4 淡い白い花のこと
式典会場の円形通路を、ルイは平然と歩いているつもりだったが、周囲の人々はルイが不機嫌に頬をふくらませていたので、声をかけづらく、むしろ近づきがたいぐらいだった。
鬱憤がたまっているのはあきらかだが、ルイのなかでは複雑に感情がいりみだれ、ついでに罵倒、悪罵等の手段でそのストレスを解消する相手――すなわちアルバート王子が身近にいないため、余計にそうなっているところがあった。
とにかく、明けがたに起床をうながされ、眠い目をこするひまなく使用人たちにかこまれ、メイクアップされ、ドレスアップされ、きらびやかな貴金属をつけられ、やたら高いヒールで闊歩しなくてはならない時点で、心中おだやかではないのである。
ルイは非日常的すぎる状況に身を投じるのが苦手だった。
貴族的に着飾るなんてもってのほかである。
もちろん、〈舞踏団ルルベル〉の踊り娘として、ど派手なメイクをして、ど派手なコスチュームを身にまとって舞台に立つことはあったが、やはり状況がちがう。
沙漠の国より遁走したときからずっと、基本的に外套のなかは非日常的な(生地もうすく丈もみじかい)舞台衣装だったが、それとこれともやはりちがうのだ。
「やぁ、ルイじゃないか――」
くさくさしていたうえ、回想をくりかえしてはいらいらしていたので、突然話しかけられてルイは驚いてしまった。
「今日はずいぶんと艶やかだね」
にっこりしているのは火の国のジェラルド王子だった。
内海渡航時の連帯感にくわえ、王都到着後も何度か顔を合わせているので、最近はジェラルドが許容してくれることもあり、だいぶ気さくに対応できるようになってきた。
火の国は明文化された世襲王制をとっており、君主の嫡男であるジェラルドの実兄が未婚のため、ジェラルドは継承権二位だった。
沙漠の国の王位継承者であるアルバート王子と同年代だが、アルバートよりもはるかにりっぱで頼もしく、勇壮で世知に長け、才気にあふれ寛大で、分別もあり、おまけに優美だった。
いつでもおどおどし、ふにゃふにゃし、へらへら半笑いをうかべているアルバートとはうつわがちがうのである。
ルイのもつ「王族はかくあるべき」という理想像はわりと古風なので、アルバートをみるとルイはどうしても失望感がさきだってしまうのだった。
それでもルイはアルバートの従者として、〈伝説の宝石〉のかけらをすべて収集するという大望を果たしたいと決意していた。
だから、旅路において王都で長々と足どめを喰っている現状が納得できていないところも、ルイのフラストレーションの一因になっているといえる。
「官能的ともいえる。さすが踊り娘だといったら失礼なのかな」
ジェラルド王子がおどけるように瞳を大きくしたので、ルイも相好をくずす。
「そうね、今日だけではなくて、いつでも基本、魅力的なつもり。ふふ、でもあなたがいうと、なんでもほめ言葉に聞こえるからふしぎね」
「言葉なんてきっとそういうものさ」
ジェラルドも正装しており、いかにも貴族の令息というシックないでたちである。
さすがに武器はもっていないようにみえる。
ジェラルドとは草原の国の〈はずれの港町〉で偶然出逢った。
ジェラルドは四名の(当人は仲間と呼ぶ)従者のみをひきつれて、紛争や騒乱で荒れる祖国における活動費を捻出するために外遊している旅の途中だった。
ルイたちは「内海をわたって王都に向かう」という同一目的のために、一時的に行動をともにしたのである。
「お仲間さんたちはべつ行動なの?」ルイは微笑したまま訊ねる。
「ああ、今日くらいは街で過ごしてもらっていいだろう。式典は私だけで充分だからな。ルイたちはどうするんだい?」
「うーん……」ルイは返答にこまる。
控え室からぬけだしてきたものの、基本的に考えなしの行動だったからだ。
支度部屋で若草色を基調としたピンクの花の模様があしらわれたコルセット風編みあげドレスに盛装して、あふれる噴水がごとく髪を結われ、反射する水面の陽光ばりの装身具をつけられ、原色の草花のように濃厚なメイクをされたのち、一度だけアルバート王子とディレンツァに逢ったものの、「このあとどうする?」といった打ち合わせはできなかった。
王子は王子で祭典に沙漠の国代表として出席せねばならず、緊張による恐慌状態におちいっていたし、ディレンツァは宰相として(ふがいないアルバートに代わって)政務をこなして、たちまわらなくてはならない立場だったからだ。
着飾ったルイをみたアルバートは目を大きくしたのち「すごい、人間じゃないみたい!」と声高に叫んで、まわりのメイドたちのなまあたたかい微笑をさそったし、ディレンツァはいつもどおり無表情のままだった。
そのエピソードをそのままつたえると、「アルバート王子はルイを花の精かなにかのように感じたんだろうね」とジェラルドがほほえみながらフォローしてきた。
「まぁ、そうだとしても、ほめかたもへたくそじゃ、お話にならないわ」ルイは鼻孔をふくらませる。
「でも」ジェラルドは目を細める。「心からの言葉ほど不器用でつたないものだったりするものだよ」
ルイはお手あげのポーズをして、あいまいにうなずく。「どうかしら」
ジェラルドはにこにこする。
「そもそもアルバート王子は、開祭式典のあともイベントがめじろ押しだから不安なのかもしれないよ――ルイも息ぬきしたらいい。
この二週間は基本的には王族関連施設に缶詰だったろう?
