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銀の風ファンタジア ~孤独な炎の生と死の幻想~  作者: 坂本悠
名まえを失くしたとわの国
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46 鳥たちの形影

 夜に遠くからみると、邪悪な精霊のようにもみえる(30メートルはあろうかという)背の高いコモンオークの樹の幹のもとに失神しているティファナをおろすと、ちょうど地面からつきだした鉤爪のような根が背もたれになって落ち着いた。


 林のなかで、ザウターは愛剣の束に手をかけた体勢のまま周囲に目線をはしらせ、樹々のあいだや低木の葉陰、藪の暗がりや隆起した地層を視認したのち――ふと気づいて上空をみつめる。


 コモンオークのひときわふとい枝に黒い影がみえた。


 頭上は大量の枝葉に覆われており、花火が終わったあとは、すきまからわずかな月光が射しているだけだったが、黒い影はその光さえ呑みこむような黒さをたたえていた。


 ザウターの視線をうけると、黒い影はムササビのように跳び、6、7メートルほどの高さをもろともせず、音もなく地面に降りたった。

 長靴が大地を削る音さえたてない。

 衝撃を吸収する跳びおりかたを熟知しているため、音をたてないだけではなく脚を痛めることもないのだ。


 黒い影は全身を黒い長衣でつつみこんでおり、口もとも覆っているため、目線だけが暗闇に浮いていた。

 カラスのような目つきだった。

 じっさい、カラスのような男だとザウターは思っている。

 理知的で狡猾にたちまわるが、目線から思惑がつたわってこないのである。


 男の名はフィリージョーといい、〈鹿の角団〉の頭目の一人だった。

 主に偵知活動を担当しているとザウターは認識している。

 団の利益のためにあらゆることに「さぐり」をいれる重要な役割である。


 幹部たちはじめ諜報機関にも重宝されているだろうが、フィリージョーの活動の詳細はザウターでも知りえない。

 さきの〈月の城〉の先遣隊として城主の手記を発見した人物でもある。


「すまないな」


 ザウターがつぶやくと、フィリージョーは目を細めた。


「余計な横槍だった。だが、おまえが小道具を使うとはめずらしい」


 ザウターは微笑で応える。

 やはりさきほど池沼に潜んでいて、ザウターたちの逃走を「小型刃物のみだれうち」によって支援したのはフィリージョーだった。


 そして、フィリージョーはザウターが追いこまれたふりをして、襲いかかってきた敵の女に向けて〈封印の筒〉を解放し、巨大ニシキヘビをくりだして攻撃したことを知っているのだ。

 〈封印の筒〉はどんな対象物でも好きなときに出し入れできるマジックアイテムであり、〈はずれの港町〉のギャングの所有物を拝借したもので、ティファナはずっとニシキヘビを詰めこんでいたのである。


「あの筒はティファナの玩具だ。オレの流儀じゃない――」ザウターも目を細める。「おまえの支援で敵の女が逆上したからうまくいきそうだったんだが……」


 沙漠の国の残党が相手だと、どうもリズムがみだれやすい。

 ザウターはその要因についてしばし沈思する。

 

 沈黙がつづき、樹々がゆるやかな風でさわさわゆれた。

 

 遠くで騎士たちががやがやしている声が聞こえてきた。

 林の奥深いところにいるので、ここまで追いついてくることはまずないだろう。


「――おまえのあるじは〈光芒〉を盗みだした」フィリージョーがつぶやいた。感情のない声である。


「ああ、卿が失敗することはないだろう。みていたのか?」


「ああ……オレではないがね」フィリージョーは返事に含みをもたせる。「宝物庫に関しての情報もみずから集めたようだ」


 どうやらフィリージョーはずっとザウターとティファナを監視していたらしい。

 少なくともザウターには、いつから見張られていたのか見当がつかなかった。

 今日だけなのか、ここ数日なのか、あるいは王都に入ったときからずっとなのか……。

 おそらくティファナも気づいていなかっただろう。

 

 フィリージョーの監視は、距離をたもって対象を凝望するだけである。

 気配は完全に殺すし、殺意を発することもないため、たとえザウターたちでもその存在を察知するのは難しいのである。


 もちろん敵意を感じればすぐわかるし、それゆえに寝首をかかれることはまずないと断言できるが、あまり気分のいいものではないことは確かだった。


 あるいは――。

 ザウターは大剣に手をかけようか迷う。


「おまえと競る気はない」フィリージョーが口もとをかくしていた衣をとる。うすく空いた口から真っ白な歯がうかびあがる。「場合によってはおまえたちを捕縛してもいいことになっているが、オレも痛い目には遭いたくないんでね」


 ザウターとフィリージョーが剣を交えればおたがい無傷ではいられないだろう。

 刺しちがえる可能性も充分ある。

 少なくとも腕の一本ぐらいは覚悟しなくてはならない。

 

