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銀の風ファンタジア ~孤独な炎の生と死の幻想~  作者: 坂本悠
名まえを失くしたとわの国
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25 魔の舞踏(第三楽章)

 嵐の前兆のようにいったん風がやみ、不吉な余韻をはらんだ息を呑むような沈黙ののち、突如、派手なシンバルが鳴りひびき、第三楽章がはじまった――。


 そのとき、指揮者のギュスターヴは、まるで稲妻にうたれ、瀕死になり、神の慈悲にすがろうとしている哀れな罪人のように天に手をのばした。なにかをつかみかけたのかもしれない。


 となりに坐っている詩人アルフォンスが、まるでシンクロしたみたいにクッと息を呑んだ――。


 新設会場でのギュスターヴによる新交響曲初演も佳境にさしかかってきていた。

 

 牧師マイニエリがこの演目のために足をはこんだのは、べつだん興味や関心からではない。ひとことでいえば、かくれる場所をさがしていたようなものだった。


 手持ちぶさただが、〈魔導院〉や王宮、にぎわっている城下街をふらふらするつもりもなかったし、だれかに逢いたいわけでもない。

 どこかで時間をつぶせればそれでいい――それに近い感覚だった。

 

 胸さわぎはした。

 しかし、マイニエリが把握しているのは、ハーマンシュタインがなにかをしたいと望むとき、たとえマイニエリであっても、それに掣肘をくわえるのは難しいということだけだった――。

 

 雷鳴がごときシンバルが打たれ、反響のなかトランペットが断片的にみじかい序奏をみちびき、クラリネット、ホルン、大太鼓などにより多声的な主題がストレッタにうちだされ、主流のリズムに複数のリズムが組み合わされて曲は進行していく――その烈しさは、憤怒をこえた怨嗟や悪意を奏でているように感じられた。


 緊張感をまとって演奏速度はどんどんあがっていき――胸がはりさけんばかりの興奮と不安を聴衆にもたらしていた。


 マイニエリはまぶたを閉じる。

 そして隣席で集中を高めて指揮者の意図する交響曲の世界とまざりあおうとしている詩人が、そのまなうらでみている光景を共有しようとこころみた――。


 ――収穫のめぐみにこころ踊らせ、祝福につつまれていたちいさな王国をかきみだしたものは、真っ黒な軍馬の群れだった。

 せまい谷間にがけ崩れのような音をとどろかせ、外界から侵略のみを目的として来襲した悪魔の軍隊である。


 それは太古より超自然的存在、超越的存在として定義され、女神信仰教会においては悪魔長のもとに階級分けされた堕落の教理としての悪魔で、先頭の黒馬にまたがっているのは、両性具有で山羊のあたまと黒いつばさをもつ上級悪魔だった。


 軍馬たちの出現を呆然とみつめていた最初の民が、猛然とせまってきた一頭の軍馬にまたがった戦士の剣の一閃によって惨殺される。

 はねられた首が宙に舞い、かがり火のなかへととんでいった。鮮血のふきだした首のない死体が畑にころがる。


 馬群のひずめはその瞬間――聞こえなくなり、人々の息をのむ音だけがひびく。

 怒涛の殺戮に、収穫祭のなごやかな安堵感と、ときめきをはらんだ充足感がうばわれた。

 

 王国をとりかこむ森から鳥たちがいっせいにとびたち、家畜たちがあばれだす。

 子どもは泣き叫び、女たちは悲鳴をあげ、あちこちへ逃げまどった。

 男たちは愛する家族を守るため、手に武器をとってはかない抵抗をこころみる。


 それでも軍馬の戦士たちの剣や槍は、容赦なく男たちを惨殺していった。

 戦うことに慣れていない善良な人々は大地に無惨に散っていく――。

 

 死の舞踏のはじまりだった。

 

 やがて大広間の国王のもとへ傷だらけの男がたどりつく。

 男は国王が信頼を置く参謀の一人だった。

 左足をひきずり、右腕をおさえ、その背中には無数の矢が刺さっており、青ざめた顔とちいさな声にはもうちからがなかった。

 

 男は国王に悪魔の軍勢の出現と王国の惨状を報告し、しずかに息絶えた。

 国王はにわかに信じられなかったが、その血だまりを見、野外から聞こえてくる混乱に耳をすませ――最後にひとつの決心をする。


 国王は広間をあとにして自室へとひきあげる。

 影に追われているかのように、大股早足で歩いた。

 そして自室の奥にもうけられている宝物庫に入り、うしろ手でドアを閉める。


 野外の音が遮断された。無音になったことで、みずからの息が荒れていることがわかる――。

 

 そこには王国を象徴する品物がたくさん納められていた。

 国王は深呼吸をし、庫内をぐるりと見まわす。それほど長くない王国の歴史のなかで、騒動や事件、変化や改革の象徴となったものが飾られていたが、それらにまつわるひとつひとつのできごとを回想する時間も、感傷にひたっている余裕もない。


 国王は大きくため息をついた。

 そしてまっすぐといちばん奥にある長持ちへ向かった。

 そこには建国以来、最も強大なちからをもち、それゆえに危険な発明品があった。


 それは15センチほどの台座がついたしずく状の宝石だった。

 王国ではすでに語り草となっている発明家の手によるもので、発明家亡きいま、それがどういう過程で産みだされたものかはだれもしらない。


 国王は深呼吸したのち、長持ちを開け、両手でそれをもちあげ、紫色の保護布をとる。

 宝石の表面にみずからの疲労しきった顔がゆがんで映った。

 自分の顔がときどき、山羊顔の悪魔にかさなってみえて、その無機質な眼つきに背筋が凍る。

 

 古びた巨大な歯車がまわりだすように鼓動が高鳴ってくる。

 

 ほんとうにそれでいいのか――。

 

 宝石面に映る山羊顔の悪魔が、国王にむけて片目をつりあげてせまる。

 国王はつかのま、あたまをふって悪魔を遠くへ追いやる。

 

 宝石に秘められた能力について、国王は完全には把握していない。

 ただ、これを使うことで、悪魔の軍勢に苦しめられる民たちの苦痛や恐怖を解放できることはわかっていた。

 

 すべてを、無に還すのだ――。

 

 国王のこめかみから汗がしずくとなって流れた。


 ――詩人アルフォンスのなかで、ちいさな王国が滅亡に向かいだしたとき、指揮者ギュスターヴの楽団がみちびいた主題は、復活した竜王の足音のようにちからづよく、哀しき女神の運命のように皮肉めいていて、そしておびただしい悪魔の哄笑のように狂おしいものだった……。

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