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欲しいものは何でも手に入れてきた公爵令嬢が、一目惚れして無理やり婚約した相手の本音を知ってしまった結果

作者: はるの霙


 昔から叶わない願いなんてなかったの。

 わたくしが望んで、お父様に頼めば、それは必ず手に入ったのよ。

 だから今日もわたくしは満面の笑みでお父様に遠慮なくお願いごとをする。


「お父様! わたくし、テオ様と結婚したいわ!!」

「……エリアーヌ? その、テオ様というのはフォーレ伯爵のところの三男で合ってるのかい?」

「そうよ! テオドール・フォーレ様! わたくしの未来の旦那様よ!!」

「ふーむ……うんうん、よし分かった! パパに任せなさい!」


 とまぁ、こんな感じで、お父様にお願いをすればこの通り――


「初めまして、フォーレ伯爵家のテオドールです」


 次の日には我がミュレール公爵家に、わたくしのテオ様はやって来てくれたの!

 彼の隣にはお父様の顔色を窺ってるのか妙にソワソワしているフォーレ伯爵もいるけれど、わたくしの目には既にテオ様しか映らないわ。


 ――そう、だってわたくし、十五歳にして初めて一目惚れというものをしてしまったのよ!!


 その一目惚れの相手ことテオドール・フォーレ様はわたくしより二つ年上の十七歳。

 光に当たると少しだけ青みがかった黒髪に、深い森のような紺碧の瞳がとても理知的で。

 わたくしよりも頭二つ分は高い長身なのも素敵。しかも騎士学校に通っていらっしゃるから、細身だけどしっかりと引き締まった身体つきをしていらっしゃるの! 姿勢も綺麗で座っているだけでも絵になるなんて反則よね!!

 それにしても今日の黒を基調としたシックな装いもとっても似合ってるわ……でも、どうせならわたくしの色である金や蒼をポイントに入れてくださってもよろしいのに――……


「ミュレール公爵令嬢?」


 っと、いけないわ! ついつい見惚れてしまっていてはテオ様に不審に思われちゃう!

 わたくしはゆるく巻かれた自分の金髪を軽く払ってから堂々と胸に手を当てて笑顔を向ける。


「テオ様! わたくしのことはどうぞエリアーヌと呼んでくださいませ!!」

「あ、ああ……では、エリアーヌ嬢と――」

「エリアーヌ! どうぞ呼び捨てで!!」

「…………エリアーヌ?」

「はいっ、テオ様!! あっ! テオ様って呼んでも良かったかしら?」

「え? ええ、別に構いませんが……」

「そう、良かったわ! ありがとうテオ様!!」


 わたくしの勢いに押されながらも律儀に返してくれるテオ様。

 はぁ、その少し困ったような表情と声がとても可愛らしいわ!!! 好き!!!!

 わたくしはテオ様とのやりとりに大いに満足しながら、横並びに座るお父様の顔を仰ぐ。


「ねぇお父様! 今日からテオ様はわたくしの婚約者ってことでいいのよね?」

「うん? ああ、そうだね……フォーレ伯爵、特に問題はないよね?」


 すると向かい側に座っていたフォーレ伯爵――未来のお義父様ね――は、首をガクガク縦に振った。


「ももも勿論でございます! 我がフォーレ家にとってもこの上ないお話ですので……っ!」

「ふむ……テオドール君も、異存はないかな?」


 わたくしはドキドキしながらジッとテオ様を見つめる。少しでも嫌そうな顔をされたらどうしようかと思ったけれど、テオ様はわたくしの目をしっかりと見つめ返しながら、穏やかな口調でこう仰ったの。


