28 魔法のような瞬間
広場で体験した光と音のエンターテイメントは派手やかで、それらのあざやかな明滅を照りかえしてかがやくフリーダの瞳も印象深く、もしかしたらずっと忘れないできごとになるかもしれないとパティは思った。
そのぐらい建国100年祭は、だれの目にもひとつの栄光として映っていたのである。
音楽にあわせて歌い踊っている大人たちの生命力あふれる解放感だけでなく、道端に坐りこんでウィスキーの瓶に口をつけている老人でさえ、いつもとはちがう活力に充ちた雰囲気につつまれていた。
祝福のため、商売のため、出逢いのため、それ以外のさまざまな理由のために集まった市民や旅人たちは、膨大な数となり、王都は不規則にうごめく巨大な夜のかたまりのようになった。
かんしゃく玉の保管役だったセルウェイやストックデイルは処分保留になっているのだそうで、その理由は「あまりにも大失態すぎるせい」だとか「堅固な施錠が解かれてしまったのだからしかたがないのだ」とか、偶然遭遇した院生のあいだではいろいろ噂されていた。
パティもフリーダもその夜、二人には合流できなかったので詳細は聞けなかったが、どちらかといえば後者の判断のほうが適切な気がするので、あまり気にしていなかった。
セルウェイとストックデイルは管理係ではあったが、厳密にいえばつきっきりで監視していなければならないのではなく、定期的に点検しなければならなかっただけなのだ。
「だれがやったのかしらないけど、まったく夢にも思わないってこういうことだよ……」
「酔狂なのかわからんけど、勘弁してほしいぜ――」
じっさい、後日逢ったとき、意気消沈した少年たちは、そっくりのやつれた顔つきでぼやき、パティは思わず笑ってしまった。
よって、その時点でパティはかんしゃく玉盗難事件についてはそこまで思いだしたりしなかった。
きらきらとした王都の夜は、刹那的であるがゆえに魅力的で、解放感に充ちていた。
パティは、竜みたいに火をふく芸人や手回しオルガンで伴奏をつけながらしゃがれ声で歌う老人、玉乗りしながら拍子はずれのクラリネットを吹くピエロ、地響きのようなドラムに合わせて焚かれた炎のまわりを踊る半裸の女性ダンサーたちなどを横目に、フリーダとともに露店をのぞきこんでは買い食いをしたり、雑貨を買ったりした。
昼間のシャトレ特製ハーブティーと、ひと悶着後のフリーダからもらった木苺のジュースしか飲んでいなかったこともあり、すぐにのどが渇き、パティはどこにいっても飲みものばっかり買っていた。
沙漠の国の名産品だというオレンジラッシーや、火の国原産のパイナップルと冷やしたココナッツミルクをまぜたシェイクといった変わりだねにも手をつけた。
「あんまり水分ばっかりとってると、おなかこわすわよ?」フリーダが笑う。
パティはみずからの下腹部のぽにょぽにょ具合を確認する。「いくら飲んでもすぐにのどが渇くのよね。たまってる感じはするんだけど」
「大人たちはお酒を延々と飲んでるけど、あれはべつ腹なのかしら?」フリーダは路傍の飲んだくれをみつめる。
「私に訊かれてもわからないけど――」パティは目を細める。「ていうか、私に忠告するまえに、フリーダは食べすぎじゃない? 肥るよ!」
フリーダは(将来自分でもつ予定の店の)メニューの研究と称して、最初のメープルシロップパンのあと、きつめの香草が効いた細麺料理、燻製ニシンのクロワッサンサンド、ボイルエビの薄皮巻き、バーベキューポークを経て、口直しとしてエッグタルトをつまんでいるところだった。
「探求には犠牲がつきものよ」フリーダが真顔で応えるので、パティは笑ってしまう。
「探求なの? どうだかぁ?」
「あら、水の国産メープルシロップは例年より甘めだし、離島の麺料理の香草は本土にはないハーブだったし、内海のニシンや外海のエビは豊漁みたいだし、デュロック種のぶたはやっぱりおいしいのよ!」
フリーダはにっこりしながら、親指とひとさし指でつまんだエッグタルトの残りを一気に口に放りこむ。
〈魔導院〉の先生がみたら怒りそうなマナーのわるさである。
「すごーい! 一瞬ほんとに専門家っぽく聞こえる!?」パティが大笑いすると、身体のゆれにびっくりしたのか右肩で寝ていた小ザルがずり落ちてきた。「でも、後半がなんか適当!」
「ばれたか」フリーダが降参して、二人は笑い合う。
すると、パティの肩から地面に降りたモカが直立する。
モカにはさきほど雑貨屋で、ペット用衣服として販売されていたオレンジ色のベスト(なぜか得意げなカエルのパッチワークつき)を買ってあげた。
いざ着てみると茶色と白の体毛に映えており、パティとフリーダが誉めると小ザルはまんざらでもなさそうだった。暑いからすぐ脱いでしまったけれど。
モカの全身の体毛が周囲のあかりで光沢を放ち、まるで浮かびあがっているようにみえる。
「どうしたの?」
パティが訊ねると、モカはすたすた歩きだす。
「あれ、なんかあったのかな?」フリーダも頚をかしげる。
