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銀の風ファンタジア ~孤独な炎の生と死の幻想~  作者: 坂本悠
名まえを失くしたとわの国
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47 運命の扉

 沙漠の国の夜――。

 火災による煤煙が充満し、くずれた城郭のせいで砂漠から吹き集まってくる風が熱をはらむため、傾斜のさきの宮殿に近づくにつれて目が乾き、のどに痛みをおぼえた。


 それでもアルバートはディレンツァのあとを追って、〈かがやきの水廊〉にしかれた白大理石と縞めのうの坂道をひたすら駆けあがっていた――。


 人喰いトラや火とかげ、逃げまどう一角獣や巨大カラスの群れ、妖精たち、蛮族たちの殺戮や兵士たちの遺体など、ついさっきみたものがあたまのなかをぐるぐるまわる。

 そのどれもが外遊の日々では目にしなかったものばかりだった。

 

 世界はひろく、あまりに深い。

 アルバートの混乱はどんどん深刻化していた。

 いままで立っていた場所がうすい氷のうえだと知らされたような不安感がわき、すうっと体温がうばわれ、意識が身体から離れていくような感覚におちいる。


「王子、遅れている!」


 ディレンツァに叱咤され、現実にひきもどされる。

 大通り沿いの路地から聞こえる怒号や絶叫が明瞭に聞こえるようになった。

 蛮族たちの高笑いと婦人の悲鳴、咆哮をあげる獰猛な野生動物や得体のしれない怪物たちに喰われ、傷つけられる市民たちの嘆きに子どもの泣き叫ぶ声がかさなって耳に入ってくる――。

 

 めまいがした。

 あらゆる悪しきものがここに集結している。

 

 しかし、もちろんその悪夢は他人事ではない。

 駆けているアルバートたちを目ざとくみつけた路地裏の(もはや悪魔のような形相の)傭兵たちが「おい、まだいるぞ!」と声をあげたし、上空ではつばさのはえた豹の一群が旋回していた。

 そして、骸骨戦士の群れが(アルバートたちの背後から)坂道をのぼってきていたし、突如右手の商店が爆発して火柱をあげた。

 

 その商店はアルバートが幼い頃に忍んで通った古書店だった。

 入店したときのほこりっぽい独特の匂いを思いだす。

 アルバートはその匂いが大好きだった。

 店は一瞬で火に呑まれ、その中央では火とかげが5匹、絡みあうように躍っている――。


「王子! 急げ!!」


 ディレンツァのするどい声にわれにかえり、アルバートは思わず脚をとめていたことに気づく。

郷愁にとらわれている場合ではない。


「――そうだね、そこでたちどまったら、すべてが終わっていたと思うよ。魔法使い殿には感謝したほうがいいね。いつでも、つねに、正しく王子を助けている」


 宮廷道化師コパンはひとさし指と親指でパチンと音を鳴らした。

 瞬間、アルバートは回想から現在にもどってきた。


 うつむいているアルバートには赤い絨毯の銀糸と混色の刺繍がみえた。

 一本のふとめの銀糸がほかの段染めの糸とまじわらないようになっている、ふしぎな装飾模様だった。

 銀糸をたどっていくと、コパンの靴がみえた。

 つまさきがヘビのように巻かれたふしぎな靴である。

 

 視線をあげると、黄土色のパンツ、深緑色のタイツ、紅白まだらの外套、鼻さきのポンポン、玉飾りのついた二股とんがり帽子と奇抜な恰好の道化師が映る。

 さきほどよりアルバートの近くにきているように思えて、少し驚いた。

 しかし、恐怖のたぐいは感じない。


 鼻のあたまのポンポンが風にゆれるようにふるえている。

 コパンがしきりにうなずいているからだ。


「それで?」


 コパンが急に真顔になった。


「……え?」


 アルバートは両目を見開く。


「やだな、つづきをうながしてるんだよ。それで宮殿に入ったんでしょう。むしろ、そこからが本題だよね?」


 コパンはおおげさにため息をつく。

 まるで(アルバートに)失望したときのルイみたいなしぐさだった。


 アルバートは思いだす――そう、そこでルイに逢ったのである。


 ディレンツァに手をひかれるようにして、アルバートは開け放たれた門扉をくぐり、回廊を駆けて奥に向かった。

 宮殿内はすでに荒れ果てていた。

 そこはすでにアルバートが生まれたときから過ごし、すみからすみまで把握している宮殿ではなかった。


 赤い石造りの彫刻列柱がならぶ回廊を全力でひた走るなか――見張台のある壁塔はくずされ、騎士館や外殻塔から黒煙があがっていた。

 厩舎からは狂ったような馬のいななきがひびき、貯蔵庫や穀物庫も炎上していた。

 中庭のはずれにある井戸では、邪悪な刺青をした屈強な男たちがつかまえた使用人や撲殺した騎士たちを面白半分に投げこんで哄笑している。


 菜園には宮殿関係者らの遺体がうずたかく積もり、その頂上では満月さえまる呑みにしそうな銀色の巨大オオカミが上空をにらみ、夜空から飛来してきた巨大ハゲワシと一触即発のところにいた。