もっとも、その恰好だと街にくりだすことはできないだろうけど、式典が終われば着替えられるだろうし、そうでなくても音楽会や展覧会なんかは近くの会場でも執りおこなわれているから」
「ええ、もちろんそのつもり」ルイは鼻息をもらす。「私はお城に集まる腹黒い動物の群れなんかは好きになれないもの」
そして、ふんと口をとがらせると、ジェラルド王子はにこにこしながらうなずいた。
王侯貴族の祭典は権謀術数のるつぼであり、ルイがもっとも忌み嫌う場所だった。
もともと不遇の踊り娘という肩書きだけで悪めだちしまうところもあり、さきほどもまるまる肥えた壮年の子爵が「困っているならちからになろう。どうかね?」と舌舐めずりをしながら近寄ってきた。
体型は牛かぶたのようだったが、目つきはオオカミそのものだった。
ジェラルドと別れると、通路端のほうで、ばら園で戯れる女たちが描かれた大きな扇子で口もとをかくし、パニエを仕込んで気球のようにふくらんだスカートを履いたキツネ目の貴婦人二人が、ひそひそと陰口をたたきながらルイをみていることに気づいた。
おそらく、平民の分際でジェラルドと親しく接していたことでひんしゅくを買ったのだろう。
(やれやれ、とんだ動物園だわ……)
ルイは気づかぬふりをしながら通路を進んだ。
しかし、その目はジャッカルのようにけわしく、くちびるはクロサイのようにとがることで、さきほどよりもずっと近寄りがたい野性を発揮しているのが当のルイであることは、本人には知るよしもなかった――。
円形通路ぬけて階段をおりると、中庭がひろがった。
会場のある施設は大規模競技場なみの広さがあるので、中庭の奥行きも終わりがみえないほどで、樹木にまざって夏の草花が一面に咲き乱れており、ルイは「わぁ!」と感嘆してしまった。
ひまわり畑もあれば、キキョウやナデシコ、噴水わきのあずまやのわきにはサルスベリの群木もみえる。
天井がまるく開いているため、東の空にあがったばかりの太陽と、そよそよと流れだした風をうけて、花のどれもがゆらゆらゆれていた。
ルイは全身で伸びをする。
しかしよくみると、会場からぬけだしてきた富豪のカップルなんかが、こそこそと木陰でかくれていちゃついたりしているようで、やはり庭園を独占というわけにはいかなかったらしい。残念である。
もっと早く庭園の存在を思いだせばよかったと悔しがりながらも、良い気分で散策をはじめた。
土の匂いがするだけで胸がすっとしてくる。
羽虫や草いきれにさえ気持ちが休まってきた。
「やぁ――」すると突然、ノウゼンカズラの低木群の陰から老人の声がした。「これはまためずらしいお客人だね」
低木群は目と鼻のさきだったため、その老人の動きを捕捉できてもおかしくなかったのだが、ルイには唐突に老人が目のまえに出現したように感じられて、思わず息を呑んでかたまってしまった。
老人の歩みはまるで影がのびてくるみたいに音もなく、すばやく、それでいて自然で、ルイが「あっ――」とようやく声をだす頃には、ほんの2、3メートルのところに寸胴の好々爺がいたのである。
「この庭園には大陸じゅうの草木が植樹されている。火や沙漠の国の植物も水や草原の国の草花もいっしょくただ。根づいているのは土壌の工夫もあるが、なにより魔法使いたちの尽力によるところが大きい。本来はそんな無理をすると、精霊たちも落ち着かないだろうし、妖精たちも気もそぞろだろうがね――」
その髪は白く、赤ら顔で、まるで狒々のような印象だったが、目は深い水底のようになにかを秘めているようにみえた。
