5 不思議な不気味さ
ポツポツ、パリパリというポップコーンを焼くような破裂音が聞こえたことで、モレロは自分が長いあいだぼんやりとしていたことに気づいた。
そこは王都の商業地区にあたる路地裏の雑居ビル(一階が飲食店、二階が酒場)の二階である。
モレロのあるじことジェラルド王子が公務――建国祝賀祭に列席するため昨晩から行動をべつにしていることもあり、護衛役のレナード、ベリシア、ウェルニック、モレロの四人は自由行動を許可されていた。
当初、聖職者であるウェルニックが付人として参列することを志願したが、筋骨たくましい巨漢で短髪刈りあげのウェルニックはよくもわるくも人目をひきすぎるため、ジェラルドがしりぞけた。
「マルサリス三世陛下の来賓として滞在しているのだから護衛はいらないさ。そこより安全な場所もないだろう?」
確かにそのとおりだったので、ウェルニックもしぶしぶ承諾した。
そんなウェルニックはモレロのうしろの床で仰向けになって爆睡している。
この聖職者は酒に酔うといつもこんなふうに大の字になって寝入ってしまう習性がある。
そこが汚い飲み屋の汚い床でも関係ない。そういえば、〈はずれの港町〉でも酒場の暖炉にあたまをつっこんで灰まみれになって寝ていた。
ウェルニックがジェラルド王子の仲間になったのがいつのことなのかモレロはあまりくわしく聞いたことはないが、女神信仰教会の汚職問題に悲観してどうのこうの……とだれかが話していた気がする。
モレロはだれの過去にも興味がないので即座に忘れてしまったが、要するにウェルニックは誠実な人間なのだろう。
確かに酒を飲んでないときのウェルニックは人格者であるし、基本モレロはいいかげんな性格なので諭されてばかりいる。
ふだんはその生真面目さをからかったりしているけれど、レナードがいうには、ウェルニックは激昂すると破壊神に変身するそうなので、モレロはぎりぎりのラインでうまく退くようにしている。
まだみたことはないが、それでもウェルニックが腰に痛そうな槌をぶらさげている時点で、なんとなくその神のすがたは想像できるのである。
クケケッ、モレロは破壊神となったウェルニックに追いかけられる妄想をして、思わず笑ってしまった。
なぜ笑ってしまったのかよくわからないが、昨夜から呑みっぱなしで、だいぶ酩酊しているせいか、つまらないことで感情の起伏が起きてしまうらしい。
「なにが楽しいのよ?」
赤ら顔のベリシアが充血した目を細める。
前髪がほつれ、鼻のあたままで赤くなっており、正直魅力に欠けるが、この女も酔えばいつもこうなのでモレロは気にしない。
ベリシアの横には、ほぼ酔いつぶれたレナードがいる。
レナードとベリシアはもとから二人連れだった。
モレロが旦那(ジェラルド王子)と絡むようになるきっかけの事件とも無関係ではないので知らない仲ではない。
ベリシアはともかくレナードはモレロと悪ふざけをするし、ときどきハメをはずしすぎるので、品性の面ではなんとなく同族な気がする。
「そとでへんな音がしたろ?」モレロは目を大きくする。
「祭りでおなじみのかんしゃく玉でしょ」
ベリシアは眉間にしわをよせる。なぜか不機嫌らしい。
そして手にしたワインの瓶をラッパ飲みして、ダンッと叩きつけるようにテーブルに置く。
衝撃で平皿にのっていたピスタチオが散乱した。
「それのなにがおもしろいってのよ?」
困った。
へたにごまかさず、素直に破壊神と化したウェルニックに追いまわされる想像をしたと答えればよかった。
ここまでくると、どう返事をするのが正解なのかがわからない。
ベリシアが機嫌をそこねているだけですでに不正解なのかもしれないが、モレロは表情を変えず笑みを絶やさない。
賭けポーカーでもしているかのような気分になる。
そういえば、昨晩酒場に入るまえ、ウェルニックよりもベリシアのほうが式典に参列したがっていたとレナードが話していた気がする。
