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PIXI  作者: エール
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工藤家の問題児1-6



 日本のヨハネスブルクと名高い米花町に彼女が生を受けて、早5年。

 ぼんやりと前世の記憶らしきものがあるな~とうすぼんやり生きてきたのだが、本日、今、正にこの時、何のスイッチが嵌ったのか、彼女は自分が生を受けたのが…あの工藤家であることに気が付いた。


 美麗な母、工藤有希子。

 スパダリな父、工藤優作。

 アドニスな兄、工藤新一。


 そして、兄新一の2歳下の自分、工藤千華(ちか)


 …なんでや、工藤。

 なんでオタクは、すぐ転生してしまうん?


 読んだことある。

 読んだことあるよ、この展開。

 でも自分の身に降りかかるとは、お釈迦様でも思うめぇ…。

 あれれートラック転生?

 トラックにぶつかったっけ?

 転生を自覚したけれど、記憶自体は詳細がはっきりしない。

 とりあえずオタクは全国トラック協会に謝罪し、交通安全のお守りを樽でお納めすべき。

 そして過剰な連勤を無くしてもらい、安全運転をして頂き、今月の標語を「目指せ、トラック転生ゼロ」にする。

 ワン〇ース、最終回まで読みたかった…。


 何故こんなにも亡念に駆られていられるかというと、今正に彼女の目の前で殺人事件が起き、捜査が開始されているからだ。

 父の優作は警察に呼ばれてサクサク規制線の向こうに行ってしまい、兄の新一もそれについて行き、母の有希子は旦那の活躍を今か今かと待っている。

 幼女が一人、終末期医療のパンフレットを渡された末期患者の様に黄昏ていても誰も気に留めない。


 誰か、止めろよ。

 子供連れで事件現場入るとか、何故誰も何も言わないのだ。

 正気か、工藤(家)。


 麗しの家族の顔面偏差値に「目がぁ、目があああっっ」と名前の通りチカチカしたのは数分で、殺人現場とは思えない熱気に、チベスナの霊のイタコにならざるを得ない状況である。


 え、人が亡くなってるんですよね?

 人一人の命の灯が消えたんですよね?

 何故こんな、これからショーでも始まるような状況に?

 父よ、兄よ、母よ、何故そうも楽しそうなんでございますですか…。


 …これが、コナン界か~………。


 原作・アニメ・映画で観た時は、コナン君カッコイイ!!優作さんマジラスボス!!爆弾・カーチェイス・スケボーアクション滾る、むしろあのスケボー商品化はよ!とか思っていたけれど、現実になると違うわ~。

 警察の向こうで、何やら父が場を仕切り始めている。

 それでええんか、工藤!?


「…ママ、ここにいたくない」

「大丈夫よ、千華ちゃん!もうすぐパパがぜ~んぶ解決してくれるからね!」


 被害者を生き返らせでもするんか。

 意を決して伝えた希望は、心から楽しそうな母に一蹴された。

 絶望に圧し潰されそうなギリギリの精神状態、それに更に追い打ちをかけるような歓声と拍手が上がる。

 事件が解決したらしい…それで拍手が上がるのか。

 被害者と加害者と遺体がある場所で、歓声が上がるのか…これが、コナンの世界。

 せめて、せめてブルーシートで覆って下さいっ!!


「母さん、千華―!終わったぞー!」

「待たせたね、二人とも。それじゃあ食事に行こうか」

「もう、おなかペコペコよ~」

「はは、すまないね」


 にこやかな笑みで帰って来た二人の言葉に愕然とし、有希子の返しに拳を握る。

 二次元なら良かった。

 けれど現実になったら…キツイ。

 食欲なんぞとうに消え果たというのに、家族は何事も無かったかのように日常に帰る気満々だ。

 肉体年齢に精神が引き釣られる。

 何せ、新一は優作と頻度高く事件に出くわしていたかもしれないが、前世も合わせ、この体でも千華は初めて事件現場に遭遇したのだ。

 湧き上がる不快感と苦いものを止める術は無い。


「千華?どうしたんだ?」


 身長の近い新一が千華の様子がおかしいことに気づき、その声に行く予定だったレストランで事件が起きてしまったため、何処に行くかと話し合っていた両親もようやくそれに気づいた。

伸ばされた新一の手を払い、両目いっぱいに浮かんだ涙で見辛い家族を睨みつけた。


「…パパも、ママも、お兄ちゃんも嫌い。…大っ嫌いーっ!!」


 フロアに幼女の叫びが響き、素晴らしい推理ショーだったと興奮冷めやらぬ状態だった者達の動きを止めた。

 また事件かと集う好奇心いっぱいの視線に、頭おかしいと思う。

 お前ら銃撃戦をヤジ馬しに行って、流れ弾で死ぬタイプだと決めつけた。


「なんで!?なんで、なんで!?」

「ち、千華??」

「人が死んだのよ!?なんでみんな、うれしそうなの!?」


 ぎょっと家族が見返してくる。

 ちらほらとバツが悪そうに視線を逸らす者もいた。

 何を言っているのか分からない、という不審げな視線もある。

 だが、その全てがどうでもいい。

 構うものか。何を思われ様と、どんな目で見られようと構うものか。


「人が死んだら、悲しいとか、かわいそうとかじゃ、ないの!?」

「あ、いや、千華」

「おなかすいたじゃないでしょ!?」

「千華ちゃん」

「おわったじゃないでしょ!?」


 オロオロと伸ばされた優作の手を、新一にしたよりも激しく拒絶する。


「やっ!死体さわった手で、千華にさわんないでっ!!」

「っ!?」


 百キロのインゴットが乗ったタライが頭に降って来たようなショック顔の優作。


 覚えている。

 自分はぽやぽやした幼女だった。

 何かに強く執着したことは無く、大きな我が侭も、強い拒絶や否定も、ましてや大声で怒鳴ったことも無く、保育園で抱っこていたぬいぐるみを横から誰かに取られてもとくに気にしない、ぽやぽやと穏やかに笑っている様な子供だった。

 今ならそれは、自分という自我が半分眠っていたからだと分かるが、こんな姿を見たことが無い家族は只々目を白黒している。

 畳みかけるなら今だ。

 最高に混乱しているだろう今、「殺人現場という異常な場所で、娘の精神が悲鳴を上げた」と刷り込むのだ。


 おろおろわたわたする家族に、毛を逆立てた猫の様に威嚇する。

 このまま家に帰るだけでは、きっと何も変わらない。

 病院で医者に、専門家に、カウンセリングが必要である位の診断を貰えないと、彼等の意識は変わらない。

 この世界は、学校内で事故・事件が起きたらスクールカウンセラーが派遣されたり、警察で事情聴取後心療内科を紹介してくれたりはしないのだ。


 自分がこの場でこの家族の長女として存在しているということは、ここは原作軸じゃ無い。

 つまりパラレルワールド。

 パラレルワールドということは、似たようなことが起こったとしても、この先の未来は確定されたものでは無い。


 ならば、これからやることはただ一つ。

 バタフライエフェクトを最大限に活用し、『名探偵コナン』を始めさせないこと。


 死神さんは、還ってどうぞ!!





 千華の捨て身の決意から数年。

 新一はもちろん、優作も実際に起こる事件からはかなり遠退いている。

 優作は推理の助っ人で呼ばれることはあるが、それは事件現場では無く、警視庁だか警察庁だかの会議室で、主に調書や写真を元に行われている、らしい。

 事件と聞くと鉄砲玉の様に飛び出しがちだった父子は、死の気配に過敏に拒否反応を示すようになった末っ子の眼差しが氷の上に、推理ショーなんてした日にはその後数日口もきかなくなるため、かなり慎重に関わるようにはなった。

 但しあくまで当社比であるため、一般の人に比べたら正気を疑われるレベルで関わっていることは確かだ。

 また、その際も死者への哀悼の意がどうにも欠落した謎解き万歳状態が事件忌避センサーにビンビン引っかかるため、何が末っ子の地雷になっているのか実はしっかりと理解していない父子とは温度差も激しい。

 だが、千華が居合わせた場合は、生の事件現場にはほぼほぼ行かせないことに成功している。

 例えタイミング良く(悪く?)今正に採れたて新鮮野菜的現場に居合わせたとしても、規制線の中にズカズカ入って行くことは出来無い。

 何せ、工藤家的には、事件は現場で起きているんじゃない、家庭内で起きているんだ!という状況になるからだ。

 神の意志とも言うべき盛大なフラグを折るには、形振り構ってはいられない。

 狂人と呼ばれるのも吝かではない覚悟で足止めをしている。

 その甲斐あって、派手な推理ショーやご遺体を前にした「おらワクワクすっぞ!」的表情、事件後の大々的なマスコミへの情報漏洩はそれほど無い。

 無い訳では無い所が辛い。


 だから、そんな生活を続けるのも疲れてしまった。

 この街は事件が多過ぎる。

 あの手この手で家族を事件現場に行かせないようにしていたが、最近はそこまで頑張る必要があるのか疑問になってきたのだ。


 行きたいのなら、行かせてやればいいんじゃないだろうか。

 そこで、推理ショーとやらをやったり目先の謎にTPO関係無くワクワクしている所を見られたりして加害者や被害者の遺族や知り合いに恨まれて殺されたり、黒いポエムの組織に幼児化させられたり、児童相談所から監査が入っても、千華が居ないのならば、もう好きにすればいいんじゃないかと思ったのだ。


 そう、もう…ゴールしてもいいよね、と。


 遠くでサイレンの音が聞こえる。

 今日も絶好調に犯罪都市だ。

 犬も歩けば棒に当たる、人も歩けば犯罪に巻き込まれるこの街で、危機感の薄い野次馬の先ではきっとゴール出来る何かが起こっているだろう、そこへ行こう。

 そして終わらせるのだ、この生を。


 千華は死に場所を探して街に出た。

 工藤千華、八歳の初冬のことだった。

 …そう、三年しか頑張れなかった…。



「……爆弾犯?」


 マンションの屋上、怪しげな箱の前で一服している青年に話しかけた。

 彼は少女の登場にぎょっとしてタバコを揉み消す。

 何でここにと呟いていたが、規制線を誰にも知られず潜り抜けるなど、兄の所業を何度も何度も体を張って止めて来た千華には息を吸うより簡単だ。

 全く嬉しくない。

 警察の規制線には穴があり過ぎる。と、責任転嫁しておく。


「ち、違うよ!?俺は犯人じゃなく、爆弾処理班の一員!警察!」

「防護服着て無いのに?爆弾の側で火種作っておいて?」

「ぐっ…」


 こてんと首を傾げて言えば、自称爆弾処理班員は痛い所を突かれたように黙り込む。


「…ああ、自殺志願者か…」

「違うよ!?」


 ぎょっとする男を鼻で嗤う。


「爆弾のせいでたくさんのお巡りさん達が亡くなって、だけど爆弾テロは無くならなくて、それを止めるためにまたお巡りさん達が爆弾と対峙することになって、そんな人達が死んでしまうのが悔しくて苦しくて悲しくてやり切れない人達が、現場に行くお巡りさん達が帰って来れるように、家族の元に帰って来られるように、お巡りさん達の家族が大切な人を失うことが無いように作られたのが防護服だよね?死ぬ気が無いなら、何で着ないの?」

「……………」


 二の句が継げないらしい男の側に行き、疲れたように腰を下ろす。

 心は擦り切れ、傷ついた様な顔をした男を労わる余裕は欠片も無い。


「まぁいいや、一緒に死なせて?」

「は!!??」


 目を剥く男の前で、人生に疲れた老人の様に少女はため息を落とす。


「この街で生きていくのに、疲れちゃったの…その辺うろうろしてれば、爆弾の一つや二つあるかなって…米花町だし。無くてもその辺で強盗とか誘拐とか傷害とかの事件に巻き込まれるかなって…米花町だし」

「………」


 そうして、ふらふら歩いていたら、ここにたどり着いたのだ…と。

 少女の主張に物申したいことは山とあれど、「米花町」への過度の期待と、事実叶ってしまった現実に、この地を守る警察官としては涙を呑んで目を逸らすしかない。

 だが、警察官の端くれとして、ここで少女の自殺を幇助する訳にはいかない。


「…残念だけど、君はここでは死なないよ」

「?…どうして?」

「この爆弾は、もうタイマーは止めたんだ。だからもう、爆発はしない」


 だから、一緒に下に降りようと手を伸ばした彼に、少女はきょとんと見返す。

 あれ、何でそんな何を言ってるのか分からないみたいな目で見られるの?と男は思うが、そんな彼に少女は駄目な子供を嗜めるかの様に苦笑する。


「お兄さん、ここは米花町だよ?」

「あ、ああ、そうだな?」

「米花町に仕掛けられている爆弾が、タイマー止めた位で、無効化出来る訳、ないじゃん」

「?」

「この爆弾が実はフェイクで一階下のベランダに本命があったり、タイマーを止めたら10分以内に解体しないと別の所の爆弾が連動して爆発したり、タイマーが二重になってたり、実は遠隔操作出来たり…可能性は無限だよね…」

「っ!?」


 その時、止めたはずのタイマーが動き出した。


「…っ」


 瞬間、少女を抱え、走り出す。

 マンションの構造上ここで爆発したからといって、全てが崩れることは無いだろう。

 何階か分だけでいい、その時間はある!


 二階分を駆け下りた直後の踊り場で、耳を劈く爆音と爆風、衝撃波に襲われる。

 壁に強かに叩きつけられたが、少女を庇って盾になったのは意地だった。


 この少女は、警察を、爆弾処理班を、自分を、少しも信じていないのだ。

 この犯罪ばかりの町で、助け、守ってくれるものだなどと思ってもいないのだ。

 当たり前だ。

 爆弾を前に悠長に防護服も着ずに休憩している男を見て、安心出来る人間など何処にもいない。

 その様を見て怒りもせず、死にたいと言うほど、失望しているのだ。


「……うっ…」


 泣きそうになった時、腕の中の少女が身じろいだ。

 男が庇ったとはいえ、あの爆風の中に投げ出されたのだ。擦り傷切り傷は少なくないし、軽度の火傷もあるだろう、ブーツから覗く脚は埃の汚れでは隠し切れないほど真っ赤に腫れ上がってきている…折れているのではなかろうか。

 自分も中々に満身創痍だが、守りたかった少女の状態に血の気が引いて涙も引っ込む。


「あ、その…君っ」

「………いたい…」

「そ、そうだな!痛いなっ!ごめんな本当にっ」

「………」


 情けなさと悔しさと不甲斐無さで焦る男とは裏腹に、少女は痛いという割には眉一つ動かさず、緩慢な動作で男の腕の中かで身を起こし、ちらりと腫れ上がった足を見た。


「痛いってことは、生きてるのね…」

「あ、ああっ」

「…爆弾の一つもあるかなって歩いてたら、本当にあって…」

「あ、うん?」

「ああ、やっぱり米花町だなって思って…」

「ぐっ」

「なんかもう、神様がお前ここで死んどけよって言ってるみたいで、じゃあそうするかぁって思ったんだけど…」

「は!?」


 突然語り出した少女に目を白黒する、自分よりずっと怪我が酷そうな男を見上げる。

 少し動かすのに痛んだが、コートのポケットから無事だったハンカチを取り出して、額から血を垂れ流す男の患部に押し付ける。

 爆風で鳥の巣の様に乱れた髪には砂埃が絡みつき、瓦礫の破片か階段を転がり落ちた時の衝撃でぶつけたのか、切れた額の下顔半分が擦り傷切り傷腫れ上がりのフルコンボだ。

 骨折の3つや4つはあるかもしれない…けれど。


「生き残ったんなら、神様がやっぱ今じゃなくてもいいんじゃない?て言ってるってことなら…もう死ぬのは止め、ます…」

「…あ、きみっ」


 遠くから、誰かを呼ぶ声がする。

 けれど何処か曖昧で、意識が暗くなっていく。

 暗くなる寸前、なんだかとても眠いんだ……パトラッシュ……と浮かんだので、かなり心の余裕は復活したのだろう。




 呼び出されて来た父と母と兄は、スミマセンご迷惑をおかけしましたありがとうございますとコメツキバッタとなり、治療は終わったが入院の決まった傷だらけの末っ子を折れんばかりに抱きしめて、泣いた。

 遺言めいたメモを自宅に残して来たため家族総出で千華を探していたらしい。

 その際千華の怪我の原因となった爆弾犯は、優作と新一がえげつない追い詰め方をして無事捕まえていた。


 ちょっと悪いことしたな…と思って反省したが、それよりも、自分のために泣いてくれる家族が、胸が苦しくなるほど愛おしかった。


 入院中、家族会議で隠し事を無くそう、悩みがあるなら吐き出して欲しいと言われ、素直に打ち明けることにした。

 四六時中誰かを証拠を残さず殺す方法を考えているだろう父と、小説の中ですら無く現実の事件を望む兄が誰かの不幸を手ぐすね引いて待っている様で怖かった、と正直過ぎる言葉で告げた所、母に「確かに」という顔をさせてしまった上、男連中に大変しょっぱい顔をさせてしまった。

 けれど、父のそれで不自由なく暮らさせて貰っているのに、我が侭を言ってごめんなさい。でも人が死ぬのが怖いから、パパの小説は読めない…と告げたら、更にしょっぱい顔をさせてしまった。


 数か月後、工藤優作は初のファンタジー児童小説を出すことになる。






 頑張ってこの世界で生きて行こう、そう決意も新たにしたというのに、千華は家族で訪れたショッピングモールで人質になっていた。

 相変わらず、この世界は殺意が高い。


 吹き抜け沿いの二階の通路を家族(-締め切りに追われる父)で談笑して歩いていたのに、何か騒がしいと思ったT字通路から飛び出して来た男にぶつかり、そのまま腕に囚われてしまった。

 突然の出来事に混乱していた千華の意識を正気にしたのは、鼻につく酸っぱさだった。

 それなりの距離を逃走して来たのか、背に当たる犯人のТシャツはじっとりと汗ばみ汗臭い。

 己の薄着も合わさってそれを直接感じてしまい、ぞわりと肌が泡立つ…季節は夏、控えめに言って地獄だ。苦しそうにじわりと涙ぐんだ末っ子に、距離を取らされていた有希子と新一が顔色を悪くして焦る。

 全く以って意味が分からない。

 何故、こんなショッピングモールの二階の奥まった場所でこの犯人はやらかしているのか。

 逃走経路も何も無い、自爆テロを起こすならまだしも、逃げるつもりなら一番駄目な場所だろう。

 駆けつけたらしい警察と犯人が言い合っているが、鼻が曲がりそうな千華の耳には入っていない。

 苦しそうな人質の様子に、警察の焦りの色も濃くなるが、ナイフを振り回しても、野次馬から悲鳴が上がっても、千華の知覚の範囲外での出来事だ。

 只々、このスメルハラスメントから逃げ出したかった。

 犯人にだけ聞こえる音量で話しかける。


「…お、おじさん。中学や小学校での文集に何書いたか、覚えてる?」

「は!?」


 突然腕の中の少女が発した言葉に、犯人は素で疑問符を飛ばしてしまう。

 人質に向かい怒声を上げた犯人に、警察と野次馬の間に緊張が走る。


「将来の夢とか、将来設計…幾つで結婚して、どんな家庭を作りたいとか、どんな職業につきたいとか、書かなかった?」

「それがどうした!?」

「明日のニュースで読まれるよ」

「…………」


 犯人の動きが止まった。


「小学校とか中学校時代の卒業アルバムの写真が大写しになって、最近の写真が出てこないと、視聴者に勝手に「ああ、この人友達いないんだな」って思われて」

「…………」

「一回話したことがあるか無いかの名前も思い出せないような人が、友人とかクラスメイト代表で「あいつはいつかこんなことするんじゃないかと思ってた、その片鱗は当時からありましたよ」て言って、自称近所の人が「小さい頃はいい子だったよ?小さい頃は…それがこんなことするなんて…」とか言い始めるよ」

「………」

「秘密の趣味とか、ベッドの下の本とか、私室のポスターとか、全部テレビで紹介されるよ。パソコンの履歴も全部調べられるけど大丈夫?玄関前は掃除した?洗濯物は取り込んだ?」

