第20話 テスト返却日②
生物部の扉を開けた瞬間、目の前に泡羽がいて俺は卒倒しそうになった。が、さすがに現実世界でそんな簡単に卒倒はしないので、ギリギリ持ちこたえる。
俺がドアの前で立ち尽くしていると、泡羽は手を伸ばしてそっとドアを閉めた。ちょうど、泡羽が壁ドンしているみたいな、変な体勢になる。
「……近くない?」
「テスト、返ってきた」
「そうだね、確かにさっき返ってきたけどやっぱり近くない?」
「春野くんどうだった?」
「俺? 俺は普通っていうか……」
「私、赤点回避したよ」
「えっ!? マジで!? 良かったじゃん!」
「それどころか、全教科70点以上取れた」
「すげぇじゃん!」
教えた側として、こういうのはテンション上がる。しかも前の点より30点も上げるとは……
泡羽の距離感が相変わらずおかしいのも気に留めず、はしゃいでしまった。
「ねぇ、」
「ん?」
「褒めて?」
「へ? す、すごいな泡羽はやっぱり。勉強会頑張ってたもんな」
あの勉強会、なんか色々とヤバかったけど。4時間も密室で女子と密接していたからある意味気がおかしくなりそうだった。
泡羽は一瞬嬉しそうにしたが、首を振る。その際ズイ、と1歩踏み出したから、俺と泡羽の距離はまた縮まった。近くね?
「違う」
「えっと……1回のテストで30点も上げるのは並大抵の努力じゃ無理だし、本当にすごいと思う」
「違うの」
「じゃ、じゃあ、どうしたらいい?」
泡羽は俯き、頬を紅潮させる。耳まで真っ赤にさせて、モジモジしながら呟いた。
「あ……まを」
「ごめん聞こえなかった」
「あ、頭を撫でてほしいの!」
今度はやけくそなのか大きな声だ。しっかりと耳に届く。一応頭にまでも届いてるけど、理解できない。
えっ、今なんて?
頭を……?
「え、えっと待って。ちょっと待って」
「頭を……撫でてくれる?」
俺は泡羽より背が高い。
だから必然的に、上目遣いになる。
今は眼鏡をかけていないみたいで、瞳がはっきり見える。
潤んだ瞳で、少し赤い頬と鼻の頭と耳。
これ、本当に友達……なのか?
友達って頭撫でたりするもんだっけ。てかちょっと待って一旦落ち着こう……いや無理だわ落ち着くとか無理すぎる。
「……頭、撫でてほしいの? 本当にいいの?」
「うん。春野くんに、頭を撫でてほしい」
「じゃ、じゃあ、手、のせるよ」
「うん」
泡羽の頭に手を乗せる。黒髪で、綺麗だ。実際に触れてみると、思ったよりも柔らかくて、サラサラで、触り心地が良かった。
とりあえずソフトタッチを心がけて、ゆっくりと手を動かす。ワシャワシャってするのは失礼な気もするし、かと言って髪を梳くようにするのも恋人に対してみたいだし……
猫を撫でるみたいに、ただかるーく頭を撫でる。
「こ、こんな感じ?」
「うん」
妹の頭を撫でたことはある。6つも離れているから、なにかするたびに褒めてそうしていた。
だけどやっぱり同級生は違うって。ドクドクと心臓が鳴る。
しばらく無心で手を動かす。もうそろそろいいかな。
「もういい?」
「うん。ありがと」
なんとも言えない空気。
互いに目が合わせられず、そっぽを向く。
「はは、なんか暑いなぁ」
「うん。暑い」
「もう夏だもんな」
「夏だね」
なんだこの会話。
大抵は話題がなくなって、気まずいときにありがちな天気の話。けど今は気まずいというより、この甘酸っぱい空気を解くためのものとなっている。
「エアコンの温度下げるか」
「もうエアコン25℃に設定してる」
「あっはは。それはこれ以上下げたら風邪ひくな、うん」
あぁ駄目だ正気に戻れない。
えっ、だって頭撫でただけだよな? こんな緊張するはずないけど……いやするか女子に触れることなんて数える程しかないんだから……いやでもここまでなのは相手が極上の美少女だからか?
回らない頭で次の話題を必死に探していると、先に口を開いたのは泡羽だった。
「……ねぇ、春野くん、今回は本当にありがとう。それで次のテストのときもなんだけど、勉強教えてほしい。なにかお礼はするから」
「ほんとお礼とかいいよ。俺も赤点回避したとか聞くと嬉しいしさ」
「ううん。じゃないと私の気が済まないの。それからMINE、交換しない? 次の予定合わせるときとかに必要だし」
「そっ、そっか。そうだな。交換しよう」
QRコードを表示し、読み取ってもらう。スマホの画面を覗くと、新たに『風花』というアカウントが追加されていた。
「じゃ、じゃあ。またね。私これから用事あって」
「うん。また」
手を振ると、泡羽は携帯をカバンに入れて部屋を出ていった。
1人になって、やっとほっと息をつく。
「なんか緊っ張した……」
カサ、とカメ太郎が音を立てる。
水槽の前にしゃがむと、カメ太郎は寄ってきた。やっぱ可愛い。癒しだ。
気が緩んだからか、泡羽と接しているときにずっと考えていることが口をつく。
「あれってさ、本当に友達になりたいだけなのかな……」
カメ太郎はあまり反応せず、ただ餌を欲しそうに口をパクパクとさせただけだった。