そもそもベリシアは路地裏のうすよごれた飲み屋で一晩を過ごすのがいやだったのかもしれない。
「――お客さんたち、祝祭だからってとばしすぎじゃないかい?」
天の助けなのか、酒場の亭主が現れ、(モレロたちの背後の)木製のはねあげ式の窓を開けようとする。
たてつけが悪すぎて、奇妙な鳥の鳴き声のような音がギィギィ鳴り、ぜんぶ開けたところでズドーンと打擲音がひびき、かんしゃく玉の反響よりも明確に建物がきしんだ。
朝の光がスーッと射してきて、室内のよどんだ空気が流されていく。
昨夜はテーブルも満席だったが、いつのまにかモレロたち以外の客はもういなかった。
「なによ、今日から本番なんだからいいじゃないの。そもそもずっと予行祭や前夜祭で、あなたたちだってかき入れどきなんでしょ? 文句あんの――」
すると、ベリシアの矛さきが亭主に向いた。
ありがてぇ。モレロは内心ほくそ笑む。
亭主はワインをあおりつづけるベリシアをなだめながらモレロをみる。
助けをもとめたのだが、よくみるとこの小男もふつうではない。
複雑に編みこまれた奇怪な髪型といい陰険そうな顔つきといい、あきらかに賊にみえる。
その背後では修道服をきている大男が大口を開けて酔態をさらしているし、比較的まともそうな(おそらく女性の連れの)男も酔いつぶれて完全に夢のなかである。
亭主は気軽に話しかけてしまったことを若干後悔していた。
モレロはぐひっとげっぷをする――しかし、その瞬間に思わず背筋がのびた。
ばね式の玩具のような動きでおもしろかったのだが、だれもみていなかった。
モレロはカラスのような目つきでたちあがる。
亭主はあばれ馬のようなベリシアの対応で必死だったのでモレロの動きを気にとめなかった。
開け放たれた窓辺に向かい、モレロは眼下を見おろす。
たちこめる朝もやに陽が照り、ウェルニックなら祈りのひとつもしそうなぐらい神秘的な街並みだった。
そのまま目を細めて街道の人波をみつめる。
獲物に狙いをつけたカラスのようにぎょろりと目をむき、往来の多種多面な人々をにらみつけた。
――クジャクの羽飾りをつけた帽子をかぶった貴婦人二人組をのせた馬車と、その向こうに串焼の出店の準備をしているバンダナを巻いたオヤジがかさなり、視線を流すと、群れをなして歩いてくる女神教会の修道服のわきを、よごれた子どもたちが楽しそうに走りぬけ、談笑する屈強で傷だらけの傭兵たちと、外套にすっぽり身をつつんだ犬をつれている旅人らしき男と、奇怪な商売道具を荷車でひく大道芸人の一団が目をひき、最後に街路のプランターに水をやる喫茶店の看板娘に、枢機院の外套を着た王都の警備員らしき生意気そうな男が、下心まるだしの顔つきで声をかけているのが目にとまった。
ふられちまえ、とモレロは内心毒づいたが、目的を見失いそうになったので目をそらす。
「なんだよ、気のせいか――」モレロはぼやき、自然とあくびがでた。
すると、「なにが気のせいなんだ?」と、うしろからレナードがモレロの肩を抱くようにして身をもたせかけてきた。
息が酒臭く、腕にちからが入っていない。
「なんだ、生きてたのか」モレロがにやりとすると、「キンキン声があたまにひびいてな。つい、よみがえっちまったぜ」とレナードは側頭部をさすった。
ちらりとみると、ベリシアはひとしきりけんかした亭主となぜか乾杯している。
「おい、嫁が浮気してるぜ、いいのか」モレロはクケケと笑う。
レナードは鼻の穴をふくらませた。
「それより、なんで窓から顔をつきだしてたんだ? 美女でもいたのかよ」
モレロは眉間にしわをよせたあと無表情になる。「まぁな。迎えの喫茶店のウェイトレスはかわいい」
「――ああ、あの娘はかたぎの恋人もちだぜ。残念ながらな」
レナードは微笑したものの、モレロが本題に入っておらず、もっといえば胸中を吐露していないことを察しているようだった。
かくす必要もないのでモレロは口をへの字にしてつぶやく。
