水の魔物
霧の立ちこめる湖畔に、魔物の声なき咆哮が響く。
全身が水で構成された巨大な魔物は、飛び出したフィオナを追うように、うねる腕を振り下ろしてくる。地面にぶつかれば、衝撃波と水飛沫が炸裂し、あたりの樹木が軋んだ音を立てて倒れ込む。
「うわっ、あっぶな!」
フィオナは軽く足をつけ、反動を活かして跳び上がる。湖の周りを滑るように走りながら、攻撃の間隙を縫って距離を取った。
「はぁー……再生してなかったら、今ので倒せてたのになぁ」
水牢から脱出した直後、フィオナは炎をまとった拳で魔物の胸部を吹き飛ばしていた。勢いそのままに高熱の魔法を放ち、全身を焼き蒸発させる──しかし。
「……湖の水で、また元通り。これじゃあ、いたちごっこですよ」
湖水がざわりと揺れ、再び巨大な水の塊が立ち上がる。
フィオナは頬を指先で拭いながら、再生した魔物を見上げた。
「やっぱり本体を叩かないとダメっぽいですね…」
魔物が本体ではない。そう確信するには十分な現象だった。
「さて……“本体”はどこにあるんでしょうかね?」
フィオナは視線を走らせながら、魔物の行動を見つめた。
「……ん?」
わずかに、再生直後の魔物が視線のようなものを湖に向けた気がした。いや、目など無いはずだが、なぜか「意識」がそちらに向いたと直感できた。
「もしかして……」
フィオナは足元の水面を覗き込んだ。
広大な湖──その底に、何かある。魔物が再生するたび、わずかに魔力の波が水底から拡がっていた。
「──やっぱり、そこですか」
湖底に存在する“核”。
それが本体。ならば、破壊すればすべてが終わる。
「よし、狙いは定まりましたね!」
再び魔物がフィオナに向かって突進してくる。水の塊が迫るたびに、湖面が跳ね上がり、霧が濃く揺れる。
フィオナは軽やかに走り、魔物の注意を惹きつける。水の塊を滑るように避け、時に跳び、踊るように翻弄する。
魔物が腕を伸ばせば、即座にその動きを読んで避け、再び距離を詰める。
その軌跡は、まるで舞。
だが、その舞の合間に、フィオナは少しずつ、“狙い”を定めていた。
「──ここです」
湖の中央、霧が最も濃く、そして深い位置。
フィオナは魔物の攻撃をすれすれで避けながら、両手を胸元で組むように構え、魔力を一点に集中させた。
フィオナの両掌から、青白い光が射出された。
光線のような火炎。その瞬間、湖面を焼き払い、激しい蒸気が発生した。
高温の熱線は、湖水を瞬時に蒸発させながら一直線に湖底へと突き進む。
通常の火炎魔法であれば、水という障壁に阻まれて届くはずもない。
だが──
「私のは、ちょっとばかり強引なんですよ!」
光が湖底に達した刹那、重たい爆発音が水中から響いた。
水面が大きく跳ね上がり、湖のあちこちで波が乱れた。
フィオナはすかさず後方に飛び退き、様子を窺う。
「さて……効いたかな?」
魔物は硬直していた。水の流動性が失われ、まるで凍ったかのようにその場に停止していた。
──そして。
濁った音を最後に、魔物の巨体が砕けるように崩れた。
水となって湖へ還る……その姿は、まるで“命”を失ったかのようだった。
「……やった、かな」
フィオナは肩の力を抜き、息をついた。
湖はまだ濁っていたが、先ほどまでの毒々しさは少しずつ薄れていく。
風が吹き、霧が緩やかに流れ始めた。
「……これで終わり、ですよね?」
水面に映った自身の姿を見つめながら、フィオナはぽつりと呟いた。
何も返ってこない。
だがその静けさが、何よりの答えだった。
「ふぅー……帰ったらお風呂と甘いもの……どっちが先ですかねぇ……」
戦いが終わったことを確認した彼女は、再び軽やかな笑みを浮かべた。




