38 みえない濁流
夜襲をうけている公都に到着したあとのアルバートの記憶はだいぶあやふやだった――大城郭がのぞめる南の高台から使節団とともに領内をめざしたアルバートは、馬車のキャビンから炎と黒煙に巻かれる街が目前にせまってくる情景を、まるで夢のようにみていた。
ときどき遠くから勝鬨や怒号が聞こえる。聞いたことのない野性味あふれた声だった。
そして、たまに混ざる悲鳴に、ディレンツァが「まだ生存者がいる――」とつぶやいた言葉がしばらく脳裏から離れなかった。
生存者のほうが少ないという見解もふくめ、あまりにも現実味のないせりふだったせいである。
じっさい、最終的には生存者はほぼなしという結果を思い知るのだけれど……。
キャビンのなかで四方を警護してくれている使節団員のすきまからうかがう城下街はすでに、アルバートが育ってきたホームタウンとしての外観をうしなっていた。
おだやかな郷愁や、なつかしい思い出はいっさい感じられない。
むしろ、戦渦にまきこまれた廃墟といった様相だった。
突如、背後の使節団員がうめき声をあげて、かがんでいるアルバートの後頭部にもたれかかってきたため、アルバートが「うひっ!?」と狼狽して身をかわすと、前のめりにたおれこんだ団員の背中に矢が三本刺さっていた。
傷から血がにじんで、みずうみのような模様を描く。
団員は参事官を務めていた優秀な人物で、アルバートのふたまわり年嵩だった。
あわてて身体を起こそうと肩にふれたが、横向きの顔をみると口からも血を吐いている。
しかも絶命していることがわかって、アルバートは思わず手をひっこめてしまう。
「馬車をとめろ、かこまれている!」
ディレンツァが馭者に叫びながら右手でアルバートの身体を抱きかかえ、キャビンから跳びおりた。
アルバートは着地に失敗してふらふらもたつく。
しかし声をあげる間もなく、ディレンツァが「走れ!」と背中を押してきたため、あくせくと駆けだした。
周囲の建物の上層階から狙撃されているらしい。
馬たちが混乱し、砂塵をまきあげてあばれ、はげしくいななく。
ちらりとかえりみると、馭者が放りだされ、馬がたちあがった反動でキャビンがひっくりかえり、使節団員たちがわめきながら下敷きになった。
くわえて、そこに弓矢による一斉掃射がおこなわれ、使節団員たちは馬群もろとも撃ちぬかれ、地面にのたうちまわった。
はげしい雨に打たれているアマガエルのようだった。
「王子、急げ――!」
ディレンツァにしたがってまえをむく。
足もとや身のまわりに矢がたてつづけに突き刺さってくる。
ようやく気づいたが、どうやらディレンツァが風の魔法で矢をそらして護ってくれているらしい。
横目でみたディレンツァはすでに肩で息をするくらい疲弊している。
ディレンツァの指示でせまい路地へ入る。
身をかくしてからふりかえると、反転した馬車には数人の蛮族が集まっており、まだ息をしている使節団員をみつけてはとどめを刺しているようだった。
使節団員の絶命の声と、野蛮な戦士たちの獣じみた雄叫びがひびく。
アルバートは両耳を手でふさぎたくなる。
ディレンツァが顔をよせてきた。「事態が深刻だ――」
「どういうことなのかな!?」アルバートは混乱する。「騎士団はどうしたんだろう? 宮殿は!?」
アルバートの問いに、ディレンツァはうすく息を吐いて、頚を横にふる。「わからないことはだれかに聞いてみるしかない――」
二人はまるで密偵のように路地を移動し、5メートルほど離れた店舗裏のごみ箱や廃材が散らかった箇所までくると、「王子はここで待機」とディレンツァが目を細める。
アルバートが身をひそませると、ディレンツァはふたたび大通りのほうに向かった。
アルバートは生ごみ箱と(まだ使えそうな)テーブル台のすきまからその様子をみつめる。
ディレンツァは注意深く周辺や上空をうかがい、半身を通りへのりだす。
そして、つぎの瞬間――まるで草むらにひそんでいた肉食獣のような速度で、通りかかった荒くれ者を一人つかまえ、路地裏にひきずりこみ、店舗の外壁にたたきつけ、右ひじで頚もとをおさえ、左手にもったナイフを男の顔面につきつけた。
目にもとまらぬ速さで、ずっとみつめていたアルバートですら「あっ」と声をだしてしまうほどだった。
ディレンツァに頚部をしめられ、愕眸している蛮族の男は、ディレンツァとおなじ(175センチ)ぐらいの身長だったが、体重はだいぶありそうで、筋肉質だがそれ以上に脂肪がついていそうな体型だった。
蛮族の男が油断していたからにちがいないが、それでもまるでのら猫の首根っこをつかまえるように容易にやってのけた。
ディレンツァはアルバートが思う以上に軍人なのかもしれない。
アルバートはのどを鳴らす。
「質問に簡潔に答えろ」ディレンツァは低い声で話す。「時間稼ぎはゆるさない。回答以外のことをしゃべったら、きさまは二度と話せなくなる」
口調はいつもどおりだが、ディレンツァを知らない者からすれば充分に脅迫の効果があるだろう。
「きさまは非正規軍だな。だれの命令で動いている? そのだれかの目的は?」