モカとどこかにでかけると、だいたいこんなふうになる。
「追いかけなきゃ――」フリーダがせかしてきたので、パティはうなずく。「いつも突然なの」
「でも、動物なんだからそれってふつうじゃない? わざわざ教えてはくれないわよね」人ごみのなかをてくてく歩いていく小ザルを追いかけながらフリーダが笑う。
「悪気がないのはわかるんだけど――」
そして、まえもそうだったように、やはり今回もモカのゆくさきには人がいた。
小ザルがたちどまると、それに気づいた背の高い男性がふりかえってくる。
目つきのするどい男性だったが敵意は感じられず、ふしぎそうに突然現れた珍客を見おろしている。
すると、男性の連れらしい噴水のへりに坐っている女性がパティをみてきたため、目が合った。
「あれ!」「あなたは!?」
パティと女性は同時に叫んでしまった。
フリーダと背の高い男性はそれぞれの相方をみる。
そのとき、なぜそれぞれが影、もしくはおぼろげな残像としてしか邂逅しなかったのに、相手を直感で確信できたのかパティにはわからない。
ただ、長いあいだ文通をしていた面識のない相手のことを一瞬で理解するような、あるいは、何十年も離別していた友人と再会してすぐにその長い歳月がちぢまったような、人生における魔法のような瞬間がおとずれたのだった。
瞳かもしれない。
パティはあとあとそう考えた。
時間や距離や面識といった多くのへだたりを一気にとびこえた要因はそれだったのではないか――。
女性は噴水のへりから跳びおり、タタタと小走りでパティのまえまでくる。
パティは女性の接近を見守り、その瞳をじっとみつめる。
パティの視線に照れたのか、女性ははにかみ、それでもそれをかくすように髪をいじり、目を細めた。
「あなたね、あのときの人」
「はい」パティはうなずいた。なんだか照れくさかった。
背の高い男性は無表情のまま二人をみつめ、両者を交互にみていたモカはキキと鳴いた。
「ねぇ、知ってる人なの?」フリーダはパティの横にくる。
パティは返事に窮した。
「私はルイ。沙漠の国の生き残りっていえば、有名かしらね」しかし、女性がすぐにあいだに入ってきた。「私はあなたに助けられたのよね? 人魚の世界にいるとき」
「えっと――」助けたのかどうかはわからない。パティはこまった。
「なるほど、こないだの任務の関係者ってことね」フリーダは勝手に納得した。「この娘がお世話になりました」
そして、パティのあたまをおさえていっしょにあたまをさげる。
「いやいや、きっと私がお世話になったんだわ。ねぇ?」
ルイは手をふりながらあわてる。
そのさまをみてパティは、強気をよそおっているけどじつはおだやかな人にちがいないと思った。
その後、パティたちも自己紹介し、しばらく立ち話をしたのち、四人(と一匹)は手近な喫茶店に入り、飲食をともにしながら語り合った。
とくべつなことを話したわけではないが、友だちというよりは近親者と談話するみたいに接することができた。
内海や人魚のことにはあまりふれなかったけれど、パティたちの〈魔導院〉での役割をおもしろおかしく話せたし、(当人はあまり関心がなさそうだったが)ディレンツァがパティたちの先輩だと知って驚いたし、なにより沙漠の国の波乱の夜について、かいつまんで教えてもらうことができた。
戦火に巻かれた城郭都の情報は断片的につたえられていたし、〈魔導院〉内でもマイニエリ師を中心に対策検討会議がよく開かれていた。
セルウェイやストックデイルもひんぱんにネタを仕入れ、話題として提供してきた。
〈鹿の角団〉が諸悪の根源であることは論をまたないが、首謀者が一人であることや、盗賊団内でも賛否が分かれているなど、風の噂にしてはずいぶん骨格のしっかりした情報が多かった。
「――理由があると思うんだよ。主犯のハーマンシュタインはなかなかキレ者らしいし」セルウェイがみずからのこめかみをつつく。「〈伝説の宝石〉だけではかたづけられない理由が」
「どうだかな、まるで知性が感じられない。案外、理由づけなんかどうでもいいケースかもしれないぜ」
ストックデイルが鼻をならしたので、セルウェイがにらむ。
「ハーマンシュタインはもともと〈魔導院〉にも所属していた人物だぞ?」
「どっちみち関係ないさ。無知でも魔法は使えるし、ばかでも魔法にかかるからな」
ストックデイルがにやにやすると、セルウェイがむっとする。
「でも理由があろうが、知性がなかろうが、残虐なことはやめてもらいたいわ。世界は安眠できるところであってほしい」
フリーダがおかしなぼやきかたをしたので、パティは噴きだした――。
「――なんていうか壮絶ですね。私だったら堪えられないかも」
フリーダがルイたちをみて真摯なトーンで感想を述べたため、思いだし笑いをしそうになっていたパティは思わず背筋をのばす。モカは右肩でまるまって寝ているようだ。
