32 アップリケと自由時間
すると、広場のほうで威勢のいい女性のかけ声がひびき、軽快なリズムの太鼓がそれにつづいて、輪になった大勢の人たちがおなじ振りをしながらまわりはじめた。中央のやぐらの頂上では男女のペアがよく聴きとれない言語で情感たっぷりに歌っている。
ルイが注視していると、「古代語の一種だな」とディレンツァが教えてくれた。
みつめていただけなのに歌詞がわからないことを察してくれたらしい。
ひさしぶりにディレンツァらしい対応である。
「なにを歌っているのかぜんぜんわからないのに、恋に関する唄だってわかるわ」
「歌い手たちの情感もそうだが、なにより淘汰されない普遍的なテーマだから、おのずとつたわってくるものがあるんだろうな」
ディレンツァが無表情でうなずく。
ルイは手をあたまのうしろで組む。
レムレスがボディタッチなどしながらアルバートに話しかけ、アルバートもでへでへ照れながら応じているため、ルイはそのままディレンツァに訊ねる。
「レムレスから聞いていたから、王子がなにをしていたのかはなんとなくわかってるんだけど、ディレンツァはどんな仕事をしていたの?」
「ああ、私は農業のほかは気候、地質、生態系の調査だな。魔法使いというだけでいろいろ打診を受けたりもしたが、基本的にはそういう技術が必要ない村落だと思うので魔法による助力はしていないし、考えてもいない」
「なるほど、たしかに三人のなかではディレンツァがいちばん能力者だものね。村議会とかってそういう人の集まりなんでしょ?」
「そうらしいな」
ディレンツァは目を細める。
「私も元王都所属だという一部の人間にかかわっただけなのでよくは知らないが、さっきルイが話していたとおり、旧弊的で非効率的なようでいて、わりと随所に工夫されたシステムが築かれているように思う。都会の機構に疲弊している人なら特に、村の運営にたずさわってもいいと考える来訪者も多いのではないかな」
ルイはそれについて考える。
閉鎖的な雰囲気や問答無用の戒律のせいで最初の印象がよくなかったこともあり、いわゆる闖入者側のルイたちは、あまりにも当然に機能している村の運営を、どちらかといえば悪い想像でとらえているところも多かったかもしれない。
「村のせいっていうか、森のせいなのかしらねぇ……」
ルイがくちびるをとがらすと、ディレンツァがまじまじとルイをみたので、ちょっととまどう。
ルイは間がもたない気がしたので、そういえばディレンツァが王都から出発するまえに〈まぼろしの森〉について調べていたことを思いだし、訊ねる。
「えっと……あいかわらず私は混乱しているんだけど、なんでここは〈まぼろしの森〉っていうのかしら。なにかのたとえ?」
「ああ」
ディレンツァは一度うなずいたのち、吐息する。
「どうも時代によって意味は異なるみたいだな」
ルイは反応にこまる。さらによくわからなくなった。
「時代?」
「この森が水の国の領土になった頃――すなわち、太陽王の建国時代には森を頻繁におおう濃霧のことを指していたらしい。これは王都の保管記録で読んだ」
「霧……そうか、私たちもそのせいで遭難したんだったわね」
ルイは思いだして舌をだす。
「でも、それでまぼろしなの? なんか婉曲な表現ね」
「ああ、われわれのように霧にまかれて茫然自失になることを指しているとか、目的地にたどりつけなくなることを意味しているとか、そもそも霧の森だったものが、あとからまぼろしと改名されたとか諸説あるようだな。そのまえはさらにべつの名称だったという説もある」
疲労と不安で神経がおかしくなりそうだったので、ルイとアルバートはたしかに前後不覚だった。
ディレンツァがどうだったかはもう憶えていない。
「あとから改名されたっていうのは、べつに理由があるってこと?」
