26 まじりっけなしの王座
馬車が走り去ってしまうと、沿道のポプラ並木も葉ずれひとつたてないほど静かだったので、アルバートは目前に王宮があるにもかかわらず、動揺してあちこちきょろきょろした。
それから走ってきた一本の客土路をふりかえり、そのわきにしかれた玉砂利、そのさらに外側の(雑草一本はえていない)色とりどりの花壇と、延々と植えられたポプラをみた。
その後ゆっくりと視線をまえにもどし、布積みの石階段をみる。
目線は階段を下から一段ずつあがっていき、最後にドーム状のこざっぱりした王宮をとらえる。
アーチ造りの(わりと地味な)扉は開け放たれ、入口はぽっかりと開いた洞穴のようだった。
立地的には城の奥に配置された宮殿だったが、その距離感覚がふつうでなく、敷地があまりに広いため、アルバートは面食らっていた。
夕日はほとんど沈んで、空はうす闇につつまれており、アルバートは少しおびえた。
自分以外のすべての人が絶滅してしまった世界にたたずんでいるような心細さを味わい、みずからの腕をかかえる。
昼の熱気が残っているはずなのに、寒気さえおぼえてくる。
専用宿舎のまえでルイやディレンツァと別れてから、それほど長いあいだ馬車にゆられていたわけではないと思っているが、途中あまりものを考えないでいたため、時間がどれほど経ったのかがよくわからない。
ただそのおかげで、馬車酔いせずに済んだ。
やはりルイはともかく、ディレンツァにはついてきてほしかった。
一人でいると不安がまさってくる。しかし、招聘はアルバートにしかかからなかったのでしかたがないのだろう。
童話の登場人物のような馭者は、アルバートがのそのそとキャビンから降りるさまを満面の笑み(に似た)表情で見守ると、王宮をさし示し、「そのまままっすぐ進んでいただければ国王陛下がお待ちです」と教えてくれた。
アルバートが「ありがとうございます」と応えると、馭者は「ごゆっくりお過ごしください」とおじぎをした。
その後、白馬、黒馬、葦毛馬二頭がつぎつぎに鼻息をもらすと、馬車は規定の動きをこなすようにして走り去っていった。
アルバートはぼんやりと王宮をながめ、しばらく階段に足をかけるのをためらった。
しかしすぐ、「なに入口まできてぼさっとしてるのよ」とルイがうしろからがみがみ叱ってくる妄想があたまをよぎり、しかたなくゆるゆる昇りはじめた。
「まったく、どうしてそんなに自信がないの?」――なんだかルイがついてきて、そう息巻いているような気がして、アルバートは半笑いになる。
とまどっているアルバートがおかしいといえばおかしいのである。
ルイも話していたとおり、亡命よりもまず宝石のかけら集めにおける協力を仰ぐために王都まできたのだから、これは好都合だと思わなければいけないだろう。
なんだかあたまが混乱する。簡単な計算さえできなくなっているような困惑である。
王宮内部に入ると、まっすぐの長い廊下がつづいていた。
予想どおり、国王もいなければつきあたりさえみえない。
床の大理石はつややかで、ふしぎな幾何学模様が描かれ、定期的に設置された蜀台のあかりがぼんやりと浮かびあがっていた。
雰囲気だけは〈はずれの港町〉の地下空間に似ている。
じっとみつめていると、白いけむりをまとった魔神でも現れそうだった。
アルバートは馭者に示されたとおり直線的に歩きながら、なるべくおびえないため余計なことは考えないようつとめたが、あまりにも長い廊下だったため、知らないうちにいままでの苦い経験や失敗、ルイの怒り顔なんかを思い浮かべてしまい、やがて現実逃避がまぼろしを生み、最終的にはけむりをまとった魔神さえ目前にいる気がしてきた。
暗いところにいると不安は肥大化し、そのあまりにも大きな手によって、アルバートの貧弱な魂は、あっという間にひねりつぶされてしまうのだ。
やがてアルバートは、沙漠の国の夜を思いだす――〈鹿の角団〉の侵略をうけて、多くの命がうばわれた夜のことである。
――ふと、視界が光った。
アルバートが顔をあげると、周囲がまるで白日のもとにさらされたかのように明るくなっていた。
そして、原色の布がパズルのように組み合わされたカラフルな色彩の壁に、王都の徽章や従属国の旗織が飾られている。
足もとは銀糸や多色の糸が織りこまれた厚い赤い絨毯が敷かれていて、そのさきに王座があった。