「――はい。とても光栄に思います」



 ◇◆◇◆◇◆◇◆



「はぁあああああ~~~~!!! テオ様カッコイイ可愛い世界一素敵~~~!!!!!」

「……うっざ」

「むっ! ちょっとジュリエット!! せっかくわたくしが良い気分に浸ってるのに水を差すのは無粋ってものよ!!」


 気分を害したわたくしが対面からジロリと睨めば、顔に大きく「面倒くさい」と書いてあるジュリエットが面倒くさそうに口を開く。


「無粋も何も、なんで私が貴女の惚気話を何回も聞かなきゃいけないのよ。余所でやりなさい余所で」

「なによ薄情ね! 親友の恋の成就を祝う気概がないなんて王族として器が小さいと思わないの?」

「思うわけないでしょ。というか勝手に親友扱いとか止めなさいよ不敬よ、不敬……貴女なんてただの腐れ縁で十分よ」

「……その割にはこうして毎週お茶に招いてくれてるじゃない?」

「っ! ……煩いわね。これはただの暇潰しよ、暇潰し!」


 言って、ジュリエットは優雅な仕草でティーカップを傾ける。色彩こそ全体的に亜麻色に寄っていて地味だけど、王女としての気品がそこからは滲み出していた。


 ここは限られた者しか出入りが出来ない王宮の温室。別名、第一王女ジュリエットの庭だ。周囲に侍女と護衛が控える以外は二人きりのお茶会なので、わたくしもジュリエットも言葉に一切の遠慮がない。


 この国でもっとも高貴な身分の未婚女性はジュリエット。

 公爵令嬢であるわたくしは二番目。


 同い年なこともあって必然的に一緒に居る機会も多いわたくしとジュリエットは、幼馴染であり腐れ縁であり、そして何でも話せる親友なのである。


「まったく……毎度毎度飽きもせず『今週のテオ様』を聞かされるこっちの身にもなりなさいよ」

「むー……いいでしょ別に! ジュリエットにもテオ様の良さを知って欲しいんだから!」

「もう嫌ってほど聞かされてるわよ……婚約して既に半年でしょ? 流石にそろそろ落ち着きなさいな」

「そんなの無理よ! だってテオ様ったら会う度にカッコよくて最高で好きが溢れてくるんだもの!! そうそうこの間もね――」


 と即座に新エピソードを力説し始めたわたくしに対して、ジュリエットは呆れた表情を隠しもせずクッキーを口に運ぶ。これはつまり黙ってわたくしの話を聞いてくれるということだ。何だかんだとジュリエットは優しいのよね。


 そんなジュリエットへ話す内容は、先日テオ様にエスコートして貰って参加した夜会での一幕。


 お互いにお互いの瞳の色を織り込んだ衣装に身を包みながら、三回続けて踊ったダンスは本当に最高だったわ……! 周囲からの羨望の眼差しが痛いくらいだったんだから! まぁ美しいわたくしと男らしいテオ様が隣り合っているだけで目の保養になってしまうから、ある程度は仕方がないことだけれど!


 当然ながらカッコよすぎるテオ様に恋焦がれる令嬢はかなり多い。けどテオ様はむやみに愛想を振りまくタイプではないので、彼女たちのことは極力視界に入れないし、会話も最低限しかしない。

 一方で婚約者であるわたくしのことは事あるごとに褒めてくれるし、常に紳士的にエスコートしてくれるのだ。


 この日もわたくしがダンスで少し疲れた時もすぐに察して休ませてくれたし、甲斐甲斐しく飲み物や軽食も運んでくれて。そういうちょっとした気遣いが堪らなく嬉しいの。わたくしのことをきちんと見てくれているのが分かるから。


 ……実はわたくしたち、婚約半年にしてまだ手を握る以上のことはしていないプラトニックな関係なんだけど……むしろそこが良いと思うのよね! 大事にされているんだなって実感するし、他の殿方みたいにがっついてないのも安心出来るわ。

 やはり騎士を志すだけあって気高い精神性をお持ちなんだなってますます惚れ直しちゃう!!


「ああっ! わたくし、テオ様と結婚出来るなんて本当に世界一幸せ者だわ!!!」


 いつものように最後にそう締めくくったわたくしを横目に、ジュリエットは酷く白けたような表情で最後のクッキーを噛み砕く。そのまま紅茶を含んで口をさっぱり洗い流した彼女は、


「いちいち重い」


 と率直な感想を述べた。わたくしは頬を膨らませながら抗議する。


「もうっ! 別にいいじゃない! 愛情表現はストレートな方がいいってお父様も言っていたわ!!」

「それはそうかもしれないけれど……なんだか貴女ばっかり気持ちが大きすぎて、相手の男性からしたら負担になってるんじゃないの?」

「えっ……」


 ジュリエットの何気ない言葉は、思いのほかわたくしを動揺させた。

 まさかわたくしの溢れんばかりの恋心がテオ様の負担になるなんて、そんなことあり得るの? 本当に??? え、まさか今まで嫌がられてたなんてことはないわよね……!?!?


