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PIXI  作者: エール
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本好き世界で下剋上1-4


 パチリと目が覚め、のっそりと起き上がると、二人の男がリバーシをしているのが見えた。


「気付いたか」


「……口の中が苦い」


 口の中に残る苦さが尋常ではない。なんだこれ。てか女性の寝てる横で悠々と寛いでるなんてデリカシーなくない?どっちもいい年して。


「ヴィルフリートはジルヴェスターの幼い頃にそっくりで、言っても聞かぬ故、君の虚弱さを手っ取り早く叩きこむためにこのような手段を取ったわけだが……」


 え、は?!ちょ、私その固有名詞知ってるーーー?!

 つまり、これは、本好きの下剋上成り代わり転生ってやつか!マインちゃんてか麗乃さんがこの件で亡くなっちゃって、代わりに私って感じ?!やばやばやばやば。どう、マインちゃんの記憶ある?あ、ある。やっぱ洗礼式の顔面すり下ろし事件後ですね。現状把握はできたけど今どうすべきかを考える時間がないーーー!


「つまり、ヴィルフリート様の心の傷になるように、わざとわたくしをああいう目にあわせた、と」


「うむ。力加減がまだできぬが、ヴィルフリートも根は優しいから、今後はローゼマインの体を気遣ってくれるようになるはずだ」


 そっかー、うん、そっかー。言質ありがとうよー!マインちゃん死んだぞこのヤロー!!


「君は不服そうな顔をしているが、早かれ遅かれ、同じ結果になっただろう。ヴィルフリートには聞く気がないし、ローゼマインはあの勢いについていけないのだから。城で同じことになれば、君の護衛騎士が守れなかったということで罰を受けるのだ。周囲の人間も君自身も、今のうちに虚弱さと立場を知っておいた方が良い」


 平然とつらつらと喋る目の前の男に沸々と怒りがこみ上げてくる。麗乃さんの思考がなくなって私になったらこんなに捉え方変わるのか。……変わるだろうな。


「そう、ですか」


 なんとか声を絞り出す。


「ランプレヒトも泡を食っていたからな。ヴィルフリートとローゼマインは同い年であるし、洗礼式を終えた領主の子として、行動を共にする機会が増える。お互いの護衛騎士が現状を等しく認識していなければならぬ」


 いやほんと、マインちゃんの扱い、我が身を持って体験すると、あまりの雑さに反吐が出そう。え、私、この目の前の男に命を握られて生と引き換えに薬漬けにされながら酷使されたり人生決められたりし続けるの? 無理無理嫌だ。生殺与奪の権を他人に握られたくない。麗乃さんこんな扱いされててどうしてあんな懐けたの…。本か。本を与えてくれたからか。本への愛すごい…。


「たまたまその場に居合わせた貴族の知らせで我々が駆け付けた時には、ひどい状態だったぞ。勢いよく引きずられていたせいで、君のこめかみから頬にかけては広範囲に擦り傷ができ、血で白い石畳にできた赤がじんわりと広がっていく。そして、肘や膝を擦ってできた傷で、洗礼式の白を基調とした服が血に染まっていた。そこに倒れたまま、ピクリとも動かず、全く反応を示さない君はまるで死んでいるようだった」


 死んだんだよ!テメーのせいでな!!


 そう言いたいのを押し留める。沸き上がる感情とともに蠢く何かを体の中に感じる。そうか、これが魔力か。丁寧に折り畳みながら深呼吸する。わなわなと震える体は、恐怖を思い出しているのだと思われるのだろうか。


 私が暴れる魔力と感情を押し留めるように腕を交差して自分自身を抱き締めると、こんな事態を引き起こした犯人が呆れたように肩を竦め、今まで黙っていた隣の男が困ったように声を掛けてきた。


「心配するな、ローゼマイン。傷はフェルディナンド様が癒してくれたし、薬もいただいた。ヴィルフリートとランプレヒトへの説教もした。もう終わった話だ」


 終わった。終わったというのか。終わらせろというのか。こんな幼気な少女を死ぬ目にあわせて。わざと暴行を受けさせ、体が治ったからはい終わり、何も問題ない、文句を言うなと。……ふざけんな。


「……傷は残ってないですか?」


 辛うじて出したかぼそい声にさえ、「私の腕を疑うのか」と嫌な顔をされる。あああほんっと腹立つこいつの態度!私を飼っている気でいるんだろうが、今に見てろよ!


「とにかく、無事に洗礼式も養子縁組の手続きも終わった。明日一日、休養して体調に異常がなければ、神殿に戻るように。神殿長の就任式を行う」


「……はい」


 これからの予定を言い置いて一方的に喋り倒した彫像が部屋を出ていく。これでやっと話は終わりかと思っていると、残った男が何か言いたそうに、じっとわたしを見つめているのに気が付いた。


「……なにか?」


「……ローゼマイン、ダームエルに何かしたか?」


 あああ、こっちもさー、ほんと!!娘にしたんだろう?娘と認めたってさっき宣言したばっかだろう?主犯がいなくなったんだからせめて第一声は気遣えよ!!

 ……わかってるよ平民を心配しないことくらい。むしろ癒しと薬が与えられたことに感謝すべきなんだろう?私はその程度のものだってことくらい、わかってるよ。こいつが子供のみならず大人の女性の扱いもわかってないダメンズなのも。


「何かとはどのような意味ですか?」


 失望しきった声になったが、どうせこいつは気付かない。そういう奴だ、私知ってる。知ってるからって流せるかって話だけど!



「ダームエルの魔力の件だ。じわじわとだが、鍛えれば鍛えるほど魔力が増えている。ほぼ成長期を終えたダームエルでは考えられない伸びだ。勝手に祝福を与えるような真似はしていないか?」


 はいはい、勝手に、ね。全部マインちゃんのせいだもんね。


「……祝福があったとすれば、家族への祝福の時くらいです」


「あれか……」


 男はそう呟いた後、しばらくの間、頭を抱えていた。


「ローゼマイン、そのことに関しては沈黙を守れ。ジルヴェスターはもちろん、フェルディナンドにも言うな」


「わかりました。言いません」


 早く話を切り上げたくてした従順な返事に満足して、公式続柄父はようやっと部屋を出ていった。




◯●◯




 人情の欠片もない二人がいなくなって一人になると、昂っていた感情がストンと沈静化した。

 マインちゃんの記憶から急に我が事になったことで、大分感情的になっていた自分に気付く。


 今思えば、あの万能超人は失敗したことを隠そうとしただけだ。


 計画上、こんな死ぬ様な外傷を伴う大惨事となったのは誤算だったろう。でも主目的は果たせたから失敗ではないとペラペラ喋って取り繕った。だから、不備を追求したような発言を私がしたことで不機嫌になった。大体そんなところだろう。


 これだからプライドの高い坊やはよう、と溜飲を下げたところで、一番大事な自分自身の今後のことだ。明日はお休みを言い渡されているので、落ち着いて考えることができそうでよかっ……いやもっと休み寄越せよ。一日て。予定外に重傷負わせたんだから追加寄越せよ。こちとら虚弱ぞ?騎士じゃないんだぞ?私こそトラウマ抱えても仕方ない目にあっているんだが。次の予定まで崩れるのは認められないってか?これだからプ(以下略)。


 コホン。


 さて、まずはこれからどういう方針で動くか、これを決めねばなるまい。


 麗乃さんではない私は、申し訳ないが原作通りに生きられない。スペックも本愛度も違いすぎる。

 私はそもそも、日々会社の歯車として働きながらゲームを好み(箱庭ゲーやストラテジー系、歴史シミュを愛好。王道RPGと乙女ゲーも経験済み)、最近なろう系にはまったフツーのアラサーオタクだ。今時のアニメはなろう発が多いという友人の言葉を受けてサイトを知り、日間ランキングをさらっと目を通し、総合完結ランキングでスライム無職を眺め、本好きの下剋上に手を伸ばし一気読みしたばかりだった。あれ、それで連日徹夜してうっかり死亡からの転生?まあいいや。


 マインちゃんとしての記憶は、あの事件のときまである。しかも麗乃さんの現代知識も情報として思い出せる。私は麗乃さんのように博識ではないので、これは本当にありがたい。


 それを踏まえて、現状を考慮して考え得る候補としては、


一、エーレンフェストで実権を握りにいく。


二、ゲオと取引してアーレンスバッハに早期に移領して悪巧みする。


三、貴族院でダンケル坊やあたりと婚約し、上位大領地を牛耳る。


四、貴族院を乗っ取り強権を発動して神王として君臨する。


 かな。うん、我ながら野望しかない選択肢だ。


 だってタイトルに下剋上って入ってるんだよ。やってみたくなるじゃん。

 私、この作品を、本を武器に権力をものにしていく高笑い系女性成り上がりものだと期待して読み始めたくらいだし。


 蓋をあければ、異世界転生をしても己の欲望を最優先にしていたことで陰謀に巻き込れ、その陰謀を乗り越えて出世してを繰り返し、ついに国家存亡の決定権を握るまで上り詰めるマジカルサクセスストーリーだったわけだけど。


 政治や社会組織に無頓着な社会人経験のない22歳が、異世界に半同化のまま現代社会で生きるように動いていたら翻弄されてこんなことになりました、というのが、切り口として読みやすいなと思ったね。

 作り込まれた世界観が徐々に明らかになることで興味を持続させるトリックが際立っていて、つい一気読みしてしまったよ。

 読み終えたときには、本好きのファン層とズレているのは分かっているが、好きな中世封建制歴史シミュレーションゲームで誰かMOD作ってくれないかなー、と思ったくらい嵌まっていた。


 なので目指すところは安穏とした生活ではなく、麗乃さんが一切興味のなかった、がっつりとした立身出世だ。原作知識がなかったら絶対大人しくこの世界で埋没する人生選ぶけど。そしたらフェルディナンドかハルトムートに嫁いでほどほどに事業をやりながら国が崩壊するまで過ごすことになったかな。


 あとは一応、てっとり早く成り上がるのに、フェルを完全籠絡してツェントにしてその夫人になるルートもあるっちゃあるけど、私夢女子じゃないからなぁ。女性の出世が男性付属しか許されない社会だったら選んだけど、嬉しいことに条件付きだが女領主にも女王にもなれる世界だから、あんまり惹かれないんだよね…。


 まずは何にしても地盤固めだ。初手は簡単に死なない、殺されないことに注力しつつ金を稼ぎ影響力を持つ事、これ鉄板。

 ゲームでやってきた流言誘拐暗殺とか後ろ暗いことは私の精神のために縛る。虚構以外で指示などできないし、折角シナリオ把握しているのだから邪道ではなく王道、覇道をいきたい。


 よし、決めた!やってやるぞ!

 

 貧民から貴族に成り上がったローゼマインちゃんが、最底辺領地から天下を目指すのだ!



◯●◯



 方針を定めると体力が限界だったのか、思考することもできずにだらだらと過ごし、気づいたら寝てしまっていた。

 朝、側仕えさんの手を借りて身支度を整え朝食の席に着くと、様子を見るように推しに言われた公式上の母が「一日ベッドで過ごすように」と声を掛けてくる。


 私、このお母様もちょっと気になったんだよね。洗礼親に自ら立候補したとき、平民が上級貴族の洗礼式をあげた直後に領主候補生となるのを知った上で、きちんと教育しますと言っていたはず。少なくともフェルは女性としての教育をエルがしてくれると思ったはずだ。まあ斜め上というか常識外な経験をすでにしていて、すっとんきょうな理解をしているとは夢にも思っていなかったから、そのうちーとしてる間に養母とフロを呼び始めたので養母を立てざるを得なくなった感じかな。それでもフェルやフロに遠慮なんかしないで淑女教育の主導や引継ぎ責任は果たすべき人だったと思うよ。


 マインちゃんの記憶では、季節一つでの学習項目は、青色巫女が上級貴族を取り繕うための行儀作法のみ。あとは洗礼式対策。時間的にもそれが限界だろう。なので交流ポイント稼ぎも兼ねて次回予約だ。OJTのみだと新人は盛大にやらかすんだから、教育日程は指導者がきちんと決めて欲しいもんだけど、この世界でそんな厚遇期待しても仕方ない。


「お母様、今度、行儀作法以外のことも色々と教えてください。わたくし、貴族とか、魔力の扱いとか、神殿以外のことは、まだよくわからなくて…」


 不安げに上目遣いし、儚げに微笑んでみる。まずは自分の貴族家族を味方にしなければ未成年は始まらないからね。

 お母様は淑やかな笑みで請け負ってくれた。




 朝食を終えベッドで今後の行動を考えていると、訪問者がやってきた。


「ローゼマイン、少し良いか?」


「ランプレヒト兄様? わたくしは構いませんけれど、どうされたのですか?」


「ローゼマインの体調を確認しておこうと思ったのだ。ヴィルフリート様もご心配なさっているだろうから……」


 しこたま叱られしょんぼりしたラン兄が出勤前に様子を見に来たらしい。個人的には応援したいキャラだった。派閥違いの人質兼八つ当たり要員でも真面目に仕えなくてはならないとかマジ可哀想で。


「お気遣いありがとう存じます。フェルディナンド様が故意にしたことですから……」


「フェルディナンド様は御自身で薬も癒しも行える方だから、目が届く範囲内ならば、と考えられて、あのような無茶をされたのだろう。ローゼマインがすぐに助けられたから、お説教で済んだが、城で同じことが起こった場合、癒しを使える者が側にいなければどうなる? その時にローゼマインを失っていれば、ヴィルフリート様の心の傷は今の比ではなかったはずだ」


 おーすごい、鬼畜がすごくいい人のように聞こえる気がする。思惑通り、ってやつだ。ついでに私のことを一切心配する発言がないのはポっと出の妹より職務優先だからですかね。ったくこの家の男どもはよぅ。


「本来はフェルディナンド様の手を煩わせなくても、私がわかっていて、教えておかなければならないことだったのだ」


 深く反省しているようだが、残念、目の付け所はそこじゃない。フェルがヴィルを誘導して私を害させたという事実だ。よくも悪くも実直なんだよねー。


「あの、あの後、お式がどうなったか教えてくださいますか? あんなに準備をしてくださったお母様には申し訳なくて聴けなくて」


「……父上が終了の挨拶をしたあと、すぐに城に行くことになったから、詳しいことはわからない」


 私の言葉に、ヴィルの教育のために私の洗礼式がひどいことになったことに思い至ったのかちょっと気まずげに目線をさ迷わせる。


 んー、てことは流れは


主犯が私に癒しをし寝室へ運んで薬を飲ませ、その裏で騒然としている会場で主催が閉会挨拶し、控え室にでも案内されただろうヴィルと護衛騎士を治療から戻ったフェルが説経し、トラウマったヴィルのためにラン兄が城へ連れていかれ、カルは主催として残ったものの後始末は家内のこととしてエルに任せて、一応私の急変に備えて寝室に控えるという主犯に付き合ってリバーシをしていた


 て感じかな。閉会挨拶内容はどうせ体調不良とかだろうけど…。これ、エルは相談されてたんだろうか。推しの言うことですから、て了承したんだろうか。だとしたらここでヴィルにヘイトをつけておくことにしたということだが。


「そうですか…お客様はびっくりしたでしょうね。皆様、フェルディナンド様のお計らいなど、知らないでしょうし。わたくしのことは、ヴィルフリート兄様もランプレヒト兄様も今後お気を付けてくだされば、それで十分です。もし後でお客様に何か言われたら、フェルディナンド様のお計らいだとお伝え頂けたらと思います」


「ローゼマイン、其方は死にかけの目に遭わされたというのに、何と寛大な……」


 ラン兄の茶色の目に明るさが戻ってきて、驚きと称賛が浮かんでいるように見える。うんうん、分かりやすく二度も繰り返したのだ、ぜひとも事実を広げてくれたまえ。

 エルの策があった場合邪魔してしまいそうだが、ここは勢力バランスと、私の命綱の布石として、手を打っておきたい。


「ローゼマインへの見舞いに持っていくのは何が良いか、フェルディナンド様に伺ったところ、これが最適だと手渡されたのだが……」


 ランプレヒト兄様が布をするりと解いて、一冊の本を取り出した。


「まあ、本ですか」


「確実に一日で読みきれる量で、君が読んだことがない本だと伺ったが、本当にこのような厚い本が読めるのか?」


 疑わしそうにラン兄は本と私を見比べる。


「ランプレヒト兄様、ありがとう存じます」


「喜んでもらえるならば良かった。では、私は城へ行くが、よく休むんだ。いいね?」


「はい」


 淑女ぶりつつ最大限喜んでみせる。カモフラージュだけでなく、この世界の知識は今後参考になるからね。




◯●◯




 悔しいことに一日ゆっくり休んだら体調はすこぶる良好だ。早くエルママとの交流時間ををとりたーいと心の中で叫びつつ、エラとロジーナにも神殿へ戻ることを伝えてもらう。


 朝食を終えた後、護衛騎士であるダームエルとブリギッテがやってきた。ザッと跪いて、胸の前で手を交差させる。


 おー、ダームエルだ。登場したときモブだと思っていたのに一番の騎士にまで出世したのに驚いたよ。原作でも大変で美味しい目にあってたけど、私も色々と苦労をさせることが決まっている。すまぬ、使い勝手が良すぎてな…。


 ブリギッテは、エーレン襲撃の際に再登場?して、昔の仲間が再び!的展開に盛り上がったなぁ。原作通りにちゃんと婚約者斡旋するからね!