「……っ、…っ、あ、あああああっっっ!!!」


 犯人は凶器を取り落とし、蹲って泣き出した。

一瞬事件現場に天使が通ったが、犯人は確保され、千華は飛び出して来た母に抱きしめられた。

 大変良い香りだったので、母に抱き着いて深呼吸した。


「…ママ、大好き…」

「千華ちゃん…っ」


 ぎゅっと更に強く抱き締められ、母のいい香りに包まれやっと息が出来た。

 その様子に新一はほっとして妹の頭を撫で、やれやれと力を抜いた。

 犯人は引っ立てられる時、泣きながら「パソコンの履歴を消させてくれっ」「文集は、文集だけはっ」と叫んでいたが、千華以外は首を傾げるだけだった。


 警察での事情聴取では包み隠さず犯人との会話の内容を話し、すべからく立ち会った全員にしょっぱい顔をさせた。

 犯人の動機も犯罪内容も為人も興味が無いのだ。

 犯罪現場で崇高な会話を求められても困る。





 新一が中学2年生、千華が小学校最終学年に上がった時、両親がいずれ拠点をアメリカに移したいと思っていると子供達に告げた。

 だが、言い方が拙かった。

 「一緒に行こう」では無く、「どうしたい?」と聞いてしまったのだ。


 もちろん優作も有希子も子供達だけを置いて行くつもりは無かったが、希望というか、子供達の将来の展望などがあるなら聞いてみようと思っただけなのだ。

 決して育児放棄をする意味は無かった。

 工藤家の教育方針は、子供達の自主性を重んじた放任主義とはとうにさよならバイバイし、若干過保護気味なのだ。

 けれど、少々思い込みの激しい末っ子は、大分薄れてはいるが原作知識で兄が一人だった事実もあり、その言葉を右後ろ斜め45度ネガティブで受け取った。


「…私を捨てるのね」

「え!?」

「あれ!?そういう話だったかな!?」


 両親がぎょっとして娘を見た。

 新一は咥えていた煎餅をポロリと落とす。


「炊事・洗濯・掃除どれもそこそこしか出来ないお兄ちゃんを私に押し付けて二人っきりの新婚気分ってやつがしたいのね?」

「違うよ!?」

「千華ちゃん、聞いて!?それに新ちゃんはこの年の男の子にしては家事出来る方よ!?」

「エッヘン、このお兄ちゃんは私が育てた!けどこれとそれとは話が別!」

「おっと、兄ちゃんにも矛先向いたか!?この場合置いてかれ仲間じゃないのか!?」

「新ちゃん育てたのは私!ママ!!」

「いやいやいや、お前達は一緒に行くという選択肢は無いのかい!?あと有希子、問題はそこじゃないっ!」

「「え、そうなの?」」

「新一、有希子…」

「お兄ちゃんと二人残されたのに、いつの間にやらお兄ちゃんが蘭さんに合い鍵渡してたりして」

「おっ!?話が進んだ!?けど千華がいるのに勝手に渡したりしねぇよ!?」

「そうよ、千華ちゃん!新ちゃんそういう所はしっかり弁えてるわよ!?」

「知ってる、言ってみたかった、ごめんなさい。でも続ける。「もう新一は何にも出来ないんだから!」とか言われて、いつの間にやら蘭さんが家事やらするために入り込んでて、私の居場所が無くなって、夜の街を彷徨い歩くことになって」

「えええ!?何で!?蘭にんなことさせねぇよ!?てか、そこそこ家事出来る話はどこ行った!?」

「そうだぞ、千華!!そんな展開になったら、編集者から駄目出しが来るぞ!」

「パパは分かってないのよ!中学生男子の性欲を!!両親の居ない家なんて、女の子連れ込み放題じゃない!蘭さんとか園子さんとか他の誰かとか!お兄ちゃん結構モテるし!たぶん! 昼夜問わず連れ込んで猿の様に腰振ってるんだわっ!!保健体育の授業で先生が言ってた!そうよ、そうに決まってる!!」

「あれれ~妹からの変な信頼に心が痛いぞー」

「千華っ!女の子がそんなこと言っちゃいけないっ!!あと父さんも中学生男子だった頃があったんだぞ!というか、最近の保健体育の授業は何を教えてるんだ!!」

「そうよ、千華ちゃん!話し合い!お話し合い!言葉のキャッチボールしましょう!?」


 必死に末っ子に歩み寄ろうとする家族だが、千華の長年培った思い込みという名のATフィールドはナニモノをも通さない。


「いいわよ、行けばいいじゃない。その変わり、私も好きにさせてもらうわ」

「「え!?」」

「ガールズバーで働いて、怪しげなおじさんに引っかかってやる」

「「は!?」」

「出会いサイトで知り合った禿デブ親父にレディキラーを飲まされて、調教されて、性病患って」

「ちょっ!?」

「千華っ!!??」

「そんで警察の一斉捜査で摘発された時にボロボロになって保護されて」

「ちっ千華っ、ちょっまっ」

「待っっ」

「娘さんを保護しましたよってアメリカで警察からの連絡受けてっ」

「待とう、千華!」

「落ち着いてっ、落ち着いてぇっ千華ちゃんっ!!」

「中学生の娘さん捨てて、引き取りに来るのに随分時間かかりましたねって嫌味言われればいいんだわっ!!」

「「…っっ」」


 わっと泣き伏した末娘の後頭部と背中を、夫婦は煤けた姿で見下ろした。

 新一はとうにリタイアし、ソファに伏せている。

 ちなみにそんな事態になった場合、嫌味言われるだけで済む案件だろうか…。


「……千華」


 優作がそっとしゃくりあげる小さな背中に手を当て、娘に語り掛けた。

 どんな発言が奇抜で奇行が激しくても、愛しい娘に違いは無い。


「千華、すまない。大丈夫、アメリカなんかに行かないよ。このまま皆で日本に居よう」

「……ホント?…パパ」

「すまないね、千華。お前がそんなにもアメリカが嫌いだなんて思わなかったんだ」

「あんな銃規制されてない国には行きたくない」

「「「………」」」


 そういうことか。


「日本であるはずの米花でさえ銃事件や誘拐や殺人事件や爆発が起きてるのに、規制も無い国なんて恐ろしくて行けない」


なるほど。


「えーとじゃあ、イギリスは?」

「ご飯が不味い」


 そう来たか。

 イギリスと聞いて若干目が輝いた新一も、旅行に行くならいいが、日本の繊細で美味い飯に慣れた身では住むのは難しそうだと考え直す。


「…フランスは?」

「サービス水準が酷い、後デモも多いし暴徒化した時怖い、後ご飯が不味い」


 日本のサービス水準に比べれば何処でも低くはなるが、日本のサービスに(以下略)

 和食は、世界に誇れる日本の文化です。


「イタリアは?」

「フーリガンが怖い。ぼったくりも多いし治安も良くない。日本人はカモられる」


 犯罪都市が怖くて外国に脱出できないかと思った時に調べた…と呟かれ、彼等は悟りの笑みを浮かべる。


 うん、日本にいよう。

 家族が頷いた。





 たまたま新一が解いた事件の加害者の知人という加害者になった犯人に千華が襲われ、怪我は大したことは無かったが長かった髪をバッサリ切られてから、新一は徹底的に裏方に徹するようになった。

 トリックを解いても警部達に耳打ちなどで伝え、事件の間もずっと妹の側に居てくれる。


 この数年、世界の意志だか神の悪戯だか知らないが、犯罪件数は激化し誰だかを「名探偵」として成り上がらせようという標を感じ、形振り構っていられなかった。

 被害者の家族が加害者になるのは百歩譲って分からないでも無いが、加害者の知人が加害者になるのは、お前一回ちょっと落ち着け?と思う。

 その位の繋がりであっさり道を踏み外さないで欲しい。

 せめて、恋人か友人位の深さは欲しい…自称でもいいから。


 それはともかく、顔か腕に残りそうな傷位なら許容範囲、後遺症が残るのは辛いが死ななきゃ安い。

 と、思っていたら、髪と小さな切り傷で済んだ。

 千華的には大ラッキーと内心喝采を上げたが、家族的には大ショックだったようで盛大に泣かれた。

 ちょっと申し訳なかったが、その分家族が更に千華に構ってくれる様になったので嬉しい。

 優作はミステリー小説だけで無く、娘が好きそうな他のジャンルの本も出してくれるようになった。

 有希子は危なっかしい末っ子を心配してか、母親の顔でいることが増えた。それに伴って事件に巻き込まれる率が娘と変わらない長男の過保護率も上がったが、新一はそれをさほど嫌そうな顔をしていないので問題無い。

 世界は生きるのに厳しいが、家族は優しい。

 もう、それで十分だと思う。



 今日も今日とて犯罪に巻き込まれて警察に保護された末っ子を、迎えに来る時に巻き込まれた犯罪を解決して駆けつけた家族。

 そんな家族に後ろ足で砂をかける勢いで千華が言う。


「清く正しく生きててもこんなに犯罪に巻き込まれるなら、いっそ自分から犯罪を犯してみたらどうだろう」

「待て。早まるな!」

「だって強盗事件とか殺傷事件とかに巻き込まれるより、軽犯罪を犯してる方が安全な気がする」

「待て待て。ちょっと一考の価値有りな気がしたのがヤバイ。駄目だそれ」

「店員の目の前で万引きでもしてみよーか。店員の目の前ならすぐ捕まるし、親呼び出しで買い取りなら、お店に損害も与えないし」

「止めて、千華ちゃんっ!」

「もっと自分を大事にしろ!」

「損害は与えなくても、人件費という物があってだな!?」

「そこはちゃんと店長さんと事前打ち合わせをしておくから問題無い」

「「「問題しか無いからっっ!!!」」」


 だが、殺人事件が起きてしばらく営業停止になるよりは、軽犯罪で済ましてしまった方が店的にも損害が低い気がする。

 事件大好きなこの世界で、関連性のある事件なら二つでも三つでも重なるが、殺人事件の起こったレストランでその騒ぎに紛れて食い逃げとか、コンビニ強盗の裏で万引きとか、事件の野次馬の中でスリとか、全く関係の無い二つの事件が重なることは無い。

 一つの時間軸の中を、とりあえず何でもいいから「事件」で埋めてしまえば、他の事件は起こらないのではないだろうか…と睨みつつも、家族も難しい顔をするので未だ実行には移せていない。


 また何処かでサイレンの音がする。

 けれど、家族は目の前に居て、千華に手を伸ばしてくれている。

 ここには、飄々と事件に向かう工藤優作も、にこにこと事件を語る工藤有希子も、ギラギラと事件を求める工藤新一もいない。

 末っ子の危なっかしさを心から心配してくれる、漫画の登場人物では無い、千華の自慢の家族がいる。


「千華、頼むから危ないことはすんなよ!?」


 そう叫ぶ新一は、先日17歳の誕生日を迎えた。

 米花シティビルは爆破されなかったが、森谷帝二は逮捕された。

新一は幼馴染から赤い無地のポロシャツをプレゼントされ、それを活かすコーディネイトに有希子は全力を尽くしていたが、千華は何かのイベントスタッフにしか見えなかったし、ちらりと優作を見たらそっと視線を外されたので同じことを思ったのだろう。

 事件ホイホイの兄に自分の事は棚に上げて牧場にだけは行かないように言ったら、苦笑して頭を叩かれた。

 牛に突撃されて怪我することを心配したのに、酷い。

 けれど、優作も有希子も楽しそうに笑っていた。

 だから、これでいい。



「千華はかまってちゃんだから、止めないっ!!」



 末っ子に振り回されている工藤家は、巷で起こる事件全てにかかずらっていられないため、『名探偵コナン』は始まりそうも無い。



 『名探偵コナン』を始めさせないことを心に誓い早数カ月。

 検証の結果、原作知識所か前世の記憶もかなり朧気であることが分かった。

 日常知識はあるが、精神は完全に肉体年齢に寄っている。

 そんなアンバランスでちぐはぐな状態でも、転生を自覚していの一番に固めた決意だけは揺るがない。

 絶対に兄新一をコナンにはしない。

 コナンにしてなるものか。


 始めは只々事件を避けたいだけだった。

 けれど、千華は気づいてしまった。

 原作開始時に新一が高校二年生ということは、二歳違いの千華は中学三年生…つまり、受験。

 新一がコナンになり、もし万が一この世界がループに入ってしまったりしたら…千華は延々受験生を繰り返すことになる。

 恐らく、あの世界は時間は戻るが技術は進む。

 つまり、受験内容も難度もきっと変わってしまう…それに気づいて血の気が下がった。

 何が何でも『名探偵コナン』を始めさせてなるものか。




 有希子の親友が家出をした、と知ったのは、調度有希子がリビングの電話口で騒いでいたのを漏れ聞いたことがきっかけだった。

 ソファでホームズを読んでいる兄にすすすと近づく。


「え、何?いい大人が家出って何?実家ニカエラセテイタダキマスってやつ?」

「千華…お前ホントに口悪くなったなぁ~」

「親のきょーいくがよいもので。それよりお兄ちゃん、ママの話してる相手、お兄ちゃんの同級生の母親のことでしょ?」

「ああ、たぶんな…。なんか、安請け合いしてるよな…」

「親友の子供ったって、ようは他人の子じゃんか。そんな簡単に大丈夫とか言っていいわけ?よその家庭の問題に首突っ込んでも良いことないじゃん」

「お前…ホンットに口悪くなったな~あんなにぼんやりしてたのに…」

「目の前で殺人事件が起こってぼんやりしたままでいられるほど、世界は優しくなかったの」

「その節は大変申し訳無く…」

「次事件にあって楽しそうにしてたら、千華何するか分かんないからね」

「お、おう…」


 そんな会話から数日、有希子は蘭を家に連れてくるようになった。

 沈んだ顔をしていた蘭が、有希子にかまわれて少しだけ笑う。

 お菓子に玩具、可愛らしい服などで蘭の関心を得ようと張り切る有希子だが、やればやるほど子供達の態度から温度を奪っていることには気づいていない。


「女の子には優しくって、千華だって女の子だし」

「そしたらお客様には優しくって言われてたな」

「お客とか言ったって、ママあの子に『自分の家の様に過ごしてね』って言ってたじゃん。他人の家で自分の家のように過ごすお客って何。こわいんですけど」

「まあな、でも母さん自分で納得しねぇと止めねぇだろ。頑固だし」

「誰の血筋よ」

「おめーもそっくりだよ」


 呆れたように兄に言われ、そんな馬鹿なと思う。

 確かに形は有難いことに良く似ているかもしれないが、中身は精神年齢を抜いてほぼ前世の性格持越しかと思っていたため、性格が似ていると言われ驚く。

 あんなにフリーダムじゃ無い。


 けれど、今世で血の繋がった兄がそう言うのなら、千華と有希子の間にも確かな絆があるのだろう。

 それは、嬉しい。

 とても嬉しいことだった。

 もっと有希子と話がしたい、千華はそう思った。


 だが、一週間経っても、一カ月経っても、二カ月経っても状況は変わらなかった。

 有希子は蘭を可愛がり、蘭も屈託のない笑みを見せている。


「あの子の母親、いつ帰って来んの!?」

「いつなんだろーなー…」

「そもそも!死んだり離婚で遠くに行ったならまだしも、その辺に住んでんでしょ!?なんでママがお世話しなくちゃいけないの!?」

「なんでだろーなー…」

「なんでお兄ちゃんはおこんないの!?」

「千華が先に怒ってくれっからな~、それで気が削がれる」

「何それ!?お兄ちゃんは千華より大きいんだから、『ひとりでできるもん』ちゃんとして!」

「なんだそれ」


 新一が笑った時、有希子が勢い良くリビングの扉を開けた。


「新ちゃん、千華ちゃん、ピクニックに行きましょう!?」

「ピクニック!?」

「そうよ~、と言っても近所の公園だけどね?家族でお出かけしましょ?」

「するーっ!」

「パパが荷物用意してくれてるから、三人で公園まで来てね!ママは他に準備があるから後で会いましょ!」


 有希子の言葉に喜び、読んでいた本を放り出す千華だが、新一は微妙な顔をしていた。

 その理由が分かるのは、公園に着いた時だった…有希子が蘭を連れて来ていたのだ。

 一気に機嫌が下がる千華に、成り行きを見守っていた父子はさもありなんと一歩距離を取る。


「……ママ、家族でピクニックって、言わなかった?」

「ええ、そうよ!蘭ちゃんを元気付けるために家族でピクニック!朝からお弁当作り頑張っちゃった!」


 その答えに、千華の中でぷつんと堪忍袋の緒が切れた。


「出ておいき!このドロボウ猫!!ここはお前のいる場所じゃないよ!?」

「千華ちゃん!?」


 ぎょっとする有希子を無視し、千華は真っ直ぐに蘭を見据える。

 優作達は更に距離を取る。


「新一、これは?」

「千華がさっきまで読んでた本のセリフだな。えーと、昼ドラ系?」

「千華にはまだ、ちょっと早いジャンルじゃないかな?」

「父さんの書斎にあったやつだよ」

「そうか、父さんが悪いのか…」


 こそこそと相談する優作と新一も気にせず、千華は更に一歩踏み出し、蘭はビクリと怯えて退いた。

 その行為が更に千華の癪に障る。


「あんたの母親、いつ帰って来るの?」

「えっ、えっと…分かんない…」


 じわりと涙を溜める蘭に、千華の目じりがピクリと反応する。


「分かんないじゃなくて。他人に子供を連続してあずけるなんて、親として正気の沙汰じゃないこーいよ」

「あ、千華ちゃん!蘭ちゃんはママが小五郎さんから預かって来た訳で、えと、ほら、やっぱり女親がいないと色々大変でしょ?」

「女親がいないのが大変なら、なんで帰ってこないのって聞いてるの」

「え、あの、だから…」


 しどろもどろに言い訳を始める有希子に一瞥をくれ、ふっと千華が嘲笑う。


「あんた…母親に捨てられたのね」


 突然の展開について行けず、怯えて狼狽えていた蘭だが、今、言われた言葉は分かる。

 蘭を傷つけようとして放たれた言葉だ。

 ぐわりと気持ちと涙が溢れ出る。ずっと有希子に慰められ取り繕っていたが、蘭はそんな風には思っていない。いないのだ。


「~~っ、蘭、すてられでないも゛ぉん~っっ」

「捨てられたの!母親が帰ってこないことが証拠!現実みなさいよっ!」

「ちょっ、千華ちゃんっ」

「ママだってそう思ってるんでしょ!?」

「え!?そんな、ママはそんなこと思って無いわよ!?」

「うそっ!じゃあなんでこの子かまうの!?かわいそうだからでしょ!?なんでかわいそうなの!?母親に捨てられたからでしょ!?」

「えっ!?そんな、ちがっ、えぇ!?」

「らんずでられでないも゛おん~~っっ」

「もしもし英理!?ごめんなさいっ!うちの子と蘭ちゃんが喧嘩しちゃって!すぐ来れない!?」

「うるさい泣くなっ!今泣く位なら、なんでお母さんが家出てく時に泣いてすがって止めなかったの!?」

「だっで、おがあざんがいいごに゛じでろっでぇ~っ」

「そんなのいい子じゃないっ!大人にとっての都合のいい子よっ!子供に出来るハンコーなんて泣く位でしょーが!泣けばよかったのに!往来でひっくり返って、泣きさけべばよかったのよ!唯一出来ることしなかったから、だからあんたは捨てられたのっ!今があんたの望んだ未来よっ!」

「ぢがう゛ぅぅぅっっっ!!!」

「ち、千華ちゃんっ!英理!?英理聞こえてる!?」


 有希子が慌てて電話をするが、それを後目に蘭の泣き叫ぶ声と千華の責めはますます激しくなる。

 それを目の当たりにし、新一は怯えてびったりと父優作に張り付いた。

 優作も息子こそがライナスの毛布だと言わんばかりに抱きしめる。

 尻尾があったら、確実に股の間に挟んでいただろう。


「と、父さん…」

「し!静かに、新一。気配を消すんだ」

「け、気配?」

「幼くても女の喧嘩。男が役に立つことなど何も無い」

「え、そ、それでいいのかよ?てか、喧嘩ってより千華が一方的に蘭を責めてるだけじゃねぇの?」

「新一はまだまだ幼いね。確かに、一見千華が勢いに任せてただ蘭君を責めている様に見える。だが蘭君は喉よ裂けよ、天に響け、と言わんばかりに泣いているだろう?あれも周囲に己が被害者であることを言外に伝え、同情を買い味方につける戦い方の一つだ。まあ、今の彼女は只々自分の身を嘆き、救ってくれる人を大声を上げて自分はここだと叫んでいるだけだがね。そしてそれは私達の役目では無い」