 なんだか急激に不安になってしまい、わたくしは俯き気味に言葉を詰まらせてしまう。

 ちょっぴり気まずい沈黙の中、ジュリエットは肩を竦めながらため息交じりに言った。


「ねぇ、そんなに不安なら確かめてみればいいじゃない」

「……確かめる? いったい何を?」

「貴女の婚約者が実際のところ貴女をどう思っているのかってこと。エリアーヌは事あるごとにテオ様好き好き言ってるけど、テオ様からは言われたことないんでしょ? ――好きだって」

「っ……!!!」


 完全に痛いところを突かれてしまって言葉を失う。

 婚約から既に半年。けれどわたくしはテオ様から「好き」や「愛してる」という言葉を貰ったことは一度もない。もともと性格的にそういうことを軽々しく口にするような方ではないし、態度では好意をきちんと示してくださってるから今まで気にしてなかったけど……指摘されたら流石に意識してしまう。


 ――そもそもの話、この婚約はわたくしがお父様にお願いして成立したものだ。

 つまりわたくしが一方的に好きになって強引に結んだ関係なのである。


 もちろん嫌われてはいないわ。ちゃんと大事にされているもの。

 それは確かだけれど――恋愛感情を抱いて貰えているかに関しては、正直、自信はなかった。普段のわたくしなら胸を張って「わたくしと結婚できるのに喜ばない男なんているわけないでしょ!」くらい簡単に言えるのに……テオ様のことに関しては、こんなにも臆病になってしまう。


「なんなら手を貸してあげるわよ? どうする? それとも自信ないなら止めとく?」


 ジュリエットの意地悪な提案にわたくしは唇をぎゅっと噛みしめながら、テオ様のことを思い描く。

 テオ様が好き。大好き。ずっと一緒に居たいし、二人で幸せな結婚生活を送りたい。

 だからこそ彼の嘘偽りない気持ちを確かめたいの。

 そしてわたくしのことを、きちんと好きだって言って欲しい……!!!

 その一心で、わたくしは顔を上げると大きく頷いてみせた。


「いいわっ! この際、テオ様から好きも愛してるもたくさん言って貰うんだから!!」


 ……と、決意したはいいものの。

 騎士学校の最高学年に在籍するテオ様は卒業を数か月後に控えて忙しい身。そんな中でも合間を縫ってわたくしとのお茶会やデートをきちんと重ねてくれているのよ。そういうところも大好き!

 だけど、だからこそ。あまり手間を取らせるようなことはしたくない。

 そんなわたくしの希望に沿って、ジュリエットが提案してくれた方法は実にシンプルだった。


 ずばり、ジュリエットがテオ様にさり気なくわたくしの話題を振って本音を聞き出す作戦!


「ふふっ……任せなさい。私もいい加減、実物ときちんと話しておきたいと思っていたしね」


 やけに自信満々なジュリエットに不安を覚えながらも、翌週。

 普段ならば待ちに待ったと言えるテオ様とのデートの日に。

 わたくしたちは作戦を決行することとなった。


「おはようエリアーヌ、今日の装いも凄く似合ってるね。かわいいよ」

「あ、ありがとうございます……っ」


 朝から公爵家へと迎えに来てくれたテオ様。

 仕立てのいいライトグレーの三つ揃いが今日も今日とて本当に素敵。

 ちなみに今日はお父様が出資している美術館での鑑賞デートの後にお茶をする予定となっている。

 わたくしは最近仕立てた紺碧色のドレスワンピースに身を包み、青みがかった黒のリボンを髪に編み込んでいる。どちらもテオ様の色でとってもお気に入り。


 そんなわけで差し出されたテオ様の手を取って馬車に乗り、まずは美術館へと二人して赴く。

 個人的にはあまり美術品に興味はないのだけれど、テオ様が横に居て同じものを見ていると思うだけで気分は高揚してくるのだから不思議だわ。


「……この子猫、エリアーヌに似ているね」


 不意に呟いたテオ様の視線の先には愛くるしい子猫たちが戯れている絵画が飾られている。その中の目が大きくてツリ目がちな一匹に似ていると言われて、思わず頬が熱くなった。


「そ、そう……かしら?」

「うん。とても可愛い」


 今度は視線を絵ではなく何故かわたくしに向いているのだけれど……ねぇ、これって遠回しにわたくしのことを可愛いって言ってくださってるのよね? そうよね???