「おはようございます、ローゼマイン様」


「おはようございます。今日から神殿に戻りますので、伴をお願いしますね」


 ブリギッテのオルドナンツ連絡が終わると、見送りにきてくれたお母様から、推しによろしく伝えるよう声をかけられ、了承する。


 馬車で真っ白の街並みを眺めながら雑談をしてたら神殿に着いた。


「おかえりなさいませ、ローゼマイン様」


 神殿の正面玄関にはフランが待っていてくれていた。マインちゃんが貴族街へと移動したのが、春の盛りを少し過ぎた頃で、今は夏の盛りをもうじき迎えようとしている季節だから、一季節ぶりの神殿だね。

 挨拶し、側仕えと護衛騎士それぞれを紹介した後、神殿長の部屋へと向かう。赤系の色でまとめられたお花模様のメルヘンな部屋の中、浮いている祭壇コーナー。


「ずいぶんと可愛らしい部屋ですね。ローゼマイン様にはよくお似合いです」


 神殿の部屋にここまでお金をかけられるとは、と感心したようにブリギッテが何度か頷いている。


 この模様替えは全てリンクベルク家家長がお金を出したらしい。神殿育ちをさせていた娘への援助金の名目なのだろうか。出金日帳尻合わせさせてんのかな。うーん、娘が育った神殿にとリンクベルク家が出した寄付で神殿側が整えたというのが妥当な金の流れだろうか。養子に出してるし。てか養子になってから神殿長就任の流れだから本来は公費で調えるべき……あー、むしろ養子に出した側の持参金みたいなもんか。


 フランから騎士部屋を確認するように言われたので足を運ぶ。男騎士の部屋はシンプルな客室で、女騎士の部屋はぶりぶりした可愛らしい部屋だった。使用者の好きにしていいよ、と声はかけておく。


「おかえりなさいませ、ローゼマイン様」


 神殿長室に戻り、神殿長服に着替える。これはフェルがギルベルタ商会に頼んでくれていたものらしい。時間がないため前神殿長の儀式用衣装を仕立て直したものとのこと。

 はぁ、そんなキワキワのスケジュールで私を動かさないでほしい。私、虚弱ぞ?薬で無理矢理動かすとか、人道に悖ると思うんですけど。あ、ここには人道なんてなかった。


「寸法は問題ないですね。では、本日の予定からご説明いたします」


 ファッションチェックを終えたフランに執務机へと向かうように言われ、本日の予定の説明を聞く。


 この後、神官長がこの部屋へとやってきて、就任式の打ち合わせがあり、午後から就任式が行われるらしい。そして、明日はギルベルタ商会との会合が予定されているとのことだ。そんなフランの説明が終わる頃合いに、丁度フェルがやってきた。


「それにしても、ずいぶんと急いで就任式をするのですね」


「神殿長室を君が使う以上、必要な儀式だ。それに正式に神殿長に就任しなければ、君に図書室の鍵を渡すことができない」


「……神官長がそのようなことで急いでくれるとは思えません」


「青色神官にはすでに何日も前から通達しているので問題ない。君の体調を薬と癒しで回復させることは決まっていたからな。……だいたい、このような内輪の儀式に時間をかけるわけにはいかないのは君の方だろう? ジルヴェスターの言ったことに早急に取り掛からねば、時間が足りないのではないか?」


「ジルヴェスター様のおっしゃったこと?」


 コテンと首を傾げると、フェルは指先でトントンとこめかみを叩いて、苛立たしげに私を睨んだ。


「聞いていないのか? 印刷業の拡大と食事処の件だ」


 聞いてないに決まってるじゃん。いつ私が知る機会があったよ。こんな幼女に八つ当たりしないでほしい。


「印刷業の拡大は近隣の町の孤児院に工房を作るという話をジルヴェスター様が洗礼式でおっしゃっていたことですか? それに食事処の件?」


「ベンノはジルヴェスターから命令書を受け取っていた。星結びの儀までに、文官と打ち合わせをして、視察に出かけ、結果をまとめて、イタリアンレストランで報告しろという無茶なものだ。さすがにベンノ一人の肩には荷が勝ちすぎている。君があれの養女となったことで、期限が前倒しになったのだから、なるべく手伝ってやりなさい」


 さあ、演技開始だ。やったるぞー!


「神官長、知っていたなら何故早く教えてくださらないのですか?! リンクベルク家ででも対応できることはあったかもしれないのに」


 動転しています!と顔に書いて言い募る。


「君はその頃エルヴィーラから教育を受けていたのだ、他の事を抱えるより教育に集中すべきだった。それが終わってからこの件に注力した方が効率がいいだろう」


 これみよがしな溜息に対抗して、冷静さを一段取り払う。


「神官長が無茶だと判断される内容です! ベンノがもし失敗すればどうなるのです! 処分されてしまうのですか?!」


 悲壮感溢れる幼女を相手に不機嫌オーラをこれでもかと出してくるのは最低だと思うけど、まあ、善意で予定調整してあげたのに感謝もされずに言いがかりつけられて話も通じないことになったらイライラもするよね、わかるわかる。


「だから君が手伝ってやれと言っている。興奮しすぎだ。落ち着きなさい」


 宥めるように私の視線が手のひらで遮られる。

 切欠をもらえたので深呼吸を繰り返し、少しだけ落ち着きを取り戻した感じにした。


「ふぅ、興奮して失礼を申しました。これは神官長がベンノを哀れに思ってくださったからこそ、わたくしに忠告をしてくださったのですものね。御礼申し上げます。……お母様に、協力をお願いしてみます」


 苦渋の決断です、みたいな深刻な顔をして胸の前で両手をギュッとする。


「なぜ、エルヴィーラに?」


 あ、一瞬呆けた。想定外の言葉でしたかそうですよね。


「当然でございましょう。わたくしはリンクベルク家の娘となりました。その上で魔力と新しい事業の元を見込まれ領主の養子となりました。そのわたくしの専属が、わたくしが関わっている事業の件で領主からの命令を果たせるかわからない事態なのです。わたくし、つまりリンクベルク家の沽券に関わります」


 冷静さを欠き、ベンノを護りたいがための詭弁を練ったと思われてもいい。私はリンクベルク家に連なっている、というのを正しい意味で覚えてもらいたいのだ。

 自分を守るためには、私は権力のない平民ではなく、領内最高位臣下貴族の娘だと印象付けるしかない。それには貴族の洗礼式を終えたばかりの初手が一番効率がいい。意識改革にぴったりな時期だしね。


 気ままに命令を出せて、使い潰しても無理矢理立て直して動かしていた便利な魔術具に、新たな権利者が増えたとなれば、そちらに遠慮せねばならずに使い勝手が悪くなるだろう。ははは。


「……そこまでではない。君の手伝いでなんとかなるだろう」


 本当は、助けを呼ぶなど信じられん自分の能力不足は自分自身でなんとかするのが当然だ他者を煩わせるな、とでも思ってるんだろうなぁ。

 それでも、家族を奪われたばかりの私がそう思い詰めるのも仕方ない、としてくれるはず。


 眉根を寄せながら忌々しく告げられた言葉に粛々と了承の意を返しながら、内心ガッツポーズを決めた。




 さてさて就任式がはじまり、勢揃いグリコに笑いを噛み殺して、フランに手を引かれながらゆっくりと歩く。会場には青色神官が10人一列に並んでいた。下級未満の魔力量10人で中領地…。知ってるとぞっとする事実だ。


「よくお集まりいただきました。火の神 ライデンシャフトの威光輝く良き日、養父である領主より神殿長を任じられましたローゼマインと申します」


 優雅さを全面に出しながら挨拶しても、「領主の養女だと? そんなはずはない! 平民だったはずだ!」と唾を飛ばすような勢いで神官たちが色々と叫ぶので、淡々と「わたくしが上級貴族の娘という出自であることをお疑いでしたら、騎士団長のお父様か、養父である領主にお確かめくださいな。ただし、それはお二方のご意向に逆らうことと同義でしてよ。それでもよろしかったらぜひどうぞ」と強めに黙らせ、今後の抱負を飾った綺麗な言葉で述べて、神への祈りと感謝で締めだ。


「高く亭亭たる大空を司る、最高神 広く浩浩たる大地を司る、五柱の大神 水の女神 フリュートレーネ 火の神 ライデンシャフト 風の女神 シュツェーリア 土の女神 ゲドゥルリーヒ 命の神 エーヴィリーベに祈りと感謝を捧げましょう」


 不満を抱えつつも私の言葉に反応して、ざっと神官達が構える。


「神に祈りを! 神に感謝を!」


 全員で神に祈りを捧げて、私は退場となる。


 フェルに手を引かれて段を下り、足を進めていたが、退場途中で、やや俯き加減になって視線を逸らそうとしている一人の青色神官に気付いて足を止めた。


「あら、貴方……」


「エグモントを知っているのか、ローゼマイン?」


「図書室を荒らした方、ですよね?」


 見つけた、と小さく笑うと、エグモントの顔色が真っ青になった。


「あ、あれは……その……」


 口をはくはくとさせながら、助けを求めるようにエグモントの視線がさまよう。フェルを見て、ハッとしたように言い訳した。


「あれは前神殿長の指示で! 私の本意ではなく!」


「そう。神殿長のご指示でしたの」


「そうなんです!」


 私の穏やかな声音にエグモントはホッとしたように笑みを浮かべた。ほんと、悪いのは全部あいつ、って便利だよね。私は笑顔を消すと、真顔で軽く威圧をかけた。ガクリと膝をつくまで止めない。

 私のバックを信じないなら、私自身の力を信じさせるだけだ。丁度いいから、私を舐めてる青色神官に向けての見せしめになってもらうよ。


「二度目はありませんよ」


 呆然と見つめてくる神官達に再度優しい笑みで応え、その場を去る。そしたら、部屋に戻った途端フェルに「やりすぎだ」と怒られた。


「なぜですか。心に傷を植え付けて、体に叩き込むのが合理的で最適なやりかただって、神官長が教えてくださったのに」


「……それは、相手が言っても聞かぬ場合だ」


 瞳をパチクリとさせると、神官長は苦々しい顔をした。ほら、フェルが誤算を認めないから、ヘンな学習をしちゃったんだよー。


「わたくしに楯突くべきではない、と青色神官全員が理解すればいいのですから、とても合理的だったでしょう? それに、神官長の様に大事なお式の最中にわざと大怪我を負わせるような真似はしていないのです。十分配慮していると思いますが」


 ニコリと笑うと、神官長もまた張り付けたような作り笑いを浮かべた。へいへい、当て擦っていくよー。悪いのは全部フェルのせいー。


「君の合理性は感情に任せている分、とても怖いな。どこにどんな影響があるか、わからぬ」


「わたくしは、神官長の合理性の方が、与える影響範囲が広くて余程怖ろしく感じますわ」


 私からの敵愾心は兎も角、領主一家の評判、リンクベルク家への迷惑、ライゼガング一族の失望。その合理性とやらで作られた火種はどんな火事を引き起こすやら、だからね。キャーコワーイ。


 しばしお互い牽制しあうようにフフフと見た目お上品に笑ってから、私は掌を差し出した。


「神官長、就任式を早める名目とした図書室の鍵をください。明日、ベンノ達と会う前に、できるだけ目を通しておきたいのです」


 これからの地盤固めのために、神殿に納められている領地の資料は急ぎ確認をしたい。内政(ゲー)の基本は領内の把握、これ鉄板。


 その手を凝視した神官長は、きつく目を閉じて、片手で頭を抱えた。


「今日は倒れても、薬も癒しもないからな」


 ……計らずとも、マインちゃんらしかったんではないだろうか。


 神官長から鍵をもらって、わくわくとすぐさま図書室に向かおうとした私だったが、フランに急ぎの案件があると止められてしまった。


「図書室の本より先に、こちらをご覧ください」との言葉の後にどどんと机に木札が積み上げられた。儀式の手順と祈り文句の数々らしい。


「これを星祭りの儀までに覚えてください」


「待ちなさい。これを全部ですか? いくら何でも多すぎる。幼いローゼマイン様には……」


 洗礼式を終えたばかりの子供に課す量ではない、とブリギッテが庇ってくれた。


 あーりがとー!本来そうだよねー!座ってればいい役職だから子供でもいいかって据えられたはずだしねー。


「ローゼマイン様は星結びの儀において、神殿長として出席しなければなりません。神殿長として初めての儀式で失敗すれば、それが後々のローゼマイン様の評価としてずっと残ります。貴族社会でそのような評価を抱えればどうなるか、貴族階級であるブリギッテ様にはご理解いただけると存じます」


 貴族に詰め寄られても負けないフランはかっこいいんだけど、まあ神官長の指示なんだろうけど、本来ならアンチョコ見ながらでも失敗にはならないと思うよ?見た目幼女の公式年齢7歳なら十分でしょ。


「なるほど、理解しました。差し出口であったようです」


 ブリギッテはそう言うと、すっと下がってしまった。納得しちゃったか。これは見事に言いくるめたフランを誉めるべきか、ちょろいブリギッテを可愛いと思うべきか。


 フランが明らかにホッとした顔になって、わたしに木札を差し出してくる。


「どうぞ、ローゼマイン様」


「これ、わたしが書きました。ローゼマイン様のために頑張ったのです」


 きらきらとした眼差しでモニカがわたしを見下ろしてくる。フランの主を思う気持ちとモニカの邪気のない笑顔が眩しい。


「……二人の努力に報いるためにも、努力します」


 聖典に書き込みがあるのは覚えているけど、覚えれば後々役に立つことは確定してるので、代案を出さずに自力で頑張ることにする。唯一の救いは祝詞以外は暗記までしなくてもいいと判断できることことだろうか。

