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銀の風ファンタジア ~孤独な炎の生と死の幻想~  作者: 坂本悠
名まえを失くしたとわの国
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11 オレンジ色のかたまり

 マイニエリ師の背中を追いかけてパティたちは部屋のまえまできた。


「覚悟してな」師は一瞬だけふりかえってからドアを開けて入っていく。「うそうそ。どうぞ、遠慮なく」


 冗談めかしているのだが平坦な口調なので、だれも返事ができなかった。


 しかし、入ってみるとまず、さほどひろくない応接間があり、そこはいたってふつうだったので三人とも安堵する。

 パティの記憶にはない空間だったが、印象がなかっただけだろう。


 パティとフリーダはさきにソファに坐らされ、師はシャトレを水場へ案内した。


 師の自室にはほかに寝室、物置、師みずから「くつろぎ部屋」と呼ぶ趣味のスペースなどがある。

 くつろぎ部屋の掃除を任されたことがある先輩から聞いたところによると、「ただの物置の延長じゃない? まぁ、いろいろめずらしいものもありそうだったけど、散らかってるだけにみえたわ」とのことだった。

 くつろぎ部屋は、かつてパティも一度だけのぞいたことがある、まるで美術館なみに絵画があふれる展示暗室にちがいない。


 壁一面の本棚をなにげなくみると、背表紙に読めない字でタイトルが書かれた本がたくさんあった。

 ほこりはきれいに払われているが、本自体には何年も人がふれた形跡がない。

 さわったらぼろぼろとやぶれてしまいそうな古書だった。

 パティとフリーダはひたすらきょろきょろしてしまう。

 

 パーティションの向こうの備えつけの水場からは、師とシャトレの会話がとぎれとぎれ聞こえた。


 季節ごとに雑草の種類が変わる庭園の話や、新種の植物のことや、虫害のことや、土壌改良のこと、それから諸国の気候変動にともなう植物移植についてなどだった。

 しかし、やがて日常会話に代わり、だれがどうしたとか、だれとだれがどうしたとか、共通の関係者やシャトレの内輪話になり、最終的にはどうやらパティたちの話題になった。


「あの二人には恋人ができたかね?」「どうでしょう、仲のいい男の子とグループで行動しているみたいですけど」などと、こそこそ小声になっている。


 湯が沸くまでのあいだの四方山話なのだろうが、なんだか居心地がわるくなって、パティとフリーダは目を合わせる。

 すると「ちょっと待って、ないしょ話をよそおって、案外わざと聞こえるように話してるのかもよ」とフリーダが眉間にしわをよせる。


 すると、不自然なぐらいにこにこしながら師とシャトレがもどってきた。

 茶葉を蒸したあとらしく、シャトレのもつケトルから良い香りがただよっている。


「やぁ、待たせたね、若いお嬢さんたち」師がほほえむ。

「あら、私も若いんですけど」シャトレが眼鏡のわきをつりあげる。なにもかもが演技くさい。


「セルウェイやストックデイルとは仲はいいかもしれないけど、つきあってなんかいませんよ」フリーダが冷静につっこんだ。


「お? 聞こえてたのか」師が鼻の穴をふくらませる。

 シャトレが、うふふと笑う。


「〈魔導院〉には気の合う子がたくさんいるけれど、恋愛感情なんてまず抱かないですよ」フリーダが目を細める。

 師とシャトレは目を合わせて、うふふふと笑った。


 大人たちがどう思っているのかはわからないが、確かにほかの院生と恋仲になっている自分はパティにも想像できなかった。

 そもそも恋心さえ、漠然としたオレンジ色のかたまりぐらいにしかイメージができていない。


「まぁ、恋はするより落ちるものっていうからね。そうだとすると考えものかもしれん。落っこちるとたいていのものは、こわれたり、へこんだり、われちゃったりするからね」師がとりつくろう。「まわりにぶつかったりすることもあるかもしれない、ふふ」


