20 高い空をとぶ鳥
「長旅ごくろうだったな――」
突然、背後から声がした。
低く重たい声だが、ずっと待ち望んでいたものでもある。
ザウターとティファナは勢いよくふりかえる。
うす闇に突如うまれた次元のはざまから身をのりだしてきたかのように、ハーマンシュタイン卿が現れた。
甲冑は身につけておらず、開襟シャツと麻のパンツすがたで、色つきレンズのめがねをかけていた。
まるで王都の若き事務官の休日といった装いで、ティファナはすぐにすりよって「さすが! 粋だね!」と絶賛した。
50歳をすぎているが実年齢よりずっと若くみえる。
年齢相応なのは瞳の雰囲気だけである。多くの経験をしたおだやかな、それでいて近寄りがたい、高い空をとぶ鳥のような瞳だった。
武器や甲冑といった装備は、大型のかばんのついた手車をひいているため、そこに収納されているのだろう。
「いつからそこにいらっしゃったのか、まったく気づきませんでした。修行が足りませんね」ザウターが目礼すると、「修行ぐらいで見破られるようじゃ、私もさきがない」と卿はうなずいた。
「みてみて、ザウターに新しい帽子を買ってもらったんだよ!」
ティファナが横でわめき、三角帽子の先端をわずらわしく左右にふったものの、卿は気にかけず目を細めてうなずく。
「よかったな」
「よかったよ!」ティファナがにんまりする。
「祝祭は年々大規模になってきている気がしますね」ザウターが感想をもらすと、卿は少しだけ表情をやわらげる。「今年は100年の区切りだから余計にな」ふしぎと慈愛の顔にみえる。
沙漠の国にて卿率いる隊からザウターとティファナだけが分離し、草原の国や内海を経てもどってくるまで、じつにさまざま経験をし、いろいろな疑問や感慨をもったので、卿と合流したら報告や相談をはじめ、可能なら問い合わせに努めようと思っていたのだが、こうやって顔を合わすとまるで言葉がでてこなかった。空から落ちてきた無数の羽毛がまったく手にとれないみたいに。
それを察したのか、卿はザウターをみて、一、二度うなずいた。それだけで労がねぎらわれたような気がして、ザウターはなんとなく身体が軽くなった。
そもそもザウターが報知しなくとも、卿は二人に起きたことは知悉しているにちがいない。あるいはザウターの心情などお見通しなのかもしれない。
「終日、祭りに参加してみたが、なかなかつかれた」卿は目を閉じる。
「楽しかったでしょう?」ティファナが目をぱっちり見開く。「あ、そうか、犬の散歩がてらうろついたんだね? いいなぁ」
卿は、よく気づいたな、とティファナのあたまをなでた。
ティファナは猫のようにのどを鳴らす。
ザウターは一瞬なんのことかわからなかったが、卿の「見た目」のことだとすぐに理解した。
手押し車が犬だったのだ。
「そうか、さきほど広場のほうにいた旅人が卿だったのですね」犬をしたがえていたので、ザウターの印象にも残っていた。「――ぼろを着て、犬をつれているようにみせかけていたと」
ザウターの指摘に、卿はうすくほほえむ。
「集団には盗人はじめ悪しき者も多い。諍いもごめんだが、なにより保安員たちに怪しまれてもこまりものだ。犬にみえたほうがいいだろう?
〈沙漠の花〉も〈湖面の蝶〉も、いま私がもっている。なるべく早く保管場所を決めたいところだ。肌身はなさずもっているのも手間でな。この宝石の性質上、なかなか目を離せないから考えものでもある。迷信なのだろうが」
「ほっとくと逃げちゃうんでしょ?」ティファナが訊ねる。「のら犬みたいに!」
「それは誇張なのだろうが、なかなかすべてのかけらがひとつにまとまらないことは確からしい。もう100年、そうなった歴史はない」
話の流れが〈伝説の宝石〉になったが、ザウターはなかなか質問しづらい。
宝石片収集に関しては疑問が尽きない。
その最たるものは、なぜ卿はそれを収集するのか――である。
ザウターの泳ぐ視線をべつの意味に解釈したのか、卿が語りだした。
「おまえたちをあの時機に〈月の城〉に送りこんだ理由はもうわかっているだろうが――」
「地球が月を食べちゃったから!」
ティファナが大きな声をだしたが、卿は気にせずつづける。
「そう、皆既月蝕だったからだ。偵察隊として派遣したフィリージョーが入手してくれた城主ベノワの手記のおかげで、〈荒城の月〉のありかは想像がついた。おしゃべりのティファナもいるし、行動を起こした以上あまり不特定多数の団員を信頼しないほうがいいので、その推察は話さなかったが……そもそも、指示以外に説明も不要だったろうがね――」
ティファナは「えー」と非難をもらしてむすっとしたが、ザウターには納得できた。
確かに、指定された時間に尖塔の部屋にいさえすればよかったのである。
結局のところ、それにまさる指令はない。あのとき予想外だったのは、沙漠の国の生き残りたちが邪魔に入ったことである。