 こうして、星結びの儀の流れや神殿長の仕事について話をして、図書室に行くことなく一日は終わりを告げた。




◯●◯




 今日は、印刷業に関する仕事の進み具合を確認するためにフェルがギルベルタ商会の者と会うことになっているとのことで同席の予定だ。文官に改竄される前の報告が欲しいらしい。


「ローゼマイン、久し振りの再会で興奮するかもしれないが、私の話が終わるまでは、おとなしくしていなさい。……その代わり、あの部屋の中に入った後に関しては、目を瞑る。存分に心の平穏を得てくると良い」


 フェルが院長室へと向かう途中で、ぼそりと言葉を付け加えた。こういうところが憎めないところだよね。

 回廊を通り、孤児院の院長室の二階のテーブルでフェルと星結びの儀について話をしてると、ギルが3の鐘が鳴ってすぐにギルベルタ商会の面々を連れて来てくれた。ベンノとマルク、ルッツが一緒だ。


「では、ベンノ。視察について見たこと、思ったことを率直に述べてもらいたい。私は文官以外の報告が欲しいのだ」


「かしこまりました。……孤児院は酷い状態でした」


 そう切り出したベンノが、現状を端的に解説していく。報告が終わり、少しの沈黙が降りたタイミングで私は口を挟んだ。


「ベンノ、領主からの命令書には、今回の調査の報酬についての記載はございましたか? あるいは打ち合わせた文官から、そういったお話は」


「どちらもございません」


「そうですか。そのような状況でしたら報酬については、まずはわたくしが立て替え致します。領地からの支払いは時間がかかるでしょうからね。帳簿をそのように処理してください。

神官長、事業の予算管理者をご紹介くださいませ。わたくしから請求いたします」 


 つらつらと喋りだすと、部屋の空気が困惑に包まれていく。うふふ。


「……この事業は君のものであろう?」


 能面のような無表情で、フェルが問う。


「わたくし? 領主がベンノに直接命令書を渡しているのです。わたくしが知らない間に領主事業として既に計画は動いています。昨日のお話から、わたくしは事業の発案者というだけで、事業を拡げるのは領主から任命された方だと思っておりましたが」


 お互いに、お前なに言ってんの??状態で顔を見合わせる。フェルは眉を寄せた。


 それを少し眺めていたベンノが、コホンと話題を変えてくれた。ありがとう。


「……印刷事業は、難しいかもしれません」


「それは何故だ?」


「文官達は、この印刷事業を潰したいのではないか、と考えられるからです」


 ベンノの目が厳しい光を放った。隣でマルクも静かに頷いている。言ったれ言ったれ!


「文官達に全くやる気が感じられませんでした。どのように伝達されて、どのように仕事をするように言われているのか存じませんが、本当に嫌で仕方がない仕事を無理やり割り振られたようでした」


 ルッツとギルが、うんうん、大きく頷いてアピールしている。子ども可愛い。


「率直な意見をお望みだと伺ったので、口にさせていただきますが、あれが本当に領主主導で起こそうとしている新しい事業の担当者なのか、と思わざるを得ません。当人の意識が低いだけなのか、領主の意思が通じていないのか、故意に事業を失敗させたいのか、一介の商人である私にはわかりません。ですが、あの担当者では確実に計画は頓挫します」


 そこまで聞いて、フェルはにんまりとした笑みを口元に浮かべた。この文官、なにやらかしたんだろうね。こんな風に笑うってことは、狙った通りの結果が出たってことでしょ?ヴェロ排除後即更迭理由を作られる程のこと……やっぱ金関係かな。ジルの側近で、単純にそれを追及できなかったから別の名目を用意したって線が濃厚そう。


「ふむ。君達の意見は参考にさせてもらおう。わざわざ足を運んだ甲斐があったようだ。それから、星結びの儀が間近に迫っているが、食事処の件は一体どうなっている?」


 ベンノは余裕の笑みを浮かべた。よ、有能!


「順調です。食事処自体は完成しましたし、料理人の腕も上がっていますし、教育された給仕も増えました。貴族のことをよく知っている者が主となって、動かしておりますので、食事会はそれほど大きな問題もなく開催できると思われます」


「そうか。他に問題は?」


「……神官長にご報告するものは、以上となります。イタリアンレストランに関してローゼマイン様にお伺いしたいことが数点ございます」


 ちらりとこちらに向いたベンノの視線が鋭く刺さる。なんでそんな目で見るのかな?とすっとぼけたいけど、まあこんな鬼スケになったのはマインちゃんのせいです。本当の原因は無茶振りの領主だがな!


「では、報告のまとめや初期費用の計算などに関しては、ローゼマインにも手伝わせるとよいだろう。ローゼマイン、君はこの事業を自分が進めるものとして、内容を把握しておきなさい。一つの事業を起こす大変さを知っておくのも、領主の養女として必要な経験だ」


「お手伝いは勿論致しますけれど。絶対に後で今の事業責任者の方をご紹介くださいね。わたくし、印刷事業が頓挫しないよう、合理的にお話しさせて頂きたいです」


 にっこりとした微笑みで神官長を見たら、大きな溜息が返ってきた。


「ローゼマイン、この後はあの部屋を使っても良い。護衛はダームエルだ。ブリギッテはここで待機し、先に昼食を終えよ」


「はっ!」


 神官長の指示に、モニカはブリギッテの昼食の支度を始め、フランは退室しようとする神官長とザームを見送りに行く。


 神官長が一階へと降りていくのを見送った後、私は隠し扉に手を当てて、軽く魔力を流した。魔力を動かす感覚は掴めてるから、あとは操作の練習をしなきゃだな。


「ギルベルタ商会の方々はこちらへ入ってくださる? 神官長がおっしゃったように護衛騎士はダームエルで、側仕えはギル。モニカはブリギッテの食事の給仕をお願いします。用があれば、扉の魔石を押してちょうだい」


「はい」


 モニカにそう言いおいて、わたしは皆が入ったのを確認してゆっくりと扉を閉めた。そして深呼吸を一つ。


 私がマインちゃんになったことで、一番悩んだのが下町のことだった。どう接するのがいいのか。悩んで迷って、出した結論は、私はマインちゃんとして生きる、ときちんと腹を括ることだった。

 差異は貴族になったから、てことで押し切る。今までの本への愛は貴族になって落ち着いたことにする。迂闊なところは貴族教育を受けて直ったとする。ばれたらそこまでだ。


「ルッツ、背、伸びたね。皆は元気かな」


 静かに微笑むと、ルッツはちょっと驚いたようだった。少し顔を赤くして、キョロキョロと視線を泳がせる。久しぶりの再会で幼馴染みがお嬢様然としてたら、美貌と相まってドキドキもするだろう。初々しいのう。

 ちょっとほんわかした雰囲気を楽しんでいたら、ベンノが打ち切った。


「まずは仕事の話を進めていいか? イタリアンレストランの売りにするふわふわパンのことだが……」


 ギラリと目を光らせた商売人を、今度は私が止める。


「ベンノさん、すみません。ふわふわパンはなしでお願いします。大丈夫です、現状で十二分にメニュー全てが真新しく、美味しいです」


 この件は原作通りにお断りする。申し訳ないが、ふわふわパンはお茶菓子に適しているので今後独占して使いたいのだ。色々やりとりして了承してもらう。


「あとイタリアンレストランはなるべくフリーダとギルド長にお任せして、ベンノさんは製紙印刷事業の方に注力してください」


「そんなことしたら乗っ取られるじゃないか」


「忙しすぎて、構っていられなくなります。共同出資者としての名前が残っていて、その分の利益が得られたら十分ですって」


 私は理解できないと言いたそうなベンノとマルクとルッツの顔をぐるりと見回した後、肩を竦めた。


「ベンノさん、ついこの間のわたしの洗礼式で領主自ら宣言したんです。二十年くらいで領地に広げるって。それに、今後はわたしが責任者として指揮をとります」


「お前、さっきは」


「私が正式に事業責任者になるための策略ってやつです。いいですかベンノさん、付けられた文官の質を見たでしょう、私が主導する権利をはっきりぶんどっておかないと、予算もつかないうえに使えない貴族から無理難題を押し付けられてベンノさんたちがひいひい苦労してる間にその貴族が脚色していいようにした報告を信じたせっかちな領主が現状を無視した命令をどんどんしてくることになりますよ」


「……あんまり適当なことを言うな」


「適当じゃありません。純然たる未来予想です」


 思い当たることがあったのか、弱々しく否定する言葉を述べながらも、ベンノが絶望のこもった瞳を見せた。マルクはそっと額を押さえている。もうすでにジルの暴走でギルベルタ商会は大変なことになっているからね。


 申し訳ないが、更に過酷な現実を見てもらおう。


「今回の事業の目的、ベンノさんはなんだと思ってますか」


「そりゃ、事業なんだから金儲けだろ」


「はい、そうです。ただ、領主がやるとなると政治が主目的です」


 なんの話だ?と怪訝そうだ。そうね、一介の商売人には縁の遠い話だよね。すまないががっつり巻き込まれてくれ。


「領主は、現在支持基盤がガタガタです」


 なんたって、自分を擁立していた派閥の首魁をなんの根回しもなく断罪したからね。派閥的には完全に裏切者さ。


 全員のヒュっと息を飲む音に、詳しいことは私からは言わないです。聞きたくないですよね?と追い討ちをかける。


 ジルもさぁ、母とその派閥を煩わしく思ってたり、息子すら甘やかせないだとか、マインちゃんを取り込んでその事業を領地のために使おうとかって、一端の領主の描写を最序盤にされてたじゃん。

 フェルもジルをそれなりの領主だって評価してたし、本人も派閥も取り込んだりしてるって言ってるし、素直にそれなりの領主なんだと認識していたのよ。息子にゲロ甘なのは味として。

 徐々に開示されていく領内情勢に、己の支持率の低さを自覚していたからリスクを承知でマインちゃんを養子という自分の直接の管理下に確保したんだな、マインちゃんの事業を後ろ楯に自分の地位を確立しようとしたんだな、と、ふむふむ頷いていたのよ。

 けど、読み進めていくうちに違和感が強くなり、どう考えても無能にしか思えない描写が増え。

 ついには、ジルは単なるかっこつけなマザコンエネ夫長男教クズ男で仕事から逃げる中身小学生男子でしかないことが明かされた。

 その衝撃に、「マインちゃんを後ろ盾にした認識もなければ、己の来歴や確執も理解してなかっただと!?こいつ政治感覚0で領主やってやがったのか!たいてい外れる麗乃さんの初対面貴族人物評が大正解とか罠過ぎぃ!作者様にしてやられたぁぁ!」と、その妙にしばらくのた打ち回った。

 ほんと、面白いキャラ展開したよ。無能さが毒親からの洗脳と偏向教育の成果だと察せられて同情の余地もあるところがまたいい塩梅でさ。


「だから地方貴族に恩を売って支持を取り付け、さらに交易品をつくることによって領地の影響力を上げたいと考えています。なので急がせるのです」


 実情は、母の軛から離れたから早速アウブらしく領民に称えられたい、とか、物珍しい品を早く見せびらかしたい、という浅い感じだろうけど。きちんと取り繕って表現するとこうなる。


 ジルのかっこつけ願望が、こういう一端の領主行動に見える仕組みなんだよ。いやぁ憎らしい。


「注意点は、領主の評価が上がることをよしとしない貴族もいる、ということです」


 しかも現在積極的に領主を後援している派閥は皆無である。これはさすがに言えないが。


 現状、ジルを領主として曲がりなりにも支持しているのは、領主の側近として甘い汁を啜っている寄生虫と、後々追い落とすために機会を窺っているゲオ派と、領主という肩書きに従っていたり領地がこれ以上荒れることを望まない穏健志向の貴族達だ。なので盛り立てようと動いてくれるのは親族くらいだが、その親族すらフェルとフロしかいない。ボニは引退、カルは脳筋、エルはライゼを多少なりとも抑えてくれるだけで感謝されるべき立場だからね。

 本来なら第一夫人のフロの派閥が領主の後援となるはずだが、フロの派閥は元々ヴェロの影響のない次代を擁立することを目指した集まりだろうから、ヴェロの傀儡だったジルには隔意がある。フロの統率があれば勿論従うだろうけれど、その肝心のフロの手腕はお察し事項だ。領主と領主の第一夫人の派閥が敵対していた弊害は大きい。

 残る希望はフェルだが、フェルはフェルで兄に後援を取り付けようと動くと逆に自分の後援になりたいと言い出されちゃうから動きようがなかったりする。

 こうやって領内情勢を整理すると、領主を取り巻く状況の酷さに思わず目を覆っちゃうね。ライゼガングが絡む前からこの在り様だよ。

 

「なるほど、文官達は反領主だったのか」


 本来なら当たりーと言いたいところだが、残念ながら現状は想像を大きく下回る。

 あれは一応ガチの領主側なのである。さすがに領主直命の仕事を、テキトーにやってもどうにでもなる、と判断できるのは昔から侍っている側近辺りしかいないだろう。領主の性格を熟知している領主付きが一番領主舐めてるからね。

 反勢力からの嫌がらせが始まってすらいない状態でこんなだよ、ハハッ。


「本当に無能な愚か者の可能性もありますけどね」


 勿論そんなこと言えないので、しらっと茶を濁す。


「そんなわけで、この事業は邪魔との戦いもありつつ、領主からの期待だけは重いものになります。やりがいがありますね?」


 信じたくないって顔をしているベンノの後ろで、マルクがすっと両手を胸の前で交差させた。


「貴重な助言、ありがとうございます。心に留めておきます」


「マルク……」


「いくら現実が過酷だからといって、目を逸らしてはいけません。領主事業から手を引くことはもう出来ないのですから、どのような無茶を言われてもある程度対応できるようにしておかなければ」


 マルクの言葉にベンノとルッツと、何故かギルとダームエルまでが、すっと表情を引き締めた。無茶ぶりをする上を持つと大変だね。私も含まれてるか。ごめん。


 うっすら皆が顔色悪くなったところで、今後の要望だ。この話を押し通すために先の話題を振ったようなもんだからね、頑張らないと。


 世界中に影響力を持つような商人になる夢諦めてないですよね、と唐突にベンノに念押して、私は話し始める。


「ベンノさん、すごく申し訳ないんですけど、大急ぎで私を商会長とする新商会を立ち上げる準備をしてください。そしてベンノさんはギルベルタ商会から抜けてそこの商会長代理になってください。製紙印刷業が領主事業となることは決まっています。このままではギルベルタ商会がその影響を全部受けてしまう。領主の命令書の件で痛感しました。専属というだけでは貴族になった私でも皆を護りきれない。領主の横暴や貴族のいざこざから護るには、領主の養女の所有物という扱いが必要なんです。わたしは、ルッツやベンノさん、マルクさん、ギルベルタ商会まで貴族のせいで失いたくない。世界を股に掛ける商売はお約束します。商会長の権限は全部ベンノさんが握ってください。わたしは全力で貴族からの盾になります。だから、お願いです、受け入れ、痛っ」


 夢中で喋っていたら、デコピンされた。反射的にベンノを見上げると、盛大な溜息とともに頭に手を置かれる。


「そう思い詰めるな。お前の危惧はわかったから、ありがたく盾として使わせてもらう。コリンナとオットーが覚悟を決める時期と、俺の独立が早まるだけだ。だから、そんな気にすんな」


 ポンポン、と落ち着かせるようにリズム良く。知らず浅くなっていた呼吸を直し、ありがとうございます、と呟いた。


 よかった。ベンノの矜持と誇りに触れる可能性もあったから、受け入れて貰えて本当によかった。原作では彼らに命の危機はなかったが、心配は残るので早めに護りを固めておきたかったのだ。 


 これで事業の責任や窓口は総て私になり、ベンノに直接命令がいくことを防げる。平民だけに事業責任を押し付けることが出来なくなるから貴族も対応を考えなきゃいけないし、平民側からのクレームもやっかみもかなり収まるだろう。それに、『私の専属商会の平民』と、『私の商会の商会員』では私が出張れる範囲も強度も段違いになる。領内や他領の貴族から平民を守ろうと思えば、これしか方法が思いつかなかった。


 マインとして、私は私を支えてくれた人達を全力で護るとを決めている。だから手に入れた権力は、ガンガン使っていく方針だ。


 ベンノの承諾に何か思うことはないかと、マルクとルッツの顔を窺うと、軽く笑いながら頷いてくれた。私はそれに思わずへにゃりと笑み崩れる。


 さて、大きな用件を無事飲んでもらえたら、次に移らなければ。先取りして動いていかないといけないので、今日は議題がいっぱいなのだ。顔を戻すと、皆も仕切り直すように座り直した。察しがよくてありがたい。

 

「そうと決まれば、羊皮紙協会に、領主が植物紙を領主事業とするそうだ、と念の為知らせてください。後になってから難癖付けられないようにしたいので」


「領主事業は印刷業だろう」


「印刷は紙を大量に使うんですよ。同義です。それに、私が正式に責任者になったら、実際にまず製紙業を広めていきます。印刷業は後回しです」


「お前、いいのか。あんなに本を作りたがったのに」


「はい。そもそも、私は本を作りたいんじゃなくて、本を読みたかったから作ろうと思ったので。貴族になって本が身近になったので、我慢できます」


 やっぱ突っ込まれるよねー。この言い分で納得してくれ!


