していて、頬には殴られたようなアザができている。

 最後に会ったときからろくに食事もとれなかったのか、随分痩せていた。


「ベス。どうした?誰にやられた?」


 彼女に逢えてうれしいという感情よりも、彼女が心配でたまらないという感情でいっぱいになる。


「兄さんよ」


 腫れた頬を隠すように左手を添えたが、アザは隠れ切っていなかった。


「君の兄さんは、暴力を振るうひどい奴なのか‼だったら、俺が倒してやる」

「ち、違うの。ちょっと喧嘩しただけよ。兄は、私のことが好きなの。だからこそ、私を守ろうとしただけなの」


 ベスは本気で焦っているようで、兄を庇ったり、嘘をついていたりする様子は感じない。


「どうして喧嘩したんだ?」


 そう尋ねると、ベスは下を向いて小さく首を振った。


「言いたくない」

「わかった」


 その時、ベスの赤い瞳から、涙が零れ落ちた。

 フィオリは、女の子が泣いているのを見ることが初めてだった。あまりの光景に衝撃を受けて、ハンカチを差し出すことも忘れて立ち尽くした。

 ベスは、すすり泣きながら声を絞り出す。


「……私、もうどうすればいいのかわからないの。兄さんを悲しませたくない。誰のことも傷つけたくない。だけど……自分を殺したくない」


 ベスがどうして悩んでいるのか、なんて全然わからない。でも、彼女が兄さんと意見が異なってしまったことはわかった。だったら、自分の言うことは決まっている。


「お兄さんがどう言おうと君の人生は、君だけのものだ。ベスは、ベスが生きたいように生きればいい」

「でも……私の選択で大勢の人間が苦しむことになるかもしれない」


 ベスの声は迷っているのか、震えていた。


「別にいい。君が他の誰かを傷つけたって構わない。どれほど多くの人間が死んでも、俺は君の味方だ」

「何でそんな優しいことを言ってくれるの?」

「それは……」


 それは、君を好きだからだ。そう言えたら、どんなにいいだろう。

 言ってしまったら、ベスとこんな時間を過ごすことができなくなるかもしれない。それが一番、怖かった。


「それは……君の力になりたいからだ」

「ありがとう、フィオリ」


 その言葉で、胸がじんわりと温かくなる。


「ああ」


(俺は、ベスから、ありがとうと言われるのが好きだ。その言葉を言われるために、何でもしてあげたくなる)


 涙を手で拭ったベスは、なぜか「ねぇ、フィオリ。……ルートピアは、これはどうなると思う?」と聞いてきた。

 どうしてベスは、こんな質問をするのだろうか。疑問に思いながら、真剣に考える。

 ルートピアは、独立国家であるが、魔術師を多く保有しているディアボロン帝国の支配下にある。逆らえば、ルートピアは、容易に破滅させられるだろう。けれども、この国にはナベリウスやリュシオンがいる。自分だっている。何かあったら、故郷を守りたい。


「ルートピアがどうなるかなんて、わからない。だけど、俺もナベリウスも出世して、今度は何が起こっても故郷を守れるくらい強くなるよ」


 そうだ。ナベリウスは、きっと頂点に立つ。自分も、その時、あいつの横にいたい。


「それは、頼もしいね。あなたは……どんな大人になりたいの?」


 ベスは、そよ風みたいに優しい声で問いかけてきた。


「俺は、強くなりたい。誰よりも」


 フィオリは、右手をギュッと握りしめながらそう呟いた。


「どうして?」


 ベスが、首をかしげる。

 適当な言葉でごまかすこともできたが、ベスにだけは本音で話したかった。


「俺は……ナベリウスに勝ちたい」

「へ?ナベリウス・ハワードのこと?騎士団の大会で、優勝した人だっけ?」


 ベスは、右手を顎に軽くあてて考えているような仕草をしながら、記憶をたどっていた。

その言葉に、フィオリは、少しショックを受け、深々とため息をついた。


「……ベスもナベリウスのことは、知っていたのか。あいつ、有名だもんな……」

「私、実は、あの大会こっそり見に行っていたのよ。だから、あなたのことも知っていたわ」

「……」

(見られていたのかよ……。最悪だ……)


