34 なしくずしの余興(四大精霊)
ハーマンシュタインは見晴台をおりて、広場を横切り、街道をつたって正門をくぐり、郊外にでると、だれにも見咎められることがないまま、公用地の宝物庫の防護壁までやってきた。
出入り口のない裏手にまわったので、常駐の兵士もいない。
防護壁に信頼がありすぎるのか、あきらかに警備が手薄である。
途中、多くの祭り参加者のなかをぬけたり、門兵の検閲を横目にみたり、哨戒兵の一団とすれちがったり、〈魔導院〉から派遣された魔法使いたちのまえを通過したりしたが、ハーマンシュタインは「さまざまな容姿」にみせかけることで難なくやりすごした。
いずれ、見晴台で別れたザウターとティファナも、余興の準備をしたのち合流するだろう。
〈支配の冠〉を利用するにはティファナの特性が必須条件になる。
ティファナを酷使することになるが、それはこうなるまえからわかっていたことだし、(反応からはわからないが)ティファナも承知しているにちがいない。
空を仰ぐと、蒼白く浮かんでいた月が、あかるく深みを増している。
市街地を離れたからかもしれないが、より原始的にみえた。
林や草むらがいくらかあるせいか、虫の声がよく聞こえる。
じめじめした空気だったが、それほど不快ではない。
ハーマンシュタインは草木にならって瞑想しながら時の経つのを待った――。
夜の空気をかきまぜるような羽音を聞いて目を開くと、ザウターとティファナが立っていた。
ティファナのわきには巨大な幻鳥ふくろうがいた。ホーゥ。
ハーマンシュタインにみつめられたことで、幻鳥はちいさく鳴いた。
「空から現れるとは思わなかったな」
「すごいでしょう!?」ティファナがにこにこする。「ふくろう男爵の夜間飛行は夢心地で最高なんだから!」
幻鳥がホーゥと呼応した。
「出遅れてしまいました」ザウターが謝意をあらわす。
それでもハーマンシュタインのように移動することはできないのだから、最も時間のかからない方法を選んでいることは確かだろう。
「かまわない。草木とおなじ気持ちになれた」ハーマンシュタインは微笑する。「王都側も警備体制をととのえているだろうし、そもそもが厳重警戒エリアだろうからな。それでも想像していたよりはずっと早い」
すると、ティファナが「でもでも、小鹿さんたちもたくさんいそうだよ」とまるで寒いかのように両腕を抱く。
要するに〈鹿の角団〉の団員たちも大勢いると主張したいらしい。
確かに「行動」を起こしたあとについては、ハーマンシュタインたちに心酔している信頼できる団員もいるけれど、王都の関係者たちよりも団員たちのほうが対応に難しいところもある。
いずれハーマンシュタインは即座に身をかくすことが可能だが、ザウターやティファナはそう単純ではない。
「気にすることはない。さほど時間はかからないからな。それより余興の支度はどうだ?」
ハーマンシュタインの問いかけに、ティファナは目を大きく見開く。
そして、いたずらをした少女のようにふくみ笑いをする。
「ばっちり。こうもり殿下たちは本番まえのどっきどきだよ!」
ハーマンシュタインが目を細めてうなずくと、ティファナのうしろで、ザウターが城下街の上空をみた。
暗い雲の向こうには数百数千とも数えられるこうもりたちが結集しているらしい。
そういえばこうもりは、つばさをもつ哺乳類として、文化的に裏切り者の側面をもっている。
まさに卿の余興には適役なのかもしれない。
ティファナがそこまで考えたかはわからないが、視線をもどすと、うれしそうににやにやしていた。
ふと、ハーマンシュタイン卿と目が合う。
すると、卿はなにもいわずにうなずいた。
そして、ゆっくりと〈支配の冠〉をとりだす。
名称から黄金製やきらびやかな宝石装飾をイメージしがちだが、じっさいは草木製の質素なものだった。
しかしながら、世界樹の枝と葉でつくられている希少価値の高い代物である。頭囲が54センチのティファナにちょうど似合うサイズだった。
ハーマンシュタイン卿は戴冠式のように、ティファナのあたまに両手で冠をさずけた。