「そうね、思いかえすと夢みたいよ、私たちですらね。とくにアルバート王子はあまり気丈ではないから、なかなかたいへんだったわ」
ルイが頬づえをついてため息をつくと、となりのディレンツァは目をふせて麦酒のジョッキをあおった。
パティは想像してみたものの、紛争や戦争の経験がないせいか漠然とした印象だった。
暗雲がたちこめた遠くの西の空をみつめているみたいで、あまりうまく言葉にならない。
「〈伝説の宝石〉ねぇ……ぜんぶ集めると夢が叶うねぇ……」フリーダがつぶやく。いかにも懐疑的だが、それが自然かもしれない。「私だったら夢が叶う努力をするほうを選ぶわ」
「健全ね」ルイがほほえむ。「そのほうがいいわ」
パティもうなずく。「そもそも実現しないかもしれないものだから夢なんだと思います」
「大健全だわ」ルイは両目を大きくする。「貪欲は身をほろぼす。〈魔導院〉の未来はあかるいわね」
そして、にこにこしながらディレンツァをみたが、ディレンツァは目を細めただけだった。
「でもまぁ、私たちもその夢物語にあやかろうとしてるんだから、おなじようなものなのよね、結局のところ――」ルイは果実酒をぐびりと飲む。「正気じゃないわよね」
そして、むふふと笑った。少し酔っているようだ。
パティにとっては、その「正気ではない」という見解のほうが賛同できた。
元〈魔導院〉の人物でいかに優秀な人材であったとしても心が病んでしまうことはあるだろう。
精神的な負担は、人それぞれ受けとりかたがちがう。〈魔導院〉にだってなじめないで辞めていく卵はそれなりにいる。
だから〈伝説の宝石〉事件にしても、むしろ「首謀者は狂気に駆られてしまった」と説明されるほうが納得できるところもある。
「でも狂ってるんだとしても、それってまわりからみてすぐわかるかどうかはあやしいですよね」
フリーダがカマンベールチーズのクラッカーをつまみながらルイをみる。
どうやら似たようなことを考えていたらしい。
「そう。冷静かどうかだって、まわりからはわかりにくいものね」ルイがうなずく。
しばらく全員が思い思いに思考をかさねた。店内も店外もがやがや混みあっていたので、沈黙もまったく苦にならなかった。
パティはぼんやりと思いめぐらせていただけだが、ふとなにかを悟ったような気もした。それでもそれを言葉にすることは難しかった。気持ちや想いは容易に言葉に連結できない。
「――そういえば、王都にも宝石のかけらはあるのよね」すると、ルイがつぶやいた。
「宝物庫だな」パティたちよりさきにディレンツァが答える。
「〈光芒〉って名まえだったかしら」
フリーダが受けるものの、パティは詳しくないので参加をためらったが、それでも園外授業をしているとき宝物庫を遠くから観察したことがあるのでつづくことにした。
「宝物庫って、建国時は宝物殿って名称だったらしいから、なんていうかもっときらびやかな想像をしていたんですけど、初めてみたときはびっくりでした。なんていうか、シュールな感じ?」
「そうそう、宝物殿とかいわれると大きな宝箱ってイメージよね、ふつうは」フリーダがうなずく。
「ちがうの?」ルイが関心をもったらしく、身をのりだす。「そもそも私はお城のどこかにあるのかと思ってたわ」
「城にはない。やや特殊な独立した建築物だ」ディレンツァが淡々と話すと、「なんていうか異様なんですよ、高い壁にかこまれているせいもあって」とフリーダがつづいた。
「高い壁?」ルイがおうむがえしをすると、「防護壁というそうですけど、無機質で、なんだかみてるだけで落ち着かなくなるような壁なんです」とパティは両手を組む。
「そういえば、〈月の城〉にもそんな要素があったけれど……」ルイは考えこむ。「貴重なお宝がいっぱいだから、厳重に守ってるってわけね?」
「歴史上、何度も盗賊が侵入をくりかえしたせいでそうなったって教わりました」とフリーダがうなずく。「枢機院に防護を担当する部署がもうけられているし、日夜、騎士団派遣の哨戒兵に警備されているだけじゃなくて、施設構造もとくべつだし、〈魔導院〉の関係者たちによる封印の魔法もかけられていたりするって」
「へぇ、そこまでしなきゃいけなかったんだ」ルイは目を見張る。
「保管物の詳細は公表されていない。しかし、未公表ゆえに盗賊たちの気をひいてしまったところがある」ディレンツァが目を細める。
「想像がふくらんじゃったわけね」ルイはほくそ笑む。「未知の洞窟には秘宝が眠るの理論だわ」
「あはは、なにその理論」フリーダが笑う。
パティはひっこみ思案が顔をだし、微笑にとどまる。
「冒険心ってのは、草原に吹く風とおなじで、抑えられないものなのよ」ルイは胸に手をあてる。
「おかげで捕縛されて無期禁固刑で投獄されている罪人が山ほどいる」ディレンツァが瞑想するみたいに目を閉じた。
三人を笑わせたいのかもしれない。
しかしその瞬間――窓のそとからめまぐるしいほどの閃光と、雷鳴のような轟きがおしよせてきたため、店内が悲鳴につつまれたのだった――。




