38 決意の面会
レムレスとの別れの余韻にうしろ髪をひかれていたものの、アルバートは太鼓のリズムにあと押しされるように長老宅へと歩んだ。
アルバートは幼少期より、異性としてみられた経験があまりなかったため、レムレスが好意をよせてくれたことに対して、言葉にできない感謝とそれ以上のとまどいをおぼえていた。
それはとても幸福な悩みだろう。
それでも、アルバートは切り替えていかなければならないと決心して、ただただ足をすすめた。
無心に歩いた。
中央広場をでて、小路をすぎて、やがて長老宅の裏手にある高く枝葉をひろげたけやきが、家周辺のかがり火で巨大な竜の影のようにみえてきた頃、ようやく別れぎわのレムレスのもどかしさをうかべた表情から得た胸の昂まりは、長老との面会に対する緊張の動悸に変わっていた。
アルバートをとりかこむ森の樹木が風でざわつく。
中央広場のほうから聞こえてくる祭りの喧騒よりもずっとアルバートをおびえさせる原始の音だった。
まるでたくさんの獣がさわいでいるみたいだった。
そういえば、この森には闇の精霊と呼ばれる謎の脅威がいるのだった。
そもそも世界樹の枝を加工してたくさんのかがり火が製作されるのは、その悪夢から身を守るためなのだ。
夜中に出歩くだけで惨殺されてしまうという異常な恐怖……そう思ってみると、長老宅の裏手の巨木のけやきがその正体にみえてくる――。
アルバートは疑心暗鬼でのどを鳴らす。
国王陛下に謁見したときとはちがう気づまりをおぼえて、とびだした樹の根でころびそうになった。
しかし、それでわれにかえり、冷静になると長老宅のまえにランプをもった女性がみえた。
足早に近づくと、女性が柔和にほほえんでいることがわかった。
30代後半ぐらいだろうか。
アルバートは一気に安堵する。
「ようこそ、アルバート王子さま。私は長老の姪です。アルバート王子さまの案内役を任されました。よろしくお願いします」
アルバートがもにゃもにゃ返事をするよりさきに、女性はアルバートの手をひくようにして建物内へとみちびく。
読めない言語がきざまれたふしぎな玄関扉が開かれる。
もう何週間も入れなかったことがうそのように一瞬のできごとだった。
入ってすぐ視界がぼやけて、アルバートはたじろいでしまったが、それはレースのカーテンがかけられているだけだった。
「履物をぬいであがってください」
アルバートがもぞもぞと長靴をぬぐと、女性が自然な動きでそろえてくれた。
「あ、ありがとうございます」
「どういたしまして」
女性はにっこりする。笑いじわに好感がもてた。
「長老はつきあたりの応接間でお待ちです。ごゆっくりお過ごしください」
おじぎをする長老の姪に、アルバートはへどもどとおじぎをかえし、緊張であやつり人形のようになった動きで廊下を進む。
廊下にはみずうみの絵画がかけられ、銀の水差しにはコットンフラワーがいけられていた。
応接間のドアは開け放たれていたが、ふたたび繭のようにレースのカーテンがかけられていたため、内部はみえなかった。
なんとなく逡巡していると、「入られよ」としゃがれ声がして、アルバートはその言葉にひっぱられるように入室した。
手をかかげたもののカーテンがアルバートの鼻さきをすりながらめくれ、つるりとした感触が残った。
まるで女性のゆびさきでなでられたかのようだった。
なにかを思いだしそうになる感覚がしたが、目前に現れた白髪の老人に目をうばわれてすぐに忘れてしまった。
「長らく待たせてしまったようだな――新興国の客人よ」
古希は過ぎているだろうか。
しわだらけで細いが、それほど貧弱な印象はない。ゆったりした灰色の民族衣装に袖をとおし、片膝を抱くようにして床にじかに坐っていた。
白い長髪のすきまからのぞく眼光はするどいが、それは敵意ではなく、経験からくる用心深さによるものだろう。
おなじような目つきを知っているような気がしたが、いつみたのかは思い至らなかった。
「貴重な時間を割いていただき、ありがとうございます」
アルバートは直立姿勢のまま目礼する。
