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銀の風ファンタジア ~孤独な炎の生と死の幻想~  作者: 坂本悠
名まえを失くしたとわの国
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54 風のたどりつくところ(最終楽章)

 狂おしいほどの大太鼓とシンバルが打ち鳴らされた怒涛の第三楽章が鳴りやみ――まるで雷鳴や大噴火のようだったすべての楽器の残響が消えるまで、新設劇場の観客たちは静まりかえり、固唾を呑んで交響楽団をみつめていた。


 楽団の静止とともに、劇場内の気流もおさまり、時も流れさえもとまっているかのようだった。


 無音――。


 ひきのばされた沈黙が、じわじわと詩人アルフォンスの耳の奥にひびいた。

 まるでみずうみに投げこまれた小石のように反響していく。


 この頃、〈鹿の角団〉に盗まれた花火による炸裂音が王都上空を支配していたが、新設劇場の防音構造がすぐれていたため、聴衆にはまったく聞こえなかった。

 

 アルフォンスはとなりの牧師マイニエリをちらりとうかがってみたが、ずっしりと椅子にもたれており、しっかりとまぶたも閉じられているため、眠っているようにしかみえなかった。

 このさき千年、封印されることが決まっている幻獣のような雰囲気をもっている。


 指揮者ギュスターヴは第三楽章の終盤、世界を崩壊させる禁呪をとなえた呪術師のようにたちまわって身体をゆらし、蓬髪をふりみだし、宇宙をかきまぜるようにタクトをふるっていたが、楽団の威勢が頂点をむかえ、圧倒的な大音量をひびかせたあとは、まるで廃人のようにたちつくすだけで、その背中は稲妻によって切り裂かれた大樹のように燃え尽き、くすぶってみえた。


 アルフォンスも目を閉じて、沈黙のなかに身を投じた……。


 やがて、世界が終わってしまうかのような沈黙がやみ――弦楽五部によるものしずかな序奏によって第四(最終)楽章がはじまった。


 冷えた空気に充ちた朝のような、どことなく淋しげな導入だった。


 そこからファゴットによる走り去る列車の車窓のようなモノローグが入り、少しだけ生命感をとりもどす。

 それでもそこで表現されているものは終着点に向かうような「むなしさ」にほかならない。

 そこから各楽器の独奏による、細かい点と点で構成された思い出のような主題がつづいた――。

 

 アルフォンスはまぶたを閉じたまま、旋律に身をまかせ、神話をモデルにした架空の王国のゆくすえを想像する――。


 悪魔たちの有無をいわさぬ侵略のさなか、国王の禁呪は完成した。

 稀代の発明家の手でうみだされたしずくの形状をした宝石の奇蹟によって、時の法則をくつがえして原初へと巻き戻った王国は、その途方もない魔力がほうき星のような閃光をともなって空に消えたとき、なにもない大地へと回帰していた。


 王国が築かれるまえの、さらに人類が営みを開始するまえの、なにもない谷間の台地だった。

 森があり、草原がひろがり、河が流れ、山嶺にかこまれている密やかな空間で、鳥がさえずり、鹿が鳴き、イノシシが駆けまわる自然豊かな台地である。

 

 国王の願いは叶えられ、まばたきのうちに悪魔の軍団は消え去った。

 

 しかしその代償として、王国もまた跡形なく消滅したのだった。

 国王も、民衆も、営みのすべてがまるで最初からなかったかのように、影ひとつ残すことなく――。

 

 アルフォンスは想像の台地に佇立して、ゆっくりと空を仰ぐ。

 

 そこにはただ、まぶしいほどの青空だけがひろがっているのだった。


 ――となりの牧師がむにゃりとなにごとかとつぶやいた。

 アルフォンスは目を開けてそちらをみたが、牧師はおなじ姿勢のまま少し身じろぎし、鼻をすすっただけだった。


 どうやら眠っているようだ。

 あるいは寝たふりだとしても、マイニエリが眠っていたいと望んでいるのだとしたら、じっさいに眠っていることと、なにがちがうだろうか。

 

 詩人は指揮者をふたたびみる。

 よみがえった死者のような指揮者は、不安定なかかしのようにゆるやかに指揮棒をあやつっていたが、それはまるで大きな風のかたまりをつくり、どこか遠くに飛ばそうとしているかのようにもみえた。


 一方、浮遊感をたたえた弦楽部は、主題をおだやかな河の流れのようにみちびいていたが、平坦なようでいて、どこか胸をうつようなひびきがあった。


 はっきりと言葉で説明するのはとても困難だと思われる感情が涙腺を刺激する。


 うずまき、流れ、もちあげ、降りてくる水流のような旋律に耳をすますと、消えゆくことを宿命としている無情さのようなものがこみあげてくる――。

 

 やがて、最終楽章は集結部をむかえようとしていた。

 

 水のような音の流れは、はるかな海へとたどりつき、その勢いを徐々にうしなっていく……。

 

 アルフォンスは最弱奏でひきのばされていくまどろみのような弦楽部の音色に、砂漠のなかで月のうすあかりに照らされた動物の死骸が、時とともに骨に変わっていくさまを連想した。

 

 月あかりにさらされた骨は生々しく白く、とても幻惑的だった。

 

 そして、風が吹いてくる。

 かかしが空をかきまわしてつくった風――なにもかもをつれていく、大きな風だ。


 巻きあげられた砂塵に、骨は跡形もなく消え去っていく。

 無慈悲な風は、少しずつその痕跡さえも覆いかくしていき、あとには限りない沈黙が残されるだろう。


 そこには重く、深く、記憶も名まえもない永遠が、消えることなく、ただ浮かんでいる――。

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