「印刷は、紙が十分に確保されていなければ無益です。それを理由に印刷業は基本的にしばらく拡げません。20年かけて、って宣言してますし、公には新事業が印刷業なんて発表されてないし製紙業があれば当面の領主の目的は果たせるので大丈夫でしょう」


 どっから出てきたんだろうね20年て。急激な変化の危険性は認識してたから、それ影響かな。その割に急かしてたイメージだけど。周囲の圧に負けたんだろうな。


「あ、その内、紙を特産品として他領に売りに出すことになるので、原料特定されないように名前を変えたいです。エーレンフェスト紙って安直で長いでしょうか。そうなると協会の名前も変えなくちゃですね。あ、印刷業は拡げませんが、ローゼマイン工房ではがっつり印刷していきます。貴族に売れるトランプと聖典絵本で一緒に荒稼ぎしましょうね!」


 私が未来を語っていると、ベンノは頭をガシガシ掻きながら、大きく息を吐いた。


「まず目の前のことだ。例の町の件、結局どうすんだよ」


「孤児院に工房を設立するって領主が言っちゃってるんで、最終的には権力でごり押すことになるかと」


「ちょっと待て! いきなり権力の暴走か!? お前、喧嘩は嫌だとか言ってなかったか?」


「喧嘩は嫌ですけど、この場合、喧嘩にならないでしょ? 貴族になってしまったんですから、使った方が楽な権力は堂々と使っていきます」


 私はニヤリと悪い笑みを浮かべる。


「マルクさん、そこの町長の周辺に、いかに貴族が恐ろしいかを聞かせてあげることはできますか。そうですね、今までの神殿長は処刑された。処刑を指示したのは領主だ。領主は新しい神殿長に幼い義娘を任命し、更に新しい事業をさせるようだ。といったものも一緒だとすごくありがたいです」


「誰だ、こんなのに権力を持たせたヤツ!?」


「領主様ですね」


「……くっそぉ、文句も言えねぇ」


 ベンノが頭を抱えるけれど、私の権力行使に早々に慣れて貰いたいものだね。マルクは興味深そうに頷いてくれているのに。


 仕事の話はこれで終わったので、次いでルッツとギルの二人の大冒険を聞くことにする。褒めて、ギルの頭をわしゃわしゃと撫でた。


「あんまり、中身変わってないんだな……」


「そう? そうなら嬉しいな。貴族になっていっぱい変わっちゃった気でいた」


「だから、言っただろう? 平民から上級貴族の娘になったところで、本質はそう簡単に変わらない、と」


 変わっちゃいましたけどね。成り代わってしまいましたよ。でも心の根っこは現代日本人成人済女性として共通点はあるし、マインちゃんの記憶はしっかりあるから家族やルッツへの愛情はがっつりあるし、マインちゃんとして生きていくから、どうか赦してね。


 ルッツが悔しそうに歯を食いしばって、ベンノと私を睨む。


「くっそぉ……。マインにはもう会えないんだって思ったオレの涙を返せ!」


「ふふ、泣いてくれてありがとうルッツ」


 溜め息で気持ちを切り替えたルッツが、取り出した折りたたまれた植物紙をそっと渡してくれた。


「これは、死んじゃったマインに対する手紙だから、中を見てもローゼマイン様へ、とは書いてないからな」


 手紙を見ると、ぶわっと感情がわきあがる。マインちゃんの記憶が、私に狂おしい程の愛おしさを与えてくる。金を食い潰すだけで何もできない虚弱児を愛情のみで接して育ててくれたことへの感謝と尊敬が胸中吹き荒れて泣きそうだ。

 ルッツに内容を教えてもらって、マルクが貸してくれた筆記用具で急いで返事を書く。忙しいけれど、わたしは元気だよ、と。


 必ずあの契約魔術を解消して、安全に交流をはかれる場を用意して、いっぱい恩返しするからね。




◯●◯




 課せられた聖典暗記にひいひい言っていたら、すぐにやってきた下町の星結びの儀。盛大に祝福し、家族と隠れてやり取りもした。

 次は貴族街だ。城に行ってリヒャルダを筆頭側仕えとして紹介され、言われた通りに湯浴みをして髪を結い直し、正餐に向かう。


 ただし、リンシャンはなし、リヒャルダの男児洗いの際には体が弱いアピールを全力でし、今日も儀式が終わったら倒れるかもしれない、と伝えた。このおばあちゃんは、マインちゃんの体の弱さを舐めていたのだと思うのだ。まあ、話だけで理解できるレベルではない虚弱さだからね、しょうがないね。


 ジルにイタリアンレストランでの食事会の日取りと時間を確認して正餐をそつなく終え、言われるままに儀式を終える。あ、聖書は持ち込んだよ。


「ローゼマイン、大丈夫か?」


「コルネリウス兄様、そろそろ限界です」


 リヒャルダを連れてきて貰って、体調が悪く倒れそうことを伝えると、「本当にお体がか弱いのですね」と驚いたあとは、寝室に運び込んで洗浄の魔法を掛けて寝かし付けてくれた。



 ――その晩、やはり熱が出た。



「やはり寝込んでいたか」


 朝食を終えるとすぐにフェルが様子を見に来てくれた。えぇえぇ、貴方の予測通りですよ。


「何を落ち着いていらっしゃるんですか、フェルディナンド坊ちゃま!」


 リヒャルダの叱責するような声に、フェルは軽く肩を竦めて、いつもの薬を差し出してくる。


「一日中忙しかったのだ。数日寝込むことになるのは目に見えていた。これを飲ませて、寝かせておけばよい」


「寝かせておけばよいとは何ですか!? 寝込むことがわかっているならば、先に対策を立てなくてどうします!?」


「リヒャルダ、ローゼマインの虚弱さは先に対策できるものではない。できるものならば、すでにしている」


 横で交わされるやりとりに脳内茶々を入れたいところだが、何分、本当に頭が痛い。身をもって体験する脆弱さに心底辟易する。こんな体でよくあんなに生命力溢れる行動ができたねマインちゃん…。


 私はベッドから手を伸ばして、リヒャルダのスカートを軽く引っ張った。


「わたくしを心配してくれてありがとう。今回のように調整のきかないときは頑張るしかありません。フェルディナンド様もお薬を準備してくれてありがとう存じます。

でもリヒャルダ、これからもフェルディナンド様がわたくしが倒れるような予定を組んだら、今のように怒ってくれると、わたくしとっても嬉しいです」


 痛みを堪えて笑みを履き、甘えるように後半部を言うと、リヒャルダは優しい微笑みを返してくれた。


「お任せくださいませ。では、薬を飲んでおとなしくいたしましょうね」


 フェルから渡された薬が私に差し出される。小さな瓶に入った緑の液体が揺れた。


 蓋を開けると煮詰められた薬の臭いが鼻を突き、マインちゃんの記憶によりどうしようもない苦さが頭に浮かんだ。頑張れ私!と自分を鼓舞して一気に薬を口に流し込む。


「あんまり苦くない」


 思わず口から感想が溢れてしまった。苦いことは苦い。けれど、記憶にある、のたうって転げ回るような、どうしようもない苦さではない。驚きに固まっていたら、フェルにじろりと睨まれた。


「改善した。その必要はなかったようだが……」


「ご自身のためにも、リヒャルダに怒られない予定にしてくださいませ。……お薬、改善してくださって、本当に嬉しいです」


 お礼を言っているのに鋭い視線が突き刺さる。私は上品に休む旨を告げ、視線を無視して布団に潜り込んだ。




◯●◯




 神殿に戻って体調を戻したり、新商会や事業案についてこっそり書き溜めたり、こつこつルッツとやりとりしてベンノと手紙で話を詰めたりなんだりしつつ日々を過ごしていたら、すぐに食事会の日になった。約束の時間より速く神殿に来たジルを作り置きのクッキーであしらい、イタリアンレストランに向かう。

 道中で話題に出た馬車と下町の衛生管理については、前者については案があるのでその内、後者は大金が必要になる公共工事なので領主様が予算と人員をどれ程出せるかですねと回答した。


 レストランに着くと、ジルは挨拶に来たギルド長に事業への援助を強制し、更にベンノに便宜を図れと命じてくれた。これは素直にありがたく受け取っておこう。


 食事内容は、既存の高級パン焼き立て・ポテトサラダとハーブドレッシングの野菜サラダの盛り合わせ・コンソメスープ・グラタン・煮込みハンバーグ・フェリジーネソースのミルクレープとカトルカール2種(蒸留酒とお茶の葉)とした。アレンジ(チーズや卵の追加とか)レシピは何かあったときのご機嫌取り用にとっておく。


「では、ベンノ。先日の視察についての報告を聞こう。人払いを頼む」


 ベンノは、領主からの圧力がかかった商業ギルド長ことグスタフを巻き込むため、ここに残す利点をジルに述べる。よしよし、折角優位に協力を要請できる状況だからね、がっつり囲い込んでいこう。


「ふむ、よかろう。エックハルトは扉の前へ。それ以外の者は外で人が近付かぬよう見張っているように」


「はっ!」


 扉の前にずらりと並んだ護衛騎士に領主が命じると、エック兄だけが食堂に残り、三人とフリーダは扉の外へと出される。代わりに、マルクが入ってきて、ベンノの後ろに控えた。


 パタリと扉が閉められ、静寂が満ちる。緊張が広がる空気の中、フェルがベンノに報告を促す。ジルは驚く素振りも見せず、軽く頷いてベンノの報告を聞いていた。


「ローゼマイン、其方はどうすればよいと思う?」


 報告が終わると、ジルが私に視線を向けてきた。一瞬ベンノと視線を交わし、ジルに向き直る。


「わたくしに聞かずに、事業責任者にお尋ね下さい。わたくしも聞いてみたいです。ご紹介くださいとフェルディナンド様にも言ったのですけど、お名前すら教えてくださりませんし」


 拗ねたように見せる。勝手に調査に行ったんだからいるんだろう?名前出せや。フェル仕込の合理的なお話しをするから。

 そんな気持ちが滲んだのか、ジルが面倒くさそうに手を下から上に降った。


「そなただ。そなたがやれ」


「それは、わたくしの事業としてですか? それとも、領主事業としてですか?」


 すっとぼけはまだ続く。むしろここからが本番だ。


「どう違う」


「わたくし個人の裁量で各地に工房をつくっていくことを領主が許可していくのか、領主が領地事業として各地に拡げていく陣頭をわたくしがとるのか、ということです。前者でしたら、義父様を煩わせることはほとんどないですよ」


 領主が協力になるのか協賛になるのかの違いになるが、領主のやることは出された案に許可を出すことだと考えるとどちらも同じだ。多分、ジルはそう思っている。


「後者だ」


 フェルが、ジルが口を開ける前に即答する。わかりやすい誘いにジルが流れるのを防がれてしまった。まあフェルはジルの功績にしたいのだからそうなるとは思っていたが。私としてはこれはどちらかを断言させるための呼び水だ。事業展開をする上で、ここをはっきりして置かないと後々面倒なことになるからね。


「後者だとしたら、正式にわたくしを領主事業計画の責任者に任命するという書面を頂きたいです。領主候補生としての身分はございますが、如何せん幼い見目なので、領主のお墨付きがほしゅうございます」


 淑やかに領主を持ち上げる。


「わかった。用意してやろう」


 わからないことはすぐ放置したジルが、機嫌良く承諾してくれる。あざーす。


「ありがとうございます。それ以降のことは、与えられる予算によるとしかお答えできませんわ」


 事業計画は、予算を元に組むもんなんだよ。借り入れも検討するけど、その額によって動き方変わるからな。紙に書いた餅は食えねぇんだよ。


「そなたの事業として進めるならどうするかでいい」


 フェルが嫌らしい聞き方をしてきた。どうしてもこの場で私に具体案を出させたいらしい。まあ、私に事業をやらせるのは既定路線な上、私の口から工房を建てたいと言わせて、建ててやったぞと恩を着せたい思惑もあるしな。


「印刷機を用いた印刷業は、文字を読めない孤児には難しいです。印刷業を推し進めるためには大量の紙が必要となるので、孤児院に併設するのは製紙工房が適していると判断します。併設といっても、川と森が近い、製紙作業に適した位置に新しく建てるべきでしょう。その工房には、運営者兼職人用の住居と、台所と食堂を併設します。

