2 狩り人の弓
厨房のまえでアルバート、ディレンツァの両名と遭遇した。
三人いっしょに顔を合わせるのは二日ぶりだろうか。
偶然だったのでルイも面食らったが、アルバートがいちばんびっくりしたようで、「うわぁ」と奇声をあげた。
「ちょっと、亡霊でもみたような声をあげないでくれる?」
ルイがアルバートをにらむと、となりのレムレスがひるんでいるアルバートに目くばせし、「うふふ、さきに行ってるわよ」とルイから手桶をとりあげるようにしてうばい、にこにこしながら厨房に入っていった。
レムレスがほほえんでいた理由はおそらく、ルイのスカートのしみがまだ消えないうちにアルバートが出現したからにちがいないが、ルイにはあとあと意味深な目くばせが少しひっかかったりした。
「調子はどう?」
アルバートがルイをみてほほえんだが、案の定スカートのしみには気づかず、ディレンツァが一瞬だけちらりとルイの下半身に目をむけたのをルイは見逃さなかった。
しかし、予想どおりディレンツァは表情ひとつ変えない。
たとえそれがほんとうの失禁だとしてもディレンツァは眉ひとつ動かさないだろう。
「それはこっちのせりふだわ。王子たちは肉体労働が基本なんでしょ?」
ルイは腕組みする。
「今朝は落花生とかぼちゃの収穫だったよ、腰も痛いけどなによりもう肩こりがすごくて……」アルバートはあやつり人形のような奇怪な動きで肩をほぐす。「かぼちゃなんてさ、ほんとルイのあたまよりもずっと大きいんだよ」
ルイは両目を見開く。
「ちょっと、私でたとえないでくれる? 小顔で売ってるんだから」
「私はきのこ狩りに参加した。ナラタケとハナビラタケが主によく採れた」ディレンツァが無表情で報告してくる。「ナラタケは時期的にモドキと呼ばれる毒きのこが多いようだが、ウンブラ氏にちがいを教えてもらえて勉強になった」
「ウンブラさんはいい人だよね――」アルバートがうんうんうなずく。「落花生のほうは、ねずみにけっこうやられてて、たいへんだったよ」
すっかり農民になっている。
周辺の樹々の葉がせせらぎのようにさらさら鳴った。
「なんだかすっかり馴染んじゃってるわよね、私たち……」ルイは鼻息をもらす。「私もなんだかんだで、あのレムレスって娘が好きになってきたわ」
「うん……まぁ、いいところではあるよね、自然豊かで、落ち着くし。なんていうか、時の流れがゆるやかな感じ……」アルバートは目を細める。「あ、いや、そんなふうに余裕でいちゃいけないっていうのはわかってるんだけど!」
めずらしくアルバートがルイの雷を未然に防いだ。
そういえば真夏の建国100年祭後、王都に滞留しているさなか、ルイがいつまでも進展しない状況に業を煮やしていたところ、水の国へ出発するよう音頭をとったのもアルバートだった。
ディレンツァも話していたが、祝祭のときに国王陛下に謁見したことで、アルバートのなかにも本件の当事者たる自覚が少しは芽生えたのかもしれない。
本件とは、王都の枢機院によって「〈伝説の宝石〉をめぐる沙漠の国壊滅事件」と銘うたれた事案のことで、沙漠の国の王族であるアルバート王子は当然ながら被害者として重要人物あつかいになるのである。
春さき、盗賊組織〈鹿の角団〉の当時幹部ハーマンシュタインがならず者やモンスターで編成された軍隊でもって沙漠の国を侵略した。
目的は大陸に散らばる6つのかけらをすべて集めると夢が叶うという〈伝説の宝石〉の一片――〈沙漠の花〉を強奪するためだった。
〈沙漠の花〉は沙漠の国において国宝に指定されていたため、ハーマンシュタインは副王(でありアルバートの実父である)レヴァス公に事前交渉したものの、決裂し、強攻策にうってでたのである。
結果、外遊で伯爵都から離れていたアルバートとディレンツァを残し、沙漠の国は滅亡した。