「森について国土調査が進んだことで、世界樹の根の周辺には特殊な胞子をだすきのこが群生していることが判明した。これは水の国では先々代の女王の統治下で、その頃になると世界樹の根についての記録も多くあるのだが――」
ディレンツァが腕組みしたところで、三人の男性が近寄ってきた。
「やぁ、ここにいたのかい」一人があいさつしてきたが、声音ほど親しみの表情はしていない。
しかし、それに無表情のディレンツァが目礼で応える。
よくみると、三人とも年嵩である。
一人は白髪まじりで中肉中背、一人は小太りでつやつや、もう一人は細身でしわが多い。
民族衣装を着ているが地味な色合いでキルトもつけていない。
「農政委員会の発足について会議するところなんだが、きみもどうだい?」
先頭の男はルイには目もくれず、ディレンツァに笑いかける。
それでもどちらかといえばルイには仏頂面にみえる。
しばらくして、診察してもらったことのある医師だと気づいた。
衣装がちがうとわからないものだ。
「面識のある村議会の構成員たちだ。それぞれ医師、農業技師そして風読みとして従事している」
ディレンツァがルイをみたため、三人ともルイをみて、ルイが目を大きくすると、眉を動かしたり、目をあわせず会釈したり、(慣れていなさそうな)笑みをうかべたりした。
言葉少なで表情が乏しいのは、どうやらインテリだかららしい。
医師はルイが患者だったことを憶えているのかまったくわからない。
「あ、どうぞ――」
ルイはふと気づいて片手を胸にあてる。
「私のことなら気にしないで」
ディレンツァはしばらく沈思してから、「そうだな、今日は夜まで動けるようだし、少しでてこよう」とうなずいた。
「なにかあったら、ここの大やぐらにもどってくる。ルイも好きにみてまわったらいい」
「そうさせてもらうわ」
ルイが手をふると、ディレンツァたちは音もなく去っていった。
まるで影法師の群れのようだった。
ディレンツァの右腕のうしろに、ルイ作のゆきだるまのアップリケがさりげなくつけられていた。
「――あれ、ディレンツァは?」
突然うしろでアルバートが頓狂な声をだした。
ルイはわざと面倒くさそうにふりかえる。
「だれかさんが恋人に夢中のうちに仕事仲間にさそわれておでかけよ」
「え、は?」
アルバートが目をしぱしぱさせる。
レムレスがきゃきゃっと笑った。
なんだかアルバートといるときのレムレスには好感がもちづらい。
「とりあえず、お二人さんもデートしてきたらいいわ」
ルイはお手あげのポーズをする。
「私も適当に散策してくるから。夜中まで自由行動できるみたいだし、ディレンツァもそうするみたいだし」
アルバートは目をぱちくりする。
レムレスが「いいの!?」などと大声をだしたので、周囲の村人の目がルイたちに向く。
ルイは恥ずかしくなって、「いいに決まってるでしょ、きゃんきゃん声をださないで」と、けむりを追い払おうとしているみたい両手をふる。
「それじゃ、王子、遠慮なくいきましょう」
「あ、えっと……」
アルバートが困惑して半笑いになるので、ルイは壁を押すみたいに両手をつきだす。
「遠慮なく楽しんできて」
「あ、じゃ――ぼくは夕方過ぎには長老の家にいるからね――」
アルバートはあやつり人形のような不可解な動きであいさつすると、レムレスに手をとられるようにして露店のほうに向かった。
ん――?
そこでルイはアルバートの右腕裏をみて気づいた。
キルトのアップリケがつけられているものの、それはルイがつくったカワセミではなかった。
ルイは小鳥にそこまで造形が深いわけではなかったが、少なくともルイのカワセミは青色だったが、アルバートの腕には黄色い鳥がつけられていた。
ひよこだろうか――?
ふいにアルバートとレムレスが声をあげて笑った。
ルイはなんだかつまらないような、手もちぶさたな気分になったものの、やつあたりする相手もいないし、そもそも話しかける相手もいないので、ふぅと吐息したあと、きびすを返して、二人とは反対方向に歩きだした――。




