31 鳥の鳴きかた
成人すると、中央議会からひんぱんに外遊を要請されるようになった。
こまかい失態が多くとも、周辺の貴族や集落長たちはそれを個性と判断するので、アルバートは固有の交流力もあって外交面では重宝された。
こまればこまるほど半笑いをうかべていることも社交性を高める要因となった。
立地的に〈ひざまずく者の山〉周辺や砂漠内が多く、遠出をしても火の国領内ぐらいだったけれど、やはり重要事項だった。
それは砂漠という統治しづらい特性をもった土地柄、副王はめったに城郭都を離れなかったし、商工会と女神信仰教会以外に他国と連携をみつにとっている組織がなかったからである。
レヴァス四世は市政において面会を重要視した。
砂漠の集落群をまとめるさいにも定例会合を開催したし、そのさいにはみずからが議長として参加した。
自治権をもつ集落長の不参加は原則みとめず、委任状発行による代役も病気やけがに限定した。
レヴァス四世はよく「顔と顔をつきあわせることは疑心暗鬼を減ずる」と話していたのだという。
外遊するようになって、ディレンツァとも面識が増えた。
切れ長の目をしたクールな大人には、アルバートのいつもの社交スキルは通用しなかった。
ディレンツァがどこまでアルバートのことを心得ているのかわからないところもアルバートから近寄りづらい理由ではあったが、ディレンツァは黙して語らずを絵に描いたような人物だったので、すぐに二人の距離がちぢまるようなことはなかった。
もっとも宰相を務めていたのだから、いまにして思えばディレンツァはアルバートのことを把握していたにちがいない。
ディレンツァはディレンツァでアルバートの性格を熟知しているから、わざわざ必要のないところでは接触してこないようなところもあったのだろう。
「気にすることないのに。だって、アルバート王子のほうがえらいんだよ?」コパンはケタケタと笑った。
「そうなんですけどね」アルバートもいまはそう思う。
しかし、当時のディレンツァはいまより固い殻をまとっていたように思えてならない。
それでも春さきの砂漠で砂塵にまかれて道順や方角を見失ったとき、大型動物の遺骸をめじるしにすすむ知恵であったり、夜の星の配置で居場所を特定する詮術であったりを助言してくれたとき、驚くほど無表情で人間ぎらいの影をたたえた瞳の奥に、とても冷静で頼りがいのある光をみることができた。
そのときようやくアルバートは、ディレンツァが不機嫌でも不服でもなく、ただ無愛想なだけだということを学んだのだった。
そしてそう悟るやいなや、ディレンツァの気難しさは魅力とも考えられるようになった。
過剰に気遣われたり、おもねりの態度をとられると、アルバートはへんに萎縮してしまうところがあったので、とても自然な配慮だといえたのである。
山岳部や大森林を通過するさいに、ことあるごとに遭遇したことで、鳥に興味をもった。
色合いもさまざまなら、体長も体型も性質も、習性にいたるまで多種多様だった。
おなじようでいて哺乳類や爬虫類、昆虫などとは印象がちがった。
いちばんの魅力は鳴き声かもしれない。
「バードウォッチングは趣味と呼べますね。ずっと観察してても飽きないです。おなじ鳥でもいろんな声で鳴くし、ときどき驚くような鳴きかたをするんですよ」
アルバートが嬉々として語ると、コパンは「ふーむ」と腕をくんだ。衣装のそでぐちについた糸玉かざりがゆれる。
「それも詩的な意味じゃないんだよね?」
「え?」
「窮屈な外交のさなか、自由な鳥たちに憧憬をいだいたとか、そんなふうな」
「あはは、ちがいますね」
「政治的な局面では、鳥のように自由に歌うことはできなかったとか」
「そんな深みはないですよ」
手を横に小刻みにふりながら否定するアルバートに、コパンは鼻の下をのばす。
無表情なような、それでいて多弁のような顔つきで謎めいていた。
「――王子はやっぱり忘れてしまっていることが多いんだと思うなぁ」
しばらく沈黙したのち、肺にたまった息をはきだすようにそうつぶやいた。
アルバートは半笑いをうかべる。
「まぁ、でも、そうやって外遊をするようになって、それから去年だったかな、初めて王都をおとずれたんだよね?」
「え? あ、はい――」
運命といえばそうなのかもしれないが、王都訪問はアルバートにとっては転機となった。
もともと沙漠の国にとっても軽視できない行事だったことはいうまでもない。
それは建国100年祭の予行祭への参加だった。
正式な招請状もあったが、属国としては当然ながら出席する義務があった。
レヴァス四世からはディレンツァ経由で代理出席の委任をうけ、理由はそういった枢要な役をそろそろ担ってもいいのではないかということだったが、諸国の参加者がジェラルドやフィオナだったことをかんがみると、各国首脳のあいだでそういった世代交代を見据えたとりきめがあったのかもしれないと、アルバートはいまにして思う。