これは、のちに調査団として赴いた〈魔導院〉の長マイニエリの認定にもとづいている。
ルイはそのとき、沙漠の国に招聘されていた〈舞踏団ルルベル〉の踊り娘だったが、アルバートらに遭遇したことで難をのがれ、ともに逃走したことをきっかけに、アルバート王子の旅路に随伴することになった。
それは〈伝説の宝石〉片を元盗賊たちより早く集め、沙漠の国の復興を実現するという試みだった。
その夢物語を考案したのはルイで、ルイ自身もじつは半信半疑ながら提案したのだが、アルバートはさておきレヴァス公の賢臣ディレンツァがそれを了承してくれたため旅程がさだまったのである。
しかし、不運やハーマンシュタインの腹心たちの妨害もあり、草原の国の〈荒城の月〉、水の国の〈湖面の蝶〉、王都の〈光芒〉はすでに(一部はその確証はないものの)ハーマンシュタインの手に落ちていた。
ただ、運の善し悪しよりも、ハーマンシュタインがルイたちより優勢にある要因は、おもに以下の二点にあるとディレンツァはじめ王都枢機院も思慮していた。
ひとつは、ハーマンシュタインがすぐれた魔法使いであることにくわえ、幻覚の使い手としてのまじない師の能力をあわせもっていることだった。
まじない師の通称まじないといわれる能力について、(ディレンツァいわく)厳密には幻覚という表現には語弊があるらしいが、一般的な認識としてはそう解釈されている。
また能力と呼ぶのも若干あやまりがあり、どちらかというと才能に近いらしい。
先天性だが遺伝性はなく、能力者数も少ないため、魔法使いでいうところの〈魔導院〉のように管轄する組織も存在しない。
ルイたちに近いところでは、草原の国から王都まで航路をともにした火の国の王子ジェラルドの臣下モレロがまじない師だった。
ジェラルドは「誤解させる能力のもちぬし」と呼んでいた。
いずれ、ルイには理解しづらい概念なのだが、その技能を駆使されると王都の厳重な警備などもあっさりとくぐりぬけられてしまうのだ。
魔法使いの目をもってしても、それを識別することはきわめて難しいらしい。
「正体を看破するというより本質を弁別するようなものだ」とディレンツァから聞いたが、ルイには余計にわからなくなっただけだった。
要するにまじない師であるがゆえに、ルイのなかではハーマンシュタインはまるで影のような存在だった。
陽のもとで長くのびようが、暗がりにまぎれてしまおうが、ふれられないことにちがいはない。
そしてもうひとつは、ハーマンシュタインが〈鹿の角団〉の所蔵品である太古の遺産〈支配の冠〉を盗みだし、精霊王こと四大精霊の土の獣を意のままに召喚できることだった。
ハーマンシュタインは大がかりな破壊を目的として土の獣を使役し、その効果は絶大だった。
沙漠の国の大城郭も、王都の宝物庫にめぐらされた防護壁も、せつなにして崩落させられた。
ディレンツァによれば、土の獣が与えた膨大な摩擦力によって局所的な大振動が起き、構造物を粉砕させたということらしい。〈魔導院〉ではそれを「大地震動」と呼んでいるそうだ。
ルイには畏怖しかない。
四大精霊や(内海で遭遇した)太古のくじらといった超越者には、もはや人海戦術など通用する可能性はないからだ。
戦力差という意味では歴然である。
それらが現れたとき、ルイにかぎらず、人々はただ戦意を喪失し、立ち尽くすだけなのだ。
それでは、たぐいまれな才覚にめぐまれているハーマンシュタインに対抗する方策はないのか――?
建国記念祭のあとも、そんな難題にさいなまれながら王都に滞在していたルイたちは、枢機院の対応を待つことにしびれを切らし、〈魔導院〉でもらった助言をもとに、〈支配の冠〉と類似の太古の遺産〈狩り人の弓〉を恩借し、水の国をめざすことにしたのである。