王座は木製のわりと質素なもので装飾品などもついていない。
お世辞にも坐りごこちがよさそうにはみえない椅子で、しかも国王にはまるでみえない人物がちょこんと腰かけていた。
深緑色のタイツに紅白まだらの奇抜な外套をまとい、王冠を逆さにしたような黄土色のパンツを履いている。
球房状の飾りのついた二股とんがり帽子をかぶっており、片方が暗黒色から深紫色のグラデーションで、もう一方が橙色からまっしろへのグラデーションだった。
鼻に赤いポンポンがついているうえ、顔には白塗りのメイクがほどこされ、笑顔にみえるように口紅がひかれている。
王座にいるのでわかりづらいが背は低く、手足もみじかそうだった。
さきがとんがってヘビのように巻かれている靴は絨毯にとどかず、両脚を塀に腰かける子どものようにぷらぷらさせている。じっさい、子どもなのかもしれない。
「だれ……?」
アルバートが思わずこぼすと、小男は表情ひとつ変えずくすくす笑う。
あるいは笑っているようにみえるのでくすくす声をあげたように錯覚しただけなのかもしれず、アルバートは混乱する。
「失礼な王子じゃな、わしは国王マルサリス三世であるぞ」小男は王座のうえにすっとたちあがる。「頭が高ぁい!」
声音が年輩者のそれだったので、アルバートは思わずひざを折る。
あたふたとしながら、ひれ伏したほうがいいのか迷っていると、小男は身体をよじらせて笑う。
「ごめん、悪かったよ。純朴な人にうそをつくのは胸が痛むなぁ」
小男の声が子どもみたいに高くなったので、アルバートはびっくりして顔をあげる。
「あ、あの――?」
「とりあえず、こっちへおいでよ、アルバート王子」
小男が手まねきしたので、アルバートはひきよせられるように歩く。今度は迷うひまもなかった。
「純朴なうえに従順だねぇ。まぁ、おなじ意味かな」小男は王座をぺしぺしたたきながら、「ここに坐りなよ、せっかくだから」とうながす。「ほら、いたずらとかじゃないから」
アルバートは露骨にためらう。
「これはれっきとした正真正銘ほんものの、まじりっけなしの王座だから、気にしないで坐るといいよ、きみも今日から王さまだ!」
小男は親指をたてる。
アルバートは飾りけがまるでなく、どちらかといえば地味な木製の椅子をじっとみつめる。
そもそも国王陛下に面識がないぐらいなのだから王座がほんものかどうかなど知るよしもない。
質素な木材の椅子が王座だというのは説得力にとぼしいのだが、アルバートのあたまは混乱していたため、うまく反応できずにいた。
すると、小男はそよ風のように自然にアルバートのうしろにまわりこんで、ひざうらを蹴ってきたので、アルバートはふらりとよろけて王座にたおれこみ、体勢を起こそうとしたところで、さらに小男にバーンと両手で押されたため、ごく自然に坐ってしまった。
「わぁ、ごめんなさい!」アルバートが叫ぶと、「どうだい、調和という言葉がぴったりでしょう?」と小男が得意げな顔をする。
アルバートはだいぶとりみだしたものの、確かに身体のおさまりがいいことを実感する。
それが顔にでたのか、小男はウヒウヒと笑った。
「それは世界でいちばん高い樹の枝で造られた椅子なんだ」
「世界でいちばん……? それって」
「そう、ぼくが知ってるだけでも20の呼び名をもつ世界の中心にある樹のことね。アルバート王子が子どもの頃はなんて聞いたかな?」
「世界樹だ……」アルバートは驚く。
歴史書や創作物でしか読んだり聞いたりしたことがない、この世界を構成しているという樹木のことである。
「〈魔導院〉ではときわ木だし、詩人は架空の樹とか書いたりするし、童話では天までとどく木だし、文学者は深く根ざす樹とか呼ぶし、女神信仰者は慈悲の樹だし、国王陛下は均衡の樹だし、古文書では悪魔の樹だったり世界でいちばん高い樹だったり、まぁいろいろだよね。みたことある人なんて、まずいないんだけど」
小男はケタケタ笑う。
「それに、みたことあっても、それが本物かどうかだれもわからない場合、それは本物っていえると思う? ――ていうか、話がそれたね。あれ、いや、それてもないのかな? まぁいいや。とりあえず、ようこそ王宮へ――」
小男は片目を大きくし、決め顔をつくったのち、くるりと回転してからおじぎをする。