アルバートは憂鬱にさいなまれた。
もともと苦手だった公務に、いつも以上に失敗はゆるされないというプレッシャーがかかってきたため、旅立ちをまえに頬がこける想いだった。
もっとも、セラ王妃は「いつものことだ」とたいして気にかけていないそぶりだったとディレンツァからは聞いた。
旅路において、アルバートの脳内では「太陽の都」と称される王都のイメージはどんどんふくらんでいった。
闇のなかにうかびあがる、凶悪で残忍で、するどい牙をもち、わずかな油断も見逃さない目つきをした魔物のような存在として――。
王都で出逢う人々だって、全員が洗練されていて、だからこそ腹黒いところや残酷な一面もあり、自分とは合わないにちがいない。そんなふうに恐怖した。
「――それこそお父さまの発言の最たるものだね。疑心暗鬼のきわみ」コパンは笑うものの、「まぁ、そりゃ王都には鬼や悪魔もいるかもしれないけどね。人口が多いってきっとそういうことだし、優秀さと誠実さは確かに比例しないもの」とうなずく。
アルバートはのどを鳴らす。
「でも、こわがるのはいいことだと思うよ。そのほうが生き残れるからね」コパンは目をまるくする。「それにプレッシャーを感じるのだって、うまくやりたいってことだからさ。どうでもいいやって思ってないだけなんだし」
アルバートはもじもじする。
「不安に感じるのはまじめな証拠。まじめなのはいいことだよ。だから、不安なのはいいことなんだ」コパンはにんまりする。
アルバートがその三段論法について考えていると、コパンはウププと口に手をあてて笑う。
「でも、アルバート王子はたしかに緊張しすぎだったね。じつは予行祭にも、もちろん本番にもだけど、ぼくだって参加していたんだよ」
「え?」アルバートは露骨に驚く。
こんなど派手な身なりをした人物さえ記憶に残らないぐらい緊張していたのだろうか。
「うふふ、みえてもみえないものってあるんだよねぇ――」
王都に到着し、枢機院で手続きをすませ、王都関係者らにあいさつをし、そのどれもがディレンツァ主導でおこなわれたこともあって、アルバートはへらへらと笑っているだけで済んでしまった。
礼儀作法は心得ているつもりだったが、あまりにも形式的すぎてアルバートの対応はいつも後手になってしまったため、ディレンツァがフォローしてくれたのである。
じっさい、アルバートが平穏に会話をできる相手は、王侯貴族や要人貴賓よりも、温和な一般市民や老人、子どもたちにかぎられていたりする。
その点、ディレンツァはもともと寡黙な性質であることが幸いして、折衝術もたくみだった。
諸国の文化に通暁しているうえ、無駄口をきかないわりには相槌も的確だったし、ウィットに欠けるようでいて、ときどきトゲのある風刺的なユーモアを真顔で挿入した。
無表情な男が突然趣き深いことをいうので、多くの場合、相手は安堵感もあいまって、とても安心そうにほほえんだ。それは共感につながるようだった。
ディレンツァをみていて学んだことはやはり、沈黙は金ということだろうか。
アルバートをはじめ多くの人は、あまり多弁であることが効果的に機能しない。
コパンのような毒舌家が定着している人物であればまだましかもしれないが、辛らつな発言が親密感をもつには才能のようなものが必要らしい。
能弁を自負する貴族が失言して、それが悪い噂になるような事案を、アルバートは何度も耳にしたことがある。
「それはほめすぎだねぇ」コパンはくすくす笑う。「ぼくの場合は、ぼくがあまりにも取るに足らない存在だから、みんなさして気にしないだけさ」
「まさか」アルバートはにっこりする。「才能ですよ」
「王子だけだねぇ、そんなこと言ってくれるのは。だいたいの人は、ぼくのうしろにいる王さまのことを意識してるんだと思うけどな」
コパンはあごをつきだして口をつぐむ。
なぜか少し威厳のある顔つきにみえた。
――国王陛下に謁見したことはなかったし、今般招請された機会に接触もないのだから、今後もそういう機会はないのかもしれないけれど、アルバートの性格をふまえたうえでコパンを仲介役にしたのだろうから、結局は思いやりのある人なのだろう。
予行祭のときだって建国記念に関する行事だったにもかかわらず、マルサリス三世について思慮する余裕がまったくなかった。
いま思うと不敬な話でもあるが、アルバートは枢機院の祭礼担当者の説明を記憶したり、来賓たちを把握しようと努めることで必死だったのである。じっさいジェラルドやフィオナのことだって、そのときは完全には憶えられなかった。