「ん?んん?」

「覚えておきなさい、新一。男が女同士の戦いに手と口を出していいのは、嫁姑戦争だけだ。それ以外で軽率に仲裁なんかしようものなら、あちらは結託して攻撃してくるぞ」

「え?今喧嘩してるのに?」

「そうだ。一瞬で打ち合わせもせず突然手を組んでこちらを攻撃対象にしてくる。然る後また打ち合わせも無く互いを攻撃対象に移行する。初めから決められていたかの様にね。稀に男を攻撃した後、手を組んだまま意気投合する場合もあるが、その真意は男にとっては永劫の謎だ。解明出来るものでは無い。嫁姑戦争であっても同じことが起こるが、これに限っては巻き込まれるのが男の義務だ。逃げた先にあるのは家庭崩壊だからな…」

「お、おう…そうなのか…」


 男達が処世術レクチャーをしている間に、息を切らせて公園に駆け込んできた女性がいる。

 携帯を持ったまま真っ直ぐに走って来るのはの蘭の母親、英理だった。

 遠くからでも娘の泣き声が聞こえたのだろう。


「蘭っ!!」

「!?…っ、おがあ゛さ゛ああああんっっ!!」


 今まで見たことが無いほど顔中をぐちゃぐちゃにして泣きしがみ付いてきた娘の姿に呆然として抱きしめる。

 そんな英理を見て、千華は更に眦を吊り上げた。


「そもそもあんたのせいよっ!!泣いてる娘の声聞いてかけつけられる距離にいるくせにっ、今まで何やってたのよ!?」

「えっ、えっ」


 真正面から鬼の様な顔で、けれどこちらもぐちょぐちょに泣いている少女に責められ、英理の理解が追い付かない。何があったのかと問い質そうとしていた言葉は全て、苛烈な子供の眼差しの前で焼き消えた。

 そもそも、子供にこれほどの怒りを向けられたことすら人生初だ。

 何とか分かるのは、目の前の少女が電話でも声が聞こえていた有希子の娘だろうということ位だった。


「聞いてるの!?子供捨てて何してたのかって言ってるのよ!」

「!?す、捨てて無いわっ!!」

「しゅかんの話はしてないの!きゃっかんの話をしてるの!世間様では、子供おいて出てったら、捨てたって言うの!!」

「ち、ちがっ!あ、あの人だっているし!」

「あの人ってだれよ!?名前を呼んではいけないあの人!?」

「蘭のお父さんよ!!」

「それは父親に子供おしつけて出てったってことでしょうが!!」

「っ!?」

「ち、千華ちゃん、千華ちゃんお願い、落ち着いて…っ」


 袖を引っ張る有希子を、千華は力いっぱいに睨みつける。


「落ち着かないっっ!!言わなきゃ分かんないんでしょ!?このおばさんはっ!!」

「え!?あ、その…えと…」

「あんた!出てく時になんで出てくか理由を子供に言った!?言っとくけど、「いい子にしてたら戻ってくる」とかゆーよまいごとは、公園に子供すててくクソ親どもの定番文句よ!?」

「えっ!?えっ!??」

「パパの殺人指南書にだって出てる使い古されたせりふよっ!!すてられた子供が殺人犯になりそうだったから続き読んでないけど!」

「ミステリー小説な、ミステリー小説。あとネタバレは駄目だぞ~」

「…父さん」

「きけば、弁護士とやらになる勉強をしてるそうじゃない!?それは家じゃダメだったわけ!?」

「あ、あのね、それは、その…」

「ほらやっぱり!子供が邪魔だったのよ!勉強するのに邪魔だったのよ!だからおいてったのよ!!」

「らんじゃまじゃない~っっ!!」

「千華ちゃん!千華ちゃんストップっ!!」


 有希子は必死に娘を止めようとするが、千華は子供ながら華麗なフットワークを使い、決して捕まらない。

 たまに入る工藤父子の言葉は小さすぎ、きっと女性陣には誰にも聞こえていない。


「だいたいっ、弁護士と!政治家はっ!言葉で!人を丸めこむのがっ!仕事でしょうが!?」

「言葉で人に『思いを伝える』な?千華、外ではこう言おうな?」

「…父さん…」

「それなのにっ!他人には出来て!なんで家族には!出来ないの!?ちゃんと話しあいっ、なさいよっ!あまえないでっ!!」

「優作さん!新ちゃん!千華ちゃん捕まえるの手伝ってっ!!」

「「無理無理」」

「もうっっ!千華ちゃん待ってっっ!」


 ずざっと渾身のタックルで娘を捕まえた母に、千華はターゲットを替える。


「なんで千華の邪魔するの!?」

「じゃ、邪魔じゃないわよ!?千華ちゃん一回落ち着いた方がいいと思ってね!?えっと、大人には色々と事情というのがあってね?」

「ママは誰の味方なの!?」

「ほえっ!?」

「ママは誰のママなの!?」

「え!?えっ、もちろん千華ちゃんと新ちゃんのママよ!?」

「そうでしょ!?ママは千華とお兄ちゃんのママでしょ!?なんでその子かまうの!?」

「え!?え、えーと、新ちゃんのお嫁さん候補、とか…?」

「はあ!?」

「しっ!新一今は口チャック!!」

「日本は三組に一組離婚してる国!他人っ!!」

「そ、そうね…」


 口元を引きつらせる有希子の顔を、小さな両手で挟み込む。


「ママは千華たちのママなの!!よそ見しないでっ!!」

「っ!?」


 ぐっと何かが心臓を突き抜けたらしい有希子を捨て置き、千華は再度毛利母子に向き直る。


「あんたの母親はその人でしょう!?さびしいならさびしいってその人に言って!!千華たちのママとらないで!!」

「…っ」

「おばさんも!子供捨ててないって言いはるなら、ちゃんとめんどーみて!出てってからその子の様子かくにんした!?元気でいるか、こまったことないか、学校の様子とか、お父さんとうまくやってるかとか、毎日電話したりした!?自分の目で見に来たりしなかったの!?」

「そ、それは…」

「してないのに捨ててないなんて言われても、口先ばっかじゃない!勉強がいそがしい?はんっ!子供に電話十分やそこらも無理な位?そんなのはどりょくぶそくって言うのよ!」

「お母さんを悪く言わないで!!」

「あんたが言わないからでしょーが!あんたがさびしいって、帰ってきてって、言わないからこんなことになってんでしょーが!なんでそのしわよせをうちがかぶらないといけないわけ!?」

「だって、だってっ」

「そっちの家族の話はそっちで話しあって!うちをまきこまないで!うちのママにかまってほしかったら養子にきてからにして!」

「ん?」

「ちゅーとはんぱが一番嫌いっ!!工藤有希子は、千華と!お兄ちゃんの!ママですっ!!」


 がしっと有希子にしがみつき、毛利母子を睨みつける。

 有希子は頬をバラ色に染め、しっかりと娘を抱きしめる。


「あの…有希子、ごめんなさい」

「ううん!こちらこそ!蘭ちゃんもたくさん泣かせちゃったし…」

「じごーじとくっ」

「こら、千華ちゃんっ!」


 窘める有希子に、千華はぷいっと顔を逸らす。

 それを英理は少しだけ笑い、ぐじぐじと鼻を鳴らしながらも甘える様に縋り付く蘭を抱きしめる。

 たくさん無理をさせていた。

 飲み込んでしまった言葉もたくさんあるのだろう。

 けれど、英理だけが彼女の母親なのだと、硬く英理の服を握りしめた蘭の拳が語っている。


「…蘭、今日は一緒にお父さんの所に帰りましょうか」

「っ!?」

「これからも一緒に暮らせるかどうかは分からないけれど、たくさん話したいことがあるの。…聞いてくれる?」

「……うんっ」


 ご機嫌で母に抱かれながら手を振る蘭に、新一が優作の影から小さく手を振る。

 あっかんべーで返した千華は、有希子に小さく小突かれむくれた。

 今日は、用意して来たピクニックの準備をそのまま持って自宅に帰ることにする。

 それほど多くの人がいる公園では無いが、流石にあれだけ大騒ぎをして、何事も無く続行出来る肝は持ち合わせていなかった。

 荷物は全て優作が肩から下げ、反対の手でしっかりと新一と手を繋ぐ。


「あ~もぉ、千華ちゃんたらすっごく口が回るのね!誰に似たのかしら!」

「有希子だろう?」

「優作さんよ!」


 有希子の腕の中で離れる素振りも見せず、ケホっと咳き込んだ娘の柔らかい髪をそっと撫でる。


「まあ、確かに、子供の語彙力では無かったね。新一は分かっただろうが、あのお嬢さんは何を言われているか殆ど分かっていなかったと思うよ?」

「え?あんなに泣いていたのに?」

「だから、あんなに泣いたのさ。よく分からないから言い返せない。言い返す語彙力も無い。でも責められているのは分かる。千華も言っていただろう?子供の対抗手段は泣くことだけだと。本能的にそれを知っているのさ」

「あ、えぇ~…」


 そうなの?と覗き込んだ娘は、ジト目で母を見返した。


「ママはね、自覚が足りないと思うの」

「え?自覚?」

「ママは日本男性の憧れだった『藤峰有希子』じゃないの。パパの奥さんで、千華とお兄ちゃんのママなのよ?」

「え、ええ、そうね?分かってるわよ?」

「ほらやっぱり分かってない!」

「ええ!??」


 目をぱちくりさせる有希子に、千華は深~い溜め息を吐き、キッと母の目を覗き込んだ。


「ママは千華たち三人で独占していい人なの!誰にでも好かれる必要は無いんですっ!」


 目から鱗。

 分かっているようで、分かっていなかった事実。

 呆然とする有希子を後目に、全く、誰にでも愛想をふってはしたない、そういうのびっちって言うのよ…とぶつぶつと呟きながらも抱きしめる母の腕の中でぐったりと体を寄り添わせる小さな体。

 人生で初めて『ビッチ』なんて言われた。

 しかも娘に。


「千華ちゃん!女の子がそんな言葉使っちゃ駄目!!どこで覚えて来たの!?」

「ふにゃあっ!?」


 叱られた娘がびっくりして奇声を上げる。


「千華、パパが抱っこしてあげよう。おいで」

「やだーっ!ママやっと返してもらったのよ!?」

「ママを『ビッチ』なんて言う悪い子は抱っこしてあげませんっ」

「ごめんなさいー!!」


 千華を離そうする有希子にだいしゅきホールドでしがみつく。

 形振り構わない子供の力は、はっきり言って痛かった。

 けれど、離すものかとしがみつく子供の少し高い体温が愛しくて、笑う優作に手を引かれていた新一が反対の手でそっと遠慮がちに有希子のスカートを握り、照れ臭そうに笑った顔に胸を突かれた。

 寂しかったのだ。

 寂しい思いをさせたのだ。

 何万というファン達よりも、二人の子供が大切だった。


 この日、有希子は本当の意味で『母親』になったのかもしれない。


 翌日、泣いて喚いて暴れた千華は見事に扁桃腺を腫れさせて熱を出し、母親の自覚増し増しの有希子に手厚く看護して貰うことになる。

 のどが痛い、熱い、苦しいとべそべそ泣く千華に振り回されつつ、そっと寄って来た新一が差し出した蜂蜜レモンを千華が嬉しそうに受け取り、あまりの酸っぱさに兄の顔に噴き出すまでの全てを有希子はカメラに収めた。





「帰れ!」


 電車を待つ駅のホームでぼんやりと待ち合わせをしている母を待っていた千華は、その声に驚いて顔を上げた。

 雑踏の中にあっても響く声に、同じようにそちらに視線を向けた者は多い。

 その先で、ギターケースを背負った二人の男性の内一人が、一人の子供を叱りつけていた。


 男はどうやら子供の兄らしく、勝手に着いて来たらしい妹だか弟だかに帰るよう言っているらしい、そこで大体の者は視線を戻したが、千華ははて、と二人の男性と子供に注視する。

 顔とスタイルがやたら良い二人組で、背負ったギターケースからバンドでもやっているのだろうと当たりを付けるが何かが引っかかる。

 兄と呼ばれた男が去り、残った男が子供にベースを教え出した。

 兄にきつく叱られ意気消沈している子供を慰めようとしているのだろうが、お兄さん、ここは公共の場ですよ。駅のホームで楽器の演奏はご遠慮くださいのポスター、ちょっと先にありますよ、と思いながら見る。


 その後、帽子を面深に被っている色黒の男が来たのを見て、あっと気づいた。


 『名探偵コナン』の阻止に全力を傾けている間に、いつの間にやら『潜入探偵アムロ』が始まっていたらしい。

 新一を主役にさせないのなら、きっとその座は彼にスライドされるに違いない。

 『潜入捜査官安室』の方がいいかもしれないが、そっちの語呂だと青年誌になってしまう。

 青年誌になるとエログロ展開お手の物になってしまうので、ここは少年誌でも連載出来る『潜入探偵アムロ』の方でお願いしたい。米花町の治安の更なる悪化はご遠慮願う。


 ただ、年々前世の記憶が薄くなっている千華は、既に彼等の名前をはっきり思い出すことが出来ない。結構関係無いことは鮮明に覚えていたりもするが、物語に関わるだろう大事な部分はかなり忘れてしまっている。これが原作阻止の影響ならば、喜んで受け入れるが、恐らくはただの経年劣化による摩耗だろう。十年以上この世界で密度の高い子供時代を過ごし、工藤家とその周辺のみに心を砕いていれば、細かいことなど覚えてはいられない。

 全国に『安室の女』が山ほどいたので彼の名前は覚えていたが、他はかなり危ない。

 こんなにも女を作っておいて、彼自身は本田菊(byヘタ〇ア)の恋人なんやな…と思ったため覚えていた。

 あの三人組のコードネームに至っては、二つも三つも名前があったり無かったりだったせいで、飲食関係だったこと位しか自信が持てない。

 そう、カレーパンマンとアンパンマンとバイキンマン…じゃないことは確かだが、もうそれでいいんじゃなかろうか。


 そうこうしている内に、バイキンマンが戻って来て子供に切符を渡している。

 びっくりするほどユートピでは無く、怪しい。

 体格差もだが、ニット帽とセーラーマーズ並の長髪が全力で堅気に喧嘩を売っている。

 細かい事は覚えて無いが、幼女の部屋に盗聴器を仕掛けた怪しい大人だったはずだ。

 火星に代わってお仕置きされろ。

 怪しさレベルでは同じく黒づくめの組織の銀髪のお銀さんと同じ位怪しい。

 盗んだバイクで走り出して、夜の校舎の窓ガラス割って回りそうな雰囲気がある。

 つまり厨二臭P――――――っっ!!!


「千華ちゃんお待たせ!」

「ママ!」


 脳内で放送禁止音が流れた所で有希子が現れた。

 と、同時に電車がお馴染みの音楽と共に滑り込んでくる。


「ナイスタイミング、ママ!」

「ごめんね、千華ちゃん。今日に限って車が無くって…」

「車検じゃ仕方ないよ。ディナーチケットは今日までだし、締め切り終わらなかったパパは自業自得ということで」

「うふふ。パパが貰ったチケットなのにね~。新ちゃんはホテルで合流なのよね?」

「うん、練習試合から直接行くって言ってた」

「楽しみね~」


 話しながら電車に乗り込む。

 有希子は軽く変装しているため、騒がれることは無い。

 ふと顔を上げると、電車に乗り込まなかったらしいカレーパンマンと窓ガラス越しに目が合った。

 電車の出発と共に視線が外れる。


 黒の組織の人達は電車で移動していると、千華は覚えた。

 お銀さんやお付きの八兵衛、他の既に名前も顔もあまり覚えていない組織の人達が改札前で切符の金額を確認している所を想像して、あまりのシュールさに変な声が出た。

 善良な人々のためにも、もっと忍んで活動して頂きたい。

 公共交通機関の使用は最低限にして下さい。


 今後も力の限り関わらない方向で行く決意をした。




 数日後、千華はカレーパンマンと再会した。

 その話は、また後日にいたしとうございます…。





「母さん、同窓会のお知らせ来てるぜ?」


 学校帰りにポストの確認をしたのだろう新一の、その何気無い一言が、工藤家に嵐を巻き起こす。


「あら~懐かしいわね~」

「ママ!?もしかして行く気!?」

「え?来月なら予定も開いてるし、いいかなって…」

「ダメよ!!三十代の同窓会なんて、事件の匂いしかしないじゃないっ!!」

「えぇ!?」


 また末っ子が何か暴走し始めた。

 有希子からお知らせの葉書を奪い、高校時代の同窓会であることを確認し、顔をしかめる。

 娘の声に、何事かと優作も顔を出した。


「ママの高校時代なんて、自分ではお茶も淹れなかった頑固親父が、娘が男と付き合い始めたのを敏感に察知し、黒電話の前で番をし始めて彼氏からの電話を取り次いでくれないから、時間を決めて母親がこっそり味方をしてくれないと電話で話一つ出来ない時代でしょ?」

「そこまで古くは無いわよ…」

「そんな視線を交わすだけが精一杯好意を伝える手段だった人達が」

「戦前か」

「結婚して子供も出来て、ある程度地位もお金もあってマンネリ化している時に淡い恋心を抱いてたあの人に会えるかも…って、気合い入れておめかしして行く訳ですよ」

「まあ、よくある展開だね」

「あの頃学ランに学生帽だったあの人が、すっかり垢抜けていいスーツを着てかっこよくなってるのね。禿散らかしてる可能性もあるけど。でも、友人達と談笑してたのにこっちにすぐ気づいて抜けて来てくれるものだから、照れ隠しに「すっかりおばさんになっちゃったでしょ?」とか言うと、眩しそうに「…いや、綺麗になったね」とか言われて「メイクよ!!」て言える女がどれだけいる!?」

「いないな」

「いないだろうね」

「失楽園よ!!浮気の温床よ!!三十代の同窓会なんて、浮気相手を見繕う社交場よ!!そんな時期に同窓会をやろうなんて、幹事は何を企んでるの!?」

「千華ちゃん…考え過ぎよ…」

「甘い!ママ甘い!日経新聞を読まずに株に手を出す位甘いわ!!」

「いや~でも千華、二時間ドラマの見過ぎじゃね?」

「お兄ちゃんも甘い!!ここは米花町よ!?いかにも怪しい黒づくめの男達の取引現場を後ろの警戒もせずに一人で写真撮ってる位甘いわ!!仲間に気づかず殴り倒されて怪しげな毒薬飲まされてからじゃ遅いのよ!?」

「んな間抜けしねーよっ!」


 そのために妹は頑張ってます。


「ママ!もしどうしても行くと言うのなら、パパを連れて行って!まさか同伴者を許さないって言うなら、ますます怪しいわ!」

「えーと、同伴者を禁ズとは、何処にも書いては無いが…締め切りがだね…」

「パパ!ママが暇を持て余した快楽主義どもの毒牙にかかってもいいの!?浮気なんて、本気じゃないから燃え上がるのよ!悪いことだから楽しいのよ!心理としては、中学生が校舎裏でこっそりタバコ吸って悪ぶってオレカッコイーてのと一緒よ!我に返ったら家族の信頼も絆もお金も未来も会社の席も帰る家すら無くなる遊びだっていうのに!」

「千華ちゃん、ママ浮気しないからね?」

「けどよぉ、千華。母さんは若い頃から女優で成功して、旦那も工藤優作っていう優良物件GETした勝ち組だぜ?父さん同伴じゃ、別の事件が起きないか?」

「Oh…そっちの心配もあったわね…三十代、盤石な地盤を築いている者もいれば、失敗し転職の伝手を得られないかと来る人もいるでしょうね…事業に行き詰まって融資の相談とか、ステップアップと称した危ない橋の道ずれを探している人もいるでしょうし、只々成功者を潰したいっていう鬱憤の溜まった人もいるかもしれないし…」

「連帯保証人は、幼馴染か高校の同級生って言うよな」

「あなた達は、ママの同級生をなんだと…」

「「安定してるが故に道を踏み外しやすい年代の人達」」

「……優作さん…」

「ああ、締め切りは何とかするよ」


 がっくりと項垂れた有希子を優作が苦笑して宥める。

 両親の仲が良いのは良いことだ。


「でも、それとこれとは話が別っ!」

「「何が!?」」

「パパは当日、大人気女優だった妻が不貞を働かないか心配でついてきた『ヤンデレ夫』を演じて貰います!ママはそんな夫の『病んでる所も可愛いの』と素で言っちゃえるこっちもちょっと危ないんじゃない?という共依存な妻を演じて!」

「は!?」

「どういうこと!?」

「…なるほど。その設定ならやっかみを買うこともそうなくなるか…」

「新ちゃん、分析しないで!今ママ、高校の同級生に危ない人間判定されるかどうかの瀬戸際!」

「大丈夫。作品の中とは言え百人以上殺してるパパが病んでても皆気にしないよ!」

「ミステリー作家に対する厚い風評被害!!あれは全てフィクションです!実際の人物・団体とは何も関係ありません!!もちろん作者とも!!」

「ママだって高校の同級生なんて今も親交あるの毛利夫妻位でしょ?その他なんて通りすがりみたいなものなんだから、ヤンデレ演じて事件無く今後過ごせるなら、この程度の勘違い安い買い物じゃない?」

