48 幻覚の現実感
どこか遠いところで花火が鳴っているようなこもった音がひびく――。
じっさいそれは爆発に近い炎上の音で、野外はさわがしく、重い扉が遮蔽している王広間の内部にも、うっすらとけむりの匂いがたちこめてきていた。
広間の入口からは羊毛で流砂を表現している明るい灰みの絨毯が敷かれ、その途中には副王の近衛兵長――風紋騎士団団長が遺体となってころがっていた。
剣をまじえたことで致命傷をうけ失血死した様子である。
そのさきに黒い甲冑すがたの男が立ち、その頭部をすっぽりおおう兜からのぞく目は、まっすぐと副王レヴァス四世にそそがれていた。
王座のまえに直立したレヴァス四世はそれでも威厳をたもっており、背後で王妃セラが凶悪な顔つきの剣士に拘束されていたが眉ひとつ動かさなかった。
しかし、王妃もまた取り乱すことなく瞑目してうつむいているだけだった。
「偉大なる賢王殿、書簡の返事を頂戴できなかったため、致しかたなく手荒なまねを働きました」
黒い甲冑、黒い兜の男はまるで地獄の入口にいる悪鬼のようにもみえたが、その落ち着いた声を聴くと、ふしぎと海辺にたたずんで遠くの国の恋人を想っている頼りない若者のようにもみえた。
「――いかにも返答しかねた。〈沙漠の花〉はわが国にとって、ただの飾りではない。仮に理にかなった論拠があろうとも、差しだすことはできない」
レヴァス四世はみずからのペースでゆっくりと低い声をだした。
呼吸は落ち着いており、王冠をいただくすがたは豪壮だった。
しかし、黒い甲冑の影はそれよりも大きくみえた。「元来ひとつの宝石をもとにもどすことには、正しき論さえも不要では」
「――失われたもの。そう判断するのが妥当だと私は考える」レヴァス四世は目を細める。
「詭弁でしょう。過ぎ去りしもの、忘れられしものなら、まだしも」
「いずれ、おなじことではないか――幼児のようなことをいう。理解しかねる」
「この議論はいたちごっこでしょう。子どもの戯れごとならば、あてどなきもの……」笑っているのか、男の甲冑の継ぎ目がカタカタゆれる。
「ハーマンシュタイン卿――」レヴァス四世は怒りを吸いこむように細く長く息を吸った。「子の遊びは他愛ないものだが、これほどの血が流れてはとりかえしもつくまい」
「私はこれからすべての宝石片を手に入れるでしょう」甲冑の動きがとまる。
「気狂いであればよかったが――貴君であればそうなのかもしれぬ。優位でありたいと考えるのが人の本質的な願望であるならば、だれも貴君には敵うまいよ」
レヴァス四世は天井を見あげる。
真鍮製のシャンデリアがゆらゆらゆれて、灯されたあかりもゆらゆらゆれている。
「――希みをもつことは肝要だが、私はすべての者が少しずつあきらめる世の中が理想だと思っている」
ふたたび甲冑がカタカタ鳴った。「承知しております」
ハーマンシュタインの返事が終わったところで、王広間の扉が大きな音をたてて開いた。
そして、そこにいるのがレヴァス四世の子息――アルバート王子であることを視認するやいなや、ハーマンシュタインはさっと右手をかかげた。
すると、野外で爆発音がひびき、その振動がとどろくなか、セラ王妃を抑えこんでいた剣士が右手にもっていた短剣を目にもとまらぬ速さで横一閃する――。
直後にまるで懺悔をするような動きで王妃は絨毯のうえにくずれ落ちた。
のちに一瞬にして急所を切られ、絶命していたことが判明した。
冷酷な剣士はその後、風のように迅速さで踏みだして副王の背後にまわると、大剣をとりだして縦一閃する――。
だれもが声をあげるひまさえなく、レヴァス四世は床にたおれ、流砂を表現した絨毯に黒いしみがひろがっていく。
それはまるで砂漠に赤黒い沼ができたかのようで、あまりにも不吉でおそるべき色合いだった。
アルバートは頭上に稲妻が落ちたかのようなショックにまっしろになる――。
「な、なに――!?」アルバートが絶句しているうしろでルイがとまどいを叫んだ。
しかしつぎの瞬間、ルイたちの視界全体が暗転し、室内がにわかに変容しはじめた。