 どどどどうしよう……なんだかとても恥ずかしいのだけれど……でもこれってやっぱり、テオ様もわたくしのことが好きってことよね!!! きっとそう!! そうに違いないわ……!!!


「ん? エリアーヌ、大丈夫? 顔が妙に赤いようだけど……」

「なっなんでもありませんわ! はやく次のフロアへ行きましょう!」

「……あはは、うん。すべて君のお望みのままに」


 甘やかすような声が耳をくすぐる。あーもう、本当に好き!!!!

 その後もデートは順調そのもので、楽しい時間はあっという間に過ぎていった。

 一通り美術館を見学し終えたわたくしたちは、休憩しようと美術館に併設しているカフェに入店する。混雑しててもわたくしの顔を見るや否や、オーナーが出てきて見晴らしの良いテラス席へと当然のように案内された。というのも、事前に話を通しておいたから当然と言えば当然なんだけれど。

 そうして通された席の隣には、既に護衛を数人侍らせた先客がいた。


「あら、エリアーヌ様じゃない。偶然ね?」


 大変白々しい笑みを浮かべるジュリエットに、わたくしも負けじと笑顔を作り返す。

 遂に作戦決行の時である。


「ジュリエット殿下、ご機嫌よう。……いい機会ですのでご紹介いたしますわ。こちらはわたくしの婚約者であるテオドール・フォーレ伯爵令息ですわ」

「お目に掛かれて光栄です、殿下。ご紹介に与りましたテオドール・フォーレと申します」

「……ふふっ、こちらこそお会い出来て嬉しいわ。せっかくですし、少しお話でもどうかしら?」


 貴族として王女殿下からの直々のお誘いを断るわけにはいかない。

 テオ様はわたくしの方をチラリと見てから「喜んで」と失礼のないように返答した。

 そして自然にわたくしのために椅子を引いて、優しく座らせてくれる。完璧なエスコートにドキドキが止まらない。やっぱり好き!!!


「ふぅん……思ったよりも距離感が近いじゃない」


 わたくしにだけ聞こえるように小声で呟きながら、ジュリエットは観察するようにテオ様へと視線を送る。彼はその不躾な視線に僅かに首を傾げつつも、特に声を上げることなくメニュー表をわたくしの前に広げてくれる。