「言い返せないっ!!だって女優になって売れた時、知らない知人友人が増えて、よっぽど親しい人じゃなきゃ切れちゃったんだもんっっ」

「その心の隙間に入ってママを落としたのがパパよね?人の心の隙を見逃さない!さっすがベストセラー作家!!二十歳の人気絶頂期の美女優を手に入れた!人の心理を操るミステリー界の喪黒福造はやることが違う!」

「千華…千華……」

「父さん反論しねぇの?認めちゃうんだ?」

「という訳で!パパは責任持ってママを守るべきよ!ママも安心してヤンデレて!」


 この時点で行かない、という選択肢が消えていることに誰も気づいていない。


「でもでも~っ」

「何?ママ、もしかしてパパに内緒で会いたい人でもいたの?浮気?」

「違うわっ!!」

「じゃあ演れるわよね?」

「演るわ!!」


 かくして娘による鬼のヤンデレ特訓が始まり、優作は死ぬ気で締め切りを守り、素でヤンデレっぽい雰囲気を出して同窓会に出かけて行った。


「「ただいまー」」

「おかえりー、事件起きたか?」

「おかえりー、お土産は?」


 前者が新一で、後者が有名ホテルでの開催と聞きケーキを頼んでいた千華である。

 苦笑する優作からケーキの箱を受け取り、いそいそとお茶の準備を始める。


「まあ、結論から言えば…死人は出なかったよ」

「てことは、事件自体はあったんだな?」

「やだ…流石米花町…」

「大丈夫よ、未遂だったから」


 未遂だからと言って、事件が起きたことには変わりは無い。

 ヤンデレの一環として、優作は作品の紹介がてら人が人を殺したいほど憎む心理や、殺人トリック、犯した罪の重さや現実だった場合のその後の人生予想など滔々と語っていると、目を逸らしたり、袖口に隠していた何かをそっと鞄に戻す者達がいて、流石の優作もこっそり冷や汗を掻いた。

 正直、考え直してくれたのならば、何事も無ければこのまま警告だけはして優作の胸の内に収めておこうとしたのだが、時既に遅しだったらしい女が、けれどギリギリで思い直したらしく、目の前で今飲み干さんとされているグラスを払いのけ、泣き伏したのだ。


 旧友との交流を深めるという同窓会の本来の趣旨などもはや何処にも無い。

 あるのは、愛憎渦巻くスリルとショックとサスペンスの世界だった。

 そして警察が来て、事情聴取があり、一人ずつ別室で念のためと持ち物検査をしたら、ゴロゴロと危ない物を隠していた者達が出てしまったという、何ともしょっぱい結末となった。


「なんて米花町らしいオチ…」

「いや、人死に出なかったんだから、マシなんじゃね?」


 兄妹の感想に、両親は笑みを引きつらせるしか無い。

 あまりの容疑者の多さに、「全員の弁護は出来ないわよーっ!?」と叫んでいた英理が印象的だったことは黙っておこう。

 恩師達は泣いていた。

 老体に鞭打って参加して下さった方達に恩を仇で返す所業…複数の同級生達に同窓会を熱烈希望され、そんなに皆に会いたいならと純度100%の好意で会を企画した幹事は土下座で詫びていた。

 彼は悪くない。


「ああ、でも面白い話もあったよ」

「そんな殺伐とした会場のどこでそんな話を…」

「いや、事情聴取の待ち時間にね…はは。あー、毛利君の友人の男性でね、最近運命の女性にあったらしいんだ」

「浮気?」

「違うよ!彼も彼女も独身だ。それで、お互い何となく雰囲気や容姿も良く似てて、好みや趣味も同じで、しかも生年月日まで同じだとかで、何をしてもぴったり気が合う女性と知り合ったらしいんだ」

「へぇ~」

「自分大好きか」

「いやいや、自分と合うだけであって自分では無いからね。それで、そんなにぴったり来るならソウルメイトか生き別れの兄妹かもしれないねって話をしてね」

「ソウルメイト?」

「前世とかその前とかで親・兄弟・友人関係なんかの親しい人で、生まれ変わる度近しい人でいられるってやつ、だつけ?」

「その通り。新一、そういう分野も勉強し始めたのかい?」

「うん、お兄ちゃんはそういうの馬鹿にしてるかと思ってた」

「いいだろ、別に。で、父さん続きは?」


 超現実主義かと思われていた新一は、少し拗ねた様に続きを促す。


「ああ、双子なんかだと、お互いの存在を知らず、全く違う環境の別々の場所で育っても、長じた後驚くほど類似点があることが研究されている。見た目や好み、趣味や体格のみならず、髪型まで似ていたりしてね」

「へぇ~」

「まあ、生き別れの兄妹は言い過ぎにしても、血縁関係位ならあるかもしれないだろ?」

「その人ね、小さい頃事故にあって、養父母の元で育てて頂いたそうで、血縁関係のご家族がいないんですって」

「だから毛利君が探偵をしてるだろう?それで調べてみたらどうだってなってね」

「へぇ~!これで本当に親戚とかだったら面白いよな!」

「ね!もし毛利のおじさんから結果教えて貰えたら、千華達にも教えてね!」

「ああ、そうだね」


 珍しく子供らしくはしゃぐ子供達に、優作と有希子も相好を崩す。

 複雑な事情は絡んでいたが、大きな事件に巻き込まれることも無く帰宅出来、そこで子供達が笑っているのなら、これ以上の喜びは無いだろう。




「もしもし、工藤です」

『あ、優作さん。毛利小五郎です。先日はどうも!』


 電話口から聞こえて来た明るい声に、明るい話題だろうと先を促す。


「おや、もしや何か進展があったのかい?」

『ええ!詳しく調べたら何と彼女、本当に伴場の生き別れになっていた双子の兄妹だったようでして!』

「それはまた…」

『出会ったばっかの時に判明して良かったっスよ!伴場の奴、好意がそのまま家族愛にシフトしたみたいで、事実知った彼女も喜んでくれて、一緒に暮らすのは流石にあれなんで、隣同士で借りれる部屋探して、今度二人で引っ越すって年甲斐も無く楽しそうに騒いでおりました!』

「三十数年ぶりに出会えた片割れだ。それは喜びも一入だろう。ああ、そうだ。この事はうちの子供達にも話していいだろうか?先日の同窓会の件で、さわりだけだが伝えてしまっていてね。もちろん、個人が特定出来る情報は話さないから」

『大丈夫であります!伴場も彼女も兄妹が見つかったーっつって、友人連中に連絡しまくってますから』

「そうか…ああ、本当に喜ばしいことだね…」

『こんな事、あるんスなー!』




「ねぇ!怪しい人を見なかった!?」

「おのれが一番怪しいわっっ!!」


 事件の聞き込みをしようとした新一の背後から膝裏を蹴撃して跪かせ、不審げな視線を送って来る大人達に「すみません、気にしないで下さい、ちょっと変わった子なんです」とペコペコと頭を下げ、ズリズリと兄を引きづって優作の背後に身を潜める。


「この馬鹿兄っ!むやみに事件に頸突っ込むなって言ったでしょっ!」

「そ、そこに事件があるからっ」

「登山者みたいな言い訳すんなっ!」


 べしっと後頭部を叩き落とし、小学校高学年になった子供二人では隠れ切れなくなった父の背中で声を潜める。

 母のショッピングに付き合って出かけたが、疲れて優作と新一、千華だけで一服しようと寄ったコーヒーショップで巻き込まれた事件。

 店内に入り、メニューを見ようとした所で上がった悲鳴…被害者は救急車で運ばれて行ったので、どうにか助かって頂きたい。

 救命のために駆け寄ったのは仕方が無いが、事件とみて警察が規制線を引く僅かの間に現場検証に乗り出そうとした父子を、「動くな。動くとズボンを引き降ろすぞ。勢い余って下着も巻き込んだらゴメンネ!」と説得しその場に留めていた。

 が、引き離した現場を覗いた僅かな情報で、新一には何か引っかかることがあったらしい。

 優作は彫像の様に固まっていたというのに、新一は千華の隙をついて抜けだし、第一発見者らしい人に突撃していた。

 大変遺憾である。

 小学校の移動教室ですれ違う時は、速やかに有言実行に移りたい。


「大体ね、今のレベルのお兄ちゃんが気づいたことなんて、パパが気づいてない訳無いんだから、まずパパと答え合わせして!それでもまだ確認したいことがあったら、パパから刑事さんに繋ぎを取ってもらうのが筋でしょ!?」

「け、けど、それじゃまだるっこし」

「筋を通せって言ってるの!まだるっこしいとか、手間がかかるとか、そんな犯罪者みたいな感情で行動しないでくれます!?」

「なっ、誰が犯罪者だ!?」

「事件の捜査をするのは警察の仕事!教員免許持ってない人が学校で先生しちゃいけないでしょ?医師免許持ってない人が手術しちゃ駄目でしょ?食品衛生責任者の資格無い人が飲食店開いちゃ駄目でしょ?警察官じゃない人が事件現場に入っちゃ駄目なの!」

「けど、でも、父さんは…っ」

「パパは正式に警察の人から協力者として頼まれて、頭脳を貸してるの!でもパパだって事件現場を自由にうろつくことは許されてないはずよ!ね?パパ」

「そ、そうだね」

「事件に関わりたいなら、警察になるか、弁護士になるかよね」

「オレがなりたいのは探偵だっ!」

「だぁから、日本の探偵には捜査権が無いっつってんの。大人しくパパについて修行してなよ。警察と協力関係築けてる父親なんてそういないんだから」


 そうこうする内に、事件が解決した。

 店内の全員の事情聴取が終わる前のスピード解決は、単に衝動的な犯行だったらしい犯人が、裏口から繋がる路地で恐ろしさに蹲っており、警戒中だった刑事に発見され、そのままお縄となったのだ。推理が入り込む隙は無い。怪しい人など新一だけだった。

 解放され、連絡がとれた有希子と合流する道すがら、新一はジト目で千華を見た。


「…千華、おめー事件から気ぃ逸らさせるために話続けてたな?」

「当たり前でしょ。傷害事件が起こった現場なんて、しゃべり続けてでもいなくちゃ正気保てるかっての」

「うっ…」

「千華、口調が乱れてるよ」

「乱してるの!精一杯の虚勢ですぅ!蹲らないだけ褒めて」


 飄々として自分の邪魔をしてくると思っていた妹が、優作の影に隠れながらも更に事件現場に背を向け、逃がさないように掴まれていると思っていた腕が、縋る様に握りしめられ震えていたことにやっと気づく。


「……千華、悪い…」


 ぺしょりと眉を下げた新一に、千華はため息をつく。


「お兄ちゃんが、目の前にあるのか無いのか千華には分かんない謎をジャンキーの様に求めるハイエナなのは知ってる」

「え、いや、え?オレってそんな風??」

「自覚が無いなら自覚して。傍から見てると、正直怖いよ?てか痛いよ?何かに取り憑かれてない?お祓い行く?」

「え、そこまで??」

「お兄ちゃんが事件の謎とやらに、初めて恋に落ちた乙女の様に盲目的に惹かれているのは分かるけど」

「いや、ちょっと待て。え?え??」

「千華は、人が人を強い意志を持って害した場所にいるのは、怖い。特に、まだその犯人がいるかもしれない場所にいるのは、すごく怖い。だからこそお兄ちゃんは早く犯人を捕まえなきゃって思うのかもしれないけど、それは警察の仕事なんだから、お兄ちゃんやパパは千華の側にいてって思う」

「………」

「……お兄ちゃん、ここは即決で『すまなかった、千華。二度と事件には関わらないっ!』って宣言するとこでしょうが!?事件と出会った時の瞬発力はどこに置いて来たの!?」

「はあっ!?あっ!千華てめぇ、演技か!?演技だな!?」

「演技じゃないわよ!まあ、確かに?千華は大女優と謳われたママの娘ですけど?けど事件が怖いのはホントだもんっ!」

「親父も笑ってんじゃねーよっ!」

「パパ!千華間違ったこと言って無いよね!?か弱い妹を人を傷つけた犯人がいるもしれない事件現場で置き去りにしようとするお兄ちゃんが人でなしなんだよね!?」

「誰が人でなしだっ!?」

「お兄ちゃんよ!お兄ちゃんのバーカ!」

「バカって言った方がバカなんだぞ!?」

「お兄ちゃんがバカ!千華の無事と自分の好奇心天秤にかけて迷ったくせにっ!」

「はあ!?し、してねーしっ!」

「これこれ、外で騒ぐんじゃない」

「「だって千華(お兄ちゃん)がっっ!!」」


 騒ぐ兄妹を左右に引きはがし、それぞれと手を繋ぐ。

 まだ微かに震え、冷たく強張ったままの娘の手を、優作だけが知っていた。




 リビングで優作と千華が珍しく二人きりになった時、優作は前々から思っていたことを娘に聞いてみた。


「千華は、新一が探偵になるのは反対かい?」

「ん?んーん?別に反対な訳では無いけど…」

「けど?」

「そもそも、お兄ちゃんって探偵に向いてなくない?」


 千華の言葉に、虚を突かれた優作が目を瞬く。

 優作は、技術や知識、推理力はまだ成長途中だが、新一が目指すホームズに着実に近づいていると思っていたのだ。

 思いのあまり暴走することはあるが、自分の目標をしっかり定め、それに向かって努力を惜しまない姿は、我が子ながら誇らしくも思っている。

 それを、千華はあっさりと否定したのだ。


「だって、探偵って、平凡過ぎるほど平凡って言うか、特徴の無い容姿に体形、視界に入っても記憶に残らない様な、話をしても後で思い出そうとすると特徴が出てこない様な影の薄さが必須でしょ?事件を調べるにしても、尾行するのも、聞き込みするのも…けどお兄ちゃんって、顔は良いし、すらっとしてるし、背もまだまだ伸びるだろうし、声も耳に残るし良く通るし、オーラもあるし、人前に出ても物怖じしないし、謎を解いたら誰かに言って褒めて貰いたいみたいだし、結構承認欲求強いよね?」

「………」

「芸能人ならそれでいいけど、目立っちゃ駄目で守秘義務がある探偵としては駄目駄目じゃない?人前で推理ショーなんて職業探偵なら以ての外でしょ、何その他大勢に依頼人のプライベートぶちまけとんじゃ、訴えるぞ!?てならない?依頼料を貰える所か、訴訟起こされるレベル?」

「………」

「お兄ちゃんは事件の、取り分けトリックを使われた難事件を解きたいだけでしょ?だけど、事件は普通警察が仕切るものだし、警察の捜査が間違っているってなったら、被害者がまず頼るのは探偵じゃなくて弁護士の方じゃない?だって罪を争ってるのは裁判所だもん。そもそも依頼も無いのに勝手に事件に頸突っ込むのって物語の中の探偵だけよね?忍んでない忍者みたい」

「………」

「ならパパみたいに個人的に警察の協力者になって難事件で呼ばれて…て形になるなら、お兄ちゃんの望む探偵の形かもしれないけど、あれって、ボランティアでしょ?つまり、無給」

「……ああ、そうだね」

「じゃあ、お兄ちゃんの望む探偵業での収入ってどこ?パパのは『市民からの善意の協力』であって、事件解決のために協力して警察からお金貰うって難しくない?予算は税金から出てるんだし。そもそもパパが無償でやってること、お兄ちゃんは有料に出来るの?」

「………」

「なら、働いてる奥さんを貰って、自分は趣味みたいに探偵業するわけ?それって職業?」

「………」

「お兄ちゃんの『ホームズみたいな探偵になりたい!』って、幼稚園児が『仮面ヤイバーみたいな正義の味方になりたい!』て言ってるのと同じに聞こえるんだよねぇ。もしくはヒモ宣言」

「……ヒモ、せんげん…」

「パパの遺産を当てにして働かなくてもいいって思ってる訳では無さそうだけど、株とか投資でもするのかな?…そこんトコ、お兄ちゃんはどう思ってるんだろうね?外国に行くとかなのかな?」

「………千華、この事は…しばらく新一には、内密にするように…」

「?…はーい」


 男はいつまでも少年の様に夢を追いかける生き物だ。

 そして女は、恋や夢に憧れを持っていても、いつだって現実を生きている。

 それを突き付けられた優作だった。


 けれど新一はまだ小学生だ。

 来年中学だが。

 もうしばらくは夢を追いかけさせてやってもいいんじゃないか…そう思うのは、優作も夢を追いかけた男だからだろうか。


 実際は、優作が初めて捜査協力した際、あちらは謝礼を払おうとしたのだが、金に全く困っていなかった優作は、交通費程度の微々たるものでもあったし、それを軽い気持ちで断った。

 そのまま現在まで一度も貰っていないし、無償での協力が慣習化してしまったのだ。


 それが、息子の未来を潰すことになるとは…あの時は思ってもみなかった。

 この事実は、優作の胸の中だけにそっと仕舞われた。


 そして、数年後、家族での外国移住を計画するが、千華に激しく拒否され断念することになる。





 変態なのか、強盗なのか、それとも変態強盗だったのか、そんな属性は一個!と叫びたい慮外者に追い詰められ、逃げ込んだのがビルの隙間の路地裏だった。

 こんな時のために覚えたパルクールで突破しようとしたその時、正義の味方が現れた。


 そう、公安のカレーパンマンだ。


 長い脚で内脂肪で武装された腹を蹴り上げ、狭いビルの壁にバウンドして気を失ったらしい。

 意識が無いのを確認してから、千華に声をかけて来た。


「大丈夫かい?」

「あ、はい!…あっ」


――― ダンッ!!