ティファナも両目をつぶり、手を胸のまえでくみ、少しだけ前傾姿勢になってそれをうける。
その儀式めいた動作が周囲に緊張感をうんだ。
少なくともそばでみているザウターには、足もとから寒気がつきあげてくるような切迫感があった。
蒸し暑い夜なのに、まるで周辺の温度がさがった気がしてくる。
じりじりとにじりよってくるような謎の気配に、草むらの虫たちも静まりかえっていた――。
やがて時がとまったかのような錯覚を味わう。
空間が切りとられてしまったかのような閉塞感もある。
そしてハーマンシュタイン卿とティファナのあいだに、無性にちからづよい魔力の発動を感じた。
すると、瞬間にして――地上千メートルの高さまで疾風が吹きあがるように、甚大なる魔力が解放された。
恐怖感をあおる地響きと、全身をびりびりしびれさせる波動に、ザウターは歯を喰いしばる。
なにか途方もないものが、深い地の底からせまってくるような感覚に恐怖がわく。
いにしえの冠の支配から解き放たれたのは、精霊王たる土の獣である。
魔力の温床として、ハーマンシュタイン卿の召喚魔法にたずさわったティファナは、みずからの身体を大蛇のようにつつみこんでくるあまりにも強烈で残酷な魔力にうちふるえ、ひざからくずれ、よつんばいになってはげしく頚をふり、魔法が完成するときには、まるで南国の鳥のようなけたたましい悲鳴をあげた――。
しかし、それがザウターの耳にとどくことはなかった。
なぜなら魔法の完成とともに、もうひとつの計画が実行されたからだ。
ザウターは王都の上空をみつめていた。
――そこでは、はげしい光の連鎖とともに断続的な炸裂音が響きわたり、宝石をちりばめたような美しい色彩の放射が、視界いっぱいにひろがっていたのである。
夜空にひろがる火炎はとぎれることなく、つぎからつぎへと花開き、いくつもの光の模様を描いていた。
花火である。
怒涛の連続花火だった。
――しかし、ザウターは首筋にびりびりくる緊張感で、視線を宝物庫にもどす。
温床になることで魔力を無尽蔵に吸収して発散し、昏倒してしまったティファナが地面に横たわっており、そのうえに――ハーマンシュタイン卿に対峙するかっこうで、巨大な「獣」が浮いていた。
四大精霊、土の獣だった。
すがたかたちがいちばん近いのはイノシシだろうか。
しかし、全長15メートルはあり、体重も1トンはかるく超えてそうだった。
まるで金属のようなするどい銀色の毛につつまれ、眼窩に神経質そうな瞳がぎらつき、ずぶとい鼻をひくつかせ、下あごの牙状の犬歯をふるわせる様子も凶悪で、全身を絹のようにおおう魔力もまた、ただの哺乳類ではありえない覇気をはらんでいた。
突如目のまえに竜巻が出現したかのような怖気さえわいてくる。
ザウターが土の獣をみるのは二度目だった。
一度目は、沙漠の国に侵攻したさい、その大城郭を崩落させるため、ハーマンシュタイン卿はおなじ意図をもって精霊王を召喚した。
ハーマンシュタイン卿は、まるでペットを手なずけるように目を細めて、土の獣を正面から見据えている。
そこに畏れや迷い、罪責感といったものはまるでなく、竜を凌駕した大賢者のようだった。
そして、無言の対話を終えたのち、ハーマンシュタイン卿が右手をかかげると、土の獣は天空にむけて大きく口腔を開けて、轟音を吐きだす。
まるで月を呑みこもうとしているかのような圧巻の形相だった。
ザウターの腕に鳥肌がたつ。
土の獣はハーマンシュタインの命令にしたがうべく、咆哮をあげたのだ。
大音量と波動にザウターの背筋がぞくぞくする。
しかし、上空をいろどっている連続花火の炸裂音で、雄叫びのその大部分はかき消されたため、少なくとも王都民たちは、この事実に気づかないだろう。
舗装路ですれちがった警備兵たちは、あわてて集まってくるかもしれないが――。
それでももう遅い――土の獣が大きく身体を動かし、その妖気ただよう前脚をかけただけで、宝物庫をとりかこむように建っていた巨大な壁は、まるで波が砂の城をさらうようにして一気にくずれ去っていたのである。




