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銀の風ファンタジア ~孤独な炎の生と死の幻想~  作者: 坂本悠
名まえを失くしたとわの国
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32 夏の夜の夢の中

 ゆるやかに夏の夜の風が吹いていた――。

 ハーマンシュタイン卿は、気づいたときにはもうすがたを消しており、ザウターとティファナは宵にたたずんでいた。

 見晴台は二人のほかだれもいない。


 あとで卿とも合流する手はずになっているが、ザウターはつかのま寂寥感をおぼえてしまった。

 それだけ卿が精神的支柱になっていたのである。

 それでも今後の任務遂行が肝要だったので、ザウターは気をひきしめる。


「街がぴかぴかあかるいけど――」ティファナが無邪気に笑う。「星もすてき」


 城下街にはランプや街灯、たいまつやたき火、あるいは魔法の燈火などが燦然と人々の営みを照らしつづけている。

 ただでさえ眠らない街ではあるが、いつもよりも人々の興奮をはらんで、かがやきを放っているようにみえた。

 

 それでもはるか上空には、北極星からはじまり、天の川の流れにそって夏の星座がみえかくれしてきていた。

 中空の暗闇のうえに、いて座、こと座、かんむり座――数えだせばきりがない。

 うすい雲に身をひそめているかのような月も、そのうち蒼白く浮かびあがるだろう。


「世の中がきれいなものばっかりならいいのにね」


 ティファナがつぶやく。

 ふざけているわけではなく、わりと本気の発言なのだろう。

 ザウターは返事を考えているうちに発言をあきらめた。

 

 ティファナの瞳に星や街あかりが照りかがやいている。

 まるでべつの世界やべつの宇宙がそこにあって、ずっとみつめていると吸いこまれていってしまいそうな気持ちになってくる。

 ティファナはいま、だれよりもつよく世の中の浄化を願っているにちがいない。それも聖女のような純粋さをもって――。


 ティファナは沙漠の国を侵略するときに悪魔のような残忍さをみせた。

 そして沙漠の国の残党たちと敵対するときはいつも、意地のわるいギャング猫のような憎悪をむきだしにする。

 きっとハーマンシュタイン卿の命令にしたがって争いに身を投じることと、世界に平穏を望むことは、ティファナにとっては矛盾しないのだろう。

 

 ふいにティファナがザウターをみた。

 瞳がにじんでいる。


「楽しいね――」

 

 ザウターは衝動的にティファナに手をのばしそうになる。

 腰に手をまわして、抱きよせなければという衝動に駆られた。

 なぜかティファナが徐々に遠のいて、宵闇のなかに融けて消えてしまうような気がしたのである。

 

 空と大地があまりにも鮮明に光りかがやくせいで、空の中ほどの闇は、とても深かった。

 異空間のような深い闇を背景にほほえむティファナがあまりに儚く、そして所在なさげにみえたのである。


「――どうした?」


 呆然としているザウターの手を、ティファナが笑いながらとってきた。

 ティファナの白い両手が、ザウターの無骨な右手をつつみこむ。

 思ったよりも冷たい手だったが、ザウターはそれによって闇に半分吸いこまれそうになっていたみずからを救われたような気がした。


「悪い夢にうなされて起きた子どもみたいな顔してる」

 ティファナはにっこりする。


 ザウターはなにも返事ができなかった。

 時の流れがとまったかのように、風が一時的にやんだ。

 

 するとティファナはザウターをそっとひきよせ、みずからの胸に抱きこんだ。

 ザウターは自然とひざをおり、身体を預けてしまう。

 ティファナの透けるような頚もとに頬がつき、そこもやはり少し冷たかった。

 ティファナの匂いがする。

 するとティファナは、まるでハミングするみたいにかろやかに、メロディを口ずさんだ……。

 

 夏の夜、妖精の森で結婚をめぐる騒動が起こるという有名歌劇の曲で、妖精たちが女王を眠らせるために歌う声楽曲だった。どうやら子守唄のつもりらしい。

 

 いつもなら羞恥心ですぐにティファナから離れるが、ザウターはまるで金縛りの魔法にかかったみたいに動けなかった。

 偶然、見晴台にほかの見物客がいなかったことも大きいかもしれない。

 

 ふしぎな安らぎがあり、ザウターはまぶたを閉じてしまった。


 ――どれだけそうしていたかわからない(おそらく長時間ではない)が、ふっとザウターは覚醒し、折っていたひざをもどす。視線があがり、やや大人びた表情のティファナを見おろすかっこうになる。


 まるで夜空をただようこうもりの群れの羽音が、すべて聴きとれるぐらい意識がはっきりしている。

 少しのあいだ眠ったのかもしれない。


「どう?」ティファナの声が少し遠くから聞こえる。「わたしに夢中になったかな?」


 ティファナがほほえむ。


 妖精の森をめぐる歌劇のなかで、妖精の子どもが、目醒めて最初にみた者に恋をする媚薬を使用することにもとづいた発言である。


「ああ……そうかもしれないな」ティファナがあまりにも得意げだったので、ザウターは悪ふざけに応じてしまった。


「わぁ!」ティファナが両手をあわせて、身をよじらせる。動きがアサガオのつるのようだった。「ザウターもやればできるね! 目には目を。目と目で通じ合う!」


 ザウターは微笑する。そして、胸の息をふぅと吐きだす。


「やらなきゃいけないのはこれからだ」


 ザウターが真顔になると、勘のいいティファナもおふざけのひきぎわを悟ったらしく、目を大きくさせてうなずいた。


「だいじょうぶ。こうもり殿下たちはもう待機してくれてるよ!」


 それから両手と両脚を大きくひろげる。


 ザウターはティファナの瞳に映る夜空をみつめる。

 夕闇になんとなく感じた不安はぬぐい去られていた。


 ティファナの魔笛による召喚と、幻鳥こうもりたちの配置は完了しているようだ。

 いまならハーマンシュタイン卿の作戦は成功するだろう。

 めざすは宝物庫である。

 高い壁で囲われた秘密の建造物に宝石のかけら〈光芒〉は眠っている。

 

 ザウターが目で合図すると、ティファナは「おでかけだね!」と目をかがやかせた。

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