お茶目な暴力
湖畔の戦闘が終わり、静寂を取り戻した風景の中で、フィオナは片膝をついて、ぐったりと倒れた黒衣の男を見下ろしていた。
「さてと……この人、どうしましょうかねぇ……」
つい先ほどまで命を狙ってきた暗殺者然とした相手。あの手際、剣の腕前、そしてあの奇怪な瞬間移動めいた機動。あれが転移魔法なら、放置しておけば目覚めた瞬間にどこかへ逃げかねない。
「……やっぱり、運ぶにしても手足切っちゃうのが一番確実かなぁ。四肢欠損すれば最悪転移されても無力化できてますしし……馬車に乗せるときも暴れないですし……」
無邪気な顔でそんな物騒なことを考えるフィオナの姿は、はたから見れば狂気でしかなかった。
「よし、じゃあ──」
拳を握ったその時。
「おい、それ以上やるなよ」
どこか気だるげな声が、木陰から聞こえた。
フィオナが顔を上げると、霧の合間から影が現れる。
「ジークさん!?」
軽装の黒装束。討伐隊の“影”を担う男──ジークが現れた。
「ジークさんもここに派遣されたんですね。…じゃあ、私がここに派遣された意味って……」
フィオナは唇を尖らせながら、ややいじけた声でつぶやく。
ジークは苦笑しながら辺りを一瞥し、血の跡と砕けた木々、蒸発した水の残滓を見て肩を竦めた。
「いや、むしろ俺じゃなくてお前でよかったよ。この惨状を見て、それしか思えないな」
「そうですかぁ?」
フィオナは頬をぽりぽりとかきながら、倒れている男に視線を戻した。
「それで、何があったんだ?」
ジークは本題に戻すように言った。
「えっと、湖に来たら水でできた魔物がいて、それを倒して……それから装備品の山を整理してたら、この人に奇襲されまして!」
「……相変わらずだな」
「ほめ言葉と受け取ります!」
フィオナは誇らしげに胸を張った。
「それで……この人、明らかに“転移”っぽい動きしてましたよ。多分、転移魔法です」
「マジか」
ジークは眉をひそめ、男の身体を覗き込んだ。顔を見た瞬間、ジークはさらに眉をひそめたが、フィオナはその動きに気が付かなかった。
「そうなんですよ。逃げられたり暴れられたりしたら大変ですから、どうしておこうかな~って考えてたんです」
フィオナが言うと、ジークは懐から何かを取り出した。
「なら、これを使え」
ジークが差し出したのは、銀の輪。中央には微細な刻印が彫り込まれており、かすかに魔力が込められていた。
「魔法封じの首輪だ。これを付けてから拘束しておけ。転移魔法はもちろん、簡単な魔法すら封じられる。……壊すなよ」
「おおー! ありがとうございます!」
フィオナは嬉々として受け取り、倒れている男の首にパチンと装着する。
そして──
「よし、次は拘束ですね!」
「……?」
ジークが問う間もなく、フィオナは右足を振り上げ──
流れるように両手両足の骨を粉砕した。
「──はい、拘束終了です!」
「お前、何やってんだよ!!?」
ジークが呆然と叫ぶ。
「だって、ロープも無いですし、こうしておけば動けませんし! 完璧な判断だと思いませんか?」
満面の笑みで言い放つフィオナ。
ジークは数秒沈黙した後、深く息を吐いて顔を覆った。
「はぁ……もう俺が拘束しとくから、お前は余計なことするな……」
「了解でーす!」
黒衣の男をしっかりと拘束し終えた二人は、再び湖畔の奥──装備品が山積みにされた場所へと戻ってきていた。
「これです、これ」
フィオナが示したのは、傷んだ皮の肩当て。討伐隊のマークがくっきりと刻まれていた。
「これは……間違いない。ロイの装備だ」
ジークの声が少し低くなる。
フィオナもそれ以上何も言わず、黙って装備の山を見つめた。
討伐隊の仲間──少なくとも一人は、ここで命を落としたのだろう。
しんと静まり返った空気の中で、ジークが静かに口を開く。
「俺が指示するものだけを回収してくれ。他は、ギルドに報告してからでいい」
「了解です」
フィオナは背筋を伸ばし、慎重に装備品を選別しながら布に包んでいく。
しばらくして。
「……終わりました」
フィオナは立ち上がり、ジークに頷く。
ジークも無言で頷き返し、二人は湖畔を背に、静かに歩き出した。
湖面は風に揺れ、霧はようやく完全に晴れていた。