孤児院の管理者に、この工房で働かせた孤児の人数と回数によって月毎に報酬を与えると告げます。

孤児には、工房で一日仕事をするかわりに食事を昼夜の二回与えます。

これならば、孤児に確実に食事を与えられますし、孤児院も金銭を得られるので、町も工房の設置を受け入れやすいのではないかと考えていました」


 小神殿は、自分で作れるようになったらアリだとは思うけどね。修道院の特産品みたいな形になるのも一興だし。


 ふむ、と頷く素振りをジルが見せるけど、特に考えてないのはお見通しだ。くそぅ、できる風に騙されていたのが悔しくて、つい感情的になっちゃう。


「運営者は誰を考えている」


「わたくしの商会を設立し、その商会員をと考えていました。その商会で製紙業に精通した灰色神官や灰色巫女を順に買い上げて、新工房に配置しようかと」


「なるほど。工房を作れば、道具はすぐに揃うか?」


 ベンノはしっかりと頷いてみせる。無茶振り対策乙です。

 ジルが、ふぅむ、と顎を撫でていたかと思うと、ニヤリと嫌な笑みを浮かべた。


「わかった。ローゼマインの案を採用しよう。フェルディナンド、お前がやれ」


「私は構いませんが、守りの魔力はどうするおつもりですか?」


「そちらはローゼマインに任せればよかろう」


 苛立ちと魔力をぎゅぎゅっと押し込んで、毅然と口を挟む。茶番を気持ち良く進めるのを許してなるものか。

 てか予算をまず提示しろって私はさっきから言ってんだよ。あと責任者に何の説明もなく決めるな。


「お待ちください。なんのお話でしょう」


「見てのお楽しみだ、と言いたいが、工房を創造魔法でつくってやろうと思ってな。とても光栄だろう?」


 ふふん、とジルが得意気に鼻を伸ばす。その鼻っ柱、全力でひん曲げたい。


 多分、思考回路としては、新事業を拡げるって言ったんだから、なんか自分も派手なことやって関わりたい。そうだ、工房つくっちゃうのはどうだ?こんな栄誉なこと、ローゼマインも超ありがたがるだろう。建物があったら新しいものもすぐつくれるようになるし、早くモノを見せびらかせるし、領主様すごいってなるし完璧じゃんっ!て感じだろう。それをフェルに言ったら、さすがに領主がそんなことに魔力を遣うんじゃない。だが早くモノができるならジルの武器にもなるし一考の余地はある。ならわたしがやろう、とでもなったんじゃないの。いらない計画立てやがって。け、坊っちゃんどもが。


「そうですか。建物をご寄贈くださるのですね、ありがとうございます」


「寄贈? そんなわけないだろう」


「でしたら、予算に関わります。任命書と予算を頂いてから、お願いさせていただくか検討させてください。今後何ヵ所孤児院工房を建てるかわかりませんが、領主事業として全箇所同じ仕様にしなければなりませんから。そうですね、何ヵ所であってもその栄誉を賜れ、かつそれが可能な予算を頂けると確約してくださるのであれば、ぜひともお願いしたいです」


 到底飲むはずのない条件をさらさらと述べる。この事業がひとつ工房を作れば終わりではないことなんか、わかりきったことだろうに。調子に乗っていらんこと考えないで欲しい。


 ぐぐぐ、と眉を寄せて、自分の偉大な計画がならなかった不満を抑えている。そうだ、ジル、取り繕え。

 フェルは無表情を貫いてる。事業の立ち上げ云々と偉そうなことを言っていたが、自分こそ事業所を増やしていく事業の経験がないことを思い知って反省して欲しいもんだ。


「試しに、予算はもう決まっていたりしますか」


「その建物を創ってやる分の予定だった」


「工房一軒分ですか。それは工房設立が決まったら毎回頂けるのですよね」


「いや、それが予算全部だ」


 不貞腐れ気味に、ジルは私の誘導にきちんと応えてくれた。それを聞いたベンノとギルド長が凍ったのがわかる。商売人に効果はバツグンだ!


「義父様、そうなりますと、事業拡大の進みはとてもゆっくりとしたものとなります。そうなりますと領主事業としては皆様を落胆させてしまうでしょう。やはりわたくし個人の事業とした方が…」


 ジルがフェルを見る。小さく首を振られている。


 新事業に領地で動かせる金など、今回の分しかないことは察せる。内政も外政もズタボロなら当然財政もだしな。だから解決案はアレしかない。結局個人事業でも領主事業でも変わらないのだ。


 ハァ、と領主面したジルが大きな溜息を吐いた。


「金が足りなければ、寄付金を募ればいい」


「わたくしが寄付金を募ったら、領主事業ではなくなります。募るのなら義父様名義でなくては示しがつきません。そちらのご協力は頂けますか?」


「……カルステッド、エルヴィーラを城に招き、フロレンツィアと共に寄付集めの算段を立てさせる。ローゼマインも寄付集めには協力しろ。それから、工房は大至急だ。収穫祭までに目処をつけろ。これは譲れん」


「かしこまりました」


 これ以上はさすがに主張出来ない。文官任命権とか事業の範囲限定の領主代行権とか分捕れるもんなら分捕りたいが、今はそこまで許される立場にないからね。成人文官側近はねだればつけてくれる話になっただろうが、初動の邪魔になりそうだからなしだ。粛々と諾を返す。

 それでも私がやりたがってるからやらせてやってるという意識から、きちんと領主がやる事業として認識を改めてくれたら大分動きやすくなる。さらに無能な文官の世話もしなくて済むなら、十分だ。


「それなら、ローゼマインはしばらく我が家に滞在し、エルヴィーラとともに城に向かえばいい。エルヴィーラも、ローゼマインの教育を進めたいと言っていたからな」


 話の流れで、カルが優しげな提案をしてきた。が、すぐに意図に気づいたジルが反論する。


「いや、連日移動するのはローゼマインには厳しいだろう。城に泊まればいい」


 私を置き去りにして、表面上は穏やかな、しかし、目がギラギラした意見が行き交う。そこにフェルもちゃっかり参戦した。


「はぁ、食が絡むと、この二人は実に面倒だな。ローゼマイン、神殿から通えば良いのではないか? 護衛騎士と騎獣で行けば、大して時間もかからぬからな」


「フェルディナンド、抜け駆けはいかんな」


 ジルとカルの視線が互いから一気にフェルに移り、じゃれ合う三人の真剣勝負が始まった。

 私はそっと抜け出して、ベンノ達のところへ向かう。


 戦々恐々としているベンノとギルド長の間に立って、二人を見上げる。あんなあんまりなやりとりを聞いていては仕方ないね。

 予想外に現れた私にぎょっとして、ベンノとマルクとギルド長が跪いた。楽にして結構よ、と声をかけて3人を立たせる。


「なんとか、話をまとめられました」


「……ローゼマイン様に、心から感謝申し上げます」


 この会話に込められた陰鬱さよ。

 責任者の知らぬところで一つのハコに予算全部使い込み、後は支援なしでやっていけ、という意識だったのだ。領主事業で。領主が。ナカを整える費用や人件費や材料費は勘定にない。もうわけわからんよね。


 事業計画とはなんぞや。領主事業とはなんぞや。


 この領主に従っていてはだめだ。だが平民は逆らえない。有能でも並な貴族なら逆らえない。無能な貴族なんてもってのほか。それが共通認識になったところに、きちんと手綱を握ってくれる私の存在だ。我ながら天使だと思うね。


「ローゼマイン様、あの方々はよろしいのですか?」


「今、わたくしがどこに滞在するか、の話し合いをしています。わたくしの滞在場所にエラが来るので、それが狙いのようですよ」


 つまり、料理人の取り合いだと言うと、マルクが軽く目を細めた。


 ねー、ばっかじゃねぇのって感じよねー!!!こちとら領地の大事業を真剣にこなしていこうとしてんのにね!


「グスタフ、これから、ともに戦ってくださいね」


 私はにっこり笑った。逃がさないからな、という意味は違わず受け取ってもらえたと思う。


 3人の決着がついた後、私はレシピを1つ小金貨1枚で20個ずつ3人に売った。ジルの思惑を容赦なく潰した覚えはあるので、原作の流れの踏襲も兼ねてのご機嫌とりだ。私の滞在が城になったことで、エラの調理をついでにジルとカルの料理人に見せることが出来てちょうどいいしね。フェルには、私が神殿に戻ってからになることを了承してもらった。


 城では、お茶会と寄付金集めの実地研修を受けて2日寝込み、『チャリティーコンサート』案を出してフェルに協力を求めたら、寄付を集める方法は他にあると案の定渋られ、それを見たリヒャルダが期待通りの喝を入れてくれ、無事一月後に演奏会開催が決まった、と、まあそんな感じだ。

 ちなみに病み上がりすぐに行われた魔術訓練では、割った魔石を磁石の要領で集め粘土のようにくっつけて周囲の度肝を抜いておいた。


 体調が完全に整ったら神殿帰還命令が来たので、ジルに事業と寄付集めの準備のために神殿に一月戻ることを伝える。自発的に神殿に滞在しようとしなくても、どうせ、寄付集めをしないなら神殿で仕事を手伝えとフェルに回収されるのだから、面倒な移動はまとめとくに限る。


 そして本日、護衛とともに神殿に帰ってきた。出迎えてくれたフランと神殿長室に入る。


「しばらくお城に滞在すると言われていたので、昨日の昼間に、神官長からローゼマイン様のお帰りの話を聞いた時には驚きました」


「驚かせてごめんなさいね。城の用事の代わりに新しい用事ができたのです」


「……そうなのですか? 神官長からは集まった寄付金を渡すため、ギルベルタ商会に連絡を取るように言われておりまして、そろそろ彼らが到着する頃なのですが」


 こういう先回りはありがたいんだけど、前もって言っておけと突っ込みたい。名目はコンサート出演の報酬である楽譜を寄越しに神殿に来い、だったろ。連絡をサボるんじゃない。こんなサプライズは全く持って不要だ。


 モニカに着替えをさせてもらっている間に、フランには集まった寄付金と、渡される予定のなかった現金を確認してもらう。


 孤児院の院長室へと移動しフランから不在の間に起こったことの報告を聞いているうちに、ベンノとルッツがやってきた。


「ベンノ、ルッツ、こちらへいらして。側仕えはギル、護衛はダームエルでお願いするわ」


 指示を出してそそくさとメンバーを隠し部屋に入れて扉を閉めると、私はだらしなく机に突っ伏した。


「あー、疲れたぁ」


 その萎びれた様子に、ルッツはあ~、と困ったような声を出した後、私の頭をゆっくり撫でてくれた。ふぅー、癒やしー。


「よく頑張ってるな。偉いぞ」


「ありがとう。ほんっと、お貴族様にあわせるのって大変」


 そんな風にちょっとほのぼのしてたら、怖い顔のベンノが詰め寄って来た。それに応えて、私はきちんと話をするために姿勢を正す。もうちょっと癒やされていたかったけどベンノの心情を思うとね。


「いろいろどうなった!?」


「任命書面は頂きました。なので商会の立ち上げをお願いします。あと例の予算とこの期間で集めた寄付金を持ってきたので、後で渡しますね。これで初期費用は十分賄えると思います」


「よくやった!!」


 万感の思いというやつだろうか。両手で拳を握り込んでいる。もし与えられる金が少なければ、ギルド長と金策の算段練らなきゃいけなかったからね。そんな気分になるのもわかる。


「一月後に、大規模な寄付集めの会を開くことになりました。今後の事業予算を決めるものになるので、ローゼマイン工房と私はこちらの準備にかかりきりになります。念をいれたいのでルッツを一月貸して欲しいです」


「わかった。商会の準備は済んでるし、工房の方は打ち合わせした通りに進めてるから、金があればすぐ取り掛かれる。土地も商会とその書面があれば押さえられるから、こっちは気にすんな」

 

「さすがベンノさん頼りになるぅ。それに比べて……はぁ」


 上向いた声音が急転直下した。その苦労を労るように、贈りものだ、と私の紋章入りの上質な彫りが入れられた書字板をベンノがくれた。ありがとうありがとう!


 そっからまたベンノと少し打ち合わせし、ルッツにロウ原紙作成の相談のためにヨハンを呼ぶことを依頼して、隠し部屋を出た。


「フラン、預けたお金をベンノに渡してください。ベンノ、使い道に関しては明確に、詳細に帳簿をつけてください」


「かしこまりました」




◯●◯




 その後はとくに変わったことなく過ごす。イベントがかわらないので、必然的にそう進む、というべきか。


ブリギッテとダームエルを脅しつけてトロンベ刈りをし。

前神殿長の秘密の手紙箱を見つけたのでラブレター以外の手紙をフェルに渡し。

大天使トゥーリに家族の近況を聞きつつ髪飾りを納品してもらい。

神殿に来たエルママ(ラン兄はおまけ)と演奏会の大規模化と会場対策案(滾る情熱が危険域に達する可能性が高いため必要と強調)とグッズ類を打ち合わせし。

ザックを仲間にいれてロウ原紙がつくれるようになり。

騎獣を、魔獣の図鑑を見せてもらって夢のネコバス(ザンツェ)にし、さらに城の中を騎獣で移動する許可を得て。

イタリアンレストランは予定どおりのオープンとなったので、大店の旦那衆に、私が商会長となる商会の代理商会長にベンノがなるから商会長として扱ってね、この商会で領主事業するから協力よろしくね、と圧をかけ。

演奏会では、特産品をつくるための領主事業であることを強調し、収益を増やすためのあれこれを増産して美麗イラストに奥付を入れなかった。


 それくらいである。


 やっぱりイラストは見つけられて追求されたけれど、エルとフロから許可を得ていますと主張し、叱責は避けた。二度と売るな、わたしの許可をとれ、とは言われたが。売らなければ良かろうということで、後々こっそりいろいろエルに貢ぐ予定だ。


 演奏会にはジルを最初から参加させようかとも考えたが、どう考えてもアイドル単独コンサートの方が熱狂度が高くて儲けられるので、特別ゲストとして最後の方だけ参加させた。領主事業のための会だから、領主を出さないというわけにはいかない。慇懃に短時間だけお願いした。


 変えたことといえば、孤児院工房だろうか。領主の宣言通り、孤児を救いながら製紙工房を増やしていくことにしたからね。


 目標としたのは、児童福祉機能付き工房。


運営は、原作そのままプランタン商会。私が商会長だけど。

常駐する運営者の仕事は、紙漉とトロロ配合とスープの作成。孤児への指導と食事提供と出勤把握。あと帳簿系。

孤児の仕事は紙漉とトロロ配合以外の紙作りの下準備全部と掃除と、日常生活のための薪と食料の採取。あとは男女別日替わりの水浴び。

孤児院とは別だが、現地の子供の小遣い稼ぎとして、原料の若木の買い取りもする。端金設定ではあるが、他に誰も買い取らない田舎では重宝されるはずだ。希望者にはスープに代えてもいい。孤児じゃなくてもひもじい思いをしている子もいるだろうからね。

孤児院側への報酬も、食事代を差し引くのもあってそこそこ安め。それでも、孤児が現金を得る機会というのは田舎では滅多にないので喜ばれる。

個人的には福祉とは名ばかりの児童労働の搾取かもしれないと良心がチクチクするが、これで一応、孤児に食事を与え孤児院に金銭を援助する、十二分に慈悲深い仕組みなのである。


工房の運営者は、基本的に灰色。なので工房に住居部を備える。希望者から男女2名ずつ選出し、二週間程度ベンノの製紙工房で下町と指導者の研修を受けてから半年位工房で試用勤務してもらう手筈だ。

俗世で働きながら生活し、本人が神殿を出ることを決断したら商会に売り、その後は商会員として同様に働いてもらう。神殿に帰るというなら別の候補者と入れ替える。

食事会のときは商会員をあてるっていってなかったかって?そんな前後は貴族は気にしないので問題ない。神官を派遣して事業させます、は通りが悪すぎるし、試用期間も取らずに買い上げてミスマッチだったりしたら目も当てられないからね。


 冬は、製紙作業ができなくなるので神殿同様手仕事になる。一応、冬籠もり期間の救済措置にも使えるように、6畳位の予備部屋を男女で用意した。普段は物置と、出張してくる本部の商会員用の宿泊所として使うが、その期間は自分の寝具等を持ち込めばそこで寝泊まりしていいことにするのだ。ただし、その期間は報酬計算に入れない。あくまで、冬支度の負担を孤児院にかけないために孤児を預かる、という形だ。その代わり孤児個人に手仕事の成果報酬を出す。

 そのため、住居部は耐寒仕様(といっても、木を横に組んで外壁をつくったら内側に追加で縦で木を組んで打ち付けてもらい、壁を厚くし隙間風を防ぐ程度)でつくってもらう。

 台所と食堂(冬の間は暖房の都合で食堂で作業させる)を上中央に、男女従業員寮(個室、鍵付き、四畳半)二部屋ずつと予備部屋一つずつで挟んで、下分が工房。外には倉庫(食料貯蔵庫含む)を備える。

 これを基本とし、標準建築として記録を残す。必要な木の板、窓枠、扉や家具等、サイズと個数をパッケージしとけば、次建てるとき楽だからね。同じように道具類もパッケージする。


 月に一度程度、プランタン商会の商会員が町に赴き、出来た商品の受け取りと、給与の支払い、食料や日用品の手配をとり、孤児院に算出した報酬を渡す。


 とまあ、孤児院工房の運営方法とハコモノの取り決めはして、ベンノとも打ち合わせが終わっている。こんな形だったら、直轄地の町の孤児院にどんどん増やしていっても採算はとれるはず。

 なんたって安い人件費で手間だけがかかる仕事をすませて収益性を高める事業スタイルだからね!