地獄の底からひびくような低い声が聞こえる。
〈惑星の饗宴〉――
床がなくなり、天井がなくなり、奥の王座もシャンデリアも窓もカーテンもすがたを消し――すべてが暗闇に呑まれ、空間が凝縮するような圧迫感をあじわったのち、拡散爆発するような勢いで世界が一変した。
そこは宇宙だった――。
ルイたちは宇宙空間をただよっていた。
遠くには星団があり、見知った天体がルイたちを軸に高速で公転している。
そして、遠くから異様なかたまりがせまってくるのがみえた。
なぜかはわからないがそれが邪悪で、とてつもなく危険なものだということがルイにもわかる。
鼓動が高鳴り、背筋がしびれるほどの怖気がわいてくる。
宇宙の黒さよりもさらに黒いかたまりが、すごい速度で接近してくる――。
それは鳥だった。
巨大で、夜よりも黒い羽根をもつ鳥で、ぎらつく眼のなかにもうひとつの宇宙がみえる――。
直後、強風に吹かれて、ルイとアルバートはうしろにはじきとばされた。
目をつぶってしまったが、みずからの身体が後方にぐるぐる回転していることはわかった。
ルイたちは勢いのままに回廊にころがりでる。
あとになって肩や頚にだいぶ痛みが残ったが、そのときは感じている余裕はなかった。
ヒキガエルのように仰向けになったアルバートの奥で、朦朧としているルイがたちあがろうとすると、追いついてきたディレンツァが手をのばしてきた。
ひたいに汗がにじんでいる。
「あの宇宙はまぼろしだ。世界の終わりの日に現れるという太古の鳥をモチーフにした幻視にすぎない」
「……なんだかすごい質感があるっていうか、現実味があったわ」
「そう思わせる能力だからな。われわれに恐怖を植えつけるための演出だ。幻視から遁れるために二人にむけて風の魔法をとなえた。驚かせてすまない」ディレンツァが息をみだしながら眉をしかめる。
ルイはディレンツァの手をとってたちあがる。「あの黒ずくめの人は魔法使いってこと?」
「そうでもある。とにかく、いまは逃げなければならない。分が悪すぎる。王子を――」
ルイとディレンツァは横臥しているアルバートのもとに駆けよる。
あうあぅ、とまるでアシカのようにうなるアルバートの腕を強くつかんでひっぱる。
アルバートはあやつり人形のようにぐにゃりと腕だけ吊った状態になったが、すかさずディレンツァがその腰をささえて起立させてくれた。
まるでいうことを聞かない幼児のようである。
目つきもうつろだった。
「ねえ、王子、しっかりしてよ!? 気持ちはわかるけど、なんだかたいへんね――で、どこに逃げればいいの?」
ルイが目つきをけわしくすると、ディレンツァはそれよりもけわしい目をして遠くをみる。
「領内から脱出したい――可能なら近隣の集落か、オアシスまで」
すると回廊のさきで、使用人らしき若い女性の死肉をむさぼり喰う銀色の巨大オオカミが目に入る。
さきほどハゲワシとにらみあっていたやつだろう。
「とにかく、走りましょう」
ルイはアルバートの手をとって駆けだす。
アルバートは「ひっ!」と悲鳴のような声をあげたが、手をひかれるままに脚を動かした。
一瞬だけその瞳に正気の光がもどったのをディレンツァは見逃さなかった――。
「――じっさい、はっちゃけた娘だから問題も起こすかもしれないけど、彼女の存在もまた王子にとっては大きかったのかもしれないねぇ」コパンはうんうんとうなずいた。「午餐会も盛りあがっていたしね」
「そうですね――そうかもしれない」
アルバートはそのときの記憶があいまいだった。
あいつぐ前例のない展開にアルバートのあたまは完全に混乱しており、茫然自失状態だったからだ。
みえてもみていないし、聞こえていることを聞いていない。
ぐるぐるまわる流砂に呑まれて気絶しているようなものだった。
もちろん、せまりくる外敵たちを直截的に追い払ってくれたのはディレンツァなのだろうが、ルイが手をとって牽引してくれなければ、三人そろっての脱出は成し遂げられなかったにちがいない。