「ぎゃああっ!?…がっ、あ゛…」

「っ!?」


 よろけたふりをして変態の股間を踏み抜いた。


「…………」

「……ヨロケチャイマシター」


 一瞬意識を取り戻したらしい男が、今度は泡を吹いて昏倒する。

 白々しい棒読みを披露した千華を見るカレーパンマンの目が微妙に恐れを帯びている気がするが、これは過剰防衛では無く自衛だと主張する。

 変態は完膚なきまでに叩きのめしておかないと、一匹いたら三十匹はいるもので、しかも性犯罪の再犯率は、高いと有名なノルウェーの消費税よりも高い。

 そしてこの男は、躊躇の無い襲い方からして絶対に初犯では無い。

 故に、自衛なのである。

 こんな時のために、靴底に鉄板は仕込み済みだ。

 常備している結束バンドで、男をひっくり返して後ろ手に組んだ親指だけを結んでおく。


「助けてくれて、ありがとうございました」

「あ、ああ、いや…無事で良かったよ」


 近くに落ちていた帽子を拾い、お礼を言いつつ渡した。

 先日駅で見かけた時と同じ帽子で、先ほどの見事な蹴りの際吹っ飛んだ様だ。

 映像でしか見たことが無いが、往年のミスタージャイアンツのダイビングキャッチの様な見事な吹っ飛びようだった。

 彼は華麗なダイビングキャッチをするために帽子をワンサイズ小さくしていたらしいが、カレーパンマンは目が隠れるほど深く帽子を被っていたというのに、ワンアクションで華麗に帽子を吹き飛ばした。これはもう主人公の所業だろう。

 やはりこの世界は『名探偵コナン』では無く『潜入探偵アムロ』が始まっていると見ていい。

 ならば、千華の進む道は唯一つ。


「…君は、何処かで会わなかったか?」


 先制するつもりが、出端を挫かれた。

 下手なナンパみたいなセリフだが、数日前電車の窓越しに一瞬目が合っただけだというのに、覚えられていたことに驚いた。

 いや、千華の隣には変装していたとはいえ、日本中を魅了したと言われている美貌の有希子がいたのだ。あらゆる方面にアンテナを張っているのだろう潜入探偵の記憶に引っかかりを残していてもおかしくない、と思うことにする。


「会ってますね。数日前に、電車越しですが」

「ああ!…いや、君も、よく覚えていたね」

「あなたが来る少し前に、ちょっと騒ぎがあって、しかも怪しさのバーゲンセールでまとめ買いしたみたいな人と一緒におられたので…」

「怪しさの、バーゲンセール…」


 一瞬ポカンとしたカレーパンマンだが、その瞳に探るような色が浮かぶ。


「…君、藤峰有希子に似ていると、言われないか?」

「工藤有希子です」


 反射で返して、しまったと思った。

 身元を探られているのに、自分から正解を差し出しては、個人情報保護法も何も無い。

 千華はカレーパンマンが警察の人間だと知っているからまだ良いが、全く見知らぬ他人にはヒントですら与えるのは好ましくない。

 どうも新一の代わりに物語の屋台骨を支えて行ってくれる期待の人だと思うと危機感が働かなくて困る。


 他にも細かい事を色々聞かれたが、有希子のファンなら年に一回サイン色紙をネットオークションにかけるから自力で落としてくれと言っておいた。

 落札金額はそのまま盲導犬協会などの慈善団体に寄付しているので、気張って参加して頂きたい。

 ネットなどがあまり得意では無い母に代わってそれらを仕切っていることを聞かれ感心されたが、言いたいことはそれじゃない。


 じれったい、じれったい

 何歳(いくつ)に見えても私誰でも

 じれったい、じれったい


「私は私よ、関係無いわ

特別じゃない、どこにもいるわ」


 ワ・タ・シ 少女A


「…中森明菜、だね」

「なんで分かるの!?」

「分かるさ。…少しリズムが乗っていた」


 新一はホームズを好きな人間に悪い奴はいない、という。

 だが千華は、80年代アイドルを好きな人とは分かり合える、と思っている。


 あの時代、大奥よりも激しい生存競争を勝ち抜き、現代ブラック企業の手本となるが如く馬車馬の様に働かされ、けれど笑顔と歌声で人々のアイドルという虚像を守り抜いたその精神力を愛さずにいられようか。


「…貴方は、信頼できる。お話したいことがあります」

「ありがとう、そう言って貰えると嬉しいよ」


 子供の言うこと、と気軽に頷いてくれたカレーパンマンに爆弾を落とすことにする。

 現在某組織に潜入中だろうに、子供の危機に駆けつけて助けてくれるお巡りさんこそ、きっと主役に相応しい。

 こんなこともあろうかと、いや、実は全くの偶然なのだが、温めていた情報が手元にある。


「あの、お兄さんはFBIの人ですか?」

「は?」


 は?、が一瞬にして地に響くような音程に達した。

 その反応に縮み上がりそうになるのを堪え、携帯に入っていたデータを取り出す。


「この動画なんですけど…」


 千華が米花町の恐ろしさに震え、外国の方が平和なのではと一縷の望みを託して各国の治安を調べた時に偶然見つけたものだ。


 とあるハイスクールで銃の乱射があり、FBIが鎮圧と事後処理に出動している動画で、千華がこんな恐ろしい国に行けるかと思った動画でもある。

 その殺伐とした映像の中で、遠目だがはっきりと分かる異彩を放つニット帽と長い黒髪の男…彼はFBIのジャケットを纏っていた。


「………ライ…?」

「あ、やっぱり一緒にいらしたお兄さんですか?FBIでアジアン系っていうだけでも目立つのに、あのニット帽と長髪だったんで、もしかしたらって思ったんでけど…」


 わざとらしいかとも思ったが、それよりもカレーパンマンは映像に気を取られてくれたらしい。


「これは、どこで?」

「アメリカの治安を調べていて見つけたんです。ちょっと移住も視野に入れていたことがあって…」

「は?」


 今度のは?は先ほどよりはマシだが、それでも十分重低音で怖い。

 潜入探偵の皮はどちらに脱ぎ捨てたのかと小一時間…いや、もう帰りたい。


「今は思ってませんよ!?日本大好き!日本最高!」

「そうだろう?日本良いよね?」

「もちろんであります!ご飯も美味しいし、四季は美しいし、サブカルチャーは楽しいし!!」

「そうだろう、そうだろう、日本は良い国だ!」

「あともうちょっと治安が落ち着いてくれれば、文句無しで良い国なんですけどねー!」

「ああ、いや、まあ…うん、そうだね…」


 だが二人はこの後、雑煮の餅の形が角か丸かで戦争を起こし、味噌汁の味噌が合わせであることで休戦し、日本刀の美しさと歴史を語り合い、GHQにたくさんの日本の宝と言うべき名刀が海洋投棄やガソリン焼却で破棄されたことを嘆き、アメリカを不俱戴天の仇とすることで和解する。


 そのせいか関係無いのか、某案件での時FBIはちょっと、気の毒な立場となってしまったのは事実である。




 カレーパンマンと穏便に別れ、ほくほく顔で千華は家路に着いた。

 裏路地なんかを走り回ったせいで、早く帰ってお風呂に入りたい。

 そこで忘れていた変態の通報をする。

 現場から随分離れてしまっているため戻るのも面倒で、既に何度もお世話になっているため名前だけ名乗っておけばいいだろうと通話を切った。


 主役になってくれるだろうカレーパンマンに例の情報を渡したのは、一刻も早く組織を壊滅し、米花町を平和にして欲しいからだった。

 この程度の情報で事態がどう転がるのかは千華ごときには分からないが、盛大なバタフライエフェクトは起こるのではないだろうか。

 欲を言えば、数年後の原作軸になる前に組織を潰して欲しい。

 もしそうなれば、確実に『名探偵コナン』は始まらないだろうし、この犯罪多発地帯も落ち着くと思うのだ。

 そしてそうなるならば、警察の人にこそお願いすべきだろうと思ったのだ。


 そこで、はたと気づく。


 自分が主要キャラに重要な情報を与えて、その後サクっと殺されてしまうモブキャラの立ち位置に立っていないか?…と。

 特に物語の進行に関係する訳でも無く、けれど情報だけは持っていた自分の立場は、かなり危ないのではないだろうか…と。


 ざっと血の気が引く音がした。





「優作さん!千華ちゃんが帰って来てから部屋に閉じこもっちゃって…!」


 悲痛な妻の声に、まずは落ち着くよう宥める。


「警察から、連絡があったんだね?」

「え、ええ、そう。いつもは事件に巻き込まれてもちゃんと事情聴取は受けてくるのに、今回は通報だけしてその場を去っちゃったみたいだから、何かありましたかって…!」

「ああ、通報数が多くて、私の子ということもあるが、千華はもう覚えられているんだね…」

「そうみたい。それで、心配して連絡してくれたみたいなんだけどっ」


 言葉を詰まらす有希子に、優作も嫌な予感を感じる。


「つ、捕まった男が…せ、性犯罪の前科が、あるって…っ!」

「っ!?」


 思わず、千華の部屋がある二階を仰ぎ見る。

 有希子は泣きそうなほど蒼褪めながら、それでも気丈にも真っ直ぐに優作を見つめた。


「帰って来た時、玄関を閉める音が大きかったから少し気になって覗いたの。その時はもう千華ちゃんは階段を上がっていて「何でもない」って、でも、警察からそんな連絡があって…っ」

「…ああ」

「ふ、服装はっ、大きく乱れて無かったと思うんだけどっ、でも、その後すぐにお風呂に行ったみたいで…っ」

「分かった。私が様子を見てくるから、有希子はリビングにいなさい」

「でも、こういう時は私が行った方が…」

「いや、父親を部屋に入れるか入れないかで測れるものもある」

「っ!」

「…だから、少し待っていて欲しい」


 優作の言葉に、有希子は歯を食いしばり、何とか頷いた。

 胸の前で白くなるほど握られた手が痛々しかった。




「…千華、入るよ?」


 返事は無い。

 けれど、何かが飛んでくるなどの拒否反応も無かった。

 だが、声を押し殺し、泣いている気配がする。


「千華、何があったか、言えるかい?」


 ピクリと反応した千華に一瞬優作は躊躇するが、けれどそのまま、そっと布団越しに千華を撫で、ゆっくりと続けた。


「…パパには、言えないことかい?」


 優しい優作の問いかけに、布団の中で千華は困惑する。

 言えないと言うか、言いたくないと言うか、言い方が分からないと言うか…。

 言ってもどうしようもないと言うか、ならばやはり言いたくないのか…。


「それとも…言いたくないことかい?」


 読まれた!

 流石心理のスペシャリスト。

 千華の震えが大きくなる。


「…いいよ。言いたくなければ、言わなくていい。…痛い所は無いかい?」


 ふるふると否定に振られた頭が布団の隙間から見えた。

 それだけで、優作はほっと肩の力が抜けた。


「…そうか、良かった。…ただ、これだけは信じて欲しい」


 無言を貫く千華の緊張が伝わったのか、優作が出来得る精一杯の優しい声音で話しかけてくれているのが分かる。


「…大丈夫だよ、千華。パパが必ず、護るから。絶対に、千華を護るから」


 頼もしい。

 工藤優作、本当に頼もしい!

 流石に一部でラスボスだと言われていただけのことはある。

 あなたの娘に生まれられて、本当に良かった!

 もういっそ、『潜入探偵アムロ』では無く、『小説家、工藤優作の憂鬱』が始まってくれてもいい。

 本業は小説家、けれどその類稀なる推理力を請われ、事件現場に行かずとも資料だけでまるで見ていたかのように事件を紐解く安楽椅子探偵。

 事件現場には行かない方向でお願いしたい。

 ヨーロッパ風の上げ下げ窓の前で一人掛けソファに深く座り、パイプを吹かしつつ資料を斜め読みして欲しい。

 何それ、カッコイイ。

 と言うか、その窓もソファも家にある。

 そっちでなら、モブで参加してもいい。

 パパ、お茶の時間よ?今日はママがケーキを焼いてくれたのとか言ってみたい。

 ぐすりと鼻を鳴らし、布団の隙間から見えていた優作の手にそっと自らの手を重ねる。


「……パパ、ありがとう…」


 優作はか細い娘の声を聞き、千華と重ねた手からは只々優しさだけを伝え、布団越しに肩に置いた手を強く握りしめた。

 その瞳に決意を宿し…千華が泣き疲れて寝入るまで、ずっと見えない娘を見つめていた。





 家族でいても事件に巻き込まれる。

 新一といても事件に巻き込まれる。

 一人でだって事件はやってくる。


 きっとこれが、工藤家クオリティ。


 先日変態に平和を脅かされたばかりだというのに、今日も今日とて千華はここが米花町であることを実感させられるはめになっている。

 危ない事件から逃げるために訓練しているパルクールの練習で、今正に襲われている人と犯人を目撃してしまう。


 これだから米花町は!

 これだから米花町はっ!!


 憤りに燃えながらも警察に通報し、だがそのせいで道無き道を進むことが出来ず、追って来た犯人に投げられた石で携帯を壊されてしまった。

 更に悪いことに、時間はまだ夕方だというのに人通りも少ない道に入ってしまった。

 夜に一人出るのは怖くて、かと言っていつまでも閉じこもっているのもあれだと夕方に練習していたが、もう二度としないと誓う。

 米花町の恐ろしさは重々分かっているつもりだったが、まだ認識が甘かった。

 そうして、後ろを気にするばかりで前方不注意になっていた千華は前から来た人とぶつかってしまう。


「あっ、ごめ…っ!?」

「大丈夫かい?」


 よろけた千華を支えてくれた人は…公安のアンパンマンだった。


「っっ、キャアアアアアアアっっっ!!!」

「へ!?え!?何!?」


 絹を引き裂くような乙女の悲鳴が、繁華街手前の人通りの少ない路地にこだまする。

 ついでに、忘れていた防犯ブザーも思いっきり引っ張り、悲鳴とブザーと狼狽える男の声とで混沌とした世界が広がった。

 千華は両手で顔を覆って頽れる。


「ちょ、え!?ええぇっ!??」


 公安のアンパンマンと言えば、「ボクの顔をお食べよ」位の自己犠牲精神で亡くなった人だ。

 そしてカレーパンマンの親友だ。確か。

 つまりそんな人とエンカウントしてしまうということは、ここはやはり『潜入探偵アムロ』の世界に違いない。

 絶望した。

 もしかしたら千華はそこでゲスト位の扱いになっているのかもしれない。

 そうでなければ、こんな主要キャラと出会うとかおかしい!

 『名探偵コナン』の準レギュラーからの脱却が図れそうであるのに、『潜入探偵アムロ』のゲスト入りとか、どちらにしても事件遭遇フラグは折れないというのか。

 神様は無情過ぎる。

 そんな風に嘆いている間に、千華達の周囲に数台のパトカーが止まった。


「千華っ!」

「千華無事かっ!?」


 その内の一台から優作と新一が飛び出して来た。

 蹲って絶望顔の千華を見つけ、真っ直ぐに駆けつけ抱きしめる。


「…っ、パパっ!お兄ちゃん~っ!」


 出て来た大勢の刑事と共に無線情報が飛び交う。

 千華達の姿を見て、安心したように頬を緩めた者達もいた。


『こちら3号車。刃物を持った怪しい男を発見!確保しました!』

『こちら5号車。血の付いた鈍器を持った女を発見!至急応援求む!』

『こちら8号車!今回の件とは関係無いかと思いますが、子供を拐かそうとしていた男を発見!確保!』

『こちら2号車!ゲイの修羅場を発見!職質に移ります!』

『こちら12号車!拳銃を隠し持っていた男達を発見!確保しました!』


 大捕物が起こっていた。

 米花町本当に怖い。


「…千華、お前が見た犯人は今聞いた中にいたかい?」

「えっと、刃物を持った男が持ってたのが鉈なら…」

「3号車確認!男が持っていたのは鉈か!?」

『こちら3号車!男が持っていたのは牛刀であります!』

「鉈だ!鉈を持った男がまだ他にいるぞ!探せっ!!」

『「「「はっ!!!」」」』


 米花町、本当に怖すぎる。

 だが、この刑事の動員人数はどういうことか…。


「…パパ、これは…?」

「ああ。千華と約束しただろう?千華を守ると」

「え?」

「正式にね、警視庁と契約したんだよ。今までは協力者としてその時々に求められればという形だったが、その変わり、千華や新一が助けを求めた時は、全力で捜査に当たってもらう、と。お前達はよく事件に巻き込まれるから…心配で仕方がない」


 優作の腕の中から新一を見れば、静かに頷かれる。

 どういう意味だ。


「お前のこの防犯ブザーも、音が鳴るだけでは無く、一度起動したら位置情報を知らせてくれるGPS付きだ。特別に作って貰ったんだよ」


 それはもしや、元お隣の博士作になるのでは…。

 秘密道具をコナン君に与えないように、早々に初恋の君との間を取り持って引っ越しして行ったと思っていたのに、優作とはまだ繋がっていたようだ。

 道理で、出かける時は忘れるなと念押しされる訳だ。

 おかしい…ただ事件から遠ざかりたかっただけなのに、何か違う話が始まっている気配がする。

 何も言えず、ただ涙だけが溢れた。


「…怖かったな。でも千華、もう大丈夫だ。ママが待ってる家に帰ろう」


 優しく抱き上げられ、優作の肩に顔を押し付けぎゅっと抱き着く。

 違う。

 違わないけど、違う。


「良かったなー千華ちゃん、お父さんとお兄さんが来てくれて」


 明るい声に顔を上げれば、優作の肩越しにいつかの爆弾の自殺志願者の刑事が、アンパンマンを確保して笑っていた。

 更にその向こうでは、鉈を持った男を発見の報が聞こえる。


「あっ、そのお兄さんは、違っ…」

「うん、大丈夫。分かってるよー、ちょおっと署でお話聞くだけだから、千華ちゃんは何にも心配しなくていいよー」

「え、あ…ん??」


 すごく良い笑顔の元自殺志願者と、諦めた顔で確保されているアンパンマンと、いつの間にか何故か自分の名前を知られている状況に混乱する。

 千華は事件や警察など物騒なものから距離を置き、来たるべき約束の日を避けたかったのであって、こんな風に警察と一丸となって悪と戦うぜ!的展開を望んでいた訳では無いのだ。

 正しいけれど、何かが違う。


「千華」


 新一の呼びかけに視線を向ける。

 ついでに、鉈男も確保出来たらしい。

 襲われていた人も一命を取り留めたと無線さんが言っていた。


「千華。オレも頑張るからな」


 何を。

 世界はやはり、いつだって千華に優しくない。





 とある警視庁内の取調室にて。


「……で、お前は、ちょっと言えない部署所属でどこそこに潜入中、ってことでいいのか?」


 完全に人払いもしてくれているこの空間で嘘をついても仕方が無い、

 組織ではアンパンマンでは無くスコッチと呼ばれている男は、がっくりと肩を落として観念する。


「~っ、頼むから誰にも言わないでくれよ~~っ!?」

「言わねーよ!つか、何でお前こんなことになってんの?」

「いやマジ、何でか俺も分かんねぇ…」

「…それでいいのかよ、潜入中」


 萩原の言葉に深く傷つきつつも、分からない物は分からない。

 女の子にぶつかったと思ったら、悲鳴を上げられて警察に囲まれ、同期に捕まっていた。

 状況を整理しても、やはり分からない。

 困惑に頭を抱えていると、懐の携帯が振るえた。

 メールを確認し、目を見張る。


「…………萩原」

「何?俺が聞いていい話?」

「俺、潜入中の組織でNOCバレしてた…」

「はあっ!??さっきの騒ぎでか!?」

「いや、それとは関係無しで。…あの騒ぎに巻き込まれてなきゃ、始末されてたかも」

「マジで!?」


 警視庁の取調室で気心の知れた同期と一緒という、今の状況にとってはある意味世界一安全な場所で冷や汗を流す。

 先ほどの捕物で捕まった内の何人かは、スコッチを始末するためにやって来た組織の下っ端だったのかもしれない。

 居場所を問う幼馴染からのメールに何と返せば良いのか、それが今一番の難問だった。



「こちら2号車!ゲイの修羅場を発見!職質に移ります!」


 パトカーの無線機に向かいそう告げ、一度切る。

 受信だけはしているので、あちら側はかなりにぎやかなのが分かる。

 保護を指示されていた工藤家の長女は、無事家族と合流出来たらしい。


 長女が防犯ブザーを鳴らすと自動的に110番がされる仕組みになっており、その後の通報は防犯ブザーに連動している盗聴器により音声が全て110番先に転送されるようになっている。

 その面白機能は何だと通達当初は思い、工藤優作は心配性の過保護親と笑っていたというのに、通達三日目にして使用されることになるとは思わなかったし、盗聴器越しに人生に絶望するかのような悲鳴が通信指令室に響いた時は度肝を抜かれたし緊張が走った。更に、続々と不審者が逮捕されている現実がかなり痛い。

 こんなに治安が悪くては、親が心配になるのも無理は無い。

 出動時、上の人間は苦笑していたが、今頃情報が集まる先で頭を抱えている事だろう。

 ただ、牛刀の持ち主だけは、離れた畑に野菜を取りに行く所だったとの事なので、どうかそれが真実であって欲しいと願うだけだ。

 包丁を抜き身で歩くなという厳重注意で納めたい。

 そして通報から十分、成人男性がジョギングで走れる距離二キロ、その倍の四キロ圏内が捜索範囲として捜査員が派遣されている。


 そして今、捜査一課の伊達とヘルプで組んだ松田が割り当てられた区間の路地に、怪しい二人の男がいた。

 松田はパトカーにもたれつつ警察手帳を見せてニヒルに笑う。


「…よぉ、お二人さん。しけこんでるトコ悪いが、ちょっとお話聞かせて頂けますかね?」

「誰がゲイの修羅場ですか!?」


 とんでもない報告を上げられた挙句、更にしけこむ等と揶揄された極地的一部でカレーパンマンと呼ばれている降谷とバイキンマンと呼ばれている赤井は頬を引きつらせ鳥肌を立てている。


「ちょっとしたお茶目だって。別に一斉検挙作戦でもねぇのにこの付近で検挙者が続々出てて、ちょっと本部がピリピリしてんだわ」


 あちこちでサイレンの音が響き、遠くでは銃撃戦が始まっている気配もした。

 眉を顰める降谷に苦笑し、松田は赤井に向き合う。


「…で、あんたは不法入国してるFBIの赤井秀一で間違いないか?」

「っ!?」

「な!?」


 息を呑む赤井と、そちらをちらりと見て松田を見定めようとするかの様な降谷に、この二人の間でもホウレンソウは無かったようだと確認する。

 何かの切り札として持っていたネタだったとしたら申し訳無いが、こちらにも事情がある。


「まあ、あんたも上の命令での潜入任務中なのかもしれないが、今ちょっと日本に居られると困るんだよな~」

「は?」


 降谷を気にしてか狼狽える赤井を無視し、表通りから数人の捜査官が駈けて来た。

 ゲイ報告とは別に伊達が呼んでいた応援だ。


「続きは署でな。逃げてもいいけど、その時は世良親子に事情を聞くことになるから、ま、考えて行動してくれや」

「!?」


 愕然とする赤井に、松田はニッと斜に構えて笑う。


「あんまり、日本警察馬鹿にしてくれるなよ」


 呆然としたままの赤井を捜査員が規定のまま身体検査をすると、拳銃を始めとした違法な物がゴロゴロ出て来てしょっぱい顔になる。その全てを取り上げられ連れられて行く赤井を見送り、まあ、虎の威を借る狐というか、他人の褌でとった相撲なんだけどな…と小さく呟き、残された同期に向き直る。