 商会員になった元灰色が結婚して家庭をもって寮を出ることになったら、とか、結婚せずに仕事ができない年になったら、とか、本店から出張するときは現地で売れる商品をついでに持ち込んで出張費をペイしたいな、とか細かいところは別で考えてるが、大枠はこんな感じ。


工房の設備、建築費、施工期間。

揃える道具の値段、納期、必要個数。

人件費と、食事代を含めた運営費の概算。

工房で生産する紙の目標枚数と売り上げ予想。

利益がどれほど貯まれば工房を増やせるか。


 ハッセ工房の稼働開始日は春一日で可能と報告があがってきた(簡素でいい平民用の建屋だから余裕をもって冬までに建つとさ)ので、これらを報告書に纏めて収穫祭までにジルに提出したら私の実働はしばらくない。


 フェルには神殿に関わることとして、


工房は建築に取りかかり、冬が終わるまでには全ての準備が整う見通しであること。工房が出来て春になったらすぐに、商会に売る前提の灰色4人をお試し採用として派遣し、工房を動かしていくこと。双方が合意したら商会に移籍すること。

今年の収穫祭のときに孤児院工房に対する町側の協力を直接要請したいことと、来年の祈念式のときに工房を視察したいことを告げた。


 そうしたら、収穫祭の日程では忙しいし同行できないからと、収穫祭の前にハッセに一緒に行くことになった。




 なんやかんやとけっこうすぐに準備が整ったのでフェルとダームエルとブリギッテとフランと一緒に、騎獣でハッセの町に向かい、ベンノ達と合流して町長を訪ねた。通達してあったにもかかわらず、出迎える準備ができていないのか、使用人が顔色を変えてバタバタと動いている。


「し、神殿長と神官長もご一緒なのですか?!」


 泡を食ったような表情で町長が飛び出してきたところを見ると流した情報はうまく伝わっているようだが、ベンノ達は今だ碌な対応をされていないようだね。よし、ご希望通り、釘を刺してあげようではないか。


「孤児はどこだ? 通達はしてあったはずだ。全員連れてきなさい」


 フェルの眼光に息を呑んで、町長はすぐさま使用人に孤児達を呼びに行かせる。連れて来られたのは、汚い体にごわごわの頭、やせ細った体つきの子供達だ。さすがに心がズンと重くなるね。


 目の前に並ぶ十数人の子供達を数え、私は眉を寄せた。


「……これで全員ではありませんよね? 報告された人数と違いますけれど?」


「その者が間違えたのでしょう」


 跪いたまま、ニコリと笑ってそう言った町長をきつく睨んだ少年が大きく首を振って否定した。


「違う! 嘘だ! 姉ちゃんもマルテも売れるから、隠されたんだ」


「黙れ、トール!」


 カッと目を見開いて、トールという孤児をすぐさま殴ろうと立ち上がった町長の腕を、ダームエルが素早い動きで押さえ、シュタープを出した。


「フェルディナンド様は全員と言ったはずだが? 命令が聞こえなかったか?」


 何の躊躇いもなく武器を取り出したダームエルに、町長はひっと息を呑む。


「だ、誰か! 誰でもいい、ノーラ達を連れてこい!」


 売れるから、という言葉からわかるように、連れて来られた少女二人は綺麗な顔立ちをしていた。


「町長、この二人を売る話をしたのはいつで相手は誰ですか」


「し、視察に商人と一緒に来たお貴族様が……」


 怯えが前面に出た答えに、はぁ、とこれ見よがしに大きな溜息を吐く。相手は平民なので、淑女の笑みは浮かべない。ただただ、冷徹な顔だけを見せる。見てくれが幼女だから、権威を示すには厳しい態度が必要なのだ。


「わたくしの養父、領主様はこの夏に仰いました。『近隣の町の孤児院に工房を設立し、ローゼマインの要望通り、孤児達を救う』と。ハッセがその最初の地になる栄誉を賜っている最中に、そのような話を持ちかけた貴族とは、領主に叛意があるのかよくよく話をする必要がありますね。もうすでに契約は交わしましたか」


「け、契約書が、ご、ございます」


 持ってこられた契約書をフランにあらためさせる。日付と対象者と金額を読み上げてもらった。


「その代金は必要なのでしょうから、わたくしが恵みます。その代わり、この契約書は頂いていくわ。あなたに不利益にならないよう配慮するので、心配しないように」


「あ、ありがとうございます」


「神官長、よろしいでしょうか?」


「あぁ、特に問題はなかろう」


 雑事を片付け、権力を見せつけるために町長を押さえさせたまま、本来の用件です、と朗々と告げる。


「今、川の近くに建築している建物は、孤児院工房というものになります。孤児の皆さんに食事を与えたい、というわたくしの願いを、義父である領主様が聞き入れてくださったのです。ただし、無条件というわけにはいきません。工房でお仕事をして頂きます。

工房は、来年春に皆さんを迎え入れます。

3の鐘から6の鐘まで働いたら、4の鐘と6の鐘に食事が出ますし、町にお金が納められますので、精一杯頑張ってもらいたいと思っています。

ただし、わたくしが信頼して工房を任せる運営者の言うことを、よく聞いてください。運営者の言うことを聞けないものに、食事は与えられません。よろしいですね」


 駄目押しとばかりに、しっかりと厳しい目で全体を見回す。


「わかって頂けたようでよかったわ。孤児の皆さんはもう結構ですよ。戻ってください」


 多少のざわつきはあったが、思う以上に静かに孤児たちは移動した。権力者にビビっているようでよかよか。私が畏怖の対象でいれば、今後のプランタン商会が動きやすいからね。


「さて、町長」


 私の冷えた声に応えて、ダームエルがシュタープを消し、腕を掴んだままの町長の頭を空いた手で地面に押し付けた。完全に取り押さえの体勢だ。


「わたくしの意を受けて動いている商人が、随分と気に入らないようね」


 なりきるのは悪役令嬢。見下ろす相手がヒロインじゃないのが残念だ。

 そう、悪役令嬢もの、好きだったのよ。痛快劇は抑圧されて生きる日本人にとって欠かせない癒やしコンテンツなのだと思い知ったね。水戸黄門や暴れん坊将軍が大好きな日本人のDNAを感じるジャンルだった。そう、ざまぁはお裁き。見事なお沙汰はエクスタシー。


「ぐ、も、申し訳ございません、知りませんでっっ」


「では今後は大丈夫ね? わたくしの邪魔をするのは、許さなくてよ」


「は、はいぃぃ」


 脂汗を浮かべながら頭を地面に擦り付ける様に、背後に控えているベンノに高圧的に指示を出す。


「ベンノ、この者にわたくしが担う事業の意義と町の関わり方をもう一度丁寧に教えてあげなさい。春の工房開始に支障が出たら大変だわ」


「かしこまりました」


 粛々とした態度をとるベンノに内心ニヤニヤしながら、無表情を装い、ダームエルを労う。


「ダームエル、もういいわ。いい働きでした」


 ホント、素晴らしい空気の読み具合だった。私の悪役令嬢ムーヴに何倍もバフ付けてくれた。てか美幼女に服従する平凡顔の成人男性騎士とかそれだけで短編なりそうだね。うっかりそんな役得環境にあることを認識していなかったよ。まあ、そんな役得認識今後も必要としないけど。


 恐れ入ります、と傅くダームエルを鷹揚に一瞥してから、私は私を静かに観察しているフェルに向き直った。ハッセの対処はこれで大丈夫だろう。これにて一件落着〜、なんてね。


「神官長、わたくしの用事は済みました」


「そうか。では行くぞ」


 神殿に戻り、私からカントーナとの面会を希望したら、自分もその予定があるからそれに同席する様に、とだけ言われた。あの場で結構な難癖をつけたことの注意すらなかった。ということは、フェルのお裁きプランにそのまま活用されるってことだ。うふふん、素敵な結果になることを祈っておくよ。


 さてさてやってきましたヴィルとの入れ替わり生活。

 気楽なヴィル生活をして、頭の中で今後の動きを練りながらのんびり過ごして、晩餐に向かうよ。


 ジルからのヴィルフリートと生活を入れ替えてどうしていたかとの問いに、リヒャルダ無双の話と、私の抱える業務と教育の膨大さと、さらに多くの業務を抱えるフェルの話をし、私達に振る仕事を考慮するよう言質だけはとる。

 ジルが「気付かなくて悪かった」としおらしく言ってきた。気付くつもりも気付いても何をするつもりもないくせに口先だけは本当にお上手ですねぇ、と淑女の微笑みの裏で白けていると、食堂の扉が音を立てて開き、不機嫌極まりない顔のフェルが入ってきた。


「ジルヴェスター、アレは駄目だ。ヴィルフリートは跡継ぎ候補から外せ」


 そっからは多少の誘導もしたがフェル劇場だ。廃嫡にしろ、とヴィルの様子を暴露する。その後のフロが夫とオズヴァルトをこきおろす様は、ダメな男どもとの対比でとても素敵だった。


「ローゼマイン、貴女はどう感じたのかしら? 自分の側仕えや護衛騎士と比べて、ヴィルフリートを取り巻く環境やヴィルフリートの現状をどう思ったのか、正直なところを聞かせてくださる?」


「……わたくしの工房に出入りする商人も、孤児院育ちの側仕えも、一冬で読み書き計算ができるようになりました。それなのに、兄様は教師まで付けられて、数年かかってもできない。今日一日過ごしてみて思ったのは、兄様は、勉強をしなくても許される環境にいた、ということです」


「勉強しなくても、許される、ですか?」


 教師もつけて、勉強のためのスケジュールまで組んでるのになんで? て感じのフロ。


「ヴェローニカ様は、自らの権勢によって次期領主とするヴィルフリート兄様を、何もできぬままにしてわざとお披露目で瑕疵を付け、自分に逆えぬようにしたかった。そのため教師や側近に厳しく指導しないように指示していたと思いました。その積み重ねで、今のような状態になったのではないかと」


 食事や立ち振る舞い方だけ、自分が不快にならないようにだけ躾けて、自分に十分に懐つくように、無理強いをせず優しくするだけ。素敵な孫育てよな。


 ヒュっと鋭く息を吸ったフロレンツィアの横で、ジルヴェスターが苦い顔になる。フェルも少し目を大きくしたかな。リヒャルダは目を閉じ、オズヴァルトは…青い顔のままだからようわからんな。


「……ただ甘やかしただけだろう」


 ジルは勿論信じないので、殊勝な態度をとる。


「正直な意見を、とのことでしたので。わたくしの浅はかな考えですのでお捨て置きください」


 麗乃さんは早々に次期領主と決めたジルのせいだと考えていたけど、根本はずっと教育権を握っていたヴェロである。まあ、ヴェロを排斥しても次期領主のままヴィルを置いて教育を軽視しているジルの責任は多大だが。


 私の言に得心したのか、フロがヴィルの教育権を返せとジルに猛烈に詰め始める。


 この時期にフロが教育権を返せというのは、正直かなり危ない橋だ。

 教育が間に合わなかったら夫人の責任問題になるからね。フロの母親としての愛情深さ故だね。


 ただ、同時に、心底為政者には向かない人だと思う。


 移さずそのまま廃嫡にしたら、領主が母親ごと母親に預けていた長男を切り捨て、今までのヴェロ傀儡から完全に反ヴェロになったと示せたのだ。

 そうして、長男を犠牲にしてまで(義)母を裁いたので禍根は洗い流して欲しい、とかなんとか振る舞えば、ライゼガングを一旦は落ち着かせることができたし、フロ派も純粋にジルに協力を示せたし、ジルの地盤はそれなりに整っただろう。


 仮に移したいと願ったなら、完全に己の管理下に入れて、ヴェロからの決別を本人に諭し、公的にも大々的に示さなければならなかった。それか、ヴィルを矢面に立たせてヴェローニカ派を完全に糾合しなければならなった。

 

 うん、そんなことされたら主人公の活躍がなくなっちゃうね。フロが第三夫人の娘、というのが凄まじく活きてる。我が子を愛するにも環境を整えてから、という肌感覚を持っていない。


 ……あー、一応、ヴィル個人にはヴェロからの別離を言い聞かせてたか。麗乃さんが老婆心を出したのもあって全く出来てなかったが。


 母の愛の強さで押し切ったフロが教育のアドバイスを私に求めてきたので、私は原作通りヴィル救済案を提示する。

 跡継ぎ争いをさせ、惰弱なヴェロ派側近を代わりが見つかり次第入れ替え、リヒャルダを監視につけ、ジルの執務室で毎日勉強させろ、とね。

 

 救済ルートを選んだのは、原作から外れると動きづらくなるのもあるし、この貧弱領地から成り上がるならヴィルをなんとか叩いて伸ばして持ち札として確保しておきたい切実な人材不足もあるし、権力者であるフロ(とジル)に恩を売って自分の立場を強化しておきたいし、という点からだ。……上手くことが運んでくれますように!このルートが正解になるかどうかは、ヴィルを矯正できるかどうかにかかっている。この成否は人事を尽くして天命を待つしかない。


「フン、いくら環境を改善したところで、本人にやる気がなければ無駄だ。未だ幼い弟妹の教育に力を入れた方が良い。役に立たぬ無能は早目に退けておけ。禍根を残したら面倒だ」


 ヴィルの教育計画を無駄と見切りをつけているフェルを黙らせるために、条件を出す。


「ヴィルフリート兄様とお話させてください」


「何を話す?」


「ヴィルフリート兄様の現状です。正しく理解出来るようなら、フェルディナンド様も認識を改めて、教育計画に協力してください」


「協力とは私に何をさせる気だ?」


 無駄だと言いたげな冷笑に、わたしもにっこりと笑う。


「ヴィルフリート兄様に、フェルディナント様がヴェローニカ様からの教育によって身につけた知識を教えてあげてください」


「それで、ヴィルフリートが現状を理解出来なかった場合はどうするつもりだ?」


「わたくしは今後一切教育に関わりません」


 私の答えに神官長が「ほぅ」と意外そうに軽く眉を上げ、意地の悪い笑みを浮かべる。


「ローゼマイン、ジルヴェスター。ヴィルフリートは座って話を聞くことすら出来なかった。期待するだけ無駄だぞ」


 絶望的な目をするジルヴェスターと違って、私は軽く肩を竦めるだけだ。教育権を望むフロには何も言わないのな。私は協力するだけぞ?フロに言えフロに。


「無駄でも、これからお話に向かわせてください。わたくしの話に本当に何も感じず、何も変わらなかったのならば、その時はきっぱり諦めます」


「その言葉、忘れるな」


 勝利を確信しているような神官長に、私は頷いた。


「忘れません。ご両親もそれでよろしいでしょうか」


 私が失敗しても私が協力しないだけなので両親に異存がある訳もないが、しっかりと自分の行動の正当性を担保しておく。


 さあ、いざヴィル攻略と参りましょうか!





