表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
銀の風ファンタジア ~孤独な炎の生と死の幻想~  作者: 坂本悠
名まえを失くしたとわの国
14/236

13 巨大な渦(第二楽章)

 ファゴットの印象的な装飾音に、ふとマイニエリはわれにかえる。

 どうやらぼんやりしていたらしい。

 

 マイニエリは一瞬みずからが新設音楽劇場で着席していることを忘れていた。

 昼前に教え子たちとたわむれたことを、うたた寝でみた夢のように思いだしていたのだった。


 もっとも、まわりからは椅子に深々ともたれこんでいる老人が、ときどき目を閉じたり開けたりしているようにしかみえなかっただろうし、そもそもマイニエリの動きに執心している人がいなかった。

 

 世の中にはいろんな人がいるし、いろんな思想がある――どれだけ長いあいだ生きてきても、それを痛切に感じるときはあるものだよ。

 

 マイニエリはそうつぶやいた。劇場にはオーケストラの演奏がひびきわたっていたから、だれにも聞こえなかったけれど。


 となりの詩人アルフォンスも、まぶたを閉じたまま身じろぎひとつしなかった。


 作曲家のギュスターヴは、まるで巨大なキャンバスに画を描くように指揮棒をふるっている。

 太い筆で描かれるおぞましい渦が、目にみえてくるような迫力だった。


 第二楽章に移っている――。

 優雅に空を舞うような第一楽章は終わり、地に足のついたリズムが刻まれていた。


 辺境民族的な軽快な調子の旋律が、劇場内に華やかな空気をもたらしている。

 あやつり人形が群れをなして踊っているような愉快な躍動感があり、その人形たちがよろこび、怒り、哀しみ、楽しむといった展開が、おとぎ話のようなおだやかな雰囲気をつくりだしていた。

 

 瞑想している詩人はどんな風景をみているのだろう。

 マイニエリはその横顔をみつめる――。


 そのときアルフォンスの脳裏では、いにしえの悪魔の挿話にもとづいた創作物語が発展してつづいていた。


 詩人の目には、おだやかな集落がひろがっている。

 それは第一楽章のときに天空より俯瞰でみた、閉ざされた土地において長いあいだ忍耐づよく生きぬいてきた少数民族のその後のすがたである。


 絶え間なくおとずれる嵐や落雷、旱魃や虫害などの災害をこうむってもなお、着実に繁栄してきた人々の営みがそこにあった。


 せまい渓谷においても、ゆるやかな人口増加にともなって、やがて集落はひとつの国となった。

 勇敢な若者が集落をひとつにまとめて族長となり、族長がそののち王となり、役割をもった組織がいくつか創設され、土壌や水が管理され、それによって富がたくわえられ、計算されて分配される。


 後世にも語り継がれる発明家が出現し、革新的な技術が開発され、その恩恵で人々の暮らしは安定していった。

 家畜もよく育ち、開発された農地も豊かに実りを迎えた。

 

 死亡率の減少と出生率の高まりによって人口は安定的に増え、神の名のもと善良な精神にみちびかれるように芸術、思想がうまれ、建築や服飾、音楽や絵画、文芸といった人間の定義がかたちづくられていった。


 原始の不安は少しずつちいさくなり、人々は矢印がさし示すほうへ進むようにして隆盛していく。

さだめられた光は、いちばん星のようにかがやいていた。


 そして、ときは収穫の季節――耕作された田畑には実りがあふれ、人々は楽器を奏で、歌をうたい、ぶどう酒を飲み、大規模なかがり火のまわりを輪になって踊って、あたえられた恩恵に感謝し、神をたたえた。


 笛の音は高らかに空を舞う鳥たちを呼びよせ、打ち鳴らされる太鼓は谷間にこだまし、若者たちが全身で表現した歓喜のダンスは、それを木陰からこっそりうかがうヒグマやオオカミたちでさえ胸がおどるような陽気さだった。


 いつかの苦しみはいまのよろこびをもたらし、いつかの涙はいまの笑顔をもたらす。

 色づいた葉に囲まれた豊饒の大地に、音楽はやむことなく鳴りひびいていた。


 しかし――。

 しかし、世界は環のようにめぐる。

 昇った太陽がやがて沈むように、次第に王国にも暗い影が落ちてきた――。


 高らかな踊りのリズムは、ところどころ荒々しく、不穏な鼓動をきざみはじめる。

 それはなまぬるい風が西の空にもたらす暗雲のように、聞く者のこころを重くした。

 

 まっくらな穴の奥からなにか悪いものが這いでてくるみたいに、徐々に陰陽の動機がいりみだれ、曲想は混乱した。

 それはまるで異郷の神が怒りとともに放ついかずちのように、人々のよろこびの歌をかき消していく。


 残された大地には吹きぬける風のゆらす枝葉の音だけがひびき、人々は動きをとめ、見あげた空を一羽の黒い鳥が暗示的に通りすぎていくだけだった――。

 それでも人々は悟っていたのである。

 その、つかのまの静謐は、世紀の天変地異の予兆に過ぎないことを――。


 ギュスターヴは指揮棒をぴたりととめる。

 まるで無風状態のような沈黙が会場を支配して、第二楽章は結ばれた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