 フィオリは、ショックのあまり顔を覆った。

 ルートピア騎士団が開く剣大会は、成績優秀者8人が出場できる。フィオリは、何とか出場できたが、8人中8位であった。あっさり初戦敗退してボコボコにされるかっこ悪いところを見られていたのだ。恥ずかしい……。穴があったら入りたい。

 ちなみに、ナベリウスは騎士団長と副騎士団長を差し置いて、優勝した。2位は、リュシオンであった。


「でも、あなたってナベリウスと仲がよかったんじゃないの?実は、嫌いだったとか」

「違う。嫌いだから、倒したいんじゃない。俺は、近くにいるあいつにバカみたいに嫉妬しているんだ。あいつに負け続けていることが、悔しいんだ。小さい頃は……俺が、いや……何でもない。でも、もうナベリウスは、俺のことをライバルとすら思っていない」


 騎士団では、ナベリウスは、実力が劣る自分ではなく、リュシオンと戦いたがっている。自分は、そんな風にライバルとすら思ってもらえない自分が、恥ずかしい。

 それだけじゃない。ナベリウスが手にした賞賛の言葉も喉から手が出るほど羨ましい。それは、フィオリがずっと欲しかったものばかりだ。


「こんな夢、バカみたいだろう」


 他の人間は、魔術師を倒したいとか、ルートピアを守りたいとかかっこいい理由で努力しているのに、自分は、友人に勝ちたいという不純な動機をずっと持っている。周囲から認められたい、褒められたいとバカみたいな感情が洪水みたいに溢れて止まらない。

 そんな自分が恥ずかしい。だけど、そんな子供っぽい動機をいつまでも捨てられなかったのだ。


「そんなこと思わないわ」


 ベスは、ぴしゃりとそう言ってくれた。


「でも、ナベリウスに勝つということは、ルートピアで一番強くなるってことを意味しているんだ。いや、もしかしたら、世界一の騎士にならないといけないかもしれない。俺にそんなことできるだろうか」


 フィオリの声は、自信のなさが反映されるように少し揺れていた。

 これは、単なる予感だけど、ナベリウスの才能はきっとまだ開花したばかりだ。きっと、彼は世界一の剣士になるに違いない。その時、自分が今のままだったら、単なる足手まといにしかならない。

 ベスは、震えているフィオリの手をギュッと握りしめた。


「だったら、ナベリウスを倒して、あなたが世界一の騎士になればいい」


 ベスは、透き通る声でそう言い切った。


「……君は、俺の夢を笑わないんだな」

「私に……あなたの夢を笑う資格はないわ。だって、あなたらなら、できると思うの」


 彼女の赤い瞳が、俺の姿を捉えている。

 彼女は、毒のような笑顔を浮かべながら、真っ赤な唇を開く。

 

「あなたは、ナベリウスに勝てるわ」


 彼女の言葉が、呪いのように脳裏に張り付く。


 そんな風になれたら、どれだけいいだろうか。

 ベスの言葉は、俺に自信をくれる。

 不思議だ。今まで、自分の中に迷いや、不安が嵐のように吹き荒れていたけれど、もうそんなものは何もない。凪みたいに穏やかな気持ちで満ちている。

 欲しいものがあるなら、悩んでいないで、がむしゃらに頑張ればいい。まだ時間はある。


(いつか、俺は、ナベリウスを倒す。あの頃の自分を取り戻すんだ)


 その時は、ベスに、君が言ったとおりになったと告げたい。きっと、ベスは『私が言った通りでしょう』と自慢げに言うだろう。


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