「坐られよ」
うながされて、床にかがむ。
なぜか正座してしまった。
威厳のかたまりみたいな長老のまえに正座していると懲罰でもうけているみたいだった。
「村の者たちに粗相はなかったかな」
しばらくの間ののち、まるで表情を変えず長老が訊ねてきた。
アルバートはひたいの汗をぬぐい、破顔してふともものうえで手をにぎる。
「もちろんです。私どもの突然の訪問にもこころよく応対していただき、そのあとも厚遇していただきました――不慣れな私たちにていねいにご教授いただいたおかげで、一般的な外遊ではあまり経験できないことに勤しめました」
「客人らが職務をつかさどっていたことは存じている。当村の戒律とはいえ、不躾に従事させたことは詫びよう」
「いえ、当然です。それぞれの特性を活かせる仕事があたえられていたと思います」
長老の口もとが若干動いた。
おそらくほほえんだのだろう。
「村の者たちは客人らとの交流を楽しんでいたようだ。感謝している」
「こちらこそ、充実していました」
アルバートはほほえんでみたが、長老が無言だったのでどうすべきか悩み、結果話すことにした。
「この村の戒律には当初とまどうことも多かったのですが、長く滞在して村の構造を理解するにあたって、とても理想的な体系が築かれているのではないかと感服いたしました。私はまだ若輩で、父の代理として祖国の領内周辺を視察した程度でしかないのですが、ここまで伝統を昇華している村落はほかになかったと思います」
アルバートはひと呼吸おいてみたが、長老がそのままだったのでつづける。
「秩序は保たれているし、人々はおだやかだし、祭りのような行事においても羽目をはずす人もでてこないし、たしかに人口は少ないほうかもしれませんが、それでも運営は成功しているようにみえます。戒律に、いやいやしたがっている人もいないように見受けられますし――」
「いささか誤解もあろうか」
急に長老が割って入ってきた。
「客人らが当惑する戒律というのは主に夜歩きや区割りのことだと思われるが、そこには自立した精神や自主意のまま生きる自然さは皆無だ。夜歩きは闇の精霊を忌避しているだけで、戒律というよりは余儀なくされているだけ。区割りは過度な戒律ゆえ、理想的かどうかは判断できない。多くの民が生まれながらにしたがってきただけで、若者たちは内心厭うている者もいるだろう。客人らは滞在時間が短いゆえわからぬだろうが、昼日中など厳守しておらぬ若者は多いのではないか」
「……はァ、それでも戒律として存在するのはめずらしいことでは」
「たしかに新興国のような明文法では感情を統制することはできない。混乱の多くは感情に起因するものだから、そういう意味では客人のいうことはわかる」
「はい」
アルバートは、ややたじろぐ。
「そして、伝統の昇華というが、祭りの本懐については私と村議会が担っているだけで、村の民には参加を強いていないだけだ。祭祀の一部は客人らもみてまわっただろうが、多くが余興の部分だけといっても過言ではない」
「はぁ」
「諸人が儀式に供奉するという古来からのしきたりはすでにうしなわれている。それを昇華といえるかはあやしい。そもそも戒律においては、まつろわぬ者は村をでるなりしているだけのこと」
アルバートはこめかみをかく。
「――この村の歴史は長いのでしょうか。失礼を承知でいえば、私はこの森の存在すら存じあげておりませんでした」
「新興国にくらべれば長い。森の原初より存在している」
アルバートは〈まぼろしの森〉のはじまりをそもそも知らないが、森ができるにはそれ相応の時間を要するだろう。
広範囲の森で、大樹が生えそろい、その中心に世界樹の根があるわけだから、100年では足りないことは想像できる。
アルバートは長老をみつめる。
その目つきになにか意図を読みとることはできない。
無感情といえばそんなふうでもある。
簡潔な話しかたには対面したときほどの威圧感はおぼえないが、そろそろ本題に入るほうがいいだろうか。
足も少ししびれてきた。
アルバートは深呼吸する。