「とくべつな月蝕だったことは、そこの観測所で裏づけをとっていた。気候面もふまえて、きわめて条件はよかったはずだ。おまえたちも現地では多くの天文学者たちに遭遇しただろう」
「なるほど。しかし手記を読みましたが、私にはあれだけでは皆目わかりませんでした。勉強不足でいけませんね」
ザウターが率直な感想をもらす。
「――月がかくしているのはあれだけではないからな」
すると、卿は目を細めた。
その真意もよくわからなかったが、卿が口をつぐんでいたので、ザウターはかさねて訊ねるのはやめた。
しばらくの沈黙ののち、「〈湖面の蝶〉はお手柄だったな、じつに助かった」と卿が笑顔でうなずいた。
「光栄です。ただの運でしょうが」ザウターは礼を述べながらも、あまり素直に喜べない。
こちらも沙漠の国の残党たちのことがあたまをよぎらずにはいられない。
卿が腕を組む。
「もともとあれは水の国海域のはなれ島に居をかまえるアルスという素封家が保有していたもので、それを私が代理をたてて買いつけ、運搬させているところだったのだが、当然陸路よりも海路のほうが早いと思い、失敗した。焦りは禁物――人生と似たようなものだな」
卿はため息をつく。
「内海での難破船騒動は聞いていたが、さして重要視しなかったせいで、あやうく海の藻屑になるところだった。おまえたちがあのとき〈はずれの港町〉に待機していてくれたおかげで、回収できたといっても過言ではないだろう。感謝している」
「いえ――」
もともとすでに購入したものだったとは驚きだったが、あのとき町のギャングたちを経由して、ザウターの手にころがりこんできたのは確かに幸運にちがいない。
「きっと海底に沈まなかったことも、私たちの手を経由してもどってきたこともふくめて運命だったのでしょう。もともと、さまよいやすい性質の石ならばなおさら、卿のもつ天運が石のもつ魔力にまさったにちがいありません」
「ふふ」卿は夕陽の街を見おろす。「――運命とはなんだろうな」
「ザウターとティファナのことだよ! ぜったい!」ティファナが両目をぎゅっと閉じて叫んだが、卿はそのあたまをなでただけだった。
「――直感がもとめるものとはちがう気がしますね」ザウターが応えると、卿は目を細めた。
稜線沿いの真っ赤な夕陽がゆらゆらと大きくなったのち、地面に落ちたトマトのようにつぶれて山脈の向こうに吸いこまれる。
同時に街のあかりがめだちはじめた。
人々は影のように浮かびあがり、窓あかりや街灯に照らされる街並みは、どんどん夜の顔になりつつある。
祭りはまだはじまったばかりで、あと二週間はこんな調子でつづくらしい。
卿がぼんやりと語りだした。
「最初に沙漠の国を襲撃したことに私自身はそこまで深意をこめていない。世間には王都や〈鹿の角団〉に対する私の反目の意思表明だと解釈されているようだが、そこまで策謀したものでもない。団の幹部たちのあいだでは意見が割れているだろうし、王都議会も理解できず苦慮しているだろうが、私にとってそれらはどうでもいいことだ――」
「〈支配の冠〉を試してみたかったということではなかったのですか?」ザウターが問う。
軍勢を率いて夜襲をするさい、卿は都市に侵入する手段として、城郭をやぶるために精霊王の一人である土の獣を召喚した。
土の獣を封じこめた〈支配の冠〉をティファナにかぶらせることで、精霊王を解放し、天変地異を起こすことを可能にしたのである。
その圧倒的な破壊力にザウターは失神するほど戦慄した。
「それもそうだが……〈月の城〉の下調べや、水の国の数寄者に折衝したときのほうがずっと計画的だった。沙漠の国の賢王には事前に書簡をだしたが、色よい返事があるとは最初から思っていなかった。それを計画と呼ぶのならそれでもいいが――」
卿は夕景の街をみつめる。
ザウターはその横顔をみた。
周到な計画がないというのはほんとうだろうか。
卿の横顔にうそ偽りは感じられない。
しかし王都や世論だけでなく、〈鹿の角団〉にもにらまれているいま、風にあおられる浮雲のようにこのまま漂流していくというのか。
そこまでして卿はいったいなぜ――ザウターがそう問いかけようとしたところで、卿が深く長く息を吸った。
「無軌道な動きが予想外の因子をうむ。沙漠の国の王子たちが、われわれの行動の節々についてまわっているのもそのひとつだ。おまえたちが迷惑しているのは知っている。くわえて、王都に合流したことで、王子らの味方も増えてしまっただろう。
しかし、妨害要素も増えたことは確かだが、そのおかげでわれわれの利に働いている部分もあることに気づいた。しばらくは放置するほうがいいだろう。
いずれ、宝石のかけらはだれが集めてもいいと私は考えている。最終的に完全になるとき、私が手にしていればいいのだからな」
ティファナが卿のわきから離れて、ザウターにならんで腕をとってきた。
「ようやく道半ばだ――」卿は二人をみつめながら、腰に手をすえた。「よろしく頼む」




