42 完きまぼろし
バレンツエラはダイヤモンド陣形の中心にいた。
前後左右を騎士の精鋭がかためている。
つねに視界に入る右手に副団長補佐のマーテルがいた。
宝物庫については、バレンツエラですら予備知識があまりない。
白盾騎士団の副団長に任命されてからまだ半日しか経っていないので、俗にいう「国家機密」というものは、まだ知らされる機会もなかった。もっとも副団長レベルでは、そこまで通暁できるかはあやしいところだが――。
マーテルによれば、正門には神聖文字の刻まれた古いセコイアのかんぬきや、銀製の特殊なシリンダー錠といった物理的・魔術的な封印がなされているようだが、いうなればそれは堅牢さの保証に関することであり、周囲に防護壁が建っている(いた)という附属的な要素とおなじで、宝物庫そのものの情報ではない。
巷で聞く噂話もまた、昔から多くの盗賊が侵入をこころみ、捕縛され、死罪もしくは罪人塔に無期禁固刑を受けて幽閉されているとか、多くの犠牲のなか奇蹟的にお宝の窃取に成功して草原の国にわたった者たちがいるとか、まるでおとぎ話のようなものばかりだった。
つまるところ、王都の守備力や厳格さを担保するための巷説にちがいない。
建物の内部がどういう構造になっているのか、なにがどのように保管されているのか、だれも知らないのだ。
そしてそんなことさえ知らないまま、踏みこむことになるとは思わなかった。それも、さきに忍びこんだ侵入者を追いかけて――。
やはり引き戸のかんぬきもぬかれていたし、開き戸のシリンダー錠も解除されていた。
賊は巨大な防護壁さえ難なく落とすのだから、もはやどのようにそれをこなしたのか想像するのは愚問なのかもしれない。
バレンツエラの不安を察しているのか、目が合うとマーテルもけわしい視線をかえしてきたが、結局なにも話さなかった。
バレンツエラ隊が開き戸から入ると、うす暗い石貼り廊下がまっすぐのびていた。
照らすためというよりは、まるで黒を塗りそこなったかのような、ぼやけたあかりを灯した蜀台が点々と設けられている。
ここから永遠の闇がつづいているのではないかと錯覚するような光景に全員がたじろぐ。
それでも、猶予はないと考えるほうが自然なので、バレンツエラは鼻息をゆっくりもらし、「行くぞ――」と小声で指示をだした。
先頭の騎士がすべらせるように右足をだすと、ブーツが石床を打つ、こつん、というこもった音がひびいた。
まるでどこか遠い場所で鳴ったみたいに聞こえた。
マーテルが思わず息をのんだが、バレンツエラも共感できた。
いいしれない不穏な気配がただよってくる。
まるで古代王国の霊廟に忍びこんだかのような緊張感が全身を硬直させていた。
財宝が眠っている(だろう)という構成要素が似ているせいもあるかもしれない。
陣形をたもったまま全員が施設内に入った。
そのままじりじりと奥へ進む。
全員の足音が前衛的な音楽のようにひびき、みょうな不安をあおった。
ふと、不快な冷気が奥から吹いてくる気がした。
バレンツエラは思わず、不吉なばけものの吐息を連想してしまう。
真夏とは思えない。
奥のほうから死神がやってくる幻影をみてしまう。
うすよごれた長衣に身をつつみ、三日月のような鎌をもった死神――。
兜のなかを冷や汗がつたった。
あまり汗をかくと視界に影響がでてしまう――そう考えたところで、まるで稲妻のような衝撃が全身をつらぬいた。
目前をあゆんでいた先頭の騎士のすがたが消えたのである。
ふっと――まるで闇に溶けこむように。
バレンツエラはじめ横並びの三人が盾と剣を、後方の一人が槍を高くかまえた。
声をかけたかったが、言葉がでてこない。
なによりも自分が動揺してしまっていたからだ。
撤退すべきか?
そもそも賊による攻撃なのか、施設の防衛機構に関係しているのか、それもよくわからない。
〈めくるめく幻想〉――。
まるで地獄から響いてくるような、それでいて自分のあたまのなかだけで聞こえているような、低く、そしてくぐもった声が突然聞こえて、バレンツエラは戦慄した。
目が熱くなり、あたまがくらくらしてくる。
みえないものをなぜ知覚できるのか――
視界のすみにいるマーテルも身体が硬直したのがわかった。
よく耳をすますことだ――
声が二重にも三重にもなって聞こえる。
施設内に反響しているような気がするが、それは気のせいかもしれない。
視界が悪いので、余計に聴覚が敏感になっている。しかし、鋭敏になったところで「相手」がどこにいるのかさえ把握できない。
悲しみやむなしさは、騒がしさのなかにはない――
声が身体のなか、そして脳裏にこだまするように聞こえる。
まるで言葉をハンマーかなにかで叩きこまれているようで不快だった。
圧倒的に不利だ。
まるでくもの巣に囚われてしまったかのように身動きがとれず、いまにも鋭利な牙が鎧をつらぬいてくるのではないかという恐怖がわきあがる。
滝のような汗で目がふさがれるが、もはや視界には、あかりのにじんだ暗闇しかなかった。
そして、つぎの瞬間、すぐ耳もとで、ささやく声がした。
――静けさとともにある
女性のような、それでいて老人のような、あるいは異界の者のような多重的な声を最後に、まるでろうそくが吹き消されるように、騎士たちは卒倒した――。
数時間後、いつまで経っても帰還しない副団長隊を心配した野外の騎士たちが枢機院に進言し、宝物庫の開き戸に踏みこんだ結果、廻廊を10メートルほどすすんだところで、意識をうしなってたおれている五人の騎士を発見した。
副団長がうつぶせていたほかは、全員がばらばらのほうをむいており、まるでおしよせる荒波に溺れたあとのようにもみえたという。
のちのち騎士たちの意識は快復したが、副団長補佐は右肩の腱板損傷をうけ、しんがりの騎士は腰骨を折り、副団長は右目の視力、隊列左の騎士は左耳の聴力をほぼうしない、先頭の騎士にいたっては脅迫幻覚、幻聴などのせん妄におちいっていた。
全員が王立病院にかつぎこまれ、薬師や魔法使いによる専門治療をうけたが、外傷もなければ特定の疾患をもたらす毒物や魔法の痕跡もなく、最終的には「暗闇でうけた恐怖」によるストレス性ショックが要因とされた。
「月が落ちてきた」、「10メートルはある黒馬に蹴られた」、「巨大な眼球が出現し、太陽よりまぶしい光線をだした」、「口しかない化物が耳をつんざく金切り声をあげた」、「荒廃した西のはてにつれていかれ、悪霊たちに囲まれた」など、それぞれの供述にはばらつきがあり、せん妄の騎士にいたっては精神障害の後遺症が深刻と判断され、除隊にいたることとなった。
また、宝物庫内部に設定されていた(物理的ないし魔術的)防犯機構はすべて解除されており、宝石のかけら〈光芒〉は指定の箇所からなくなっていた。
それらの難易度をかんがみると、すべてが元〈鹿の角団〉幹部ハーマンシュタインによる犯行だと推察されたが、宝石奪取そして逃走の課程をみた者はだれもおらず、王都出入口をかためていた門兵たちにも、それとおぼしきすがたを確認できた者はいなかったという――。