ジェラルドやフィオナがそんなレベルで悩んでいたわけないのだろうから、アルバートが世慣れていないのが問題だったにちがいない。
式典の段どりだってそこまで複雑なわけでもない。
予行祭は本番をなぞるというよりも、当事者の顔あわせといった意図が大きかったのではないだろうか。
わずか一年まえのことなのだが、遠い昔のことのように思える。
時間の流れがゆがんでいるかのような違和感だった。
「その予行祭を終えてからも、しばらくは王都にいたんだよね」
コパンが突然、会話をすすめた。
神妙な顔で沈思しているアルバートの脳裏を察したのか、あるいは単純に会談を進捗させたいだけなのかはわからない。
「はい、年内は王都周辺の街や施設、市場や農場なんかを巡回してました。記念祭の連絡事項なんかで枢機院からお呼びがかかるかもしれないってことだったんで、あまり遠方にはいかないで、王都の産業を中心に果樹園農業や運河流通のしくみを視察させてもらいました。
年末から年始は歌劇場を案内してもらったり、音楽会に招待してもらったりもしましたね。
ディレンツァもいっしょだったんで、なんの不自由もなかったですし、みなさん親切で助かりました。王都にはもっと冷たいっていうか、シビアなイメージをもってたんですけど、だいぶ印象が変わりましたよ」
「コンプレックスっていうのはおおむね誤解であったり、ただの認識のちがいにもとづく幻覚なんだ」とコパンはうなずく。
そして、草花の芽がでて、春の気配がしてきた頃、ようやく帰途につくことになった。
暖冬だったから、王都における活動が過酷だった思い出はなく、少し名残り惜しい気さえしていた。
森林組合が管轄する林業現場を視察したいという希望もあったが、時期的にかなわなかった。
木材の伐採コストや資源の生産活用、伐採後の植林作業にももちろん興味があったけれど、じっさいは森にいる鳥たちを観察したいという側面も大きかった。
またつぎの機会もあるだろう、アルバートはそんなふうに暢気に考えたりした。
つぎに王都をおとずれたとき、そんな悠長な公務などしている場合ではなくなっているなんて夢にも思わなかったのである。
西まわりに〈ひざまずく者の山〉に入り、一部火の国を経由し、点在する集落や村落に顔をだしながら帰途についた。
行路はところどころ雪もとけ、河やみずうみは澄みわたり、森も眠りから醒めてきている様子だった。
道すがら鹿の群れやイノシシをはじめ、冬眠あけのヒグマもみかけたりした。休憩中、森林性の野鳥――オオルリやキビタキ、ハイタカなども確認することができた。
険峻な山道だったが、三カ国間(王都、火の国、沙漠の国)によって整備されていることもあり、朝もやにうかびあがる巨大人影や、川べりで悲恋物語をうたう水の精、満月の夜の首なし騎士の出現など、とまどうこともあったが、そこが〈ひざまずく者の山〉であることをかんがみれば、大過なくやりすごせたといえる。
より厄介な盗賊や蛮族、たちのわるい死霊たちといった脅威と鉢合わせせずにすんだのは大きい。
山道の整備には〈魔導院〉の魔法使いたちも一役を買っているらしい。
いわゆる一時帰国で、盛夏には王都にふたたび参上しなければならないけれど、それでも国境をこえて沙漠に国に入ると少しほっとした。
帰ったところでなにが待っているだけでもないのだが、それでも胸がやすらいだのである。
「待っているものなら、たくさんあるじゃない」コパンはムフーと息をはく。
「そうですかね」
「まぁ、ふるさとがあるのはいいことだよね。遠くにいてなつかしさにとらわれて、せつなさをかみころしたり、哀しい詩を詠んで、もうもどれないむなしさをひしひしと感じてみたりするよりも」
「なんだか実体験みたいですね?」
「まぁ、こんなぼくでも、まくらのひとつも濡らしたりするのかもしれない」
コパンは目を細めて鼻の穴をひろげる。おどけているようにもみえるし、ほんとうに哀しがっているようにもみえる。
アルバートが気遣いの言葉でもかけようか迷っていると、コパンはくるりと横回転して陽気におどける。
「涙マークをつけて湿っぽい話をすると、ただのピエロになっちゃうからやめよう!」
「……はぁ」一瞬心配したのがばからしくなる変わり身だった。
しかし、コパンはすぐに真顔にもどる。そして、ひとさし指を口もとにそえる。
「でもアルバート王子。ここからが本番だよね。ぼくがいま王子と対面しているのだって、それが理由なんだから!」
まったく道化恐怖症にでもなってしまいそうなくらい本心がみえない。
まるで急流を岩塊にぶつかりながら流されているみたいだった。
しかし、コパンに指摘されるまでもなく、アルバートの人生はそこで激変したといえる。
長い旅を経て帰途についた夜に、沙漠の国は〈鹿の角団〉による襲撃をうけたのだから――。




