63 ほんとうの美しさ
「失礼を承知で、おうかがいしますが――」
ステファンが肚を決めて話しかけると、ヘレン女王はゆっくりとステファンをみる。
まだ夢想しているような表情で、かわいらしいと思ってしまった。
「跳ねっかえりといえば、女王が怪盗リリ――その人だというのはほんとうでしょうか?」
女王は、じっとステファンの瞳をみつめる。
「あ、あの……私は幼少より怪盗リリのファンで、出版物も嗜好してまいりました。その凛とした硬派な人物像に影響をうけ、枢機院の試験をうけた経緯もあります」
「巷間でそのようにうわさされているのは存じています。ああ、あなたは王女からそれを聞きましたね」
「あ、はい、そうなんです」
女王はうなずいた。
女王の瞳に自分が映っていて、ステファンは頸すじに汗をかく。
「わたくしが――リリという偽名で盗賊団連合に所属していたことはほんとうです。これは公にはしておりませんが、もともとわたくしの一族にはそういった風習があります。盗賊になるということではなく、即位まえに期限つきの自由があたえられるのです。ただ、あなたが思っているようなリリは存在しません。あれは夢物語――誇張されたものです」
「それでも……」
ステファンはどう応えていいか迷う。
胸のうちであこがれと困惑が、ないまぜになっている。
「なんというか光栄のいたりです。たしかに脚色も多いのでしょうが、私にとっての影響は大きかったのです」
「そうですか」
「〈怪盗リリの事件簿〉にあるような事案は少しもなかったのでしょうか?」
「どうでしょうね。密猟違法取引の証拠をおさえるために家宅侵入したことはありますが、光栄どころか若気のいたりです。当局と連携して令状もありましたが、そもそもわたくしが違法行為をしているのですから」
「それでも一連の悪事を暴き、最後にアマリリスを一輪のこして去っていったのでしょう? 子ども心に鮮烈な印象をうけました」
「アマリリスに関しては先代との兼ねあいでしょう。わたくしであることを匂わすだれかの創作です。少なくとも、活動のさなかにわたくしがそういう行為をした事実はありません――」
女王は黙ってステファンをみて、やがて遠くをみるように目をそらし、しばらくして紅茶に目を落とした。
「ただの夢物語を少し語りましょうか――。盗賊として活動していた時期に、わたくしは一人の男性に逢いました。ええ、さほど見目がいいわけでもなく、無駄に陽気で底意が読みにくく、正直けむったいだけだったのですが、烏合の衆とはどこかちがう空気をまとっていたこともあり――それはのちに合点がいきましたが――とにかくパートナーになりました」
ステファンは硬直して、女王の顔をみつめる。
「当時わたくしも若かったので、無謀なこともしましたし、思慮の浅いたちふるまいもいたしましたが、かえりみればそのパートナーが、わたくしの足りない部分を補ってくれていたと思います。その最たる局面が、〈まぼろしの森〉に臨んだときのことです。わたくしは即位のための期限がせまっていたので、なにか、かけがえのない経験ができないものかと模索し、〈まぼろしの森〉のみずうみにて、風の王に願いごとをできるという伝承に惹かれたのです――」
女王は顔をあげるものの、ステファンをみてはいない。
「森には因習めいた村落がありました。わたくしは時間が惜しかったこともあり、長老に啖呵をきったり村議会とけんかをしたりと多くの村人と衝突しましたが、パートナーが村落の機構になじみ、わたくしの暴挙などを抑制してくれたおかげもあり、世界樹の根が這う、みずうみのほとりにて、風の王との面会が叶いました」
女王は息を吐き、そして吸う。
「みたことがないものがみたい――わたくしの願いは聞き届けられ、わたくしたちは虹色の蝶が舞う夢のような光景をまのあたりにしました。そして、みたことがないものがほしい――そう願ったパートナーはそのまばゆい蝶の群れを反射する〈伝説の宝石〉のかけらを手に入れたのです。ゆえに、〈伝説の宝石〉のかけらに――〈湖面の蝶〉と名づけたのは、わたくしです」
女王はひと息でそこまで話し、沈黙した。
ステファンはしばらく微動だにできなかったが、内容を消化して思いついたことを、つい口走ってしまった。
「そのパートナーが王配殿下――でしょうか?」
女王は紅茶をひとくち飲む。
「いいえ」
ということは、宝石の所有者だった――アルス卿になるのか……?
ステファンがそう考えたところで、女王が微笑をうかべてうなずき、それからみずうみの底流のようにつぶやいた。
「もう昔のことです。パートナーはその直後、ふいにわたくしのまえからすがたを消しました。わたくしへの――あるいは水の国への配慮だったのでしょう。わたくしには許嫁がおりましたから。だから、アマリリスといえば、わたくしはそんなことを思いだすのです……」
ステファンは女王がアルス卿に恋慕をいだいていたことを理解した。
「でも……」
ステファンは渇いたくちびるを舐める。
「そんな思い出の品を売却されてしまったのは、惜しいことではないですか」
女王は紅茶のカップを両手でもつ。
「それは所有者の自由でしょう。わたくしは物には固執いたしません」
声のトーンは女王のそれにもどっている。
「そう……ですか」
ステファンは二度うなずく。
「それでも、そうかんたんには忘れられないでしょうね」
話したあと、不敬な発言だと思った。
女王はカップを置いて、まっすぐとステファンをみて、それから目線をあげ、東の空をみつめた。
とても毅然とした凛々しい瞳だった。
「さきほどあなたは、わたくしを美しいといいました」
「――はい」
「とどまることはできない――その事実を承知しているという意味なら、それは正しい評価です。美しさとは、とどまれぬことを知る哀しみに、ほかなりません」