「まぁ、錯覚だったんだろうけどさ……お仲間さんがいるような気がしたんだよな」
「――お仲間?」レナードは片目を大きくする。「ああ、まじない師ってことか」
モレロはまじない師だった。
まじない師については言説しづらい。
当人であるモレロ自身、知悉しているかあやしい。自分自身のことは思いのほかわからないものだ。
ジェラルド王子はまじない師のことを「誤解させる特殊能力の保持者」と呼んでいた。
たとえば、モレロが「鳥に変身するぜ!」と大声で叫べば、耐性のない他者はモレロが鳥になったと錯覚する。
だからジェラルド王子の理解は正しいような気もする。
しかし、モレロは「鳥に変身する」と公言したとき、自分自身は確かに鳥になっていると認識しているのである。
空を飛ぶことだってできる。
腕がつばさになっていると理解しているのだ。
そのまま鳥でありつづければ、鳥の野性にとりこまれて人間にもどれなくなってしまうほどに……。
モレロがそういうと「だから、自分自身でさえ誤解させているんだろう?」とジェラルド王子はにっこりうなずいた。
かつてレナードは「稀代の詐欺師だぜ、クク」とふくみ笑いをしてきたし、ベリシアは「ふしぎだけど、ぶきみでもあるわね」と評した。
ウェルニックは「先天的な能力なのでしょう? だったら神からあたえられた贈りものです。使途さえまちがわなければいいのです」と、なぜか教え諭してきた。まるでなぐさめるみたいに。
耐性のない他者といったが、耐性といった防御体質があるわけでもない。
看破する姿勢をもってしても、どうやっても気づけない場合もある。
ただ傾向として、耐性というのは、まじない師としての資質のあるなしではないかとモレロは考えている。
モレロはほかのまじない師の存在に気づきやすいからだ。
そもそも、まじない師の能力は先天的な要素が大きいらしい。
火の国にいた研究者からは、魔法使いのそれに近いが根本的にはことなるのだと聞いた。遺伝性でもないらしい。
魔法使いよりも絶対数が極端に少ないせいか、あるいは「気味が悪いと忌避された」迫害の歴史をもっているせいか、魔法使いでいうところの〈魔導院〉のような管轄する組織はなく、モレロもいわゆる一匹狼だった。
モレロは捨て子だったし、孤児院をぬけだしてからは盗賊として暮らしていた時期もある。
ジェラルドに雇ってもらわなければ、まっとうな仕事はしていなかったと思われる。
「まぁ、神妙な顔するなよ。なんか気になるのか?」レナードがみずからの前髪をきざに撫でつける。
「いや、べつにそういうわけじゃないけどよ。なんかすっきりしないってだけさ」
モレロは答えながら、自分のもどかしさが把握できずにいた。
たまたま自分がそういう性格だからかわからないが、モレロは率先してほかのまじない師と接触したいと思えないのである。
西方に端を発する特殊な部族が起源といわれているそうだが、それを究明してみたいと望んだこともない。
両親や家族の存在を意識したこともない。
だから、ほかのまじない師とねんごろな間柄になろうとは夢にも思わない。
ただ、ほかのまじない師が近くにいると、なんとなく落ち着かないのである。
同族嫌悪でもたぶんない。
鏡にかこまれている状況に近いのだろうか。それほど自覚のない部分で、自分が自分でいられないような感覚が影を落とすのである。
「今日から一週間、お祭り騒ぎだぜ。気をとりなおしていこうや。
まじない師だけじゃなくて、巨人族や小人族のショーみたいのだってあるらしいからよ。
そりゃ、いろんなやつらが王都に集まってきてるさ。人生あんまり細かいところであれこれ気にするのは、時間の無駄だぜ。
遠くからみりゃ巨人も小人もいっしょ。だいたいのものがおなじさ」
レナードがめずらしく、モレロを元気づけようとしているので、モレロはしかたなく前歯をむきだして、チンパンジーのようにおどけた。
でもよ、遠くからみたら小人なんかみえないかもしれねえぜ――?