 そうして彼が勧めてくれたフルーツタルトと紅茶のセットを注文した後、わたくしはジュリエットに目配せをしてから立ち上がった。


「わ、わたくし……少しお化粧を直してきますわねっ!」


 緊張からテオ様の顔が見れず、逃げるようにテラス席から店内へと移動する。

 そうしてすぐに二人が座る席から死角となる位置に入ると、ホッと胸を撫で下ろした。ここからなら二人の会話を無理なく聞き取ることも出来るのだ。

 わたくしは両手を胸の前でぎゅっと握り締めながら、静かに息を殺した。

 そのタイミングでジュリエットの朗らかな声が聞こえてくる。


「……フォーレ伯爵令息、少しよろしいかしら?」

「――なんでしょうか、王女殿下」

「単刀直入に訊くけれど。貴方はエリアーヌ様のこと、どう思っているのかしら?」

「……と、仰いますと?」

「難しく考えなくてもいいのよ? 率直に貴方にとってエリアーヌ様がどういう存在なのか知りたいの」

「はぁ……ええと、そうですね……」


 テオ様は逡巡するように間を置いた後、


「彼女は私の婚約者であり、大切にするべき相手です」


 酷く穏やかな声で淡々と告げる。

 それはある意味では模範解答だけれど――わたくしが欲しい言葉と温度ではなかった。

 ジュリエットもそう思ったのだろう。彼女は更に踏み込んだ質問を投げかける。


「他には? もっと彼女の内面について、何か思うところはないの?」

「内面、ですか? そうですね、とても愛らしい方だと思います。素直で明るくて、真っ直ぐで」

「……それってつまり、エリアーヌ様のことが好きってことよね?」

「? ええ、好ましく思っていますよ。彼女の婚約者になれるなんて、とても光栄なことです」

「…………光栄、ね……それはフォーレ家の者として?」

「はい、勿論です」

「――そう。よく、分かったわ……」


 ジュリエットの覇気のない声を聞きながら、わたくしは咄嗟に涙が零れないよう必死に唇を噛みしめた。

 テオ様の発言に一切の落ち度はない。

 婚約者であるわたくしに最大の敬意を払っていることが端々から伝わってくる。

 だけど、その声には――あまりにも熱がなかった。

 わたくしが彼に向けるような、熱く揺さぶられるような、誰かに恋焦がれる感情が。


 ――そうか。テオ様は、わたくしのこと、特別に好きではないのだわ。


 その事実を容赦なく突きつけられたわたくしは、完全にその場を動けなくなってしまう。

 ……こんなことなら作戦なんか立てなければ良かった。きっとこれは罰なのだ。テオ様を出し抜くような形でこっそり本心を聞き出そうとしたわたくしへの罰。

 いったいどんな顔をしてテオ様の前に立てばいいのか分からない。自分ばかり浮ついて勘違いして好きを押し付けて恥ずかしい。このまま逃げ出してしまいたい。いや、いっそ逃げ出してしまえば――


「……あの、エリアーヌ嬢が心配なので少し様子を見に行っても?」


 なのに、そんな言葉を耳が拾う。

 ああ、本当に嫌になるくらいテオ様はどこまでも真摯で紳士だわ。婚約者優先の振る舞いを徹底している。今はそれが堪らなく……辛い。わたくしは痛む胸を抑えながら、一度大きく深呼吸をする。

 もうこれ以上、わたくしの一方的な感情でテオ様にご迷惑を掛けてはいけない。


「――テオ様、王女殿下。お待たせいたしましたわ」


 たった今、化粧室から戻ってきたように。わたくしはにこやかに歩みを進める。

 見ればジュリエットの顔色が明らかに悪くなっていて。申し訳ないことをしたな、と別の意味でも胸を痛めた。


「……エリアーヌ? どうかした? さっきよりも顔色が悪いように見えるけど――」

「え、そうですか? そんなことはないと思いますけど……?」

「そう? ……気のせいならいいんだ。さぁ、座って?」


 わざわざ立ち上がってわたくしの椅子を引いてくださるテオ様。お優しいテオ様。

 だけどそれは婚約者に対する義務を果たしているのに過ぎなかったのですね。


 今まで欲しいものはすべて簡単に手に入れてきた。望めばお父様が叶えてくれた。

 でも、テオ様の気持ちを変えることはきっと、お父さまにだって出来ない。


 ――わたくしは生まれて初めて、本当に欲しいもの(テオ様のこころ)は手に入らないのだと知った。



 ◇◆◇◆◇◆◇◆



 この日以降、わたくしはテオ様を煩わさないように極力大人しくすることに決めた。

 たとえ本当の意味で好かれてなかったとしても、彼のことが大好きだというわたくしの気持ちが消えることはない。

 そしてきっとこれからも彼は誠意を尽くしてわたくしを大事にしてくれるだろう。そこに気持ちが伴わなくても。


 ならばせめて、彼に嫌われることだけは避けたかった。

 ワガママを言ったり、面倒くさいと思われたり、重いと思われたりしたら大変だ。


「お嬢様、今週末のフォーレ様とのお茶会ですが――」

「その日はジュリエット殿下に呼ばれしてしまったの。後ほどテオ様にはお詫びのお手紙を書くわ」


「お嬢様、フォーレ様より来訪の先ぶれが――」

「ちょっと体調が優れないの。丁重にお断りしてくれる?」


「お嬢様、フォーレ様よりお見舞いのお花とお菓子が届いておりますが――」

「……ありがとう。すぐにお礼を書くからカードの用意をお願い」


 定期的に行なっていたお茶会も、会いたいという先ぶれも、わたくしを案じてのお見舞いも。

 この一ヶ月ほどは何かと理由を付けてお断りをする日々。

 どちらにせよ卒業を控えたテオ様は今とても忙しい時期だ。わたくしのために無理して時間を作って欲しくはない。

 するとそんなわたくしらしくない行動に気づいたお父様が、珍しくもわたくしの部屋を訪ねてきた。


「エリアーヌ、テオドール君と何かあったのかい? お父様でよければ力になるよ?」


 わたくしはその言葉に迷った。頭をよぎったのは婚約解消という文字。

 きっとこのままいけば何事もなく、わたくしはテオ様と結婚できる。だけどテオ様の熱がわたくしに向けられることがないのならば――そんなの虚しいだけなのではないだろうか?