「おーい、正気か?」

「あ、ああ。何だかお前達は、俺よりずっと情報に明るいみたいだな…」

「いや、そうでも無いが…。降谷、お前に聞きたいことがある」

「何だ?」


 松田と伊達は互いに視線をやり、お前が言えよ、いやお前が、というやり取りを無言で何度か繰り返した後、伊達がパトカー内に隠れてしまったため松田が大きく溜め息をついた。


「なんなんだ?」

「降谷!」

「は?」

「お前数日前、女子中学生を襲ってたりしないよな!?」


 がしっと肩を掴まれ、真剣な瞳が降谷を射抜いた。

 視界の端に伊達も何か言いたげに顔を出して来たが、脳みそが認識を拒んだ。


「………………はああぁあ!!??」

「よし!違うな!それだけ分かればいい!続きはお前も署で聞こう!」

「はあ!?ちょ待っ、え!?何が、いや、待て松田っっ!!!」

「簡単に説明すると、小説家であり、警察の難事件アドバイザーの工藤優作氏の長女が、数日前泣きながら帰宅した、らしい」

「はあ!?て、いや、俺が彼女に会った日か!?」

「そう、その日。氏は徹底的にその日長女があった人物を調べ上げ、お前と接触があったことを確認。更に数日前、お前を含めた三人とすれ違っている事実を突き止めた」

「っ!?」

「捕まったのは別の野郎だが、さっき連れてった赤井がFBIであることを長女の持っている動画から知っていた氏は、お前等三人がどうも怪しいと更に重箱の隅をほじくる勢いで調べ上げた。そして分かった事実を、個人的に親交のあった萩原を介して、俺達にも知らされた」

「なっ!?そんな、危険が…っ」

「俺達の口が堅いことを信用しての情報提供だ。今までぬらりひょんの様に気まぐれに事件解決に手を貸していた氏とは違う。…目的が、あるらしい」

「警察組織を傀儡にすることか?」

「いや、違う。氏は…」



『娘が日本で暮らしたいらしい。

 ならば、日本を平和にしなくてはならない。

 だから、邪魔な犯罪組織など、無くしてしまわなければならない。

 そして、それは娘の暮らす日本に不利益があってはならないことだ』



「…という事らしい」

「は?え?なんだその起承転結?小説家だからか?え?突っ込み所が多過ぎてどこから突っ込めば!?」

「うん、分かる。すげー分かる」

「俺等もこんな感じだったよな…」

「そう。だからもう、考えるな。感じろ」

「何を!?」

「理屈で片が付くならモンペはいねーんだよ!」

「なんでそんな奴アドバイザーにした!?」

「犯罪都市東都が眠らねーからだよっ!!」

「ど畜生っっ!!!」


 この後情報を詰めるために本当に署に連行されたため、降谷は組織からの指令に気づくのが遅くなった。

 その頃にはスコッチを追っていた組織の下っ端達は、投網で総浚いされるかの様に哨戒していた捜査員達に一網打尽にされ、あまりの銃刀法違反等の検挙数の多さに話半分で聞いていた工藤千華の犯罪者ホイホイレベルは警視庁を震撼させた。

 冤罪である。


 そして、必死に幼馴染の無事を問う降谷の尋ね人が隣の取調室にて返信に迷っていることは、まだ誰も気づいていなかった。





 殴りたい、その笑顔。


 商業ビルの一角で起きた事件。

 その騒ぎに巻き込まれ、規制線の外からじっと事件現場を見つめる新一に声をかけて来たのは、野球帽を深く被った色黒の少年だった。

 新一に寄り添っていた千華は、突然現れた見知らぬ少年に警戒心が上がる。


「あんたが、警視庁の秘蔵っ子探偵、工藤新一、やな?」

「お前は…?」

「オレは服部平次、探偵しとる。おとんが大阪府警に勤めとってなぁ、あんたの噂は聞いとるで?」


 千華の体にチベットスナギツネの神がご降臨された。

 妹の様子に頬を引きつらせ、憑依からの攻撃に移る前にと新一が前に出る。

 そんな新一の後ろで、ボイスレコーダーのスイッチをそっと押した千華が、それを新一のズボンの後ポケットに捩じ込む。


「…ゴホン。あ~…服部って言ったか?お前はオレを知ってるんだな?」

「はっ。謙遜せんでもええやん。警視庁やと随分ハバきかせとるらしいやん?」

「…どこで聞いたんだ?それを」

「まあ、オレにも情報源があるっちゅーこっちゃ。それより…この事件、勝負せんか?どっちが先に解くか」

「…この事件にオレ等の出番はねーよ。警察の管轄だ」

「はあ?現場入らんのか?」

「謎もトリックも無ければ、探偵の仕事は無いだろう?鑑識さんが集める物証だけで捕まるさ」

「はっ、悠長な事言うとるわ」


 新一の言い方が気に食わなかったのか悪態をつくが、ふと新一の影に居る千華を見咎め挑発する様に嗤う。


「あんたはどう思う?」


 その言い方にカチンときた。

 こいつを試してやろうという態度が癪に障る。


()()が合って指が触れ合うその時 すべての謎が解けるのよ」

「は?何言うとんのや?」

「カムフラージュ」

「何のカムフラージュや?」


 全く意味が分からないと顔で語る服部に、わざとらしく溜め息をつく。


「竹内まりやよ」

「あ?誰やそら」


 こいつとは分かり合えない。

 千華はそう思った。

 ジェネレーションギャップは慈悲とはならず、何がヒントになるか分からないのだから、あらゆる方面に知識のアンテナ張っとけ、という八つ当たりで思考を閉じる。

 そこで、今まで黙って静観していた新一が噴き出した。


「ブフォッッ!!」

「何や!?」

「か、歌手だよ。昔ドラマの主題歌にもなった曲…!ぐふっ」

「はあ!?何やそれ!?人の事からこうたんかい!?」

「からかってなんかないわよ」

「ああ、ふざけた事ぬかしといて何言」

「馬鹿にしたのよ」

「!!???」


 側溝に落ちている薄汚れたエロ本拾おうとしている三十代半ばの男を見つけた時の様な目で服部を見る千華。

 唖然とする服部に新一がゴフっと咽る。


「………お兄ちゃん、先行ってるから」

「待て待て。一緒に行くから、ちょっと下で待ってろ」


 一瞬眉を顰めるが、仕方が無いと頷きキッと服部を睨め付ける。


「そこの自称探偵!」

「はあ!?誰が自称探偵や!?」

「儲けが無いなら自称でしょ!?『自称』取りたきゃ確定申告してから名乗ってよね!あんたみたいな人は『め組のひと』でも歌ってればいいのよ!」


 服部が何かを言う前に千華は踵を返し、階段を降りて行った。


「…何やあれ。めっちゃ感じ悪いわ!!」

「仕方ねぇよ。だってお前千華に嫌われてるし」

「はあ!?オレがあの嬢ちゃんに何したっちゅーねん!?そもそも何でお前はんな昔の曲知っとんねん!?」

「お前の態度も大概だったと思うがな。あと、うちは結構母さんが当時の曲家でかけてるから自然に覚える。…なあ、うちの妹、千華の髪、すげぇ短いだろ?」

「は?まぁせやな…サイドはちょい長いのに後頭部はオレ等よか短くしとんな。なんや、長い方が似合いそうやのにな」

「あれ、オレのせい」

「は?」


 何の事か分からず新一を見れば、少し痛そうに笑って近くの自販機の隣にあったベンチに腰掛けた。

 ちょいちょいと隣を指し示され、服部も腰を下ろす。


「ちょっと前まであいつの髪、肩甲骨位まであったんだよ」

「は?え?なんや、失恋でもしたんか?」

「んなんじゃねーよ。…昔から千華に口を酸っぱくするほど言われてた。人前で推理を披露するな。加害者も被害者も、他にどんな関係者がいるか分かんねぇトコで無防備に真相を話すな、警察にだけ伝えろって」

「なんでや。犯人の前でお前がそうやって追いつめんのがええんやないか」

「…オレもそう思ってた。けど千華は、そういうのは危ないから止めろっていつも言ってて、オレも気をつけるようにはしてたんだけど、目の前に犯人が居て、警察には通報してたけどそいつが逃げないように観念させるためにその場で推理を披露したんだ」

「まあ、せやろな。そんだけ分かっとったらオレもそーするわ」

「…そうして推理を披露して、犯人の仲間が逆上した。オレじゃ無く妹を襲って…千華は髪を切られた」

「…っ、それは…」

「痕に残るほどじゃ無かったけど、他にも切り傷とか、倒された時に出来た擦り傷とか色々怪我させてさ…それでも、千華はこう言ったんだ」


 病院で手当てを受け、ざんばらに切り刻まれた髪はそのままに一度自宅に戻った。

 有希子は一番髪が短くなった後頭部を撫でて泣いていて、優作は難しい顔をしていた。

 罵倒されると思った。

 ほら見た事かと、だから言ったじゃないかと憎まれることも覚悟した。

 けれど千華は…。


『ラッキー!!髪で済んだ!!』


 そう笑って言った。

 呆然とする新一と有希子と優作に、肩の荷が下りて安堵した様な笑顔を向けた。


『パパやお兄ちゃんが推理ショーを続けるのなら、いつか絶対こんな日が来ると思ってた!腕や足の一本も持ってかれるんじゃと思ってたけど髪で済んだ!女の髪は命って言うけど本当だね!五体満足!髪のおかげで命拾いしたよ、伸ばしてて良かった!まあ、今回はだけど』


 最後に続けられた言葉に死にそうになった上に、取返し用の無い障害を負うことも覚悟していた様な言い方に血の気が下がる。

 けれど、千華の瞳に恨みは欠片も浮かんではいなかった。


『……なんで…』

『お兄ちゃんに足りないのは、推理力じゃなくて、想像力だと思うの』

『は?』


 意味が分からない、という顔をする新一に、千華は講義をする教師の様に続ける。


『だってお兄ちゃん、どういうトリックを使ってどういう流れでこういう事件が起こった、てことは分かっても、犯人の思いも被害者の気持ちも分かんないでしょ?』

『そんなことは…っ』

『うん、事件を起こすにあたっての気持ちとかは推理してるんだろーけど、そういうことじゃなくて…』

『どーいうことだよ…』

『うーん、一番お兄ちゃんに分かり易いかもしれない言葉で言うと…人って、理性とか良心とかしがらみとか文集をニュースで読まれたくないとか、そんな色々思う所はあっても犯罪を犯さない様に普通は我慢してると思うのね?』

『…ああ』

『でもじゃあ、そこを乗り越えて犯罪を犯しちゃった人は?理性とか良心とかそういう箍が外れちゃって犯罪犯して、目の前にある問題を殺人って手段で解決しようとした人は、自分の罪を逃れるために仕掛けたトリックを解いたお兄ちゃんっていう新しい問題を、どうするかな?』

『…排除、しようとする』

『うん、千華もそう思う。事件を解いたお兄ちゃんを消しちゃえばその罪から逃れられるって思ってるのか、ただの八つ当たりかは分からないけど。それは殺人って手段かもしれないし、誘拐って手段かもしないし、脅しかもしれない…その標的は、お兄ちゃんじゃなくて千華かもしれないし、ママやパパでもおかしくない。事件を解いた工藤新一の家族だから。今回みたいに』

『…っ』


 ゆっくりゆっくり語られる言葉が耳に痛い。

 そう、こんな事は初めてでは無かった。

 これほどはっきりと被害が目に見えることも無かったが、千華が傷つくのは、初めてでは無い。

 綱渡りの様なバランスの上で、今までたまたま無事だっただけなのだ。


『その上で、被疑者や関係者集めてやる推理ショーって、必要?

それが、最善?』


 静かにそう告げた千華に、新一は痛む胸を押さえて俯くしかない。

 その耳に、柔らかな妹の笑い声が響き、思わず顔を上げる。


『…やあっと、千華の言葉がお兄ちゃんに届いた』


 そう、とても嬉しそうに、けれどどこか泣きそうな笑みを浮かべて言った千華の言葉を、新一は決して忘れないと思った。




「…………」

「そんなことがあって、俺は事件現場でゲームみたいに勝負にするのも推理ショーもやらねーって決めた。…大事な奴の命がかかってっからな」

「……さよか」


 話し終え、新一は立ち上がる。


「なあ、服部。お前にオレのやり方を押し付けるつもりは無い。けど、一度しっかり考えた方でいい。オレ達がやってることが、どういう事なのか。どんな結果が付いてくるのか…」

「……せやな」

「まあ、その前にお前が今容疑者だけどな」

「……は!?」


 あっけらかんと言われたそれに、服部は反応が遅れる。


「言ったろ?家族を護るためにもオレが事件に協力してるのは警視庁では秘密にしてもらってるんだ。なのになんでお前はオレの存在を知ってたんだ?しかも、紹介してもいないのに、千華がオレの妹だって知っていた様だよな?」

「は!?そ、そら…っ」

「大阪府警内だけで無く、私人であるはずの服部平次の耳に、秘匿されているはずのオレの情報を入れたのは…誰だ?」


 だらだらと冷や汗を流す服部の肩をがっしりと掴む。

 父親譲りの整った容貌に浮かべた母親譲りの華やかな笑みであるのに、全く笑っていない目が怖い。


「はい。午後三時二十五分。服部平次私人逮捕しまーす」

「ちょ、待っ!話せば分かるてっ!!」

「おう、歌う気満々でありがてー限りだな。下で千華が車待たせてるから、警視庁でその辺りぜーんぶ吐いてもらおうか?」

「は!?歌うて、まさかっ!?」

「おうよ。千華も言ってたろー?お前に歌わせろって。情報漏洩についてたーっぷり吐いて(歌って)もらうぜ~」


 粋な事件(こと)起こりそうだぜ めッ!


「分かるかい――っっ!!」





 まだカラスも餌漁りに活動し始めてもいない早朝、伊達は後輩の高木と共に張り込みを終え、警視庁に戻るための道をのろのろと進んでいた。


「……ああ、くそ眠ぃな~…」

「まあ、事件は無事片付いた訳ですし」

「こんだけ手間かけさせて片付いてなきゃ、犯人一発ボコりに行く」

「じょ、冗談ですよ、ね…?」

「ハハハ…」


 疲れが限界に来ているのか、会話に実が無いにも程がある。


「そーいや、高木―」

「おーい、伊達―っ!」

「「は?」」


 遠くから伊達を呼ぶ声に振り返れば、伊達の同期の二人も気怠そうに歩いているのを見つけた。


「萩原に松田…何だお前らこんな早く…」

「早くねーよ、おせーんだよ、今上がりだ」

「お前等もか…俺等も張り込み終わって戻る所だ。お前等はまた爆弾か?」

「そう!んなに爆弾作りたきゃ、爆破解体業者にでもなれって話だよなー!」

「証拠品で保管すっから、リサイクルも出来ねぇしな…」

「あの…」


 同期の気安さで話し始めた三人に置いて行かれた高木が遠慮がちに声をかけば、はっとした伊達が気づく。


「すまん、高木。俺の同期で萩原と松田。今は爆処にいる」

「どーもー、よろしくな!まあ俺等はお前さん知ってるけどな!」

「そうだな。工藤件で何度か動員された時見かけたな」

「へ!?す、すみませんっ!」

「いやいや、お前等ほとんどすれ違ってただけだろが」


 同期の阿吽の呼吸で遊ばれる新人は哀れだが、かなりの確率で若人が通る道だ。

 たくましく育って欲しい…特にこの日本のヨハネスブルクで生き残るために。


「そーいやさ、伊達。彼女の家に挨拶行くのっていつだっけ?」

「…今日」

「ああ、そんな日の朝まで張り込みかよ…お疲れさん。じゃあ指輪はもう渡したのか。どんな反応だった?」

「……まだ、渡して無い」

「「…は?」」


 そろりと視線を外して距離を取った先輩と固まった先輩達に、新人はオロオロと両者の間で視線をラリーするしかない。


「おっまえ、指輪も渡して無いのに、なんで彼女の両親に挨拶する話になってんの!?」

「プロポーズは!?まさかプロポーズもまだなのか!?」

「いや、プロポーズはした…」

「はあ!?じゃあなんで指輪渡してねえの!?」

「タイミングが無かったんだよ!」

「プロポーズ以外のどのタイミングで指輪渡すんだよ!?」

「プロポーズしてて、両親に挨拶の話になってて、何でまだお前が指輪持ってんだ!?」

「意味分かんねぇ!ナタリーちゃんに伊達は本当は褌愛好家だって言っていいか!?」

「そうだ!褌愛好家だってバラすぞ!」

「誰が褌愛好家だ!?あれは地元の祭りで…っ!??」


――― ドガァアンッッ!!!


「「「!!??」」」

「伊達!?」

「おい伊達っ!」

「伊達先輩っっ!!?」


 距離を取っていた伊達が萩原と松田に詰め寄ろうとした時、突っ込んで来たトラックに一瞬伊達の姿が消えた。


「大丈夫か!?」

「ぐっ…、いってぇ~…」


 道路に横たわる伊達に駆け寄る。


「怪我は!?…打ち身位か?血は出てねぇし」

「あ~…服引っ掛けられて、引っ張られた…か?」

「そうか…。萩原!トラックの運転手は!?」

「気ぃ失ってるが、生きてる!」

「高木!救急車は!?」

「手配しました!!」


 ほんの一瞬前まで伊達が居た場所に突っ込んで来たトラックの姿にぞっとする。

 あの一歩の踏み込みが無ければ、伊達はトラックと壁の間にいたかもしれないのだ。


「伊達っ!?生きてるな!?」

「…う、ああ…痛てえけど、まあ…てっ」

「生きてろよ!?死んだら棺桶の顔の周りに褌入れてやるからな!?」

「…は!?」

「絶対やるからな!?花の代わりに褌で埋め尽くしてやる!!」

「あ!?」

「ぼ、僕もっ、献花じゃなくて献褌します!!」

「ああ!?」

「天冠の替わりに褌頭に付けてやるからなっ!?」

「はぁあ!??」


 献褌ってなんだ!?という言葉は声にならなかった。

 救急隊が到着した後も、トラックの運転手の方を先に搬送させたせいで、伊達の周りではいつまでも褌という言葉が飛び交うカオスな空間となり、早朝のため多くも無いが、周囲で見守っていたヤジ馬含め、大勢の人を混乱の渦に叩き落した。

 そして、伊達は絶対に死ねないと死んだふりをして搬送された。

 あの道は二度と通らない。


 伊達の怪我は命に別状は無く、連絡を受け病室に駆けつけたナタリーに盛大に泣かれ、そこでやっと指輪を手渡すことが出来た。

 泣き濡れたナタリーが意趣返しに作った花束や紅白のお狐様等の褌アートで病室を飾り、何も知らない見舞いに来たナタリーの両親と伊達の両親が布でこんな風に作れるのかと盛り上がり、両家の顔合わせは褌に囲まれつつ和やかに終了した。

 伊達は終始頬を引きつらせていたが、その病室の廊下で、松田と萩原と高木が声を殺したばかりに腹筋に多大な負荷をかけ負傷した以外は特に問題は無い。


 目を真っ赤にしつつも、左手の薬指に嵌められた指輪を幸せそうに見つめるナタリーがいるのなら、伊達はそれでいい。




 後に、居眠りによる巻き込み交通事故の事例として警察白書に記載されることとなったこの事件は、『伊達フン事件』として警視庁内で長く語り継がれることとなる。


 『伊達褌事件』では無く『フン』にしてくれた所に、上層部のなけなしの優しさを感じると、工藤優作氏は語った。





 学校帰りに寄った銀行で、千華は銀行強盗に巻き込まれた。


 また、と言えば良いのか、やはり、と言うべきなのか、『潜入探偵アムロ』が始まって随分経つはずなのに、千華の事件遭遇率は減る様子を見せない。

 挨拶もせずに消えるのは不義理だとでも思っているのだろうか、死亡フラグの奥ゆかしさといったら他の追随を許さない。そんな些事は気にせず、さっさと消えて頂きたい。

 そしてやはり『潜入探偵アムロ』のゲストキャラ化しているのだろうか、この騒動が片付いてもカレーパンマンの姿が見えなければまだモブへの道ワンチャン…とも思っている。


「手を上げろ!動くな!」

「大人しくしてたら傷つけねぇ!逆らったら殺すぞ!?」

「行員さん、お客様達を傷つけたく無かったら、早くお金を用意してくれる?十億円」


 怯えて動きの遅い銀行員を拳銃で脅して急かす。

 強盗の人数は男二人と女一人の三人、全員が目出し帽という古式ゆかしい強盗スタイルでの登場に、一瞬ドッキリかイベントか訓練かと思った。

 だが、行員達の狼狽えように、あ、本番か、と思い直す。

 突然遺体とこんにちはするよりはマシだな、と思う辺り、かなりこの世界に毒されている…千華は現状にしょっぱい気分になった、と共に、ふつふつと怒りも湧いてくる。


 警備員か案内係の行員かは分からないが、その内の一人に拳銃を向け脅しているが、この世界で覚醒して十年、不本意ながら様々な犯罪に巻き込まれてきた千華には分かる。

 犯人は素人だ。

 女は比較的冷静そうだが、男二人は今オレが世界の主役だと言わんばかりに興奮し、瞳孔が開いている。

 あれは何かの不幸な偶然でも無ければ引き金など引くことも出来ない小心者だ。

 その証拠に拳銃を手にしているというだけで、誰も自分に逆らえないと気が大きくなっている。

 端的に言えば、ムカついた。

 ぐっと一歩踏み出す。


「金が欲しけりゃ、働けや―――っっ!!!」


 突如響く怒声。

 銀行内の時間が止まったかの様に、金の用意をしていた行員達も、犯人も、人質達も息を呑んで発声元を見やる。

 その声の持ち主とは思えないほどの美少女が、阿修羅の如く立っていた。


「な、何だお前っ!?」

「受験生よっ!!」

「は!?」


 千華はすぐ近くにあった記入用のミニテーブルを力任せに叩く。

 想定以上に響いた音に、犯人・人質・行員の差無くビクリと肩を竦める。

 狙った通り、犯人の肝は大して据わっていない。

 巻き込んだ人達はごめんなさい。

 そもそも手を上げさせたのは犯人だ。千華は手を下ろしただけである。


 また、基本善良な日本人は『受験生』に対して優しく出来ている。

 特に受験会場に遅刻しそうな受験生などは、祭りの一体感に匹敵する優しさに包まれる。


「問一!あんた達のこの行動は、受験期を迎えた受験生の時間を浪費するに値するか否か!?」

「は!?え!?あ、え!?」


 唸れ、大女優の遺伝子!