ディレンツァがひじをゆるめると、蛮族の男はぶはっと息をはく。
押さえつけられているだけで息が苦しいらしく、ひたいに汗のつぶができ、顔が紅潮している。
男が呼吸をととのえていると、ディレンツァがナイフで男の右頬を切る。
あざやかなしぐさで、一瞬間をおいてから2センチばかり切れ、わずかに出血した。
男の目がとびだすほど見開かれる。
「わかったよ、せかすなよ。ぜんぶ話す。ぜんぶだ……」
がたいのいい蛮族の男がおびえている。
アルバートからはみえないが、ディレンツァがそれだけの表情をしているのだろう。
「俺たちは〈鹿の角団〉に雇われた……」
ディレンツァがナイフをちらつかせたので、蛮族の男はピッチをあげる。
「〈鹿の角団〉のハーマンシュタインさ。幹部の一人らしいが、俺はそいつにつかえている頭目の支配下にいるからよく知らない。顔だってみたことはないくらいだ。沙漠の国に押し入った理由は、国宝だって聞いてる。なんだっけな、沙漠の……」
「〈沙漠の花〉」ディレンツァが腕にちからをこめる。
蛮族の男は苦しそうにあえぐ。
「そう、それだ。〈伝説の宝石〉だかなんだかってやつだろ、詳しいことはわからないが、それを盗むために集められた――」
しばらく、こう着状態になる。
ディレンツァが思案しているのだろう。
蛮族の男はそれを軟化と判断したらしい。
「誓っていうが俺たちはそれ以上しらない。ただ報酬はだいぶいいから、俺たちみたいなやつはわりと集まったと思うぜ」
蛮族の男はへへっと笑う。意地汚い表情だった。
しかし――つぎの瞬間、蛮族の男の頭部がふしぎな紫色をした雲につつまれた。
ディレンツァがなんらかの魔法をとなえたらしい。
雲が晴れると、ディレンツァは蛮族の男を離す。
男は呆然としているだけで動こうとしない。
ディレンツァが「さっさと沙漠の国の領内からでていくがいい。仲間たちをさそってな」とうながすと、男は「ぴゃい」と返事をして大通りにもどっていった――。
そのとき周囲にただよっていた燃えかすの匂いと、遠くの騒乱と、真っ暗な夜空の新月、そして大通りの街灯から照らされるディレンツァの影とが、アルバートのなかでとても印象的なものになった。
ディレンツァがふりかえったので、アルバートもごみ置き場から這いでて駆け寄る。
「ほんとうは軍法会議にでもかけたいところだが、それどころではなさそうだ」
野蛮な傭兵たちについて方策を練っている場合ではない。それはアルバートにもわかる。
「〈鹿の角団〉に雇われているって……」
「首謀者はハーマンシュタインだという……」ディレンツァがななめ下をみて口ごもる。
沈思する理由はなんだろう。面識があるのだろうか――ディレンツァが真顔なので訊ねづらい。
ただでさえ暗い夜なので黙っていると不安になってくる。
「〈鹿の角団〉は国宝を狙っているって――なんでだろう?」
国宝――〈沙漠の花〉についての詳しい知識はない。
アルバートは王族でありながら、それがなぜ国宝なのかすら聞いたことがなかった。
ただ父親――レヴァス四世が権限をもって管理しているということを幼心に疑問に思ったことはある。
そこまで重要なものにはみえないからだ。
無法者を集めて侵略し、強奪したくなるほどのものなのだろうか?
「知らないのも無理はない。意図的に知らされてはいないのだから――」
アルバートの渋面で脳裏が読まれたのか、ディレンツァがつぶやいた。
しかし、アルバートがディレンツァをみても、ディレンツァはまだ考えあぐねているようだった。
その顔をみていて、アルバートは混乱してきた。
そもそもなにが問題なのかよくわからなくなってきたのである。
〈鹿の角団〉が〈沙漠の花〉をどうしても入手したい事情があるのだとしても、これは暴挙ではないのか。
軍部だけでなく、市民までも虐殺する理由はどこにもなく、もっと政治的な交渉による解決法もあったのではないか。
「〈鹿の角団〉ではなく、ハーマンシュタインだけが狙っているのかもしれない……しかし、ハーマンシュタインはおそらく怪譎な人物ではない……」ディレンツァがひとりごちる。
アルバートがなにか問いかけようとすると、ふいにディレンツァは顔をあげる。「王子、とにかく王宮へ急がなくては。副王陛下たちの安否を――」
アルバートはディレンツァの目つきに驚いたもののうなずく。
それでも宮殿はいちばん守りが固い。やすやすと国宝がうばわれるとは思えない。
近衛兵たちがついている宮殿が、たやすく窮地に追いこまれるようなことがあるのだろうか。
「城郭を一気に崩すようなやりかたができる連中だからわからない――」
ふたたびアルバートの心理を察したのか、ディレンツァが目つきをけわしくする。
アルバートは自分の周囲が暗闇につつまれたかのような不安におちいった。
よくわからない濁流に呑まれて、翻弄させられているような気持ちだった。
自分はどこに流されているのだろう――。
それでもディレンツァが駆けだしたので、アルバートはあわてて追いかけた。