 もともとわたくしのワガママで成約した婚約なのだ。

 またわたくしがワガママを言えば、あっさりと婚約は解消出来てしまう。

 お父様に頼めばフォーレ伯爵家にとっても悪いようにはなさらないはずだし……テオ様だって、わたくしのことが好きではないのだから、解消になっても特に悲しんだりはしないはず――そう考えた途端に、わたくしの瞳からボロボロと涙が零れ落ちる。

 それを目の当たりにしたお父様は、わたくしの背中をそっと撫でてくれた。


「……エリアーヌ、もし迷っているのならば今すぐに答えを出さなくてもいい。ゆっくり考えなさい」


 わたくしはお父様の優しい言葉に甘えることにした。

 だってやっぱり好きなのだ。そう簡単に手放せるようならこんなにも苦しい思いはしない。


 鬱屈した気持ちを抱えたまま、数日。

 流石に部屋に籠るにも限界を感じていたわたくしが、自室でいくつかのお茶会の招待状を眺めながら参加するかどうか決めかねていた時。

 ノック音と共に扉の外から、わたくし専属侍女のやや焦ったような声が聞こえてきた。


「あの……お嬢様、フォーレ様がお越しになっております」

「……えっ!? ど、どちらに……?」

「それが――あっ! お、お待ちくださ――」


 慌てふためく侍女の言葉をかき消すように開けられた扉の先に居たのは、


「……テオ、さま……っ!」

「うん? 久しぶりだね、エリアーヌ。思ったよりも元気そうで何よりだ」


 小さく笑みを浮かべるテオ様その人だった。けれどわたくしは直感する。表情こそ笑っているのに、テオ様は全然笑っていらっしゃらない。むしろこれは……怒ってる? でも、どうして???


 わたくしの疑問を置き去りにしながらテオ様は堂々と室内に入ってくる。その後ろで侍女が困ったようにわたくしを見るので、目配せをして廊下に控えているように合図した。その間にもテオ様はどんどんわたくしとの距離を詰めてくる。

 あっという間に手を伸ばせば触れられる近さまで来ると、彼はスッと表情を失くした。

 そして美しい紺碧の瞳がわたくしを射抜くようにジッと覗き込んでくる。


「――エリアーヌ」

「ひぇっ!? は、はい……」

「エリアーヌは俺のこと……好きだよな?」

「えっ! あ、いや……その……っ」

「……もしかして、嫌いになった?」

「そ――そんなわけありませんわ!! いっそ嫌いになれたらって……わたくし……っ!」


 思わず飛び出してしまった本心に、わたくしは慌てて自分の口を両手で覆った。

 まったく、わたくしったらなんて未練がましいの! こんな気持ちの押し付け、テオ様にとってもいい迷惑なのに……っ! こんなんだからジュリエットにも重いって言われてしまうんだわ……!!!


 あまりの情けなさに涙が出そうになっていると、そんなわたくしの手ごと包むように。

 テオ様は両手でわたくしの頬に柔らかく触れる。突然の温度に驚きすぎて目を丸くしたわたくしの視界に入ってくるのは、何故かホッとしたようなテオ様の――柔らかい笑みだった。


「……良かった。嫌いって言われたらどうしてくれようかと思った」


 しかし表情とは裏腹にどこか恐ろしさを感じる発言を落とされ、思わず固まる。

 そんなわたくしに対して、テオ様はさらに一歩、距離を詰めた。少し顔を動かせば口付けてしまえそうなほどの至近距離で見つめ合うことになり、わたくしの頭は真っ白になる。けれど、テオ様は一向に攻勢の手を緩めてはくれない。


