60 つるし雲の空
「あの……それで、そのふしぎな村の話なんですけど」
パティがおずおずと話しかけてきた。
そういえば、パティから会話がはじまったのに途中から置いてけぼりにしてしまった。
「ごめん、なにがなんだかわからなくなっちゃって――」
ルイが片目をつぶる。
「いえ、それは私もおなじで……その、あまりにも大勢の視点でぜんぜん要領をえなかったし、はっきりしなかったんですけど」
パティはなぜか頬をそめる。
「とにかく、終始私がルイさんたちをみている感じなんですね」
「……ん、それがどうかしたの?」
ルイはパティの瞳をみつめるものの、パティがすぐにそらしてしまった。
「その……ルイさんたちにあいさつされることもあれば、いっしょに笑いながら仕事をしたり、もっと個人的な――その、つきあいみたいのもあったりして」
パティが耳まで真っ赤になった。
ルイは察して、ちょっと恥ずかしくなる。
それはウンブラとの恋愛をさしているのではないか。
そうすると、診療所でのできごとなんかもパティにはみえてしまったのかもしれない。
いまだに胸の奥がうずき、つかまれたわき腹が熱くなる。まだ10代になったばかりのパティには刺激的だろう。
「そうか――」
ディレンツァがめずらしく割って入ってきた。
「だれの目線を精神感応したかわからなかったが、見当がついたということか」
「あ、はい……その、蝶なんじゃないかって――」
パティは頸すじの汗をぬぐいながらうなずく。
「あのとき、とてもたくさんいたのが蝶だけだったので」
ルイはしばらくパティのうるんだ瞳をみていて、言いぶんを理解した。
「え、それって――村人たちが蝶々だったってこと?」
パティは恐縮する。
「わ、私にはそう思えたっていうだけで根拠はないです……」
ルイが黙ったので、客車内は背後の侍女たちの他愛もないささやきだけになった。
がたがたと車輪の音がつづき、ルイは無数にとんでいた虹色の蝶について思いをはせる。
贈りものの箱をつつむリボンのように編隊をくんだ美しい蝶の群れに、ふたたび心をうばわれた。
「私の精神感応は動物をはじめ、ほかの生物に対して起こることがほとんどなので、もしかしたらっていうのもあって――」
「なるほどな」
ルイよりさきにディレンツァが首肯した。
ルイがディレンツァをみると、ディレンツァもルイをみた。
「風の王の眷属だと思えば――そういうこともあるかもしれない」
「うーん……」
ルイは腕組みする。
「それは蝶たちが村人に化けていたってこと?」
「いや、かならずしもそうとはかぎらない。私たちにはそうみえただけという可能性もある」
ディレンツァは前方をみる。
「私たちが人間だから――という理由でな」
「そういえば、風の王は人のすがたをしていたわね。あれ、でも蝶のようでもあったか……」
「以前、話題にしたが、公会議の定義において、妖精や精霊たちには、属性としての個性に観察者の類推的解釈がうかがえるという特性があるらしい」
ディレンツァの説明にルイが片目を大きくすると、パティが受けた。
「私たちがみた風の王でいえば、風の属性からみんなが類推した蝶のすがたをしてみえるってことですか?」
「そんなようなことだな」
ディレンツァは目を閉じる。
「ついでに、美しい人の容姿をしていたというところで、われわれに対して好意的だったと、とらえられなくもない」
「……どうして?」
ルイが訊ねる。
「やさしそうで安心したし、言葉が通じそうにみえただろう?」
ルイはふぅむとうなる。
たしかに水の蛇や土の獣にそこまでの親和性はおぼえない。
火の鳥も狂暴なのだと聞いたことがある。
「こちらがそう望み、それに対して応えてくれていたということですか――」
パティが考えこむ。
「そもそも風の王なんて名まえの時点で、人間っぽいわね」
ルイが鼻の下をのばす。
「もうひとつ気になることがあった――」
ディレンツァがうつむく。
「森で、きのこの胞子にさらされたとき、眠気におそわれて焦りをおぼえたものの、ふしぎと恐怖を感じなかった」
「ああ、私もそうだったわ」
ルイは反射的な動きで、カップの液体をこぼしそうになる。
「なんでだろう、ネガティブな気持ちにもあんまりならなかった……」
「麻酔に似た特殊な治療法の正体とはなにか――」
ディレンツァはルイをみる。
「村の診療所の先生が研究していたっていう?」
ウンブラが話していたやつだ。
「夢の世界の住人になれるってやつね」
「これはもう想像でしかないんだが――」
ディレンツァはふたたび前方をみる。
「蛾にはまれに、胴体に毒性をもつものがいる。その鱗粉には少量の毒が付着しているのだという」
「――蛾?」
「ああ、だから森にあれだけ無数の蝶がいたことを思うと、あの蝶たちのもつ鱗粉にそういった効果があっても、おかしくないんじゃないか」
「鱗粉で……良い夢がみられるってこと?」
「推測の域はでない」
ディレンツァはふたたびうつむく。
パティが紅茶を飲んでからほほえむ。
「まわりの生きものを夢心地にさせる鱗粉をとばす蝶の群れ――それだけなら、なんだかすてきですね」
ルイはレムレスやウンブラや風の王を思い浮かべる。