 傲慢で、居丈高で、けれど話を聞かずにはいられない、そんな女を演じるのだ。


「問二!このクソ騒動が片付くまでの時間を求めよ!また、その間に出来る相応の参考書ページ数は!?この後拘束されるだろう事情聴取の時間も入れる!」

「う、あ、そのっ」


 狼狽える犯人達に畳みかける。


「問三!犯罪に巻き込まれた未成年の心の傷、それが受験日当日までに癒える可能性。また、それまでの受験計画が崩れたことでのその後の人生に与える影響は!?」

「あ、う……っ」


 目的を忘れさせろ。

 問題をすり替えて、違う嵐に巻き込むのだ。


「……あんた達そうなった時、責任取れるの?」


 地に響くその問いに、答えられる者などいる訳が無い。


「うううっ、うるさいうるさいうるさいーっ!!俺のせいじゃない!!俺のせいじゃないっっ!!」

「知らん知らんっ!!俺は金が欲しかったんだっ!!金が欲しかっただけなんだっっ!!」

「世界中の大半の人間は、金が欲しかったら働くのよ!!」

「働かずに金が欲しかったんだよっ!!」

「ド阿呆!!たかが十億で何抜かしとるかっ、愚か者がっ!」

「何でだよ!十億あれば遊んで暮らせるだろう!?」

「それが甘いっつってんの!Red/Bull飲んで東都タワーから紐無しバンジーやって、翼が授かると思ってるより甘いっ!十億ったって、あんた等三人いるんだから、単純計算で三億ちょっとでしょう?一人殺しても五億、二人殺して独り占めしてやっと十億じゃない!」


 男二人が互いを見た。


「そもそもその金どーすんの?別の銀行に預けるの?銀行強盗が入るかもしれない銀行に?それとも手元に置いとくの?いつ泥棒が入るか分かんない自宅に?」

「あ、えっ」

「そ、それはっ」

「会社の金着服した三億・六億のバカも、宝くじ当たった二億・三億の人も、数年で使い切ってるんだよ?知らないの?」

「へっ!?」

「数億の金なんて、今まで持ったことない人が使い切るのなんてあっという間ってこと!金の使い方知らないからね!よくやるのがクルーザーを買う事だよね。何でクルーザー欲しいのか知らないけど、あぶく銭手に入れた人が欲しがる娯楽品、クルーザー。これ安くても一千万円するし、そこそこの物欲しかったら軽く一億超えるし、年間の維持費だけでも百万位?それが毎年?でもクルーザー乗るために近場に家建てたり部屋借りたりしたら、あと幾ら残ってるの?夜の街で遊ばないの?お姉ちゃん達侍らせて、シャンパンタワーやらブランドバッグのプレゼントやらで一晩に百万円使ったりしないの!?コースで云万円のディナーをしたりしないの?一本云十万円のワイン集めたりは?遊んで暮らす、を舐めてんじゃ無いわよ!!」

「「…っ!?」」

「数億の金なんて、遊んで暮らしてたら、一生所か早けりゃ三日、長くても五年よ!その後どーすんの!?また強盗するの!?盗んで逃げて、盗んで逃げて、友人も恋人も家族も子供も出来ないまま故郷にも帰れないあんたの未来に何があるの!?言っとくけど、金がある間に寄って来た人間は、金が無くなれば消えるからね!?」

「うっ、あ…っ」

「オレはっ、オレはあぁああぁっっ!!」


 拳銃を落とし、崩れ落ちる男達に、紅一点の女はオロオロしている。

 あなた、犯罪には向いてないよ…。


「……自首しなよ」

「「!!?」」


 金を手に入れて高飛びだーヒャッハー!から暗い現実を突きつけられ、主役から一転、エキストラ所かエキストラ落選組になった男達に、蜘蛛の糸を垂らす。


「更生するなら今しかないよ?下手に強盗が成功しちゃったらおじさん達、執行猶予無しの実刑だよ?実刑で何年も就業歴の無い履歴書見て採ってくれる優良企業なんてどこにも無いし、万が一この強盗が上手くいって逃げ延びたとしても…数年後には橋の下のダンボールハウスで冷たくなってるよ?」

「「うわあああああっっっ!!!」」


「確保――――っっ!!!」


 飛び込んで来た警官達に道を譲る。

 この場合、自首になるのだろうか…。

 ブラインドが下ろされていたせいで、警察が来ていることに気づかなかった。

 警官達に手錠をかけられ、「十億って、十億って大金じゃねぇの?そんなにすぐ無くなっちまうの?」「一生使い切れ無い金が十億なんじゃないのか?分かんねぇ、金の事が分かんねぇっ」と喚く男達と、物も言えずがっくりと項垂れた女が連行されて行った。


 ざわざわと落ち着きが無い銀行内で、集まる沢山の視線をものともせず、千華は壁掛け時計に目をやった。

 午後二時五十分。

 解放され、毛布を掛けられたりソファに座り込んだりして警官達に労わられている人質達の間を縫って窓口に突進する。


「すみません!受験料の振り込みお願いします!!」


 犯罪に巻き込まれ、震えて保護されているだけだった一部の人達を正気に戻すには、十分過ぎる言葉が響いた。

 今日の目的を思い出す。


 そうして振り込みが終わり、大混雑中の窓口を後目にやっとほっと出来た千華は事情聴取を受け、「カッとしてやった。後悔はしてない」と告げ、あれ?この子被害者の方だよね??とその場にいた警察関係者達に揃ってしょっぱい顔をさせることになった…が、そろそろ慣れて欲しいというのが千華の主張だ。

 犯罪を防ぐための高尚な会話術など、千華が知る訳が無いのだから。



 その裏で、変装したアンパンマンがそっと銀行を後にしたことを、千華は知らない。

 銀行から離れ、人目の付かない駅裏まで移動し携帯をかける。


「あ、ゼロ?組織の任務は終わったのか?…明美さん捕まった。…え?いや、俺もそのために来たんだし、フォローしようと思ってたんだけど、んな隙欠片も無くてだな……いや、警察じゃなくて、FBIでもなくて…ほら、男爵の娘さん。…そう。……あの子、ホントすげぇわ…」



 麻生圭二というピアニストがいる。

 通常は世界を股にかけて活動しているが、今回の日本公演ではキッズ・コンサートを開くとのことだ。


 普段クラッシックのコンサートでは幼児は入場も禁止になることが多いが、稀にこうして子供達が騒いでも怒られないコンサートが開かれることもある。

 今回、このコンサートは有希子の伝手から貰ったものだが、生憎末っ子の予防注射と重なったため欠席し、新一は初めてかもしれない父と二人だけの外出にかなり興奮していた。

 いつもは四人一緒か、母と妹との三人でのお出かけなのに、今日は父は新一だけの父なのだ。

 それだけで、注射を打っても泣きもせずぼんやりしているだろう妹が大好きになった。

 感覚が研ぎ澄まされ、小さな違和感すらも拾い上げるほど神経が尖っていた。


 コンサートが始まり、音の奔流に新一は飲まれる。

 ピアノの音、子供達の歓声、親の声、ホールに跳ね返る音、床を跳ねる音、その全てが新一を包み込み、けれど確立した個として圧し掛かって来る。

 そして、転がる違和感。


 おかしくないけれど、おかしい。

 何がと言われると、あまりに微か過ぎて判然としない。

 音を頬を紅潮させて楽しんでいた新一が、しきりに首を傾げる姿に優作が気付く。


「どうしたんだい?新一」

「あのね、へん」

「変?何が変なんだい?」

「えっと、音?つまってる?いきどまり?んん?? 」


 まだはっきりと言葉に出来ないでいるが、その新一が感じている何かが優作では分からない。

 その間も新一は真剣に耳を澄ます。


「……ぴあの…」

「ん?」

「ピアノが、へん」


 謎が解けてすっきり、という風ににっこり笑った新一は、また音の奔流に流されることを楽しみだした。

 それを横目に、優作は思案する。

 子供の戯言と流して良いものなのか、それは優作の勘が教えてくれる。

 新一がその耳と勘の元、答えを出したように。


「………」


 もしかしたら、自分の息子は絶対音感を持っているのかもしれない、と思ったのは、それが初めだった。






 コンサートに行った日の夜、そのテンションで限界以上に神経を研ぎ澄ませていたらしい新一はあっさり高熱を出してダウンした。

 予防接種をした千華も揃って熱を出し、若夫婦はオロオロと看病に走った。

 そして、二人が熱に魘されている間に、麻生圭二と幼馴染達が麻薬の不法所持と売買で逮捕されたニュースが流れたが、生憎工藤家の大人はそれを見る余裕は無く、懇意にしている警部から優作が概要だけを知らされた。



 優作の息子は予想通り絶対音感の持ち主だったが、酷い音痴であることが判明するのは、熱が一足先に下がり、妹に子守歌を歌って泣かせる二日後のことで、賢く何でも吸収し、探偵に憧れる息子に、まるで研究対象を前にした学者の様に天井知らずに何でも与え、娘にブチ切れされるのは、この二年後のこととなる。





 新一の二歳年下の妹は、蘭と顔を合わせると顔を顰め、それを隠そうともしない。

 その態度は彼女が小学校に入学した時には既に確立されていて、高学年になった今でも変わらない。

 それを見る度に蘭は力無く困った様に笑うため、蘭の親友を豪語する園子は気に障って仕方が無い。


「ん~、私は、出来れば千華ちゃんとも仲良くしたいんだけど…」

「はあ!?なんであんな子と!?」


 苦笑する蘭に思わず勢い良く振り返る。

 蘭はいつもの力無い、そして仕方が無いと言わんばかりの笑みを浮かべて言った。


「千華ちゃんは私には結構塩対応だけど、それはある意味仕方ないっていうのもあってね…」

「一年生の時に、工藤のおばさまを取りかけたってやつ?そんなのもう何年も前のことじゃないっ!」

「いや、あの、実はその後も、何度かやらかしてて…」

「はあっ!?」


 一番初めの別居騒動の時、盛大に千華に敵認定を受けた蘭だが、新一とはクラスが同じこともあってそれなりに親交が続いていた。

 結局はあの二年後に正式に別居となってしまったが、それは両親が嫌い合ってのことでは無く、仕事の関係など色々な面を考慮してのことで、蘭にも納得がいく様に話してくれたからいい。

 離れていても家族なのだと思えたから。

 けれど、別居してからしばらく経つと、小五郎と英理は顔を合わせる度小さなことで喧嘩ばかりして、蘭はせっかく家族が揃った日だというのにそれをどうするとも出来ず、二人の間で狼狽えるしかなかった。

 そのため学校でも暗い表情をしていたのか、一早く気づいた新一が心配して家でも話題に出していたらしい。

 それが何日か続き、千華の怒りの導火線に火を点けた。

 ある日、今正に夫婦喧嘩もたけなわという時に怒鳴り込んで来たのだ。


「外でお酒ばっかり飲み歩いてだらしない!」

「バカヤロー!外で飲むのは男には付き合いってのがあるんだよ!」

「馬鹿はてめー等じゃボケナスがああっっ!!!」


 バァンッ!!と開いた扉に三対の瞳が集う。


「「「!!???」」」

「御用改めじゃあっ!!」


 ちなみに鍵は開いていた。

 米花町民としての自覚は無いのかとも怒られた。

 蘭としては今でも思い返す度申し訳無くなる事態だった。

 数年前と全く成長が無い毛利家をつぶさに見られた瞬間で、当時は恥ずかしいと感じる暇も無く只々呆然としていたが、ちゃぶ台を挟んでいがみ合っている毛利夫妻と、オロオロを体現している行き場の無い手を上げたままの蘭を確認した時、千華は何とも表現し辛い表情に冷めた目で毛利一家を見たのだ。

 後に千華本人から、あれは夏場に喉の渇きに耐えてやっと見つけたのに『あったか~いコーンポタージュ』しか残っていない自販機を見つけた時の眼差しだと言われた。

 ああ、と納得してちょっと泣いた。

 役に立たねぇ鉄くずだなぁ、ここに存在することそのものが腹が立つと言われたということだ。

 蘭は不燃ごみでは無い。

 時期がくれば、役に立てる可能性を秘めているのだ。


 千華はみっともない夫婦喧嘩を知り合いのお嬢さんに見られたことで固まっている小五郎と英理を無視し、真っ直ぐに蘭を睨みつけて言った。


「泣き喚けって言ったでしょーがあっっ!!!」

「っ!?」


 怒りに燃える瞳が蘭を射抜く。


「あんたねぇっ!何にも出来ないんだから、とりあえず泣き喚けって言ったでしょうが!?子供の泣き声に反応しないよーな屑親ではないはずでしょう!?なんでこの喧嘩を止められる手段を持ってるのにやらないの!?学習能力は何処に置いて来たの!?出来ることやらずに被害者面してんじゃないわよっっ!!」

「あっ…」


 言われて、泣いて縋って止めて無い、ことに気づいた。

 数年前、あれだけ千華に叱られたのに、その手段を使わず一人で布団の中だけで泣いていた。

 そんな蘭の思考すら読まれているのか、ちらりと見上げた千華は口端を引きつらせ目を眇めた。

 絶対にバレている。


「一々この二人が喧嘩した位でオロオロするんじゃないわよ!この二人の喧嘩はコミュニケーションの一種!犬も喰わない痴話喧嘩!いっそ求愛行動と言い換えても良いわね!」

「きゅ、求愛行動??」

「そうよ!おばさんが「外でお酒ばっかり飲み歩いてだらしない!」て言ってるのは「私だけ見て欲しいのに!私はこんなに貴方が好きなのに!愛してるのに!どうして他の女がいる外に行ってしまうの!?」てことだし」

「え…」

「は!?ちょっ、えっ!?」

「おじさんが「バカヤロー!外で飲むのは男には付き合いってのがあるんだよ!」てのは、

「どこに行ったってうちの嫁以上の好い女はいねぇ。あいつが家に帰った時『おかえり』って迎えてくれる…それだけで俺は幸せってモンを実感出来る。今は離れて暮らしている分、その言葉がどうしても聞きたくてなぁ」ってことでしょ」

「……っ」

「んなあっっ!??」


 真っ赤になって固まった毛利夫妻を更に冷めた目で見る。


「…反論は無いみたいよ。図星ってことね」

「えっ」

「ちょっ、ちがっ!」

「んな訳あるかあっ!こいつのどこが良い女だってんだ!昔っからお高くとまった嫌味女だぞっ!」

「なっ!?」

「…「こいつの良い所は俺だけが知ってればいいんだ。こいつは昔から俺のモンで、これから先も俺だけのモンなんだ。誰にも譲る気はねぇ!」…ですって」


「…っ、…っっ!!」

「………っっ」


 両手で顔を覆って天を仰いだと小五郎と、両手で頬を覆って俯く英理。

 共通点は、二人共耳まで真っ赤ということだ。

 そんな両親の様子を蘭はぽかんとして見るしか無く、千華は呆れを隠そうともしないで首を振り吐き捨てる。


「くっだらないこといつまでも繰り返して恥ずかしくないの!?そんなにいちゃこらしたいなら、風呂にでも籠って乳繰りあってなさいよ!そんで一発成功させてこの子をお姉ちゃんにでもしたげればいいのよ!」

「有希子―!!有希子―!?お宅のお嬢さんが―っ!!もしもしもしもしぃぃっ!?」

「既に子供を一人こさえといて何を今更かまととぶってるわけ?いつまでもそんな中学生みたいな恋愛観してるから娘が不安になるのよっ!」

「「……っっ!!」」


 床に埋まりたい、いっそ穴を掘らせてくれと言わんばかりの毛利夫妻の姿に、蘭は寄る辺なく狼狽えるしかないが、そんな彼女にも千華は牙を剥く。


「この程度の翻訳も出来ないなんて、娘として修業が足りないんじゃないですかー?」

「うっ…」

「蘭は悪くないっ!」

「そうよ、蘭のせいじゃないわっ!」

「そうよね。全く本音で言い合わない親の責任ですよね。意地の張り合いで本音隠した喧嘩を続けた挙句、一人娘に寂しい思いをさせるなんて、一度ご実家に戻ってはいかがです?ご両親は何て仰るかしら。流石我が子よ誇らしいと仰るかしら?お前等いくつだ…と言われないかしら~」


 蹲りながらも、娘のフォローのためだけに立ち上がったことは評価出来るが、それも一瞬にして沈められた。


「ごめん下さいっ、お邪魔しますっっ!!」

「うちの千華がこちらにおりますそうでっ!?」

「千華―!?暴れてないかー!?」


 カオス。

 だが、この空気をものともしないのが千華である。


「子供が一人だから親の間でオロオロしちゃうのよ。二人いればお互いを支え合えるし、同じ両親という同条件の元愚痴だって言い易いし、お二人の収入ならもう一人位増えても余裕でしょう?ほら、さっさとお風呂場行ってくれる?三十分位なら娘さん預かっててあげるから」

「千華ちゃん―――っっ!!??」

「待て待てちょっと待とう!?千華どうした!? どうした千華!?何がどうしてそうなったんだい!?」

「子はかすがいって、パパの書斎の本に書いてあったわ」

「そうか、パパが悪いのか…パパが悪いのか?」

「子作りの方法もパパの書斎の本に書いてあったわ。お風呂で仲良くするのが夫婦長続きの秘訣だって」

「優作さん――っっ!?」

「パパが悪かったな!?パパが悪かった!!全く以ってパパが悪い!!」

「なぁ、千華、その本って」

「さあ帰ろうっ!今帰ろう!直ぐ帰ろう!毛利君達っ!騒がせてすまなかったねっ!」

「はっ…」

「おう、帰ってオレも父さんの書斎に行き」

「新ちゃんと千華ちゃんは、しばらくパパの書斎立ち入り禁止ですっ!!」

「「えぇ~っ!?」」

「このお詫びは後日改めてっ!」

「ごめんなさいねっ!」


 がっしりと子供達を抱え上げ、嵐の様に工藤家は去って行った。




「…てことが、何回かあって…」

「何回もあるの!?」


 愕然とする園子に笑って誤魔化す。


「あ~その度に千華ちゃんには『学習能力!』て叱られるし、呆れられるし、千華ちゃんは新一が煩わされる状況が嫌なだけなんだろーけど…来てくれるんだよねぇ…」

「喧嘩の仲裁に?」

「それ以外にも…まぁ、色々」


 てへぺろっと舌を出す蘭に、園子も呆れる。


「あと…お父さんとお母さんの言い争ってた言葉をメモして千華ちゃんにお願いすると、ぶつぶつ言いながらも翻訳してくれるし」

「何?一応交流はあったわけ?」

「ごめん、新一経由でお願いしてます」


 はぁ~と溜め息をつく園子に蘭も困ったように笑う。


「直接お願い出来るよーに、なりたいな~」

「おじさまとおばさまにとって効果的な訳ね」

「うん!真っ赤になって凄く可愛いの!」


 娘は案外強かに育っているらしい。

 だが、和睦への道も遠く険しい物なのだ。




 ちなみに、工藤家書斎の乱は有希子の雷の元、優作がその頭脳を限界まで駆使し、子供達に相応しくない本が目に触れない様改築された。

 しかし、古来より宝探しは子供の得意分野の一つであり、隠されているものほど探りたいという新一の本能を刺激した優作の挑戦は嬉々として受け入れられ、千華はその謎が解けるのをのんびりと待っている。





