44 魔法使いの枷
えさをみつけたスズメのようなテンションで駆けだしたルイと、それにつづいて走りだしたディレンツァのあとを、パティとフリーダも追いかけた。
「あいつらには借りがあるの!」と叫んだルイの語調にはわりと本気の、それはセルウェイとストックデイルによる皮肉の応酬といったものよりはずっと深刻な、憎しみを感じた。
そもそも沙漠の国の関係者なのだからただの憎悪では済まされないものもあるだろうが、あそこまで冷静さを欠くのは賢明ではない。もっとも、パティもルイが直情的なのはその物腰や気立てから察していたけれど――。
しかし賢くないといえば、自分もフリーダも〈魔導院〉関係者として、能力的にも権限的にも逸脱した行動をとっているといえる。
宝物庫に向かう時点で先生たち(理想は導師やマイニエリ師)への事前の報告がなければまずいだろう。
冷静でなかったのは自分たちかもしれない――パティがあれこれ思い悩むと、「キィキキッ!」と右肩のモカがうなるように吠えた。
少しびっくりして、パティはわれにかえる。
10メートルほどさきで、ルイとディレンツァがたちどまっている。
ときどき花火で照らされたときだけ二人のうしろすがたが明瞭になるが、そうでないときはふたつの大小の影のかたまりにみえる。
まるで光をあびたときだけ人間になっているみたいな、あやふやさがあった。
となりのフリーダをちらりとみると、フリーダもパティをみていた。
少し不安そうな微笑をうかべる。
自分もおなじ表情をしているにちがいない。
――ふと、みょうな怖気が背筋を走って、パティはあゆみをゆるめる。
背中やわきに汗がにじむほどの蒸し暑さだったが、その瞬間だけ寒気にも似た恐怖を味わったのである。
それが虫のしらせであったことは、のちに理解した。無論それでは遅く、パティはそれについて悔やみつづけることになったのだけれど――。
剣呑な空気にさいなまれ、パティは右手で胸をおさえてたちどまる。
病んだ森の毒霧のなかにいるような気持ち悪さだった。
前進をつづけるフリーダに「待って!」と左手をのばそうとしたが、ゆびさきぎりぎりのところでとどかなかった。
待って……なんだかいやな予感が――。
瞬間、嵐に巻かれたようにパティの髪が舞いあがる。
せまる危機を肌で感じたことで、本能的に髪が逆立ったのだ。
粒状の光が視界いっぱいに乱舞する。
それがみずからに向かってくる刃物のきらめきだとわかったとき――パティは両手で顔をかばうのが精いっぱいだった。
目を閉じたパティが、まっすぐとんできた刃物の先端がみょうな現実感をもって自分の眉間に突き刺さるところを想像したとき――キィ!!
モカが奇声をあげ、パティは驚いて目を開ける。
するとその目がみたのは、小ザルが器用かつ的確に長い手を鞭のようにふるって、数本の刃物をはまるで群がるハエをふりはらう馬のしっぽのようですらあった。
落ちた刃物は陽のもとにさらされたミミズのように地面でもんどりうつ。
刃物は医療用メスのような代物だった。
「わ、あ、ありがとう!」
パティは目をぱちくりしながら両手で口をおおう。
モカが敏速に動くことがめったにないので余計に驚いた。
パティの謝意に小ザルはふりかえって、ほほえんだ(ようにみえた)。
しかし、安堵は長つづきしなかった。
目前のフリーダがうめきながらうずくまったからだ。
パティは悲鳴をあげそうになったが、モカがするどく「キィ!」と鳴いたので、にわかに冷静になってフリーダに駆けより、まえにまわりこむ。
「――フリーダ? フリーダ!?」
やはり親友のけがには完全に平静さをとりもどすことはできなかった。
魔法使い失格かもしれないが、フリーダがあきらかに大けがをしているため、そんなこと気にしていられない。
フリーダはややうつろな目でパティをみてくる。
余裕をみせようとほほえんだが、刃物の一本が右わき腹に深く刺さったらしく、それを両手でおさえているが、衣服には徐々に血がにじみ、地図のような模様がうかびあがっていた。
顔色はすでに青白く、ひたいや首すじには冷や汗がでている。
呼吸が弱く、速い。
危険だ。
応急処置をしなければ……まず、なにをどうすれば――こんなときに薬師のシャトレがいてくれたら……。
パティはとまどいながらポケットのハンカチをとる。
しかし、どうしたらいいか思いあぐねる。
そもそもフリーダにふれていいのだろうか――?
前方でルイが声高に〈鹿の角団〉の盗賊たちをなじっているのが聞こえるが、フリーダの状況が気がかりで集中できない。
どうやら、賊の男(と女)はふたたび逃走をはじめたらしく、ディレンツァがルイを制止しようとする声が聞こえたが、集中できず聞きとれなかった。
フリーダがちいさく吐息をもらす。
そのぶんだけ命が削られているようにみえて、パティは涙目になった。
フリーダの痛みがそのまま自分につたわってくるような気さえする。
奥歯が小刻みにかたかた鳴る。
モカもおびえているのか、ふるえている。
すると、肩にわりと強い衝撃があった。
ディレンツァがパティの左肩に手をかけ、かがみ、顔をよせてきたのである。
ディレンツァはパティの目前に(地面に落下したことで)欠けた小型刃物を示した。
「落ち着け。刃さきには毒や魔法は付与されていない。出血はしているが致命傷ではないだろう。刃物をぬいて、そのハンカチでおさえろ。腋窩や上腕の動脈を圧迫するのもいい。
状況をみて、宝物庫周辺の騎士たちを呼べ。大声をだしてもいい。おそらく賊たちはもう近くにはいない。きみに余裕がなければ、そのテナガザルを使いにだしてもいい。
ルイが賊のあとを追ってしまったので、私は行かなくてはならない。いいな?」
パティがじっとディレンツァの瞳をみると、モカがキキィとうなずいて代弁した。
ディレンツァは目を細めると、さらりと身をひるがえし、林のほうへ駆けていった――。
有無をいわさぬ勢いだったので返事ができなかったが、ディレンツァのそれはとても気持ちにゆとりのできる声色だった。
なんだか気力も湧いてくる。
まわりがよくみえるようになってきた。
フリーダがふたたび苦悶の吐息をもらす。
モカがキィと鳴いてパティをみつめてきたので、パティが「助けを呼ぶの、お願いできる?」と訊ねると、小ザルはパティの肩からバッタのようにぴょんと跳びおり、すたすた走りだした。
しばらく進んで、途中で一度だけふりかえったのち、跳ねるように走っていった――。
小ザルを見送ったのち、パティはハンカチをにぎりしめる。
ルイもディレンツァも親切で温情ある人だが、同時に強靭な精神力ももちあわせていることがわかった。
だから、ともに行動する以上、パティたちも同様の心がけが必要なのだ。
〈魔導院〉に籍を置いているという事実は、これからさきも、ずっとおなじような強い意志をもって生きることを表明することにちがいない。
ただ馬車にのって街から街へと旅をするのとはちがう。
地面に両脚をつき、一歩一歩あゆんでいくことにほかならない。
魔法使いになるという実感がまるで枷のようになって、みずからを束縛しているような気がした。
せつなさが胸にこみあげてくる。
それでも、これは乗りこえるべき経験なのだ。
「だいじょうぶ――だいじょうぶ」
パティはフリーダのとなりにひざを折り、まぶたを閉じて、呪文を唱えるようにそうくりかえした。