「――てか、蛾なの?」
ルイはディレンツァをみる。
「昆虫として蛾と蝶の区別はそれほどない。区別する必要はないという識者もいるな。しいていえば、蛾は翅をひろげてとまるという……」
ルイは風の王の虹色の翅を思いだす。
「え、じゃあ、風の王は蛾なの?」
そして、苦笑する。
「美しい蛾でも悪くはないだろう?」
ディレンツァがルイをみる。
口角がほんの少しだけあがっているような気がした。
「くりかえすが、私たちにはたまたま、そうみえただけかもしれないしな――」
「うーん」
ルイはこめかみをおさえる。
「夢なんだかまぼろしなんだか、それでいて現実味はあるし、ただただふしぎな森ね……それでいて、じっさいにはありえない場所なんでしょう?」
「そもそも時代で呼び名が変わる。旧くは〈眠れる森〉、〈妖精の森〉、〈霧の森〉となり、現在は〈まぼろしの森〉となっているそうだ。それぞれべつの意味であるようでいて、案外おなじだったりするのかもしれない」
「ん……〈妖精の森〉も? 蝶は――妖精かもしれないってこと?」
ルイは思わず天井をみる。幌は陽ざしをうけて白くかがやいていた。
「ああ――なんだか、なにもかもが、まぼろしだったりしてね……」
ルイの感嘆は白さにまぎれて消え、しばらくだれも話さず、車輪が地面をけずり馬車は進んだ。
急にフィオナがまえの席からふりかえってきた。
ずっと眠っていたかと思っていたので、ルイは少し驚いた。
「あれは、まぼろしじゃないわね」
フィオナは目を細める。
「すばらしい円舞だったわ。あんなきれいなものが、まぼろしなわけないの」
ルイは思わずパティをみると、パティもルイをみてほほえんだ。
「それにどこでもいいと思うわ。あそこがまぼろしや夢のなかだったとして、なにかこまるの? 私はべつにかまわないけど。むしろ、どこでもないところだっていうほうが、ずっとすてきだわ――」
フィオナはそれだけ言い残すと、ふたたびまえを向いてしまった。
ルイはその意見について考え、なんともいえない矛盾がおかしくて、パティとともにくすくす笑ってしまった。
「あ――」
すると、いままで黙って車窓をみていたアルバートがつぶやいた。
ずっとルイたちの会話を聞いていたのかどうかはわからない。
そもそもルイは、アルバートも眠っているのではないかと思っていた。
「つるし雲だ……」
あいだにいるディレンツァが、すでに背もたれに深く腰かけ、まぶたを閉じていたので、ルイはしぶしぶ身をのりだして、アルバートの目線に合わせて窓から空をみる。
高くて青い空がひろがっていた――。
すがすがしいほどの澄んだ青空で、そこにうずまき状の雲が起こっていた。
神さまが空をかきまわしてつくったかのような、みごとな大雲だった。
「風が強い日に湿った空気があるとできるらしいよ」
アルバートがルイをみた。
なんだかひさびさにアルバートの顔を間近でみたような気がした。
みょうに落ち着いていて憎らしい。
「あそこに風の王たちがいたりしてね」
「……あの村が恋しいんじゃないの?」
ルイはアルバートから目をそらす。
レムレスが、といわなかったのはなぜだろう。
「たとえ――」
アルバートはふたたび、つるし雲をみる。
「まぼろしだったとしても、おだやかな日々だったものね。いろいろあったけど、平穏だったように思う。こういうとルイには叱られそうだけど」
「まァ、私だってそんなふうに過ごしちゃったからね、あまり人のことはいえないわ」
ルイはアルバートの横顔をちらっとみる。
「いつかまた、こられたらいいね。笑顔でもう一度おとずれたい」
アルバートは半笑いで雲をみつめている。
「ぼくの人生はうまくいっても、いかなくても、あんなにあたたかくてやさしい日々には、もうならないのかもしれないな――」
アルバートはそれからルイをみた。
「でもやっぱり、ぼくは無事にもどってこられてうれしいよ。ルイもいっしょだしね」
ルイがどう応えようか迷っていると、アルバートが目を大きくする。
「――そういえば、アップリケありがとう。ルイが野鳥を題材にしてくれるなんて思わなかったよ。ぼくの趣味に合わせてくれるなんて」
「ま、まァね……」
王子がつけていたのはレムレスのだけど、という言葉は呑みこんでしまった。
「ルイはチューリップをつけていたでしょう? 好きなの?」
「ええ、まァ……ね」
ルイはいいよどむ。
王子が気づいていたとは思わなかった。
「ルイらしい花だね」
アルバートの瞳に熱がこもっている感じがして、ルイはふたたび返事にこまった。
すると、ふいに弦をはじく音がひびく。
中音域の音色が合図のように鳴った。
どうやら馭者台にいるアルフォンスが愛用の古楽器を弾きはじめたらしい。
詩もなく、音数も少ない、しずかな旋律だった――。
幌のなかはのどかな陽気につつまれる。
ルイは背もたれに身をあずけ、幌の天井を見上げた。
とてもまぶしくて、少し眠くなる。
まるで大樹によりかかって、陽だまりのなかで、樹上を仰いでいるかのようだった。
そこに蝶のような翅をもつたくさんの妖精が、ふわふわただよっているような気がした――。




