15 大事に抱える大事なもの
アルバートたちが王都を経ってから一週間後――。
昼さがり、〈魔導院〉の質素な木造の門〈古木の芽〉を悠然と淑女が通過した。
栗色の流れるような髪と、晴れた日のみずうみを彷彿とさせる青みがかった瞳と、ふわりとひろがる森色のロングスカートが印象的だった。
まるで繁華街の大通りを闊歩しているかのように堂々としている。
そして、うしろには二人の侍女をしたがえていた。
当然ながら魔法使いの卵たちがざわつき、エントランスホールは騒然となった。
男子たちは口笛をふき、女子たちは嬌声をあげる。
しかし、近づきがたいオーラがあったため、三人の女性はかこまれることはなかった。
それでもエントランス付近にいた院生たちはみな一様に足をとめ、徐々に集まってきた者たちと遠くからささやきあっている。
「さて、どうしたものかしら」
淑女が右のひとさし指を下くちびるに添える。
一見幼稚なしぐさだが、それだけで多くの男子たちが魅とれて口を半開きにした。
「院の運営関係者に声をかけるのがよいかと思います」侍女の一人が提案した。
「運営関係者――にみえるような大人はいないわね」
淑女がみずからの下くちびるをぷにぷに押す。
同時に睥睨するような視線を周囲に送っているが、それをいやみにとる院生は一人もいなかった。
目線が合ったときにちいさく黄色い声をあげる女子までいた。
すでに周辺には2、30人が集まってきている。
だいたいが夏季休暇をとらず、帰郷もしない院生たちで、その多くは課題に追われていたり、建国記念祝祭の特別発表会を終えてその反省点の考察書をしたためている者だったが、なかにはただ単にものぐさだから居残っている者もいた。
故郷にもどっても楽しいことがないから帰らないという手合いである。
そして、その代表格である男児二人が淑女のせりふを聞き逃さず、三人のまえに踊りでた。
群集から「おい、ぬけがけかよ、セルウェイ! ストックデイル!」と野次がとぶ。
しかし、それにめげず、セルウェイと呼ばれた男子が目を大きくする。
「お困りですか、フィオナ王女!」
「ふん――いきなり大声でそんなふうに問われるほうが困るだろうよ」
ストックデイルと呼ばれたもう一人の少年が皮肉っぽく口角をあげる。
フィオナはぼんやりした瞳で二人の少年をみる。
淑女は水の国の王位継承者フィオナ王女であり、神話に登場する森の女神といったたたずまいの美女だったため、その突然の訪問に〈魔導院〉も沸いたのである。
まぶしいほどの高貴さだが、小動物のような愛らしさもあるし、関心を惹きたくなる親密さもある。
「お困り? そうね、ちょっと、だるいわね」
そして、そうつぶやいた。侍女二人が微笑する。
「そうか、フィオナ王女は祝典のあとに体調不良になられたんですよね。それで治療薬でもお求めに、ここまでいらっしゃったのですか?」
セルウェイが元気に声をはる。
おまえ、失礼なことを平気でいうなよ、とストックデイルがひじでセルウェイの小脇を突く。
「あら、よくご存知ね」
「えへへ、オレ――いや、私は情報通が売りでして」セルウェイはみずからの後頭部をなでる。
「ふぅん」フィオナは鼻のうえにしわをよせる。「それはけっこうね」
「はい、ありがとうございます」
セルウェイは赤面する。
予想外に仇敵がほめられたのでストックデイルはむっとして、肘鉄にちからをこめ、セルウェイがブグッとむせた。
「なんだよ、嫉妬するなよ見苦しい」セルウェイがせきばらいしながら抗議すると、「調子にのるなよ、ただの下民なんだから」とストックデイルが片目を大きくする。
そうして、二人の抗争に収集がつかなくなると――いつものパターンでそこにパティが現れた。
通常ならパティは親友のフリーダとともに登場するのだが、いっしょにいたのは薬師シャトレだった。
パティにとってフリーダは同窓だが、セルウェイとストックデイルは一年先輩であり、シャトレは五年先輩だった。
しかし、フリーダは姉のようだったし、セルウェイとストックデイルは弟のようだったし、シャトレは教師のような関係で、なかなか複雑なのだ。
「ねぇ、恥ずかしいよ、なんでけんかしてるの?」
パティは少し距離をおいて二人の少年に声をかける。
右肩にいる小ザルのモカがキキキと歯をだして笑った。体長が2、30センチほどで手足がおなじくらい長いめずらしいサルである。
毛並みも顔周辺は白く、それ以外はふさふさの黄土色できらきらした目とまるい鼻が印象的だった。
「ほんと、失礼だから王女から離れて――」
シャトレが眼鏡のフレームをくいっとあげる。
瞬間レンズが光を反射した。
「ふふ、恥ずかしいし失礼かもしれないけど、けんかしてるのは仲がいいからでしょう」
フィオナはパティをみてにっこりする。
「あなた、おもしろい仔をつれてるのね」
雰囲気に呑まれてセルウェイとストックデイルは動きをとめ、シャトレもフレームから手を離す。