 パティとフリーダは冷めた目でみる。

 なぜ大人たちはそういう不快な気のまわしかたをするのだろう。


 そこでシャトレが「熱いから気をつけてね」とカップにお茶をそそいで渡してきたので、パティは両手で受けとる。カップにはバナナをもった小ザルが描かれていた。

「わぁ、甘くて良い匂い!」


「りんごみたいね!」フリーダも声を高くする。


 パティの右肩でまるまって寝ていたモカがむっくり起きた。

 甘味好きだからかもしれない。

 しかし、湯気がたつカップには関心を示さず、テーブルにとびおりると、お茶請けにだされたミルクビスケットに手をのばした。


「青りんごの香りってよくいわれるわね。カミツレの紅茶には癒しの効果がとてもあるから、眠れない夜や気だるい朝に最適なの」シャトレが解説する。「おなかの具合なんかもよくなるのよ」


「そりゃ助かるね、歳とるといろいろたいへんだから」聞いてもないのに師が腹をさすりながら応える。


 なんとなくいやで全員が冷たい視線を向けた。

 師は意に介さず、横腹をさすり、やがて放屁する。

 〈魔導院〉に三人の女性の悲鳴がこだました――。


 大規模な祝祭初日とは思えないぐらい、おだやかで気に病むことのない時間を過ごした。

 静けさにつつまれた院はまるで巨木のほらのようで、安心感やゆとりに満たされている気がした。

 林のなかは強い日光をさえぎり、風にゆれる枝葉の音がまるで小川のようだった。

 

 リラックスして話しこむとつまらないことでも笑えたし、肩からちからがぬけていくような気がした。

 まだ世間的には子どもなのに、安らぎをおぼえるのが年々難しくなっていることを実感する。緊張ばかりがさきだってしまうのだ。

「おませさんねぇ」シャトレはパティの意見に、そう感想をもらした。「でも、休みかたって重要だわ」

 

 窓のそとをみると、青い空に白い雲が浮かんでいて、パティはふと、最後の人魚のことを思いだしたりした。

 人魚やふしぎな恋人たちのこと。時間や生死を超越した恋人たちのこと……。

 そういえば、祝祭期間中は多くの音楽会が催される。作曲家エドバルドの演目のコンサートもあるにちがいない――。


 ふとみると、モカがぼりぼりとミルクビスケットの食べかすをテーブルに散らかしていたので、パティは怒るしぐさで牽制してから手で掃除した。


「せっかくの祭りにお楽しみの機会をうばってしまったうえ、老人の相手なんかさせちゃったから、なんかご褒美でもあげようか?」ソファにどっかり坐りこんだ師が、おなかをなでながらげっぷをした。


 急な話だったので、非難することさえ忘れて三人ともきょとんとする。


「ああ、でも、不老不死にしてくれとか、そういうのはなしにしてね」


 冗談は無視して、三人はそれぞれ視線を交わす。

 パティは要望をもたなかった。

 フリーダは考えながらも、とくに浮かばないといった顔をしている。

 シャトレは口をへの字にして悩んでいたが、しばらくすると「そうだ!」と叫んだ。

 全員がシャトレをみる。


「師の趣味の部屋がみてみたいです!」シャトレがひとさし指をたてた。


 秘密にふれたようでどきっとしたが、パティとフリーダはアイコンタクトをする。

 わりといいアイデアよね、とフリーダの目が語っていた。

 

 師は「えぇ、どうしようかな? いろいろみられたくないものもあるしなぁ」ともじもじしたが、「うそうそ、驚いた? べつに、くつろぎ部屋ぐらい、いつでも案内するのに」と、つまらなそうに耳の穴に小指をつきさした。


 そして、ぬいた指をふぅと吹いたのち、「じゃあ、いこうか?」と腰をあげる。

 三人は目を見合わせたのち、うなずきあってたちあがった。

 

 気づくと、くつろぎ部屋に向けて歩き去った師のローブのきれはししかみえなくて、三人はあわてて追いかける。

 パティが急に動いたので、驚いたモカがとびついてきた。


「まだテーブルにいてもいいよ?」とビスケットを示してみたが、どうやらついてきたいらしい。

「粗相のないようにしてね」パティの警句に、小ザルはまばたきをぱちぱちした。

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