 フェルとともに、ブリギッテの騎獣に乗せてもらって神殿に向かい、ヴィルのいる神殿長室を目指した。


 騎獣の姿が見えたと知らせを受けて駆け付けてくれたフランには、私は今日は孤児院長室に泊まることを伝え、簡単に詫びた。私の深刻そうな顔を見るとわかりましたと従順に動いてくれたよ。急遽の予定変更で申し訳ない。

 フェルには、明日時間をつくって欲しい、きちんと報告するから、と無理矢理別れた。


 城でのことを話したい、ということを暗い顔で伝え、人払いをして、ラン兄とダームエルの4人になって、準備は終わった。


 さあ、女優になるぞ!

 導きの神エアヴァクレーレンのご加護よ我に!ヴィルを『ヴェロの教え』から『新たな真実』に上手く導けますように!


「わたくし、ヴィルフリート兄様を誤解していました。あんなひどいことをされていたなんて知らなかったのです。ごめんなさい兄様、ああ、なんてひどい…!」


 まずは泣き真似をして大袈裟に憐れみ、面倒くさそうにしていたヴィルの興味をひく。いきなり話を聞け、ヴェロはこんな人間だ、といっても受け入れるわけがない。私はあなたの側です。あなたは被害を受けているのです、というところからだ。


「ひどい?なにを言っている?」


「兄様は、このままではまともな貴族になれないのです。なれないように、されていたのです」


「なんだと?!」


 よしよし。案の定釣れたので、悲しげに伝える。

 しかし神様に祈っといてなんだけど、知らない環境に閉じ込め疲れさせたところにあなたの知らない世の中の真実をごりごり伝えていくってオカルトの常套手法だね。


「だって、そうでしょう? 読み書き計算とフェシュピールができなければ、貴族になれません」


「おばあ様は、出来なくてもいいといっていた!」


「そうです、そのおばあ様が、兄様がまともな貴族になれないように、していたのです」


 自分の権力と傀儡息子の領主権力で押し通すつもりだったからな。本来なら領主候補生どころか貴族としてアウトだ。


「な」


「できなくていい、なんてことは絶対にあり得ないのです。10歳で通うことになる貴族院では試験もあります。その試験に合格できなければ、貴族として認められないのですから」


 そうでしょう?とランプレヒトとダームエルに促す。二人とも頷いてくれた。


「おばあ様は、そんなことしない!」


 盲目的に怒鳴ってきたので、気持ち一歩下がる。こういうのは、頑なにさせてはいけないのだ。あくまであなたの話も聞きますよ、という態度を序盤はとっておく。


「おばあ様は、優しかったですか?」


「そうだ、わたしのやることを全部許してくれた。誉めてくれた」


「そうですか。勉強をしなくても、褒めてくれましたか」


「元気でいい、わたくしの誇り、と」


「それではやはり、兄様が何も出来ないように、まともな貴族になれないように、おばあさまは育てていたのです。勉強しないでいいなんて、子どもをまともな貴族に育てようとする大人は絶対言いません」


 実際は勉強しないでいいなんて発言はしてないはずだが、子どもの解釈的にはこれでいい。それに、断定口調は力を持つ。ヴェロが変なのだと少しずつでも侵食していく。


「だが、だが」


「おばあ様を、信じたいのですね」


「そうだ、おばあ様は、わたしを抱き締めてくれた。誇りと言ってくれた。わたしに優しかった」


 項垂れるヴィルに、ジャブは成功と判断する。これでしっかり話を聞いてくれるだろう。


「これから、ヴィルフリート兄様に、真実をお伝えします。酷いと思われるでしょうが、聞いてください。両親や側近の誰も教えてくれなかったことです。わたくしは、ヴィルフリート兄様に必要なことだと思うのでお伝えします。ランプレヒトも、黙って聞いていてください」


 さあ本番だ。正直、ヴィルに足りなかったのは、学習環境よりなにより、学習がなぜ必要になったのかだ。現代日本感覚では7歳児に言って聞かせる内容ではないが、成人が15の社会は早熟だし大丈夫だろう。檻の中で育てられた子どもが檻から出されて生きていくには、その自覚が不可欠だ。ヴィルのミニジルな思考回路と性格をがっつり矯正するために、甘やかされた理由を情け無用で突き付けてあげよう。


「おばあ様は、お母様について、なにか言っていましたか」

 

 ここだけの話と切り出し、特別だ、これから伝えることはあなたのためだ、と話を持っていく。


「母上は、わたしを育てるのは力不足だからと。おばあ様が頼まれてわたしを育ててくださっていると。それと、新しい子どもに忙しくしているから、わたしに構ってくれないと」


 うんうん、そんな説明になるよねー。

 母と暮らしていないのは一般的ではない、と知ったときのヴィルはどうだったろうか。想像すると色々心が重くなるから止めとこう。


「お母上以上に、兄様を育てるのに適した方はこのエーレンフェストにはいませんでした。お母上も、そのつもりでした」


 悲しみを堪えて真摯にヴィルを見つめる。


「おばあ様が、お母上が大事に育てていたあなたを、無理やり連れ去ったのです。お母上は、初めての子どもであるあなたを連れ去られ、泣き暮らしておられたことでしょう」


 ヴィルの顔がバッと上がる。驚愕の表情だ。ここで否定されると辛かったから助かった。よし。


「そんな」


「そうやって無理矢理あなたを手元に置いた目的は、領主の長男を囲い、次期領主として定め、自分の好きなように育てるためです。自分の権力のため、そのために、あなたは何も出来なくていいとされたのです。あなたを利用するために」


「おばあ様は、わたしを利用するために、母上から」


 虚ろに繰り返される言葉に、私が思っていた以上に、母への憧れを持っていたことを知る。多分、原作では、厳しい事ばかり言う母親に期待を裏切られた気分になって、その反動で甘やかしてくれた祖母に余計傾倒しちゃったんじゃなかろうか。


「そうです。優しかったのも、誇りだと言ったのも、あなたを利用するためです。貴族として必要な勉強だと知っていたのに、なぜあなたにそれをしなくてもいい、と言ったのか、わかりますか?」


「わたしが、したくない、と」


「あなたが近い将来困るとわかっていて、我が儘を赦すのが優しさですか? 考えてください。なぜ、貴族に必要な勉強をしなくてもいい、とおばあ様が言ったのか」


 ヴィルは首を小さく振り、「わからない」と小さく声を出した。


「今度のお披露目でフェシュピールがきちんと弾けなければ、貴族としてまともに生きていけなくなるからです。おばあ様はそれを知っていました。まともに生きていけなくなったあなたに、おばあ様はわたくしに任せておきなさい、と優しく言うつもりだったでしょう。おばあ様に縋ってしか生きられないあなたの完成です」


 それが完成したら、今までのような怠惰は許されず、貴族院に間に合うように、苛烈な教育が命じられたはずだ。底辺領地では中央貴族である教師に無理を聞いて貰えないから、貴族院を正規に卒業させるしか手がない。


 いきなりの方向転換に戸惑うヴィルに、ヴェロは貴族院を卒業できなければ、あなたを捨てざるを得ない、ただでさえ瑕疵持ちなのに、やはりあの女の血が悪いのかしら、とようやっと貴族の事情を説明して追い込んで、愛着と恐怖で依存心をより高めるように動く予定だったのではないか。


「例え話をしましょう。おばあ様の言う通りに兄様が勉強せずに貴族院に入学したとします。そこには、全領地の貴族の子どもが集められています。その中で、兄様の、お披露目でフェシュピールが弾けなかった話は有名になっているでしょう。だって、貴族院に通う子どもは皆上手に弾けるのですもの。領地の中ではおばあ様の御威光で何も言われなかったので気付くかなくとも、貴族院ではおばあさまの御威光は届きません。更に、講義が始まったら、他領の方々からは『出来損ない』『恥知らず』と噂されるでしょう。だってお勉強をしてこなかったので何もわからないのですもの。貴族院にはエーレンフェストより上位領地の領主候補生もおられます。その方々は直接仰るでしょう。『よくもそんな出来で領主候補生を名乗れるものだ』と。兄様は貴族院にいる間ずっとみんなから馬鹿にされ続けることになります。そうなれば、領地でおばあさまに守ってもらいながら生きるしか、兄様はできない」


 これではエーレンの評価が地に落ちるので、優秀生を取る教育を詰め込まれそうだな。領内では優秀を取れていることをお披露目失敗の免罪とできるし、例えいくら成績が良くても貴族院では付いている特大瑕疵のせいで他領からは同性異性問わず腫れ物扱いされて友誼一つ結ぶことが出来ないだろうから安心だし。

 ヴィルは全てを諦めて祖母の言う通り勉強だけして卒業し、成人とともに領主に押し上げられ、嫁も側近もヴェロ派で固められるだろう。そうしたら、逆らう術も意欲もない完璧な傀儡領主の誕生だ。

 お家乗っ取りを画策できるヴェロならこれくらい狙うだろ。さながら、ヴェロはエーレンフェストが生んだ梟雄だね。


 当然の未来予想に、護衛2人の顔が酷いことになっている。そんなことないだろと救いを求めて大人を見たヴィルは泣きそうだ。


「そういうことを企んでいたのが、お優しかったおばあさまなのです。そして、側近の一部は、それを知っていました」


「ランプレヒト、知っていたのか!」


「わたしは何も知りません!」


 反射的に慌てた会話をする二人を宥める。


「ランプレヒト、貴方がヴィルフリート兄様が勉強から逃げるのを捕まえようとすると、邪魔をしてきた者がいたはずです」


「厳しすぎる、や目溢しをしろ、など、確かに側近に付き始めのときに言われました。反論も受け入れられず、次期領主たるヴィルフリート様のご意思を尊重しろと、それが何より大事だと」


「誰だ!」


「彼らは確かにヴェローニカ派の……」


 言いづらそうなラン兄に、顔を盛大に顰めるヴィル。そりゃ物心付いた時から一緒の存在に裏切られていたとなったらな。まあヴェロの意向だから当然なんだが、感情は別だよね。


「幸いなことかわかりませんが、そのおばあさまは大罪を犯し、もう権力を揮うことの出来ない所に閉じ込められています」


 詳しいことは明日フェルにでも説明させよう。大分ヴェロに対して隔意が出来ているから、今はどんどんいくべきだ。


「おばあさまはご病気だと、父上は言っていたのに」


「兄様がおばあさまに懐いていたので、真実を伝えるのは可哀想だと思われたのでしょう。けれど、それでは、何も知らないままヴィルフリート兄様が貴族になれなくなってしまいます。わたくしはそれを今日知って、ヴィルフリート兄様をお助けしたくて急いでここに来たのです。ヴィルフリート兄様、これは虐待です。ヴィルフリート兄様の人生を、おばあさまは台無しにしようとしていたのです」


 断言アンド断言。どんどん刷り込んでいくよー。


「おばあさまが、わたしを虐待していた……」


「そうです! お優しいおばあさまなんて本当はいません。ヴィルフリート兄様を騙して利用しようとしていただけです。兄様、騙された、と試しに口にしてみてください」


 口にすることで認識レベルを上げ、事実と思い込ませる。試しに、なんてハードルを下げて誘導した言葉がさも真実だといわんばかりに肯定する。素直なヴィルなら効果が出るはず。


「騙された?」


「そうです。おばあさまにヴィルフリート兄様は騙されていたのです」


「わたしは、おばあさまに騙された」


「そうです! お辛かったですね、お好きだったのに。大好きなおばあさまだったのに。騙していたなんて。わたくし、本当に、おばあさまは罪深い方だと思います」


 言わせた言葉に対する回答を一方的に喋り、思考誘導する。

 あなたが悪いんじゃない、相手が悪いのだ。あなたは被害者なのだ。わたしはあなたの味方だよ。混乱し傷ついた心に染み渡る言葉だよね。いやあ、詐欺師になってる気分。乙女ゲー転生ヒロインが悪役になるのはこういう部分が不快になるからだよねきっと。やはり私にフェル籠絡ルートは無理だ。恋愛絡めなくてもこんなに罪悪感がある。他ルートがあるなら無理に割り切る必要もないし。


「わたしは、おばあさまに騙されていた」


「そうです。ご立派です、兄様。慕わしかった人から騙されていたなんてなかなか認められるものではありません。兄様はご立派です。わたくしは、そんな兄様をお助けします。真実を知ったわたくしの兄であるランプレヒトもきっと助けてくれます」


 称賛し、あなたの認識が正しいと印象付ける。私達が救いの手になるよ、とこちらに一歩踏み出す動機を与える。

 チラッと視線をラン兄に投げると、ヴィルの横に膝をついた。


「ヴィルフリート様が置かれていた状況に気が付かなかったのはわたしの至らなさです。許されるならば、これからは精一杯お支え致します」


「……許す。これからよろしく頼む」


 よしよし。同じ説明を受けて、他者が信じたなら本当のことだと思い込みさせやすくなるからね。大人であるラン兄ですら信じたのだから、という安心感もある。ラン兄の裏のない実直さに感謝だな。

 これで少なくとも私とラン兄は味方だと刷り込むことができただろう。

 前提の話が終わったので、次は確認だ。


「ヴィルフリート兄様、兄様は今、とても難しいお立場となっています。おばあさまのせいで進んでいないお勉強のせいで、廃嫡……養子に出され、領主の子どもではなくなるか、貴族にならずにこの神殿で神官になるか、という瀬戸際になっています。今からお勉強をいっぱいすれば、今のまま、領主の子どものままでいられる可能性もあります。兄様はどうしたいですか?」


 ここでもヴェロを当て擦り、できれば最後を選んで欲しいなぁ、という気持ちを全力でアピールする。


「おばあさまのせいで、わたしの人生が台無しになるのはイヤだ。ならば、イヤだが、勉強をするしかあるまい。それに……助けてくれるのだろう?」


 おお、おばあさまのせいだって!明言出ました!まさかこんな程度と時間でいけるなんて!これはまさにご加護の賜物!神に感謝を!!あとで主たる火の神の神具に感謝の心を捧げねば!


「素晴らしいご決断です兄様! 勿論です。全力でお助けしますわ! お母上のフロレンツィア様も、ヴィルフリート兄様を助けたいと仰っていましたのよ。おばあさまに奪われていても、ずっと兄様を心配していらしたのです。だから、大丈夫ですわ兄様、頑張りましょう!」


 喜びを露わに、褒めに褒めてフロの件を出す。このままいい感じに母親への思慕を持っていてほしい。ヴェロへの思慕を母に移せれば、大分問題行動が減るはず。それに、依存からの脱却は難しいから、対象の移行で誤魔化すこともあるってなんかで読んだし。


「母上が……」


 嬉しそうな呟きにホッとする。少しでもほっこりした気分で終われて良かった。


 子ども的に遅い時間になったので、明日の朝食後にまたお話ししましょうね、と約束して解散する。


 孤児院長室に向かう途中で緊張の糸が切れてフラフラしてきたのでフランに抱えて運んでもらったので、最後までは締めきれなかったけど。


 ふぅぅぅ、やりきったー!!!やりきったぞー!!!






