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銀の風ファンタジア ~孤独な炎の生と死の幻想~  作者: 坂本悠
名まえを失くしたとわの国
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6 影のようなだれか

 沿道の教会から聞こえてくる朝の祈祷の声や、コンサートホールの窓からもれてくる賛美歌と、軽食店から流れてくるアコーディオン、それから路上の吟遊詩人の朗誦や、見世物一座が客寄せのために奏でる太鼓やラッパのダンスのリズムが、吹きぬける風にいりみだれ、それぞれの目的や事情をかかえて王都に集まってきた人々の会話や足音にまざることで、街道はずいぶんさわがしくなってきていた。


 いずれ、昼をすぎる頃には王都じゅうが喧騒につつまれるだろう。

 

 雑多に音がかさなりすぎて、どの音にも注意が向かず、逆になにも聞こえないような錯覚におちいる。

 耳が不自由になっただけで、ほかの感覚もうしなっている気がした。


「そこの兄さん」


 背中に声をかけられた。


「ほら、犬をつれた兄さん、あんただよ」


 脚をとめて目をむけると、露店を営んでいる年輩の男性が面妖な笑みをうかべている。

 その何十年ものの笑顔の仮面はのっぺりと顔面にはりつき、卑しさを親しみでかくすことに成功しているが、目の奥はまるで冷徹な魔術師のように無感情だった。

 

 幾何学模様の布地や、色とりどりの木箱、奇怪なつぼや古めかしい書物、なにが入っているのか判然としない不透明な容器などにかこまれて、あぐらをかいて坐っている老人はとてもちいさくみえた。


「どうだい、こいつはあんた向きだよ」


 老人はコルク栓がしてある大きめの三角フラスコをもっており、それを左右にふっていた。

 フラスコはうすい緑色をしており、ガラス製らしい。

 

 目を細めると、老人がにやりと口角をあげる。

 客が関心を示したことで、老商人の欲望がまるだしになった。

 望みを叶える交換条件で魂をうばいとる悪魔のような顔つきである。


「これは南の湖水地方でつかまえた水の妖精だよ。旅人のつかれを癒す存在だ。濁っちまったオレの目じゃみえないけど、ずいぶんきれいな女のすがたをしているらしい。どうだい、いまなら安くしとくよ、なんといっても祝祭だからな!」


 思わず声をだして笑ってしまいそうになる。


 粗が多すぎる。

 これもまた祝祭という茶番の罪過といえるだろう。


 しかたがないから老商人にあゆみ寄る。


 意表をつかれたような顔を一瞬したものの、客が釣れた愉悦で老商人は「そうこなくっちゃ!」と鼻の穴をふくらませた。


 しかし、つぎの瞬間――老商人の顔が驚きでゆがんだ。


 目前に立っている人物が、枢機院の紋章のついた鎧すがたの兵士だったからだ。


「あれ……? あんたは? あれ――!?」


「私は物品検査官だ――」そして、にらみつける。「祝祭に乗じて、反則売買をおこなう無法者や、模造品をあつかう詐欺師、善良な市民を言葉巧みにだます悪徳ペテン師といったやからを取り締まっている者だ」


 老商人は露骨におびえる。


「水の妖精といったな? 貴公だけでなく私も目視では識別できないが、だれが捕獲したものか? そして容器も一般的なフラスコ瓶だが、それで妖精を封印できる根拠はあるのか? どこで入手した? そもそも、貴公には不可視であるのに水の精霊だと補償できるのか?」


 老商人は顔を赤らめた。怒りと焦りと気恥ずかしさがうかぶ目は少しうるんでいる。

「いや、その、もちろんさ。これはオレも転売で手に入れたものだから詳細はわからないよ。でも、中身はお客さんに判断してもらってから販売するつもりさ。さっきの旅人なんか、鼻の利きそうな犬もつれてたしさ……達者な人物だろうから、妖精だろうが精霊だろうがわかりそうなもんだったろ――」

 そのあとも老商人はごにょごにょといいわけをつづけた。


 この手合いは懲りない。

 話しても無駄だろうから、適当に警告してからその場を辞した。


 老商人はふとした瞬間に、旅人も検査官も見失い、まるでキツネにつままれたようにわれにかえるはずだ。

 目前にはだれもいない。

 自分はまぼろしと会話していたのか――?

 きょろきょろしながら往来をみても、さきほどの人物たちは風とともに消えている。


 悪徳商売をやめさせるほどの影響はないかもしれない。

 それでもこのわずかながらのふしぎな体験が、老商人の邪気に多少の水はさすだろう。


 すると、濃いアイシャドウをひいた女がちらしを手渡してきた。

「よう、色男さん。良い陽気だし、お祭りなんだから、もうちょっと楽しそうにしなよ。犬まで冷めたツラをしてるじゃないか」


 女の香水が鼻をつく。

 ちらしには女が所属しているという酒場の宣伝と、そこが協賛しているらしい見世物小屋の紹介文がイラストつきで載っていた。


 いわゆる興行としての見世物は許可制でとりおこなわれるが、このちらしに書かれた見世物小屋はいうなれば「裏」の見世物だった。


「ここから3ブロックさきの路地裏で昼過ぎからやってるよ。中央第二広場からもそんなに離れてないし、見物料もたいしたことない。ひまならみていきな。半妖精の女があそこに大蛇をつっこんだりするらしいよ、ふふ」

 女は楽しそうに笑う。

 

 微笑で応える。

 もちろん憫笑だが、女は意に介さない。

 

 シニカルな笑みさえも好意として受けとったのか、女はウィンクでかえしてきた。

 痛罵をあびせることさえ時間の無駄なので、さっさと距離をとる。


 近年、半妖精だったり半獣人だったり、巨人族であったり小人族であったり、はては魔法やまじないなどの特殊技能だったりを商品化する傾向が顕著になってきている。


 円環として成立している市場に規制は意味をなさないだろう。

 道徳も矜持も法規ではない。

 生きる姿勢は行動のみであり、言葉で著すことができない。

 しかし、そのために女神信仰があるのではないか。言葉ならぬところの祈りとして――。


 それでも、みずからも〈鹿の角団〉に所属して長年、特殊技能者たちを小手先で利用してきたことは変わらない。

 ザウターにしてもティファナにしても道具のようにあつかってきたし、これからさきもそうするつもりだ。

 だからそう、自分のほうがよほど大罪を犯しているのかもしれない……。


 もっとも、歴史をひきのばしてみれば、個々人の背負う罪業はかぎりなくうすく透けてしまう。

 罪という言葉もまた、祈りの別名だろう。


 ――〈伝説の宝石〉という名まえをもつ、名まえを失くした宝石に関心をいだくまえから、風にのって高い空へ舞いあがる鳥のように、いつも向かうべき場所をさがしていた。

 理由などそのつど考えていたようなものだろうし、これからもそうだろう。


 そして、なにかをもとめている以上、やさぐれた老商人や女たちと少しも変わることはない。

 こういった矛盾が摂理としてあっても、それが人間というものだろうか――。

 

 氷よりも冷たくなった白い月を見あげるように、雑踏のなかでしばらくたたずんだが、やがて、犬をつれた旅人にみえるだれかは、中央第二広場を影のように横切っていった。

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