「ねぇ、エリアーヌ……どうして俺のこと避けたの?」


 言いながら、テオ様はそっとわたくしの両手を口もとから剥がす。そのまま両手を拘束されてしまい、もはや逃げることは叶わない。さらにテオ様はもう一度同じ質問をわたくしの耳元で繰り返した。


「言っておくけど、答えてくれるまで絶対に離さないよ?」

「っ!?!? うっ……あの、だって……これ以上、テオ様に嫌われたくなくて……っ」

「……は? 俺がエリアーヌを嫌う? どういうこと?」


 本気で不思議そうな顔をするテオ様に、わたくしはたどたどしくも説明を試みる。


 テオ様がわたくしのことを恋愛的な意味で好きではないと気づいてしまったこと。

 わたくしばかりがテオ様を好きすぎて、それが重荷になるのではないかと考えたこと。

 婚約者を儀礼的に大切にするテオ様の振る舞いが逆に辛くて距離を置きたくなったこと。


 途中でいかにわたくしがテオ様を好きかということも強制的に白状させられながら、なんとか最後まで話を終える。すると、テオ様は僅かに目を伏せて頬を赤らめていた。

 えっ、これはもしかして……照れてらっしゃるの!?


「あの……テオ様?」

「…………あー、ごめん。思ってたよりも破壊力があって……参ったな」

「っ……ご、ごめんなさい……! あの、ご迷惑なら今からでも婚約かいしょ――」

「それ以上言ったら問答無用で口を塞ぐ」

「びゃあっ!?!?」


 テオ様の低めの声音に過剰反応してしまったわたくしを、テオ様が楽しそうに目を細めて見つめてくる。その表情からは、勘違いではなければ、確かにわたくしへの特別な想いが滲んでいるように感じて。

 ……心臓がバクバクして痛い。でも、この痛みは。この一ヵ月味わった痛みとは別のもの。


「……テオ様」


 わたくしは意を決して、テオ様へとそっと尋ねる。


「テオ様は……わたくしのこと、好きですか?」


 ずっと怖くて聞けなかったこと。卑怯な手段で聞き出そうとしたこと。

 だけどきっと、最初から真っ直ぐに言葉にしていたのならば――


「……うん。好きだよ。だって好きにならないわけないでしょ。こんなにも俺のことを好きだって言ってくれる可愛くて特別な女の子のこと」


 本当に欲しかったものは、ちゃんとわたくしのもとにあったのだ。

 わたくしは全身が火照るように熱くなるのを感じながら、もうどうしようもなくなって思わずテオ様の腕の中に自分から飛び込む。ううっ、はしたない! 淑女失格! だけどそんなのもうどうでもいい!


「テオ様、好き! 大好き!! わたくしと結婚して!!!!」


 ぎゅうっと背中に手を回しながら思いの丈をめいいっぱい叫んだわたくしの頭上で。

 テオ様が心底嬉しそうにクスクスと笑いながら、


「――あーもうほんと、かわいい。俺も好きだよ。たぶんエリアーヌが思うよりずっとね」


 わたくしの金の髪をゆっくりと愛おし気に撫でてくれた。



 ……ちなみに後日。

 ジュリエットの問いにはどうしてあんなにも淡々と答えたのかを尋ねてみたところ――


「ああ……だってどうでもいい相手にわざわざ本心とか晒したくないだろ? 俺が誰を好きかなんて、エリアーヌが分かってればそれでいいんだからさ」


 そんな風に甘く優しく言うものだから。

 わたくしはますますテオ様のことを好きになってしまって、呆れ果てたジュリエットからは完全に手遅れの烙印を押されてしまったのだった。



【了】


最後までお読みいただき、まことにありがとうございました。

ちなみにエリアーヌよりもテオドールの方が遥かに重いし面倒くさいですが、エリアーヌが素直に好き好き言っているうちは平和な人生が送れることでしょう。

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― 新着の感想 ―
[良い点] テオドールの重さが勝ってましたねw ヤンデレチックでなテオドールと、普段の理知的で賢そうな彼の差にギャップを感じました。
[良い点] テオドールがエリアーヌに避けられて、めっちゃ焦っているのを想像するとにっこりできました。ありがとうございます!
[一言] まさかのテオ様の方が重かったエンド!(笑)
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