 ザウターはフィリージョーをにらむ。「オレたちの処遇は……幹部たちの意向はかたまったのか――」


 フィリージョーは目をふせた。「オレも監視についての伝令をうけただけで、団の方針まではしらない。もっとも、あまり関心がないというのが本音だ。もともとハーマンシュタイン卿に余計な干渉をする意味はない」


 フィリージョーは半身をひるがえす。顔の半分を残して身体全体が闇にとけた。「騒動がつづいた。ハーマンシュタイン卿はしばらく身をひそめるつもりだろう。おまえたちはこれからどうするんだ――?」


 ザウターは目を細める。「もともと卿にしたがう身で、ずっとそうやってきた。最初から団に忠誠心があったわけでもないし、これからもそうだ。オレもティファナも死ぬまで卿についていく」


「そうか――」


 フィリージョーは完全に闇にとけた。


「――オレにはおまえたちが幸運にめぐまれているのか、そうでないのかはわからない。運命の歯車がどう回転しているかなんて知るよしもないからな……」


 低い声だけがどこかから聞こえてくる。


「この件にはこれ以上関与したくないところだが、オレも使われる身だ。上の采配によっては、つぎに逢うときは刺客として、ということもありえる。用心しろ――」


 語尾が宙に吸いこまれるようにして消えると、フィリージョーの気配もなくなっていた。

 ただよっていた緊張感が解放される――。


 まるで空間が弛緩したかのように平穏な空気が流れだした。

 頭上の枝葉のゆれが聞こえ、そのすきまからみえる空には星がまたたいていた。

 場を支配していた独特の緊迫感がとけると、夜の林に虫たちの声がひびきだした。


 遠くにいる騎士たちのざわめきも一段と大きくなる。

 ザウターは胸にたまった息を吐いて、しばらく瞑想してから、コモンオークの根にもたれかかったままのティファナに近寄った。


 ティファナは少しだけ口をあけた状態でまだ眠っていた。

 夢でもみているのか、ときどきまぶたが痙攣している。


 夜気がかかったティファナの肌は蒼白く、精気に欠けるものの、独特の美しさがあった。

 左手でティファナの右手をとると、「ん……」とちいさくうなった。


 ザウターは右手でティファナの顔にかかった前髪をはらってやった。

 衰弱はしているものの、しばらくすれば意識ももどりそうだ。


 もう少し滞在して様子をみることにした。

 両手もふさがってしまうし、ティファナを背負って移動することはやはりリスクをともなう。

 

 ザウターは鎧をぬいで地面に置き、大剣をオークにたてかけて、ティファナのとなりに腰かけた。

 荷物から水筒をだして、ひとくち飲んだ。


 そして、ティファナの外套の頚のとめ具をはずし、ビスチェのひもを少しゆるめた。

 胸が少しあらわになったが、だれもみていないのでかまわないだろう。

 

 フィリージョーは最初から刺客として出現したのかもしれない――ザウターはふとそんなことを思った。

 自分たちを消そうとしていたのかはわからないが、二人が(沙漠の国の残党をふくむ)王都の騎士たちにつかまらなかった場合、なにかしらの対処をする役割だったのではないか――。


 どう考えてもそうだったとしか思えない。

 もしそうだとすると、ザウターたちの逃走を手助けしたり、黙認したことはすでに命令違反なのではないか。


 フィリージョーはカラスのような男だから、じっさいどこまで理詰めの行動なのか傍からはわかりづらい。

 団の上層部の所見や思惑がフィリージョーの意に反するものだという可能性はあるだろうか?

 もしそうだったとして、今後も団に残ると宣言したフィリージョーが造反することはありえるだろうか――。


 ふぅ、ザウターは胸の息をはいた。最近はわからないことを考えてばかりいる。

 いち駒として動く身としては無意味な懊悩だろう。

 無事なのだからそれでいい。


 ザウターは思考するのをやめて、となりで寝ているティファナの肩に腕をまわす。

 首すじから汗の匂いがした。

 ザウターは労をねぎらうためにティファナのあたまを抱きよせる。


 ティファナは「ん……」と声をもらしたのち、うすく細く息をはいた。

 胸もとからのぞく乳房に青い血管がうきあがっている。

 こうもりの大群をあやつったり、ふくろうを運転したり、土の獣を召喚する温床となったり、あいつぐ魔力の解放や交感にティファナの衰弱は著しかった。

 

 ザウターはみずからの外套でティファナを包みこんだ。

 真夏の夜に、その頬も手も腕も脚も、ちいさくて華奢な身体はとても冷たかった。

 

 ティファナがもう一度ちいさくうなった。

 心地よいのか不快なのかわからない。

 ティファナがいまどんな夢をみているのか予想もつかない。

 

 外套にくるまってじっとしている二人の影は、遠くからみると雨宿りをする大きなふくろうのようにみえた――。

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