 屍肉をめぐる争いのようだ。

 

 回廊の途中の低い三段の段差の三段目でつまさきをひっかけて体勢をくずした。


「ああ――」


 そこはアルバートがいつもわき見をしてころびそうになっていた箇所で、そんな日常的な不注意によってアルバートは言葉にできない圧倒的な現実感にとらわれ、思わず脚をとめてしまう。


 現実の戦場……死の匂いがただよい血の海がひろがる戦場だった。


「王子、気を強くもて――」


 ディレンツァの鼓舞が聞こえたが、その声はだんだんちいさくなり、アルバートの視野はせまくなってきて、そのせばまった目線に円柱のキズが映った。


 そのキズは忘れられないキズだった。

 子どもだったアルバートが段差でよろけて水壷をもった使用人にぶつかり、水壷が落下して割れ、その破片よってついたキズである。

 よそ見をしていたアルバートが悪いのに、使用人の咎となり、その使用人は減給の処分をうけた。


 アルバートは幼心に身分制の不条理さを思い知り、要するに円柱のキズはアルバートのこころのキズの象徴だったのだ。


 使用人の女性はアルバートを少しも恨んでおらず、ただ謝罪をくりかえし、哀しい瞳をしていた。

 アルバートはその瞳をいまでも鮮明に憶えている――。

 

 炎に巻かれた城郭都でなにが起きているのかわからないのに、まるですべてが自分のせいのような気がして、アルバートの自意識はどんどん殻にこもった。カーテンを閉めたまっくらな部屋の壁にもたれ、ひざをかかえているかのように――。


「きゃあ!!」


 そのとき、かん高い悲鳴が聞こえて、アルバートはふたたびわれにかえる。

 ディレンツァとともに声のほうをみると、中庭から迎賓館につづく通路のはずれで、少女がたくさんのトゲトゲをもつ一メートルほどのとかげに覆いかぶさられていた。


 小柄な少女が褐色のまだら模様をした禍々しいとかげの群れにかこまれていたのである。

 ――それがルイだった。


「なんていうか、じゃじゃ馬な娘みたいだね」コパンが鼻の穴をふくらませる。「まぁ、ぼくもみたことはあるけれど、報告だとそれ以上らしい」


「ええ、勝気というかなんというか。逢った瞬間はかわいらしいと思ったんですけど」


「ふふ、じっさいはちがう? 問題発言だね、告げ口はしないけれど!」


「え、いや、もっとおとなしい感じにみえたというか――」


 むふ、とコパンはふくみ笑いをする。


 ――ルイは当惑して不機嫌で、アルバートがそのあと抱くルイのイメージそのままの険しい表情をして、群がってくるトゲとかげをふりはらっていた。

 トゲとかげは10匹ほどルイのまわりにいて、まったくどこからわいてきたのかふしぎなぐらいだった。


 手足をふりまわすルイにアルバートが呆然としていると、「砂にまぎれる保護色をしているから気づきにくいのだが、地下から出現してきたのだろう」とディレンツァが説明した。


「ああ、古代神とかげだね!?」


 アルバートもようやく思いだした。

 図鑑でみたことがあった。土着の砂漠の民が崇拝していた古代の神の化身だといわれるとかげで、それはトゲが多い面妖なすがたによる連想や、(まるで儀式のように)集団で円を描くように移動する習性に起因する言伝だと注釈があった。

 通称、古代神とかげだったのだが正式名は忘れてしまった。

 それでも、サイズは図鑑に書かれていたものよりずっと大きい。

 

 ディレンツァはアルバートをみてうなずいた。「肉食性だから助けたほうがいい。地下に連れ去られる危険もある」


 アルバートはそばに落ちていた槍を手にとる。

 とった瞬間、手に血がにじんできて、ぎょっとした。

 しかしアルバートが出血したのではなく、槍のどうがねの部分に血がついていたのである。

 おそらく、槍を所有していただれかの血だろう。

 それでも気にかけていられないので、アルバートはそれをかまえ、ふりまわしながら突進した。

 

 じっさいアルバートは酔っぱらいのようにふらふらと接近しただけで、のちにルイからは「ちょっとクレイジーな人が暴走しちゃってるのかと思ったわよ」と苦笑されるぐらいだったが、それでもアルバートの奇妙な槍さばきに驚いたトゲとかげたちはわきにしりぞき、そこにディレンツァが風の魔法をくりだしたため、トゲとかげの多くは一瞬にして砂地のなかに逃走し、逃げ遅れた2、3匹は嵐に巻かれるようにして上空にとんでいった。