文字どおりに主客転倒が起きたみたいで、アルバートはなぜか王座で胸をはってしまった。
顔をあげた小男はその様子をみて、にんまり笑う。
「かたちから入るのはいいことだよね、いかにアルバート王子であっても、そうやっていれば威厳もつくかもしれない。パートナーの女の子にどやされなくて済む」
アルバートは王座で緊張する。
しかし、国王の関係者なのだから沙漠の国やアルバートたちに精通していてもなんらふしぎではないと気づく。
「あの、あなたはいったい――?」
「え、いまさら? アルバート王子は噂以上だね。ぼくはコパン、宮廷道化師のコパン。それ以外にどうみえるのって話だけど? 今後ともよろしく――っていうか、午餐会のときにも逢ってるんだけど?」
コパンはまるで崖からころげ落ちそうになっている人のようなポーズをした。
雷にうたれた人にもみえる。お気に入りの決めポーズといったところだろうか。
「宮廷道化師……そういえばそんな話を聞いたような――」
国王陛下に召しかかえられた独立機関であり、接見の間でも円卓会議でもつねに自由な言動をゆるされている唯一の役職だとディレンツァから聞いたことがある。
議事の円滑化や進捗促進、不和の解消なんかもひそかに担う、それなりに重要な役割なのだという。
「そう、それだよ」アルバートの目つきから察したのか、コパンがにやりとする。「陛下はシャイだから、アルバート王子のおもてなし係は、ぼくってわけさ」
「はぁ」アルバートは王座でまのぬけた顔をする。
「いい調子だね、アルバート王子。本領発揮!」
両手を拡声器のようにしてコパンがおどける。
さすがにばかにされていることがわかるが、アルバートはさらに困惑する。ルイのそれとはまた種類のちがう口撃である。
「ちょっと毒舌がすぎちゃったかな、ごめんね王子。ときどき陛下にも叱られちゃうんだけど、それはこの世界があまりにも有毒だからそうなってしまうだけなのさ」
コパンは眉を八の字にする。
「あ、いや、だいじょうぶです。ちょっと驚いているだけなので。こちらこそうまく応えられず、もうしわけない」
アルバートはコパンの哀しい犬のような瞳をみて、ほんとうにすまないと思ってしまっていた。
「ぼくのこの無性に愛らしい赤鼻に誓っていうけど、ぼくの発言には悪意はないんだよ」
コパンは鼻についたポンポンをぴんぴんはじく。
「ええ、わかってますよ」アルバートは商人の顔をする。
わかってはいないかもしれないけれど、相手を怒らせたくないのでそうしてしまう習性である。
「みればわかると思うけど、ぼくは小人族。歴代、宮廷道化師は小人族の愉快な仲間たちから選出されることが定例でね。おもな理由は、そのかしこいばかさ加減」
コパンはにっこりする。
アルバートはうなずいていいか迷う。
「ぼくコパンの特色としては、即興喜劇なんかが得意で、たとえば俳優になってもよかったかなぁっていう感じ。ほら、顔もわるくないでしょ?」
メイクが濃すぎて顔立ちなどははっきりわからないが、「ああ、それはわかりますね」とアルバートはうなずく。
性質的にみょうに生意気なところがルイに似ているというのもある。愛嬌といえばそうかもしれない。
「細かい出自や年齢なんかは非公開なんだ、ゆるしてほしい」
コパンは得意げに両目を見開く。
「それは残念」
アルバートは答えながら、道化師に呑まれつつあるのを実感する。
しかし、招かれた側なのだからそれでいいのかもしれないと安易に考えた。
コパンはフフと微笑し、目を細める。
「さて、本題に入ろうかと思うんだけど、ぼくはアルバート王子の身の上話に興味があるんだ。きっと国王陛下もそれを望んでいるはずだよ。つらいことや悲しいことを思いださせてしまうかもしれないけれど、ここはひとつ語ってみてくれないかな。きっと、そのつらさや悲しみのぶんだけ、すっきりするはずだから――」
アルバートはコパンの目をみつめる。
とても慈愛にあふれた瞳で、一瞬だけやはりコパンが国王マルサリス三世なのではないかと疑ってしまった。
コパンは少年のようににこにこする。
やがてアルバートのなかでは、国王がどこにいるとか、そういう疑念はどうでもよくなった。
著名詩人の手による唱歌の歌詞にあるように、国王はきっと「どこにでもいる」のだろう――。