「驚かせたようだ。すまないと思っている」老人はルイをみてにっこりする。「でも驚いたのはおそらく私のほうだ」
「――そういうあなたはだれなの?」ルイは斜にかまえながらも、老人に敵意がないことは感じとれた。
それでもちょっとにらんでみる。「どうみてもあやしいのはあなたのほうよ」
老人は笑った。「そりゃそうかもしれない。でも、いまこの施設には不審者はいないはずだな」
挑発したのに、するりとかわされてしまった。「なんで、そんなふうに断言できるのかしら?」
「まぁ……」老人はこほんと咳ばらいをした。「なにをもってあやしいとするかは微妙なところだが、この会場にはいま国王がきているからね。大陸じゅうで最も安全なところといっても過言ではない」
老人はちらりと周辺をみた。まるでそこにだれかがいるかのように。
ルイは思わず背筋をただす。
まったく気づかないけれど、そこかしこに警備兵がひそんでいたりするのだろうか――。
「そういうことだね」老人はふふふとほほえむ。
まるでルイのこころを読んだかのようだ。
ディレンツァに似ている。それ以上かもしれない。
嫣然としているわりには、どこか胡乱で、ややとっつきにくい。
「私はマイニエリ――〈魔導院〉の牧師だよ」
老人は真顔のままピースサインをしたので、ルイは面食らった。
「きみは沙漠の国の王子といっしょに来訪した女の子だね。踊り娘だったかな」
察したというより、既知だったという話しかただが、気にさわる感じはしなかった。
ルイはふぅと吐息してからうなずく。「そうよ、私はルイ。沙漠の国が〈鹿の角団〉に襲われた夜に、運わるく居合わせちゃった舞踏団の踊り娘。以後、お見知りおきを」そして、ドレスのすそをつかんで会釈する。
ふふ、と老牧師は目を細める。「運のよしあしっていうのは、最後までなかなかわからんものだよ。ふむ……」
するとマイニエリは近くの大きなハナミズキのもとまで歩いていき、どっかりあぐらをかいて坐りこんだ。
そしてルイに手招きする。
「まだ祭典まで時間もあることだし、よかったらこれまでのことを話して聞かせてくれないかな。アルバート王子や宰相殿は忙しそうだし、あとで議会関係者から報告をもらうのも面倒だからね――」
ルイは若干迷ったものの、その招きにしたがった。
ルイはそのあと、マイニエリのとなりに坐って経歴を語った。
沙漠の国の夜から広大な砂漠での遁走劇、〈ひざまずく者の山〉越え、それから草原の国の〈星のふる丘の街〉と〈月の城〉の珍事――やがて〈はずれの港町〉を発ち、難破船騒動のなか内海をわたり、いまにいたる旅路の概略である。
〈鹿の角団〉の刺客や〈伝説の宝石〉のことも省略はせず、巨人の子どものことやギャング団の少年たちのこと、最後の人魚にいたるまで、ありのままの記憶をたどって話しているだけだったが、ふしぎとまるでだれかの物語をそらんじているみたいだった。
マイニエリは終始おだやかに相槌をうち、まるで小高い丘で風の音でも聞いているみたいに耳をすませていた。
ルイはまるで大樹と寄り添っているような、ふしぎな気持ちになった――。
そして、その後の雑談は、いかにも老賢人との対話といった示唆に富んだものになり、ルイにとって印象深いものとなった。
ルイは〈魔導院〉の牧師との邂逅を、そのとき視界のはずれに映っていたユッカの、円錐花序となってゆれている淡い白い鐘形の花とともに、ずっと忘れることはなかった。