「あ、この仔はモカといって――」
パティがとまどうと、モカがパティの右肩でキッキッキと手をふった。
「私の国でもみたことがないわ。大事になさいね、人間よりいいパートナーよ」
フィオナは目を細める。
「あなたたち、お名まえは?」
「あ、すみません王女、申し後れました。私はシャトレ。当院にて薬学を研究しています」
シャトレがあわててカーテシーをする。
そして、パティに手のひらをむけ「こちらは私の後輩のパティです。以後お見知りおきを――」と紹介してくれた。
パティはおなじくていねいにあいさつするべきだと考えたが、両手がふさがっていたため判断が遅れてしまった。
「あ、う……」
「あら、お茶つきのお出迎え?」フィオナは相好をくずす。
「えっと……」
両手でかかえた銀のトレイ上で、ケトルとカップと白いナプキンのかかった皿が、パティの動揺そのままにカタカタふるえる。
「なんて冗談。私の相手をしていてお茶が冷めたら興醒めでしょう。大事な人のところに早くもっていらして――」
フィオナは天使のようにほほえみながら、「またね、おサルさん!」と手をかざす。
モカがキキッと長い手をのばして返事をしてくれたので、パティはとりあえずシャトレに目でお願いしますと合図をし、「それでは王女、私は失礼いたします――」と退出できた。
フィオナたちはもちろん、野次馬たちの目線も集まっていたため、とてつもなく緊張してしまったが、なんとか粗相をすることなく、パティはエントランスをぬけることができた。
廊下に入り、エントランスがみえなくなったところで一度たちどまり、パティはふぅとため息する。
銀のトレイのケトルからほかほかでている湯気が、パティの興奮を顕しているかのようだった。
「フィオナ王女だって……すごい美人だったね、びっくりしちゃったよ」
パティが目を閉じると、キキキ、と鳴きながらモカがパティの頚に腕をまわしてきた――。
パティとモカが去っていったあと、すっかり呑まれてしまった野次馬は声ひとつださなかった。
セルウェイとストックデイルも二対の彫像のようにかたまったままである。
シャトレはふたたび眼鏡に手をそえた。
「フィオナ王女、本日はどのようなご用向きでしょう?」
「ええ、あなたたちの長にお呼ばれしたものですから」
「マイニエリ師ですね」
シャトレはレンズの奥で目を大きくする。
「それでは、私が案内いたします。三階になります。こちらへどうぞ――」
歩きだすと、ふたたび野次馬たちのひそひそ話が聞こえてきたが、話の内容は聞きとれなかった。
セルウェイとストックデイルはつかみあった体勢のままキツネにつままれたような顔をしていた。
エントランスをぬけると、フィオナはすぐシャトレのとなりにならんできた。
王女を先導するのは気がひけるにちがいないという配慮だろう。
たしかに背中に視線を感じると緊張して脚がもつれたり、階段で蹴つまづいてしまったりしそうだ。
フィオナからは甘い花のような香りがした。
「森のなかにいるみたい――」
ふと、フィオナがつぶやいたので、シャトレはわれにかえる。
「古木で建築された建物だからですかね」
「ううん、なんていうか、空気の感じ」
フィオナは肯定とも否定ともとれる感じでつぶやく。
じっさい慣れてしまったシャトレにはわりと古めかしい学院校舎のイメージそのままでしかない。
「匂いとか、色合いとか、風のようすね――」
フィオナは花を香るようにあごをあげる。
「はぁ」とシャトレはまぬけな声をだしてしまった。
それは水の国の森の景観、あるいは雰囲気に似ているという意味だろうか。
フィオナがごきげんなのかハミングをはじめたので、シャトレは問いかけるのをやめた。
侍女二人はなにごともないかのように目をふせて、黙ってついてきている。
それでも階段をあがってマイニエリ師の部屋が近づいてきたとき、シャトレは思いだして訊ねた。
「そういえば王女――」
「うん?」
「エントランスで後輩のパティがもっていたお茶なんですけど」
シャトレは口にしてしまってから、わざわざ確認することでもないような気がしてきた。
それでもここでやめるわけにはいかないので世間話っぽさを醸しながらつづける。
「王女はよくパティが大事な人にもっていこうとしているものだってわかりましたね?」
「わかるわよ」フィオナは長い髪にふわりと手を通す。「水の国の熟練された女には、人の想いがみえるんだから」
「――え?」
シャトレが思わずたちどまると、フィオナは「ふふ」と笑う。
つづいて侍女たちも微笑した。
「うそ――」
フィオナは窓からそとをちらりとみる。
「それでもあんな女の子が慣れない手つきでトレイをかかえているんだから、大事な人にもっていくためっていうのは、なんとなくわかるじゃない」
「なるほど」
シャトレはうなずく。
フィオナはにっこりする。
「大事そうにかかえているものはいつでも、大事な人のためにとってあるものなの」