「イヤな夢見たぁ~…」


 休日の朝、目を擦りながら不服そうにリビングに入って来た千華に、優作と新一は目を合わせた。


「どんな夢だったんだ?」

「人に話すと悪い夢は無くなるそうだよ」


 二人の言葉に千華は不機嫌そうに夢を思い出す。

 酷い夢だった。

 人が死んだのだ。


 先日傷害の犯人から逃げている最中にアンパンマンにあったせいか、前世で観た彼等の潜入生活のダイジェストの様な夢をみた。

 ほとんど忘れていた話なので、初めて見る様な気持ちで夢をみていた。

 夢の映像がアニメであっただけまだマシかもしれないが、先日出会った彼等の姿で実写再生されていたら、寝覚めのアラームは千華自身の悲鳴だっただろう。


「…犯罪組織に潜入してる三人が出てくる夢。仮にAさん、Bさん、Cさんとして、AさんとCさんが日本警察からの潜入で、BさんがFBIからの潜入。Aさんがえっと、潜入バレ?ていうのをして、組織から抹殺命令がくるのね」

「それはまた…」

「事件嫌いな千華が見るにしちゃ、ハードな夢だな」

「…ちょっと二人がわくわくしてるっぽいのがムカつく…」


 まあまあと宥める二人にジロ目を贈りつつ、思考を整理する。

 ちなみに、Aさんがアンパンマン、Bさんがバイキンマン、Cさんがカレーパンマンだ。

 頭文字がマッチングしたのは、運命的な偶然である。


「えーと、それで、Aさんが廃ビルに逃げ込んで、そこにBさんが来て…」

「待て。何故廃ビルに逃げ込んだんだ?Bさんとの待ち合わせか?」

「いや、待ち合わせるなら所属が同じCさんだろう?何故Bさんがそこに来たんだろうね?」

「そもそも犯罪組織に追われているのに廃ビルに逃げ込むところが選択ミスだろ」

「そうだな。廃ビルなど爆弾仕掛けたり罠を仕掛けたり、他の人員を配置して降りてきたところを挟み撃ちにしたり、火をかけて証拠を隠滅したりし放題だ」

「隣のビルとかに飛び移るつもりだったり、隠し部屋でもあったのか?いや、予めもしもの時の為のCさんとの待ち合わせ場所だったのか?それにしては…」

「だから!ただの夢なんだから!謎に引っかかったり、編集者みたいに矛盾点突かないで!」


 そうだったと笑う二人にため息をつく。

 とりあえず、頭の中でアンパンマンと思いながら『A』と説明出来るので混乱しなくていい。脳内映像のコスチュームが変になって若干困るが。


「…で、BさんがAさんをFBIで保護するから死ぬなって言うんだけど、そこにAさんを助けようとしたCさんの足音が響いて、それを組織の追手だと思ったAさんがBさんから拳銃を奪って自殺」

「…お、おう」

「そしてBさんはやって来たCさんにAさんが自殺したことを隠して「遅かったな、Aはオレが始末した」的なことを言って、物凄くCさんに恨まれるっていう…」

「…そりゃまた、濃い夢だったな…」

「けどなんか、色々気になっちゃって…」

「おまえ、人には夢の矛盾点突くなとか言っておいて…」

「まあまあ、新一。千華、何が気になるんだい?」


 呆れる新一を余所に、自分こそが突つきたい顔をする優作。


「んだよ、父さんまで」

「皮肉な悲劇じゃないか。助けに来た仲間の足音に情報を守るために自決するなんてね。けれど、そもそもCはAの自殺に気づかなかったのかな?組織の者として来たのなら、遺体の確認位はするだろう?」

「そうか…潜入捜査官なら、他殺か自殺かの区別位つく。それにそもそも何故Bは自分が殺したなんて嘘をついたんだ?普通に自殺したと言ってもいいだろう?」

「新一は何故だと思う?」

「…Cを庇った?自分の足音で仲間を殺してしまったと知られないため、か?」

「違うね。この場でAがBにFBIであることを打ち明けられたということは、CもBがFBIであることは知らない。故にBもAとCが仲間であることを知らない。ならばこの時、BがAの自殺を隠すメリットは何だと思うね?」


 千華が口出す間も無く、謎の申し子達が検証を始めてしまったため、千華は大人しく拝聴することにした。

 更に記号から敬称も消えた。


「…Aを始末したのが自分だと組織に報告して、組織での地位を盤石にするためだ!」

「恐らく、そういうことだろう」


 新一の答えに、優作がちょっと悪い顔で笑った。

 ちょい悪ダンディはうちわを振りたくなるから卑怯だと思う。


「そうか、なるほどな。そりゃあCはBを恨むだろうな。仲間の死を利用されたんだから」「仲間の自殺に動揺しているだろうCは、怪しまれない様取り繕うのに精いっぱいでBの言い回しを気にしてはいられなかっただろう。けれど、気が付いた時には組織ではAを殺したのがBだと周知されてしまっていた」

「そうなると、もう実は自殺だったと訂正するのは難しい。何故なら、何故その時にそう言わなかったのだ、ということになるから。何故言わなかったのか。それは仲間の死に動揺していた潜入捜査官だ、と露見する恐れが出てくる。仲間を亡くし一人組織に潜入し続けることになったCは、もうどんな小さなミスも許されない。志半ばで倒れたAの死を無駄にする訳にはいかないのだから」

「その通り。組織が壊滅する、それ以外でAの死が報われることは無い。…Bが実はFBIだとCに判明する時は、それこそ殺したいほど憎むのじゃないかね?他国の機関が、日本の警察の捜査官の死を利用して日本が追っている組織に食い込んだとなれば、それは酷い屈辱だろう」

「それに、この全くホウレンソウがされて無さそうな感じ…警察の捜査官とFBIの捜査官が互いに存在を知らなかったとすれば、日本警察にFBIが届け出をしていない違法捜査の可能性もある」

「ますます亀裂は避けられないな。Bは今すぐアメリカに逃げ帰った方がいい」


 楽しそうに語り合う優作と新一に、あれだけの夢の情報でここまで考えるのかと感心していいのか呆れた方がいいのか分からなくなる。

 一から十を察する人間は、身内じゃ無ければ距離を取る所だ。

 事実の様に夢の事を語るのはほどほどにして頂きたい。


「それで、千華は何が気になるんだい?」

「あ、そーいやその話だった」


 思い出して頂けて、大変嬉しい。


「うん。ぶっちゃけて言えば、Bがいなければ、この悲劇起きなかったな…と思った」

「ん?」

「この場にいなかったら、てことか?」


 新一の言葉に頷く。


「まあ、この場って言うのももちろんなんだけど、そもそもこの組織にBが潜入していなければってこと」

「根本からの否定か」

「だって、Aが潜入バレした時、Aは日本警察の一員なんだから、日本警察の人達が助けるために動いていたはずでしょ?現に直ぐにCが駆け付けて来てたんだし」

「だが、そのCの足音でAは自決の道を選んだんだろう?」

「うん。でも、AとBは顔を合わせて言葉を交わしてたんだよね。つまり、Aの元に来るのが敵か味方か分からなくても一人目の追手とは言葉を交わす余裕があったってことでしょ?」

「ああ…なるほど…」

「Bがいなければ、AはCと直接にしろ電話越しにしろ話すことが出来た。Cと話せれば、あの場に現れたのがCだけならばAは自殺なんて道は選ばなかった。そもそもBがいなければ拳銃も奪われないし、拳銃自殺なんて出来ないし、いたとしても拳銃を持っていなければ、話し合う余地は十分あったと思うのよ」

「…ふむ」

「何でBは人を助けに来といて拳銃持ってるの?自分の提案を受け入れなかった場合は自分がFBIであることを隠すために殺そうとでもしていたの?てか、なんでわざわざFBIのくせに首突っ込んで来たの?日本警察の人間なんだから日本警察の仲間が助けに来るよ。放っといてよ。余計なことしないで。計画が崩れるでしょーが。あんたが頼まれても無いのに人助けを掲げて意気揚々と渡った危ない橋は、本来日本警察だけが渡っていい橋だったのよ。あんたが乗ったせいで重量オーバーで崩れたじゃない。そもそもFBIが日本警察の捜査員を日本に内緒でどーやって保護するつもりだったの?犯罪の臭いしかしない!!…て思った」


 これだから、常日頃から銃を持ってるお国柄の人は…と愚痴る。


「千華はBが気に入らないんだな?」

「だって、何やっても中途半端なんだもん!…夢には続きがあってね?Bは女の人をハニトラ?つまり色仕掛けして利用して組織に入ったんだけど、その利用した女の人に本当に?惚れちゃって?」

「なんで疑問形なんだ」

「いや、本人はそう言って女の人に懺悔?告白?告解?してたけど、その後の様子は客観的にそうは見えなかった」


 むっつりと顔を顰める。


「どんな風だったんだい?」

「組織に潜入バレして」

「したのか!?結局バレたのか!?」

「うん。Aの件から結構すぐ」

「Aの死を利用してすら信用を得られなかったのか…?それほどに怪しいと元々組織に目を付けられていたのか…確かに中途半端だ。Aの死を踏み台にのし上がった地位だろう?慎重に慎重を重ね、せめて組織壊滅まで潜入していなければ、Aの死が報われないだろうに…」

「それだけじゃないし。Bは彼女に本当に好きになったって言ったくせに、身バレしてさっさと一人でトンズラこきやがったんだもん」

「組織とやらから逃げれる程度には有能だったってことか…そして女の人は捨てられたのか…潜入任務が失敗なら一緒に連れて行く…ほど好きじゃ無かったってことかな」

「いざとなれば自分の身が可愛かったのだろう」

「いや、一応誘ったのよ、一緒に逃げようって。でも妹を置いて行けないって言われてあっさり捨ててった」

「いや、そこは妹ごと助ける所だろう!?妹だぞ!置いてける訳無いだろう!?Bは一人っ子か!?天涯孤独か!?肉親の情を解さぬ犯罪者か!?そこは妹ごと護ってやれよ!!」

「せめてその時助けられなくても、後で必ず妹を助け出すから今は一緒に逃げて欲しいと言う所だな。後で二人連れ出すよりも、一人ずつでも連れ出した方が成功率も高いだろうに…」

「お兄ちゃんありがとう、大好き。で、結局、その後二年音沙汰無しで、女の人は組織に殺されてしまいましたとさ」

「…え、殺されるまでに二年もあったのか?…それまで何もしなかったのか…?」

「知らなーい。ダイジェストみたいな感じだったもん。あ、ちなみに妹は姉亡き後自力で逃げ出してた」

「いや、何かやっていたとしても二年もあれば何でも出来ただろう?二年だぞ?七百三十日だぞ?二日じゃないだろう?…忘れてたんじゃないのか?……それで、姉の死を聞いて思い出した」

「ひでーっ!!クソだな!?」

「で、護れなかった姉の替わりに、妹を守るとのたまって、妹の潜伏先の隣家に身分を偽って潜伏し、妹を怯えさせながら、妹に内緒で、妹の生活を盗聴してた」

「……え、キモ…」

「…中途半端、というだけでは…」

「更についでに、この姉妹、Cの恩師の娘さん達で、でも妹は組織の幹部だったからガードが固く、姉の側にBがいるからCは近づく事が出来なくて、身バレでBが消えた後は姉妹の監視が厳しくて更に近づくことが出来なくなってて、姉の処刑の頃には遠い場所で仕事させられてた。…だから、Bは初めから組織に潜入なんてしてなければ、もっと色々スムーズで、やり様もあって、少なくともこの二人の犠牲者は出なかった、と思う」

「もうBは出家してCに詫びるべきじゃないか?」

「ここまで重なったら、CはもうBを許せなくても仕方が無いね」

「BがCに個人的な恨みがあってわざとやったって言われる方が納得行く。これが偶然なら、どれだけBは疫病神なんだ…」

「て、トコで目が覚めた」

「「…………」」

「Aのことは首だけ突っ込んで助けられない。恋人も希望だけ持たせて助けない。恋人の妹にはやってることは実質変態ストーカー。もー、何もかも中途半端!攪拌しかけの牛乳か!?アイスにもバターにもなれない、かと言って牛乳にも戻れない何か!何がしたいの!?いやもう、何が出来るの!?人を不快にさせることだけか!?乳臭いんだよ!」

「お、おう…」

「ハハハ」

「…気分悪い」


 座っている新一の膝に懐く千華に、二人は苦笑を浮かべる。


「…まあ、夢だからね」

「そうそう、夢だろ?千華」

「うぅ~…そうだけどぉ…」


 恨みがましく見上げる娘の頭を優しく撫でる。


「ただの夢だよ。そして、人に話したんだからもうそれは起こらない出来事さ」

「…そうかな」

「そうだよ」


 力強い肯定をされ、千華から力が抜ける。

 大丈夫、実写じゃ無かった。

 この間会ったアンパンマンがこの夢と同じように死ぬ確率は少ないはず。

 だからあれは、この世界では起こらないことなのだ。


「みんな~、朝ご飯出来たわよ~」

「ママ!」


 台所から響いた声に、千華は体を跳ね起こす。


「ごめんママ!手伝う!」

「そう?じゃあ、お皿並べてくれる?」


 有希子の声に駆けて行く千華を見送り、新一はちらりと父を伺う。


「…親父?」

「父さんを『親父』呼びし出すとは…新一も背伸びしたいお年頃だね~」

「それは今関係ねぇし!」


 照れて噛みつく新一を笑っていなし、ふむ、と腕を組む。


「銃を持ち歩く怪しい輩には、疾く国へ帰って貰わなければね。千華が怖がる」

「そっちかよ…」


 がっくりする新一の肩を叩く。


「夢だよ、あくまでも千華がみた夢だ」

「…こないだの千華のエマージェンシーで捕まえた奴らの中にいた銃持ちのFBI、強制送還になってたよな」

「ふふ、そうだね。まだいるかもしれない。…極論だが、銃を持つ者がいなければ、銃での犠牲者はあり得ない」

「…ああ、そうだな」


 起こらなかった過去を消し、新しい一日が始まる。





「ただいまー!受験料無事振り込んで来たー!」


 輝く笑顔で帰宅した千華を、家族の胡乱な眼差しが迎え打つ。

 夕食時に夕飯も食べずにダイニングに集い千華の帰りを待っていたのた。

 戦で大将首を捕って来たかの様なテンションの末娘に真顔になる。


「…千華、言う事はそれだけかい」

「ん?あ、銀行強盗にもあったよ」


 重々しく聞いた家長の問いかけに、あっけらかんとした言葉が返った。


「オマケか!お前にとって銀行強盗は、菓子に付いてる要らないオマケか!?」

「人生にも必要無い出来事であるのは確かよね」

「正論!」


 どっと疲れが押し寄せる。

 警察からの連絡があってから、無事と分かっていても心配しない訳が無い。

 まんじりともせず帰りを待っていた家族だが、末っ子が無事で笑っているなら、もうそれでいいのだ。

 有希子は後を夫と息子に任せ、夕食の支度のためにキッチンに入る。

 もし千華の様子に異変があれば気づかないはずが無い、対人観察力検定があれば一発合格だろう二人に任せておけばいい。


「…それにしても、何で千華は帝丹に来ないんだ?」

「制服が可愛くない」


 同じ高校に通う気満々だった兄は、言葉が脳に到達するまで、弱冠のタイムラグが発生した。


「へ?」

「制服が可愛くない」

「いや、二回も言わなくても聞こえたけど…」

「制服が可愛くない」

「いや、聞こえたって!」


 銀行強盗に遭ってまで行きたい理由がそれかと。

 いや、受験料振り込み指定日に銀行強盗に遭うなど予想出来るものでも無いが、どちらかと言えば、銀行強盗側気を利かせろと言いたい所だ。


「いい?女子高生は三年間しかなれない期間限定のブランドなの」

「ブ、ブランド?」

「そう。その三年間しかない花のお年頃を、クソダサイ制服を着て過ごせますかって事よ。あのデザインじゃ朝起きられない」

「…そこに兄ちゃんが通ってます」

「千華ちゃん、ママもそこに通ってました」

「それよ」


 キッチンから届いた言葉に千華の目が鋭く光る。


「ママの通ってた頃から一度も制服チェンジが行われていないのよ、数年前都内の学校が結構揃って制服を今時の可愛いデザインに変えた時も帝丹はスルーだったわ」

「えーと、伝統ある制服だし…」

「公立のバッタモンみたいなやる気ないデザインじゃない。中学も、高校も。小学校に至っては私服だし。アル〇―ニの制服を作る公立すらあるというこのご時世に!」

「それは…」

「帝丹は小学校から大学まで系列がある私立の上に、著名人や金持ちの子供が数多く通う学校だというのに、制服が変わらないのは何故?予算が無いとは言わせない」

「「………」」

「……犯罪の匂いがするわ」

「いや、待て!?え!?」

「いずれ着服や横領、殺傷事件で名前をニュースに聞きそうな気がする」

「待て待て、マジで!ええ!?」

「そんな所が出身校として将来生きていくのは千華心配」

「千華ちゃん、お言葉ですが、犯罪者を出して無い学校を探す方が東都は難しくってよ!?」

「…ママ、悲しくならない?」

「…うぅ…っ」

「だから、セキュリティのくっっっっっそ高い女子高の受験がしたいってパパにお願いしたの。制服も涎出る位可愛いし」

「父さん!父さんはそれで良かったのかよ!?」


 話題が高校に移ってから我関せずといった風にお茶を淹れてまったりしいた優作は、ゆったりと大人の余裕で微笑む。


「千華が通いたいという学校があるなら、それが一番だと思ってね。女子高だし、セキュリティも高ければ余計なムシもつかない」


 大人の余裕など、何処にも無かった。


「それ、最後のが本音だろう!?」


 叫ぶ新一に、まあまあとスマフォにある画像を見せる。


「……どう?可愛いでしょ?この制服を着た妹とデートしたくない?」

「なっ、おま…っ」

「この制服、千華に似合いそうでしょ?帝丹高校の正門前で待ち合わせして、ざわめく人ごみの中颯爽と現れて「こいつ、オレの妹だから」って言ってみたくない?」

「…っ」


 優作が噴き出した。

 有希子はアイランドキッチンの向こう側で頽れている。

 今二人が死んだら、死因は笑い死にとなるだろう。

 だが、元来目立ちたがりでシスコンの新一は大変好きそうなシチュエーションである。


「……何が望みだ」


 折れた。

 これで兄妹の高校が分かたれるのは確実となった。

 滑り止めだとしても帝丹高校に進むことは無いだろう。

 ニヤリと笑った千華はがしっと兄の手を握った。


「勉強教えて!!」

「は?お前そこそこ成績いいだろ?」

「英語とは分かり合えないのっ!」

「………」

「私は日本語の美しい響きを愛しているの!画一的なあいつの良さなんか分かんないっ!」

「えっと…話せると世界に出た時便利だぞ?」

「千華は!日本から!出ませんっ!でもあいつはっ、受験にはしゃしゃり出てくるのっ!」


 そこまで銃社会国が嫌いか。

 ちょっと遠い目をする新一だが、両親の笑いの発作は止まらない。


「…わぁーかった。勉強みてやるよ」

「ありがとう、お兄ちゃんっ!」


 抱き着いて来た妹を抱きしめ返す。

 探偵として有名になりたかった、昔望んでいた未来とは違うし、憧れていたホームズともほど遠いけれど…この手の中の温もりを護りたいと思ったから、新一は今を後悔していない。


 父が居て、母が居て、妹が居る、何処にでもある、ありふれた一高校生の日常を愛している。







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