 次の日、昼食前には城に戻らなければならないのでツメツメスケジュールだ。

 昨日のヴィルとの話の内容を報告するためにフェルを朝食に招待することになっていたので、うまうまと食べて話をする。


「ヴィルフリート兄様は、ヴェローニカ様の策略で勉強が進んでいないことを自覚されました。神官長には、お約束の教育の協力とヴェローニカ様の被害者であるヴィルフリート兄様に、もう少し寄り添うよう要請致します」


「なぜ私が寄り添う必要がある」


「神官長は昨日、洗礼式前に城に連れてこられ、ヴェローニカ様に過度な目標を言い渡されたと仰っていましたよね。だからつけられた教師や貴族院で学び有能であることを示され続けてきたのでしょう。ですがヴィルフリート兄様は、生後すぐに母親から引き離され、その教師すら与えられなかったも同然なのです。死ぬ危険はありませんでしたが、子どもというものは、教育を与えられなければ、なにも知らないものですよ」


 城に来る前のフェルみたいな状態のまま育ったのですよ、と言いたかったがリスクが高過ぎるので自重。まあこう言っとけば勝手に想像してトラウマ直撃させるだろうし。


 少しの沈黙を飲み込んでから、フェルは視線を合わせずに質問してきた。


「君は本当に、あの人が自分の孫にわざと教育を施さなかったと考えているのか」


「昨日、ヴィルフリート兄様に聞きましたが、確信しかありません。神官長は、違うお考えですか?」


 多分、猫可愛がりされていたジルのことを思い出しているのだろう。血が繋がっているから愛される兄、血が繋がらないから敵視される自分、そうやって愛されない理由を無理矢理飲み込んできたから、孫のヴィルも愛されていると盲目的に判断してしまったんだろう。家族に憧れがあるとそうなっちゃうのも仕方ないよね。


「手元に囲い次期領主とした孫ににわざと瑕疵をつけるなど、常識として考えられぬ」


 常識ねぇ。権謀術数的には常識ですが、て言ってやる? まあ、思い至らなかった言い訳に常識って言葉を使ってる坊やをいじめるのは止めておこう。教育頼みたいしね。


「可愛がって瑕疵を付けずに育てた愛息子が自分に逆らうようになったので、孫は絶対逆らえないようにしたかったのでしょう。息子での失敗の反省を孫で活かした感じですね。瑕疵を付けても庇える程の権勢を保持していたからの力技ですから、他の方は出来ないでしょう」


「……学習への意欲が見えたなら、考慮しよう」


 納得したのかしてないのかは分からないが、とにかく了承の返事がもらえたことに安堵する。少しでもヴィルへの当たりが柔らかくなれば、ヴィルも被害者同士ということで親しみやすくなって、フェルに影響を受けてバカ坊ではなくなるだろう。


「よろしくお願いします。兄様は、ヴェローニカ様に騙されていたとは理解しましたが、人となりはお優しい方という思い出しかないでしょう。そこで、朝食後に、ヴェローニカ様の悪事を簡潔に色々お話し頂きたいのです。領主がヴェローニカ様を断罪した以上、兄様がヴェローニカ様を慕う素振りを見せれば明確な隙となり、更にヴェローニカ復権派の貴族に取り込まれれば目も当てられぬこととなりましょう。この機会にヴェローニカ様への思慕を断ち切っておきたいのです」


「必要なことだ、いいだろう」


「助かります」




 それからは昨日の4人にフェルを加えてのヴェロの悪事紹介だ。簡単にヴェロが白の塔に入った経緯を説明してから、過去の悪行に触れていく。ダームエルは魂を飛ばしていた。下級貴族に領主夫人の醜聞連打は荷が重すぎたね。すまん、そのまま飛ばしといてくれ。


フェルに提示した厳しすぎる条件と、さらに領主の子とお披露目されたのに私生児と呼び続け目の敵にしていたこと。

嫁入りしてきたフロをずっといびり、無理矢理長男のヴィルを奪ったこと。それからもずっといびっていたこと。ヴィルが母と弟妹に会える機会を尽く潰していただろうこと。

お家の乗っ取りを行ってきたこと。

我らが母、エルヴィーラもずっと迫害していたこと。だからエルとフロが仲が良い事。そして我が家もお家乗っ取りの対象となって第二夫人を送り込まれていること。


そんでもって、証拠も上がらなかったことなので内緒だがと前置きしてから、我らが兄、エックハルトの妻と腹の子がその第二夫人に毒殺されたことからランプレヒトがヴィルの側近にならなくてはいけなくなったことを、ざざっと話した。この件は明確なトドメとして話すよう誘導したよ。


 ヴィルが呆然とラン兄を見たが、ラン兄は「そういった事情で、言い訳になってしまいますが、他の側近に余り強く出ることができず、ヴィルフリート様の教育をそのままにしてしまいました」と苦笑してくれたので、素敵な主従劇場が開演し、私は涙を堪えた。


「いいですか、ヴィルフリート兄様。ヴェローニカ様をやけに褒めたり、ヴェローニカ様の元にいれればこんなにお勉強しなくてもいいのに、とか、おばあさまにお会いしたいと思いませんか、とか言う人にはお気をつけください。それはつまり、兄様にカッコ悪い生き方をしろ、と言っているのと同じです」


 締めの言葉として、私は注意事項を伝える。


「これからヴィルフリート兄様の側近を試験して徐々に取り替えていきますが、こういうことを言ってくる人がいれば、曖昧に返事をしてこっそりランプレヒトかお母上にお伝えください。その場で怒ったりしないでくださいね。我慢です。我慢した分、そいつにいっぱい仕返しができますからね」


「なるほど。そう思えば我慢できるかもしれない」


 ふんす、と我慢の大事さを伝えたらいいお返事が返ってきたのに、フェルとラン兄は盛大な溜息を吐いた。解せぬ。




 そして、4の鐘が鳴って皆で城に戻った。


「おかえりなさいませ、皆様。昼食の準備ができております」


 領主夫妻も一緒の昼食を食べながら、ヴィルフリートの目で見た神殿について話を聞く。

 それから茶番として、領主夫妻にフェルからのヴィルフリートに対する叱責交じりの報告があり、「このままの教育習熟度であれば、廃嫡をせざるを得ないだろう」という言葉が出る。

 それを受けたジルヴェスターは目を細め、「冬のお披露目を見て考える」と答えた。


 ん? これ、お披露目本番を見て考えるって言ってる? まさかね。お披露目させられるかどうかを事前に判断してそこで決める、ってことだよね。間に合わなくても冬のお披露目に出させるって考えなしなこと……考えなしだからしてそうだな。


 基本文字を全て書けるようになること、数字を書き、簡単な計算ができるようになること、フェシュピールを一曲弾けるようになることが課題として上げられる。


「冬のお披露目まで……?」


 ヴィルとラン兄は、期限と課題に顔色を変えた。


「大丈夫です、ヴィルフリート兄様。孤児院の子ども達に使った教材を届けます。ヴィルフリート兄様なら、ギリギリ間に合うと思います。気を抜いたら、そこで終了ですけれど」


「……うむ」


「ギリギリ……」


 気合を入れなおした2人を温かく見守る。


「昼食後の午後の授業には、わたくしも参加しようと思っているのですが……」


 教材の使い方の説明もしたいし、と思っていたら、フェルに止められた。収穫祭の時に同行する者と顔を合わせる予定と、カントーナとの面会予定が入っているとのこと。


「ローゼマインが戻るまでに、できるだけカルタを覚えておくのだな。ローゼマインは初心者にも容赦しないぞ」


「そういうことみたいなので、皆様で絵札と読み札を全部目を通して置いてくださいませ。時間があれば、側仕えの方たちだけでやってみてください。実際にやっているのを見れば、ヴィルフリート兄様も遊び方がわかりやすいでしょう」





 本館にある会議室のような部屋でエックハルトとユストクスを紹介される。収穫祭の過ごし方の指導をされ、素材採集の話をし、二人は退出していった。


「この後はカントーナを呼んである。……ちなみに、君がハッセで言及したことだが、本気でそう考えているのか?」


「まさか。ただ手頃な孤児を買おうとしただけだと思っていますよ。でも、わたくしの面目が丸潰れになるような行為でしたので、それをわかって頂けるよう、しっかりとお話ししたいと思っています」


「……君はおとなしく座っていなさい」


「わかりました」


 言われた通り、入室してきたカントーナとフェルの話を大人しく聞く。


 フェルは、カントーナに領主事業の担当文官として何も問題はなかった、商人が何か企んでいるか行き違いがあったのでは、と言わせると、時間を二呼吸置いた。


「今日の用件だが、其方、ハッセの町長と孤児を買う契約をしたのだろう?」


「え? は、はい。それが……?」


「領主が孤児の救済を含めた新事業をハッセで始めるために動いているときにそこで孤児の売買を貴族が行うのは、領主に対する叛意ではないかとローゼマインが言ってな。町長より其方が交わした契約書を回収してきたのだ。その事実を確認しなければならぬと考えて、こうして呼び出したわけだ」


 神官長はうっすらとした凄みのある笑みを浮かべて、カントーナにそう言った。


「そなたは大分領主に思うところがありそうだな?」


「滅相もございません!!!」


 今まで取り繕っていた冷静さを手放し、小物らしく盛大に慌てる。


「だが、先程も述べたが商人からとはいえ領主事業を頓挫させるような言動をしたという報告もあった。なぜ事業の視察を命じられた地で孤児を買おうとした。悋気の強い奥方がいるのに、成人を目前にした女の孤児を買うほどの、よほどの理由があったのだろうか?」


「えぇ、えぇ。深くて大変な事情がございます。領主に叛意などございませんので、こちらの契約は撤回いたします。契約書を取ってまいりますので、少々お待ちくださいませ」


 逃げるようにカントーナが一度退室していく。パタリと閉められた扉を見た後、私は神官長を見上げた。


「わたくしが事業責任者になるまで、カントーナは領主事業の担当文官だったんですよね。本来なら領主命令の肝入の仕事です。つまり、領主の側近で、事業責任者だったりします?」


「……そんな顔をしている者には、教えられない」


「あら、淑女の微笑みに難癖をつけるなんて、紳士として落第ではなくて?」


 私が合理的なお話合いをしたいと言っていたのを覚えていたのだろう。明言を避けられた。

 そんなやり取りをしていたら、カントーナが契約書を持って戻ってきてすぐさま差し出してきた。


「こちらが契約書になります」


「あぁ、わかった。……違約金はこちらが払ってあるので、間違ってもハッセへ孤児を取りに行くような真似はせぬように」


「あの、先程も申し上げたように、深い事情がありまして、この契約は別に私が望んだものではなく、頼まれたものなのです」


 弁解がはじまったので、先ほどと同じ微笑みを、今度はカントーナに向ける。


「どなたに頼まれたのですか? わたくし、その方とじっくりお話したいと存じます。領主の宣言をご存知の上なのかどうか、お聞かせ願いたいもの」


「いえ、それは……ローゼマイン様のお耳に入れる類のお話ではございませんので……」


 視線で助けてと訴えるカントーナに、フェルはこちらに退出を促した。


「ローゼマイン、ここはもう良い。ヴィルフリートと共に勉強してきなさい。ブリギッテ、アンゲリカ。ローゼマインを連れて一足先に戻れ」


 そう言われてしまったので、私は従順に部屋を出る。残念、折角だから結末が見たかったなぁ。でもまあ、ざまぁみたいに断罪するんじゃなく、弱みを握って不服な左遷に頷かせるだけのことだろうから、まあいっか。


 ジルが自分の側近(太鼓持ち)が不遇になるのは嫌がるから、妻の悋気を収めるために忙しい領主付きの仕事ではないところに移動したいと言っていたから命じてやれ、とジルに話して、て流れだろうしね。私が提供した話題もあるし、きっとよりスムーズに事が運ぶだろう。




 ネコバスでヴィルフリートの部屋へと向かい、中に入ると、様子見の生ぬるいカルタの真っ最中だった。ヴィルフリートがつまらなそうな顔で見ている。


「遊び方がわかったところで、順位表を作ります。成績が奮わない方はヴィルフリート兄様とカルタをするのに相応しくありません。どんどん見学に回ってもらいますので、頑張ってくださいませ」


 これ見よがしにリヒャルダに目配せをして、見学に回るような人は入れ替え対象だと仄めかす。


「ヴィルフリート兄様は初めてですので、今回は覚えている五音のみとしましょう。絵札と読み札を仕分けてくださる?」


「では絵札を並べて、読み札をわたくしに。兄様とカルタに参加する側仕えの三名はお席についてください。兄様は自由に手を伸ばしてください。側仕えの方々は、各自の側の角を中指の先端で狙ってくださいね」


 テーブルの一辺ずつに人を配置したので、こうすればうっかりヴィルの手を叩くことにはならないだろう。


 本来、階級や魔力レイプ問題がある貴族社会では、手を叩いたり触れてしまう可能性の高いこのカルタの遊び方は相応しくない。今は至急で、同性の成人側仕えだけだから許される案件だろうが、子供部屋では最低でも同階級同性のグループ分けでしか運用ができないだろう。原作では……どうやってたんだろうか。10歳未満だから混合でも許されていたのかな。なんにしろ真剣勝負と唆されても全員弁えてプレイしていたということになるが。

 ……となれば、番号付き升目板でも作ろうか。携帯性のためにヒンジで折り畳み式にして、絵札をそこに並べて番号を言う速さで競う形にすればいいかな。んー、布に刺繍した方が軽いし嵩張らないかな。どっちがいいかな。何にしてもタバコ販売みたいなことになるけど。


 私が試しにと五枚読み札を読む。枚数が少ないから、そこそこな速さで取れている。自分の番だとはしゃぐヴィルへの接待も見えたが、そこはリヒャルダに任せる。


「ヴィルフリート兄様、わたくしと対戦しましょう」


 フェルの期待に応えなければならないので、容赦なくヴィルの手が動く前に取る。これくらいが普通なので、この速さで取れるようになってくださいね、と双方に圧をかける。


 見本を見せて、カルタの席から離れ、続きをやるよう促す。その横でリヒャルダに、その日覚えた五音を3セット以上、締めに今まで覚えてきた全部で3セット以上やるように。苦手なものが明確になったらそれだけ集めてやるのもいい。覚え途中だったら、読み札を読み切ってから手を伸ばすルールにしてもいい。など遊び方のアドバイスをする。


 次いでトランプの七並べのデモンストレーションだ。


「文字や数字を覚えると、色々と面白い遊びが出来るようになります。わたくし、新しい遊びをいっぱい考えてみますので、楽しみにしててください」


 娯楽は、教養があれば派生してどんどん増えていくからね。文字が読めて計算が出来たら遊びは無限大だ。

 そのうちアドベンチャー系の計算分岐多用双六とかつくろう。脳筋向け計算練習教材になりそうだし。


「どのゲームに関してもそうですが、勝ったり負けたりするのが、真剣さの元になり、楽しさに繋がります。負けても腐らずに、続けてくださいね」


 ヴィルの目を真剣に見つめて、告げる。


 最後に、聖典絵本三種を預ける。

 読み聞かせてもらったり、どの文字が読めないか把握したりするのに使ってください。お勉強を頑張れば、すぐに全部自分で読めるようになりますよ。と優しく告げた。


 6の鐘が鳴る寸前に神官長から「神殿に戻るぞ」という連絡が入った。後はもう、ヴィルの努力に期待するだけだ。


「リヒャルダ、諸々、お任せしますね」


「えぇ、もちろんですわ。姫様」

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