 ルイも巻きあがる強風にびっくりしたが、目に砂が入っただけで済んだようだ。


「だ、だいじょうぶ!?」アルバートがおそるおそる訊ねると、ルイは右手で衣装の砂をはらい、左手で目をこすりながら「まったくもう……」と悪態をつく。


アルバートは怒らせてしまったかと思い、少し身をひいた。


「はぁ、ありがとう。助かったわ」ルイはため息をついたのち、口をとがらせた。「信じられる? あのとかげたち、舞踏団員たちの目から水を吸っていたのよ!?」


 目をしばたたかせながらルイはいらいらする。

 ルイの頚もとにも血糊がだいぶついていたが、別人のものなのか、とりあえずけがはないようだった。

 近くに5、6人のカラフルな衣装を着ている男女の死体があった。

 古代神とかげにかぎらず砂漠の生物は水分の吸収に貪欲なものが多いが、アルバートにもそれをルイに説明するのははばかられた。


「〈舞踏団ルルベル〉の踊り娘――か?」ディレンツァが訊ねる。


「ええ、私はルイっていうんだけど……参ったわ。どうなってるのこれ――」ルイが腕組みして周囲をみる。「仲間が全員殺されたわ。ていうか、だれもかれも皆殺しじゃないの?」


 ディレンツァがみずからとアルバートの身分や、ここにいたるまでの経緯を手短に告知したが、ルイはアルバートが王子であることにもディレンツァが宰相だということにもまるで動じなかった。

 それどころではない事態だという事情もあっただろうが、なによりルイの剛毅な気質も関係していたにちがいない。


「あなたたちもついてないわね――でも、生きているだけましなのかしら?」


 ルイのあっけらかんとした感想に、アルバートは少しだけ落ち着いたのを憶えている。

 要するに初対面で抱いたルイのイメージは、いまでもずっと変わっていない。

 

 ルイはその後、宮殿に入った経緯を述べた。

 老舗舞踏団として有名な〈ルルベル〉は、各国の巡回公演の一環として沙漠の国に招聘され、明晩宮殿にて演劇や奏楽、舞踏を上演する予定だったのだという。

 アルバートの帰国にあわせて企画されていた催しらしく、ディレンツァは予定を把握していたそうだ。


「老舗ってことは大所帯なんだね……」無惨な遺体をみてアルバートがつぶやく。


「そのぶん入れ替わりも多いし、私なんかはまだ新米の部類なんだけど――」ルイは腰に手をおいて、ふぅとため息をつく。「たまたまだけど、娘さんの関係で座長が不参加だったのが救いね……」


 それでも来訪した団員が全滅したという言葉にアルバートはふるえる。


 その様子をみてルイが目つきをけわしくする。「ねぇ、王子は王子なのよね? ――それこそ王さまが無事なのか確認しないとまずいんじゃないの?」

 

 アルバートをよそにディレンツァがうなずく。「そのとおりだ――」


 ディレンツァはそのまま回廊を大股で歩きだす。

 

 アルバートが目で追っていると、「ねぇ、私も王子たちについていくわよ。ここに一人でいたってあぶないし、王子はともかくあの人は頼りになりそうだから」とルイがアルバートのまえに立った。


 おとぎ話にでてくる猫のような笑みをうかべて、ルイがアルバートの目をのぞきこんできた。

 その上気した顔はとまどいと焦りと疑念にあふれていたが、瞳にはちいさな光が宿っていた。

 それは希望をみつけた光である。

 

 ばかにされているようなせりふだったが、みつめられてアルバートはどきどきした。

 しかし間近でよくみると、ルイはひざうえ丈のスカートだし、おなかや肩は露出しているし、踊り娘の出番衣装らしいほぼ半裸状態だったので、アルバートは着ていた外套を脱いでルイに「よかったらどうぞ」と渡す。「あまりきれいじゃないけど……」


「あら、ありがとう――」ルイは(いま思うとめずらしく)素直にうけとって、はらりとはおる。

風をまとうようにして外套がひろがり、それもまた踊り娘らしいしぐさにみえた。

 

 アルバートがみとれていると、ルイはアルバートの背中にまわり、あと押しするようにして「さ、行くわよ!」と叫んだ。

 

 ディレンツァが王広間の入口扉のまえでふりかえっている。

 目つきはけわしい。

 アルバートもルイに押されていなければ入場をためらってしまいそうな重苦しい雰囲気だった。


 アルバートたちが追いついてくると、ディレンツァは「覚悟しろ」という目のまま、扉を開けて半身をのりだした。

 

 そして、ディレンツァ、アルバート、ルイの順であわただしく王広間に入ったとき、アルバートたちは沙漠の国の終焉を目の当たりにしたのであった――。

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